日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

小谷野敦著「谷崎潤一郎伝」を読んで

2006-08-31 17:18:11 | 読書

久しぶりに睡眠不足をもたらした本を読んだ。著者いうところの『ゴシップ風』「谷崎潤一郎伝」である。

私の読書の楽しみの一つはゴシップに触れること。日本国語大辞典(第一版)には《②(特に有名人の)個人的な事柄についての、興味本位のうわさ話。また、それを記事にしたもの》とあり、だから読む方は気楽にただただ面白がればいいのである。

ところが、ゴシップ=『ゴシップ風』ではないのである。アカデミズムの世界に片足を踏み入れている小谷野敦氏は、週刊誌のライター宜しく『ゴシップ=うわさ話』を書き散らすわけにはいかない。それでは学問的業績にならず、昇進の足場になるどころか足を引っ張られる恐れがある。そこで面白おかしいうわさ話がネタであっても、自分なりに実証していますよとの思いが、「ゴシップ風にみえるだろう」と言わしめているのだろう。

私が何回も読み返した最右翼の小説が「細雪」である。アメリカに滞在しているときだけでも二三回は読み返している。外国の友人になにか面白い小説をと聞かれると、「Makioka Sisters」を紹介するのが常だった。「細雪」は船場の旧家蒔岡家の四人姉妹の生活を次女幸子の夫、貞之助の目を通して描いたものである。ところが私にはこの小説を最初に映画化した「細雪」の印象がとても強くて、長女鶴子といえば花井蘭子、次女幸子は轟夕起子、三女雪子が山根寿子で四女妙子が高峰秀子というように、四人姉妹が女優の顔になって現れるのである。その「細雪」を取り巻いてはゴシップが実に豊富でなかにはスキャンダラスのものもある。この本では小谷野氏も事実との関わりを丹念に解き明かしており、それだけでも私にはこの本は値打ちものであった。

谷崎潤一郎の三人目の妻である松子夫人の生家である森田家がモデルとのことで、森田家には上から朝子、松子、重子、信子の四人姉妹がいた。長女の朝子が森田家を継ぎ婿を迎えたが、下の二人は松子の婚家である根津家に一緒に住んでいたと云う。この四女の信子がなんと松子の夫根津清太郎と駆け落ちする事件があり、これが「細雪」では四女妙子の駆け落ちの下敷きになっているのであろうか。私には初耳であった。

ところが谷崎にしてからも、最初の妻千代の妹で当時十六歳のせい子と出来ていたというから、これが当時の風潮かと思えてくるところが恐ろしい。いや、面白い。

貞之助・幸子一家の住まいのモデルが現存している。住吉川のほとりに移築された倚松庵(いしょうあん)である。私もここを訪れたときにこれがあの「細雪」の舞台かと感慨を覚えた記憶がある。ここに谷崎が、松子夫人やその妹たちと7年間暮らしたのである。小谷野氏も《建物が妙に小ぢんまりしており、谷崎夫妻に子供二人、重子と女中らがいたのではさぞ狭かっただろう》と書いているように、人の気配を極度に気にするあの谷崎が「細雪」と執筆をすすめたと云うから、家族は息を詰めたような生活だったのかもしれない。

それはともかく、この倚松庵の名の起こりがゴシップ好きには嬉しいのである。住吉の松とは関係がないようなのだ。谷崎が二人目の妻丁味子と暮らしているときに、「倚松庵主人」と名のり始めているのである。著者は《「松に倚(よ)る」ということで、あからさまに松子への慕情を示し始めたのだ》とみている。これでは二番目の奥さん、居場所がなくなってしまうではないか、と思うのだが、当時の人の神経は飛び抜け丈夫だったのだろうか。

