A級戦犯、広田元首相の遺族 「靖国合祀合意してない」 (朝日新聞) - goo ニュース
国のために命を捧げた英霊の鎮魂を国が司るのは当然のことである。そのための施設として靖国神社があった。この新聞記事からも読み取れるように戦前・戦中の実態ははっきりしていた。
《靖国神社の合祀の審査は戦前、神社を所管する陸海軍省が行ったが、戦後は宗教法人となった神社に決定権が移り、旧厚生省や各都道府県に照会した戦死者らの資料に基づき判断した。審査の過程で遺族の合意を得ることはなく、過去には太平洋戦争で戦死した台湾先住民の遺族らが「無断で祀るのは民族の意思に反する」として合祀取り下げを求めたが、神社側は「神として祀った霊を分けることはできない」と断っている。》
ややこしくなったのは戦後である。元来国が所管すべきことを、それなりの経緯があったにせよ、一宗教法人に移管してしまった。私はこれは誤った戦後処理であったと思う。やはり国が所管するのが筋であろう。
私は靖国問題を自分で考えはじめて最初にぶつかった疑問は、その祭神がどのようにして選ばれるのであろうか、ということであった。
この記事では神社が決定権を握っていることになっている。しかし祭神の選別を一宗教法人が行うこと自体、極めて僭越である。元来国が行うべきことを一宗教法人に『丸投げ』とはいかにも便宜的である。
ここまで書き擱筆している間に、昨日(7月29日)の朝刊に次のような記事が現れた。
靖国合祀、国主導の原案 「神社が決定」に変更 (朝日新聞) - goo ニュース
この記事では《戦没者の靖国神社への合祀(ごうし)をめぐり、旧厚生省が1956年2月の時点で、合祀者は国が決定するなど国主導で合祀事務を実施するとの要綱原案をまとめていた》とのことで、それなりに筋が通っていると私は思う。しかしこのやりかたでは《新憲法の政教分離原則に触れる疑いが濃く、2カ月後にできた要綱では、神社が合祀者を決め、国は照会に応じるものと変更された》のだそうである。
『新憲法の政教分離原則に触れる疑い』のために、現実には国の行政機関が合祀予定者の選定に尽力をしながらも、最終決定は靖国神社が行うという『辻褄合わせ』をしたのが真相なんだろうか。
日本国憲法に次のような条項がある。
「第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
しかし、靖国神社に英霊を祀ることは『宗教的活動』なのだろうか。
もともと政治をまつりごと(祭り事)をいうぐらいだから、『英霊の鎮魂』のために英霊をまつることは、政治的行為であると割り切ればそれでいいのではないか。ましてや『英霊の顕彰』は政治的行為そのものである。アメリカのような新興国には無縁のことであるが、日本のような『長寿国』では、かって祭祀と政治が密接な関係にあり、だからこそ政治を「まつりごと」とよんだのである。祭祀権の継承が政治権力を掌握する重要な条件であり、少なくとも古代日本では天皇家がその担い手であったのである。
なるほど明治維新後、明治天皇の詔勅にもある「神祇を尊び、祭祀を重んじるは、皇国の大典、政教の基本なり」の精神に則り、新政府の基礎は政教一致にあった。そして国家神道が明治維新後第二次大戦の敗戦にいたるまで国家的イデオロギーのよりどころとなっていた。天皇が神話的祖先である天照大神から万世一系の血統を継ぐ神の子孫であり、自ら現御神(あきつみかみ)である。また日本は特別に神の保護を受けて神国である。さらに日本は世界を救済する使命があり、他国への進出は聖戦としての意味を持つ、等々がこの教義の基本であった。今時のアメリカやアラブ諸国の先駆けである。
第二次大戦の戦勝国アメリカが最も恐れたのは軍事大国日本の復活であり、その精神的支柱であるとみた国家神道の廃止をはやばやと指令した。昭和20年12月15日に出された「国教分離指令」で「国家神道」は「日本政府の法令に依って宗派神道或いは教派神道と区別されたる神道の一派即ち国家神道乃至神社神道として一般に知られたる非宗教的なる国家的祭祀として類別されたる神道の一派(国家神道或いは神社神道)」として定義されている。
