日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

児玉清さん 逝く

2011-05-19 12:08:26 | 
テレビの画面に、児玉清さんが体調不良で司会を休むという旨のテロップが流れた。これを見たときに、もう駄目なのかもしれないと思った。長年続いてきたクイズ番組の司会を休むなんて、背筋のシャキッとした児玉さんだけに、とことん頑張って来た末の決断だとするとかなり重篤なんだと直感したからである。不幸にも当たってしまった。

私が児玉さんに親近感を抱いた理由が二つある。一つは本が大好きということ、そしてもう一つは同じ昭和9年生まれであるということである。と思っていたのに、念のために今、児玉さんの生年月日を調べたところ、なんと本当は1933年12月26日生まれであることが分かった。当時は数え年で年齢を数えていたので、1週間足らずで2歳になるのを嫌った親が出生日を1934年1月1日として届けた、とあった(ウイキペディア)。当時はそのようなことが可能であったのである。同い年の方の訃報を目にするとついわが身を思ってしまうが、この分だとまだもう少し行けそうで、思いがけぬ贈り物を頂いたような気分になった。

それはともかく、読書家と言うことについては今朝の朝日「天声人語」で《蔵書で自宅の床が傾くほどの読書家で、米英の小説は原書で読んだ》と紹介されているし、「産経抄」ではもう少し詳しく述べられている。

 「もう翻訳は待ちきれない。原書を買って読もう」。こんなかっこ良すぎるセリフも、児玉清さんなら許される。16日に、胃がんで77年の生涯を終えた二枚目俳優は、物心ついた頃から本を読まなかった日はないという、芸能界きっての読書家だった。

  ▼母親の急死で、ドイツ文学の研究者への道をあきらめた。就職先を探していたら、偶然東宝映画ニューフェースに合格する。それから二十数年、40代半ばの児玉さんは俳優として大きな曲がり角にいた。台本を読んでからでないとテレビドラマに出演しない。そんな原則を守っていたら、依頼がほとんど来なくなった。

 ▼鬱々とした気持ちを紛らせてくれたのも読書だった。とりわけお気に入りの英米ミステリーの翻訳を読み尽くしてしまい、仕方なく原書のハードカバーを入手する。ところが存外楽に読め、翻訳本より喜びが深いことに気づいたという。

 ▼以来、ひたすら面白い本を追い求め、人に魅力を語っているうちに、翻訳本の解説を書き、テレビの書評番組の司会を務めるようになった。平成16年からは、小紙にも海外ミステリーの書評を寄稿している。

  ▼1回目に取り上げたのが、米国で発売されたばかりの『ダ・ヴィンチ・コード』だった。「予断を許さぬ激しい場面転換に読者の心は●(つか)まれたまま、ジェットコースターライドの切迫感で巻末へと放りこまれる」。日本でもブームに火が付いたのは、薦め上手の児玉さんの力が大きかったはずだ。

 ▼36年にわたり司会を務めてきたクイズ番組『アタック25』で、最近本に関する問題の正答率が低いことを憂えていた。本離れと電子書籍の普及という激震にあえぐ出版界は、偉大な応援団長を失った。
(2011.5.19 03:20)

 「もう翻訳は待ちきれない。原書を買って読もう」とはやっぱり格好がよい。私もたまに本屋で翻訳が出る前の原書を見つけて読むことがあるが(たとえばKEN FOLLETTの「WORLD WITHOUT END」)、ほとんどの場合は翻訳の出たのを書店で見つけては、安く挙げるためにペーパーバックスを買うのが常だからである。《翻訳本の解説を書き、テレビの書評番組の司会を務める》とは立派な「職業的」読書人であるから、本を渉猟する姿勢に根本的な違いがあるのは当然としても、同年配の本好き仲間を失った寂寥感が大きい。