日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「パイプのけむり」から溲瓶 

2008-07-31 18:47:49 | 読書
6月のブログ高齢者に医者離れのすすめのなかで立川昭二著「病と人間の文化史」、「いのちの文化史」(ともに新潮選書)の記事を引用させていただいたが、その立川さんの新しい著書を本屋で見つけた。タイトルは「年をとって、初めてわかること」(新潮選書)で、帯には「老い」の愉悦が喧伝されている。私はまだそういうことが分かる年齢ではないので、どんな愉悦が待ってくれているのか気になり本を買ってしまった。「老い」が基調にある文学作品の紹介にもなっており、私もまだ知らない作家、湯本香樹実さんの「夏の庭」や青山七恵さんの「ひとり日和」を読みたくなった。



斎藤茂吉の最後の歌集「つきかげ」の紹介は次のように始まる。《斎藤茂吉は老化にともなう頻尿症であった。六十五歳の彼が左手に「極楽」と名づけた溲瓶がわりのバケツを提げ、右手にこうもり傘を杖がわりにして、東京の家に帰りついたのは昭和二十二年十一月四日の朝のことであった。》この溲瓶という文字から私は作曲家の團伊久磨さんを連想してしまった。

團伊久磨さんは随筆家としても世に知られていた。週刊誌だったろうか、かって朝日新聞が出していた「アサヒグラフ」という雑誌に團さんが「パイプのけむり」という欄で随筆を連載しており、ある程度まとまったら単行本として出版されていた。團さんもこの執筆のために毎週木曜日と金曜日は机の前で時間を過ごすという力の入れ方で、世評も高く次々と「パイプのけむり」シリーズがが少しずつ表題を変えながら続刊された。そのかなりが今も私の書棚の一角を占めている。



團さんは言葉遣い文字遣いに一家言があり、その厳しさが魅力的であった。文章にえもいわれぬ味と気品があり、私も文章と人生の師として私淑したものである。そして私の人生を大きく変えたのが次の一文であった。まずその出だしを声を出して朗読すれば、簡にして要をえ、科学者のように正確に事柄を説明していることが実感できる。



なぜ文頭にあるように各室に溲瓶を具えることになったのかといえば、アメリカが月ロケットの打ち上げに成功したのがきっかけになっているのである。その箇所を少々長くなるが引用する。

《あの日、正確に言えば去年の7月31日の夜、僕はトイレットの中に蹲りながら、こうも原子力の開発が進み、今日はロケットさえもが月に届いたという現代において、人間が、いちいち尿意、もしくは糞意を催す度にトイレットに通うなどという、全く以て原始的な行為を続けていて良いものであるかどうかに、深く考えを致したのである。世間一般の人々は、一方では宇宙旅行を論じながら、他方、自分の行っている日常生活の中の愚行に気づかずに、昔ながらのトイレ通いを続けて平気であるようだが、どうもこれは可笑しい。よし、この際、月ロケットが月面に到着したことを記念して、小生は、本日只今より、小用のために厠に赴くという陋習を自宅においては全廃して、以後、随時随所、居ながらにして用を足すことに使用と決心をして、急遽、家人を薬屋に走らせ、計四個の溲瓶を入手、客間、居間、書斎、寝所の四室にそれを一つずつしつらえたのである。(中略)
この日以来、僕は溲瓶愛用者となり、文明生活を送っている。》、と理路整然に論を進める。

溲瓶の取り扱いにベテランとなった團さんは、教えたいことが山ほどあるが、と言いながら《上品な本書の紙面をこれ以上汚すのもなにかと思い、止めることにする。ただ書き物のために机に向かっている時と、掘り炬燵に客と対座している時に、トイレに立たなくて済む便利さは筆舌に尽くし難いということだけは御伝えしたく思う。》と気を配っておられる。

