日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

謝罪する相手を間違えたイージス艦「あたご」艦長

2008-02-28 11:05:07 | Weblog

今朝の朝日新聞一面の見出しである。これは違うな、と私は思った。艦長に指揮官としての全責任があるのは当然のことである。これには異存はない。だからこそまず国民に謝罪すべきなのである。自衛艦の舳先に昔の帝国海軍軍艦のように菊の紋章が刻まれているのかどうかは知らないが、自衛艦は紛いもなく国民からの貴重な預かりものである。その国有財産に傷をつけ漁民に災難を与えたことを国民に対してまず謝罪するのが筋と言うものだ。

艦長は清徳丸乗組員の家族と漁協関係者に謝罪したとのことであるが、何をどのように謝罪したのだろう。国民にたいする謝罪と同じ意味合いのものであればまだ納得できるが、もし「全面的に非を認める」との意味ならばこれは問題である。なぜなら来たるべき裁判で艦長と清徳丸乗組員は(形式的には)対立すべき立場にあるのに、現時点で艦長が「全面的に非を認める」のであれば、国民のみならず裁判関係者にも予断を与えたことになるではないか。衝突の状況とその後の捜索の成り行きを見ると、もはや清徳丸乗組員の生存を期すべくもない。従って艦長が弔意を表したというのであれば素直に理解できる。しかし弔意と謝罪とは別物である。

2月26日のブログ清徳丸はなぜ為す術がなかったのだろうで、清徳丸の船長は衝突するまでいったい何をしていたのだろうと私は疑問を投げかけた。そこで引用した図解によると、清徳丸の僚船である幸運丸は「あたご」の前方約2.7kmほどで大きく右へ旋回して「あたご」を回避した。また清徳丸の後方を航行していた僚船金平丸も、その操舵が適法だったのかどうかは知らないが、いったん右に向かった後で左へ大きく回避し、とにかく「あたご」を避けている。幸運丸と金平丸の間に挟まれて進んでいた清徳丸だけがなぜ「あたご」と衝突したのか、これは誰しも持つ疑問ではなかろうか。それが現時点では明らかにされていない。

海は皆のものである。海上自衛隊の艦船であれ漁船であれ、日本では平等である。お互いが安全航行を心がけるのは当然のことである。しかし7000トンの護衛艦と7トンの漁船では自ずと操艦、操船の心がけが違っているのではなかろうか。7000トンもの護衛艦が戦闘中でもあるまいし、右や左にくるくる舵を切ってくれては、すれ違う船はいったいどう身を躱せばいいのかかえって途方にくれることだろう。大きい船は静々とひたすら前を見て行くものだ、というのが海の男の常識にでもなっておれば、おのずとより小さくて小回りの効く船がちゃんと避ける、そのほうが事がスムーズに運ぶのではなかろうか。報道によると「あたご」の乗組員は漁船が避けてくれると思ったらしいが、そのような(暗黙の)ルールがあってもいいのではないか。

2月26日の東京新聞は《あたごは一〇・五ノット(時速約一九キロ)、漁船団は約一五ノット(約二八キロ)で進んでおり、一分で八百メートル接近する。》と報じていた。なんと「あたご」の1.5倍の速度で漁船団は進んでいたのである。高速道路を80kmの速度で走っている大型トレーラーを自動二輪が120kmであっという間に追い越していく、それぐらいの速度差があったのである。この時点での機動性は漁船の方が「あたご」より遙かに勝っていたのである。だからこそ幸運丸と金平丸は衝突を回避できたのであろう。清徳丸だけ、いったい何をしていたのだろう。

現時点で清徳丸にいかなる意味でも全く過失がなく、「あたご」にすべての過失があるのかどうかは分かっていない。だからこそ事故原因の解明を急ぐべきで、裁判で事実関係が明らかになり「あたご」に一方的な過失のあることが確定してから艦長が清徳丸乗組員の家族と漁協関係者に謝罪すべきであったのだ。C型肝炎訴訟で福田総理が原告団に謝罪したように。なんでも頭を下げればよいものではない。艦長はまず国民に謝罪をし清徳丸乗組員の家族には弔意を表すべきであった。


