日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

代理出産のオークション?

2006-10-30 16:00:57 | Weblog

道を歩いていたら「オークション 代理出産」の幟が目に入ってドキッとした。が、よく見ると「代理出品」、ヤレヤレと胸をなで下ろした。私はわが国においては代理出産を禁止すべきだと考えている。ところが根津八紘医師が閉経後の50代女性が娘夫婦の受精卵で妊娠、代理出産したと発表するに及んで、なんだか政府周辺の動きが怪しくなってきた。

厚生労働省は2003年の専門部会で「罰則付きで禁止するべき」とした報告書をまとめたが、法制化するに至らず今日に経っている。ところが《柳沢伯夫厚生労働相は17日の閣議後の記者会見で、「代理出産を支持する世論も見られるようになってきた、政府全体で世論を慎重に見極めながら検討していきたい」と表明した。厚労省の専門部会は3年前「罰則付きで禁止すべき」との報告書をまとめているが、その見直しも含め、国としての方向性やルールを再検討する考えだ。》(Nikkei net)とか《塩崎恭久官房長官は16日の記者会見で、代理出産について「大変重要な問題であり、少子化時代のなかでぜひ関係省庁で検討していくべきではないか」と述べ、法整備も含めて検討を急ぐ必要があるとの認識を示した。》(Nikkei Net)などと報じられに及んで、何か結論先にありけり、のようは雲行きになりそうである。塩崎官房長官の発言に至っては噴飯もの、少子化が代理出産でどうなるとでも云うのか。卵をせっせと産んでいる養鶏場の鶏を連想しているのでもあろうか。

一方、法的拘束力はないものの、代理出産を禁じていた日本産科婦人科学会が、《代理出産の是非などは学会が結論づけるレベルを超えているとして「国としての早急な対応が望まれる」とするコメントを発表した。 》(Nikkei Net)一歩退いた形になっている。

2003年の「罰則付きで禁止するべき」とした報告書がありながら、3年間無為に時間が流れた今、何故あらためて代理出産の是非を検討しなければならないのか、私は釈然としないが、その是非を議論することには異議はない。人間という存在の根幹に関わる問題であるから、国民が議論に参加すればするほど良いと考える。

私の基本的な考えは《原因が何であれ、女性に妊娠能力が欠けている場合は、受胎を諦めるしか仕方がないのではないか。世の中には諦めなければならないことが山ほどある。そのうちの一つなのだ。自分が受胎できないからと云って代理出産に依存するのは、欲望を野放ししているようなものだ。いかなる欲望であれ、それを理性で制御するのが人間としての証ではないのか》にある。代理出産に反対の立場である。

朝日新聞10月21日の朝刊に「どうみる代理出産」との特集記事が出た。渦中の人物である根津八紘医師も寄稿しているので、これを賛成側の代表意見としよう。その冒頭に一つの考えがはっきりと現れている。

《熱心に不妊治療に取り組む医師の多くが行き着くところが、卵子や精子がない、子宮がないという、いわば「不可能」の領域だ。それでも子を持ちたい人を前に医師はどうするか。日本産科婦人科学会(日産婦)が禁じているからといって、目を背けるのでは、患者に尽くせなかったと、私の心が救われない。》

患者の要望がある以上、「不可能」をも「可能」にするべく全力を尽くす、それが医師の本分である、と仰っているのである。私もこの職業倫理観そのものは理解できる。しかしそれに先立つ患者の要望そのものを私は問題視しているのである。

患者の要望に応える、まさに医師はそうあって欲しい。患者の要望が『ことの始まり』なのである。「子供が欲しい」というのは夫婦間の問題であり、子供を持つ持たないは夫婦が決めること、医師と雖も介入の余地がない。だからといって『患者の要望』がオールマイティかと云えば、それはないだろうというのが私の立場なのである。

私たちがこの世にいったん生をうけた以上、時には「生んでくれと頼んだわけではない」と両親に憎まれ口を叩くことがあっても、自分の存在そのものを運命と受け入れて人生を誠実に生き抜いていくのである。この地球に生命が誕生して34億年、気の遠くなるような長い年月にわたって、生物は『自然の摂理』にしたがって誕生と死を繰り返してきた。人間の誕生と死もその延長線上にあり、われわれはその悠久の流れに身を委ねている安堵感が命を支えている。

