日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

水仙が咲いた

2009-03-31 18:37:14 | Weblog
昨年、水仙の球根を植えた。白い水仙が10個に黄色い水仙が6個である。ところが2月には白水仙が咲いたものの黄水仙は芽さえ出てこない。失敗したかなと思い園芸店で聞いたところ、品種により成長時期が違うのでもう少し待ってみたら、と言われた。

3月に入り、白水仙が力を失いかけた頃、嬉しいことに黄水仙が芽を出し始めた。みるみるうちに花茎が成長して遂に花を開いた。最後の6本目の開花も目前である。園芸一年生にしては大成功。花のあとは球根を上手に掘り上げ保存して、秋に入ればあらたに植え付けることにする。ビオラもパンジーも順調に花を咲かせてくれている。



やっぱり歌ってしまったDong-shim-cho(とん・しむ・ちょ)

2009-03-31 11:22:02 | My Song
昨日はこの동심초(とん・しむ・ちょ)について、《やはり発音だけではなくて、歌の意味が分かってこそ本当の歌になる。もう少し勉強してから原語で歌うことにする。》なんて見得を切ったが、やはり意味はもう一つでも、せっかくの韓国・朝鮮語入門コースの終了記念でもあるので、Sumi Joさんと一緒に原語で歌ってしまった。教科書的には正しい発音のつもりだが、おかしいことに気づいたらまた直していくことにする。Sumi Joさんとはあきらかに発音の違うところが何カ所かあるが、もしかすると元の歌詞が違うのではないかと思う。意味が理解できるようになってから違いを検討してみる。それにしてもこの歌、何語で歌っているのか自分で聴いてもさっぱり分からないとは・・・。(^^;)

동심초

꽃잎은 하염없이 바람에 지고
만날 날은 아득타 기약이 없네
무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고

바람에 꽃이 지니 세월 덧없어
만날 길은 뜬구름 기약이 없네
무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고

追記(4月1日) 一部分だけ異なる歌詞をネットで見つけたので、それに変更した。しかしSumi Joさんの歌っている歌詞とはところどころ違うように感じるが、もしかすると私の聞き取り能力のせいかもしれない。いずれにせよもう一度歌い直した。発音には出来るだけ気をつけたつもりである。

韓国・朝鮮語入門コースの終了

2009-03-30 20:52:54 | Weblog
昨年9月に始めた韓国・朝鮮語入門コースが今日で終了した。1回90分で20回だから合計30時間、それでハングル文字が意味は分からなくてもとにかく読めるようになったのだから大したものである、と自画自賛。まだ考えながらだからすらすらとはいかないが、正確に読めるようになった。あとは読む量を増やせば自然と慣れるだろう。

동심초(とん・しむ・ちょ)という韓国の歌を原語で歌いたいと思ったことが朝鮮語を習う切っ掛けであったが、歌詞もちゃんと読めるようになった。となると字引を引きながらでもその意味を知りたくなる。やはり発音だけではなくて、歌の意味が分かってこそ本当の歌になる。もう少し勉強してから原語で歌うことにする。

授業が終わるといつも先生と一緒に五六人「すっからちょっから」でお昼を一緒にしたが、課外授業のようなもので、教室では聞けないような細かい質問に丁寧に答えて貰いなかなか為になった。ということで今日は仲間一同で先生にお花を贈ったところ、先生からはクレソンや芹を頂いた。昨日三田の方に山菜摘みに出かけた収穫だそうである。芹は早速先生のレシピ通りのおひたしにした。芹をゆでて水気を絞り、ごまとごま油をまぜて醤油をかけるという簡単なものである。なかなかの風味であった。



先週は仲間の二人が欠けていたが、なんと韓国俳優のおっかけに行ったとのことだった。オム・テウンという男優のファンクラブの催しで、伊勢志摩ロイヤルホテルに泊まり込みで交歓会をしたらしい。どんな俳優だか私は知らないが、オム・テウンがホテルの部屋を順番に廻った来て一人ひとりにハグをして周り、記念写真を撮って貰うとのこと、抱き合っている写真を嬉しそうに見せてくれた。皆さん、アラカンの年代なのにまだ興奮が冷めやらずと言った風情で、胸板が厚いから思わず触ってしまったとか、目をきらきらさせて女学生のようにきゃっきゃきゃっきゃ言っている。ダンナの顔を見たいものだと思っていたら(失礼!)、気配を察したのか、家では相手がなくてはしゃげないのでごめんなさい、と先手を打たれた。なるほど、と納得。四月からは初級コースで、彼女たちは全員曜日の関係で月曜夜のクラスへ、私は金曜昼のクラスに行くのでお別れである。再会する頃には日常会話ぐらいは出来るようになっていることだろう。