谷崎潤一郎といえばなにはともあれ佐藤春夫への夫人譲渡事件で有名である。これもこの小谷野氏の本で始めて知ったのであるが、なんともややこしい経緯がある。まず谷崎が千代夫人と別れて松子夫人と結婚したのかと思っていたら、そのあいだに丁味子夫人が2年ほど挟まれていたし、千代に長い間思いを寄せていた筈の佐藤にしても、いったん赤坂の芸者と結婚していたりする。しかしスキャンダラスなゴシップ風事実の極めつけは、千代夫人の不倫・妊娠である。

谷崎が唆したとも言われるが、千代夫人が八歳年下の男性と仲が良くなり、ついには身ごもってしまったのである。中絶させられたらしいが、その事実を谷崎はもちろん佐藤も知っていて後年の譲渡事件に繋がるというのであるから、ただただ戦前の人間のスケールの大きさに圧倒されるだけである。

それにしても、関係者が沢山いるだろうから、たとえ死後でも隠しておきたいこと(凡人からみて)まで、後世の人につまびらかにされる『有名人』の宿命て一体何だろうとちょっと考え込んでしまった。

その反動でもないが、私が著者に喝采をおくってもいいかな、と思ったのは、『松子神話』に対する挑戦である。私は不案内であるが、谷崎の一連の名作群が、理想の女性たる松子との出会いによって生まれたとの『神話』が流布したいたそうである。著者は《死後、谷崎から松子に宛てた、下僕として使ってください式の手紙を松子が公表して、神話化が始まった》と述べている。そして《松子への、今や有名な恋文群も、「佐助ごっこ」と言われているとおり、実社会においてもはや谷崎の地位に揺るぎがなく、谷崎から放り出されたら松子は二人の子供を抱えて路頭に迷うほかないこと、即ち自分の側の絶対的優位を信じるところから来た遊びであることは明らかだ》と断じている。

私もこの打倒『松子神話』には素直に同調できる。あのような手紙をとくとくと公開するとは、なんてデリカシーの欠けた女性だろう、とかねて思っていたからだ。

以上紹介したことは『ゴシップ風』物語のほんの断片に過ぎない。なかには個人的に楽しい発見もあった。昭和21年の5月のこと、20日に上京区寺町通り今出川上ル五丁目鶴山町三番地の中塚せい方に(谷崎が)間借りした、との記事にアレッと思ったのである。私が京都に住んでいたところが上京区寺町通り今出川上ル二丁目鶴山町一の十二、同志社女子大寮あとのマンションであったからだ。地図で見ると100メートルも離れていないところである。妙な偶然が嬉しかった。

谷崎という人物、もしくはその作品に傾倒する人にはゴシップ風挿話の宝庫、ぜひ一読をおすすめする。

【蛇足】94ページ、左から8行目: 精二は「わざわざ有難うございました」とを述べたという。
の誤植?


一弦琴「泊仙操」から

2006-08-30 14:59:34 | 一弦琴
「清虚洞一絃琴」の流祖徳弘太(とくひろたいむ)(1849~1924)の作曲になる大曲で、演奏時間は20分を優に超える。

  われは誰が 子なるや 知らず 
  白川の 奥の岩窟(いはや)を假の宿
  すめる心は孫登(そんとう)が たぐひならねど
  ひとつ緒の琴 かきならす楽しさよ

    山中 佳趣 四時多 
   (さんちゅう かしゅ しじおほし)
    清韻伴絃 何最好
   (せいいん ともなふげん なにをかもっともよき)

  春は梢に ももどりの さへづる声も のどかなり
  夏は谷間に 真清水の 岩にせかかる 音涼し
  秋は草葉の 夕露に あはれを添ふる 虫の声
  冬は時雨の 降るなべに 落つる木の葉の 音わびし

  いつか冬暮れ また春に とし立ちかへり 立ちかへり
  渓壑(けいがく)の興 かぎり知られず

この曲を教えていただいただけでも、一弦琴を始めた甲斐があったと思っている。
人生と四季、とても素直に唄える。余生をかけてこの曲をものにしたいものと、折に触れお浚いに励んでいる。
まさに「ひとつ緒の琴 かきならす楽しさよ 」である。