代理出産は『自然の摂理』に適ったものではない。人間の思い上がった小手先細工なのである。

生体臓器移植の場合、臓器のドナーとレシピエントは共にこの世に生を受けている人間である。臓器移植はその両者の合意により、それも緊急の場合に限ってなされる医療行為である。それに較べて、代理出産はこの世に新たな生命を作り出そうとするもので、臓器移植とは根本的に異なる行為なのである。もちろん作り出されようとする新たな生命体が同意したわけでもなんでもない。代理出産子は、それと知れば、自分の存在そのものを『自然の摂理』として納得することの出来ない人為的な作品なのである。

私は不妊治療そのものに反対しているのではない。子供を切望する夫婦のために医師が可能な限りの手助けをする、当然のことである。しかし手助けの範囲が問題なのであって、母胎は実質的な婚姻関係にある男女の女性に限定すべきである。これがギリギリの『自然の摂理』だからである。代理出産により誕生した生命は、あれやこれやの手だてを尽くして、無理矢理作られたものにほかならない。

無限の欲望に歯止めをかけるべく、「そんない欲しがるもんじゃありません」とたしなめるべき立場にある娘の母親が代理母になる。なにをか言わんや、である。『無い物ねだり』をたしなめる、それが健全な社会のありようだろう。『無い物ねだり』の行き着くところが無償の好意を相手に期待する代理出産であり、他人をそれと意識せずに『孵卵器』として使う発想が、人間を道具視する社会を育てていくことになる。

今回の代理出産を手がけた根津医師の側にも問題がある。それは代理出産が通常の医療行為から大きく逸脱しているとの認識が欠如しているからだ。

閉経後の50代女性による代理出産はいわば博打のようなものである。たまたま『出産』に関しては一応成功したのであろうが、これは『人体実験例』が一つ記録されたに過ぎない。これが新薬の開発であるなら動物実験から始まり大規模な臨床試験を経て有効性、安全性などが確認されて始めて実用化される。人体の安全に関して云えば同じこと、元来は新薬開発と同じような高齢女性を対象とした数多くの人体実験データに基づく安全性の確認が必要であるが、誰が考えても分かるように、このような人体実験は不可能である。その意味では根津医師は医師免許証を免罪符としてスタンドプレイを演じたとしか云いようがない。代理出産は単なる医療行為ではないのに、その行為が医師免許証があれば許されるとでも根津医師は思ったのだろうか。代理出産のどの点が単なる医療行為とは異なるのか。

代理出産に伴う最大の難問題は、代理出産子の生誕から死に至るまでの社会との関わり方がまったく未知数であるということだ。代理出産に関わった当事者のある時点での取り決めの有効性からして問題になる。長い年月の間にお互いの気持ちがどのように変わることやら、それは誰にも分からない。子供に事実を伝えるのか伏せるのか、最初の約束がどう変わるか誰にも分からない。不測の事態で代理出産子が自分が無理矢理に作られた事実を知ったときに、どのように自分を納得させていくのか、未知の領域である。代理出産子は生物学的存在であると同時に社会的存在でもあるのだが、とくに後者の側面をも含めた『人体実験』は非現実的で不可能と断じてよいだろう。こればかりはネズミと使った動物実験で代用するわけにはいかない。生物的のみならず、社会的にも無害であることが実証され得ない代理出産、あってはならないことである。

受精卵を子宮内に着床させることで細胞核分裂→細胞分裂が始まり、一個の受精卵が増殖して60兆個の細胞になる現象を、核爆弾の動作原理である『核分裂』に準えてみてはどうだろう。そのとんでもないことを人間が気軽に弄ぶべきではない。

アラーニャが歌う「小さな木の実」の元歌

2006-10-27 13:39:37 | 音楽・美術

昨日歌った「小さな木の実」がビゼー作曲ということだったので、その出所を調べてみたら、4幕のオペラ・コミック「美しいパースの娘」(La jolie fille de Perth)のセレナードであることが分かった。14世紀スコットランドの内乱を背景にしたパース(エジンバラのまだ上にある)の女性をめぐる物語で、W.スコットの原作。

