日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

丸善心斎橋店閉店のニュースに接して

2005-07-31 15:48:46 | 読書

昨日(30日)の朝日夕刊に「さよなら『出版の街』 丸善心斎橋店閉店へ」の記事を見た。今日、7月31日で閉店だそうである。2年前に神戸から丸善が姿を消して今度は大阪でも、と一瞬淋しさを感じたが、記事をよく読んでみると9月に新装開店するそごう心斎橋店に現在の1.7倍の面積の新店がオープンするとのことなので安堵した。とはいえ私がかってよく訪れた青春の舞台が一つでも姿を消してしまうのは寂寥感を誘うものである。

手元に一冊の本がある。大きさは16.5 x 25.5 x 7cmで重さは秤量2kgの秤では針が振り切れてしまう。2.5kg前後はあるだろうか、タイトルは「ORGANIC CHEMISTRY BY PAUL KARRER」、有機化学の教科書で約980ページの大冊である。著者のPaul Karrerは1937年に「カロテノイド類、フラビン類およびビタミンA、B2の構造に関する研究」でノーベル化学賞を受賞したチューリッヒ大学教授。原書はドイツ語で書かれたものであるが英語訳も第一版が1938年に出版されて私の手元にあるのは1950年出版の英語第四版である。

この本にお目にかかったのが丸善心斎橋店で書棚に一冊だけ収まっていた。背表紙の一部が赤地になっていてORGANIC CHEMISTRYの文字が浮かび上がっているのが私の目を惹いた。手にとるとどっしりとした重量感と新知識を運んでくれる充実した内容に魅了されてしまった。無性に欲しくなったがおいそれと購入できる値段ではない。それ以来何回か店を訪れてご対面しては無事を確認しつつお金を貯め、ようやく手に入れたときは文字通り欣喜雀躍したものである。書き込みによると1955年2月18日でその後私の座右の一書となった。

大学では何人かの教授が手分けして有機化学の講義を担当していた。そのお一人がアミノ酸の研究で令名高き赤堀四郎先生で躊躇なくその講義を選択した。先輩たちからかねて耳にしていたことであったが、その評判通り講義される声がとても小さい。聞き取るだけで神経を消耗する。そこで先生の目を避けるようにしながらノートを取る代わりに講義をKARRERの本でチェックし始めた。すると当然のことながら『KARRER』のほうが遙かに分かりやすいのである。となるとわざわざ講義に出るまでもないということですっぽかし、それで試験を受けるだけでは失礼だからと単位を取ることを遠慮した。そして有機化学は他の教授の講義も受けることなくひたすら『KARRER』に親しんだのである。

今から思うとその頃の大学はとても自由で必修科目のような定めはなかった。学部に進学した最初のガイダンスで「せっかく生物学科に来たのだから修得した単位が数学ばっかり、なんてことにはならないように」と云われたのが今でも記憶に残っている。だから自分の思いのままに講義を選択できたのである。

大学4年の夏休みに天草にある九州大学の臨海実験所で実習することになった。私の大学の生物学科は戦後創設されたいわばアプレの学科で臨海実験所は他の大学のものを利用させていただいていた。それまでは京都大学の白浜臨海実験所が決まりのようであったが、化学科の学生が工場見学を名目に遠いところまで何泊かの遠征旅行に出かけるのが羨ましく思っていた。そこで級友たちと相談して出来るだけ遠いところ、例えば九州の天草の臨海実験所に行きたいと希望を出しそれが認められたのである。私もその前後あちらこちらを歩き回るべくルックザックを整えたが重さも顧みず『KARRER』をそのなかに忍ばせた。

長崎、熊本、鹿児島、宮崎などを二週間ぐらい歩き回ったが、その間『KARRER』はいつもルックザックに納まっていた。見物に忙しくて本を広げる時間はなかったが、絶えず背中を介して私の肌身に接していたせいで本の中身が私に浸透してしまったようである。その年の秋、大学院の入学試験で有機化学の設問にも自信をもって答えることができた。筆記試験のあとの口頭試問で赤堀先生が「君は有機化学を取っていないのによくできているね」と訝しげに仰ったのに「Karrerの本を何回も勉強しておりますので」と慎ましげにお答えしたものだった。

その後私が大学院に在学中の1960年代はじめに有機化学の教科書「L.F.Fieser,M.Fieser:Textbook of Organic Chemistry」が日本で学生たちから熱狂的に迎えられた。しかしこれはアメリカで流布している本そのものでなく日本で印刷製本されたもので丸善が刊行していた。一般に洋書そのもの値付けがべらぼうに高く学生が気軽に手を出せるものではなかったからそのような便法が取られたのであろう。Amazonを通して、場合によっては定価よりも安く購入できる今からは想像出来ない時代であった。


