日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「助教」をなぜ「助教授」にしなかったのだろう?

2007-03-30 16:59:00 | 学問・教育・研究
学校教育法が改正されて、これまで教授、助教授、講師、助手に分類されていた大学教員が、4月から教授、准教授、助教、助手、講師になる。助教授が准教授になり、助手が助教と助手に分かれるのである。なぜだか教育基本法第五十八条第九項で「教授又は助教授に準ずる職務に従事する」と定められている「講師」が、そのまま残っている。ただし条文の「助教授」が「准教授」とあらためられたいる。『非常勤職』として雇用するための便法だろうか。

呼び名が変わるだけではない。その職務も大きく変わる。従来は助教授は教授の職務を助け、助手は教授および助教授の職務を助ける、と定められていたが、その『助ける』という役割が法律上は消えてしまった。そして教授、准教授、助教の基本的職務は共に「学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する」となった。「助教」の独立がぜひ実質的なものであって欲しい。

私は以前ブログ「大学助手とは何だったのか」で、現状にそぐわない「大学助手」の抱える問題点を指摘したが、明治以来の制度がようやく改められる機会に巡り合うことが出来て嬉しく思う。

それにしても「助教」はいただけない。何故すなおに「助教授」としなかったのだろう。アメリカでは教授、准教授、助教授となっているので、英語では当然「assistant professor」であろうと思うのだが、たとえ『助』がつくにせよ『教授』のタイトルを出し惜しみしたのだろうか。事情をご存じの方に「助教」に至った経緯などを教えていただきたいものである。

朝日新聞(3月28日)に《「助教」って何?》の見出しがあったが、私はかっての大日本帝国陸軍で初年兵の教育係をすぐに連想した。五味川純平著「人間の条件」のなかで私は初めて出会ったと思う。練達の下士官が助教とし教育係になり、その助手に『成績優秀』な主人公梶上等兵がなったのである。このような軍隊色プンプンの「助教」がすんなりと通ったのは、若手の研究者を鍛え上げる鬼軍曹的な役割が期待されてのことなのだろうか。

もっとも「助教」の起源は古い。養老令によるとで大学寮は式部省の管轄下におかれ、そこで本科にあたる儒学科(のちの明経道)の教官として「博士」一人に「助教」が二人当てられていたとのことである。だから「助教」は決して格が低いわけではない。古いものを持ち出されると私は弱いが、これが起源なのだろうか。

それにしても「助教」の名称はやはりしっくりこない。そこで一句

     めでたさも 中途半端な おらが春
              
                 大学助手にかわりて

春の日 公明党太田代表に 酔わされて

2007-03-27 19:37:54 | Weblog
サンデープロジェクト(3月25日)で田原氏が公明党太田代表と差し向かいで話し合っていた。何が話されたのか、忘れっぽいのでもう何も記憶に残っていない。

午後、陽気に誘われ、買い物がてら散歩に出かけた。普段なら地下鉄に乗るところを歩いてである。春風がスピーカーの声を運んでくる。音源は公明党の宣伝カーだった。片道4車線の広い道路脇に車が停まり、その横の歩道に人が溢れている。私は道を距てて反対側の歩道で立ち止まった。



宣伝カーの屋根の上に立って演説しているのは公明党太田代表、垂れ幕に名前が記されている。神戸に神出鬼没の巻である。午前中テレビで拝見したばかりのご本人、まさか影武者ではあるまい、と演説に聴き入った。さすが、話がお上手である。何々をやったのも公明党、これをやったのも公明党、と次から次へと実績を披瀝される。何もやらない反対ばかりの日本共産党に社民党、と合いの手が上手に入れられる。それでも日本共産党に社民党は取り上げられるだけましで、自民党は口の端にも上らなかった。

演説がいよいよ白熱化してきた。トーンが高まる。そして圧巻は名前の連呼であった。そういえば地方議会選挙を間近に控えて、宣伝カーには現職県会議員が国会議員と共に乗っていた。その県会議員○○氏の名前を太田代表が連呼し始めた。○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ・・・と息の続く限り名前を繰り返す。それをさらに数回繰り返したのである。これはド迫力があった。香具師の口上なんて吹っ飛んでしまう。残念ながらわが愛するフーテンの寅さんも形無しである。私もその藝に酔わされたか、いまだに○○の名前が脳内でガンガンとひびきこだましている。4月8日の選挙に出かけると間違いなくこの人の名前を書いてしまいそうなので、今回は投票場に行くのを遠慮しようという気になってしまった。 