ビゼーは「真珠採り」の成功に引き続いて「美しいパースの娘」を作曲し、1867年に初演されたとのことである。

このセレナードがなんと私の手元にあるCDに収められていた。と云うよりiPodに移して何回も聴いていたのに、アラーニャの美声に酔ってしまったのか、二拍子に乗って歌われるセレナードが「小さな木の実」とまるで別物のように頭の中にインプットされていたようだ。

アラーニャは兄弟二人の奏でるギターを伴奏このセレナードを歌う。劇では愛しい人が顔をのぞかせて微笑みを投げかけてくれることを期待して窓の下で歌っているのに、窓は無情にも閉まったまま、物音一つもしない。空振りに終わったセレナードなのである。

その切々たる歌声をどうぞ。



一方、「小さな木の実」は1971年10月にNHKみんなのうたとして放送されている。愛する人に想いが届かない元歌のしんみりした曲調が、亡きパパの思い出にマッチしたようである。


パパの出てくる「小さな木の実」

2006-10-26 19:22:47 | My Song
母を歌った歌は沢山あるのに父を歌った歌があるのかどうか、思い出せない。淋しいような気もするが、父親はその程度の存在なのだろうか。

「小さな木の実」は海野洋司さんの詩をビゼー作曲の曲で歌うもので珍しくも『パパ』が出てくる。私が口ずさんでいると、PTAのママさんコーラスで歌ったと妻が云っていた。父親が見捨てられていたわけではなさそうだ。


世界史の必修洩れで高校校長の責任の取り方

2006-10-26 11:37:43 | 学問・教育・研究
《学習指導要領で「必修」とされている世界史を生徒に教えていない高校が、全国で多数あることが発覚した》と今朝(10月26日)の朝日新聞は報じた。このままだと卒業資格が得られないために、該当校ではこれから補習を行うとのことであるが、一科目の履修に50分の授業が70回も必要になるらしい。もう10月も終わり、大学入試の時期を目前に控えて、特に世界史を受験する必要のない生徒にとってはまったく余計で無意味な負担になることだろう。塩崎官房長官は「ルールはルールで守ってもらわないと困る」と述べているが、誰がルールを破ったのかと云えばそれは校長である。校長がルールを破ったつけが生徒に回ってくる、なんとも釈然としない。

朝日新聞はまた《すでに卒業した生徒については、生徒ではなく学校側のミスであるため、卒業認定の権限のある校長が卒業を取り消したケースはない。》とも報じている。現実的な対応であると思う。そうだとすると在校中の生徒についても、それなりの現実的な取り扱いがあってしかるべきであろう。年度初めに生徒は授業科目を選択する以上、当然学校側に履修届のようなものを提出しているのではなかろうか。それはいわば学校と生徒の間の契約書のようなもので、それでスタートした以上、両者の合意もなく履修条件を変えることのほうが、教育現場におけるルール破りになるではないか。

こう云うときにこそ校長は、自己の責任において、あらゆる便法を講じるべきである。補習授業で教師は教室で受験勉強をしている生徒の邪魔にならないように口を開かず、授業内容を黒板に音を立てずに書く、試験はレポートにする、のように指示すればいい。

それにしても高校で世界史が必修、日本史もしくは地理が選択とはどのような考えに基づいているのか私には理解できない。義務教育でもない高校にわざわざ進学する生徒に、履修科目の選択を自由にさせたらいいではないか。変なルールを作るから現場が現実的な対応をせざるをえなくなるのではないか。校長は声を大にして持論を論ずるべし。

阪大杉野事件への関連学会の対応は?