この文章を目にした当時、私は両親と同居しており、二階で寝起きしていた。ところが寝所から一部屋横切り階段を下り、さらに鍵型に廊下を伝いトイレに通うのは、とくに寒い季節は苦行であった。しかし團さんの一文が私に衝撃を与えた。私が急行した薬屋で手に入れたのはプラスティック製であったが、性能は陶器製、ガラス製に引けを取らなかった。しかし寝所で使うことだけはと、妻の懇願に負けて廊下に持ち出すことにした。まさにパラダイムシフトであった。10年前に陋屋を新たに構えた際には各階にトイレを作り、残念ながら溲瓶から遠ざかることになった。現在唯一の溲瓶は車のグローブボックスに収まっているMade in USAである。



これまでに一度だけ役立たせたことがある。渋滞にひっかかり二進も三進も行かなくなった時のことである。ナルゲン製できわめて頑丈、容量は1リットルで口も広くて安心して用を足せる。この時は車内に一週間も置き忘れていたが、その間液体は毫も変化せず全く透明のまま残っていたのにはなんて清浄なんだろうと感激した。今でも車内という限られた空間であるが、溲瓶を身近に置いている安堵感はなにものにも代え難い。ちなみに斎藤茂吉の「極楽」は山形県上山市の斎藤茂吉記念館に展示されているそうである。



研究とは壮大な無駄をすることでもなければ「千三つ」でもない

2008-07-29 21:30:10 | 学問・教育・研究

昨日(7月28日)の朝日朝刊は社説で『科学研究―第二第三の「iPS」を』と呼びかけ、京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞を作り出したような大ホームランを研究者がかっ飛ばすには何が必要かと論じていた。

《若い研究者の野心的な研究を支えていくことが、なによりも大事だ。》と述べ
《科学研究費の分配で政府が重点分野を絞り、短期に果実を求める傾向が強まっている。それでは、未知の領域に踏み込む探究や、すぐに成果が出るわけではない基礎研究への意欲をそぎかねない。若い研究者の自由な発想にもとづく研究を支援していかねばならない。 》と踏み込んでいる。この基本的な考えには私も同調するが次の強調部分で引っかかった。

《2年前の成果を生んだ研究費の審査に当たった岸本忠三・元阪大総長は、因子を入れて万能細胞になるなんてありえない、と思ったそうだ。「しかし、若い研究者の迫力に感心し資金提供を決めた」と語っている。
 岸本さんは「研究とは壮大な無駄をすることだ」という。「千に三つ」ともいわれるが、山中さんはその三つに入るような成果を出したのだ。 》

「研究とは壮大な無駄をすることだ」とは岸本さんがそれなりの文脈で述べられたことであろうが、この言葉だけが世間を一人歩きすると研究者の本質が誤解されそうなのでちょっと付け加えたくなった。

無駄を承知で無駄をする研究者はまずいないだろうと思う。時間をやりくりして大好きな実験をする。時間を無駄にするなんてそんなもったいないことはしない。乏しい予算をやりくりして実験に必要な資材を調える。無駄が入り込む余地はない。そして自分の考えを確かめるために実験計画を立てそして実験をする。予想通りにうまく行かないことが多い。そうするとどこに問題があったのかあれやこれや考えて計画を練り直しまた新しい実験を行う。その積み重ねで自分の考えの正しいことが証明できたらめでたしめでたしであるが、現実には失敗の繰り返しが続くことが珍しくない。研究に心血を注いでいても論文が一年に一報も出ないこともあり得る。これが傍には無駄なことの繰り返しに見え、また本人も自嘲に自戒をこめて「壮大な無駄」と評するかも知れない。しかし研究者としてはあくまでも理詰めで研究を推し進めて来ているのであって、無駄を意図的にやっているわけでは決してない。「研究とは壮大な無駄をすることだ」がそれなりの意味を持つのは元来この言葉が用いられた岸本さんの文脈においてのみなのである。

「千に三つ」も危うい言葉である。「千三つ」とは「千に三つしか本当の事がない意」(新明解)から「うそばかり言う人」という否定的な意味でふつう使われるからである。そしてこの「千に三つ」が《成功する可能性は低いかもしれないが、うまくいけばとてつもなく影響が大きい》「ハイリスク研究」の特徴を表すために使われているようなのが私には気がかりなのである。