一弦琴「後の月」 清虚洞一絃琴譜による再演

2008-02-27 21:40:09 | 一弦琴
               詞 中根香亭
               曲 真鍋豊平

  初冬の たそがれ寒き 人かげに うかれ
  うかれて 思はずも 見あぐる望の 月のかげ
  友のさかなに 妻の酒 かさねて遊ぶ波の上
  やがて岡なる 山岸を あゆみつくして たちかへる
  舟の景色の かぎりなく 酔ひてぬるまの 夢のうちに
  まさしく見えし 仙人(やまびと)の 姿は鶴に かはりつつ
  雲ゐはるかに 飛びゆけど けうのあそびの つきぬ楽しさ


私は一弦琴を師匠の著した「一絃琴清虚洞新譜」に従って習ってきた。この譜では下左に示すように原稿用紙のような枡目に音の高さを表す漢数字が入っており、また枡一つが一拍に相当する。歌の言葉がその横に添え物のように記されているので、つい琴の演奏が主であるような印象を受けるが、初心者には分かりやすい譜である。



これに反して「一絃琴清虚洞新譜」の元になった徳弘太著「清虚洞一絃琴譜」は、以前にもブログで紹介したように、歌のところでは言葉が主になっていて、それに拍子や音の高さが添えられている(上右)。一見取っつきにくいようではあるが、一弦琴ほぼ全曲を仕上げる頃になると素直に分かってくる。私は歌が好きなので、歌に琴の演奏をつける形式になっている「一絃琴譜」のほうが合っているような気がし始めた。この一ヶ月ほどは「一絃琴譜」で唄ってきたが、その成果はどうだろうか。

枡目だとつい拍子を数えてしまうが、こちらだと言葉で語るという感じになるのがよい。それに、たとえば上の詞の「かさねて遊ぶ」の横には、「九ノ音ニテ詞ノ様ニ」と注釈が加えられたりして分かりやすいのがよい。


清徳丸はなぜ為す術がなかったのだろう

2008-02-26 12:20:24 | Weblog
海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」と漁船清徳丸の衝突事故から早くも一週間が経った。「あたご」が衝突の1分前に清徳丸を確認後、当直士官が後進をかけて手動装置に切り替えるまで、自動操縦で航路を変更することなく進んでいたようである。一方、清徳丸の衝突までの動きはほとんど分かっていない。《清徳丸から回収した全地球測位システム(GPS)も海水につかってデータを復旧できるか微妙な状況》(asahi.com、2008年02月26日05時57分)とのことである。ただ2月22日の朝日朝刊には、事故直前まで清徳丸と一緒にいた漁船の乗組員らの情報に基づき、衝突に至までの経緯が艦船の相互の動きとして図解されていた(下図はその一部)。これを見て私は清徳丸の船長は衝突するまでいったい何をしていたのだろうと不思議に思った。



今朝の東京新聞は《漁船団は幸運丸、清徳丸、金平丸、康栄丸の順に運航中の午前三時半ごろ、レーダーであたごをとらえた。三管は、あたごのレーダーが正常に作動していたことを確認しており、同時刻ごろにはあたご側のレーダーも漁船団を捕捉し、当直員も気付いたとみられる。》(東京新聞、2008年2月26日 朝刊)と伝えている。漁船団と「あたご」はお互いにかなり早くから相手の存在を認めているのである。そして事実、清徳丸以外の三隻の漁船は注意を怠ることなく、それぞれの回避行動をとっていることが上の図解から明らかである。「命あっての物種」となぜ清徳丸が適切な回避行動を取らなかったのだろう。他の僚船はなんとか衝突の危険を切り抜けたのに、と清徳丸の対応の遅れが悔やまれる。

話は変わるが私が中国の大連、北京をそれぞれ別の機会にツアーで訪れたときに、ガイドさんにくれぐれも注意されたことがある。横断歩道があってたとえ歩行者信号が青でも、もし車が走ってきたら絶対に渡ってはいけない。日本と違って中国は車優先社会だから歩行者が横断中でも車は停まってくれないから、とのことであった。そう言われて注意して観察すると確かにその通りで、私も旅先で事故にあっては大変なので注意を怠らなかった。わが身を守るためである。

日本でも車が赤信号で停止することを確かめてから横断歩道を渡るし、また右折、左折してくる車があれば、運転者と視線を合わせて、車が停まったことを確認して渡るようにしている。いくら私に横断の優先権があっても、不注意な車、信号無視の車にもしはねられたりしたら元も子もないではないか。これが「弱者」の保身術である。清徳丸は「あたご」に対しては明らかに弱者である。わが身を守るために清徳丸はなぜ為す術がなかったのだろう。マスメディアの報道がこの点をなおざりにしていることに隔靴掻痒の感が有る。