季節にちなみ「秋」を浚ってみた。

神戸空港の中華バイキング

2006-08-29 14:09:04 | Weblog

先週土曜日に開港後の神戸空港を始めて訪れた。飛行機に乗るのではなく見物と食事が目的である。土曜日のお昼とあって4階の中華レストランで30分待たされたが、それでも思ったより早く席に通された。東向きの見晴らしの良い窓際である。全店が中華バイキングで1580円也、それに生中ジョッキが550円。

場所が場所だけにあまり期待していなかったが(高かろう不味かろうと)、なかなかどうして、料理の種類は豊富だし変化に富んでおりそれぞれがなかなか美味しい。取り皿は全て小皿に小鉢、だから余分に取りすぎることなく、味も混ざらずに美味しく頂ける。珍しくも本格的な中華粥があって、お腹にゆとりがあればお代わりしたいところであった。

のんびりと飛行場の動きを眺めながら食事をするなんて、私はそれだけで実に豊かな気分になれる。一機だけ軽飛行機が停まっていて目の前で飛び立っていった。私の選んだ品々は以下の通り。







品数は多分この倍以上で、デザートもじつに豊富であった。

一時間ほどで引き揚げたが、時間制限があるような雰囲気ではなかったので、ひょっとしたらお昼から夜空に星がきらめく頃まででもいいのかもしれない。何方かすでに試された方がおられるのだろうか。


理不尽な経産省のパロマに対する回収命令

2006-08-28 17:24:51 | 社会・政治
パロマに午後、回収命令 経産省 (共同通信) - goo ニュース

理不尽とは「万人が納得する論拠をもって説得するのではなく、強い実力をちらつかせながら半ば脅迫的に自分の方の一方的主張を通そうとする様子」(新明解)をいう

この記事によると《回収を命じるのは、実際に事故が起きた4機種を含む7機種となる見通しで、1980-89年に製造、計約26万台が販売された。パロマ工業とガス事業者などの調査では、約1万8000台が実際に使用されていることが確認され、残りは既に交換・廃棄されるなどしたとみられる》とのこと。

一番新しいものでも製造されたのは17年前で、古いのは26年前の製品である。そのうち現在も約1万8000台が使用されているというから、素晴らしく耐久性のある製品をパロマ工業は製造販売してきたことになる。そして現在使用中のものはその長い年月を生き抜いてきたもので、その安全性を身をもって証明してきたものである。いわばかれこれ20年の長きにわたり、利用者がメーカーの代わりに一台一台の安全性のテストをやってきたようなものだ。これほど時間をかけて念入りに安全性が実証されている製品を、物事の本質を見抜けない経産省は一片の通達によりパロマに回収させようとしている。

回収命令は消費生活用製品安全法に基づくものとされるが、《同法は、製品の欠陥で消費者の生命・身体に重大な危害が発生したり、発生する急迫した危険があったりする場合、回収などの応急措置を命じることができると定めている。違反すると、1年以下の懲役や100万円以下の罰金が科される》とのことらしい。

改めて問う。17年以上も使い続けられた製品のどこが欠陥だというのだ。欠陥であるということを経産省はどう証明できるのだ。

いかなる道具・機器にも耐用年数がある。メーカーが補修部品の維持を義務づけられている期間をその耐用年数と考えるのは、便法ではあるが常識的には分かりやすい。その意味では問題のガス湯沸かし器は既に耐用年数を超えているのではないか。耐用年数を超えた製品については、政府がメーカーに免責の権利を与えるべきであるとまでは云わないが、メーカーにのみ一方的な責任を負わせるのは、産業振興が元来の使命であるはずの経産省がとるべき行為ではない。

このたびの回収命令でパロマ側では更に不要な出費を強いられ、企業としての士気の低下は避けられないだろう。起こった事故に対しては裁判で決着を付けざるをえないが、経産省の見せしめ的懲罰は、企業の健全な発展を大きく妨げることになりかねない。