ところで「ハイリスク研究」とわざわざ断らないといけない研究形態があるのだろうか。私なりに考えてみたが、これはなにかためにする「うたい文句」にすぎないようだ。

知的好奇心に溢れ自分の能力の限界に挑戦する研究者、言い換えると山っ気のある研究者ということにもなるが、そのような研究者ならまず大きなことを考える。大きなこととは誰が聞いても実現の可能性がきわめて低いような研究テーマなのである。それを第三者はハイリスクと思うのかも知れないが、本人にとってはなにか変わった事をやろうとしているのではなく、ごく当たり前のことにすぎないのである。研究者にとって精神が高揚する研究テーマは必ずしも成功が保証されたものではなく、失敗をも恐れずに挑戦する意欲がかき立てられるものでる。その意味では研究そのものがもともとハイリスクのものであり、研究者はすべてそれを心得ているわけである。それをいまさら知ったかぶりの第三者に「ハイリスク研究」を取り上げるべきであるなんて余計なこと、言うて欲しくないわ、というのが心ある研究者の本音であろう。それにしてもどこから「ハイリスク研究」なんて言葉が飛び出してきたのだろうか。

経済産業省が今年の3月に出した米国調査報告の中の「米国連邦政府のハイリスク研究に向けた試み」で、NIHやNSFが米国で「ハイリスク・ハイリターン研究」を取り上げる意図とその支援内容をまとめている。これを見ると日本の「ハイリスク研究」がその後追いであることは一目瞭然である。しかし米国においては「ハイリスク・ハイリターン研究」支援の歴史は古く、その起源を50年以上も前のDARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)、すなわち国防総省国防高等研究事業局の創設に遡ることが出来る。その延長線上にNIHやNSFの「ハイリスク・ハイリターン研究」支援策が生まれているようなので、日本の後追い「ハイリスク研究」とは底の深さにおいて似て非なるものがある。その米国においてすらある重要な問題点が指摘されている。



NIHが設けたPioneer Award(2004年~)にせよNew Innovator Award(2007年~)にせよ、前者が直接研究費50万ドル×5年間を授与してはじめの4年間で47名を選定、博士取得後10年以内の若手研究者のみを対象としている後者が直接研究費30万ドル×5年間を授与するが2007年度は30名を選定と、人員規模はさして大きくない。ということはすでにかなりの実績を挙げている研究者のなかから選抜することになりそうである。米国ではたとえばNIHは「世界最高水準のピアレビュー・システム」(上記米国調査報告)と公言しているように、グラントの審査方式に長い歴史と実績に裏付けられた選抜制度がある。このシステムが「ハイリスク・ハイリターン研究」支援にも有効に働くことを期待しているようであるが、それでも外部の専門家によるピアレビューでは既存の知識体系を越えられない“safe”scienceのレベルにとどまっているのではないかと審査方式への疑問が出されているのである。

一方、日本では科学研究費をはじめとする競争的研究資金の獲得を巡って、研究者が一様に抱く不信感と不安は審査方式の不透明性にあると思う。数億を超えるような研究資金ともなると審査をする側と審査を受ける側が直接に対面する機会は設けられているが、それとてもなんとなく儀式めいたものになりがちである。それが「ハイリスク研究」の審査ともなると、その審査方式と審査員の選定の方がまず大事(おおごと)になることだけはまちがいない。「既存の知識体系」を超えられる審査員がどのようにして選ばれてくるのだろう。適正な人選への努力を怠り従来型の審査方式のままで「ハイリスク研究」「千三つ」の論法が大きな顔をしてまかり通ると、申請に審査に魑魅魍魎が跋扈することになるであろう。

本論に戻るが『科学研究―第二第三の「iPS」を』に奇策は不要である。上にも引用したように《科学研究費の分配で政府が重点分野を絞り、短期に果実を求める傾向が強まっている》ことを排するだけでよい。国が口を出して独創的研究が生まれるものではない。研究はあくまで研究者個人の営みなのである。この個人の営みを支えることに徹してこそ科学のイノベーションが可能になる。