「あたご」の対応に遅れがあったことは歴然としており、その失態は糾弾されるべきであるが、「命あっての物種」を「弱小船舶」の乗組員も拳々服膺していただきたいものと、これはあえて釈迦に説法の弁である。


液晶テレビ不当価格表示?の怪

2008-02-25 23:22:48 | Weblog
これまでケーブルテレビJ:COMとはTVアナログ契約を結んでいたが、インターネットをウルトラ160Mにアップグレードし、またNTTの固定電話もJ:PHONEに変更するのをきっかけに、TVデジタル契約にすることにした。そこでこの際思い切って、これまで10年間使い続けてきたブラウン管テレビを液晶テレビに買い換えることにした。

インターネットで情報を集めて検討し、純国産品として評判の高いS社K工場製のハイビジョン液晶テレビ(***42D*3*)を第一候補とした。メールオーダーでこれまでもよく利用しているYC社のホームページで値段を見ると、2月20日現在で266,200円(税込み)でポイントで10%還元されることになっていた。値段を比べるためにわが国最大の量販店と言われるYD社のホームページを見ると298,000円(税込み)でポイント還元は11%となっている。さらに近所の量販店K社に足を運んで実物を見ると、世界一の安値を売り物にしているはずだのに、なんと358,000円の値段がついていた。YC社が一番安いので注文する気にり、再びYC社のホームページを開いたところ、なんと同じ商品が298,000円と値上がりしてYD社と肩を並べているではないか。昨日(2月24日)のことである。

一度でも266,200円という値段をつけている以上、それを値上げするとはどうも解せない。世界で供給不足が問題になっている小麦などと違って液晶テレビは競争の激しい分野だと聞いている。そこで今日はYC社の店舗まで出かけて価格変更の事情を問いただすことにした。ところが店頭では266,200円の値札がちゃんとぶら下がっている。これなら問いただすこともあるまいと思い、購入を前提として店員さんと設置のこととかブラウン管テレビの処分のことなどを話し合い購入を決めた。その時、値札に「価格のことは店員にお聞きください」というような但し書きがあるのに気がついた。これはどういうこと?と思いながら「ところで値段はどうなるの?」と聞いてみた。すると店員さんはおもむろに算盤なるぬ電卓を取り出して数字をはじき出し、これでいかがですか、とその数字を見せた。なんと驚くなかれ、216,800円也である。表示価格よりもまだ5万円安い。驚いたけれどひょっとして展示品価格かと思い確かめたところ、「まだ書き換えていませんが今日から値下げしました」との返事がもどってきた。

もちろん私は216,800円に幻惑されて一も二もなく話に乗ってしまい、設置料2,100円とTVリサイクル料2,835円を払い、ポイントを22,185円分つけて貰った。その上おまけに「昨日まで大型テレビをお買い求めのお客様へお出ししていた時計です」と、液晶時計まで貰ってしまった。私にしてみれば良いとこずくめなのであるが、しかしどうも釈然としない思いが残った。値札に「価格のことは店員にお聞きください」と書く手間をかけるのなら、なぜそのものずばり、216,800円と書き直さないのだろう。そこでハタと気づいた。昨日266,200円出してテレビを買った客が、たまたま今日は216,800円に値下げされていることを見れば、当然文句をつけることだろう。そういうトラブルを避けるために値段を書き直さないのかな、と思ったのである。しかしそれよりも気になるのはホームページに出ている298,000円という価格である。今の今も確かめてみたら間違いなく298,000円となっている。

もちろん注文する人はこの価格を納得して申し込むわけだから、どこに問題があるのか、と問われそうである。しかし現実に同じ商品を店頭でこれよりも27%も安い値段で買った人(私)がいる以上、インターネットで注文する人は著しく不利を被ることになるではないか。これでは本来の意味とは異なるかもしれないが、一種の不当価格表にになるのではなかろうか。