春秋社版「世界音楽全集」「山田耕筰全集」との出会い

2005-07-28 09:30:53 | 音楽・美術

新開地本通りを歩いていた。最近は滅多に通らないが時には郷愁に誘われのである。その度に街の様子が変わって見える。古いものが消え新しいものに変貌するのである。その一つ、本を野ざらしに山のように積み上げているのが目印だった古本屋が、ちゃんと開け閉めの効くドアの付いた建物中に納まっているのに気がついた。引き寄せられるように足を踏み入れたお陰で思いがけない幸運を拾った。

戦前の本がゴロゴロある。サイズも不揃いなある限りの本棚に分類もなにもなく本が放りこまれている。以前の店から埃もそのまま持ち込んだような店内なので、「不如帰」の時代の結核菌がうようよ漂っているような感じすらある。心もち息を詰めるようにしながら店内を見まわしていると、背文字もはっきり見えないような本が数冊並んでいてそれが私の目を捕らえた。手にとってよく見ると春秋社刊行の「世界音楽全集」でこれが五六冊。「山田耕筰全集」も一冊ある。昭和五年から六年の出版でサイズはほぼA4版、200ページを上まわり、上方の小口は天金である。函も痛んでいるが全部揃っている。

そのうちの一冊第十六巻「世界唱歌集」を開くと目次にあるのは217曲、その全楽譜が収録されているのである。曲のタイトルはすべて英語やドイツ語でそれに日本語訳がついている。歌詞もまたしかり。しかしそのすべてと云っていいほど、私の知らない曲ばかりで、辛うじて父が口ずさんでいた賛美歌「Nearer, My God, To Thee」を見つけたときはホッとした。私のまだ生まれていない頃の日本の何処で誰がこのような歌を歌っていたのだろうと好奇心が一挙に燃え上がった。

本のどこにも値段が記されていない。一冊だけをカウンターに持って行き茶髪のお婆さんに値段を尋ねた。もし店番をしているだけなら主人にでも声をかけるかと思ったのに、なんと函から本を取り出しパラパラめくるや奥付を見るやらまた全体を眺め入ったり、なかなか一声が出てこない。私の頭もそれに釣られて活動を始めた。もし300円や500円と言うのならやっぱり単なる店番、でも下手すると1000円以上言うかも知れないと見当をつけた。そこでようやく考えがまとまったか茶髪レディーが告げた値は1000円なり、これは昭和初めの本なのでこれでも安いという。しかし私は500円と既に決めたので、あるのをまとめて買うから一冊500円でいいでしょう、と交渉、勝利の女神は私の頭上に輝き五冊を手にしたのである。

茶髪レディーがウエットティッシュの容器を手渡してくれた。手を拭けというのである。言われてみたら手は文字通りドロドロ、それぐらい埃が堆積していたのである。何枚も使ってようやく手を綺麗にすることができた。

面白そうな曲をこれから探しだし、歌仲間で復活させていくのが楽しみだ。

ちなみに帰宅してからインターネットで調べてみると、同じシリーズの本が二冊、函欠、少痛が1800円で売りに出ていた。

竜頭蛇尾に終わった朝日新聞 ―「NHK番組改変問題 報告」を読んで

2005-07-25 15:47:22 | 社会・政治
今朝の朝日新聞10版34,35ページの両面に「NHK番組改変問題 報告」なる記事が掲載された。「NHK番組改変問題」とは同じ紙面のメモから引用すると《朝日新聞は今年1月12日付朝刊で、00年12月に開かれた「女性国際戦犯法廷」を素材にしたNHKの特集番組をめぐり、中川昭一、安倍晋三両衆院議員が放送前日の01年1月29日にNHK幹部を呼んで、内容の偏りを指摘し、NHKが内容を変えて同月30日に放送した、とする記事を掲載した。》とのことである。

この出来事からほぼ半年後にこの「NHK番組改変問題 報告」(以下『報告』とする)を発表することを朝日新聞は以下のように説明している。

《朝日新聞は今年1月12日付朝刊で、政治家の発言が圧力になり、NHKが番組内容を改変したと報道しました。これに対しNHKや政治家が抗議し、記事の根拠の一つだったNHK幹部の証言の内容や、取材のあり方などをめぐり論議が続きました。朝日新聞はこの間、さまざまなご指摘を受け止め、取材についても検証を続けてきました。発端の報道から半年を経たのを機に、番組改変問題とその取材過程について、改めてまとめてご報告します。》

『云いっぱなし』に終わらせずに『検証』を行おうとした姿勢は評価したいが、この『報告』に目を通して私の第一印象は半年前の疑問が何一つ明らかにされていない、ということであった。

まず事実関係である。政治家がNHK幹部を番組放映前にわざわざ呼びつけて番組の具体的な箇所の改変を要求し、その結果NHKが要求通りに番組を改変したという事実が証明されれば朝日新聞の記事は裏付けを得たことになる。