耐用年数を超えた機器については、私は使用者の使用責任を特に喚起すべきであると思う。ことあるたびに経産省がそのキャンペーンの音頭をとるのが本来の姿であろう。

いささか奇矯な論かも知れないが、私ならこの理不尽な経産省の回収命令に抗議の意味を込めて従わず、裁判で何が理不尽か問題の本質を論じるであろう。そのキャンペーンの代償としてなら、1年以下の懲役や100万円以下の罰金なんて安いものだ。

アメリカの旧居を40年ぶりに空から訪問

2006-08-27 15:48:18 | 海外旅行・海外生活

New Havenのスーパーで買い物カートから転倒し、頭を強打した2歳の娘が担ぎ込まれたのは、Hospital of St. Rachaelの救急であった。この病院はわれわれが住んでいたGeroge Streetにその一郭が面していて、しかも708番地のわが家のすぐ近くにあった。その旧居がどうなっているのか、ふと気になったので様子を窺うことにした。わざわざアメリカまで身を運ぶのではない。今や手軽に利用できる衛星写真で確認しようというのである。

その道具はあのGoogle Earthである。

まずGoogle Mapで旧居の位置を確かめて、それに衛星写真を重ね合わせて家を見つけ出そうという次第である。地図で位置を確かめるのに手がかりとなったのはトップの写真で、わが家から道路を隔てて斜め向かいを撮ったものである。そこに道路標識が写っていてGeorge St(reet)とBatter Ter(race)の街路名が見える。George Streetに面した2階の部屋を私の書斎と定め、窓近くに机を置いていたから、このコーナーは私にお馴染みの光景であった。

George Streetを西進すると34号線に入り、そのまま車を走らせると自然にNew Yorkに行ってしまう。だから地図の上でGeorge Streetはすぐに見つかった。そして手がかりになるのはHospital of St. Raphaelでこれも見つけやすい。ということでGeorge St.とBatter Ter.の交差点もすぐに見つかった。そこでGoogle Mapを「地図」から「航空写真」に切り替えると地図と同じ箇所の航空写真が現れる。このようにして旧居の場所に簡単に辿り着くことができた。





ところがどうも様子がおかしい。住んでいた家が見あたらないし、そのすぐ近くにアパートだろうか大きな建物が出来ている。Google Earthでその辺りを拡大した。George St.沿いのわが家から西側の家が全て無くなり、主な道路で囲まれた一区画の四分の一を大きな建物が占めているのである。



旧居の東隣は大家さんの住まいだった。どうもその建物は残っているようだ。屋根の白く光っているのが見える。影の出具合からすくなくとも二階建てであることが分かる。不動産業を営んでいたので、自分の家だけを残して他の持ち家を処分してしまったのかもしれない。わが家の裏庭に相当する場所が緑っぽく見える。その名残かもしれず、懐かしく感じた。

アメリカで「児童虐待」犯になりかけた話

2006-08-27 11:45:41 | 海外旅行・海外生活
昨日のブログで述べたように、アメリカでは子供に対する親の保護義務の意識が高く、住民も目を光らしている。これは実は私の実感で、私がその非難の視線に射すくめら攻撃の矢面に立たされたことがあるのだ。

娘をスーパーで買い物カートから転倒させたことで、私は二度と幼い子供から目を離すことはしないと心に堅く誓った。それなのに、それなのに・・・・、なのである。

1967年3月に次男がYale-New Haven Hospitalで誕生し、その8月には一家五人が愛車Ford Falcon Futuraで東海岸から西海岸まで大陸横断して新しい赴任地Santa Barbaraに赴いた。それからまもなくの出来事である。

週末恒例の食料仕入れにスーパーに出かけた。買い物を済ませて食料品など満載したカートを押して車に戻りかけたら、何だか人の輪ができている。近づくにつれてそれが私の車を取り巻いていることが分かった。車の中から次男の激しい泣き声が洩れてくる。それが人を呼び寄せていたのだと思った。