もちろんネットで発注すると実際の徴収額は216,800円となるのかも知れない。しかし公正取引委員会の見解に「実際と異なる表示が行われるなど,価格表示が適正に行われない場合には,消費者の選択を誤らせるとともに,市場における公正な競争が阻害され,上記のような価格表示が持つ本来の機能が発揮されなくなる」と記されているうちの強調の部分に、今回のような事例は明らかに当てはまるのではなかろうか。専門家のご意見を伺いたいところであるが、現実的には特に大きな買い物をするときは、やはり昔ながらの店頭で電卓片手に店員さんと値段のやりとりをすることを心がけた方が良さそうである、と思った。

自衛隊を「傭兵」に出して鍛え直せ

2008-02-24 12:12:41 | Weblog
まぐろはえ縄漁船「清徳丸」を真っ二つに切断した事故で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」が第3管区海上保安本部(3管)の捜索を受けた。海上保安庁の任務の一つである海にかかわる犯罪捜査の対象となったからであろう。1988年7月に海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船が衝突した事件で「なだしお」の艦長は、釣り船の船長ともども海難審判を経て横浜地裁から執行猶予付きの禁固刑を言い渡されたが、「あたご」艦長も同じように取り扱われることであろう。自衛艦の艦長も民間の船長も日本では全く同じ法で扱われている。

ところが一方2001年2月、ハワイ・オアフ島沖でアメリカの原子力潜水艦「グリーンビル」が日本の水産学校の実習船「えひめ丸」と衝突して沈没させた事件では、潜水艦艦長は海難審判を受けることなく、米海軍が主催する査問会議で刑事責任を問われることもなく、従って軍法会議にもかけられず懲戒処分だけで済んだ。

艦長に対する処分がこのように日本とアメリカで大きく違うのは、米海軍が紛うこともない軍隊であるのに反して、海上自衛隊は軍隊ではないからである。米海軍は軍隊であるからこそ軍艦にも特例が認められていて、出入港するさいには優先権が認められている。かってのわが国の帝国海軍艦船がそうであったように。自衛艦にはそれがない。

軍隊とは武力を行使するための組織である。要するに戦争をするための組織なのである。ところがそれにふさわしい扱いを受けていない日本の自衛隊は軍隊ではないのである。では自衛隊は何を目的にしているのか。自衛隊法第3条は自衛隊の任務を次のように述べている。

《第3条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。》(強調は引用者)

要するにわが国を防衛するのが主な任務で、自衛隊を管轄する防衛省(Ministry of Defence)の名前の示すところでもある。ところでこの防衛とは、先制攻撃を仕掛けられたときに発動する軍事行動で、世界の常識ではこの防衛とは「専守防衛」ではなくて敵地を攻撃し占領することも含んでいる。もし日本が海を隔てた他国からいかなる形であれ先制攻撃されたら、敵地のミサイル発射基地を攻撃して破壊するのはもちろんのこと、必要ならば首都を攻撃、占領することも「防衛」なのである。

アメリカなら当然取るようなこの軍事行動が今の自衛隊では出来ない。軍隊ではないからである。考えてみたらおかしいことだが、憲法の下では自衛隊は軍隊でないことになるのに、自衛隊法では軍隊のすることをしますよ、と言っていることになる。だから現実には自衛隊法第3条の強調部分はただの強がりで、「看板」に過ぎないということになる。では軍隊でない自衛隊が現実にやっていることは何だろう。

一口に言えば、いったん出来上がった自衛隊という組織の維持・管理なのである。人間が産まれた以上死ぬまで食べ続けるのと同じようなものである。軍隊でない自衛隊のやっている訓練はみせかけのもの、存在をかろうじてアピールするだけのものに過ぎない。ある製薬会社のテレビCMに、別に必要もない断崖絶壁をよじ登ってはわざわざ足を踏み外しては片手でぶら下がり、またなぜかタイミングよく切れた吊り橋にぶら下がっては危機を脱して「ファイト・○○」と叫ぶのがある。アクションは派手だけれどまったく無意味な行動であるが、自衛隊の演習もこれと似たようなものだな、と私は思ってしまうのである。このように自衛隊をただ「あるだけ」の存在にしたのは誰かと言うと、ほかでもないわれわれ国民なのである。災害救助に活躍するではないか、と反論があるかも知れないが、災害救助ならブルドーザーがあれば十分である。戦闘機や戦車、おまけにミサイルが必要だとは誰も言うまい。この自衛隊が毎年4兆円以上の税金を使っている。

