日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

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勝ったぞ日本 サッカーアジア杯

2011-01-30 11:08:00 | Weblog
午前0時から始まった対豪州戦、0-0のまま延長戦を迎えた。その前半も0-0で終わり後半戦に入ったものだから、また対韓国戦同様にPK戦かと思いかけた時に、左サイドを駆け上がった長友のクロスを、途中出場の李忠成が見事なボレーシュートでゴールを決め、ついに先制点を奪った。豪州ゴール前の画面で目に入るブルーのユニフォーム姿は長友と李の両選手だけでしかも李は完全にノーマーク。間に豪州選手が四五人はいたようだが球は綺麗に李に渡る。まるでボレーシュートの模範演技を観ているようだった。延長後半終了間際に日本は選手交代で活を入れ、豪州のFKをはじき返してついに日本が栄冠を手にした。

対豪州戦は午前0時に試合開始だから、最後まで見ようとすると午前2時ごろになる。途中でしんどくなったらその時は寝ることにしようと思って見始めたが、結局最後まで見てしまった。最初は豪州の方が元気が良くて、何時入れらるだろうかとはらはらさせられた。入れられる瞬間なんて見たくないなと弱気にもなりかけたが、とにかく前半を0-0で切り抜けたのでとにかく日本の攻めるところが見たくなり、終わりまで見届ける覚悟を決めた。

最大の危機は後半間もなくであったか、球が日本のゴールラインの上かと思われるところを往き来したときで手に汗を握ったが、日本が何とかクリアしたのが引き金になってか、後半は日本の攻勢が目立った来た。そして0-0のまま延長戦を迎えたのである。とにかく凄かったのが試合の全場面でのGK川島の獅子奮迅の働きで、またそれをそれを盛り立てたのがDF果敢な動きだった。

それにしても感銘を受けたのがザッケローニ監督の采配である。私が観戦したのは対韓国戦とこの対豪州戦だけであったが、対韓国戦では途中出場で入ったばかりの細貝がゴールを決めたし、この対豪州戦でも健闘の前田にかわり延長前半で投入されたばかりの李忠成が鮮やかにボレーシュートを決めるなど、途中出場選手の能力を十分に発揮させたからである。しかしその伏線となるのは後半で藤本にかわり入った岩政がDFを固めて長友を上に押しやったことかなと思うと、神憑り的な采配のようにも見えてきたのである。しかしこれは素人の後知恵というもので、優勝の瞬間には興奮のあまり大声を上げていた。やはり勝つのはよいもので、気がついたら脇の下に汗をかいていた。さあ、今日一日はあの胸のすくようなボレーシュートを何回も見せて貰い楽しむとしよう。
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WiMAXでYouTubeを見たばかりに・・・

2011-01-28 11:44:47 | Weblog
私がWiMAXに加入したのは、iPad Wi-Fiモデルを朝鮮語教室に持ち込んで、日本語を朝鮮語に翻訳してくれるソフトを使うためであった。ところが肝腎の朝鮮語教室ではWi-Fiの電波が届かないので、電波状況が良くなるまで使えないことが分かった。しかし電波の届く市内各所で接続状況を試してみるとなかなか快調で、ウエブサイトの閲覧はもちろんのこと、YouTubeもスムーズに見ることができる。WiMAXの導入はひとまず成功だと思ったが、12月分の請求書が届いて驚いた。

私が加入したのは「YAMADA Air Mobile WiMAX」のYAMADA Step(2段階定額プラン)で、基本使用料380円/月で9050パケットの定額無料パケット数が含まれており、上限額は4980円/月である。契約日が昨年12月19日なのに、請求金額が7593円にもなっている。このうち2835円は初期登録料なので、日割り計算した基本料金を除くとWiMAX料金が4600円で、上限の4980円のほとんど手前である。それほど使った実感がないので念のために利用パケット数を調べてみると、なんと165333パケットも使ったことになっている。今年になってもそれほど使ったとは思えないのに、すでに259845パケットも使っており、これでは完全に上限を超えている。使ったと言えば朝鮮語の仲間にYouTubeを見せたぐらいなので、これには驚いてしまった。しかし驚いてばかりもいられないので、本当にそんなに使っているのか調べることにした。

問題はYouTubeであろうと見当をつけた。たとえば砂古口早苗著「ブギの女王・笠置シズ子」 今年も笑ってラッキー・カムカム!に埋め込んだ演奏時間5分24秒の「大虎姫 笠置シヅ子メドレー」である。この画面上で右クリックして「Show video info」を開くと、「640×360, 672average kbps」という情報が得られる。この映像を見るのに672average kbpsの速度でデータが送られていることが分かるので、この数値を元に1分間映像を見るのが何パケットに相当するのかを単純計算してみた。ここに出てくるいろんな単位の関係は次の通りである。

  1バイト(Byte)=8ビット(bit)
  1キロバイト=1024バイト
  1パケット=128バイト
従って
  1キロバイト=8パケット

まず672 kbps=672/8=84 kByte/sであるから、1分間には84×60=5040 kByte/minとなる。これをパケット数に直すには8倍すればいいわけだから5040×8=40320 packet/minとなる。なんとも単純な計算結果でこれで話が分かった。この5分24秒かかるYouTubeを一本見るのに、40320×5.4=217728パケットのデータが流れるのである。1月分の使用料がまずこれで説明されそうである。