その日、スーパーの駐車場に車を駐めても次男はすやすや気持ちよさそうに眠っている。買い物は30分ぐらいで終わるし、そのぐらいなら寝かせておいても大丈夫だろうと思い、換気のために少し窓ガラスを下げて車を離れた。秋に入っていたので車内温度が上がることはないと判断したからだ。

私は次男に「ああ、ごめんね」と云いながら抱き上げ、別に人の輪を気にしなかったが、途端に物凄い剣幕でその人達に詰め寄られたのである。赤ん坊だけを車に残して買い物をするなんて考えられない、あんたそれでも親か、と云うわけである。「探していたんだぞ。アナウンスを聞いたか」と云う人もいる。すこし穏和な人は、赤ん坊はよく盗られるから絶対にこんなことをしたらいけない、と諄々と説いてくれる。そのうちにパトカーがサイレンを鳴らしてやって来た。赤ん坊を車中にほったらかしているのは犯罪行為であるからと誰かが通報したのである。

次男が確かに私の子供であることを警官が確認し、それにこちらの決まりを知らなかった外国人であるという事情を考慮されて、二度とこういうことをしないようにと厳しく言い渡されて私は無事解放された。パトカーが去った後も何人かの人が残って、驚いただろうと慰めてくれる人もいた。寝ている子供を車に残しておくだけで「児童虐待」になるなんて夢にも思わなかったので、その慰めが有難かった。

児童虐待を禁止する法律は多くの州で定められているが、その児童虐待は次のような定義されている。

「The Law defines child abuse as: (1) Physical abuse, (2) Neglect, both general and severe, (3) Sexual abuse (4) and Emotional abuse.」

二番目にあるgeneral neglectが私のケースに相当することになる。

「An example of general neglect includes inadequate supervision, such as parents leaving their children unsupervised during the hours when the children are out of school.」なのであるから、赤ん坊を車の中に放置するなんて普通のアメリカ人には全く考えられないことなのである。

私は車のまわりに居た人を、最初はなんて物見高いんだろうとしか思わなかった。それはひとえに私の認識不足によるものであった。今のように携帯電話のない時代だから、誰かがわざわざスーパーの事務所に足を運び、親を呼び出すアナウンスを依頼し、そして警察に通報するという労をとってくれたのである。その親切に感謝すべきなのであった。私に状況が分かってくるにつれて、『異常』に気付いた人たちが、直ちに行動に移るコミュニティの健全さが私に深い感銘を与えることになったのである。

「親(保護者)の児童保護義務を徹底化すること。その義務を怠った親には罰則を科してまでも徹底すべきである」という私の主張のルーツがここにある。アメリカに比べてわが日本社会は余りにも親の児童保護義務に鈍感である。

シュレッダー事故でマスメディアの訴えなければならないこと

2006-08-26 11:42:12 | 社会・政治
8月25日付・読売社説(2) (読売新聞) - goo ニュース

[シュレッダー]「家庭への普及念頭に安全対策を」がこの読売社説の骨子である。
「一般家庭でも使用される機種には、子どもが触ることを前提とした安全対策が必要だろう」と言うのだ。

確かに家庭で日常使う道具や機器に、使用者の安全を配慮した工夫を感じると、メーカーへの親近感を覚える。このような工夫をますます増やしてほしいもので、この社説も当然のことを述べていると思う。

そして「日常生活の安全に関する情報は、ユーザー、国民にいち早く提供してもらいたい。そのためにも、まず経産省への事故報告の義務化を急ぐべきだ」と締めくくる。

前半に異論はない。しかし『経産省への事故報告の義務化』でことが足りるのであろうか。それがどうした、である。これはお座なりな提言に過ぎない。

私はことあるたびにメーカー側の対応を求めて、それでお茶を濁しているマスメディアの風潮に、憤りすら感じているのだ。子供を危険から、事故から守るのに何が一番大事なのか、その視点が全く欠けていると思うからである。

親(保護者)の児童保護義務を徹底化すること。その義務を怠った親には罰則を科してまでも徹底すべきである。マスメディアはそのように世論を導くべきであろう。これが最も求められることであると私は思う。