ところで「ハイリスク研究」とこの6月に議員立法で国会を通った研究開発力強化法との関連が社説でも示唆されているが、その内容に目を通してこれにより日本の科学行政がどのように動いていくのかイメージを描くことの出来る科学者が一人でもいるだろうか。現実に研究資金の分配に至までこの法律がどのように動いていくのやら、また出番を作ってしてやったりと欣喜雀々する「官僚」の姿が目に浮かんできた。


若者よ働け! 六甲山ホテル

2008-07-27 18:52:50 | Weblog
二ヶ月ぶりに車を満タンにした。レギュラー45リットルで8000円ちかくかかったのには驚いたが、気が大きくなって六甲山まで車を走らせた。山手幹線を久しぶりに通り六甲道路で山頂に出たが、予想通りというか週末なのに車が少なかった。

正午を廻ったところなので六甲ビューパレスというセルフ方式のレストランに入った。昨年孫たちを連れてきた時は同じ時間帯で何組も順番を待っていたが、昨日はすっと入れた。席の半分以上は空いていたが明らかにガソリン代高騰の影響だろう。おかげで窓際の見晴らしの良い席を占めることが出来た。

食後に見晴らしの塔の前で女性がアフリカ音楽を奏でているので出会った。一人はオルゴールの中身を取り出したような楽器を鳴らし、もう一人は鼓弓のような弦楽器を弾きながら歌を歌っていた。掛け合いもありハーモニーもあり、舌を激しく動かしてひょろひょろひょろひょろと甲高い声を発するのも面白い。タンザニアの「若者よ働け!」というスワヒリ語の歌もあった。昔からあった歌なのか、世界共通で若者が働かなくなり発破をかけているのか分からないが、若者に堂々と注文をつける大人がいるというのもいいものだ。私たちがこのような歌をうたうのもなんですが、とはにかみながら歌う女の子がなかなかよかった。達者な日本語を喋るのも当たり前、日本の女の子なのである。



六甲山の上では28度で下界より5度は低い。早々と山を下りることもないので六甲山ホテルに寄って6階のラウンジでくつろぐことにした。そして下界を眺め下ろしながらとある感慨にふけっていた。

この六甲山ホテルはちょうど30年前に日本学術振興会と米国国立科学財団の後援で私どもの研究領域の日米セミナーを開催したところである。恩師と私が日本側の代表者になった。50人ほどの参加者が全員4泊5日の日程でホテルに泊まり込み仕事の話を交わすのである。日米セミナーというものの、世界各国の代表的な研究者を招待するもので、イギリスからはP.ミッチェル博士が招待に応じて初来日された。会議が終わったこの1978年秋にミッチェル博士がノーベル化学賞を単独受賞されるなど、私どもの研究分野は活気を呈していた。この会議がきっかけとなり私は博士から個人的な交誼をかたじけなくする幸運に恵まれた。六甲山ホテル最上階のパーティー会場での写真が残っているが、左側がミッチェル博士、右側はアメリカ側の代表者の一人T.E.King教授である。King教授は以前私がタンパク3000とPerutz博士で触れたDavid Keilin教授の門下生で、その頃からミッチェル博士と親交がありこれが博士の招待に繋がったのである。両側のお二人はすでに鬼籍に入られ、私は白頭の老僕と化した。



蛇足: 昨7月26日朝日朝刊の天声人語が《「鬼籍に入る」という言葉がある。その意味を女子大生にたずねたら、「長男の嫁になること」と答えるものが多かったそうだ。》との挿話を伝えていた。むむむ・・・・、私は長男なのである。


おそろしいブログ通信簿

2008-07-24 22:42:41 | Weblog
夏休みに合わせたわけではないだろうが、このブログのプロバイダーがブログ通信簿サービスなるものを始めた。ブログのURLを入力するだけでよい。自分のブログがどのように評価されているのか恐いもの見たさに私も「日々是好日」のURLを入力してみた。



成績がまさに中庸でほっとした。平々凡々を目指しての日ごろの行いがちゃんと評価されている。しかし私の秘めた「学者願望」を探り当てているのはちょっと不気味である。いや、なんと私が52才の女性と素性まで暴かれてしまった。これはおそろしい。ブロガーは全員自分のURLを公開しているから、第三者でもそのブロガーの正体を探ることができるのだ。よし、手始めに朝日新聞の正体を暴露してやろう。



