日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ニコンD70が1月に2度もご入院

2005-01-31 16:56:40 | 社会・政治
私が始めて手にした一眼レフのデジカメがニコンD70である。昨年5月に購入してさっそく東欧への旅行に持っていき大いに活用した。

大いに活用した、と云っても準備期間がなかったので撮影条件の設定をいろいろと自分で工夫するにはいたらなかった。あらかじめカメラ側に設定されているデジタルイメージプログラムを選択して撮るのが精一杯だった。フラッシュをたいてはいけないところでは「Auto」を外して「風景」を選び、花には「クローズアップ」を選ぶとか、そういう操作が楽しかった。また「夜景」や「夜景ポートレート」に設定すると、美しい映像がいとも容易く撮れることに驚嘆したものである。

教会のステンドグラスを綺麗に撮るのも今回の目的の一つであった。プラハ城のヴィート大聖堂のステンドグラスが特に印象的で、こころゆくまで撮影に集中することができた。写真はその作品の一つである。2週間ほどの旅行中にフィルムなら数十本分相当を撮り溜めた。

デジタルイメージプログラムから抜け出して露出モードを選ぶようになったのは帰国してからである。時間におわれることなく、使用説明書を手がかりに「プログラムAE」「シャッター速度優先AE」「絞り優先AE」「マニュアル露出」などのモードの使い方を学んでいった。

デジカメのいいところは、フィルムの消耗に気を使うことなく撮りまくれるところにある。露出モードで撮影条件を少しずつ変化させては撮った画像をパソコンで開き、気に入った映像を得るためにどのように撮影条件を設定すればいいのか、ああすればこうなる、と云う実験が遠慮なく出来た。私の思うままに振る舞ってくれるこのカメラにますます愛着の念が深まったのである。

ところがこの正月、久しぶりに集まった家族の写真を撮ろうとして室内でフラッシュをたいているのに、モニターにはほとんど画像が現れない。撮り直してみるとちゃんとフラッシュは光っているのに画像が現れない。

正月休みがあけるのを待ってニコンカスタマーサポートセンターに電話した。
担当者の指示に従っていろいろと操作をしたが状況は変わらず、結局大阪サービスセンターにカメラを送ることになった。これが1月6日、手元に戻ってきたのが15日である。処置内容は「発光不具合のため発光部の部品を交換いたしました」とのこと。その部品とは「上カバーFPC部組」である。何のことだかそれ以上の説明がないので分からないが確かにフラッシュは正常に光るようになっていた。

昨日30日、「プログラムAE」モードで撮影した際に露出補正を行おうとしたところ、メインコマンドダイアルを操作しても設定数値が変化しない。露出補正だけではなく、このダイアルの操作を必要とする他の機能も設定出来ない。明らかにダイアルが空回りしている。しかし何故そのようなことが起こったのか想像がつかない。例によってまた市内料金並みとは云え東京のサービスセンターに電話をかけ、前回と似たような経緯を辿ってまた大阪サービスセンターにカメラを送った。やっと退院したと思ったら2週間で再入院である。

品物が届いた頃を見計らって今日の昼前に大阪サービスセンターに電話をした。前回のように、はい、直りました、と送り返されるだけでは納得出来ない。どのような故障であったか、それをどのように修理するのか、納得のいく説明を求めたかったからである。それに対して先ほど電話があり、前回の内蔵フラッシュの故障は部品の不良で、今回のトラブルは半田付けの不良が原因であったとの説明があった。このように電話に出た担当者の対応が極めて機敏でまた技術的な説明が簡にして要を得てることで状況がよく分かり、私の気持ちも一応は落ち着いた。

この1月に2回も故障したことは、私のニコンに対するブランドイメージを全く裏切るものである。幸い保証期間内であったので修理に関する直接費用はかからなかった。しかし問い合わせの電話代はこちら持ち、カメラを送り返すために運送屋に連絡してパッキングする手間とそれに費やした時間、さらにあれやこれやと考えたり気をつかったり、このことで費やされたエネルギーも馬鹿にならない。もちろん使用できなかった期間中の不便さも被っている。この分に対する補償はない。こうした損失を製造会社が負担しなくても良い、という決まりが何処かで出来上がっているのだろうか。なんとも解せぬことである。この辺の事情をご存じの方にお教えを乞いたいものである。

保証期間の長さも問題である。多くの製品で1年間のようであるが、どうしてか保証期間が過ぎて動かなくなる製品が結構多い。最近もパナソニックのDVDドライブが不調になったので修理に出そうとすると、新しい製品を買った方がお得、とヨドバシの店員さんに諭された。