最近クローズアップされてきた海上自衛隊のかずかずの不祥事は、一口に言えばプロ意識の欠如である。と言うより「武力集団」としてのプロ意識が育たないような扱いを国民からされてきたから当然の結末であったとも言える。一方自衛隊も今や指揮官から兵に至るまで、戦争経験のないものが、「ファイト・○○」まがいの訓練ごっこでお茶を濁しているのも、親(=国民)の心を子供(=自衛隊)なりにくみ取っているのかと思えばいじらしもなる。

しかし誤解されては困る。私は自衛隊を貶めるためにこのようなことを言っているのではない。以前に石波茂第四代防衛大臣への期待でも述べたように、私は日本が普通の軍隊を持つべきだと考えている。すなわち自衛隊が普通の軍隊であって欲しいと願うのである。そのためにどうすればよいのか。憲法問題はいずれクリアされるとして、自衛隊を真のプロ集団として鍛え上げるのが先決である。

軍隊は戦争経験があってなんぼのものである。それはわが国だけのことではない。世界どこでも同じである。だからこそドンパチが世界のどこかで起きるとアメリカを始め主要な軍事国は軍隊を派遣して実戦を経験させる。プロ集団として至極当たり前のことである。自衛隊にも戦火を浴びさせねばならない。そのためにはどうすればよいか。自衛隊を「傭兵」にするのである。

有難いことに日本では中途半端な存在の自衛隊が、国際法では正規軍と見なされる条件を満たしているのである。すなわち

 1.部下のために責任を負うものが、その長としてあること。
 2.遠方から識別できる固有の標識を有すること。
 3.公然と兵器を携帯していること。
 4.その行動について、戦争の法規慣例を遵守すること。

で、だから外国に対して自衛隊は軍隊として通用する。

世界のどこかでドンパチが始まる。直ちに自衛隊を傭兵として売り込みにかかるのである。心がけることはただ一つ、値の高い方に売りつける。そして自衛隊同士を戦わせることだけはしない。自衛隊が雇い主の期待に応えて勝利を収めて実績を積み重ねていくと、かってのスイス傭兵のようにたくさんお声がかかるようになるだろう。こうなれば自衛隊は独立行政法人のようなものにすればよい。国から予算を削られても屁とも思わない。世の中に戦争がなくならない限り、陸・海・空、競い合っていくらでも金儲けが出来る。外貨獲得の稼ぎ頭になるだろう。

「傭兵」は「武器輸出」には当たらない。外国に自衛隊を売り渡すわけではないからだ。それどころか「傭兵」は日本国憲法のいかなる条項にも抵触しない。日本国軍隊を「傭兵」に出すという発想がもともとなかったから当然のことである。スイス傭兵もわざわざ憲法で禁止してようやく下火になったという経緯があるくらいだ。このように自衛隊を「傭兵」にすれば、いよいよ晴れて戦争を体験できる。経験不足だと誰も後ろ指を指さなくなる。自衛隊が強いのか弱いのかも評価が定まり、それならいざというときには国を守ってもらえるものと国民も安心できるというものだ。

しかし良い事ずくめの自衛隊傭兵化を実現するのに、一つ超えなければならない高い壁がある。「自衛隊傭兵化法案」が国会を通過すると、自衛隊隊員が雪崩を打って除隊することを私は密かに恐れている、それを何とか防ぐ手段を講じなければならないが、これは私が肩入れをする石波防衛大臣にお任せすることにしよう。もし、どうしても自衛隊員がいなくなってしまったら?そんな自衛隊なら無くなってしまっても私は何の痛痒も感じない。私は敗戦時、疎開地の朝鮮鉄原で一番頼りになってくれるはずの軍隊にはやばやと逃げ出された経験があるので、日本に軍隊があろうが無かろうがそこは融通無碍である。しかし繰り返す、中途半端な自衛隊はお呼びじゃない。



春の海ひねもすのたりのたりかな

2008-02-21 23:53:41 | Weblog
今日はあまりにも天気がよすぎるので机の前が落ち着かず、昼前に家を飛び出した。JR垂水駅で下車、駅前にある寿司屋で腹ごしらえをする。このお寿司屋さん、三軒ほど店があるようで、母が健在の頃に車でちょくちょく出かけていたのは国道沿いの店であった。最近は足も遠のき、新聞にも店の名前が出なくなったのでどうかと思ったが、相変わらずの繁盛ぶりで受付に名前を書き込み待ち行列に加わった。