ところが政治家とNHK側の接触について『報告』ではこう述べている。

《記事中の(1)中川氏が放送前日にNHK幹部に会った(2)中川、安倍両氏がNHK幹部を呼んだ、という部分に疑問が寄せられていました。(中略)
 しかし、当事者が否定に転じたいま、記事が示した事実のうち、(1)(2)については、これらを直接裏付ける新たな文書や証言は得られておらず、真相がどうだったのか、十分に迫り切れていません。この点は率直に認め、教訓としたいと思います。》

『呼びつけた』のかどうか、中川氏に関しては『放送前日にNHK幹部に会った』のかどうか、『圧力』と断ずる前提が成り立たないのである。これだけの時間とエネルギーを費やしてもこの前提を実証できなかったことは、ブッシュ大統領の『イラクの大量破壊兵器』と同類のガセネタであると云われても反論できないであろう。『圧力』と断ずる前提が崩れたのである。

さらに付け加えると、何をもって『政治家の圧力』と云うのか、朝日新聞の詰めが極めて甘いから説得力を欠く。なぜ甘いというのか「取材の総括」にある記事に基づいて具体的に指摘しよう。このような記述にご注目いただきたい。

《その追加取材の結果は、この特集で詳細にお示しした通りです。最も重要な点は、安倍氏ら政治家と会ってきたばかりの国会担当局長が、番組の修正を細部にわたって指揮していたことです。その修正内容は、番組を問題視していた政治家たちの主張に重なるものでした。》

この記事を素直に読む限り番組の修正を細部にわたって指揮するとは、どの場面をどうするという具体的な指示をした、ということである。そしてその修正内容は、番組を問題視していた政治家たちの主張に重なるというからには、その具体的な指示が政治家から出たとの『確証』があってのことと私は受け取る。

朝日新聞によるとNHK国会担当局長の具体的な指示による改変箇所は以下のようにまとめられている。

①法廷を評価する米山マサ・準教授らの発言の一部を削除
②日本国、昭和天皇に責任があるなどとする法廷の結論部分を削除
③法廷を批判する秦郁彦教授の発言部分をさらに追加

安部氏、もしくは中川氏がどのような状況でこの具体的な指示を与えたのかの『証拠』を示さないといけない。その証拠の提示無しにその修正内容は、番組を問題視していた政治家たちの主張に重なると記しているのであれば、これは読者を欺いたことになる。

私の読み方が至らないのかこの『報告』のどの部分にも安部氏もしくは中川氏からの具体的な指摘・要求の裏付け取材が無いのである。詰めが甘いと言われても致し方あるまい。その甘さの程度はこのようなものである。一月の記事掲載前の松尾放送総局長への取材記事の中でこのような箇所がある。

《― (記者)具体的にここをはずせとか
(総局長)「そういうことは向こうは知らない。うわさで知っているだけ。先生はなかなか頭がいいからストレートには言わない。『勘ぐれ、お前』みたいな。安部さんをかばうつもりはないが」》

多分この『勘ぐれ、お前』あたりが実情ではなかろうか。この程度のことを政治家に言われて『圧力』だと騒ぎ立てるのは朝日新聞の記者の中にもいないであろう。

次の問題点は依然として『取材源の秘匿』に固執していることである。「読者の皆様へ」でこう述べている。
《 取材・報道に関して、朝日新聞は「取材のプロセスや取材内容の詳細は原則として明らかにしない」という姿勢をとってきました。相手が誰であれ、報道する側の都合で勝手にそれらを公表していては、取材行為全般が信頼を失い、将来の自由な報道に支障ついて詳細には明らかにできないと考えています。》

この方針を是とすることでこの半年間に何か得ることがあり、進歩があっただろうか。答は否である。私はかってブログで朝日新聞対NHK、『取材源の秘匿』は騙しの手口にもなると論じた。『新聞記事』が『ご託宣』として通じた時代はもう終わった。『取材源の秘匿』で検証ができない記事は読者にとって一文の価値もないことを新聞社はいいかげん学ばないといけない

そしてこの『報告』は私の最大疑問に何も答えていない。私のブログから再度引用する。

《朝日新聞の報じた内容は、4年前に起こったことについてである。「賞味期限」はとっくに切れている大昔の話である。「云った云わぬ」のやりとりも、そもそもは4年前の出来事を巡ってのことである。お互いがどれぐらい確信をもって主張できるのか。

私ごとで云えば、4年前の日常化している行動の時間経緯なんて、はるか忘却の彼方である。事実、安部氏がNHKの人たちと会ったと伝えられる場所が変わってきている。当たり前のことであろう。場所はまだ記憶に残りやすい。それより形のない会談内容が一体どれぐらいの確度で再現できると云うのか。「賞味期限」切れ「ニュース」の中身とはどのようなものであろう。