2006-10-25 18:30:42 | 学問・教育・研究
10月25日の朝日新聞朝刊が、「懲戒解雇が相当」とする大阪大学生命機能研究科の処分案に対し、杉野教授が不服の申し立てをしたことを報じている。大阪大学は《不服審査委員会を設置して申し立ての妥当性を検討したうえ、最終的に来月以降の同評議会で処分を決める》そうである。処分を急ぐことなく、事件の全容を可能な限りつまびらかにしてほしいものである。

大阪大学が杉野教授の処分を含める取り扱いの検討を行ったのは当然のことであるが、これに反して杉野教授の所属する各種学会の動きの見えてこないのが私には解せない。

『学会』はいわば研究者の親睦団体のようなものであるが、同じ分野で研究しているもの同士が切磋琢磨する場でもある。同じ道を歩んでいるもの同士の快い連帯感がある。この連帯感は信頼関係のうえに成り立つものであるから、今回の阪大杉野事件で学会関係者の当惑ぶりは容易に想像がつく。しかし学会員の当惑をよそに事件は起こってしまった。となると『学会』にとっては単なる人ごとではなくなったのである。それは『学会』に研究発表の場としての性格があるからである。

杉野教授の所属している日本分子生物学会でも、多くの学会と同様に、年に一回は定期的な研究発表の場を設けている。たとえば杉野教授が会長となった第23回年会が2000年に神戸で開催されている。ここで研究者たちは一年間の研究成果を発表し、討論が行われる。研究者にとっては晴れの舞台である。

研究発表はこれのみに止まらない。日本分子生物学会は日本分子生物学会誌として欧文誌、「Genes to Cells」を発行している。ただし「日本分子生物学会細則」によると、この欧文誌への投稿論文の採択、雑誌の編集は学会から独立して行われる、となっている。しかし学会誌であることには間違いない。そして問題は杉野研究室からの研究報告が年会および学会誌でなされていることである。

年会での口頭もしくはポスターでの発表に対して、学会員の反応が気になることではあるが、「そういえば・・・」という程度の後追い話しで多分終わりであろう。しかし学会誌に掲載された論文は別である。

今回は杉野教授がJBCに発表した論文の『不正』がことの発端であったが、「Genes to Cells」にも杉野研究室からの論文が掲載されている。私は日本分子生物学会がこれらの論文についても信憑性を独自に検討するべきだと考えるが、現在のところかりに動きがあるにしても外部には伝わってきていない。

日本分子生物学会といえば、同じ仕事仲間同士が集まっている、その意味ではもっとも血の濃いいもの同士の集団である。なにか『徴候』を感じる人が一人ぐらいはおってもいいような気がするが、今はそのことを深く問わない。しかし現実に他誌への投稿論文に不正があったことが判明した以上は、この学会誌への掲載論文について学会として何らかの対応をなすべきである。自浄能力は大学だけに問われているのではないことを、学会員は心に銘記すべきなのである。

阪大杉野事件に先だつ東大多々良事件では、日本RNA学会会長が東大工学系研究科科長に対して、化学生命工学専攻 多比良和誠教授らが関係する12 篇の論文の実験結果の再現性等に関し調査依頼を行ったことが、東大に於ける調査活動の引き金となった。これはまだわれわれの記憶に新しいが、遅まきながらでも日本分子生物学会のなんらかの行動が必須である。それは学会の果たしているもう一つの機能とも関わりがあるからだ。

その機能とは科学研究費の配分である。私の古い知識は多分現状とは異なるだろうが、本質においては相通じる面があるだろう、との前提付きである。

私の所属していた境界領域に属する比較的小さな学会でも、科学研究費の第一次、第二次審査委員を学会員の投票で選んでいた。分野間で若干の調節はあるものの、これらの委員が日本学術振興会(当時)の科研費審査員として科研費の決定に与った。すなわち親睦団体であるかのような学会が、実は科学研究費の配分決定で大きな役割を果たすのである。したがって日本分子生物学会は何がどの程度まで明らかにされうるかはさておいても、阪大杉野事件にそれなりのコメントがあってしかるべきだろう。極めて難しい問題ではあるが、関係者の前向きの取り組みがお互いの信頼感をより強めることになることは間違いない。

阪大杉野事件の広がりと博士号問題

2006-10-20 20:43:59 | 学問・教育・研究
10月18日のAsahi comが阪大杉野事件について、大阪大学が《17日、02年に発表した2本の論文についても不正の疑いがあるとして調査することを決めた》と報じた。新たな不正論文とは、毎日新聞が9月28日に報じたものと同一であろうと思われる。毎日新聞の記事はスクープであったが、その後追いのような形で、大阪大学がこれらの論文についても改めて調査を始めたということなのだろう。