シュレッダーといわず、家庭には生活に欠かせないもの、そして多大の利便を与えるが、その一方で危険にもなりうるものが充ち満ちている。しかしそれらは勝手に家に入り込んだのではない。誰かが使用する目的で買ったからこそそこにあるのだ。メーカーが殺傷目的で作ったものでない以上、ここに購入者の使用責任が発生することをまずわれわれは自覚すべきなのである。

包丁、ナイフ、はさみ、爪切り、針、編み針、時には割り箸、ガラス食器、ガスコンロ、カセットコンロ、フッドプロセッサー、ジューサー、扇風機、ライター等々、家庭にある危険なものを数え上げればきりがない。これらの道具、機器が原因で年間発生している事故件数はかなりのものであろうと想像するが、それをなぜ一々経産省にメーカーが報告しないといけないのか。お役所仕事を増やすだけでなく、事故発生の直接の原因が何かという問題の焦点をぼやかしてしまうではないか。

怪我をする。まず病院に行くではないか。救急車を呼ぶ場合もあるだろう。火が出ると消防車が駆けつける。場合によればパトカーもやってくるだろう。事故発生に対応する緊急処置として誰しも考え、また期待することである。事故である以上、警察・消防・保健所などがその原因を必ず調査するし、また場合によって医師も通報するではないか。そのデータを有効に活用するシステムさえあれば、国民に安全に関する情報を何の支障もなくもれなく伝えられるはずである。ことさらメーカーに事故報告をさせる必要がどこにあるのだ。そのメーカーに事故データがどのように伝わるかを考えれば、余計な回り道をしていることが一目瞭然であろう。「すみませんでした」とメーカーの頭を下げさせるお役所のたんなるお上意識に過ぎない。

短い期間であれ私がアメリカで家庭生活を営んだことから学んだことが多々あるが、その一つが子供に対する親の保護義務の意識の高さである。アメリカでは子供がティーンエージャーに入ると始めて一人前に扱われるようになる。13歳になると自分の行動の責任は自分で取らなければならないからである。しかしそれまでは親があらゆる保護責任を担うのである。

はやい話が、今や日本ではコンビニの店頭で子供が屯していることなど珍しい光景ではない。これがアメリカならすぐに誰かが警察に通報して子供は警察に連行され、親は呼び出されてお灸を据えられる。一人前でない子供が親(保護者)から離れて行動することが許されていないのである。

もちろん小さな子供だけを家に残して親だけが外出することはできない。そのためにベビーシッターが必須になる。子供を車に残して親がパチンコに熱中する。アメリカでこんなことをすると完全な犯罪になる。アメリカでは州により細かな取り決めは違うようであるが、子供に対する親の保護義務とそれに対する住民の意識が極めて高い。

日本の現状をみると、親(保護者)の子供に対する保護義務の意識があまりにも希薄である。少なくとも子供が小学校を出るまでは親が誠心誠意その養育にあたり、あらゆる危険から子供の身を守ることに全力を投じるべきである。その親の保護義務を怠った場合にペナルティーを科すぐらいの厳しさが社会の規範としてあるべきだと思う。

ことあるたびにメーカーを論うかのようなマスメディアの姿勢は軽薄としかいいようがない。子供の捲き込まれた事故があれば、親(保護者)の子供に対する保護義務の徹底化を訴えることが、健全な国作りの一翼をマスメディアも担うことになるのではなかろうか。

買い物カートから転倒した娘と後日談

2006-08-25 17:07:25 | 海外旅行・海外生活
シュレッダー事故のニュースに、「子供、とくに乳幼児をこのような危険から遠ざけることに万全の注意を払うのは親として最小限の義務であろう」と私は昨日のブログに書いた。実はそれは親としての私の反省の言葉でもある。私の不注意で子供を酷い目に遭わせたことがあるからだ。