「賞味期限」切れ、これを食べ物にたとえるなら、悪臭を放つ腐敗物をすらとっくに通り越して「土壌」に化しているものなのである。これを朝日新聞は「商品」としたのである。》

「取材の総括」では《1月12日付記事のきっかけとなったのは、「政治家の圧力で番組が改変された」というNHKの担当デスクの内部告発でした。》とだけ述べられている。この『内部告発』にいちはやく飛びついたのが何故朝日新聞だったのか、それを知る手がかりはどこにも見当たらない。

《「圧力で改変」より明確に》、と大きな活字が躍っている『報告』ではあるが、この大きな活字でも『取材』の杜撰さ、甘さは隠しきれなかったようである。



森村泰昌展「フェルメールの部屋」に出かけたけれど・・

2005-07-24 15:16:29 | 音楽・美術

新聞夕刊に森村泰昌展「フェルメールの部屋」の紹介が載っていて「これは面白そう」と思った。ウイーン美術史美術館所蔵の「絵画芸術の寓意」に描かれている画家のアトリエを再現し、その中で森村氏が登場人物である画家とモデル?になりきって、いわば内側からフェルメールの絵の秘密を解きほぐすのだそうである。

大阪市営地下鉄堺筋線を北浜駅で下車、2号出口から地上に出ると歩行者信号が目に入る。横断歩道を渡り10メートル行くか行かないうちに新井ビルの前に出た。入り口から覗き込んだところエレベータが見当たらない。もう一方の端にある入り口は喫茶店かレストランに通じているようである。そうか、建物が古そうだし四階までなのでエレベーターはついていないんだ、と自分に言って聞かせてかなり急な階段をグルグル周りながら登り会場のある四階にたどり着いた。

ドアを開けると新聞に写真で紹介されていた光景、床の黒白の格子模様が目に飛び込んだ。正面には「絵画芸術の寓意」の複製画のようなものが掲げられていて、天井からはシャンデリアのコピーが釣り下がっている。画架とか椅子にテーブルなどが配置されており、壁には複製画が何点か掲示されている。どのようなものだろうと意気込んできた割には簡素なセットなので、ちょっと気が削がれた

部屋の中央に置かれた額縁に嵌められた液晶にビデオの再生か動画が現れていた。「絵画芸術の寓意」の画面に画家とモデルが浮かんできたり忽然と消えたりするのである。この動画では確かにフェルメールの絵がかなり迫真的に再現されているのであるが、目の前の部屋の様子とは大違いでその関連がはっきりしなかった。

入り口で手にしたパンフレットにはこのように説明されているのである。《森村は、昨年日本で公開されたウイーン美術史美術館収蔵の「画家のアトリエ(絵画芸術)」をモチーフに、モリムラ版フェルメール作品を制作。フェルメールの作品制作の秘密を独自の視点で解き明かしました。国立国際美術館の展示室で大規模なセットを組んで行われたプロジェクトの模様はNHKの「新日曜美術館」で放映され反響を呼びます。正面中央に展示している大きいキャンバスの作品がそれです》

ビデオで再生されていた映像は多分NHKで放映されたものなのだろう。原画のポイントであるカーテンとか天井の梁も再現されているようである。それで分かった。このセットはその素材だったのである。しかもそれがぶっきらぼうに展示されているだけ。森村氏がこの試みで会得したフェルメールの絵の奥にあるものが何であったのか、その提示が不足しているのである。

それで思いだしたのがフェルメールを主人公にしたTracy Chevalierの小説「Girl With A Pearl Earring」と、それに基づいた映画「真珠の首飾りの少女」である。



この映画では当時の街並みに家屋、そこで営まれる人々の暮らしなど風俗衣装などが極めてリアルと思えるように作られていて、時代考証がしっかりとされているような印象を受けた。私はその世界を外から眺めるだけであったのだが、森村氏はその中に実際に身を置きたくなったのであろう。だからこそ異なった視点からの反応をもっと強く何らかの形で表して欲しかった。

この展示は私にとっては期待が裏切られたが、それを補ってくれたのがこの建物、新井ビルである。1922年に竣工したこのビルは旧報徳銀行大阪支店として使われていたそうで、現在は国・登録有形文化財となっている。戦前の懐かしい日本の香りがする。ヨーロッパでこのような建物をよくペンションなどに利用している。この階段が取り囲む空間をエレベータが上下すればちょうどいいな、と思いながら上から見下ろしてシャッターを切ったのがトップの写真である。