今回の私のカメラの故障原因は製品製造に本来はあってはならないことである。それを1年しか保証しないというのはメーカーとして矜持を疑わせるものである。大日本帝国海軍に世界一の性能を誇る測距機を納め、大砲だけの撃ち合いなら絶対にアメリカなんぞに負けるはずがないとの誇りを受け継いでいるはずのニコンが、その程度にしか自分の製品に自信をもてないとは信じがたい。おそらくは3年保証とか5年保証を打ち出すと他のメーカーからのやっかみが怖いので心ならずも右にならえをしているのであろう。ぜひ保証期間延長の検討をお願いしたいものである。

遺骨DNA鑑定で知りたいこと

2005-01-30 14:32:01 | 社会・政治
ダン・ブラウンの小説に嵌っているせいかどうか、世の中のミステリアスな事件の報道もつい読み物として見ることが多い。ところがミステリーファンとして満足させられる報道内容にはなかなかお目にかからない。ストーリーに穴がごろごろしているからである。

ここで私が取り上げたいのは北朝鮮側から日本側に提供された遺骨のDNA鑑定を巡っての報道である。ちょうど今、サンデープロジェクトに町村外相が出演して、北朝鮮側が「日本の遺骨鑑定結果は徹底した捏造」と述べていることに対して、「捏造だとおっしゃる。日本の科学技術の水準というものを些か馬鹿にしているといわざるを得ない」との意見を述べている。一方、この鑑定結果に関連して同じく出演者の一人、草野厚氏が「帝京大学は確かな結果を出した。(警視庁の?)科警研は判定不能だといった。これていうのは日本の国民にとっても知りたいこと」とコメントしている。

草野氏の仰るとおり、その日本国民の知りたいことを何故マスコミが伝えていないのだろう。

昨年12月8日のasahi.comのなかの記事ではこのように報じられている。

「北朝鮮から提供された遺骨は、新潟県警が11月下旬、帝京大法医学研究室と警察庁科学警察研究所、東京歯科大の橋本正次・助教授に鑑定を依頼していた。DNA鑑定は帝京大と警察庁で遺骨を分けて担当。照合にはめぐみさん本人のDNA情報が使われたという。

 県警外事課によると、このうち帝京大の鑑定でめぐみさんのへその緒から得られたDNAとは塩基配列が異なり、「別の2人の人間の骨」と判断された。男女別や年齢など詳細は不明という。警察庁と橋本助教授の鑑定は結果が出ていない。県警の三木邦彦警備部長は「(DNA鑑定で)国内最高レベルの研究機関の鑑定なので、めぐみさんとは別人とみて間違いない」と述べた。政府関係者によると、遺骨は五つあり、うち四つが同一のDNA、一つが別人のDNAだったという。」

この記事に従うと三カ所に鑑定を依頼して、まだ全部の結果が出揃っていない段階で、先ず帝京大学の結果だけを公表したことになる。国民としては引き続いて他の二カ所での鑑定結果を知りたいところであるが、それがどうも鑑定不能との内容であったらしい。

資料としての朝鮮中央通信社備忘録を引用してみる。

「11月15日、日本政府代表団が帰国した後、日本の警察庁はめぐみさんの遺骨を犯罪関連の「証拠物」と見なし、刑事訴訟手続にしたがうという口実のもと、新潟県警察本部に鑑定依頼書を出させ、科学警察研究所、帝京大学、東京歯科大学でDNA鑑定と骨相学に基づく鑑定で精密検査を行うようにした。

 数日間にわたる検査の結果、科学警察研究所は「遺骨が高温で焼かれたのでDNAを検出することができなかった」という結論を下し、東京歯科大学も骨片が微細であるので、鑑定は困難という立場を示した。」

これはサンデープロジェクトでの草野氏の発言、「科警研は判定不能だといった」と矛盾しない。すなわち、三カ所に鑑定依頼して二カ所では鑑定不能と判定され、一カ所で鑑定結果が報告されたというのが事実であろう。

このような事実が明らかになった時点で、正確な報道を責務と自覚しているマスコミ、というような持って回った書き方は止めて、取材した記者はどのように反応したのだろう。その後の経緯から察するに、一カ所からの鑑定結果に基づいての政府発表をきわめて素直に受け入れたようである。普通の感覚なら、ホントにそれで大丈夫?と慎重になるのではないだろうか。全ての結果が出揃っていない状況下、鑑定結果の信憑性こそ問題ととらえて独自の取材を行った記者、取材者が一人もいなかったのだろうか。