9月25日のYOMIURI ONLINEは杉野教授の処分について次のように報じている。

《研究科の教授会が杉野教授を懲戒解雇とする処分案を決め、本人に通知したことが、25日わかった。本人から不服申し立てがなければ、10月に開かれる大学の教育研究評議会で正式に処分が決まる。》

《杉野教授は通知を受けた日から2週間以内に不服審査を申し立てることができる。申し立てがあった場合は、評議会に設置された不服審査委員会が検討する。》

この処分問題について、私は9月28日のエントリー「早すぎる杉野教授を懲戒解雇とする処分案(追記あり)で、懲戒解雇という重い処分を科すには杉野教授の論文捏造の『常習性』が判断の要になるから、少なくとも過去五年間に遡り杉野研究室がジャーナルに発表した論文を、今回と同じように精査して、『常習性』を証明すべきである、と論じた。大阪大学が02年であれ過去の論文の調査を開始したことを歓迎する所以である。杉野教授への処分の最終決定は、調査結果などが明らかにされた後になされるべきであろう。

一方、杉野教授が上記の記事にあるように、不服審査を申し立てたのかどうかが伝わってこないが、それはしばらく置いておくことにする。いずれにせよ、事態の進展にしばらく時間がかかりそうである。その間、大阪大学は今回の事件の特異性を認識した上で、今後の収拾策を検討すべきであろう。

今回の事件の特徴を一口で言うと、教授らしからぬ教授の犯罪ということになるだろう。

教授は自分の『手足』となって働く人から騙されることを怖れる。アメリカでの話としておくが、『手足』がテクニシャンであれポストドクであれ、不思議と自分の考えに都合のいいデータが集まりだすと警戒心を高めたほうがいいのである。

私の好きなMichael Crichtonはさすが小説家だけあって、このあたりのニュアンスを上手に表現している。

《Right now, scientists are in exactly the same position as Renaissance painters, commissioned to make the portrait the patron wants done. And if they are smart, they'll make sure their work subtly flatters the patron. Not overtly. Subtly.》 (「State of Fear」Avon Books p.621)

研究者がたとえばある財団から研究資金を支給されているとすると、財団のポリシィに沿うような研究成果がなぜか出てくる、というような意味で使われているのであるが、含意には普遍性がある。たとえばテクニシャン、ポストドクをscientists、教授をpatronということにしよう。教授を喜ばせようとする気持ちが無意識に働いて、テクニシャン、ポストドクが都合の悪いデータは隠して都合の良いデータだけを見せるというのもこれに当たる。

このような『不作為の善意』を見抜くためにも、教授は直感を磨き上げるのである。それぐらいに用心深くて当たり前なのに、あからさまなデータの改竄、捏造に騙されるとなると、これは論外、教授としての失格を宣言されても仕方があるまい。

杉野教授は元来この教授の立場に居るはずの方であるが、あろうことか騙す側に廻ってしまった。というより、想像するのも疎ましいことであるが、三つ子の魂百まで、とかで、昔からのやり方で今日まで来られたのかも知れないのである。

かって考古学の世界で、藤村新一氏による捏造事件が世間を騒がせたことは、まだわれわれの記憶に新しい。彼が30年にわたり発掘し、日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたもの全てが捏造であったという驚天動地の出来事である。

ところがこちらも杉野教授が研究生活開始の時点からデータの捏造に手を染めていたのでは、と疑われても致し方がない雲行きである。となると杉野研究室における研究で博士号を取得した人たちの運命に関わることにもなるから、真相解明が極めて重要な意味を持ってくる。

杉野教授の下で博士の学位を得た人は、十人は下らないだろう。その博士論文が学位申請者の単独名によるオリジナルの論文によるものであれば問題はないが、もし杉野教授も名を連ねたしかるべき専門誌に掲載されたものが学位申請用の論文であるとして、それにデータの改竄を含む捏造がなされていたとしたら、いったん授与された博士号はいったいどういう扱いになるのだろう。