一弦琴「四季山」再演

2008-07-24 18:17:25 | 一弦琴
               詞 不詳
               曲 真鍋豊平

  春は吉野の 白雲も 花とみへけり 音羽山
  卯の花になく ほととぎす 初音ゆかしも
  
  龍田山 秋は紅葉の 色こきに
  妻恋ふ鹿の 声すなり
  
  冬は鞍馬の 峰の雪 
  さゆるふすまも 忘れつつ 眺めやるこそ あはれなれ
  
  かぞふれば かぞふれば
  春夏秋も 冬もみな 一年ながら おもしろや


「四季山」を譜から離れてもなんとか奏でられるようになった。せっかく時間をかけて会得したことだから、あとは忘れないように一日に一度でも浚ってみるつもりでいる。譜がなくても即座に弾ける曲をせめて五、六曲ぐらいは持ちたいものである。これまでも年に一度の演奏会で演奏する曲はほぼ覚えていたが、それでも譜を開いていると安心感があった。それをも止めての独り立ちで、いわばようやく這い這いの赤ん坊からよちよち歩きの幼児になったようなものである。立ち上がったおかげで今まで見えなかったことが視野に入るようになった。しかし見えるということとそれを演奏に反映させることは別物で、だから面白い。

今朝の演奏を前回と同じく前半後半に分けてアップロードした。この演奏自体、声の調子を別にして直したい所が少なくとも数カ所ある。多分一生かかってもこれの繰り返しなんだろう。


ご立派! 橋下徹大阪府知事

2008-07-23 23:58:47 | Weblog
橋下徹大阪府知事が編成した2008年度一般会計予算が府議会本会議で23日可決され成立した。財政再建案「大阪維新プログラム」で1100億円の収支改善を提案したが、主要会派の見直し要求を考慮して人件費と私学助成の削減幅を原案より18億円縮小するなど予算案を修正し、最終的には委員会で徹底的に議論を重ねその案を認めさせたというからこれは凄い。asahi.comはこの模様をこう伝える。

《最初の委員会は18日午前10時開始。18時間にわたり40人を超える委員と論戦を戦わせ、報道陣には「もう十分議論をしつくせたと思ってます」と満足顔を見せた。 》

まさに議会制民主主義の神髄を世間に知らしめたといえる。為政者が一人でも真剣になれば議会制民主主義が正常に機能することに私は感動を覚えた。橋下大阪府知事のエネルギーの源泉は以前にも述べたように一にその若さにあると思う。人件費削減を巡って先月労働組合との徹夜バトルが伝えられたときに、私は少々の修正で予算案が議会を通ることを直感した。議論を徹底的に尽くすことで行方はお互いに自ずと見えてくるのである。

改革には犠牲が伴う。そうした方々にも思いを馳せながら改革の前途を見守りたい。

夏の半日 一弦琴のお浚い そしてにぎりをお箸で

2008-07-22 23:58:34 | 一弦琴
月に一度の一弦琴のお稽古で昼下がりに家を出て京都に向かう。暑い。少し歩いただけでもう汗ばんでくる。でもジャケットを手放すわけにはいかない。電車に乗ると冷房がよく効いているので冷気避けである。

お浚いの曲はいぜんとして「四季山」。三ヶ月ほどほとんどこの曲ばかり弾いている。最近になりようやく手がひとりでに動いてくれるようになった。ところが緊張感を欠くと手が同じところを行き来するようになる。やはり奏者の脳が指令を出しているようなので居眠りは出来ない。脳の働きは偉大なのだ、と実感する。手が独りでに動いていい演奏が出来ると思ったのは錯覚で、それならオルゴールと変わらない。それでもお師匠さんの前で譜を見ずに演奏できたのはいい気持ちだった。お師匠さんは「忘れっぽくなって」と譜を開いておられたからなおさらである。