科学研究の成果は相互検証が可能な形で論文として公表される。その論文に記載された材料を用いて、また記載された手順に従って実験を進めると(追試)かならずやその論文に報告された結果が再現される筈で、またそうでなければならない。実験結果の再現性(本人にはもちろん、他の科学者によっても)こそが科学的立証の根本で、これは科学研究に携わるものにとっては自明の常識、また科学・技術分野の取材者についても云えることである。

二カ所で鑑定不可能であったことが、何故一カ所で可能であったのか、この時点で相互検証の重要性に気づく取材者が一人もいなかったのだろうか。

科学者にとっても同じ試料を与えられて、あるところでは分析結果が出たのに、自分のところでは結果を出せなかったとなると、平静な気持ちではおられない。分析結果を出したところに出向いて教えを乞い、失敗の原因を明らかにしないと気が休まらない。その上でお互いに試料を交換して相手の出した結果に再現性があるのかどうか、あらてめて確認する過程を通じて事実が事実としても重みを獲得する。

残念ながらこの詰めに甘さがあったのではないか、というのが現時点での私の推測である。町村外相は「捏造だとおっしゃる。日本の科学技術の水準というものを些か馬鹿にしているといわざるを得ない」と仰った。ところがこの情念的な発言とは対照的に、朝鮮中央通信社備忘録を見ると鑑定結果の内容に即した具体的な技術的疑問点を指摘している。

もしこの指摘が事実であるとすれば(鑑定書、公開されているのだろうか?)、北朝鮮側が日本の報告を「捏造」と決めつけるにたりる材料を与えたのは日本側である。そういう「口実」を与えうる杜撰な内容を含んだ公文書をほんとうに日本国政府が北朝鮮に手渡したのであろうか。もしそうだとしたら政治的にも大失態、手厳しく云えば国辱的行為である。

日本国民としてはそうでないことを願う。国民を納得させるために以下の二点に問題点を残してはならない。

その一、なぜ二カ所では鑑定不可能で一カ所では鑑定が可能であったのか、その結果をうけて相互検証を行ったのかどうか、この鑑定に携わった関係者の合意に基づく状況説明がなければならない。

その二、DNAが検出されたのは事実として、このDNAを遺骨由来のものと断定した科学的根拠の明示が必要である。これは極めて厳しい検証を要求するが、「日本の科学技術の水準」でどのようにクリアしたのか、北朝鮮側に提示(するとして)する前に日本国民に示して欲しい。

「捏造」問題を感情論に埋没させるのではなく、科学上の論点に疑念を残さない問題の整理がまず必要である。

付け足りのようではあるが、科学者の報告に一旦疑念がもたれた際に状況を明らかにすることがどれほどの大仕事になるものか、一つのケースに関しての詳細なドキュメンタリーが大部の本に纏められている。写真に示した"The Baltimore Case: A Trial of Politics, Science, and Character"である。科学的真実を明らかにすることの厳しさを学ぶのに手頃な本である。



@niftyで一瞬フィッシングかと・・

2005-01-29 23:57:01 | 社会・政治
今朝のPCWEBニュースで「さらに巧妙化、複雑化するフィッシング、その現状と対策は」という記事を読んだ。フィッシングとは一口に云えば銀行やインターネット・ショッピングのWebサイトを偽装するなどして、個人の口座番号や暗証番号、またはクレジットカード番号をを利用者に入力させその情報を盗み取ろうとする詐欺である。自分のIDなどこのような個人情報のウエブサイトへの入力は慎重の上にも慎重を期さないといけないが、サイト運営者側にも予想できない(とわたしが推測するのであるが)手続きで、利用者が最終確認をする機会を素通りして契約が勝手に成立する事態を夕方になって経験したので、この経緯をまとめてみた。

今日の午後、朝日新聞のデータベースを利用するために、asahi.com perfect LITEを申し込むことにした。その申し込みの画面(その一部が写真のようになっている)に「「申し込む」をクリックすると、会員確認のためのダイアログボックスが表示されます。そこで、会員ID(半角大文字)、パスワードを(大文字・小文字まで正確に)入力してください。」と会員確認のためのダイアログボックスが次のステップとして現れることが明記されている。最終的に申し込みを確認するために広く取られている手段で、会員確認が取れると更にこのような内容で申し込んでよろしいか、とだめ押しの確認を求められるのが通常である。