阪神なんば線 車両増結・切り離しの謎

2009-03-29 18:23:33 | Weblog

3月20日に阪神なんば線が開通した。その「ご利用ガイド 保存版」には《阪神なんば線の開通に伴い、阪神電車は近鉄電車と相互直通運転を開始し、阪神三宮⇔大阪難波⇔近鉄奈良が乗り換えなしで結ばれ、利便性が飛躍的に向上します。》とうたわれている。たしかに、これまでは三宮から奈良に行くには大阪でいったんJRに乗り換えるか、また近鉄線で行く場合はさらにJR環状線鶴橋で近鉄奈良線に乗り換えなければならなかった。それが三宮から乗り換えなしに奈良に行けるのだから、神戸在住の私にとってまことに有難い。さっそく乗ってみたいと思っていたが、昨日、ようやくその思いを叶えることが出来た。それは良かったのだが、変なことが気になった。それは奈良行きの列車に増結されたり切り離された四両の車両のことである。

阪神なんば線開通を報じたニュースであったか、三宮と奈良の間のどこかの駅で、車両を増結したり切り離したりするので車両を乗り換えないといけない、と聞いたように思う。それが頭の中にあったものだから、そのような車両には乗らないように注意するつもりであった。

阪神三宮駅では三号線プラットフォームで10時13分発の奈良行き快速急行に乗った。六両連結の近鉄車両で、もちろん始発駅だから座席にちゃんと座れたが、三宮を発車した時はまだ空席が残っていた。快速急行のせいだろうか、結構停まる駅が多くて乗客がだんだんと増えてきた。そして尼崎駅でこの快速急行の先頭に車両が四両増結されることになり、5分ほど停車していた。

尼崎からは今回開通した阪神なんば線に入り、高架を走っているかと思うといつの間にか地下に潜ってしまった。大阪難波駅では思いの外大勢の乗客が降りて、車内はがら空きの状態になった。鶴橋を出ると生駒までノンストップで、大和西大寺に近づく頃に、この駅で前の四車両は切り離し、後ろの車両は奈良行きとの車内放送があった。したがって阪神三宮駅では六両編成のどの車両に乗ろうとも奈良までは乗り換え無しで行けることが分かった。

ただ分からないのは、尼崎で増結されて大和西大寺で切り離される車両の役割である。確かにこの両駅間で旅客の運送に役立っていることは分かる。しかし増結・切り離しのためにその二駅でそれぞれ5分ずつも停車しないといけない。仕方なしに待っている間に車両の扉は開いたままだし、昨日はやや寒くて外の冷気が車内の暖気を追い出してしまった。乗客にすれば迷惑な話である。尼崎から奈良方面への乗客が増えるのであれば、尼崎始発奈良行きの列車を増発すれば済む話である。もちろん三宮発奈良行きの直行列車を増発してもよい。なぜ車両を増結してはまた切り離すような手のかかることをするのか、私には分からなかった。それに、大和西大寺で切り離された車両はいったいどこに行くのだろう。

往きはまだよかったが、問題は帰りである。大和西大寺駅で待っていると、奈良方面から十両編成の阪神三宮行きが入ってきた。最初は⑦番の印のところで待っていたが、もし尼崎で切り離される車両だったら面倒と思って、列車が入ってきてから慌てて移動して⑤番印から乗り込んだ。乗ったのは阪神車両で先頭が⑩番車両だったから、⑤番車両に乗っている限り三宮まで乗り換えせずに行けるはずだと思った。実は⑦番車両でもよかったのであるが、頭がなにか混乱していたようである。鶴橋でようやく座ることが出来た。

尼崎に近づくと後ろ四両は切り離すとののアナウンスが流れた。私は⑤番車両に乗り込んでいるつもりだったので慌てることもなかったが、念のために車両番号を確認しようと思ったら、車内のどこにもその表示がない。自分が何番車両に乗り込んでいるのかはっきり分からずに、不安を感じた乗客が大勢いたのではなかろうか。尼崎駅では向かい側に停まっている姫路行き直行特急に取り替えた乗客も多かったが、多分切り離された車両からであろう、大勢の乗客が乗り込んできてかなり混み合ってきた。終点阪神三宮で下車したら確かに私の車両が最後尾になっていた。