気分がよくなって帰りは京都大丸横の築地寿司清に寄る。夕べだったか物まねのコロッケがもう一人の相棒と東京築地のさる店でにぎりをお箸で上手に食べているのをテレビで観てその真似をしたくなったのである。お箸でまずにぎりを横に倒しながらネタとご飯を挟む。そうするとネタを落とすことなく醤油につけることが出来るのである。店の主人の伝授だったけれど、その通りに出来た。これは凄い、目から鱗であった。回転寿司でも同じように出来るのか、また試してみるつもりである。

「深海のイール」を読んで

2008-07-20 22:51:14 | 読書

お断り この本を読み終えた方、途中で諦めた方、または読む気のない方のみどうぞ。

私は海を舞台とした小説(釣りの話は除く)が好きなので、この本も書店で平積みにされているのを見てすぐに手を出しそうになった。しかし文庫本とはいえ上中下の三巻に分かれて総ページ数が1600ページを超える。終わりまで読み通せるかどうか分からないのでとりあえず上巻だけを買った。

私は鯨が可哀相と鯨に同情したことがあったが、この物語の中ではカナダ・バンクーバー島の沖合でホエール・ウオッチングの船を鯨が襲いかかり船は沈没し犠牲者も生じる。この異常な事件をはじめとして世界各地の海でいろんな異変が起き、それが高じて地球滅亡の危機が迫る。その異変を引き起こしているのが・・・・、ということで作者は今までにない新種の「エーリアン」を創造する。その正体のヒントがこの本の原名「Der Schwarm」(群れ)で、著者はドイツ、ケルン市生まれのフランク・シェッツィング。だからドイツ語からの翻訳であろう。

上巻は面白かった。悲劇の幕は既に切って落とされたのであるが、海洋の描写がたっぷりと出てくる。最近大阪天保山にある海遊館で二匹のジンベエザメをはじめいろんな種類の魚の群れが回遊する様子、また「海底」を動き回る生き物を見てきたばかりなので、海の中の描写に海遊館でのイメージをダブらせることが出来た。(ちなみにこのブログのProfileに示した「なまけもの」の写真は海遊館で撮ったものである。)そこで中、下巻も買ってしまった。しめて2400円也。

でも1600ページ超の物語は私には長すぎた。現役時代の論文書きでいかに冗長さを排するかに骨身を削ってきたものだから、私なら半分、いや4分の1に短縮するな、と考えたり、これを翻訳した北川和代さんてなんとパワーのある人だろうと感心したりした。それにこの「エーリアン」の本体を突き止めようとする登場人物の間で科学的な会話、とくに分子生物学的な話が交わされるのであるが、そうなるとなまじっか私も分子生物学をかじっていただけにもういけない。通常の科学論文なら読めば筋書きが一応見えてくるが、この物語はフィクションだからそうはいかない。「何を言っているんだろう」という疑問が随所で湧いてくる。「フィクションだから細かいことにとらわれずに読み飛ばせばいい」とは思いつつも、この科学用語はおかしい、使い方も変だなんて思うと、原文は一体どうなっていたんだろうと気になったりする。私にはサイエンスとフィクションを区別する能力が欠けているのだろう。

地球滅亡を回避するためにアメリカが主導して全世界からそれぞれの分野のエキスパートが呼び集められてプロジェクトチームが作られる。ところがそのチームの中で政治的野心を抱くあるリーダーを取り巻くグループが秘密めいた存在となる。科学的知識を土台とする物語の組み立ては良くできているのに、この秘密グループの存在を必然とする理由立てが説得力を欠くものだから、がぜん物語が作り物めいてきて興が削がれてしまった。ダン・ブラウン、マイクル・クライトンとの違いがこの点では際だっていた。ハリウッド映画化を意識してかと思ったら、どうもそのようで映画化が決定している、と「訳者あとがき」にあった。

この長い長い物語を読み終わって、私は物語そのものよりもこれを読み通す気力がこの私に健在であることに感動した。そういう意味では読み応えのある本であった。

明日7月21日の「海の日」を前に。

追記(7月21日) 異変をちょっぴり味わうにはFrank Schätzing - Der Schwarmを。しかし、行きはよいよい帰りは恐い。


日弁連が増員ペースダウンを緊急提言 博士大増員の轍を踏まないためにも要再考

2008-07-19 14:29:20 | Weblog
夕べ(7月18日)7時のNHKニュースで日弁連会長が記者会見している模様が流れた。司法試験合格者を2010年までに毎年3000人に増やす政府計画について、日本弁護士連合会(日弁連)がペースダウンを求める緊急提言をまとめたというのである。会見の中で日弁連会長が「合格者が増えたことで弁護士の質の低下が指摘されており、増員を急ぐべきではない」と強調しているのがひとつ気になった。