万波誠医師の米移植学会での症例報告中止のなぞ

2007-03-26 17:17:49 | Weblog
Sankeiweb(2007/03/25 02:56)は《病腎移植問題で、日本移植学会(田中紘一理事長)が米国移植学会に対し、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)らが5月に米学会で行う予定だった論文発表について再考を求める内容の書簡を送っていたことが分かった。これを受けて米移植学会は論文発表を見送ることを決め、関係者に通知した。》と報じた。なんとも不可解な話である。

万波医師らが5月にサンフランシスコで開催されるAmerican Transplant Congressで症例報告をすることになったとのニュースが今月初めに流れたときには、『情報公開』という意味で結構なことだと思った。中国新聞(2007年3月1日)は次のように報じている。

《ATC最終日の五月九日午前(現地時間)に行われる発表演題は「腎移植患者にとっての最終手段、生体ドナー(提供者)/患者からの病気腎」。万波医師、呉共済病院(呉市)の光畑直喜医師(58)をはじめ「瀬戸内グループ」の医師と、病理記録を解析した難波紘二・広島大名誉教授(病理学)ら六人の連名になっている。

 病気腎移植四十二例のうち三十六例の解析結果を基に、全体の五年生存率76・4%、がんの腎臓を移植した患者の五年生存率72・7%―などのデータを報告する予定。「倫理的問題を引き起こすことは健康な生体ドナーの利用より少ない」と有効性を訴える。》

東京新聞(3月1日)は《フロリダ大学移植外科の藤田士朗助教授は「年間一万七千件の移植が行われている米国でもドナー不足は深刻。正規の応募期間に間に合わず追加応募したにもかかわらず採用されたのは、米国の移植関係者の関心がかなり高いことを示す」と評価する。同助教授の元には、米国移植外科学会の元会長のリチャード・ハワード氏から「ドナーとレシピエントがリスクと利益を完全に理解しているならば容認できる。特に日本のように移植できる腎臓に限りがある国では認められると思う」というコメントが寄せられたという。」》とも報じた。

それにも拘わらず、今回の症例報告中止である。何がどうなったのだろう。

American Transplant Congressで発表予定だったということなので、念のためこのホームページで演者としてMannamiを検索したが、検索結果は0であった。早くも削除されたのだろうか。ちなみに私の見る限り、最終日の9日午前はポスター発表はなく、口頭発表のみとなっている。

愛媛新聞ONLINE(2007年03月25日)は以下のように報じた。

《万波医師によると、24日朝、論文の共同執筆者の1人で米フロリダ大移植外科の藤田士朗医師が「今回は論文発表を見合わせたいとの連絡が(米国移植外科学会から)あった」と電話で伝えてきたという。万波医師は「理由は分からないが残念。移植先進国の米国で(病気腎移植が)どういった評価を受けるか聞きたかった。いつかは米国で発表してみたい」と話している。》

この一連の経緯で藤田士朗医師がキーパーソンのようである。『追加公募』を行ったのも、また『発表見合わせ』の連絡を受けたのも藤田士朗医師だからである。藤田医師によるこの辺の事情説明を待たざるを得ないが、それにしても日本移植学会の動きも不可解である。

愛媛新聞社ONLINEによると《日本移植学会によると、米国側には(1)病気腎移植は日本国内で社会問題になっている(2)文書によるインフォームドコンセント(説明と同意)を取っていないことを万波医師自身が認めている(3)院内倫理委員会の承認を得ていない―の3点を田中紘一理事長名で伝えた。》とのことである。

日本移植学会はこのようなことを何故わざわざ公表したのだろうか。例えが悪いが、私は一瞬国際テロ組織の『犯行声明』を連想した。黙っておれば分からずじまいのことを、「万波医師等の症例報告を抑えることが出来たのは、当学会がアメリカ側に『申し入れ』をしたからだよ」とわざわざ云っているように聞こえたからである。学会の意に逆らうとこうなるぞ、との『脅し』なんだろうか。

日本移植学会はなぜ万波医師にAmerican Transplant Congressで症例発表をさせまい、と動いたのだろう。『学会発表』という実績を作らせたくなかったからだろうか。万波医師が口頭発表するとしてもその時間はたったの10分である。質疑応答時間も含まれているだろうから、実際の発表時間はそれよりも短くなる。余程練習を重ねて臨まないと、実質のある発表はし難い。その意味では確かに演壇に登ったという実績だけが全てになる可能性が高い。しかしこれはあくまでも万波医師とAmerican Transplant Congressとのことであって、日本移植学会が目くじらを立てることではあるまいと思うのだが、どうであろう。

主催者はAmerican Transplant Congressなのである。先方が発表を認めたのだからそれでいいではないか、と思う。と思うのだが、American Transplant Congressの態度もまた不可解である。いったん発表を決定したのに、日本移植学会からの『横やり』が入ったくらいで、その決定を覆すとは、見識のなさを露呈するだけである。もっとも『横やり』があったから、と認めることはなかろうが・・・。