それにしても私は甘かった。こういう計算を先にしておくべきだったのである。いろいろと使い方を試して2段階定額プランの上手な使い方を探り当てようと思ったが、そういう私の思惑を他所に数字はきわめて冷酷であった。問題はこれからである。他にもいくつかのプランがあるが、外出先ではiPhone 3GSでほとんどの用は足せるので、WiMAXの出番が今のところとくにはない。しばらく月額基本料金380円を払いつつ、利用法を考えてみることにする。馬鹿みたい。こんな体たらくでは恥ずかしくて国の予算の使われ方に口を挟めそうもない。



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サッカーアジア杯対韓国戦 やはり勝つのはよいことだ

2011-01-26 12:37:09 | Weblog
昨日は朝鮮語のクラスでアジアカップの対韓国戦が話題になった。最近はテレビを見る機会が減って、その煽りで日本の出る試合もほとんど見ることがなかったが、試合があると知った以上は、しかも負けっ放しの韓国が相手とあっては見ずばなるまいと、試合開始直後からテレビにかじりついた。

前半の中頃、PKで韓国に1点入れられたが選手の動きを見ているとこれで負けるような気がしない。案の定ほどなく本田圭と長友が綺麗に繋いで前田が見事に蹴り込んだ。後半は双方点が入らずに延長戦に突入、その前半で今度は日本がPKを得た。本田圭が真ん中を狙ったがGKに弾き返され、何と勿体ないと思う間もなく、途中交代で入ったばかりの細貝が稲妻の如く駆け上がり、その球を決めて2-1とリードした。延長後半戦に入り、日本が守りを固めに行ったのはよいとしても、あまりにもゴールに近いところに陣を敷いているのが気になっていたら、延長戦終了間際にゴール前の混戦から韓国に同点ゴールを決められてしまった。同じ入れられるのなら、最後の最後まで仕掛けて行って欲しかったと思うのは観戦者の身勝手だろうか。

手に汗を握ったが、なんとPK戦では3-0と日本の完勝、決勝戦に進むことになった。二本続けてブロックしたGK、川島様々である。それにしても気持ちがいい。やはり勝つのはよいことである。気がついたら午前一時半をまわっていたが、久しぶりに高揚した気分を楽しんだ。それにしても延長戦で見せた韓国の粘りはまさに称賛に値するから、韓国人である朝鮮語の先生を言葉惜しまずに慰めてあげられそうだ。

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若い政治家がもっと頑張らなくちゃ

2011-01-25 18:14:22 | 社会・政治
昨24日、通常国会が始まった。今国会の大きな焦点が2011年度予算案と関連法案の成立であること、そして消費税増税が避けては通れぬ道であることは分かるが、それ以外のことはほとんど関心がない。菅内閣にことさら期待を抱くわけではないので、菅総理の施政演説の全文が今日の朝刊に載っているが、目を通そうという気が起こらない。どうせ言いっぱなしだと諦めているせいである。

産経新聞のiPhone版に面白い記事が出ていた。と言っても新聞オリジナルの記事ではなくて「新報道2001」抄録なのである。

 フジテレビ系、23日放送
 東京都の石原慎太郎知事が政局を語った。
 ― 与謝野馨氏入閣は
 石原氏「情けない。好ましくない政権を倒すためといって新党をつくった。男同士の信義、友情のきずなはどこにいったのか」
 ― 菅直人首相は
 石原氏「発想力がない。市民運動から出てきた政治家はご用聞きみたいなもの。国を運営する基本理念はどこにあるのか。だからバラマキになる」
 ― 蓮舫行政刷新担当相の都知事としての資質は
 石原氏「事業仕分けで『スーパーコンピュータが2番目では悪いのか』といったのは致命的失言だ」
 ― 自身の出馬は
 石原氏「気力も体力もなくなりました。やっぱり年齢は意識する」
(2011.1.24)

菅総理へのコメントが手厳しいがこの件には私も同感で、リーダーの器でない菅総理と大臣に値しない柳田稔法相でその思いの一端を記した。ただ石原氏の蓮舫大臣についての発言、《事業仕分けで『スーパーコンピュータが2番目では悪いのか』といったのは致命的失言だ》の真意が、これだけでは政治家の感覚がない私には理解出来ない。

与謝野馨氏の入閣については結果がものを言うであろう。財源も確保せずにバラマキに走った民主党政権に最初から危惧を抱いていただけに、消費税増税を現実のことと見据える政策の推進役としての働きいかんで評価が自ずと定まるであろうから、後は見守るだけである。しかしそれにしても与謝野大臣が72歳で、消費税増税に向けて強力な連携者と目されている藤井裕久内閣官房副長官に至っては78歳である。年齢をものともしないお二人の意気込みに敬意を表すには吝かではないが、残念に思うのはその後に続く若手、と言っても四十代から五十代であるが、の姿が浮かび上がってこないことである。石原氏の言葉を借りると、国を運営する基本理念をことあるたびに論じる若い政治家が輩出して、われわれ高齢者の心を大いに揺すぶって貰いたいものである。それがわれわれに残された希望でもあるからだ。
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阿部豊監督の「細雪」あれこれ