一度このようなことを経験しておくと、どうすれば乗り換えせずに奈良に往き帰りできるかが分かって迷うこともないが、それにしてもなぜ車両の増結・切り離しというやっかいなことをわざわざしないといけないのか、どう考えても分からない。そう言う作業を見るのが好きな人のためにサービスでもしているわけでもあるまい。増結・切り離しをせずに済む方法を考えて欲しいものである。それはともかく、三宮から難波に出るのは非常に便利になった。乗り換え無しで行ける上に料金が400円と安い。これまでは阪急・阪神でいったん梅田まで出るのに310円かかるので、それにプラス90円で難波に行けるのである。さらに200円アップで韓国料理の町、鶴橋へ直行である。南の方へ足を運ぶ回数が増えるような気がする。


一弦琴「玉簪花」(ぎぼし)をまたもや そしてのど飴

2009-03-27 13:48:10 | 一弦琴
「玉簪花」の演奏をさる2月9日にブログに公開してから、実は何遍となく演奏を差し替えていた。2月18日の演奏でひとまず仕上げと思ったが、なんとなく違和感がある。それで歌い直したいと思っていたが、東京で喉の調子を崩したものだから、なかなか本格的には声をだせなかった。

昨日はヴォイス・トレーニングの日で、先生にその旨を申し上げ、無理をしないように発声を導いて頂いたおかげで、復調の兆しを感じた。まだ本調子ではないが(いつものごとく)「玉簪花」をとにかく唄ってみた。間とかリズムの刻み方の違和感は消えたような気がする。

ヴォイス・トレーニングの先生には、耳鼻咽喉科に行ってファイバースコープで声帯を検査して貰い、ポリープでも見つかれば取って貰えばよいと勧められたが、そんなおっとろしいことはご免である。私はのど飴で十分、と、帰りにまたもや買い込んだ。今日の歌声は丹波黒のど飴で調えたものである。





日本WBC連覇 民主党小沢代表第一秘書逮捕 弾道ミサイル迎撃「難しい」発言

2009-03-24 22:47:29 | Weblog
日本がWBCで世界一になった。出出しはもたもたしたような印象が残るが、終盤ではキューバを一蹴し、アメリカも破り、そして韓国を延長戦の末、力業で押し切っての優勝だからいうことなしである。 点取りゲームでは結果が誰にでも分かる形で出るから文句なしに喜べる。たかが野球の試合ではあるが、それでも世界一に日本が気炎をあげるのも久しぶりのことではなかろうか。毎日鬱陶しいニュースばかりの中での朗報であった。北京オリンピックでは韓国、アメリカに歯が立たずに、日本野球凋落の始まりかと思ったが、なんとか盛り返したのだから立派なものである。Japan As Number One復活の起爆剤となればいうことないのであるが、さてどうだろう。

ところで私はいつの間にか野球の試合をテレビの前に座ってのんびりと観ることがなくなった。隠居の身ながらだんだんと忙しくなって、そんな暇がないのである。だからインターネットやテレビニュースで結果を知ることがほとんどである。それが今日はたまたま午後外出から戻って、まだ試合をやっているかなと思いテレビをつけたら、イチローが勝ち越しの二塁打を打った直後だったので、テレビから離れることが出来なくなった。そして10回裏、韓国最期のバッターがダルビッシュに三振で打ち取られるところまで観ることが出来てラッキーだった。結果よければすべて良し、これで原監督にも大いに胸を張って頂こう。しかし一つだけ釈然としないことがある。なぜ世界一になるのに韓国と5回も対戦しないといけないのだろう。それなりの理屈はあるのだろうが、私にはさっぱり分からない。それだけは興ざめであった。

asahi.comは《準大手ゼネコン「西松建設」から小沢代表の資金管理団体「陸山会」への違法献金事件で、東京地検特捜部は24日、小沢代表の公設第1秘書と会計責任者を兼ねる大久保隆規(たかのり)容疑者(47)を政治資金規正法違反罪(虚偽記載など)で起訴した。大久保秘書は容疑を否認しているという。》(2009年3月24日15時46分)と伝えた。

私は小沢一郎民主党代表公設第一秘書逮捕 東京地検特捜部の腕の見せ所で、《検察側が「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」からの寄付金が、実際は西松建設から出たものであることを第一公設秘書が知りつつ受け取っていた、ということを秘書に認めさせるのは素人目には至難の業のように思える。金集めにどん欲な政治家の法の網くぐりにかけるエネルギーは、サラリーマン検察官の職業意識をはるかに凌駕するものであると私は思っているからだ。