しかし私は杉野教授が関わる過去の全論文について第三者が不正を精査するのは現実的に不可能であると思う。今回伝えられる第三・第四の論文でも、大阪大学生命機能研究科と微生物研究所の教授等が中心となって調査するとのことであるが、この方々は多大のエネルギーと時間を費やし大変な犠牲を払うことになる。杉野教授の所属する学会の一つである日本分子生物学会が積極的に協力すれば状況も変わりうるだろうが、今のところまったく音無しの構えである(日本分子生物学会の責任問題についてはまた改めて述べることとする)。

私は各論文の筆頭著者が共著者の中心となって自己検証をするのが最も有効な手段だと思う。いや、そうすべきだと考える。私はこの阪大杉野事件の関係者、とくに論文の共著者に対して《一人一人が自分に対して『不作為』による過ちも犯していないかどうか、問いかけるのである。答えを自分で見付けることの出来た人は、同時に心の平安を覚えるに違いない。これが再出発を支える大きなエネルギーになるものと私は確信している》と私の考えを述べている。今もその考えは変わらない。

作業そのものはやる気さえあればそれほど難しいことではないと思う。論文に記載された全てのデータが論文共著者それぞれのどのオリジナルデータとどのように対応するのかを調べるところから出発すればよい。データそのものの改竄の有無は容易にチェックできるだろう。異なる実験条件下での結果を、あたかも同じ条件下での実験結果のようになっていたら、改竄・捏造にあたる。出所の確認できなかったデータが存在していたら、杉野教授自身のデータかどうかを確認すればいい。もしそれを裏付けるデータが確認できなければ、捏造と断定すればよい。疑わしきは罰せよ、なのである。

とくに若い研究者は自らの論文にまつわる疑惑解明に今こそ全力を傾けるべきではなかろうか。自主的に行うのである。もちろん捏造疑惑を払拭出来れば云うことなしである。不幸にして不自然な疑惑が浮かび上がったとしても、自らのイニシアチブで問題に取り組んだ積極性が必ずや前向きの対処策を生み出すものと期待してよい。そして再生の一歩を一刻も早く踏み出すのだ。

芸ごとで泣きごと

2006-10-18 21:38:23 | 音楽・美術
昨日は珍しくお師匠さんと衝突してしまった。10月末にある一弦琴の定期演奏会で私が演奏する曲をお浚いして、さあみていただこうと意気込んで師匠宅を訪れた。ところが小学唱歌の曲を二曲、これをやりましょうと譜面を出されたのである。

演奏会のプログラムは既に出来上がっていて、その二曲が演奏されることになっているが、演奏者の名前が記されていない。最近は邦楽教育とかで、小学校の音楽の時間に琴、三味線、尺八などを教えるとか聞いていたので、近所の小学校の児童でも演奏するのかと思っていた。ところがなんとわれわれ弟子たちが合奏するのだと師匠は云われる。演奏会まであと二週間である。

今更それはないでしょう、と思いながらも、小一時間はお付き合いをした。しかし最後に「私は当日この演奏は遠慮させていただきます」と申し上げ、何故かとその理由を説明した。一口に云えば伝統芸能からの逸脱である。子供遊びのようなことをするために、わざわざ神戸から京都まで足を運んでいるのではない、とまで申し上げた。幸い師匠も私の言い分を諒とされ、本来の稽古に戻ったのである。

私がこの道に入ったのは、たまたまテレビから流れる一弦琴の弾き語りを耳にして、これは余生の楽しみにもってこいだな、と思ったからである。私がお稽古に通うのも、あくまでも自分の楽しみのためである。ところが習い事となると、自分の勝手ばかりを押し通すわけにはいかないようだ。その一つが年一回であるが、定期演奏会での演奏である。一度は経験してみようと舞台に立った。しかし自分では素人芸だと認識しているから、面映ゆいだけのことである。もういい、と何回も辞退を申し出たが、なかなか聞き届けては頂けない。演奏会に出るつもりでお稽古をはじめたわけではないのに、会員になれば義務化されてしまっている。

私は一弦琴で合奏をする気はさらさらない。自分の気に乗って弾き、唄いたいのである。人と合わせるなんてまっぴらご免である。ところが演奏会では否応なしに合奏させられる。習いたい人のニーズに合わせた教授法を取り入れる訳にはいかないのだろうか。