2011-01-21 20:31:17 | 音楽・美術
「細雪」を見終わった。約2時間20分、すっかり心を奪われてしまって、まるで自分自身も映画の中に入り込んで、登場人物と言葉を交わしているような不思議な思いをした。冒頭は昭和12(1937)年、大阪の街のシーンで、御堂筋通りには市電の線路が見える。場面は上本町九丁目にある船場の旧家、蒔岡本家の門先に移り、外出先から三女雪子が帰って来るところから物語が始まった。長女鶴子から見合したことへの返答を迫られた雪子がはかばかしい返事をしないまま、芦屋川の分家、次女の幸子(さちこ)の元へいそいそと出かける。

芦屋の家では音楽会に出かける幸子の帯選びに、四女の妙子にやって来たばかりの雪子が加わって盛り上がっている。息すると帯がキュウキュウと鳴るのは帯が新しいせいやと私にはもう分かっているから、次から次へと帯を取り出しても「そんなのあかん」とつい傍から口を出してしまう。

四女妙子もこの分家に身を寄せているが、不断は夙川のアパートに借りた部屋で仏蘭西風とか歌舞伎趣味の人形を作り、また弟子をとって教えている。四人姉妹では唯一の「職業婦人」であるが、かって船場の貴金属商の息子である奥畑と駆け落ちした過去がある。妙子が人形の個展を開く場所が小説では神戸の鯉川筋の画廊となっているが、四五日前、散髪したついでにその鯉川筋にある行きつけの中華料理の店で食事をしたばかりなので、その画廊はどこら辺りにあったのだろうとつい思ってしまった。妙子は舞踊も習っていて、芦屋川の分家で開いた温習会では、富崎春昇、富山清琴に富崎富美代の地唄に合わせて舞う。その踊りに先立ち控えの間で立ち姿などを写真師の板倉に撮らせるが、その姿の実に美しいこと。もうこれで高峰秀子にポーッとなってしまう。



そして昭和13(1938)年の阪神大水害である。当時の凄まじい光景を災害写真で見ることが出来るが、冠水している国道2号線の業平橋のさらに上にある阪急電鉄芦屋川駅が、映画の中ではプラットフォームまで水が上がってきている。その日は妙子が洋裁学院に行く日で、先生に誘われてコーヒを飲んでいたところ山津波に襲われて死を覚悟していたところ、駆けつけて来た板倉の必死の働きで救われる。これが切っ掛けになって二人の付き合いが始まり、六甲山、須磨、奈良など、二人で出かけた場所の映像が次々と出てくる。

小説「細雪」が完成したのは昭和23(1948)年で映画が作られたのは昭和25(1950)年だから、戦災の名残があるとしても映画の撮影された昭和25年ごろの各地の光景は、この小説の時代背景となっている昭和12年から昭和16年にかけての光景と、大きくは変わっていないのではなかろうか。芦屋川の分家の門の外は川沿いの松並木であるが、おそらくは芦屋川沿岸であろう。映画の撮影された1950年の前後には、私もよく松並木を通った覚えがある。母の長姉である伯母の嫁ぎ先が芦屋の平田町にあったので、阪神芦屋駅を降りて川沿いに下って行ったからである。高い塀に囲まれた邸宅の多い区画であった記憶がある。伯母の嫁ぎ先は船場で繊維問屋を営んでおり、そういうことからも映画の醸し出す世界に強烈なノスタルジーを感じてしまった。

「細雪」は三回映画化されている。第二回目は島耕二監督による大映版で第三回目が市川崑監督の東宝映画版である。私は大映版は観ていない。何故かと言えば阿倍監督の「細雪」が私の頭の中にこれが「細雪」と刷り込まれてしまったので、それを崩したくなかったのである。市川「細雪」こそ観たが、私の頭は作り物として拒否してしまっていたようである。それほどすべてが素直にそして生き生きと描かれていた阿倍「細雪」への思い入れが強かったのである。

今回60年ぶりに阿倍「細雪」を観て、何故この作品の虜になっていたのか、その疑問の一端が解けたような気がした。四人姉妹があまりにも役柄ぴったりで、文芸作品というよりは「蒔岡姉妹」のドキュメンタリー・フィルムのようになっていたからある。それも当然といえば当然、四人の女優の実年齢が「蒔岡姉妹」の年齢と見事に重なっていたのである。

「細雪」では冒頭から次女幸子がこのように描かれている。

姉の襟首から両肩へかけて、妙子は鮮やかな刷毛目をつけてお白粉を引いてゐた。決して猫背ではないのであるが、肉づきがよいので堆く盛り上がってゐる幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしてゐる色つやは、三十を過ぎた人のやうでもなく張り切って見える。

また三女雪子については

幸子の直ぐ下の妹の雪子が、いつの間にか婚期を逸してもう卅歳にもなってゐることについては、深い訳がありさうに疑ふ人もあるのだけれど、実際は此れと云ふほどの理由はない。

