日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

見事な菅首相の政権執着力

2011-06-16 17:52:33 | 放言
最近はかなり距離を置いて政治の動きを見ているが、それにしても菅首相の政権の座への執着ぶりが凄まじい。ここ何人かの総理大臣と比べて特筆に値する。ここまで欲望を剥き出しにすると、虚飾がなく爽快感まで感じるくらいである。そして第1.5次(?)補正予算案、特例公債法案、東日本大震災や原子力事故関連の法案の成立を、国会の会期を大幅に延長して図るなど、積極的な攻勢に出ている。それに対して内閣はもちろん民主党執行部もただただ引きずられるばかりであるし、自民党などの野党も菅首相を退陣に追い込むには全く手詰まりの状況である。一口にいえば菅さんの首相の座にしがみつこうとするエネルギーが、それに対抗するエネルギーの総量を上回っているからである。批判・反対勢力が本気になっていないからと言える。例えは悪いが、山口組が長年にわたる国の撲滅攻勢を跳ね返して依然としてその勢力を保っているようなもので、生き残りにかける真剣度がそれを潰そうとする真剣度を大きく上回っているからである。

こうなれば菅さんの手練手管をじっくりと見極めたい気がする。そして、国民の総意によらない首相の存在そのものがおそらく最大の問題点になろうが、議会内閣制の数々の問題点をあぶりだせればそれなりに無駄ではない。どうせ政治空白の続いている日本である。

これほどまで類を見ない菅さんの政権執着力を、本当に国民のための政治力に転換できればと僥倖を期待する気もないわけではないが、奇跡頼みはよそう。先行きにどのような見通しがあるわけではないが、もし菅さんを辞任に追い込む機運が民主党内で高まれば、閣僚が揃って辞表を提出するのが奇策ではあろう。それに菅さんがどう対抗するのか、そこまで見せてくれたら「見世物」としてはまずは満足できそうである。

原子炉海水注入問題 産経も踊らされていたとはお気の毒だが

2011-05-26 17:42:06 | 放言
原子炉海水注入問題 新聞報道に踊らされまいと思うものので産経ニュースの記事を次のように引用した。

震災翌日の原子炉海水注入 首相の一言で1時間中断

 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発1号機に関し、3月12日に東電は原子炉への海水注入を開始したにもかかわらず菅直人首相が「聞いていない」と激怒したとの情報が入り、約1時間中断したことが20日、政界関係者らの話で分かった。

 最近になって1号機は12日午前には全炉心溶融(メルトダウン)していたとみられているが、首相の一言が被害を拡大させたとの見方が出ている

 政府発表では3月12日午後6時、炉心冷却に向け真水に代え海水を注入するとの「首相指示」が出た。だが、政府筋によると原子力安全委員会の班目春樹委員長が首相に海水注入で再臨界が起きる可能性を指摘、いったん指示を見送った

 ところが、東電は現場の判断で同7時4分に海水注入を始めた。これを聞いた首相が激怒したとの情報が入った。東電側は首相の意向を受けてから判断すべきだとして、同7時25分に海水注入を停止した。その後海水注入でも再臨界の問題がないことが分かった。同8時20分に再臨界を防ぐホウ酸を混ぜたうえでの注水が再開されたという。
(2011.5.21 00:42 )

その上で、《この55分間の海水注水停止がいったいどのような被害を拡大させたというのだろう。その意味で上の記事には裏付けが欠けていると言わざるをえない》と論じた。そして先程のニュースである。

海水注入「中断してなかった」 東電が発表

 東京電力は26日、福島第一原子力発電所1号機への海水注入を一時中断していた問題について、実際には発電所長の判断で中断していなかった、と発表した。本社内では「海水注入については首相の了解が得られていない」として、いったん注入を停止することを決めた。しかし、実際には発電所長が「事故の進展を防止するためには、原子炉への注水の継続が何よりも重要だ」として、注水を継続していたという。
(asahi.com 2011年5月26日15時24分)

あいた口がふさがらないとはまさにこのこと。振り回された産経も気の毒であるが、この事実をこの期に及んで後だしする東電の関係者、全員ピンタである。

「安全基準」と「制限速度」

2011-05-26 12:53:16 | 放言
昨日朝日朝刊に掲載された水俣病で著名な原田正純さんへのインタビュー記事、「教訓生きなかった福島原発の事故 専門家とは誰か」はなかなか示唆に富んでいた。「実学」に裏打ちされているだけに、原田さんの語る言葉は常識ある人の心に素直に染み込み、そして説得力がある。私も共感を抱く「安全基準」についてのことだけを取り上げてみる。

――放射性物質の安全基準が問題になっています。どこで線を引き、住民にどう説明するべきでしょう。

 「注意してほしいのですが、安全基準とはあくまでも仮説に基づく暫定的な数値であって、絶対的なものではありません。そもそも『安全基準』という言葉がよくない。どこまでなら我慢できるか、『我慢基準』と呼ぶべきだという人もいます

 ――それでは安心できません。

 「そう。それはものすごく気になっている。住民にしてみたら、自分たちは安全なのかそうでないのか。なぜ避難しなければいけないのか。なぜまだ戻れないのか。その根拠は何なのよ。そういう疑問はまったく当然です」

 「テレビの報道でも『政府は根拠を示せ』と言っているでしょ。ところが、実際には絶対的な根拠なんてない。それなのに(政治もメディアも)あるはずだと決めてかかるからおかしなことになる」

 「ただし、根拠を示せないからといって政府が口をつぐんだらだめ。『現時点では十分な科学的根拠はありません。でも今後こういう危険が考えられるので、政治的な判断で実施します』ということを、ていねいにていねいに説明することです。もちろん住民の不安をあおったらいけないけれど、放射線の影響には未知の部分があることもしっかり押さえておかないといけない」
(2011年5月25日03時00分)