東京地検特捜部がどのように起訴に持ち込むのか、プロとしての腕前をぜひ見せて欲しいものだ。》と述べた。公設第一秘書が否認のままでの起訴であるから私の危惧があたったようである。大山鳴動鼠一匹、結果論であるが、東京地検特捜部の敗北である。

といって小沢代表が勝ったわけでも何でもない。代表に居座るのも大いに結構、今度の選挙でわれわれが審判を下せばよいのである。

北朝鮮の「人工衛星打ち上げ」に対して、《防衛省は航空自衛隊浜松基地(浜松市)にある迎撃用の地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)を、秋田、岩手両県の計2カ所に配備する方針を固めた。北朝鮮の予告通りなら両県上空付近を通過するとみられ、ブースターなどが落下してくる事態に備えるためだ。 》(asahi.com 2009年3月24日3時0分)とのことである。自衛隊はどの程度本気なのか分からないが、アメリカの核の傘の下でぬくぬくと懐手しておれば済むことを、なにをあたふたしているのだろう。ところが面白いことに、またしても「政府筋」であるが、「当たるわけがない」と発言したそうである。この「政府筋」は《これまでの海上自衛隊による海上配備型迎撃ミサイル(SM3)の発射試験にも触れ「成功したのは『今から撃ちますよ』と言ってくれるからだ」と疑問を呈した。》(2009/03/23 21:36 【共同通信】)とも述べているらしい。

私もかって海自ミサイル迎撃試験成功に水を差すが・・・で、《撃ち落としたのはアメリカの模擬ミサイルだそうである。あらかじめ発射される場所も、飛んでくるミサイルの種類も分かっている。不意をつかれたわけでもない。速度が圧倒的に遅いとか、落として貰いやすいように仕組まれた実験であるのかも知れない。同じ実験をするのなら、中国とかロシアに実戦配備のミサイルと飛ばして貰ってそれを撃ち落とすぐらいのことをしないと、実験の意味はない。》と揶揄したものである。

まともな感覚の「政府筋」も存在することが分かってご同慶の至りなのであるが、それならそれで「ミサイル迎撃」なんて世界の物笑いになるようなニュースが流れる前に、その考えを捨てさせるべきではなかったのか。

世界中で3万発前後の核ミサイルが保有されているという厳しい現実に、国民の目を向けさせることの方が先決であろう。


黒木登志夫著「落下傘学長奮闘記 大学法人化の現場から」を読んで

2009-03-23 23:40:51 | 読書
承前

「プロローグ」に著者の黒木登志氏がかって身を置いた研究所の雰囲気を、次のように述べている。

《伝染病研究所の伝統を引き継いだ東大医科研には、”伝研魂”ともいうべき美学があった。研究だけに没頭し、研究所の運営、政治などの雑用は所長に任せればよい、できたら教授会もなくしてほしい、というのが、当時の雰囲気であった。》

私が身を置いた大学もこの通りで、その雰囲気を実感出来る。黒木博士は、その医科研の所長になることは固辞されたようであるが、岐阜大学の学長に選ばれるや意欲を示し、大学独立行政法人化前の三年と法人化後の四年の二期を学長として勤めた方である。この本を一読して、名ばかり学長ならぬプロとして学長職に励まれた方との印象を持った。大学の独立行政法人化という大きな変革の担い手として、希有の体験されたという意味では男冥利に尽きる思いをされたのではなかろうか。西郷隆盛と大久保利通を足して二で割ったような役割、というと大げさかも知れないが、それを真摯に果たされた方のメモワールとしてこの本は実に内容が豊富である。このなかで三点ほど、私がとくに関心をもったことを取り上げる。

この本で私がもっとも感銘を受けたのは、学生憲章の中身なのである。

法人化にあたり、大学としての理念を完成させる必要があるということで、岐阜大学では「教育に軸足を置いた教育・研究大学」という位置づけを行った。それは黒木博士の以下のようなしごくもっともな、そしてきわめて冷静な状況判断がその根底にある。

《岐阜大学の現況を見た場合、後にランキングで示すように、研究実績はあるものの研究大学と呼ぶには実力が不十分である。といって、教育だけをすればよいという大学でもない。「研究・教育大学」という考えは、優れた教育をするためには、優れた研究がその背後にあるべきであり、研究に打ち込む教員の姿自身が教育であるという考えによる。》