とあるし、三女妙子について

それは今から五六年前、当時廿歳(はたち)であった末の妹の妙子が、同じ船場の旧家である貴金属商の奥畑家の倅と恋に落ちて、家出をした事件があった。

とある。これから妙子が25、6歳、雪子が30歳、幸子、そして鶴子が30歳過ぎであることが分かる。一方1950年当時、1918年生まれの花井蘭子は32歳、1917年生まれの轟夕起子は33歳、1921年生まれの山根壽子が29歳で1924年生まれの高峰秀子が26歳であるから、実年齢と役年齢がものの見事に一致していることが分かる。しかも四人が四人とも「細雪」の時代にはすでに俳優として活躍しているので、その時代の陰翳が心身に染みわたっているのである。まさに「蒔岡姉妹」がはまり役であったと言えよう。

板倉の急死に妙子の生活が乱れ、あげくはバーテンダー三好の子を宿すが死産して、本家からは出入り差し止めを喰ってしまう。一方、雪子は見合遍歴の果てに子爵家の庶子との話がまとまり、ついに婚礼を挙げることになった。雪子の婚礼道具万端が整えられた芦屋川の分家から、その華やかさとは対照的に、当座必要な荷物だけを唐草の風呂敷包みにして持ち出した妙子が、姉たちに別れを告げて三好の元に向かう。映画は此で終わりであるが、四人姉妹のなんとも言えない濃厚な交わりが、人情希薄な平成の世に対する警世ともなっているようであった。そしてこの後ほどなくして「蒔岡姉妹」は日米開戦を迎えることになるのである。

阿部豊監督の「細雪」をこれから何遍観ることになるだろう。その度に新しい発見があるような気がする。たとえば虚実取り混ぜた時の流れである。戦争が始まり、高峰秀子が南方にタイピストとして出かけるのが成瀬巳喜男監督による「浮雲」の世界であるとすれば、板倉の妹として少しだけ顔を出した香川京子が今井正監督の「ひめゆりの塔」では看護部隊の女学生を演じることになる。この「細雪」を時代の生きた記録として見ての発想とも言えよう。

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非正規教員 有期雇用 非常勤 雇い止め 何もしないというボランティア活動

2011-01-19 16:02:18 | 学問・教育・研究
昨日だったか一昨日だったか(がもう思い出せないが)、テレビの番組で大学の非正規教員の話を取り上げていた。「非正規教員」という言葉自体も恐らく私には聞き始めで、学生便覧などでは非常勤講師として紹介されるのであろうが、いくら社会的に通用しているとしても「非正規教員」とはおどろおどろしい言葉である。番組では3年の契約期限が切れようとしている京都精華大学の教員が紹介されていた。契約期限が切れて解雇されることを「雇い止め」ということも知った。この方の場合は3年契約だから、同じ「有期雇用」でも普通よく聞く「非常勤」の1年契約にくらべるとやや長期になるが、それでも不安定な雇用形態であることは間違い無い。

私が現役時代に経験した「非常勤」といえば本務の傍ら他大学や他学部で講義することで、年に一回、集中講義の形式で行うことが多く、「非常勤講師」の肩書きで大学職員録に記載されることもあった。また逆に専門分野の講義を大学と限らず、病院勤務の医師とか研究所勤務の研究者、さらには政府機関のたとえば厚生技官などに「非常勤講師」としてお願いするのが常であった。いずれにせよ「非常勤」とはいうものの本務があってのことだから、ここで問題になっているそれ自体が本務である「非常勤」とはまったく異なった性格のものであった。

教育職とは異なり事務職には以前からも「非常勤」があり、国立大学でも長年にわたる定員削減の影響でますます増加の傾向にり、不安定な雇用形態であることから実際に働く人にとっては大きな問題になっていた。同じような問題が「非正規教員」にもあることはかねてから耳にしていたが、その実態に触れたのは私が定年退職後に地元の私大で非常勤講師を務めた時である。この時の勤務形態は毎週決められた曜日・時限に年間を通じて講義することで、時間給に基づくものの月給として支払われていた。夏休みは講義がなくても月給が入ってきたのである。一学年の終わりが近づくと、契約更新について、「先生はもうされましたか」のようなやり取りが若い非常勤講師の間で交わされているのに気付いた。教務からお声がかからなかったら、それが「雇い止め」になるからである。傍から気軽に口出し出来る雰囲気ではなかった。

大学での教育への「非正規教員」の寄与が3割から4割になると番組では報じていた。教職を目指す大学院修了者が増えれば増えるほど人集めは楽になり、それが「非正規教員」の雇用環境を厳しくする。調べてみると分かることだろうが、私大のほとんどはこのような「非正規教員」があってこそ存続が可能になっているのではなかろうか。それぞれ大学が高邁な建学の精神を謳っているのであろうが、肝腎の教育を担う教員の処遇が「間に合わせ」では話にならない。基本的には全員「正規教員」であるべきだと私は思う。かっての国立大学がそうであったように。教育の質という面で考えると「非正規教員」が「正規教員」より劣っていることにはならないだろう。多くの場合、よりよい待遇を目指す「非正規教員」の方がより熱心に講義などに取り組むだろうと思われるからである。だから問われるべきは「非正規教員」の質よりは大学の経営方針ということになる。