この定義の私が赤字で強調したところで明らかなように、国家神道を宗教と占領軍はみなしていなかった。彼らにしてみれば国家神道なるものは現代風に云えばカルトの一種で、キリスト教などと同列に並べられ宗教とはほど遠いものだったのであろう。占領軍にとって国家的祭祀は宗教ではなく政治(まつりごと)なのであった。
ところで『国家的祭祀』が宗教ではないことを最初に明確にしたのは占領軍ではなくて、実は明治政府なのである。大日本帝国憲法の発布(明治22年)で信教の自由が規定されたが、その際に仏教・キリスト教はもちろん教派神道は別として、国家としての祭祀は宗教ではないと言う見解を明治政府はとっているのである。明治維新以降日本が戦争に負けた後も一貫して『国家的祭祀』が宗教であったことはないのである。
靖国神社に個人がどのような思いで参拝するかは全く個人の自由である。しかし公人が参拝するとなると過去の『国家的祭祀』の流れで、これを政治的行為と受け取られても仕方がない面がある。それに対して公人が『宗教的行為』であることを強調するのは、日本の歴史の流れに無知であることをさらけ出すだけのことである。
結論を急ぐと、私は靖国神社を国営化すべきであると考える。それが本来あるべき姿なのである。もともと国家的祭祀の場であった靖国神社での行事は非宗教的なものであり、靖国神社の国営化は日本国憲法の『政教分離の原則』と抵触するなものではない。
靖国神社国営化の暁には皇族が宮司に就くのも一案である。社号の「靖国」とは天皇の国家を安んずる意とか、特に今度の大戦での戦没者は天皇の御為に国に殉じたのである。戦争責任の一端を担う天皇家が、その行動により思いをいたすに恰好の機会になるのではなかろうか。
参考:「国史大辞典」(吉川弘文館)
国のために命を捧げた英霊の鎮魂を国が司るのは当然のことである。そのための施設として靖国神社があった。この新聞記事からも読み取れるように戦前・戦中の実態ははっきりしていた。
《靖国神社の合祀の審査は戦前、神社を所管する陸海軍省が行ったが、戦後は宗教法人となった神社に決定権が移り、旧厚生省や各都道府県に照会した戦死者らの資料に基づき判断した。審査の過程で遺族の合意を得ることはなく、過去には太平洋戦争で戦死した台湾先住民の遺族らが「無断で祀るのは民族の意思に反する」として合祀取り下げを求めたが、神社側は「神として祀った霊を分けることはできない」と断っている。》
ややこしくなったのは戦後である。元来国が所管すべきことを、それなりの経緯があったにせよ、一宗教法人に移管してしまった。私はこれは誤った戦後処理であったと思う。やはり国が所管するのが筋であろう。
私は靖国問題を自分で考えはじめて最初にぶつかった疑問は、その祭神がどのようにして選ばれるのであろうか、ということであった。
この記事では神社が決定権を握っていることになっている。しかし祭神の選別を一宗教法人が行うこと自体、極めて僭越である。元来国が行うべきことを一宗教法人に『丸投げ』とはいかにも便宜的である。
ここまで書き擱筆している間に、昨日(7月29日)の朝刊に次のような記事が現れた。
靖国合祀、国主導の原案 「神社が決定」に変更 (朝日新聞) - goo ニュース
この記事では《戦没者の靖国神社への合祀(ごうし)をめぐり、旧厚生省が1956年2月の時点で、合祀者は国が決定するなど国主導で合祀事務を実施するとの要綱原案をまとめていた》とのことで、それなりに筋が通っていると私は思う。しかしこのやりかたでは《新憲法の政教分離原則に触れる疑いが濃く、2カ月後にできた要綱では、神社が合祀者を決め、国は照会に応じるものと変更された》のだそうである。