そこから学生憲章とか教員憲章とかが生まれてきたのであるが、学生憲章では学生に次のように呼びかけている。

 1.本をたくさん読み、学んでいく上での土壌をつくろう。
 2.文学と芸術を愛し、人間と自然への理解を深めよう。
 3.専門職業人として、高度な専門知識を身につけよう。
 4.自分の考えを論理的な文章にまとめ、発表できるようにしよう。
 5.国際語である英語をマスターし、十分に意思疎通できる実力をつけよう。
 6.IT技術により、正しい情報の受信と発信ができるようにしよう。
 7.長い人生を生きるための体力をつけ、健康を守ろう。

これから大学生生活を始めようとする新入生にとっては、具体的な指針であると言えばそれまでなのであるが、私はこのなかに、年のせいなのだろうか、学生に対するふつふつとした愛情を感じて感動したのである。この憲章は同時に教員に対する指導心得にもなっているのがよい。さらに、これで浮かび上がる教育理念が、実は将来の岐阜大学のあるべき姿を表しているようにも私には思えるのである。これはまた後に触れる。

ここで急に極端な言い方になるが、私がこの本を読んで希望と明るさを感じたのは、後にも先にもこの一点だけなのである。というのも、プロ学長の目を通じて浮かび上がってくるのは、廃墟と化す大学のイリュージョンなのである。

その一例が付属病院を抱えた大学の危機的状況である。それは国立大学付属病院自体の深刻な病で、法人化が発端だというのである。国立大学時代の病院建設、医療設備への投資に対して、従来は国が面倒を見てくれていたのに、法人化で大学が償還義務を負うようになった。著者の岐阜大学では病院を新築移転したために負債総額が557億円に達するそうである。国立大学付属病院全体では04年時点で、なんと1兆10億円にのぼるというのである。この借金を各大学が返していかないといけないのだが、一体どのように返していくのか。

《国立大学協会によると、05年度に大学予算を病院につぎ込まざるを得なかった大学は、ほぼ10%の4大学に上る。08年度までにはほとんどの大学が、病院のために大学の予算を削らざるを得なくなるだろう。
 大学のお金をつぎ込むのは当然と思うかもしれない。しかし、問題は金額である。大学予算の3分の1を占める病院の赤字は、規模の小さい学部など簡単につぶしてしまうほどなのだ。教育経費はゼロになるかもしれない。大学病院の病巣が大学全体に波及するところまで来ている。》

これではたまったものではない。一口に言えば、医療行政の一端というか、いや、そのかなり本質部分を、元来は教育・研究機関である大学が担うという曲芸的マヌーバーの矛盾点が露わになったのである。この矛盾点を解決するには、医療制度と医学教育制度の抜本的改革にしかその途はないと思うのだが、ここではこれ以上立ち入らない。いずれにせよ黒木博士にしてもこの問題に大きな危機感を抱くのは当然のことであろう。

気になるもう一点とは、大学への競争原理主義の持ち込みである。経済財政諮問会議の民間議員が07年2月27日に「成長力強化のための大学・大学院改革について」という3項目からなる提案をした。

 1.イノベーションの拠点として―研究予選の選択と集中を―
 2.オープンな教育システムの拠点として―大学・大学院グローバル化プランの策定―
 3.大学の努力と成果に応じた国立大学運営費交付金の配分ルール

著者は《この提案の根底にある考えは、「競争原理」、「成果主義」、「効率主義」、「選択と集中」、「グローバル化」などのキーワードで代表される、市場中心主義、競争原理主義を引き継ぐものであった。「社会的共通資産」である教育をすぐに役に立つ投資としてしかみていないのではなかろうか。》とそのスタンスを明らかにしている。

この競争原理主義を持ち込ませないために最も有効な対抗策はただ一つ、この競争原理主義が目指すものを大学側が先手を打って実現してしまえば済むのである。それは何か。大学のスクラップ・ビルドの抜本的達成である、と私は思う。

私はかねてからわが国に大学という名の大学が多すぎることの問題点を折に触れて述べている。最近にも庭仕事から大学制度へ話が飛ぶで以下のように述べている、

《大学は元来アカデミックなものでなければならない。その大学のなかに実学を目指すべき専門学校が取り込まれ、両者の境界が曖昧になるばかりではなく実学の影が薄くなるとともにアカデミック大学そのものの全般的な弱体化されてしまったと私は思う。大学が改めて実学とアカデミズムとに分かれるべき時期がすでに来ているのであり、昨今取り沙汰されている「大学の質の保証」はアカデミズムへの回帰を強調したものと受け取ればよい。そのためにはまず実学系を分離すべきなのである。以前にも私が教員にも通信簿というご時世? 自己評価制度を作る阿呆に乗る阿呆で《私は国立大学の大規模な統廃合が避けられない時期が必ずやってくると見ている。最終的には旧帝大を核としてその倍ぐらいは残るかも知れない。道州制の先行きとも密接に関連してくるだろう。》と述べたが、これはアカデミック大学を指しているのである。このアカデミック大学から脱落した大学は、名称はともかく、実体がかっての『専門学校』に戻るべきなのである。この問題はまたあらためて取り上げることにする。》