制限速度の怪 ― 出鱈目な制限速度設定

2005-07-22 22:48:05 | 社会・政治
かれこれ40年前にアメリカで生活していた頃、土日となると必ず車で何処かに出かけていたし、その後3、4ヶ月の帯米生活を繰り返したときも休みになると車を走らせていた。運転が快適なのである。その間、スピードオーバーとか駐車違反とかで警察のお世話になることは一切なかった。友人が買ったばかりの新車でニューヨーク市にでかけ、街角にちょっと停めて用足しをして戻ってきたところ車が見当たらず、駐車違反でレッカー車で牽引されてしまったことが私の知る唯一の駐車違反の実例であった。一方スピード違反で警察に捕まった話は私の周辺では見聞きしなかった。

私の限られた経験であるが、アメリカではスピード違反が出来にくいようになっているのである。道路だけが走っているような人家のないところから町にさしかかると制限速度が段階的に下がって町中では25マイル以下になる。町中ではたとえ何時人が道を横切ろうと、制限速度を守っている限り直ぐにブレーキを踏むとちゃんとその手前で止まってくれる。また森の中、山の中に入っていくと15マイルに制限速度が低くなることがままあるが、その速度で走っている限りハンドル操作に不安を感じることはない。すなわちアメリカでは制限速度が極めて合理的に設定されていて、制限速度を守っている限りストレスなしの安全運転が出来るのである。従ってアメリカでは日本人が不思議に思うほど皆制限速度を几帳面に守っている。

Toll道路でも事情は変わらない。制限速度の車を追い越していく車はほとんど見当たらない。皆同じように制限速度で淡々と車を走らせているのである。ある時バックミラーで確認した後続車は2時間経っても同じように後ろを走っていた。3時間ぐらい経っただろうかクラクションが聞こえる。横をを見ると後ろにいた車が併走して私に合図を送っているのだった。私が見たことを確かめたのだろう、ドライバーが大きく手を振ってやがて側道に逸れていった。直接の言葉のやりとりはないけれど、同じ方面を向いて走っていく者同士、旅は道連れなのである。お互いが相手の存在を確認し合いながら車を走らせていく間に連帯感が生まれてきてそれがまた運転マナーに反映される、とでも云ったらいいのだろうか。

ひるがえって日本での制限速度設定の出鱈目ぶりは犯罪的でもある。

私は神戸のやや山側に住んでいるので京都に出かけるときでも海沿いの阪神高速3号線から名神に入るのではなく、阪神高速7号線(北神戸線7)から中国縦貫、名神と乗り継ぐ。裏日本に抜けるのも先ずは阪神高速7号線に乗る。問題はこの7号線で全線60キロ制限、ところがこの速度を守っている車は皆無と云っても過言ではない。片道2車線の立派な自動車道路、80キロぐらいが普通、100キロ前後の車も珍しくはない。制限速度と現実の運転速度が乖離している典型的な例と云えよう。時にはパトカーに停められている車を見かける。多分速度違反容疑であろうが、その原因といえば恣意的に極めて低く設定した制限速度にあると云って良い。速度違反を犯罪というのであればそれを引きおこしたのが合理性を欠く出鱈目な制限速度、だからその設定が犯罪的であると私は断じるのである。

私はこの制限速度の設定一つを取り上げても、ここに管理者・行政の怠慢を見る。道路は利用者のためのものである。利用者が安全にかつストレスを感じることなく快適に車を走らせることの出来る速度設定を元来は設定すべきである。しかし現実には管理者側が制限速度を低くすれば安全運転になるであろうとの安易な思い込みだけ惰性的に決めているに過ぎない、と私は思う。視点がまったく逆転している。

規制と現実の乖離が規則に対する利用者の不信感を呼び起こし、気がつけば全員がそれを無視する結果になるなど、法の軽視を引き起こす大きな原因ともなっている。日本全国で制限速度を誰もがそれを守ることで安心感を持って運転できる基準に改めるべきである。

阪神高速7号線の延長道路でネズミ取りに引っかかり、心ならずも12000円かの罰金を払わされただけに私の提言は真剣である

明石海峡の上に立つ

2005-07-21 17:47:43 | Weblog

明石海峡大橋は世界一の吊り橋だそうである。橋の全長が3911メートルでケーブルを支える二つの主塔間の長さが1991メートル。二位のグレートベルト・イースト橋(デンマーク)は主塔間が1624メートルであるから文句なしに世界一。小学生でも知っているようなことを知って感激しているのも、今日始めてそこに登ってきたからである。

橋そのものは何回か車やバスで通ったが、今日は車の通り道の直ぐ下に設けられた遊歩道を歩いてきたのである。JR舞子駅の海側にある舞子海上プロムナードは明石海峡大橋の体験展望施設である。《スリルを体験したいのなら「海上47メートルの丸木橋」をおすすめします》の案内に釣られて入場券を240円(土日祝は300円)で買った。エレベーターに乗り八階で降りる。遊歩道から展望ラウンジそしてたどり着いた展望広場は既に150メートルほど海上に突き出たところにあり、そこに「海上47メートルの丸木橋」がある。