伝統芸能の衰微を悼む声をよく聞く。しかしこういう本質的でないことで教習者を束縛すると、習うものがだんだんと減っていくことだけは間違いなかろう。

京都伏見をテクテク つづき

2006-10-17 13:19:54 | Weblog
京阪中書島駅で下車、駅前の案内地図を頼りに寺田屋のある方角に向かったが、途中で長建寺の標識が目に入ったので立ち寄ることにした。ご本尊の弁天さんに一弦琴の技能向上を祈願した。

長建寺の前が宇治川疎水で十石船の船乗り場があった。疎水沿いに歩くと酒蔵と柳の風情が実にのどかでよい。



突き当たった橋のたもとを上がると、目の前が龍馬何とかの商店街であった。商店街に入らずに左の方に少し歩くと寺田屋がある。しかしお昼はとっくに過ぎているので、昼ごしらえが先決とばかりに物色しながら歩いていると、「鳥せい 本店」という蔵作りのお店に差し掛かった。外には人影がなかったのでこれ幸いと中に入ると、なんと順番待ちのお客さんで待合いの土間は塞がってしまっている。ところが待ち時間を聞いてみると10分ぐらいとのことなので、待つことにした。

表からは想像できないくらいに店内が広く、次から次へと客が流れていく。そして席に案内された。メニューを見ると店の名前からして当たり前であるが鳥料理がメインである。手軽なところで酒蔵弁当を注文した。



ご飯にみそ汁が付いて2100円也。なかなか取り合わせがよく、味も変化があってそれぞれが美味しい。おまけに、次から次へと他のお客さんに運ばれてくる料理に目を向けて、何だろうと想像しながら食べるものだから、すっかり満腹してしまった。終わったのが2時過ぎである。

寺田屋に戻る。この歴史的に有名な宿屋が今でも営業しているというから驚く。でもチェックインが午後6時。それまでは一般に開放である。畳の上に立つとなんだか身体が傾くように感じた。外を覗くと大勢の観光客がこの建物の写真を撮っているので、私は内側から外を撮ってみた。



寺田屋の変から三年後、あの坂本龍馬がここに泊まっていたときに、幕府の捕吏に踏み込まれて龍馬は短銃を撃ちながら逃亡したとのこと、云うことなす事、なかなかハイカラである。その時に階下で風呂に入っていた恋人のおりょうさんが異変を覚り、裸のまま階段を駆け上り龍馬に急を知らせたとの話が伝わっている。その風呂桶が階下に再現されていた。この深い風呂桶をようも跨げたものだ。



この後京阪電車で伏見稲荷を訪れ、夕やみ迫る境内のほんの山裾の所を歩き回り、三条に出ては加茂の河原で心地よい夕風に吹かれて、京都伏見のテクテクの歩きは大団円を迎えた。

ニュース三題 一澤帆布が営業再開、代理出産、移植用腎臓を廃棄

2006-10-16 23:30:43 | Weblog
一澤帆布が営業再開 通りはさみ兄弟で(共同通信) - goo ニュース

7ヶ月の空白をおいて「一澤帆布」が営業を再開した。従来のブランドにデザインの復活のようである。「一澤信三郎帆布」に期待する商人道で、従来の製品の製造販売も出来るように信三郎、信太郎両氏に前向きの対処を願ったが、両者が対立したままそれぞれの道を歩むような成り行きである。それはそれで仕方がないが、傷んだ「一澤帆布」のバッグをどちらに持ち込んでも修繕してくれるのだろうか。

それにしても全く異なる内容の二通りの遺言状を残したとされる先代の信夫氏、罪作りなお人である。何かのマジックで覆水が盆に戻らないものだろうか。


50代の祖母、「孫」を代理出産 国内初、娘夫婦の受精卵使う(産経新聞) - goo ニュース

私には三人の子供がいるので、なんとしてでも子供を欲しがる夫婦の気持ちは、理解できないだろうと思う。しかし子供を欲しがるのは、とどのつまり、動物的な本能に過ぎない。原因が何であれ、女性に妊娠能力が欠けている場合は、受胎を諦めるしか仕方がないのではないか。世の中には諦めなければならないことが山ほどある。そのうちの一つなのだ。自分が受胎できないからと云って代理出産に依存するのは、欲望を野放ししているようなものだ。いかなる欲望であれ、それを理性で制御するのが人間としての証ではないのか。夫婦と代理母の間にお金が介在するのか、愛情、献身によるのかはさておいて、女性が孵卵器扱いされていることだけは間違いない。人工ふ化、養殖はせいぜい魚と家禽に止めて置いた方がよい。