いずれにせよマスメディアの報道するところでは、日本移植学会がAmerican Transplant Congressに『横やり』を入れて、万波医師側の『発表』のチャンスを潰した、と私には伝わってくる。信じがたいことであるだけに、マスメディアは藤田士朗医師への取材などを通じて、ぜひ『真相』を伝えて貰いたいものである。


一弦琴「春の日」

2007-03-24 19:32:24 | 一弦琴
芭蕉の門人、山本荷兮(かけい)がまとめた「春の日」の句に、「清虚洞一絃琴」の流祖徳弘太(とくひろたいむ)(1849~1924)が曲をつけた。

春めくや人さまざまの伊勢まいり        荷兮

 櫻ちる中馬ながく連              重五

山かすむ月一時に舘立て           雨桐

 鎧ながらの火にあたる也           李風

しほ風によくよく聞ば千鳥(鴎)なく       昌圭

 くもりに沖の岩黒く見え            執筆

今日は生憎の雨だったが、春の陽気に誘われて唄ってみた。



「ぼくらが惚れた時代小説」を読んで

2007-03-22 17:12:56 | 読書

山本一力、縄田一男、児玉清三氏の鼎談をまとめたものである(朝日新書)。

私も時代小説が結構好きで、これまでもかなり読みあさっている。今さら人に教えて貰わなくてもというわけで、この本が出版されたときには(2007年1月30日第一刷発行)手に取ってみることもなかった。ところが一昨日(3月20日)、京都の本屋でぱらぱらとページをめくってみると、いろいろと面白いことが書かれている。で、買ったしまった。

たとえば中山介山の「大菩薩峠」について、これはちくま文庫版でも全二0巻である。

「全部読まれましたか」と聞かれて
「縄田さんが、あまりにすごいすごい、と言うので読みましたよ」(山本)
「偉いなあ。私は三巻ぐらいでとまってしまって読み通せていないんですが」(児玉)

と言い切る児玉さんがいい。私もご同様、始めの二、三巻読んだだけで、本棚にチンと収まったままである。




「一種の殺人鬼を主人公にしていながら、読んでいると安らぎを得られるという不思議さ」(縄田)があるそうな。でも取り組む気力が今のところもう一つである。

吉川英治の「宮本武蔵」

「尾崎秀樹さんはこういっています。「戦中世代の実感でいうのだが、”二十歳までしか人生のなかった”私たちにとって、『宮本武蔵』は、”いかに生きるべきか”について教えてくれる一番手近な書物だった。生きることは死ぬことだった当時の若者にとって宮本武蔵の求道者としての生き方は人生の指針でもあったのだ」と」(縄田)

私が戦後国民学校5年生で朝鮮から引き揚げてくる途中、釜山の寺院に収容されている間に、同じ引き揚げ者の方に「宮本武蔵」をお借りして全部読み上げたことがある。何故あのときあんなところに「宮本武蔵」があったのか、との疑問へのもう一つの答えであるような気がした。

時代小説とは直接のかかわりがないが、最近のベストセラーについて、

「養老孟司さんの『バカの壁』も、藤原正彦さんの『国家の品格』(ともに新潮新書)も、岩井克人さんの『会社はこれかどうなるか』(平凡社)も、いままではそれほど売れなかったテーマが爆発的に売れた本というのは、全部編集者の聞き書きです。喋っているものを文章にまとめているので、とても読みやすい」(児玉)

ヘェ~、である。

こういう話も出てくる。

「このごろしみじみ思いますけど、「よくそんだけ書いててアイデア枯れませんね」って言われるんですよ。でもね、アイデアは枯れないの、枯れるのは気力なんだよね」(山本)
「アイデアは枯れない、歳をとっても枯れない。私も七0歳を過ぎてもそう思います。」(児玉)

これ、よく分かる。私もアイデアは枯れないけれど、ブログを書きつづけるのに気力のいることを痛感しているから。

ついでに脱線すると、定年間際の大学教授で神懸かり的な素晴らしいアイデアを連発する人が結構いるものである。しかし気力が衰えているから自分で手を下さずに若い人を巻き込もうとする。それを迷惑だと思わずに、そのアイデアの真髄を会得できた人は、それで一生食べていけるかもしれない。いずれ教授は定年でいなくなるから、あとは我が天下である。若き研究者よ、絶好の標的を見逃すことなかれ!