「安全基準」に絶対的な根拠なんてないことは全くそのとおりだと思う。したがって「放射線に安全なレベルはない」ことも論理的な帰結として納得できる。かっては許容線量という用語も用いられたが、「許容」が絶対安全の意味に誤解されやすいので、「線量限度」という概念が用いられるようになった経緯(岩波理化学時点)でも明らかなように、囚われるべきでない「安全」とか「許容」という言葉の催眠術にかかってしまうと、根拠があるわけではないただの数値に操られることになってしまう。その傾向は数値が「法律・通知」で規定されるととくに顕著になるし、その代表的な例が「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」で、非常事態収束後の基準である1~20mSv/年の適用で問題ないとか、いや、それでは甘すぎるという意見である。

余計な放射能に曝されないことが良いのに決まっているが、現実に放射能が増加した環境下で、20mSv/年であれば運動場でいつものように遊んでも良いし、プールで泳ぐことも可能だけれど、1mSv/年にすれば外に出ることも一切まかりならぬとなったときに、その選択に現場の関係者の判断が入っても良いのではなかろうか。いささか乱暴な比較かもしれないが、たとえばよく整備された道路を走っている時に、制限速度が60キロであっても状況に応じてそれを上回る速度で走ることは大勢が経験していると思うが、それは自分独自の判断が法律をうわまわったからなのである。この辺の事情は以前に制限速度の怪 ― 出鱈目な制限速度設定遅すぎた高速道の速度制限緩和 でも歓迎で記しているので、お目通しいたたければと思う。

こういうことが言えるのも、制限速度の設定に人を納得させる根拠がないからであって、放射線量の基準値の設定とて同じようなものである。となれば通常より高い放射能を帯びた農作物なり漁獲物を受け入れるかどうかが、自分が我慢できるかどうかで決まることがあってもそれは自然の流れである。商品に放射線量の正しい表示さえあれば、あとは消費者が決めれば良いのである。さあこの理屈、世間に通用するだろうか。





浜岡原発全原子炉停止 ソニー個人情報流出 訂正あり

2011-05-07 16:55:50 | 放言
昨日は外出したりまた夕方はDVDでオペラを楽しんでいたので、一日中ニュースを見ることがなかった。夜、友人からのメールで菅首相が浜岡原発停止の要請をしたことを知り、ネットでニュースを追った。珍しくも菅さんのクリーンヒットのように感じた。クリーンヒットとはパフォーマンスにもってこいのテーマを嗅ぎ当てたという意味においてである。

浜岡原発では1970年代に建設された1号機、2号機を地震に耐えうるよう改善するには費用がかかりすぎるとの理由で、すでに2009年に廃炉が決定されている。現在3号機が定期検査中で稼働しているのは4、5号機であるが、その停止を要請したとのことである。しかしこの3、4、5号機ですら1980年代に建設されたもの。これから先、何年間働かせるつもりなのか分からないが、中電は海岸沿いの高さ10メートル以上の砂丘と原発の間に高さ15メートル以上の防波堤を2~3年で築くことを計画しているとのことである。しかしその間にも怖れている大地震・大津波が襲ってきたらどうするのだろう。原子炉を停止しても、福島第一原発で明らかになったように、たとえ使用済み核燃料でも冷却し続けなければならないのであるから、万が一にも「燃料棒の冷却」が不可能になる事態をもたらしてはならない。そのための万全の対策を立てることこそ第一に優先されるべきだろう。

浜岡原発の原子炉3基で電気出力が361万7千キロワットの発電能力があり、わが国における原子力発電の7%に相当するとか。これから2~3年、これなしにやっていけるのであれば、それから先も浜岡原発がなくてもやっていける、ということにならないのだろうか。それならわざわざ防潮堤まで築くこともなく全体を廃炉にすればよいではないか、と私は単純に思ってしまう。窮すれば通ずともいう。浜岡原発廃炉も一つの選択肢とすべきであろう。

7700万人に達するプレイステーション・ユーザーの個人情報が米国で盗まれたと大騒ぎである。クレジット情報も期限切れになったものも含めて全世界で1230万件(米国内では560万件)漏洩したとか。加齢で寛容になってきたのか善悪の判断が曖昧になってきたせいなのか、このハッカーは凄いとばかり、こちらの方に手を叩いてしまうのだから困ったものである。それにくらべてソニーは名前は立派でも所詮は独活の大木、なんとも哀れさが漂う。ハッカーの存在はあまねく知れ渡っていることである。それなら会社の所有物である情報を盗まれないように万全の策をたてるべきで、そして当然そうしたつもりであったのだろうが、現実にはその情報を盗まれてしまった。盗まれる方が能力的に至らなかったからである。この厳然とした事実は、情報漏洩が犯罪であるかどうかを云々する以前の問題であると私は思う。戦時中の諜報合戦を考えてみても暗号を解読された方が負けなのである。ビジネスの世界こそ常在戦場であろうに。この「常在戦場」の四文字を長岡に残した山本五十六元帥が、その諜報戦に敗れて戦場の花と散った悲運が元軍国少年の心には深く刻まれているのである。ソニーが4日、米下院エネルギー・商業委員会の商業・製造業・貿易小委員会に提出した回答書に記された敗戦の弁は次の通りである。

What is becoming more and more evident is that Sony has been the victim of a very carefully planned, very professional, highly sophisticated criminal cyber attack designed to steal personal and credit card information for illegal purposes.