NIKKEI NETに《日弁連は00年11月の臨時総会で、法曹人口の増加を求める決議を採択。これまで政府計画に賛同する姿勢を示してきたが、今回の提言は内部からの反発を受け、方針転換した形だ。》と出ていたので、平成12年11月1日日本弁護士連合会臨時総会の「臨時総会・法曹人口、法曹養成制度並びに審議会への要望に関する決議」の中身を覗いてみた。

《我々の提起した変革の課題は、我々自身が、社会の隅々にまで「社会生活上の医師」として存在し、社会の不正を正し弱者を救済する活動をするような弁護士制度を大きく発展させてこそ、はじめて実現可能なものとなる。また弁護士偏在の解消問題についても、弁護士人口増加は、その必要条件の一つであることは間違いない。我々は、法曹一元制の基盤としての弁護士制度の改革と法曹人口増加の課題を真正面から受け止めなければならない。 》と弁護士人口増加を求めていたことが分かる。

どの程度まで増加させるかというと《国民が必要とする適正な法曹人口(中略)これらのアプローチによって算出される法曹人口数は、各方法とも、どの時点を基準として算出するかによって結論が異なってくるが、概ね5万人程度という数が試算され、現在より大幅な増員が必要と思われる。》と必要人口の試算までしている。

もちろん「法曹に求められる質の維持、向上」についてもちゃんと以下の提言をしている。《法曹の役割が、人の生命、身体、財産等に重大な関係を持つことに鑑みれば、その質の維持、向上は極めて大切なことである。(中略)当連合会は、司法の一翼を担うものの責務として、新規法曹人口の大幅な増加により弁護士の質の低下を招来することのないよう、法曹養成の全過程に、より主導的に関わることによって充実した教育内容や質の高い教員を確保し、さらにはオン・ザ・ジョブ・トレーニングにおいて後進の育成に積極的に関与し、資格取得後の各種研修の継続・強化などに努力することが必要である。》

この日弁連が法科大学院整備の話題が世間を賑わしてまだ間もないのに、そして2007年には合格者が1851人とまだ2000人レベルにも到達しない段階で、早くも白旗を掲げたのである。

日弁連会長が「弁護士の質の低下」を強調しているのが腑に落ちなかった。上に新規法曹人口の大幅な増加により弁護士の質の低下を招来することのないよう、法曹養成の全過程に、より主導的に関わることによって充実した教育内容や質の高い教員を確保と強調したのではなかったか。それに、どのようにして質の低下の評価をしたのかが明らかでなかったからである。しかし引き続いて町村官房長官が記者会見で《日弁連は『自分たちの業界の利益に反し、商売が成り立たない』ということしか考えず、司法の手助けが必要な人たちや、裁判官・検察官が不足気味という司法全体の状況を見ていない。自分たちの商売の観点で、司法制度改革に携わってきた立場をかなぐり捨てるのは、見識を疑う。》(NHKニュース、7月18日 19時39分 )と述べているのを聞いて納得した。日本医師会と同じ、パイの取り分の減ることを恐れる人たちの声が高まったのであろう。自らを「社会生活上の医師」とはいみじくも言ったものだ。

皮肉はこれどまりとして、私には日弁連の提言を三百代言(いいかげんな弁護士、[弁舌さわやかに]詭弁をもてあそぶ人、新明解から)的発言などと揶揄する気はない。国民から戻ってくる反射的な不信感をもはねのけんばかりの勢いで法曹人口の急増に対する懸念を表明したことをここでは積極的に評価しようと思う。それは法曹人養成よりも遙かに大規模に行われた博士増員計画の破綻を目にしてその計画の犠牲者に思いを致すからである。(大学院はモラトリアム人間の棲息地 大学院教育には口を出すより金を出せば 大学院制度抜本的改革私案 不要な院生をつくらないためにも