そこで「申し込む」をクリックした。ところが画面に現れたのは「会員確認」のダイアログボックスではなくて、「申し込みが成立した」との趣旨のメッセージである(実はこのメッセージの内容は記録に残していない。理由は後ほど述べる。)。一瞬、フィッシングにやられたか、と思った。でも元の画面に戻ると「解約」の手続きが用意されていたので、早速解約の手続きをすすめた。ただ問題は一旦申し込みが成立した段階で1月分の会費を徴収されることある。それよりなにより、私が最終確認を行っていないのに、そして自分のIDなどを入力することもなしに勝手に申し込み手続きを完了されては、安全性の確保は無に等しい。

さっそく@niftyに電話をして状況を説明した。問題は2点ある。

第一は私がこの時点でID、パスワードを入力していないのに、何故申し込みが成立したか、である。電話口に出たIさんは、私のパソコンにIDなどが記憶されていて、その場合は確認なしに申し込みが成立する、と説明された。確かに私のパソコンにはそういうデータを置いているので、なるほどそういうことか、とも思った。しかしそれならそれで、そういうこともあり得るから、と注意を明示すべきで、申込者の意志を確認する手続きとしては余りにも杜撰としか云えない。いずれにせよIDなどをパソコンが記憶していることを前提に操作する利用者がいったいどれほどいるのだろう。

第二の問題はどのような問題が介在するにせよ、「会員確認」のダイアログボックスが説明通りに現れることなく「申し込み成立」までいってしまったことは、このプログラムに欠陥があるということである。しかしIさんは私の操作で申し込みが成立したからには直ちに「解約」してたとえこのデータベースを利用しなくても一ヶ月分の会費は払うことになると仰る。何故「欠陥プログラム」のツケを私が払わないといけないのだろう。

私とのやりとりの過程でIさんは何回か電話口を離れてしかるべき方と相談されたようで、その結果訂正があった。最初に「私のパソコンにIDなどが記憶されていて、その場合は確認なしに申し込みが成立する」と説明したのは誤りであった、と。「申し込み」をクリックすると画面の説明通りに必ず「会員確認」のボックスが現れると云うのである。安全性の確保のためには当然のこと、プログラムの作成側の意図がそうであることは私も素直に納得できる。

では、それにも拘わらず、何故私の操作で「申し込み」から「申し込み成立」まで一挙に進んでしまったのだろうか。ここで、私がIDとパスワードをある時点で入力したことに思い当たった。

出発点は「朝日新聞のニュース&データベース」の画面である。そこで個人向けサービスにあるasahi.com perfectをクリックして次の部分


を含んだ画面に移る。@niftyをご利用の方(私は@niftyの会員であるので)の下にあるサービス詳細をクリックして下図
を含んだ画面が現れる。そこには「会員の方はこちら>>」とあってFULLコースと LITEコースの選択があり、私は後者をクリックした。そうするとgate.nifty.comに繋がって、ここでnifty IDとパスワードの入力が求められたのだ。

IDとパスワードを入力すると下図のような画面が現れるので、「asahi.com perfect」利用登録をクリックすると一番最初に示した画面に出るのである。

私が既に@niftyの会員であったが故に素直に「新規登録」を選ばなかったことが、今回の事態を招いたのかもしれない。しかし私は一つの選択肢を選んで手続きを進めたのであって、私の操作に落ち度があるとは考えられない。今回のトラブルは@niftyにとっても不測のことであったのかもしれなが、不測であったも欠陥は欠陥、だって私に最終確認の機会を与えずに一方的に申し込み成立と判定されてのだから。たとえ一ヶ月分といえ会費を取られるのはなんとも合点がいきにくい。

さらにもう一つ付け加えると、私の使ったブラウザーはInternet ExplorerではなくてMozzila Firefoxである。私の使用環境下では後者の応答の方が遙かに早いからである。

今回のトラブルがこのブラウザーのせいなのか、それとも「申し込み」に行き着くまでのプロセスに問題があるのか、@nifty側でぜひ明らかにして頂きたいものである。そのためにはこの現象の再現性を確認して頂かないといけない。私に出来ることなら協力を惜しまないつもりである。そういうこともあってIさんには私の電話番号を残した。このやりとりを問題点の解消にぜひ役立たせて頂きたいものである。