大学が教師として定年退職者を採るかそれとも若い世代を採るのか、大学経営の観点からさまざまな得失が考えられるであろうが、一つはっきりしていることは定年退職者がその職に就くと、その分若者のポストが失われるということであろう。ノーベル賞を始めとして大きな賞の受賞者を定年後再び教授として迎えると、その大学の広告塔となるなど宣伝効果は一目瞭然であるが、これは別格としても確かに今の定年退職者は若い層よりもエネルギッシュで、彼らを押しのけてでも社会的に活動しようとすれば実力においても体力においても決して引けを取らないであろう。しかし、である。人口が減少し経済が縮小していくこれからの二十一世紀に、年配者の発想がこれまでと同じであってよいはずがなく、率先して発想の転換を計るべきなのである。自分の能力にいくら自信があるにせよ、大学の定年を終えたら後は若い世代に一切をすっぱり引き渡す潔さがきわめて大切で、それが若い世代に飛躍的な成長の場を与えることを認識すべきなのである。このような考えをこれまでも「総理大臣終えた後は政界引退を」 versus 「教授終えた後は・・・」など、折に触れて述べてきたが、その根底に私の次のような考えがある。

現役時代の研究システムを可能な限りそのまま定年後も維持したいというのは、考えようによれば節度なき人生態度である。定年は組織に属する人間にとっては避けられない運命である。いつかはその時が来るのが自明の理なのである。その間、全力投球して後に悔いを残さないようにする、それでいいではないか。

定年後まで若い世代と張り合い、ひいては彼らの職を奪うというような独りよがりを自覚出来るまで、人格を陶冶してはいかがだろう。考えようでは年配者が何もしないということこそ実に貴重なボランティア活動なのである。若い世代に存分に活躍出来る場を与えるからである。そういえば「無為にして化す」という老子の言葉を思い出したが、ここに持ち出すのは少々牽強付会だろうか。



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阿部豊監督の「細雪」にご対面

2011-01-17 22:53:41 | 音楽・美術
谷崎潤一郎の「細雪」は私の大好きな小説の一つで、読み返した回数ではダントツの一位である。小谷野敦著「谷崎潤一郎伝」を読んでで次のように述べている。

私が何回も読み返した最右翼の小説が「細雪」である。アメリカに滞在しているときだけでも二三回は読み返している。外国の友人になにか面白い小説をと聞かれると、「Makioka Sisters」を紹介するのが常だった。「細雪」は船場の旧家蒔岡家の四人姉妹の生活を次女幸子の夫、貞之助の目を通して描いたものである。ところが私にはこの小説を最初に映画化した「細雪」の印象がとても強くて、長女鶴子といえば花井蘭子、次女幸子は轟夕起子、三女雪子が山根寿子で四女妙子が高峰秀子というように、四人姉妹が女優の顔になって現れるのである。

また「細雪」に登場するお春どんにお目にかかった話を「細雪」のお春どんとはで紹介した。しかし私は「細雪」には小説より先に映画でお目にかかったのである。それが上の四人の女優が出演する「細雪」で監督が阿部豊、制作が1950年であった。私が高校に入学した年、朝鮮戦争が勃発した年でもある。戦前の富裕階級が営む生活の数々の優雅な場面に、過ぎ去った栄華を惜しむ気持ちと、いずれまたこのような時代が戻ってくるとしたら、その担い手になるのはわれわれであろうというそこはかとない高揚感が湧き起こった。たった一度しか観ていないのに、昭和13年の阪神大水害の緊迫した情景の記憶などが生々しく残っている。

その後小説を読み返したり、市川崑監督の「細雪」(1983年制作)を観るにつけても、この映画がカラーのせいもあってモダンで華麗すぎ、その一方で陰影の描き切れていないことから私の抱くイメージに合わなかったこともあって、阿部「細雪」を無性に観たくなったのである。しかしVHSを探したり、古い映画が1000円とか500円のDVDでで出まわるようになって注意を怠らなかったが、この作品にお目にかかることがなかった。ところが砂古口早苗著「ブギの女王・笠置シズ子」 今年も笑ってラッキー・カムカム!を書いたのがきっかけでAmazonを調べたところ、なんとこの作品が「細雪 デジタル・ニューマスター」として登録されていたのである。2007年に制作されたらしい。参考価格が5040円、それが40%オフの3024円也。古い映画だからと廉価版だけを探していたのが間違いのもとであった。


送られてきたDVDには36ページにわたる解説リーフレットが添えられていた。《高峰は谷崎夫妻の計らいで、芦屋言葉の指導を彼女が演じる四女のモデル、鴨川信子(谷崎夫人、松子の末妹)から直接指導を受け、劇中で舞う地唄舞「雪」は武原はんに手取り足取り教わったという》とか、当時の助監督の《高峰秀子が地唄舞を踊る場面は緊張しました。地唄の指導は、富崎春昇、富山清琴という方で、斯界では大御所ですね。踊りは武原はんさん、打ち合わせは武原はんさんの家でやりました》のような話に接すると、もうそれだけでゾクゾクしてくる。上映時間は141分。長年思い焦がれてきた作品だけに直ぐに観るのがもったいなくて、何時にしようかなと目下思案中である。