ついでに言うとアングラ・フォラムではソニーのセキュリティは時代物と鎧袖一触である。7700万人分という漏洩した情報量のすさまじさに、ソニーの顧客はもちろんセキュリティの専門家や政府の役人も驚いたことであろうが、個人のクレジットカード番号やオンライン情報を盗んで闇市場で売買を行っている他のハッカー達も、この盗難情報に気を揉んでいるというThe New York Times(NYT)の記事が面白い。盗んだカード番号はそれに付随した情報の多寡に応じてオンラインの闇市場で1件5~10ドル程度で売買されている。ところがソニーの情報漏洩に係わったとされるハッカーが、所有者名、住所、使用者名、パスワードの揃った220万件のカード情報を手にしたと地下フォーラムで明らかにしたものだから、もしこれだけ大量のカード情報がオンラインで出まわるようになると、1ドルから2ドルにまで下落してしまうからと言うのである。もっとも今のところ売買数に大きな動きは出ていないそうである。

セキュリティの専門家に言わすとクレジットカード番号など、個人情報のデータベースをせっせと作る会社が増えれば増えるほど、そのサーバーにアクセスしてその情報で金儲けしようとハッカーを駆り立てるというのである。ではそれをやめさせるにはどうすればよいのか。会社が情報を集めないことだと説く。回答書に次の質疑応答がある。

8. What information was obtained by the unauthorized individual(s) as a result of this breach, and how did you ascertain this information?

Based on the activity of the intruder, we know that queries were made in the PlayStation Network system database for user account information related to name, address (city, state, zip), country, email address, birthdate, PlayStation Network/Qriocity password and login, and handle/PlayStation Network online ID.

私はPlayStationで遊んだことがないのでこれは推測であるが、遊ぶには紫色で強調した情報だけで十分ではないのか。ソフトを購入してオンラインで登録しようとすると、製品番号とメイルアドレスの他に姓名、性別、年齢、〒番号を含む住所、電話番号の記入を求められることが多い。メーカーが顧客と連絡を保つにはメールアドレスだけで十分であると思うが、その他の情報が必須として求められてそれを入力しないと先に進めなくなる。顧客について最小限の必要情報しか保持しないようにメーカーが頭を切り換えることが、ひいては自衛策となることをはやばやと覚って欲しいものである。メーカーが余分な個人情報集めを止めるとハッカーが攻撃を仕掛けないと言うのであれば、このようなハッカーこそ個人情報を自らの意思に反して出したくないと考える顧客の味方であるとの見方も成り立つのではなかろうか。

訂正(5月8日)

本文で《しかしこの3、4、5号機ですら1980年代に建設されたもの》と記したのはNYTの次の記事によるものであった。

Japan Orders Another Nuclear Plant to Shut Down Its Reactors
By HIROKO TABUCHI

In 2009, Hamaoka’s operator, the Chubu Electric Power Company, decommissioned the site’s two oldest reactors after deciding that upgrading them to withstand earthquake risks would be too costly. Those reactors were built in the 1970s, around the same time as those at the Fukushima Daiichi plant.

The power company argued that the remaining three reactors, built in the 1980s, were safe enough to withstand a major earthquake.
(May 6, 2011)

しかしこの部分は中部電力浜岡原発の設備データとは明らかに異なることに気付いたので、この設備データを紹介することで訂正としたい。


八百長相撲を文科省に垂れこんだ警察当局の正義とは  追記あり

2011-02-03 23:38:37 | 放言
相撲に八百長がつきものという思い込みは、昔から多くの日本人にあるのではなかろうか。少なくとも私はそうである。五分の星で千秋楽を迎えた力士が勝ち越すと、それも角番大関だととくに、何かやり取りがあったのではと勝手に勘ぐってしまうのである。それも大相撲の楽しみ方の一つで、力士仲間の互助精神と受け取ればそれだけのことなのである。八百長をより芸術的にやってくれれば娯楽としては上々なのである。私は悪役アメリカ人プロレスラーを徹底的にやっつけた力道山にしびれてしまったプロレス世代でもあるので、八百長で盛り上がるのを単純に否定する気にはならないのである。

そうかと言ってすべての力士が八百長に参加しているとは私は思わない。物事には100%確かと言うことはあり得ないから、八百長をする力士がいる反面、絶対に八百長はしないだろうな、いや、してほしくないと思う力士も大勢いるのである。白鵬はもちろんその後者である。八百長があってこそこれまで続いてきた大相撲であるから、われわれが長年観戦した大相撲で八百長が皆無という場所は皆無であったと言ってよかろう。そういう大相撲を楽しむ人は楽しんで来たのである。極論かも知れないが大相撲に八百長はすでに文化として定着していると考える方が素直であろう。なぜそれを素直に認めないのだろう。

大相撲についてはこれまでも私なりの考えを次のブログで述べてきたが、私は大相撲が日本独特の格闘技であるとは思うものの、本質は興行であってその意味ではプロレスととくに変わるものでもなし、娯楽の一種であると思っている。もともと大相撲を「国技」と言うのはいろんな思惑がらみの僭称にすぎず、その経緯を二番目のブログで紹介した。その目で見ると「国技」と言うのは呪文なのである。そう思ってみると今回の警察当局のやりかたが少々腑に落ちない。

日本相撲協会を「相撲特区」にすべし
相撲は国技にあらず?
朝青龍問題 日本相撲協会は『皇民化教育』を廃すべし

この問題が浮かび上がった経緯をasahi.comは次のように伝える。

 大相撲の野球賭博事件の捜査で警視庁が力士らの携帯電話のメールを調べる中で、相撲の取組で八百長が行われていたことをうかがわせる内容のメールが見つかっていたことがわかった。昨年の3月場所と5月場所の取組で八百長が行われたとみられる内容で、勝ち星を数十万円で売買していたととれるメールも含まれているという。

 警察当局は、日本相撲協会の監督官庁の文部科学省に連絡。文科省は2日、協会に対し外部の有識者でつくる協会内の委員会で調査し、結果を報告するよう求めた。協会は同日午後、東京・両国の国技館で緊急理事会を開き、対応の協議を始めた。(中略)