「申し込み成立」が実際にどのような文章で伝えられたのか、それを確認するにはまた一ヶ月分の会費を取られる恐れがある。奇特な方に確認をお願いできればいいのだが・・・。

ダン・ブラウンに嵌って何故か朝日新聞に注文を

2005-01-27 07:40:07 | 読書
ダン・ブラウンの「ダヴィンチ・コード」が全世界で3千万冊売れたそうである。映画化も決定してルーブル美術館も撮影に協力するとのこと、公開が何時のことになるのか待ち遠しいことである。

「ダヴィンチ・コード」を読み終えるやいなや、彼の他の作品を読みたくなり、Amazon.comで"Angels and Demons"、"Deception Point"、"Digital Fortress"を購入した。"Angels and Demons"も既に翻訳が出ているが私はペーパーバックが好みである。

"Angels and Demons"もまた面白い。筋は複雑ではあるが(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047914568/250-4329508-8248262 をご覧あれ)話の運びのテンポがよくて、どうなる?どうなる?と次から次へとページをめくってしまう。気がついたら「ダヴィンチ・コード」と同じく、法王庁の数々のシークレットが頭の中に畳み込まれて、なんだか得をしたように気になってしまう。法王庁が一つの舞台で、法王も含めてそんなことがあり得るだろうかと思わせるほど常識を絶する出来事の連発、奇想天外な発想こそがこの著者の真骨頂である。

"Deception Point"では一転、俗世界の最強権力者アメリカ合衆国の大統領が登場する。2期目を狙う大統領とそれに取って代わろうとする上院議員との熾烈な選挙戦の中、NASAの存亡が一つの大きな争点となる。大統領が強力に支持するNASAはめざましい成果をあげるところか、大きなプロジェクトで失敗ばかりを繰り返している。そのNASAが膨大な予算を消費するツケが、教育費の大幅な削減になっていると攻撃することで国民の支持を引きよせた上院議員。しかし彼が唱道するNASA事業の民営化政策に裏がないわけではない。ところが絶妙のタイミングでNASAの探査衛星が北極の氷山から地球外生命の存在を裏付ける隕石を発見する。あろうことか巨大昆虫の化石がこの隕石に封じ込まれていたのである。追い込まれていた大統領側にとっては起死回生となるビッグニュースである。

しかしダン・ブラウンが表に現れた出来事だけで淡々と物語を進める筈がない。例によって用意周到に考え出された登場人物がそれぞれの役割で縦横無尽に活躍する一方、プロットが二重三重に張り巡らされ、これでもかこれでもかと読者を攻め立てるものだから、読み差しをどこで置くか苦労する。

ほとんどがベッドの中、電車の中であったが、560ページほどの本を20日ほどで読み上げた。一日に100ページ以上読み進んだ日もあったが、その時は読書用眼鏡をかけていたにも拘わらず、終わり頃には文字が二重三重に見え、年齢を感じてしまった。アメリカの大学生なら一日は無理としても、二、三日で読み上げてしまうだろうな、と勝手に想像して羨ましく思った。

女主人公が球状の深海探査機に閉じこめられてまさに海面から沈んで行こうとする。そこから脱出するために彼女は思いつくままの手段をつくすが、なかなか脱出口が開いてくれない。相棒の男性が海に飛び込み外からなんとか手助けをしようと試みるが、どれもこれもうまくいかない。この両者の秒刻みの動きを詳細に述べるものだから、この部分だけでも数ページが埋ってしまう。冗長といえば冗長ではあるが、それほど微にいり細をうがつ描写で、全編を通じて手抜きがない。

ダン・ブラウンの小説に引きずり込まれる理由の一つは、たとえ小説の中でもそんなことあってもいいの、と云いたくなるような現実離れした事件・事態が踵を接して出現するが、その全てが必ず読者を納得させうる種明かしで締めくくられるところにある。論理に一切のまやかし、ごまかしがない。

この「読者を納得させうる種明かし」ということで、ある連想が働いたのでここちょっと脱線する。

最近朝日新聞が「01年1月、旧日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷を扱ったNHKの特集番組で、中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していたことが分かった」と報じたことが発端で、その報道内容の信憑性を巡って朝日新聞とNHKがお互いを非難し合う事態となっている。お互いの「ああ云った」、「こう云った」が噛み合わないものだから、読者、聴取者は何が事実であるのか判断のしようがない。主張の根拠を全て開示することなく両者がお互いの主張に固執する水の掛けあいには、読者、聴取者を納得なせるという姿勢が全く窺われない。