ちなみに、個人情報の押し付けながら、私の妻は幸子と書いて雪子と読む。
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加古川線の記事で買い出し列車を思い出す

2011-01-16 19:11:49 | 昔話
今日は日曜日なのに不断より早く起きた。加古川で親戚の法事が営まれるからである。タクシーで最寄りのJR駅に駆けつけたが電車が遅れている。しかし予定の時間に乗ることが出来た。元来は一つ前の列車なのである。東の方では雪で徐行運転していたらしい。朝早く東京駅を発った従弟たちも新幹線がかなり遅れたとのことである。冬期の移動には何かと気を遣う。

ところでこの加古川に関して、昨日のasahi.comに次のような記事(抜粋)があった。

阪神大震災、迂回路で活躍した加古川線 ファン、今でも


 週末には鉄道ファンがやってくる。切符を1区間買って迂回する「大回り」。加古川駅で隣の東加古川駅まで3.6キロ区間の切符を180円で買い、加古川線経由で宝塚線の尼崎駅で神戸線に戻れば182.4キロの旅を楽しめる。昨夏、仲間と回った加古川市の主婦(59)は「おしゃべりして、ホームでお弁当を食べて。すごく楽しかった」。

 とはいえ、迂回路を利用するのは休日に10人ほど。それが4千人に達したのは、1995年1月17日の阪神大震災直後だ。JR神戸線は地震後1週間でも甲子園口駅(西宮市)と須磨駅(神戸市須磨区)の27.5キロ区間が不通となり、全線復旧は4月1日だった。

 このため、加古川線は大阪と神戸を結ぶ迂回路に。福知山線と接続する谷川駅では、1日平均260人だった乗り換え客が8500人に膨れた。直通列車(加古川―谷川間)も1日9本から2月初めに45本になり、各地からディーゼル車をかき集めた。

 一時は廃線もささやかれたが、震災で評価は一変し、45億円で2004年に全線を電化した。

震災後、私は当時京都に単身赴任しており、週末神戸の自宅にJRで帰る時、不通区間は代替バスが走っていた。今日加古川に行く途中に気がついたことであるが、蒸気機関車が走っていた頃は、西明石を出ると大久保、土山の次が加古川だった。それが今は大久保と土山の間に魚住駅が、土山と加古川の間に東加古川駅が出来ていた。この沿線がベッドタウン化したニーズに応えたのであろう。この辺りから大阪方面に出るのに、この迂回路が利用されたのであろう。明1月17日が阪神・淡路大震災記念日なのでこの記事が出たのだろうが、私が加古川線で思い出すのは戦後間もない頃の買い出し列車なのである。

私は敗戦を朝鮮で迎えた。戦時中でもとくに食料不足を感じたこともなく、日本が戦争に負けるやいなや京城の青空市場では目を見張るような様々な食料品が溢れかえっていた。備蓄食料品がどういう流通経路かはいざ知らず流れ出したのであろう。それだけに引き揚げてきてからの食糧難がわが一家に重くのし掛かってきた。1945年11月に引き揚げた直後は高砂に住んだが、この一帯は父母の地元とて親類縁者に厄介をかけていたことと思う。そして翌1946年に神戸に移り住んだ時から、折に触れて買い出しに出かける父について行くことになった。私が小学6年から中学1、2年にかけてである。

買い出しと言っても見知らぬ農家を廻るような才覚は父にはなく、ほとんどが親戚巡りであった。荷物が増えそうな時に私に動員がかかり、出かけたのが加古川線沿線であった。そのうちの一つが母方の伯母の家で、さつま芋の収穫時期には芋掘りを手伝いに行って、蒸しあがった芋をたらふく食べ、ルックサックに一杯詰め込んで貰っては担いで帰った。10キロは優に超えていただろうが加古川線の滝野駅まで1里以上の道をものともせずに歩き通した。この当時山陽本線は旅客列車であるが加古川線は貨車が使われていた。貨車に人間が乗るのである。超満員の旅客列車が加古川駅に着くやいなや乗客が先を争ってプラットフォームを疾走し、加古川線の列車に乗り込むのである。ある時、目に入る貨車が全部満員なのに一車両だけ人が沢山乗り込んでいる。それっとばかり乗り込もうとして唖然とした。貨車の反対側の扉が開いていて、先に乗り込んだ人が後から入って来る人に押されて線路上にどどっと落とされていたのである。今Googleで「買い出し列車」の画像検索をすると、その凄まじい情景を目にすることが出来るが、貨車の買い出し列車は残念ながら出てこない。父方の叔母の家には厄神駅から歩いていったし、加古川駅からは母方の叔母の家を頼っていった。

今日はその叔母の連れあいであった叔父の33回忌法要であった。息子が6人、そのうちの一人が以前洋食屋がどんぶりや屋に でも味噌屋は味噌屋に登場した従弟である。味噌屋の店頭に自分の文章が張り出されていることは知っていなかったが、味噌業界の団体に関わっていたのでその繋がりであろうと言っていた。帰りの加古川駅で加古川線への乗り換え口が目に入ったが、買い出し列車はもちろん、震災時の迂回路もだんだんと遠のいていく。より彼岸に近づいたせいであろうか。