 八百長自体は犯罪に当たらず、刑事事件として立件される可能性は低いとみられる。
(2011年2月2日15時0分)

消したはずの携帯電話メールが復元されて、これまで裁判でも無いことになっていた八百長相撲の実態が明らかになったこと自体は、そこまで解析技術が進んでいるのかという意味では面白い。しかし具体的な証拠が挙がらないからこそ皆があると思い込んで、それなりに楽しんでいた八百長にこんな証拠を突きつけられるのは、知りたくないことを無理に知らされるようなものである。裁判では八百長が無いことになったのだからそのままにしておけばよいものを、私に言わせると今回の警察当局のやったことは、サンタクロースの正体がお父さんお母さんであると無理に子どもに吹き込んだようなものである。

報道では八百長自体は犯罪にあたらずとのことである。犯罪行為でないのに職務上知り得た情報を警察当局は一体どのような判断に基づいて文科省に通報したのだろう。警察庁の安藤隆春長官は3日の記者会見で、八百長疑惑を文部科学省に情報提供したことについて「公益性が高い事項と判断した」と述べている。しかし世の中には知らなくて良いことが沢山あると信じている私のような人間には、まったく要らざるお節介というものである。他にもやり方があっただろうに、直接文科省へとはどうもやりかたが薄汚い。

これからしばらくヒステリックな人々の動きが見られそうである。人間観察を楽しむこととしよう。


追記(2月4日)

《五分の星で千秋楽を迎えた力士が勝ち越すと、それも角番大関だととくに、何かやり取りがあったのではと勝手に勘ぐってしまうのである》と述べたことに関連して、次のような記事が現れた。

7勝7敗なら千秋楽の勝率75% 八百長、統計で証明?

 角界を揺るがす八百長疑惑。日本相撲協会の放駒理事長は2日の会見で「過去には一切なかった」と述べたが、11年間の星取表を調べ上げ、八百長の存在を統計的に示した2002年の学術論文が改めて注目を集めている。

 米シカゴ大のスティーブン・レビット教授(経済学)らは1989年から2000年までの十両以上の取組3万2千回以上を調べた。7勝7敗で迎えた力士の千秋楽での勝率は75%にもなった。

 勝ち越しをかけた一番で勝率が上がるのは八百長ではなく、力士が必死になるからという説明もあり得るが、同じ相手と次の場所以降で対戦したときの勝率は4割程度に下がっていた。

 教授らは、わざと負けることで借りを返したと分析。ただ、統計的には返し切れたとは言えず、残る分は金銭で埋めたのでは、とした。 (中略)

 今回、八百長の存在が明らかになったことについて、教授は2日、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に「驚いた、とは言えない」とコメントした。
(asahi.com 2011年2月4日14時6分)



米国・中国太平洋分割秘密協定、尖閣衝突事件、普天間基地問題

2010-09-24 22:20:37 | 放言
なんだか唐突に那覇地検が尖閣諸島沖でわが国の巡視船に衝突した中国漁船の船長を処分保留のまま釈放すると発表した。釈放の理由をなにか述べていたが、それはそれとして司法判断なら仕方があるまいと思いかけたのに、最後に「わが国国民への影響や、今度の日中関係を考慮した」との言葉を聞いた途端、これは政治判断であることを覚った。となると、政府は国民が十分納得出来るまで説明責任を果たすべきであると思う。この検事の一言は重い。それと同時にある妄想が湧いてきた。

9月だから思い出したというわけではないが、1939年9月1日、ナチス・ドイツの機械化部隊がポーランド領内に侵攻し、いわゆる電撃作戦によりポーランド軍の主力部隊を約二週間で壊滅状態にした。そして9月17日には今度はソ連軍が東部ポーランドに侵攻し10月5日にポーランド軍が降伏した。その結果、ポーランドはドイツとソ連によって東西に分割占領されたのである。ドイツ軍侵攻の約一週間前の8月23日にモスクワで独ソ不可侵条約が調印され、その際の秘密議定書にもとづくポーランドの最終処理であった。かくして第二次世界大戦が始まった。なぜこんな話を持ち出したかといえば、ひょっとして米国と中国の間で太平洋の覇権を巡って、分割支配の秘密協定が出来上がっているのではないかと妄想したからである。そうだとすると最近のいろんな動きが分かりやすくなるのである。

海軍力を著しく増強してきた中国が、東シナ海からさらに西太平洋へ積極的に進出を始めたことはすでに周知の事実で、太平洋の覇権を巡って米国と対峙するのはもう目前に迫っている。しかし両国にとって軍事的衝突ではなくて談合で問題が解決出来れば双方の利益に叶う。となればナチス・ドイツとソ連の間で結ばれたポーランド分割の取り決めがよいお手本である。かくして太平洋東西分割支配の秘密協定が結ばれた。あとはじっくり時間をかけて実効支配に至ればよいので、そのために米国と中国が互いの利益になるよう協力し合えばよいのである。米国は当面なにはともあれ普天間基地問題を自国の利益になる形で解決したい。太平洋の分割支配のためにも沖縄の基地は必要で、しかもその費用のすべてを日本に負担させればいうことがない。そのためにはどうすればよいのか。

日本国領土である尖閣諸島に中国がちょっかいをだせばよいのである。軍隊でもない自衛隊が単独で中国の侵攻を防ぐことはもとより論外である。とっくの昔に米国が骨抜きにしてしまったからである。米国はただ尖閣諸島には日米安保条約が適用されるとリップサービスをするだけでよい。今の菅内閣に日本の安全保障に普天間基地を今さら変更するわけにはいかないと言わせればよいのである。これで米国としては普天間基地問題は一挙に解決する。

これで中国は米国に貸しを作った。そのうえ中国にしても何か問題が生じた時、日本にどの程度の圧力をかけると屈服するかそれを試すのに今回の「尖閣衝突事件」はちょうどよいチャンスである。次々と言いがかりをつけ始めた。しかしこれは日本にしてもる中国の対日強硬姿勢が行き着く先を見極めるチャンスでもあると私は思っていたのに、はやばやと日本の不甲斐なさを世界に示す政治的結末がなされてしまった。私以上に中国も呆気にとられたことだろう。というわけでせっかくふくらみ始めた妄想が萎んでしまった。目出度しめでたし?