佐江週一の「江戸職人奇譚」(新潮文庫)の中で

「「一会の雪」という三〇枚ぐらいの短編がありますが、これがもう珠玉の恋愛小説(笑)。ほれたはれたなんて一言も書かれていないんですが、ものすごい恋愛小説です。初めて読んだとき、まだこんなすごい短編を書ける人がいるのかと思った」(縄田)

さっそく本屋に走らないといけない。

国枝史郎の「神州纐纈城」(桃源社)について

「死後、なぜか伝説のかなたにうずもれた作家だったのが、昭和四三年(1968年)に桃源社が代表作『神州纐纈城』を復刊すると、一挙に評価が高まった。三島由紀夫が『神州纐纈城』を読んで、こと文学に関する限り我々は1925年(『神州纐纈城』が執筆された年)よりもずっと低俗な時代に住んでいるのではなかろうか、と評した」(縄田)

なんとその『神州纐纈城』が私の書棚に眠っていた。さあ、読むぞ!



角田喜久雄の「髑髏銭」(角川文庫)

「私は角田喜久雄の『髑髏銭』(春陽文庫)で時代物の面白さを知ったのですが、実は、司馬遼太郎が産経新聞記者だったとき、角田喜久雄に連載小説を頼みに行っている。もちろん角田は福田記者が司馬遼太郎というペンネームで書いている作家だとは知らない。そこで、最近の時代小説の話になって、「誰か面白そうな作家がいますか」と聞かれて、「司馬遼太郎というのがいいな」と答えたそうです。(笑)」(縄田)

こいうゴシップがいい。

私は中学生の頃貸本屋で借りて読んだ。その後角川文庫に出たこの「髑髏銭」と「風雲将棋谷」を買いそろえたものだ。三年前、北京で妻が蠍の空揚げをパクついたときにも、先ず思い出したのが「風雲将棋谷」の蠍道人だった。





漫画と劇画について

「私なんかは皆さんと時代が違うんですね。漫画も読めないし劇画もだめ。(笑)」(児玉)

全く同感!私は児玉さんと同い年生まれなのである。

「鞍馬天狗」を書いた大佛次郎、日本のインテリジェンスの代表なんて持ち上げられている。

「どこかに欠点があるはずなんだろうが、いくら探しても見つからないと」(縄田)

「先程、大佛次郎の欠点について話しましたが、一つだけあったとすれば、嵐寛から鞍馬天狗の役を取り上げたこと(笑)。プロデューサーが自分の思うような鞍馬天狗をつくりたかったからでしょうが、嵐寛の鞍馬天狗は安易なチャンバラ劇に流れすぎるといって、小堀明男を主演にして三本作るんですがまったく当たらない(笑)。それでまた嵐寛に戻る。嵐寛は(中略)、あのときだけはひどいと思ったと言っています。頭巾の恰好をはじめ自分が考案したのに原作者の一言で取り上げられた、役者は虫けらかといって怒っている」(縄田)

最近の森進一の「おふくろさん」封印事件を思い出した。森進一が勝手に詞を付け加えたとか、作詞家が怒って歌わせないということになったらしいが、♪あふくろさん、と独特の顔の造作で歌い始めるのは森進一の工夫であろう。私もそうであるが、聴く方はあれは森進一が作り上げた『藝』だと思っている。それが一方的に封じられては、歌手も虫けらなんだと同情してしまう。

でも私は鞍馬天狗は好きである。



綱淵謙錠の「乱」

「大佛次郎、海音寺潮五郎と並ぶ史伝作家だと書いたことがありますが、幕府の軍事顧問となったフランス士官、ジュール・ブリュネを軸として、これほどまでに詳細に再現された維新史はちょっと類を見ない。読んでいて気が遠くなるような気がします」(縄田)

実感がこもっている。私も気が遠くなってか、691頁中の257頁、第十八章兵庫開港のところに栞を挟んだままになっていた。



これからはばたく作家として、女流の宇江佐真理さん、諸田玲子さんの名が上がっているのは嬉しい。文庫本であるが諸田さんの本は全て読んでいる。昨日の新聞広告で「恋縫」(集英社文庫)を見たばかり。買わねば、と思っているところである。

それと男性では山本一力さんと佐伯泰秀さんが両巨頭であるとのこと。ところが佐伯さんの本はまだ一冊も読んでいない。書店であまりにも沢山平積みにされているので、恐れをなして手出しを控えていたのである。お勧めに従い「居眠り磐音江戸双紙」からでも読み始めてみよう。

志賀原発1号機臨界事故 あってはならない隠蔽工作

2007-03-22 13:17:06 | 社会・政治
この『臨界事故』で私はこう思った。。

結局は《想定外の臨界で警報が鳴ったが、制御棒を緊急挿入する別の安全装置も働かず、中央制御室で警報を知った当直長が、放送で手動操作を指示。約15分後、制御棒は元の状態に戻った。》(朝日新聞の引用)のである。「メデタシ、メデタシ」である、と。