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宮中歌会始 菅第二次改造内閣 The Perfect Storm

2011-01-14 19:29:15 | 社会・政治
午前11時前、内閣改造のニュースでもあるかなとNHKテレビをつけたところ、宮中歌会始の様子が流れていたのでそれに釘付けになった。ちょうど一般詠進歌が披露されていたが、藤原鎌足(ふじわらかまたり)のように、詠進者の名前が姓と名の間に「の」を入れて読み上げられているのが浮世離れしていて印象的だった。そういえば常陸宮は「まさひとのみこ」だし東宮は「ひつぎのみこ」で東宮妃が「ひつぎのみこのみめ」と古めかしいがなかなか趣があってよい。宮内庁のホームページで「歌会始」を見ると、

毎年1月の歌会始の儀では,天皇皇后両陛下の御前で,一般から詠進して選に預かった歌,選者の歌,召人(めしうど)の歌,皇族殿下のお歌,皇后陛下の御歌(みうた)と続き,最後に御製(ぎょせい)が披講(ひこう)されます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣,日本芸術院会員,選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。

この儀式は,読師(どくじ)(司会役),講師(こうじ)(全句を節をつけずに読む役),発声(はっせい)(第1句から節をつけて歌う役),講頌(こうしょう)(第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役によって進行されます。

とあるように、講師が歌の区切りの語尾を長く伸ばして詠み上げると間髪を入れず発声が歌い始め、講頌がそれに和す。このように短歌に節をつけて詠み上げることを披講というそうだが、実に優雅にして優美、こういう文化を持っている日本人であることが嬉しくなってしまう。国家元首」が新年に「歌会」を伝統の行事として催すなんて、世界でわが国だけではないだろうか。こういう伝統を大切にして、まさに万世に伝えていって欲しいものである。

正午からのNHKニュースで枝野新官房長官による菅第二次改造内閣閣僚名簿発表の実況中継があった。私が気になったのは江田五月前参議院議長が法務大臣になったことである。ご本人はそう思っていないのであろうが、参議院議長と言えば三権分立の立法府の長で、その地位と権威は行政府の長である総理大臣に比肩する筈である。その前参議院議長が総理大臣の下にある大臣に身を落とすとは、かって立法府の長としての自覚・矜恃なんてあったものではない。いくら人材不足の民主党とは言え、参議院とはせいぜいそんな程度の存在だと世間に喧伝しているようなものである。かねてから参議院無用論を唱えている私には心強い味方ではあるが・・・。

官房長官が46歳で史上最年少とか、それはよい。揉まれ叩かれて力強く成長して欲しいものである。当たり前のことながら、わが日本国の舵取りをするのは、当面この内閣以外にはないのである。好き嫌いはともかく、この自称「実務協力推進内閣」はなんとか頑張っているなと国民の目に映る実績をとにかく挙げて欲しいものである。

ところがこの後午後2時からケーブルテレビで観た「The Perfect Storm」がちょっと心に引っかかった。この物語はかなり評判が高かったので以前ペーパーバックスで読んだことがあるが、それが映画化されていたのである。


船主に尻を叩かれた船長を含めて6名の乗組員がカジキマグロ漁に出かけるが、豊漁にも拘わらず製氷機が動かなくなり早く港に戻らないと漁獲がふいになってしまう。ところが運悪く数々の気象条件が重なって、一世紀に一度ぐらいにしか発生しないといわれる巨大ハリケーン、これ以上大きなハリケーンが有り得ないという意味でThe Perfect Stormと呼ばれるのであるが、が前方を塞ぎにかかっている。漁獲をふいにしてもハリケーンをやり過ごして帰るか、それとも運を天に任してハリケーンのまっただ中を突っ切るかで、船長以下漁師魂を鼓舞しあいつつ後者を選ぶ。このハリケーンと闘う漁船乗組員の映画での描写と迫真の暴風シーンとが併せて評判となったのであるが、奮闘空しく最後に漁船は乗組員ともども沈没してしまう。この漁船の名が「Andrea Gail」。

引っかかるというのは菅第二次改造内閣がこの「Andrea Gail」のイメージと重なってしまったからである。



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どっちもどっちのNHK会長人事 NHKを国営化してしまえば・・・

2011-01-12 14:42:30 | 社会・政治
NHK経営委員会が慶応義塾前塾長の安西祐一郎氏にNHK会長への就任を要請したのにも拘わらず、その後会長就任を内諾した安西氏に就任要請撤回の意向を伝えたところ、今度はこれに反発した安西氏がみずから就任を拒否したとかでマスメディアが騒いでいる。

安西氏が会長就任を内諾した一方、次のような情勢変化があったらしい。

 ところが安西氏の受諾後に、会長就任にあたって「交際費の使用」「副会長を連れて行く」「都内に部屋を用意する」の3条件がついたという話がNHK関係者の間に広まった。一部の委員は「責任を持って推すことはできない」と難色を示し、推薦の経緯をめぐる小丸委員長への批判も出てきた。

 経営委は5日に非公式の会合を開き、安西氏から直接、話を聞いた。安西氏は「3条件は虚偽の情報」と全面的に否定した
(asahi.com 2011年1月11日4時0分)