糖尿に群れ集まる蟻かと思いきや  追記あり

2010-09-01 23:15:27 | 放言
民主党代表選が菅直人首相と小沢一郎前幹事長の間で戦われることになった。もともと民主党政権に大きな期待を持っているわけでもなし、菅さんには菅内閣はなぜ衆議院解散・総選挙をしないのか  追記有りで述べたようにある期待はあったが裏切られたし、政治の話が鬱陶しくなってメディアの報道に耳目を塞いでいたが、今日ばかりは勝手に両陣営の決起集会?の模様がテレビニュースで飛び込んできた。

政局を面白くしたか小沢さん?で「やはり小沢さんは胡乱くさい。政治家のふりをした利殖家にはそろそろ政界からお引き取りいただこう」と述べたことがあるが、この方には早く政界から姿を消していただきたいと思っている。それがどうしたことか民主党代表選に立候補というから、言葉を失ってしまった。「政治とカネ」で幹事長を辞してまだ三か月ほどなのに、民主党内では早くも復権しているのだから恐れ入る。それを担いでいるのが今日の小沢支持の決起集会に集まった民主党議員の面々であるから、どういう顔ぶれかよく目に留めておこうと画面を凝視していたら目がぼやけてきて、なんとこの議員の方々が蟻に、それも立ち小便の糖尿にモゾモゾと群れ集まる蟻に見えてきたのである。これは不思議と目をパチパチとするとまたもとの人間の姿に戻ったが、私にはその正体を見てしまった思いであった。

「政治とカネ」の小沢さん、この二週間に及ぶ代表選挙の間にその正体を国民の目にいやというほど焼き付けていただこう。そういえば民主・小沢代表時代 山岡氏らに23億円 組織対策費の99% 使途不明の続編など、ぜひ目にしたいところである。

追記(9月2日朝)
ほぼ同じ時刻に公開された上脇博之さんのブログ、民主党「組織対策費」36億6010万円が使途不明~~やはり「第二自民党」!が、この問題を詳しく紹介している。ぜひお目通しあれ!


韓国併合条約から100年、菅首相談話なんて不要!

2010-08-05 20:29:42 | 放言
私はかっての在朝日本人として朝鮮問題には人一倍関心を持っているつもりではあるが、分からないことの方が遙かに多い。だからこそ気になる本が出るとつい手が出てしまう。最近も金賛汀著『韓国併合百年と「在日」』を読んでで、その読後感を述べたのもその一連のあらわれである。『新に学んだことが思いの外多いことに驚いた』と感想を述べた。

今日の朝日朝刊に次のような見出し記事が出ていた。ただし引用した記事はasahi.comのものである。


 菅直人首相は、29日に韓国併合条約発効100年を迎えるのを前に、過去の植民地支配への反省や未来志向の日韓関係を築く決意などを柱とする「談話」を発表する方針を固めた。韓国が日本の植民地支配からの解放を祝う15日の「光復節」の前に公表することを視野に調整している。(中略)

 また、談話の内容は、アジア諸国への植民地支配に対して「痛切な反省の意」と「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明した1995年の「村山談話」の枠内とする方針。また、戦後は良好な日韓関係が続いていることも明記し、未来に向けて前向きなメッセージも盛り込む方針だ。

 韓国国内では政府や研究者、市民団体などから、首相談話を求める声が強まっている。韓国政府は、談話が出るなら15日の「光復節」の前が望ましいとの意向を日本政府に伝えていた。
(2010年8月5日7時31分)

敗戦後50周年にあたって出されたいわゆる村山談話の「韓国併合」に関わりのあるところと言えば、次の箇所になるかと思う。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

この枠内で菅首相が談話を発表する予定らしいが、それならわざわざ談話を発表するまでもないではないか、と私は先ず思った。談話というものの、内容は謝罪である。それはすでに村山談話で済んでいるではないか。その謝罪を繰り返すたびにその重さが軽くなると感じるのは私一人ではあるまい。ましてや一国の総理の言である。ぺこぺこ頭を下げれば済むという問題ではない。韓国側からの働きかけがあったにせよ、屋上屋を重ねるような言説はまったく不要であると思う。というのも韓国併合にいかなる形であろうと関わりを持つ日本人は、韓国併合に至る過程とそれがもたらした結果に無関心ではあり得ず、私もその一人であるがそれぞれの思いで歴史を学び、先人の犯した罪を忸怩たる思いで分かち合っているのである。しかしその世代の日本人も齢を重ねるにつれて次第に姿を消し、国の内外で戦争を知らない世代が大勢を占めるようになった今、過去の植民地支配を謝るという実感があるはずがないのではなかろうか。

韓国併合のいきさつなど、中学、高校を通じて教室で教えて貰ったことはなかったが、私は自分の関心からまがりなりに勉強をしてきた。ところが同じかっての日本の植民地であった台湾のことについては、まったくと言ってよいほど知識がない。日清戦争に日本が勝ったおかげで台湾が清国から割譲され、朝鮮総督府と同じく台湾総督府があったということぐらいは知っているが、それまでである。その台湾に対して戦後日本が何をしたのか、それすらほとんど思い出せないだけに、朝鮮からの「談話要求」に未来志向ならぬ怨念を感じてしまう。