『新憲法の政教分離原則に触れる疑い』のために、現実には国の行政機関が合祀予定者の選定に尽力をしながらも、最終決定は靖国神社が行うという『辻褄合わせ』をしたのが真相なんだろうか。
日本国憲法に次のような条項がある。
「第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
しかし、靖国神社に英霊を祀ることは『宗教的活動』なのだろうか。
もともと政治をまつりごと(祭り事)をいうぐらいだから、『英霊の鎮魂』のために英霊をまつることは、政治的行為であると割り切ればそれでいいのではないか。ましてや『英霊の顕彰』は政治的行為そのものである。アメリカのような新興国には無縁のことであるが、日本のような『長寿国』では、かって祭祀と政治が密接な関係にあり、だからこそ政治を「まつりごと」とよんだのである。祭祀権の継承が政治権力を掌握する重要な条件であり、少なくとも古代日本では天皇家がその担い手であったのである。
なるほど明治維新後、明治天皇の詔勅にもある「神祇を尊び、祭祀を重んじるは、皇国の大典、政教の基本なり」の精神に則り、新政府の基礎は政教一致にあった。そして国家神道が明治維新後第二次大戦の敗戦にいたるまで国家的イデオロギーのよりどころとなっていた。天皇が神話的祖先である天照大神から万世一系の血統を継ぐ神の子孫であり、自ら現御神(あきつみかみ)である。また日本は特別に神の保護を受けて神国である。さらに日本は世界を救済する使命があり、他国への進出は聖戦としての意味を持つ、等々がこの教義の基本であった。今時のアメリカやアラブ諸国の先駆けである。
第二次大戦の戦勝国アメリカが最も恐れたのは軍事大国日本の復活であり、その精神的支柱であるとみた国家神道の廃止をはやばやと指令した。昭和20年12月15日に出された「国教分離指令」で「国家神道」は「日本政府の法令に依って宗派神道或いは教派神道と区別されたる神道の一派即ち国家神道乃至神社神道として一般に知られたる非宗教的なる国家的祭祀として類別されたる神道の一派(国家神道或いは神社神道)」として定義されている。
この定義の私が赤字で強調したところで明らかなように、国家神道を宗教と占領軍はみなしていなかった。彼らにしてみれば国家神道なるものは現代風に云えばカルトの一種で、キリスト教などと同列に並べられ宗教とはほど遠いものだったのであろう。占領軍にとって国家的祭祀は宗教ではなく政治(まつりごと)なのであった。
ところで『国家的祭祀』が宗教ではないことを最初に明確にしたのは占領軍ではなくて、実は明治政府なのである。大日本帝国憲法の発布(明治22年)で信教の自由が規定されたが、その際に仏教・キリスト教はもちろん教派神道は別として、国家としての祭祀は宗教ではないと言う見解を明治政府はとっているのである。明治維新以降日本が戦争に負けた後も一貫して『国家的祭祀』が宗教であったことはないのである。
靖国神社に個人がどのような思いで参拝するかは全く個人の自由である。しかし公人が参拝するとなると過去の『国家的祭祀』の流れで、これを政治的行為と受け取られても仕方がない面がある。それに対して公人が『宗教的行為』であることを強調するのは、日本の歴史の流れに無知であることをさらけ出すだけのことである。
結論を急ぐと、私は靖国神社を国営化すべきであると考える。それが本来あるべき姿なのである。もともと国家的祭祀の場であった靖国神社での行事は非宗教的なものであり、靖国神社の国営化は日本国憲法の『政教分離の原則』と抵触するなものではない。
靖国神社国営化の暁には皇族が宮司に就くのも一案である。社号の「靖国」とは天皇の国家を安んずる意とか、特に今度の大戦での戦没者は天皇の御為に国に殉じたのである。戦争責任の一端を担う天皇家が、その行動により思いをいたすに恰好の機会になるのではなかろうか。
参考:「国史大辞典」(吉川弘文館)