朝日新聞、NHKはいわば報道を「売り物」にする商売人、スーパーエンターテイナー、ダン・ブラウンの小説などで鍛えられた深い読解力を身に備え、知的好奇心に充ち満ちた読者、聴取者に満足感を与える商品を提供してこそ「銭が取れる」というものだ。口火を切ったのは朝日新聞である。上記の記事の根拠となった取材経緯、取材内容をそれらを裏付ける具体的な証拠と共にまず読者につまびらかにすることが、「欠陥商品」を売ることを許されない商売人に課せられた最低の義務であろう。

ダン・ブラウンの小説に惹き付けられたあまりに、お粗末な「読み物」への不満をつい口にしてしまったが、ことほど左様に彼の小説は頭脳を快く刺激する。その快楽の虜になってこれから"Digital Fortress"にとりかかるところである。

歌姫ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス

2005-01-25 00:25:23 | 音楽・美術
新聞でスペインのソプラノ歌手、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスさんの訃報を目にした。1月15日にスペイン・バルセロナで81歳の生涯を終えられたとのことである。

彼女の存在を始めて私が知ったのは1967年、米国Los Angelesの北にあるSanta Barbaraに住んでいた時のことである。サンタ・バーバラを代表するフランシスコ修道会のミッション(伝道所)や、裁判所として使われているオールド・コートハウスを始めとする建物の多くはスペイン風のもので、スペイン統治時代の名残を今なお色濃くとどめている。

青色ダイオードの発明者で特許訴訟を巡ってのの裁判でも有名な中村修二教授が勤めるカリフォルニア大学サンタバーバラ校にそのころ私も勤めており、週末になると街の探索や郊外への遠出を楽しんでいた。それに劣らず熱を上げていたのがLPレコードあさりであった。日本では国立大学の助手の安給料でLPを買うにも一大決心をしなければならなかったのに、アメリカではその数倍の給料が貰えるものだから生活にもゆとりができた。さらに地元のレコードショップでは年に何回かバーゲンがあり、その時は全商品が大幅に値引きされるのに加えて、旧いモノラルの掘り出し物がまた格安で店頭に並べられるのである。そのような状況だったのでバーゲンを待ちかねて、かねてから目をつけていたLPをまとめ買いするのが常であった。

その内の一枚がデ・ロス・アンヘレスとフィッシャー・ディスコウによるパーセル、ベートーベン、バッハ、シューベルト、ハイドン、ベルリオーズ、ドボルザーク、サン・サーンスにフォーレの歌曲のデュエットである。伴奏がジェラルド・ムーアというまさに絶品もの(Angel 35963)。 美しい声が抑制を保ちながら錦を織りなしていくかのような歌の流れに、ただ陶然とさせられるのみである。

特筆すべきもう一点は「伴奏のプリンス」とも呼ばれたピアノのジェラルド・ムーアの引退公演がロンドンのロイヤル・フェスティバルホールが催された時のLPで、フィッシャーディスコウとシュヴァルツコップとともに彼女が舞台に上がっている。LP2枚組のセットで、歌曲の演奏にも力を注いだ3人の歌手のソロあり、二重唱あり三重唱ありの逸品である。このなかに彼女がシュヴァルツコップとロッシーニの軽快で楽しい室内曲を重唱したものがあり、なかでも「二匹の猫のコミックな二重唱」は二人が猫のなきごえだけで丁々発止のやりとりを交わすもので、コミックな歌ながら錬られた歌唱力にしっかりと支えられているだけに迫真の妙がある。やりとりにジェスチャーが興を沸き立たせたのであろうか聴衆の笑い声が全曲を通じて絶えないという、これまた珍しい録音になっている。

このほかにも数点のLPが私の手元に残っているが、実はオペラは「椿姫」一枚があるのみで、その他は全て歌曲である。彼女の歌声は綺麗でまろやか、歌い方もなべて素直で親しみ深い。彼女の訃報に接しあらためて聞きかえしたのが私の大好きな「ラ・パロマ」である。これは比較的最近購入したCD「デ・ロス。アンヘレス 歌の翼に[名歌曲の世界]」(EMI Classics)にあり、実際の録音は1965,66年。スペインの民謡「ラ・パロマ」を彼女は淡々とそしてノスタルジックな甘さで歌い上げる。その歌声に私の魂は大海原の上をゆったりとたゆたい始める。その至福を独占するには余りにも惜しいので、この機会に広く同好の士に薦める次第である。