朝鮮の人に日本に対する怨念があるのは事実であろう。海野福寿著「韓国併合」(岩波新書)はこの問題についてよく書かれた本だと思うが、そのなかに「併合」なる言葉について次のような説明がある。


 ちなみに「併合」ということばは、草案作成にあたった倉地政務局長がえらんだ政治的造語だった。彼は日韓対等合併の印象を与えず、国家廃滅・領土編入でありながら刺激的でないことばとして、当時あまり使用されていなかった「併合」を用いたという。合併でもなく、併呑でもはいという意味だろう。

明治37年の日韓議定書、第一次日韓協約に始まり、翌38年の第二次日韓協約で韓国に対する保護権の確立、そして40年の第三次日韓協約を経て明治43年8月29日の韓国併合に関する条約で韓国は日本に併合されてしまった。その間、日本軍は韓国の義兵闘争に巻き込まれる。上記の本は

 朝鮮駐劄軍司令部編「朝鮮暴徒討伐誌」によれば、1907年から併合の10年にいたる4年間に公選回数2819回にのぼり、14万人の義兵がこれに参加した。このうち17688人の義兵の血が山野を染めた。

と述べている。これに対して呉善花著「韓国併合への道」(文春新書)は同じ資料をひきつつ、日本側の損害がわずかに死者133人、負傷者369人を数えたに過ぎないと記している。ちなみに義兵側の負傷者は3800人、捕虜1933人である。まるで義兵側の大量虐殺のような印象すら与える。こういうことを韓国人が学校教育で教え込まれると否応なしに怨念を引き継がざるを得ないであろう。そのせいか、先ほどの7時のNHKニュースで韓国に好意を持つ日本人が確か60%前後であったのに反して、日本に好意を持つ韓国人が28%という世論調査の結果が紹介されていた。

この結果を私なりに解釈すると、日本ではなまじっか韓国併合の歴史などを学校で教えないから、そういう過去の軛から解き放された自由な自分の目で今の韓国を見つめ、自分なりの心証を作り上げていく。それが世論調査の結果に反映しているのであろう。韓国が自国民にどういう教育を施そうとそれはそちらの自由で日本が干渉すべきことではない。しかし日本は日本である。確かにある意味では加害者でもあったことは事実であるので、その立場からは「過去は忘れましょう」とは言い難いが、すでに謝罪を行っているからには沈黙を守ることで「忘れましょう」のメッセージを送ることは可能であると思う。

歴史を中途半端に教えまた理解することよりも、知らずに済ませられることはそれもよいではないか。いずれは忘却のかなたにすべてが消えていく。どうせ菅首相の予定されている談話も、表面的な中途半端なものであることは目に見えている。沈黙を守ることで歴史に対する一つの姿勢を示す方がはるかに賢明である。それとももしかして、菅内閣が短命で終わることを予感し、せめて「菅談話」で自分の名前を後世に残そうと焦っているのだろうか。



日本相撲協会を「相撲特区」にすべし

2010-07-02 17:50:40 | 放言
今やマスメディアで大相撲・賭博問題がかまびすしい。何やかや騒がれながらも結局名古屋場所は開かれそうで、やはり銭勘定第一なのであろう。勧進相撲-おあしを取って見せる相撲-が大相撲の起こりであるからには至極もっともな成り行きで不思議とするに当たらない。そう思ってみると今の騒ぎは私の目には極めて異常に映る。

かれこれ3年ほど前になるが、相撲は国技にあらず?なる一文を認めたことがある。その中で「鳶魚江戸文庫4 相撲の話」(中公文庫)から次のような引用を行った。

この本の巻尾に山本博文氏が「相撲取りの生活」という一文を寄せており、そのなかに以下の文章があった。肝腎なところはもともとは新田一郎氏の文章のようであり、少々長いが引用させていただく。

《 相撲が「国技」になったという事実はない。それではなぜ現在相撲が「国技」だと称されているのであろうか。
 「国技」としての相撲は、明治四十二年(1909》五月、両国元町に落成した相撲の常設館が開館したとき、「国技館」と命名されたことに始まる。名称は直前まで決まらず、開館式のための小説家江見水蔭の起草した披露文に「相撲は日本の国技なり」という言葉があり、年寄尾車(をぐるま)がそれに着目して「国技館」の名称を提案したという(新田一郎『相撲の歴史』山川出版社)。
 つまり、相撲が「国技」だというのは、全くの美称であり、僭称でもあるのである。
 しかし、昭和天皇が相撲好きで、(中略)中日に国技館に赴き、相撲を見ることが慣例になっていた。このことが、相撲を「国技」と称しても誰も不思議に思わないという思考構造を生んだのだと思われる。(中略)
 それにしても「国技館」という名称に釣られて、無責任に相撲を国技だと称するマスコミは、少し問題があるのではなかろうか。このような架空の言説が、実体を生むことになる。(後略)》

論旨が実に単純明快、だから私は素直に納得した。とくに赤色で強調した部分に注目していただこう。言葉をかえれば「国技」なる言葉に重みをつけんがために、相撲協会が昭和天皇を上手に利用しただけのことなのである。この大相撲の権威付けには前例がある。「鳶魚江戸文庫4 相撲の話」によると寛政三(1791)年、江戸城吹上御庭で行われた十一代将軍家斉の上覧相撲がそれである。中入りの休憩を挟んで全八十二組の取り組みが行われ結びの一番は東西の両横綱小野川喜三郎と谷風梶之助の取り組みであった。長い間幕府から胡乱な目で見られ、相撲取りと「通り者」と同一視されていた当時、この上覧相撲が相撲に伝統の権威を付与することになったとされる。権威付けを必要とする体質が相撲の世界にあったのである。