海面から47メートルの高さで落ちないよう両手を広げバランスを取りながら丸木橋を渡るのはスリル満点と意気込んだのに、なんとこの期待は裏切られた。確かに47メートル下の海面は見下ろすことができたが、それは強化プラスチックかガラス越しで、その透明な床の上に申し訳に丸木橋が渡されているだけなのである。なんとかスリルをと子どもが見ていないことを確かめて『透明床』の上で二三回飛び跳ねたが床が割れることもなかった。

スリルはともかく橋の上からの眺望はまさに絶景である。見通しがきくときは小豆島から高松まで見えるそうであるが、今日は残念ながら先は靄で翳んでいた。橋の上で風の心地よいこと、週日のせいか人出も程々で窓向きの椅子席もたっぷりと空いている。これなら一日中でも過ごすことができるなと思ったが、同じように考える人が管理者にいたとみえて、高齢者は無料になるどころか割引さえなかった。

携帯電話の電源をなぜ切らないといけないのか

2005-07-20 11:17:08 | 社会・政治

阪急電車で時々先頭車両もしくは最後尾の車両に乗ることがある。するとお目にかかるのが「この車両では、携帯電話の電源をお切りください」と書かれたステッカーで窓ガラスや扉などにベタベタ貼られている。そしてさらに目に付くのがそのステッカーを無視して堂々と携帯電話に見入っている何人かの乗客である。

こういうことがあった。梅田から新開地行きの先頭車両に乗り込んだ時、横に座った女性が携帯電話を開きかけた。そこに乗務を終えた車掌が通りかかり、その女性に「携帯をお使いになるのなら別の車両でどうぞ」と注意をして去った。なかなか好感の持てる車掌の態度であった。

しかし向かいの座席に腰を下ろした男性二人が携帯を取り出し使い始めた。頭の上、向かいの窓ガラスにステッカーが貼られているにもかかわらず、である。そして車内放送で注意が促されたのにもかかわらず、である。梅田を発車、十三を過ぎても相変わらず使用継続中。私は気になりだした。この男性はステッカーが目に入らなかったのだろうか、放送も聞こえなかったのだろうか、それとも先頭車両に乗っているとの認識がないのだろうか、何をしているのだろう、メールを読んでいるのだろうか、ダウンロードした小説でも読んでいるのだろうか、指が余り動いていないのでゲームではなさそうだ、携帯を開けたまま居眠りしているのだろうか、とにかく思うこと頻である。

西宮北口を過ぎ岡本を過ぎてもこの二人は一心不乱に携帯に見入っている。乗客が乗り込み座席を詰めるときも一切顔を上に上げることをしない。顔を上げて室内を見まわすとステッカーが目に入るはずである。それが頑なに、とも思える
ほど顔を上げない。ひょっとしてこの二人は確信犯で阪急電車が勝手にこの車両では電源を切れと指図していることに抗議の意思を示しているのだろうか、とも思った。

考えてみるとなぜこの車両で携帯電話の電源を切らないといけないのか私にも分からなかった。かっては車中の声高な携帯でのやりとりに悩まされたが、嬉しいことに最近はこのような光景は珍しくなった。これは日本人のなし得た奇蹟かな、と私は誇らしげに思うのである。また「ペースメーカの乗客に迷惑をかけるから電源を切って下さい」とのアナウンスが消えたのも好ましい。一車両に平均何人のペースメーカー着用者が乗っているのか知らないが、着用者を『ダシ』にするような呼びかけはなかろう、とかねがね思っていたからである。

携帯メールのやりとりは社会現象として定着して来つつある。『有声通話』さえなければ車両の中であろうと私は気にならなくなった。それなのになぜある特定の車両で携帯の電源を切れというのだろう。その意図が私には見えてこなかった。何事も大勢の人の同意と協力を得ようと思えば、その意図が理解されなければならない。その意図がまったく見えてこないのである。

なるほどペースメーカー着用者の不安はあるだろう。しかしいくら携帯の電源を切るように定められた車両があっても現実にそれが守られていない以上、着用者にとってもなんの利点にもならない。自衛策を採っていただくのはもちろんのこと、『保護』のための何か有効な方策を積極的に考えた方がいい。車のドライバーに「若葉マーク」「枯葉マーク」が用意されているのと同様、「ペースメーカー着用者」の明示も携帯使用者の注意を喚起する一つの方策であろう。

私の気を引いた二人の男性乗客の一人は三宮まで、もう一人は終点の新開地まで携帯電話を開き放しであった。三宮からは携帯電話を見ながら乗り込んできた女性は立ったままずっと見入っていた。さらには居眠りをしていた別の男性は呼び出し音でおもむろに目を覚ました。要するに『電源オフ車両』がまったく機能していないと断言して良いのである。阪急電車のこの現状をどのように捉えているかぜひお聞きしたいものである。