国は遅滞なく代理出産禁止を立法化すべきである。もちろん海外での代理出産も禁止、法の網をかいくぐるものが出ないような万全の処置が必要である。


移植用腎臓を廃棄 社会保険中京病院(産経新聞) - goo ニュース

《心臓停止後の人から移植用に提供されクーラーボックスに保存していた腎臓2個を同日午前、関係者がごみと間違えて廃棄するミスがあった》
《腎臓は左右1つずつ、2個のクーラーボックスに入れて手術室に置いてあったが、嘱託の看護助手が掃除のため外に運び出した。それがごみと間違って捨てられたという。医師から保存を指示された看護師が看護助手に適切な指示をしていなかった。》

病院で何か肝腎なものが忘れられている。

京都伏見をテクテク

2006-10-15 22:30:20 | Weblog
昨土曜日、好天に誘われてか、ねてから行きたいと思っていた京都伏見に足を向けた。京都に20年間も住んでおりながら未踏の地である。

なんとなく中書島に行くつもりになっていたので、JR京都駅から近鉄奈良線に乗り伏見桃山御陵前駅で下車した。と、御香宮の道しるべが目に触れたので立ち寄ってみた。拝殿の横にわき水が水口から流れ落ち、数人の人が容器に水を集めている。「日本名水百選」のひとつだそうで、私も一口含んでみた。

地図を見ると明治天皇伏見桃山陵が間近である。この機会にとばかりに方向転換、参拝道を上り始めた。道幅が広く両側は自然林のようで、入り込んでいきたい誘惑に駆られる。上っても上ってもまだ先が見えない。なんとも広大な領域である。秀吉の建てた伏見城の跡地だとか、それにしてお城跡全体を一人のお墓にするという発想が凄い。ピラミッドや秦の始皇帝陵に仁徳天皇陵を連想してしまう。しかし伏見桃山陵が築かれたのはたった百年前、近代なのである。

途中に桓武天皇陵という道しるべがあった。なんだか太古の森に分け入っていくような道がついていたが、それを横目に先を急ぐ。ようやく前方に視界が開けて広場に出た。伏見桃山陵の前庭になるのだろうか。そして鳥居の遙か奥に陵が望まれた。まさに奥津城である。後で「国史大事典」(山川出版社)で調べると、陵の形状は上円下方で各三段に築かれて南面しており、すべてが礫石で覆われているとのことである。東西127メートル、南北155メートルとのこと。世界最大の古墳である全長486メートル、前方部幅役305メートルの仁徳陵には及ばないものの、二十世紀に建造された世界最大の墳墓ではなかろうか。陵の形状にUFOを連想してしまった。夜陰に乗じてどこかに飛び立ち、明け方までに舞い戻ってきては素知らぬ顔をして納まっているような。




陵を後ろにして鳥居から南進すると大階段があり、遙かかなたに宇治のあたりになるのだろうか、市街地が見渡せる。230段もあるそうで勾配もかなり急である。陵の右手に昭憲皇太后陵の道しるべがあったので、それに従って坂道を降りていくと、昭憲皇太后の伏見桃山東陵に出た。



明治神宮ではお二方が合祀されていると聞くが、陵は別々である。こちらも同じように上円下方であろうか。両方を結ぶ秘密の地下道でもあるのだろうか。下り坂を辿っていくと大階段の下に出た。見上げると頂上は遙かかなたである。これでは上ろうという意欲湧いてこない。参拝道を通ったのが正解だった。

それにしても京都市内からちょっとはずれるだけで、この豊かな自然に大空間とは素晴らしい。出会った人は10人前後だったように思う。ベンチでもあればゆっくりと過ごせただろうに、坐る場所がどこにもない。それにお昼も廻る頃になったので、最寄りの京阪電鉄桃山南口から中書島駅に向かった。(つづく)