「通り者」とはいわゆる無頼者のことである。だからこそ幕府から胡乱な目で見られていた。「鳶魚江戸文庫4 相撲の話」には元禄以来新しい相撲術が行われて、それまでの相撲が大変化するようになった、と述べて、それに引き続き次のような話がある。

それ以前の模様は、『色道大鏡』の「悪性」というところに、
  風呂相撲芝居兵法男だて三味蕎麦切りにばくち大酒
と書いてある。始末にならぬ悪性という中に、相撲が入っているというほど、厄介なものだったので、相撲の禁止ということも、この大厄介のためなのです。

とある。『色道大鏡』とは藤本箕山という人が書いたもので、延宝6(1678)年に16巻が成立、貞享5(1688)年以降に18巻成立したものである。この人は家督を継ぐが財産をすベて遊郭通いにつぎ込んだという粋人で、この書は諸国の遊里の風俗・習慣を記した江戸時代の評判記なのである。面白いことにこの『色道大鏡』の復刻版が最近出版されて、その一部を話題のGoogleブックスで見ることが出来るが、「悪性」は次のように説明されている。

悪性(あくしょう) 悪人(あくにん)のみをさしていふ詞(ことば)にあらず、當道(たうだう)にても、いたづらなる者をいふ。悪性(あくせう)を題する哥(うた)、
 風呂すまふ芝居兵法おとこだて
 しゃみそばきりにばくち大酒
此哥にて、此心をしるべし。

「いたづらなる者」とは「徒ら者」で、「岩波古語辞典」によれば「無用の者、怠け者(lazybonesこと私もこの範疇に入る)」に始まり、「不心得者、ろくでなし、ならず者」と説明が続く。これで分かるように相撲取りはその当時の人の目にもばくち打ちと同じように映っていたのである。『色道大鏡』の出たあとの元禄時代(1688-1703)を境に相撲術が大きく変化したとしてもこの「本性」が大きく変わることはなく、だからこそ上覧相撲の行われた後代の寛政三(1791)年にあっても、相撲取りは依然として「通り者」と見られていたのであろう。少々回りくどいことを述べたが、要するに歴史的には相撲取りはばくち打ちと切っても切れない関係にあったのであり、その伝統が今にも引き継がれていると思えば、今回のことも相撲取りが時代が変わったせいで野球賭博に手を出しただけのことで、何も驚くにあたらない、と言いたいのである。賭博があってこその相撲社会なのである。賭博を知らない人間がいかにも知ったかぶりの物言いで恐縮であるが、これが相撲社会についての私なりの受け取りようなのである。いいも悪いも昔からのものを引き継ぐ、伝統を守るとはそういうことなんだろうと思う。

私の感覚で言うとパチンコも賭博である。ばくちとは新明解国語辞典によると『金品をかけて、さいころ、トランプ、花札などの勝負事をすること。』なのであるが、パチンコはさいころの代わりにパチンコ台を使っているだけのことで、金品をかけているのとはまったく同じである。そのパチンコが1995年の過去最高といわれる30兆円以上の売り上げ高より減少傾向にあると言われながらも、2008年に24兆円超の売り上げを依然と誇っているところを見ると、賭博・ばくちの行為自体が排除すべき社会悪なのではなく、隠れて賭博・ばくちをやられると、税金を取り損ねるから悪いと言っているだけだろうと私は思ってしまう。だからこそその昔から『風呂相撲芝居兵法男だて三味蕎麦切りにばくち大酒』のように相撲もばくちも同列に見なされているのであろう。だから私は今でも共存すればよいと思っているが、問題にするとすればその共存あり方であろう。私は日本相撲協会を「相撲特区」にしてしまえばよいと思う。

やり方はその道の専門家が智慧を出せばよいのであって、大相撲が開かれている間はその場所に出かければあらゆるばくちを大ぴらに楽しめるようにすればよい。大相撲だけでなく、地方巡業でも、またそれぞれの相撲部屋でも、そこに行けば好きなばくちを楽しめるようにするのである。頭にちょんまげを結っている姿を見つけたら後をつけていく。すると必ずばくちが自由にやれる場所に行き着く。もちろん税金はたっぷりと徴収する。刑法を改正するのかどうか、またしないといけないのかどうか、私には分からないが、ある種の治外法権圏にすればよいのである。

そして「相撲特区」の極め付きは、相撲取りの手に入るあらゆる収入を無税にするのである。今日のasahi.comにも

 さらに表向きには収入として表れない、祝儀や小遣いが懐へ入ってくる。それでも昔に比べれば、不景気でタニマチからの金銭の授与は少なくなったという。十数年前には人気力士に1億円を渡し、床山にも2千万円以上をポンと渡した後援者がいたという。もちろん、税金の申告はされていない。

なんて記事が出てた。タニマチの大盤振る舞いも伝統の一つであったのに、ご祝儀を申告しないと脱税扱いされるようななったのだから、たまったものじゃない。タニマチのご祝儀を寄付金控除扱いにすればますます太っ腹のタニマチが現れ、相撲取りに否応なしに「土俵には金が埋まっている」ことを叩き込むことであろう。金で釣ることになるが、それに誘われて強い日本人力士が増えてくるのではないかと大いに期待するのである。私は以前に朝青龍問題 日本相撲協会は『皇民化教育』を廃すべし


大相撲が日本人力士だけでやっていけるのか。日本相撲協会が乾坤一擲の勝負にでる気構えがあるのなら、その再生の秘策を伝授するに私はやぶさかではない。

と述べたことがある。その再生の秘策として私が心に描いていたのが「相撲特区」における相撲取りのタックス・ヘイブン化であった。賭博問題で相撲協会が大揺れに揺れている今こそ、生き残りをかけてそれこそ乾坤一擲の勝負に打って出るチャンスであろうと嗾ける次第である。