若い頃アメリカでの生活が始まり、土曜日は食料品買い出しデーであった。車でスーパーに一家で出かけて大きなカートに食料品をどんどん投げ込む。ほぼ一杯になればお終い、なんとか一週間はもってくれる。

買い物用のカートは大きくてどっしりしていた。取っ手側には幼児用の椅子がついていて、子供は足を穴から外に垂らして親と向かい合うように座る。いつも2歳の長女をそこに座らせていた。

ある日のこと、私がカートから手を離して長女を残したまま何か品物を見ていたときだった。ふとカートの方を見ると長女が椅子の上に立ち上がっている。危ないと思った瞬間、バランスを崩したカートがひっくり返って長女は床に叩きつけられた。頭をもろにぶつけたようで、ギャッと言って泣き叫んでいたがだんだんと声が弱くなる。まわりの買い物客が集まってくるし、店長だったかどうか、店の人が走ってきてすぐに病院へ自分の車でわれわれを連れて行ってくれた。

長女はぐたっとしたままである。前額部にたんこぶがコブシほどの大きさに膨らんでいる。救急のセクションですぐに医師が診察してくれた。検査の詳細は覚えていないが、レントゲン写真は撮ったと思う。どのような診断が下されるのか気が気でならなかった。

この長女は小さいときからお転婆で、怖さを感じなかった子供のように思う。アメリカに渡る太平洋航路の船の中でも片時も目を離すことが出来なかった。梯子でも平気で高いところへ上っていく。「これっ!」と注意するとますます面白がってハッスル始末。万が一にも太平洋に落ちることだけはないようにと、目を覚ましている間は妻か私かどちらかが絶対に目を離すことが出来なかった子供である。

買い物カートの子供用椅子の上にまさか立ち上げるとは、わたしの念頭には全くなかった。しかしなぜ立ち上がったのだろうなんて考えても答えが出てくるはずがない。子供には突発的な行動がつきもの、だから私がカートから手と目を離したのが悪かったのだ。

やがて担当の医師から頭の骨には損傷がないし、容体も悪くはない。しばらく安静にしてから連れて帰ってもよろしい、と言われて安堵の胸をなで下ろした。もし変わったことがあればすぐに連絡するようにとの注意を受け帰宅の途についた。

私は自分でも割合よく気がつく方で、用心深い性質であると思っていた。それだけにこの思いがけない事故はショックであった。危険を意識していない場面で起こったからである。しかし考えてみると、危険意識はあくまでも自分の限られた体験と知識と想像力によるもので、幼児の行動はその理解可能な範囲をいとも易々と乗り越えてしまうのである。だからこそ自分が危険と思うものに近づけないようにすると同時に、何をするのか分からない子供から目を離してはいけなかったのである。

今でもそうであるが、スーパーなどで幼児を買い物カートに乗せたままお母さんが離れて買い物をしていると、さりげなくその側に立ってお母さんが戻ってくるまで見守ることにしている。育て方がいいのか、大人しく待っている子供はほんとうに可愛い。

後日談がある。

私は転倒事故にもかかわらず娘はまともに成長してくれたと思っていた。ところが婿にいわすと時々おかしいというのである。その内容はさておき、婿が娘に「あんたがおかしい」と言うと、娘は「昔頭を打ったせい」と切り返すらしい。その話を婿が初めてしたときには私の不注意を責められているようで、なんとも申し訳のない気持ちになった。その跡が今でも残っている、と娘が婿に頭を触らせたそうである。そうすると、なるほど後頭部が火山の噴火口のように陥没していて、割れた頭蓋骨のくっつき方が悪いせいで大きな溝も残っているというのである。そんなことがあったのですかと婿が聞いても、頭が割れてくっつくなんて私は初耳だったので不思議に思っていたら、妻がそれは私の遺伝と言い切るのである。妻が婿に私の頭を触ってご覧、といって触らせたら、婿が「ほんと、一緒」と言い切る。私も知らなかったので妻の頭を触ってみた。なるほど、陥没もあるし大きな溝もある。髑髏杯にするとしっかりと糸底になるほど『外輪』があった。