最初に述べた学生憲章に掲げられていることは、この実学を学ぶ学生に対する言葉としても実にしっくりとくる。黒木博士はすでに岐阜大学の将来あるべき姿を見据えておられたのかもしれない。もしそうなら、黒木博士が大学のスクラップ・ビルドの抜本的達成のための旗振り役としてはうってつけの人物のようにも見えてくる。と、隠居の気楽さでついつい調子に乗ってしまった。著者によると《この本は、私の基礎医学者としてのキャリアとは直接関係のない内容となったが、データを大事にし、データを元に発言するという科学者としてのトレーニングはいかされたのではなかろうか。》と述べている。私がここで述べたことが隠居の妄想に過ぎないのかどうか、この本をじっくりと読めば判断して頂けるように思う。

黒木登志夫著「落下傘学長奮闘記 大学法人化の現場から」を飛行機内に置き忘れたと思いきや・・・

2009-03-22 18:00:34 | 読書
基礎医学者としてひたすら研究者の道を歩んできた黒木登志夫博士が、大学の独立行政法人化を契機に岐阜大学の学長となり、七年間組織の長として大学の運営に携わってきた。この間の体験記なのであるが、臨場感に満ちあふれており、独立行政法人化後の大学を知らない私にとって、現状を知る格好と手引き書とばかりに本屋に並んだ日に手に入れた。東京ぶらぶら歩きの間も持ち歩き、寝る前に睡眠薬代わりなんて不謹慎な読み方をしたのであるが、なかなか話のテンポがよくて引きずり込まれてしまう始末であった。残りは帰りの飛行機の中で読むことにしたが、確か独立行政法人化後の大学で事務局長を廃止する話のところまで来たと思う、早くも神戸空港に到着したので中断した。

帰宅してしばらくは溜まった用??を片付けていたが、二三日たって本を読み続けようとしても見あたらない。身の回りを徹底的に調べたけれど出てこない。どうも飛行機の座席の前のポケットに置き忘れたようなのである。ポケットに入れたことはしっかりと覚えている。ところが取り出した記憶がない。そこでネットで全日空のホームページの遺失物のところを検索した。搭乗日と空港、それに物件を本と指定すると14件の忘れ物が保管されていることが分かった。その先は電話でのやりとりになる。書名を告げてしばらく待ったが、残念ながら「落下傘学長奮闘記」は保管されていないとのことだった。まだ飛行機のどこかにしがみついているのかも知れない。

あと四分の一ほど残っていたと思う。ジュンク堂で座り読みでもするつもりでいる。この本はかっての大学人が独立行政法人国立大学のあらましを理解するにはうってつけだと思う。何がどのように変わってきたのかが要領よく説明されている。文部事務官にコントロールされていた時代とは異なり、とくに大学学長が生き生きと指導力を発揮する様が描かれていて、ほんとうに様変わりの印象を受けて、ついつい橋下徹大阪府知事を連想してしまった。

手元に本がないのでこれから先は私の印象だけがたよりである。優れた基礎医学者の黒木博士が、いったん研究の場を離れ大学の管理運営に携わるようになるとそこでも全力投球で、数々の目標を達成するとともに、解決すべき問題を提起するなど、それなりの成果を挙げてこられたようで、誠実に職務を遂行する信念の人、のようなイメージが浮かび上がった。

ここまで書いて中断していた。読後感を書くのに手元に肝心の本がないと、引用に差し障りがあるので、やはりもう一度買うべきか、と思案をしていたのである。稀ではあるが二度買いの経験があるからである。だんだんと記憶力が減退したのか、それとも記憶しようという意欲が薄れたのか、一度買った本をもう一度買うことが増えてきたようである。たとえば岩波新書が「シリーズ日本近現代史」を発刊してすでに全10巻中9巻まで出ているが、なんとそのうち5巻と7巻を2冊ずつ買っているのである。いつか読むつもりで買っているので、中身に目を通さないのでこういうことが起こるのだろう。だから黒木博士の本も知らずにもう一度買ったと思えばそれで済む。今日は雨だし、明日は朝鮮語教室に出かけるから、そのついでにと思っていたのである。