伊丹空港が米軍基地だった頃 そして・・・

2010-05-17 14:55:32 | 放言
橋下大阪府知事が普天間基地の機能や訓練の分散移転について、関西での受け入れを検討すべきだとの考えを示している。「受け入れの優先順位が高いのは米軍基地のない地域だ。関西の優先順位が一番高い」というのがその理由と伝えられているが、それで思い出したのが伊丹空港がかって米軍基地であった頃の今は昔の話である。

私が大阪大学理学部に入学したのは昭和28(1953)年4月である。理学部と書いたが当時は前期の2年間を教養部で学び、その後理学部に進学してから2年間、専門教育を受けることになっていた。教養部は北校と南校とに別れており、前者は旧制浪速高等学校の、後者は旧制大阪高等学校の校舎を使っていた。私の通ったのは教養部北校で豊中市の待兼山にあり、三宮から阪急神戸線で十三まで行き、宝塚線に乗り換えて急行の停まる石橋で下車して待兼山まで歩いて登った。神戸の自宅から阪急三宮駅まで市電だったので、登校に片道2時間はたっぷりかかったと思うが、自宅から通える国立大学、というのが親から与えられた進学の条件だったのでこの通学も苦にはならなかった。なんせ朝鮮から身一つで引き揚げてきたサラリーマン家庭で、私は5人兄弟の一番上だったのである。

入学したときの記念写真が残っている。待兼山の一画なのだろうか、男子学生のほとんどが制服?に角帽姿の時代であった。


ここに大阪大学豊中キャンパスの地図がある。ただし昭和28年当時、この図の右斜め下半分の建物は存在しなかった。


⑨の説明に「大学教育実践センター 共通教育本館(イ号館)」とあるが、これが当時の北校校舎であろう。「ウィキペディア(Wikipedia)」で「浪速高等学校 (旧制)」の項目にこの建物の写真が掲載されており、「旧浪高高等科本館(現・阪大「イ号館」)」と説明されているからである。


ほとんどの講義はこの校舎の教室で受けたが、課目によってまれにバラック建築のような文科系の校舎でで聴講したような覚えがある。5月に入ると本館正面口に通じるスロープの両側にはツツジが咲き乱れ、あまりの立派さに大学に入った喜びをあらためて実感したものである。だんだんと暑くなるにつれ、教室の窓は開け放された。ところが講義の最中にジェット機の轟音が容赦なく入り込んでくる。窓を閉じても効き目はない。近くに飛行場のあることは分かっていたから、お互いに顔を見合わせては「しょうがないな」というような表情を交わすのである。もちろん講義は小休止であった。考えてみるとわれわれの世代は空襲の警戒警報で避難するのに慣れていたから、ジェット機の轟音をやり過ごすぐらいは屁のカッパ、こんなものだと諦めてうるさく騒ぎ立てることもなかった。なんせ日本は戦争に負けてしまったのだから仕方がなかったのである。

Google地図で見ると吹き出しのかたまっているところが大阪大学豊中キャンパスで、空港とはきわめて近いことが分かる。直線距離で2~4キロといったところである。その頃の空港の様子を紹介しているサイト、1950年代の大阪(伊丹)国際空港のよると、この伊丹空港は昭和20(1945)年9月に米軍に接収され、13年後の昭和33年に日本に返還されて大阪空港と改称されたことが分かる。従って私たちが北校に通っていた頃、伊丹空港が紛れもなく米軍基地であった。


豊中キャンパス図の明道館(学生サークル棟、22番)は、名称こそ昔のものであるが、元の場所より左斜め下に移動しているように感じる。昔の明道館の右斜め下あたりが運動場であったと思う。教養部であったから体育実技があって、この運動場で球技などをした。この運動場を見下ろす小高い丘があり、現在の地図で見ると刀根山寮(学生寮、24番)の辺りであろうか。ここが米軍キャンプになっていて全体が金網で区切られ、家族宿舎であろうか緑の芝生に明るい瀟洒な感じの家が建ち並んでいた。運動場から見上げると後年、黒澤明の「天国と地獄」で描かれたスラムを見下ろす高級住宅街の趣があった。暑い頃ともなると芝生の上に広げられた組み立て式のプールであろうか、そこではしゃぐ子供たちの声が風にのって届いたものである。10年経つかたたないうちに私たち家族がその米国本土に留学し、夢のような生活を送ることになろうとは思いもつかなかった。阪急宝塚線石橋駅の一つ手前に、普通しか停まらない蛍池駅がある。好奇心にまかせてそこから周辺を歩き回った。駐留米軍兵士相手の飲み屋が目立って、いかにも基地の街という雰囲気を感じた。もちろんこのような場所は神戸にもあり、今の南京街あたりの路地の至る所にこのような店があってとっくに探検済みであったので、それと同じ匂いを嗅いだのである。

私は日本からは米軍基地のすべてを追い出すべきであると思っている。しかし「ヤンキーゴーホーム」の意味がもはや通じない世代が大勢を占める今の日本で、米軍基地撤廃の声が一つに纏まることはまずあり得ないような気がする。国民の気持ちが一つになり得ないのは、やはり沖縄だけがその不条理の被害を被るだけで国民のほとんどにとって、他人事となってしまっているからであろう。占領下の情況を駐留米軍に再現して貰い、本土の人間が占領下にある屈辱を今改めて実感するようになれば、ひょっとすると「ヤンキーゴーホーム」の声がまとまって大きくなるのかも知れない、なんて破れかぶれに思ったりする。橋下大阪府知事がそこまで考えているのなら、米軍基地を再び関西に、という誘致案も一考に値するというものだ。かっての国体のように全国都道府県回り持ちで順番に基地を引き受けるともっと効果が上がることだろう。