学校教育法が改正されて、これまで教授、助教授、講師、助手に分類されていた大学教員が、4月から教授、准教授、助教、助手、講師になる。助教授が准教授になり、助手が助教と助手に分かれるのである。なぜだか教育基本法第五十八条第九項で「教授又は助教授に準ずる職務に従事する」と定められている「講師」が、そのまま残っている。ただし条文の「助教授」が「准教授」とあらためられたいる。『非常勤職』として雇用するための便法だろうか。
呼び名が変わるだけではない。その職務も大きく変わる。従来は助教授は教授の職務を助け、助手は教授および助教授の職務を助ける、と定められていたが、その『助ける』という役割が法律上は消えてしまった。そして教授、准教授、助教の基本的職務は共に「学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する」となった。「助教」の独立がぜひ実質的なものであって欲しい。
私は以前ブログ「大学助手とは何だったのか」で、現状にそぐわない「大学助手」の抱える問題点を指摘したが、明治以来の制度がようやく改められる機会に巡り合うことが出来て嬉しく思う。
それにしても「助教」はいただけない。何故すなおに「助教授」としなかったのだろう。アメリカでは教授、准教授、助教授となっているので、英語では当然「assistant professor」であろうと思うのだが、たとえ『助』がつくにせよ『教授』のタイトルを出し惜しみしたのだろうか。事情をご存じの方に「助教」に至った経緯などを教えていただきたいものである。
朝日新聞(3月28日)に《「助教」って何?》の見出しがあったが、私はかっての大日本帝国陸軍で初年兵の教育係をすぐに連想した。五味川純平著「人間の条件」のなかで私は初めて出会ったと思う。練達の下士官が助教とし教育係になり、その助手に『成績優秀』な主人公梶上等兵がなったのである。このような軍隊色プンプンの「助教」がすんなりと通ったのは、若手の研究者を鍛え上げる鬼軍曹的な役割が期待されてのことなのだろうか。
もっとも「助教」の起源は古い。養老令によるとで大学寮は式部省の管轄下におかれ、そこで本科にあたる儒学科(のちの明経道)の教官として「博士」一人に「助教」が二人当てられていたとのことである。だから「助教」は決して格が低いわけではない。古いものを持ち出されると私は弱いが、これが起源なのだろうか。
それにしても「助教」の名称はやはりしっくりこない。そこで一句
めでたさも 中途半端な おらが春
大学助手にかわりて
呼び名が変わるだけではない。その職務も大きく変わる。従来は助教授は教授の職務を助け、助手は教授および助教授の職務を助ける、と定められていたが、その『助ける』という役割が法律上は消えてしまった。そして教授、准教授、助教の基本的職務は共に「学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する」となった。「助教」の独立がぜひ実質的なものであって欲しい。
私は以前ブログ「大学助手とは何だったのか」で、現状にそぐわない「大学助手」の抱える問題点を指摘したが、明治以来の制度がようやく改められる機会に巡り合うことが出来て嬉しく思う。
それにしても「助教」はいただけない。何故すなおに「助教授」としなかったのだろう。アメリカでは教授、准教授、助教授となっているので、英語では当然「assistant professor」であろうと思うのだが、たとえ『助』がつくにせよ『教授』のタイトルを出し惜しみしたのだろうか。事情をご存じの方に「助教」に至った経緯などを教えていただきたいものである。
朝日新聞(3月28日)に《「助教」って何?》の見出しがあったが、私はかっての大日本帝国陸軍で初年兵の教育係をすぐに連想した。五味川純平著「人間の条件」のなかで私は初めて出会ったと思う。練達の下士官が助教とし教育係になり、その助手に『成績優秀』な主人公梶上等兵がなったのである。このような軍隊色プンプンの「助教」がすんなりと通ったのは、若手の研究者を鍛え上げる鬼軍曹的な役割が期待されてのことなのだろうか。
もっとも「助教」の起源は古い。養老令によるとで大学寮は式部省の管轄下におかれ、そこで本科にあたる儒学科(のちの明経道)の教官として「博士」一人に「助教」が二人当てられていたとのことである。だから「助教」は決して格が低いわけではない。古いものを持ち出されると私は弱いが、これが起源なのだろうか。
それにしても「助教」の名称はやはりしっくりこない。そこで一句
めでたさも 中途半端な おらが春
大学助手にかわりて