ところがなんと、今日は日曜日でふだんあまり座ることのないリビングの安楽椅子に腰を下ろすと、横のテーブルの上にこの本がちゃんとあるではないか。



知らない間にというか、無意識に私がこの本だけを旅行バッグのポケットから取り出して、それも読み続けようと思ったのか、リビングのテーブルに置いたのであろう。その間の行動が私の記憶から完全に欠落していた。あなおそろし!しかし「落下傘学長」は無事飛行機から降下していたので、こちらは目出度しめでたしであった。読後感の続きは改めて記す。



PASMOとICOCAを二枚重ねで使うと・・・

2009-03-19 17:46:05 | Weblog
東京ぶらぶらの最終日、JR渋谷駅の改札口をICOCAで通り品川駅で下車して改札口を出た。コインロッカーに預けてあったボストンバッグを取り出して、今度は京急線で羽田空港駅に向かうのである。快速特急の発車までまだ3分あるのでこれに乗ろうと思い、改札口をPASMOで通ろうとしたら扉が閉まって警告メッセージが出た。もう一度繰り返しても同じ結果である。ICOCAはもともと私鉄に使えないことを確かめているので代わりに使うわけにはいかない。駅員さんに事情を説明したところ、記録を見てもよいかと言われたので見て貰った。するとPASMOでJR渋谷駅の改札口を通ったままになっていることが分かった。念のためにICOCAの記録を調べて貰うと、JR渋谷駅で入りJR品川駅で出たことになっている。PASMOとICOCAを電磁波シールド・パスケースに二枚重ねて入れていたが、渋谷駅では電磁波シールドが効かずに双方に入構が記録されたのであろう。PASMOへの入構記録の取り消しはJRでないと出来ないと言われたので、再びJR品川駅に舞い戻り取り消し手続きをして貰った。しかし乗るつもりの電車には当然のこと、間に合わなかった。その日は少々歩きづかれたので早めに羽田空港に出ることにしたので、次の電車でも慌てることは無かったが、一刻を争う時にこのようなトラブルは致命的である。PASMOとICOCAに限らず、ICカードの二枚重ね使用は止めた方がよいのかも知れない。というのもこれまでにもトラブルを経験しているからである。




ICカードを二枚携帯するようになったのは神戸市の敬老優待乗車証が昨年10月からICカードになったからで、それまではPiTaPa一枚だけであった。あらかじめチャージしておくとJRにも乗れるし、JR以外はクレジットカードからの引き落としになっており、きわめて使い勝手がよい。敬老優待乗車証もICOCAやPiTaPaと同じように使えるが、引き落としの制度がないので、やむを得ず敬老優待乗車証とPiTaPaの二枚を使うことにしたのである。そのためにわざわざ電磁波シールド・パスケースを探し求めて、裏表の二面にそれぞれ一枚ずつを入れて使っていた。それなのこれまで二件のトラブルがあった。

阪急三宮駅でPiTaPaのつもりで敬老優待乗車証を読み取り機に接触させてしまった。ところがすぐに応答してくれないので反射的にパスケースを裏返ししてPiTaPaを接触させたが、ようやく敬老優待乗車証に応答してくれたようなので、梅田では敬老優待乗車証で外に出た。ところが帰りに阪神梅田駅でPiTaPaを読み取り機に接触させても扉が開いてくれない。それで駅員さんに調べて貰ったら、阪急三宮駅で入構したことになっていたのである。阪急三宮駅で敬老優待乗車証をなかなか認識しなかったくせに、まだその処理が済んでいない間にPiTaPaとは素早くやりとりを交わしていたことになる。だからこのトラブルは電磁シールドの強弱ではなく、読み取り機の応答速度に問題があったことになる。もっとも最大の原因は私が二枚のICカードを素早く連続的に読み取り機に接触させたことにあるので、運動神経の優れているのも良し悪しである。これ以外にも、地下鉄で敬老優待乗車証のつもりでPiTaPa側を読み取り機に接触させてしまい、四倍の料金を支払ったことが何度となくあるので、一つのパスケースの両面に二枚のICカードを収めること自体、誤使用を招くことは確実である。