全日空機の胴体着陸の場合も、前輪の出ない緊急事態が発生したが、機長は日頃の訓練を生かした冷静かつ的確な操縦によって、胴体着陸を成功させて事無きを得た。志賀原発1号機臨界事故の場合も、制御棒の異常動作で臨界状態が発生したが、当直長の指示により制御棒を正常な状態に戻せた、とみてよかろう。

両方に共通しているのは、現代技術の粋を集めた『機械』といえども、異常動作をする可能性は必ずあるということ、だからこそプロの技術者はその異常に対処する術を、訓練や現場経験により身につけている(はずだ)、ということである。

まかり間違えば多くの人命を損なう恐れのあるのに、旅客機を飛ばせたり、原子力発電所を稼働させるのは、想定される数々の異常事態が発生してもそれに、現場担当者が対応可能である、との前提があるからだ。異常事態が起こったらあとは運任せ、と云わないところに、ものを作りそれを動かす技術者の誇りと使命感がある。

だからこそ、トラブルを起こした旅客機を無事に着陸させたり、原子炉の制御棒をなんとか正常な位置に戻せた、と聞くと私はそのプロの技に「パチパチ」と手を叩いてしまう。『臨界事故』の場合も「メデタシメデタシ」の筈であったが、そのあとがいけない。

3月20日の朝日朝刊は《北陸電力 事故隠し、密室協議 社外には「異常なし」》の見出しで、『隠蔽工作』のあったことを報じた。事故が生じたのは99年6月18日午前2時17分、そののちに時刻は報じられていないが、所長や次長などが緊急招集された、とのことである。そして対策が協議されて、《その結果、「2号機の着工を間近に控えている」などを理由に事故隠しが決まり、当直長には引き継ぎ日誌に事故の事実を書かないよう指示があったとされる。》というのである。とんでもない話である。

昨日(3月21日)の「天声人語」に《石川県の北陸電力の志賀原発1号機では8年前、制御棒が抜け落ちたために臨界の状態となり、核分裂の反応が勝手に起きてしまった。制御を失った迷走は15分ほど続いた。もしも制御がきかない状態が長く続いていたらと想像すると、背筋が寒くなる。》と書かれていた。異常事態は回避されたのに、この筆者はわざわざ「もしも制御がきかない状態が長く続いていたらと想像」して、背筋を寒くさせているのである。

この筆者のように科学・技術の発展のお蔭を日頃蒙りながら、なにかあるとその負の側面を強調したがる人は世の中に珍しくない。ある種の反射運動のようなもので、だからと云って皆が皆まで飛行機を敬遠したり、電気をローソクに変えたりするわけではないから、根がそれほど深いとは思えない。しかし科学・技術の発展の成果が世人に受け入れられるためには『余計な心配』をさせてはいけない。『隠蔽工作』はそれをますます助長するだけではないか。

「引き継ぎ日誌に事故の事実を書かないよう指示」したのは誰なのか。いずれ調査の結果明らかにされるだろうが、科学・技術者の使命感とその良心をないがしろにしたことでも罪が深い。

志賀原発1号機臨界事故とはどの程度の「臨界事故」なのだろう

2007-03-19 22:23:46 | 社会・政治
3月16、17、18日の私のブログで「志賀原発1号機臨界事故」という言葉をタイトルに使った。タイトルとして分かりやすいと思ったからである。しかし実を云うと、「臨界事故」が技術用語として定義されていることを知らずに使っていたのである。

YOMIURI ONLINE(2007年3月18日12時49分 読売新聞)が次のように報じている。

《志賀原発臨界事故、商業軽水炉では世界初…IAEA

 原子力施設での臨界事故は過去に世界で60件発生していることが、国際原子力機関(IAEA)などの統計で17日明らかになった。

 大半は核燃料プラントなどで起きており、北陸電力志賀原子力発電所(石川県志賀町)の臨界事故は、商業軽水炉で起きたケースとしては世界で初めてとなる。(後略)》

なんだか大層なことになってきたのだが、違和感もある。

臨界事故というのは英語では criticality acdicentで、世界の過去60件に及ぶ臨界事故を調査した「A Review of Criticality Accidents 2000 Revision」 (Los Alamos National Laboratory)の用語集では次のように定義されているのである。

《criticality accident: The release of energy as a result of accidentally producing a self-sustaining or divergent fission chain reaction.》