安西氏は「3条件は虚偽の情報」と全面的に否定したとのことであるが、MSN産経ニュースには、次のような安西氏と報道陣との一問一答の記事がある。

 --10日に小丸成洋委員長らからはどんな説明が

 「私についての風評がいろいろあり、風評が正しいか間違っているかは分からないが、風評が立つこと自体が困るということだった。こちら側としては(就任を)辞退してほしいということだったと理解している」

 --会長職受諾に当たり条件を付けたと報じられた

 「例えば、住む所や交際費について、そういうものがあるのか伺った。私は大学勤めでそういうことを全く知らない。ただ、これは条件を付けたということでは全くない」
(2011.1.12 00:45 )

火のないところに煙は立たぬ、ではないが、安西氏が住む所や交際費について、そういうものがあるのか伺ったことは事実であるらしい。安西氏には申し訳ないが、「なんて小っちゃな人」というのが私の偽らざる印象であった。駆け出しのサラリーマンではあるまいし、天下のNHKをリードすべき人物が語るべきは先ず仕事に対する抱負であって、それが経営委員会にいかに支持されるかかを見極めることこそ最重要の課題であろう。住む所がどうなるとか、交際費がどうだとか、会長職に就けば自然となるようになる。すでに慶応義塾塾長という輝かしい要職を立派に?果たした人物である。生活に困るわけでもなし、後は手弁当で奉仕するぐらいの覚悟があってしかるべきであろう。私がかりに経営委員会のメンバーであるなら、「交際費の使用」「副会長を連れて行く」「都内に部屋を用意する」がたとえ条件でなくても、就任前にこのようなことを口にしたというだけで即刻会長就任をお断りすることだろう。

一方のNHK経営委員会であるが、実際の経緯がどうであれ、いったん会長就任を要請した後でそれを取り消したことは事実である。誰が見ても真面目な仕事ぶりとは思えない。ところがなんとこの経営委員会のメンバーはボランティアではなく、結構な報酬を受け取っているのである。今日のasahi.comは次のように伝えている。

 ◆NHK経営委員会 放送法により、その設置および権限、組織、任免、報酬が規定されており、NHKの経営方針や業務の運営に関する重要な事項を決定する。定例会議を原則月2回開催し、執行部から提案された経営の重要事項について協議し、議決を行うほか、NHK会長の任免と、副会長や理事の任免の同意を行う。委員は12人で構成され、内閣総理大臣が任命する。任期は3年。報酬は常勤、非常勤で異なり、委員長は年間約3192万円(非常勤は約633万円)。委員は約2256万円(非常勤は約506万円)となる。

 ◆NHK会長の処遇 月額211万円で、各期末報酬が330万円。期末報酬は業績評価の結果によっての増減があり、平均すると年俸3200万円ほどだ。交際費は、12人の役員交際費として上限2500万円あり、会食費、土産代、慶弔費などに使用される。21年度は1500万円強だった。会長用の住居及び、住居手当などはない。送迎は、NHKから家までの移動、公的な業務のみ車が用意される。もちろん個室があり、3人の秘書が付く。任期は3年。

委員の常勤と非常勤が職務上どのように区別されるのかは分からないが、かりに月2回の定例会議のみに出席するのを非常勤委員とすると、年間24回の出席で506万円ということなのだろうか。われわれの聴取料から払われていると思うと勿体ない。それにしても分からないのは、委員長の報酬が常勤と非常勤で分かれていることである。金額が異なるのが分からないのではなくて、委員長の職務が常勤でも非常勤でも支障なく務まるということが、素直には理解出来ないのである。それほど軽い仕事ということなのであろうか。それにしても今回の杜撰な仕事の言い訳にはならないことを銘記すべきであろう。

現在の委員の顔ぶれは経営委員一覧で知ることができるが、いったいどういう資格が重視されて選ばれたのか門外漢の私には分からないが、私の目には大相撲の横綱審議委員会の顔ぶれと同じように見える(ただしこちらは無報酬)。さらにこの顔ぶれでどんな実務がこなせるというのであろう。ただの素人集団ではないのか。今回のNHK会長の任免にかかわるゴタゴタがその無能ぶりを実証していると言える。

ところでNHK会長であれ経営委員会であれ、こういうものは組織を改めれば不要になる。実は私はかねてから以下の過去ログでNHK国営化論を唱えているのである。

NHKを国営化して政府・政権党の報道機関に
NHKは民営化ではなく国営化を
みたび『NHKは民営化ではなく国営化を』

何を今さら国営化をとお思いであろうが、それなりのメリットを数々挙げているので、興味を持たれる方はお目通しいただきたい。国営化ではないが、現在でもNHK会長人事が総務省主導で行われている現実がある。今朝の読売は社説で《問題は、その「条件」以前に、経営委員会の小丸成洋委員長が総務省主導とされる安西氏起用案に沿って、独自に人事を進めた点にあったのではないか》と指摘し、産経ニュースは《関係者によると、安西氏の起用は片山善博総務相の後押しがあったとされる》と伝えて、総務省の積極的な関与を浮かび上がらせている。NHK国営化でこのような手間の省けるメリットもある。




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