もう一回は地下鉄でICカード専用改札口から敬老優待乗車証で入り、行き先の駅で同じくICカード専用改札口から出ようとしたら、扉が閉じてしまった。二三回繰り返しても同じである。また駅員さんに調べて貰ったら二枚のカードとも正常に記録されていて、何も異常がないと言う。そこで敬老優待乗車証をカードケースから取り出して、単独で読み取り機に接触させたら素直に扉が開いてくれた。多分二枚のICカードが干渉しあっていて、読み取り機がデータを正常に読み取ることが出来なかったのであろう。

敬老優待乗車証にPiTaPaなみにクレジットカードによる引き落とし機能があればこれ一枚で用が足りるが、福祉政策の一環である敬老優待乗車証にそこまでを望むのは厚かましいのかも知れない。とすると新たに電磁波シールド・シートを購入して二枚のICカードの間に挟み、シールド効果を高めるのが現実的な対処法であろうか。東急ハンズにでも出かけてまた探してみよう。新しもの好きもそれなりに苦労がある。



なりすましメール退治にZAQのリモートサポート

2009-03-18 14:16:50 | Weblog
ここ最近、私が自分宛に送った形になっている迷惑メールが大量に飛び込みだした。すべて英文のもので、それも自分で設定した覚えもないのにある特定のフォルダーに入ってくる。自分が自分宛に出したメールを迷惑メールに設定することも可能であるが、それでは自分を否定するようで釈然としない。「自分から自分宛」と「日本語以外」の条件にかなうメールをメールサーバーの方でストップしてくれればよいと思い、そのような操作が可能かどうか、ZAQに問い合わせの電話をした。

結論から言えば私の希望通りの操作は難しいとのことであった。その代わりというか、「自分から自分宛」で怪しげなメールにはその見出しに[spam]というスタンプをつけることは可能なので、このスタンプのついたメールで本当に要らないものを削除すればどうか、と言われた。次善の策として仕方なく受け入れたところ、遠隔操作でその作業を行いますと言うことで、オペレータの指示に従い次のような操作をした。

ZAQのホームページの左欄「サポート情報」にある「リモートサポート」をクリックすると新しい画面が開き、「リモートサポート: パソコンの操作をお客さまのかわりにオペレータが代行し、問題を解決します。」と「閲覧サポート: お客さまのパソコンに表示されている内容をオペレータのパソコンに標示して操作をあんないします。」との説明が現れた。そこで「リモートサポートサービス利用規定」に同意すると、OSの種類によってクリックすべきアイコンが指定される。私が選んだのはWindows XP。するとプラグインがダウンロードされ、デスクトップに「NTRsupport」なるアイコンが作られた。これをクリックしてオペレータが告げたセッション番号を入力するとこれでプロバイダーからの遠隔操作が可能になった。

私が動かしたわけでもないのに、デスクトップの上をマウスのポインターが自由に動き回っている。実に不思議な感じがするが、オペレータが操作しているのである。操作が勝手に進んで私のメールアカウントとパスワードを入力すべきウインドウが現れた。この二項目は私が入力する。これでパスワードを入力する際になぜ●で標示されるのかが分かった。ふだんは私がパスワードを入力する時は誰も覗き込む人がいないので、●よりパスワードそのものが標示された方が確認出来で便利ではないかと思ったが、このように第三者が注視している画面でパスワードを入力することがあり得るのだ。

その後の操作はまたオペレータが行うので何がどうなっているかはよく分かる。そして「自分から自分宛」で怪しげなメールにはその見出しに[spam]を付け足す操作が完了した。私の使っているメールソフトがOutlook Expressなら、フォルダーへの仕分けの設定もやって貰えたようであるが、あいにくと別のソフトを使っているのでそれは私が自分ですることになった

パソコンの遠隔操作を耳にしたことはあるが、今回、その状況を目の当たりにしてこれは凄い技術だと思った。パソコンにあまり触れたことがない人がいろんなトラブルでサポートを受ける際に、オペレータと電話でやりとりしながらパソコンを操作をするのは、お互いに苦労が多かったことだろうが、それが今やオペレータに遠隔操作を任せてしまえば画面を眺めているだけで必要な作業が終わってしまうのである。サポートする側にしても例え相手がパソコン音痴でもかかわりなく作業が進められるから、きわめてサポートの効率が上がったことだろう。

これまで私が利用するチャンスがなかったので知らなかっただけであるが、パソコンの遠隔操作は確かに便利な技術である。ネットブックからでも家のデスクトップを操作できるようにすればよいと思うので、また必要な手順を調べることにする。

なりすましメールはちゃんと[spam]のフォルダーに納まることになった。