目先の需要にのみ気を取られたとしかいいようのない博士大増員計画の場合には、残念ながらストップの声の出るのが遅かった。日弁連が早々と白旗を掲げたのを機に、上にも述べられている適正法曹人口として5万人が妥当なのかどうかを含め、年間3000人増員計画の是非を改めて検討し、必要なら軌道修正を急ぐべきである。法曹浪人が本物の三百代言と化して横行し出すと国民生活が大きく損なわれることを私は恐れるからである。もちろん計画の見直しにかの鳩山法相も言われるように「日弁連には、みずからの権益を守るという発想は絶対持ってもらっては困る」のはいうまでもない。


国宝法隆寺金堂展 さる伝説 そして焼き肉

2008-07-18 18:12:44 | Weblog
いつもの手段で入手した招待券があったので、奈良国立博物館で開かれている「国宝 法隆寺金堂展」を観に出かけた。千年以上も前に作られた四天王像は現存する日本最古のもの、しかしこれらの像と向かい合って目を合わせていると時代の隔たり感じない。像の素朴なしかし流麗なフォルムに仏師の心と技の冴えを見る。その後の日本人が何をどのように発展させてきたのか、古き良きものに出会うといつもこのような疑問がわき起こる。戦争末期の昭和20年に疎開の意図もあってか金堂の解体作業が始まり、仏像なども金堂外に移されていたので昭和24年に金堂が炎上した際にも無事であったとか。

これに反して火災で大きな損傷を受けたのが金堂壁画である。戦前に撮影されていた原寸大モノクロ写真などの資料にもとづき、日本画家が焼損前の画像が模写などにより再現した。その金堂外壁12面の壁画がすべて展示されていた。中国の仏教壁画のようにも見えるがその由緒来歴など、機会を見つけて学んでみたくなった。壁画再現はそれだけでも意義があるが、同じことなら壁画が作られた当時の画像の再現も出来ないものかなと思った。平成の復元事業である。

奈良国立博物館に入ったのは初めてである。金堂展は新館であったが地下回廊を通って本館に繋がっている。せっかくなので本館の常設展を観ることにした。なんと、仏像だらけである。こんな仏さんならわが家にも欲しいと思うのもあった。と、京都帝国大学医学部に伝わるというある伝説を思い出した。

その当時京都で知らない人がいないといわれるぐらい著名な教授が仏像にとりつかれ、京都の名刹をよく訪れたそうである。ところが不思議なことにこの教授が帰った後そのお寺から国宝級の仏像が消え失せる。そういう噂が次第に広まりそれとなく様子をうかがっていると、この教授がお気に入りの仏像を風呂敷に包んでお持ち帰りになることが分かった。神隠しにあった仏像もすべて姿を現し一件落着。というのも教授が昭和天皇にご進講申し上げるような偉い人だったのでことは公にならず、その助教授が師の罪は弟子の罪とばかり身代わりに丸坊主となってお詫びをしてことが納まったのである。この教授の名前は「国史大事典」にも「世界百科大事典」にも出ているがもちろん伝説は記されていない。でも欲しくなるような仏像があるのは本当だと思った。

来るときはJR大和快速だったが帰りは近鉄に乗った。鶴橋駅のプラットフォームに降り立つとあの界隈の焼肉店から出てくるすべての排気をダクトで集めて一挙に駅のプラットフォームにはき出しているとしか思えないようなあのにおいをかぎたくなったからである。そしてにおいを嗅いだら食べたくなる、ということで焼肉店に駆け込んだ。かなり前のこと、たまたま入ったお店でよかったのでそれ以来鶴橋に来れば入る。骨付きカルピ、ロースバラ、焼き野菜に好物のテールクッパを平らげた。そのために昼食を控えめにしていたので心身とも満たされた。このお店は七輪に炭火をおこして焼く。よほど良い炭を使っているのだろうか1時間以上経っても炭が崩れない。その炭火に郷愁を感じたので写真を撮った。