なぜ特定の車両で携帯電話の電源を切らないといけないのか、私には分からなかったのでインターネットで調べてみた。すると阪急電車の「携帯電話の終日電源オフ車両のご案内」に《阪急電鉄では、携帯電話の電源オフを望むお客様と電源を切ることのできないお客様の双方に配慮し、やさしい鉄道をめざして「携帯電話の終日電源オフ車両」を設定しています》との説明があった。分かる人には分かる、分からない人には分からない説明である。

要するに理由はそれぞれあろうが《携帯電話の電源オフを望むお客様》に配慮した処置と受け取って良かろう。しかし現実にはどうか。私が述べてきたように阪急電車は『電源オフ車両』で『電源オン乗客』の横行を漫然と許しており、乗客の要望には決して応えていないのである。阪急電車は乗客のマナーに頼りたいのであろうがそれはあくまでも願望、現実にそれが働いていない以上実効のある手段を採らないとサービス業の看板を下ろしたことになる。

繰り返すが私は『電源オフ車両』を設ける必要はないと考えている。余計なものを作るからかえってそれを守らない乗客の存在にイライラさせられるなんてまったく損をするだけだから。

でも阪急電車があくまでも『乗客の要望』に真摯に応える気があるのなら、見せかけだけの中途半端な対応はいけない。小林一三氏おわせばきつく一喝されることであろう。徹底的に『電源オン乗客』を無くさないといけない。そこで提案だが私のような暇人をボランティアとして募集するのはどうであろう。『携帯電話電源オフ促進襷』を肩からかけたボランティアが、鞄に仕舞われた携帯電話までチェックはしないが、少なくとも携帯電話を開いている乗客には即注意して電源を切らせるのである。それだけで実効の上がることは確実。もちろんボランティアは無報酬でよい。ただ殴りかかる乗客がいるかもしれないので傷害保険ぐらいはかけていただくとする。

「花まんま」の楽しさ

2005-07-18 13:26:40 | 読書

この度第133回芥川賞・直木賞の発表があった。芥川賞受賞作品はいずれ「文藝春秋」に掲載されるのでそれでお目にかかることにして、直木賞の朱川湊人著「花まんま」はもし書店で見つかれば読みたいなと思った。というのは《受賞作は大阪の路地裏を舞台に、怪奇色をにじませながら子どもたちの心を丁寧に描く短編集》と新聞に紹介されていて、『大阪の路地裏』『怪奇色』『子どもたちの心』が私のノスタルジーを刺激したのである。

三宮の書店に出向くと話題作の棚に2冊だけ立てかけられていたので早速購入した。奥付に2005年4月25日に第一刷発行、6月30日に第二刷発行とあった。

『帯』の後ろ側に各短編が要約されている。

トカビの夜
 あの日、死んだデェンホが
 私の部屋に現れた

妖精生物
 大人を知らぬ少女を虜にした、
 その甘美な感触

摩訶不思議
 おっちゃんの葬式で霊柩車が
 動かなくなった理由

花まんま
 妹が突然、誰かの生まれ
 変わりと言い始めたら

送りん婆
 耳元で囁くと、人を死に
 至らせる呪文『送り言葉』

凍蝶
 墓地で出会った蝶のように
 美しい女性は今どこに

トカビの夜を読んだ。
面白い。
童心に帰る。60年を瞬時にして舞い戻る。
一編ずつじっくりと楽しみながら読んでいこうと思っていたのに、途中で本を置くことが出来ない。これこそ英語で言う『page turner』なんだと思いながら一気に読み終えてしまった。

紹介に『怪奇色』とあったので、この梅雨明けの暑気払いにとってつけたような『怪談』では承知しないぞと少々身構えたがそれは全くの杞憂、さすが直木賞受賞作、そんなちゃちな造りではないのである。『非日常の話』と『日常の話』がまったくシームレスに組み上げられているから『非日常の話』の迫真性が高まり『朱川ワールド』の抒情が深まる。古事記の世界でもある。

私の好みで云えば花まんま摩訶不思議。この本を「ブックオフ」に持って行くわけにはいかない。私の書棚に安住の場所を作った。

ロンドン同時多発テロに対する英国民の反応

2005-07-17 15:36:08 | 社会・政治

この度のロンドン同時多発テロについてBBCが英国民に加えてアメリカそのたの外国人110人ほどの意見を集約してインターネット上に公開している。公開意見の選択にはBBCの意向も働いているだろうが、意見全体はバランスのとれたものであるというのがBBCの評価である。

この意見に目を通して私は『成熟した英国民』という印象をもった。

アメリカ人というかブッシュ大統領の反応と比べてみたらよく分かる。
ブッシュ大統領は『報復』を声高らかに宣言した。
そして『イラク戦争』をひきおこし、今泥沼に足を取られている。