これで婿も『陥没』が頭を打ったせいではないことを納得したし、また私も打った場所は後ろではなく前であることを改めて力説した。それにしても娘の頭の形をいつの間にか調べているとはさすが母親であると妙に感心したが、やはり頭の形が変わったのかと心配していたのかも知れない。

これも幸い無事に済んだから云える話である。

シュレッダー事故に思う

2006-08-24 17:38:33 | Weblog
シュレッダーで幼児の指切断 経産省が注意呼びかけ (朝日新聞) - goo ニュース

「身体髪膚,之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは,孝の始めなり」

「孝経」にあるこのよく知られた言葉は、自分の身体の全ては父母より与えられたもの、だから身体を傷つけないように大事にすることが、取りも直さず父母への孝行になる、と教えているのであろう。

この解釈では、子供にこうしなさい、と説いていることになるが、私には同時に親の義務を説いているとも思えるのである。

野生動物ですら親は子供を生みっぱなしにはしない。独り立ちするまではいろいろと面倒を見る。獲物の取り方を伝授するのはもちろん、危険から身を避けるための術を教える。人間となればなおさらのこと、生んだだけでは身体髪膚を授けたことにならず、それだけで子供からの親孝行を期待するのは虫が良すぎる。子供が物心がつき集団生活を始めるまでは、親の完全な庇護が欠かせない。子供を病気やあらゆる危険から守るのはもちろんのこと、そのような危険に近づかないように教え込まなければならない。健全な心身を育んでこそ、親として身体髪膚を子供に授けたことになる。

今回の痛ましい事故が起きて、一番心を痛めているのは幼児の親(保護者)であろうと思う。目を離した一瞬の隙にこのような事故が起こったのであれば、親としては悔いても悔い切れない思いであろう。親が気をつけておれば防げた事故だからである。

今回の場合、メーカーに製造者責任があるとは私は思わない。安全管理は使用者側の責任である。どこの家庭にもある包丁のような刃物は、扱いようによっては危険極まりのないもので、だからこそ乳幼児が簡単に触れるようなところに置いている家はまずあるまい。いわばその扱いと同じようなものではないか。事故を再発させないためにも、世の中は危険なものに充ち満ちていることをまず親が認識して、子供、とくに乳幼児をこのような危険から遠ざけることに万全の注意を払うのは親として最小限の義務であろう。

京都大丸夏の大北海道市で「うに・かに丼」を

2006-08-22 22:24:24 | Weblog

京都までお稽古で出かける途中、阪急西ノ宮駅を過ぎた辺りだろうか雷鳴と共に激しい雨が降り始めて、十三で京都行電車に乗り換えのためにプラットフォームに立っていると、横殴りの雨で濡れそうになる。プラットフォーム側壁の排水口からは雨水が噴出している。まれにみる激しい雷雨である。京都に近づくにつれて雨も上がったが、烏丸四条で地下鉄に乗り換えて国際会議場駅で降り、地上に出ると道路に雨の降った形跡がない。これも局地的に集中する大雨の一例であったようだ。

お稽古を済ませて京都大丸に立ち寄る。お目当ては「大北海道市」で、夕食に海の幸たっぷりの丼ものが狙いであった。嬉しいことに即席の食事処で頂けるようになっている。まよったすえ選んだのが「うに・かに丼」である。

やや小ぶりの丼の表一面をかにの身とうにが覆っている。うにがとろけるように口を通り過ぎていく。もちろんかにの身もあまい。ともにまったく素材の味である。ご飯もふつうのご飯で酢めしではない。それらが組さって実に豊かな味わいを醸し出している。文句なしに満足した。

北海道の特産品も売り場に豊富に並べられていて、食欲のそそられることおびただしい。持ち帰るのに気をつかうので何も買うまいと思っていたのに、1500円を1000円にすると言われてメロンを一個買わされ、ついでに十勝産小豆の粒あん入り鯛焼き君を五匹、連れて帰ることになった。