この定義によると、臨界であれ超臨界であれ、過失などで(accidentally)思いがけず核分裂連鎖反応が始まり、核分裂エネルギーが放出されることを「臨界事故」と呼ぶことになる。量的な基準が記されていないので、定義としては甘いと思うが、志賀原発1号機の場合は、制御棒が誤って落ちたことから核分裂連鎖反応が始まったらしいので、その意味ではまさしく「臨界事故」に相当しそうである。

しかし「志賀原発1号機臨界事故」とこのReviewに記されている「臨界事故」とは、その規模と内容に大きな隔たりがあるようだ。核燃料加工施設で起きた「臨界事故」の最後に東海村JCO臨界事故が挙げられているが、この時は被爆者が二名亡くなっている。今回の「臨界事故」はこれと同列に並べられるほどの大きな事故なのだろうか。

量的なデータといえば、モニターシステムである中性子計装系にしても、一般に中性子の測定は三つの範囲に分けて行う、と世界百科大事典が解説している。中性子源領域もしくは起動領域は0出力から定格出力の1/1000ぐらいまでの領域、原子炉周期領域とも呼ばれる中間領域は定格の0.01%から1%くらい、そして出力領域が1%から100%出力までを対象としているとのことである。志賀原発1号機のモニターにはどの領域での測定結果が記録されていたのだろうか。

私の印象ではマスメディアが臨界事故の程度を誇張した報道をしているような気がする。私の数々の疑問にも答えてくれる専門家による科学的な解説がそろそろ現れて欲しいものである。それともマスメディアの気に入らない解説ばかりがもうすでに集まっているのだろうか。

志賀原発1号機臨界事故のますます分かりにくい報道

2007-03-18 10:03:02 | 社会・政治
YOMIURI ONLINE(2007年3月18日3時3分 読売新聞)は《志賀原発事故隠し、臨界で警報12回…モニターに記録》と報じた。

《モニターは、当時の関係者が保管していたコピーで、臨界直前の1999年6月18日午前2時11分から、炉内で降下した制御棒3本が再挿入された同33分までの運転状況が記録されていた。

 それによると、午前2時17分27秒に制御棒の降下が始まり、同18分43秒に中央制御室で核分裂の炉内計測器から最初のアラーム(警報)が鳴った。これを含め、約1分間に計6回、警報が作動。さらに、同19分59秒には四つの警報音が同時に鳴り出すなどした。この間、原子炉自動停止信号が出され、中央制御室内にいた作業員らが制御棒の再挿入を試みたとみられるが、必要な調整弁が閉じるなどしていたため、すぐに再挿入できなかった。》

『警報』てなんだろう。何を知らせる『警報』だったのか、それが私にはピンと来ない。

これまでの報道から私はたとえ制御棒の誤動作によるものといえ、制御が部分的にはずれて開始した核分裂連鎖反応そのものは正常な反応という立場でこの状況を見ている。

その正常な核分裂連鎖反応が始まっただけなのに、なぜ『警報』が鳴ったのだろう。反応の始まりを知らせるブザーだったのだろうか。それにしても制御棒が異常に降下しはじめてから2分30秒足らずの間に『警報』が10回以上も鳴ったとは、正常な反応開始を知らせるにしてはおかしいと思わざるを得ない。

『警報』は制御棒の誤動作を知らせる合図だったのだろうか。この可能性の方が高いように思うが、この報道からはなんとも分からない。モニター装置の異常の可能性だってある。

このような記事もある。

《当時の原子炉内の状況を示すモニターに記録されていた。原子炉自動停止信号が出ていたことも示されており、当時の緊迫した状況が浮き彫りになった。》

「原子炉自動停止信号が出ていた」とはどのようなことなのだろう。原子炉が自動停止した、というブザーか警告灯による合図なのだろうか。それならなにも慌てることがないはずだ。それとも原子炉を自動停止させよ、という指令の信号なのだろうか。でも自動停止させよ、というような指令は、論理的に辻褄が合わない。

「当時の緊迫した状況が浮き彫りになった」とはどういうことなのだろう。

もしかして本当に『大惨事』が起こりかかったのだろうか。89本の制御棒のうち3本が下がって、なんて報道されていたけれど、その報道が事実として確認されたわけではない。とすると事実は逆で、89本の制御棒のうち3本を残して86本の制御棒が抜けた、というのが真相かも、と思わせかねない記事でもある。

限られた?時間の中で記事をまとめる記者も大変だろうが、内容のあいまいな文言を漫然と書き連ねられては、それを読む私の方も結構大変なのである。こんな『生まじめ』な読者のいることも、書く方は忘れないで欲しい。