ニューヨークの市民とは異なりロンドンは第二次大戦中は独逸軍の空襲とロケット攻撃を受け、また戦後も七〇年代から九〇年代初めにかけIRAによる爆弾テロを経験している。この体験が冷静な対応をもたらしたとも云えよう。

英国民は『報復』に走ることは自分自身をテロリストにすることだと冷静に事態を眺めている。無辜のイスラム教徒に仕返しをはかることはテロリストと同列に身を置くことになるとも。そしてテロを生み出すのは自分の国にたいする憎しみではないかと考える。英国の力がその『多様性』にある以上、それを支える多様な宗教と文化をより深く理解し合うことで『憎悪』の生まれる余地を無くそうと訴える。『報復』ではなく『人心の
統一』を表に打ち出すのである。

犯人が英国民であったことに感情的な混乱は見当たらない。
英国民であるがゆえに家族の全面的な協力を得て今回のテロの背景とか経緯、そしてあらゆる徴候を明らかにしていくことがより容易になるのではないかとの期待感すら見受ける。4人の実行犯がいずれも18才から30才までの若者であることから、誰が道を誤らせ一切を手配したのか、背後にある首謀者の追求が急務と訴える。

従って犯人の家族に対しての同情も隠さない。自分の息子を失った悲しみに加えて息子たちの行為が宗教的な憎しみ合いを引き起こし国論を分裂させかねない事態を引き起こしたことを知った家族の破滅的な状況はいかばかりか、と心を寄せるのである。

英国のブレア政権は全住民対象の「国民IDカード」の導入をかねてから推し進めてきた。「不法就労や不法移民、テロ、社会保障の不正利用などを防ぐうえで不可欠」と首相は主張している。《カードには氏名、住所、性別、生年月日、顔写真のほか、ICチップに、指紋、虹彩、顔識別情報を記録させる。カードを常に携帯する義務はないが、社会保険の手続きや証明書発行など公共サービスを利用する際に必要になるという》

今回のような自爆テロを含む確信犯に対してこのIDカードが犯行の抑制に働くとは思えない。これとの関連で「ロンドンの住人が仕事に戻り平生に業務を遂行していくことがIDカード代わりになるではないか」との呼びかけがあるが、これは英国民の素直な心意気ではなかろうか。

テロの翌日からロンドン名物二階建てバスの運行が再開されている。テロの脅しに負けず普通の生活を続けていくとの意思表示である。ロンドン市民が仕事にいつもと同じように出かけ、子供を公園に連れて行き、パブで談論に興じまたショーも楽しむ。この行動こそがテロに屈しない英国民の強力な意思の誇示である。ここに成熟した英国民の偉大さがある。

昔『内務班』今『相撲部屋』?

2005-07-15 13:23:49 | 社会・政治
昼食を家で摂るときはテレビを観ながらということが多い。私はかねてからいわゆるワイドショー的な番組など不必要と思っているので、『あら探し』のためにけっこう熱心に観ている。こんな場面があった。

先週だったか仰天シーンにお目にかかったのである。貴乃花親方が多分竹刀だと思うが、それで稽古中の弟子をビシビシと情け容赦なしに叩いているのである。奈良の『騒音おばちゃん』が蒲団をバシバシ叩いているのもけっこう迫力があったが、元横綱の力業の前には一挙に翳んでしまう、それぐらいのド迫力なのである。映画でしか見たことがないが、旧日本陸軍の内務班でのしごきや、遊女屋の折檻部屋で天井から縄でぶら下げられた『女郎』が竹刀で折檻を受けるシーンを連想してしまった。

『監獄』でもあるまいし、あれは人権侵害ではないか、人権擁護局に通報して、と一瞬思ったがふと考え直した。

相撲界はこのご時世に地毛で丁髷を結っている人たちが集い合う特異な集団である。もしかして外からは計り知ることのできない『秘儀』が数多く伝えられていて、『竹刀叩き』もその一つなのかも知れないと思ったからである。

日本人の好きな『霜降り肉』、アメリカの牛と違って日本の牛はより長い期間、わざわざアメリカなどから輸入した穀物飼料を与えられ、時にはマッサージまでして貰って大事に育てられる。そして高価な肉牛に変身している。牛と同じにするわけではないが力士も身体が元手、何はともあれ立派な身体を作り上げないといけない。『ちゃんこ』で身体を膨らませては『竹刀叩き』で引き締めているのかも知れない。

それに、身体が段々と大きくなって引き締まってくると竹刀で叩かれるぐらいで何の痛みも感じないのかも知れない。そして相撲取りらしい身体が出来上がっていく。それなら『竹刀叩き』を外の人間があれこれ取りざたするのはお門違いということにもなる。

時にはこのようなどうでもいいことを視聴者に考えさすから、ワイドショー的な番組はやはり永遠なのであろうか。