志賀原発1号機臨界事故の報道姿勢に注文

2007-03-17 14:03:06 | 社会・政治
志賀原発1号機臨界事故の報道に対して、昨日のブログで私はこのように述べた。

《メルトダウンの発生寸前までに行ったのかと私は瞬間的に思ったぐらいである。
中略
メルトダウンを心配することは無かったのだ。私が勝手に早とちりしたように、今にも原子炉が爆発しそうな状態になっていた、と思った人が他にも多かったのではなかろうか。》

今朝の朝日朝刊を見て、『今にも原子炉が爆発しそうな状態になっていた、と思った人』が朝日新聞社にもいた、と云うことが分かった。臨界事故が起きた仕組みを図解しているが、その図には明らかに『爆発』が起こったかのように描かれているのである。どう見ても太陽がニコニコしているようには見えない。地雷を踏んだかのような『爆発』である。



この『爆発』は『臨界状態』について、間違いなく誤解を与える。

「大辞林」(三省堂、初版)には

  【臨界】さかい。境界。特に原子炉で、核分裂が持続的
   に進行しはじめる境目。

と出ているし、「広辞苑」(岩波書店、第五版)にはもう少し科学的に

  【臨界】①さかい。境界。②〔理〕物理的性質が不連続的に変わる境界。
  特に原子炉で、核分裂連鎖反応が一定の割合で維持されている状態。

と簡にして要を得た説明がなされている。

志賀原発1号機のような沸騰水型原子炉では、核分裂連鎖反応によって生じた熱で水を沸騰させ、発生した高温・高圧の蒸気で発電装置を駆動させる仕組みになっている。核分裂連鎖反応が起こらなければ発電機も働かない。すなわち核分裂連鎖反応は正常な反応なのである。『臨界状態』に到達すると云うことは、その正常な核分裂反応が進行する状態になった、ということで、これは昨日のブログで述べたことである。

「朝日新聞」の図解はその『臨界』を否応なしに爆発のイメージと結びつけるもので、なにか意図的に世人の恐怖心を煽っているようである。それとも記者のおつむではその程度の理解しかできないのだろうか。そうとは思いたくないが、ポイントを外した浅薄な理解ぶりは、より科学的な図解と対比させるとよく分かる。

手元の「The Macmillan Visual Dictionary」には、BOILING-WATER REACTORとして次のような図解が載っている。



反応槽のところを拡大するよよくわかるが、水が沸騰して泡がぶくぶく出ている状態が描かれている。



これが沸騰水型原子炉のあるべき姿なのであって、これだけ水を沸騰させようとすると、「朝日新聞」流の図解では炉心が『癇癪玉』だらけになってしまうところだ。明らかにポイントがずれている。

『臨界事故』の本質が、核分裂連鎖反応にあるのではなく、制御棒の異常動作にあることを、私は昨日のブログで述べた。

今朝のasahi.com(2007年03月17日10時18分)は《沸騰水型原発の専門家らは、制御棒の落下を防ぐ金属製の歯止めが外れた可能性が高いと見ていることが16日、分かった。すでに明らかになっている弁操作などの誤りと歯止めのかかわりが、原因究明の焦点になる。》と報じており、これで『臨界状態』ではなく『制御棒』に重点を移して報道の原点に戻ったかな、と思ったのに、この図解が軌道修正を台無しにしてしまった。

マスメディア(とくに朝日新聞)に望みたいことがもう一つある。

この『臨界事故』は定期点検中に起きたとのことである。今朝のasahi.comによると《手順書の誤りから、全制御棒にかかる余分な水圧を別系統に逃す安全弁も閉じてしまっていた。さらに制御弁の一方を先にすべて閉じた上で、もう一方の制御弁を順次閉じていったため、逃げ場を失った余分な水圧が作業終盤の3本を押し下げる(炉内から抜く)ようにかかった。緊急時に制御棒を炉内に押し込む緊急停止装置も働かない状態だった。》らしい。

朝日朝刊は《核反応をコントロールする制御棒の手順書の不備が事故後、改訂されたことがわかった。再発防止のため担当者が行ったが、情報は発電所内部にとどまり、他の原発の安全対策などには生かされなかった。》とも報じている。

北陸電力が制御棒の誤動作が二度と起こらないように、それなりに対応したのであろうとの私の想像は、裏付けられたが、それにしても上の記事は疑問や矛盾を残したままである。

事故が起こったとされるのは99年6月18日午前2時すぎである。ところがYOMIURI ONLINEによると、志賀原発1号機が運転開始したのは93年7月というから、すでに6年も経過している。この間に当然定期点検は何回も繰り返しているであろうに、『手順書の誤り』で運転開始後6年目に始めて異常が発生したとは、常識的には考えられない。このあたりのつっこみがあってしかるべきである。。

さらに《情報は発電所内部にとどまり、他の原発の安全対策などには生かされなかった》のなら、その結果同種の事故が多発した、とでも云うのだろうか。同種の事故が多発したのか、それとも皆無であったのか、事実は調べればわかるではないか。こういうお座なりの記事でお茶を濁すとは不勉強のそしりを免れ得ない。一にも二にも三にも勉強である。不勉強を『煽動』でごまかしてはいけない。

志賀原発1号機臨界事故隠し報道あれこれ

2007-03-16 13:47:42 | 社会・政治
《原発制御棒はずれ一時臨界に 北陸電力、国に報告せず》
asahi.com(2007年03月15日12時31分)の見出しである。主な内容はこうである。

《北陸電力の志賀原発1号機(石川県志賀町、沸騰水型、出力54万キロワット)で、99年の定期検査中に、挿入されていた制御棒3本が想定外に外れ、停止していた原子炉が一時、核分裂が続く臨界状態になっていたことが15日わかった。》

『臨界状態』なんて云われると『ご臨終』を連想して、今にも取り返しのつかない大惨事が起こりそうでドキッとする。メルトダウンの発生寸前までに行ったのかと私は瞬間的に思ったぐらいである。ところが事実はこうであった。

《北陸電力によると、トラブルは99年6月18日午前2時すぎに起きた。定期検査中で原子炉は上ぶたが開いた状態で停止していた。89本ある制御棒はすべて炉の下から挿入された状態になっていたが、そのうちの3本が制御弁の操作ミスで下に落ちてしまい、核反応が始まって臨界状態になった。この時の出力は1%未満だったとしている。》

「ナンジャラホイ」である。89本ある制御棒のうち、3本が操作ミスで下に落ち、そのために営業運転時の定格出力の1%分に相当する『正常な核分裂』が始まった、というだけのことではないか。残りの86本の制御棒は正常に機能していたのだから、メルトダウンを心配することは無かったのだ。私が勝手に早とちりしたように、今にも原子炉が爆発しそうな状態になっていた、と思った人が他にも多かったのではなかろうか。

その後の報道(Asahi.com,2007年03月16日01時28分)で《作業員が制御棒を上下させる駆動装置(水圧式)の弁を次々と閉める作業をしていた。駆動装置の別の場所で漏水があり、その水圧で制御棒3本が自動的に引き抜かれた。核反応が始まり、部分的に臨界状態となった。》であることが分かった。

いろいろのトラブルの連鎖があったようだが、結局は《想定外の臨界で警報が鳴ったが、制御棒を緊急挿入する別の安全装置も働かず、中央制御室で警報を知った当直長が、放送で手動操作を指示。約15分後、制御棒は元の状態に戻った。》のである。「メデタシ、メデタシ」である。

このようなことをわれわれ国民が一々知らないといけないのだろうか。

マスメディアが《事故隠し「悪質」》とか《志賀原発臨界事故隠し「許せない」と安倍首相》とか《甘利経産相は「憤りすら感じる。今までのデータ改ざんとは質が違う。厳正に対処しなければならない」と述べた》(引用はすべてasahi.comから)と報じているが、反応がなんだか大袈裟である。要は「駆動装置の別の場所で漏水があり、その水圧で制御棒3本が自動的に引き抜かれた」という『事故』なのである。核分裂が連鎖的に進行しはじめたのはその結果にすぎない、というのが私の反応である。

いったいどの程度の『事故』から国に報告しないといけないのだろう。それこそマスメディアに解説して欲しいものであるが、今回のようなことを経済産業省原子力安全・保安院に報告していたとしても、報告書は棚晒しになるだけのことだろう。

この『臨界事故』で問われるのは、北陸電力が制御棒の誤動作が二度と起こらないようにどのような対策をとったか、ということである。それなりに対応したからこそ、『臨界事故』が起こってから8年間もこの志賀原発1号機が働き続けているのであろうと思いたい。ただ《発電所長ら幹部が協議して事実を運転日誌にも残さず、国などへも報告しないことを決めた。》と報じられているように、運転日誌に残していないのが事実であるなら、国などへの報告をさておいても、これは問題である。北陸電力は襟を正すべきであろう。運転日誌にも記していないのに《トラブルは99年6月18日午前2時すぎに起きた》ことがなぜ分かったのか、私は知りたい。

マスメディアが大騒ぎをするものだから、安倍首相も甘利経産相もそれに煽られてきついことを云わされる羽目になり、とどのつまりが『臨界事故』発生8年後に志賀原発1号機の運転停止を政府が指示することとなった。「バッカミタイ」である。

マスメディアに煽られてのヒステリックな連鎖反応を止める制御棒こそ、今の日本社会に一番必要なものであろう。