このお店は美味しくて安い。ランチメニューだと握り10貫に赤だしがついて880円。これを目指してくる客で特にお昼時は込むようだ。私はちょっと贅沢して上にぎりを注文した。7貫で1200円なり。「すきやばし次郎」ではこうはいくまい。



新聞にも店の名前が出なくなった、というのは実はお目出度いことなのである。かっては二三年に一度はあっただろうか、食中毒を出しては営業停止を食らいそれが新聞に載ったのである。しかしこの店のユニークなところは、営業停止が解かれると待ちかねた常連客がどっと押し寄せるのである。安くて美味しいものを提供して客に喜んで貰おうという店の心意気が客に伝わっているものだから、食中毒が発生してもそんなもの食い物屋についてまわるもの、と客が気にとめないのであろう。お得意さんががついてどんどん捌けていく宝くじ売り場から沢山の当たりくじが出るようなもの、と割り切ればそれまでのことである。

腹ごしらえが整い海を目指して歩き始めた。国道2号線を渡り少し東の方に戻ってさらに下っていくとやがて海沿いの遊歩道にぶつかる。西の方に歩いていくと「ポートバザール」というショッピング・モールに出る。しかしさらに西の方に歩いていくと左手に砂浜が見えてくる。小型のコート・ダジュールと言った雰囲気だ。砂浜に入り込み波を避けながら渚を歩くと足裏の感触が靴を通してであるが実に快い。水面に春の風情が溢れていた。





この先には淡路島と明石大橋が見える。のどかな春の海、まこと、ひねもすのたりのたりかなである。浜沿いの向こうには正八角形の洋館として有名な移情閣(孫中山記念館)が見えるが、以前に訪れたことでもあるのでまた2号線を越えて山手に戻り、松林を通り抜け、JR舞子駅に辿り着いた。


自衛艦に「精神注入棒」の導入を!

2008-02-20 00:09:38 | Weblog

朝のブログ(2月19日)で漁船に乗り上げてその船体を真っ二つにしたイージス艦「あたご」の醜態を取り上げて、同時に昨年暮れの自衛艦の火災にも触れたが、日経夕刊(19日)にはその火災を起こした護衛艦「しらね」の火災原因が報じられていた。《無許可で持ち込まれた「保冷温庫」の異常加熱が原因だった可能性が高いとする調査結果》が出たそうである。さらに《海幕の内部調査によると、保冷温庫は缶入り飲料などを冷やしたり温めたりする装置で、中国製のポータブルタイプ。CIC(戦闘指揮所)内の冷蔵庫の上に置かれていたが、何らかの理由で加熱し、出火した可能性が高いという。》とのことである。

♪泥水すすり 草を噛み と軍歌を歌って育った元軍国少年にとっては目を疑うような記事だ。戦闘指揮所にこともあろうに戦闘に無関係な冷蔵庫のみならず、中国製保冷温庫、それも私物を持ち込んでいたとは、もう開いた口がふさがらない。この中国製に変な物でも埋め込まれていたら、とすぐに想像をふくらませてしまう。いずれにせよこの艦の幹部は自衛官としての自覚の欠片もない不適格者として追放すべきである。

弛みきった海上自衛隊を鍛え直すには、やはり帝国海軍の「精神注入棒」を導入するしか手がなさそうである。ただし精神を注入されるべきなのは幹部自衛官である。血気溢れる相撲部屋の若い力士に棍棒に鞭、竹刀に木刀、バットに箒の柄、消防ホースの筒先、何でもいいから得物を持たせて自衛艦に乗り込ませ、幹部自衛官の精神をまず鍛え直させようではないか。


ゲリラ船に負けそうなイージス艦とは

2008-02-19 12:03:40 | Weblog
今朝のNHKが海上自衛隊のイージス艦「あたご」が漁船を真っ二つにしたニュースを伝えていた。「あたご」の乗組員がボートで付近を捜索したとのことであるが、乗組員はまだ見つかっていないようだ。安否が気遣われる。

それにしてもイージス艦「あたご」は醜態を晒したものだ。いったい洋上の監視体制はどうなっていたのだ。何のためのハワイでのミサイル発射訓練か知らないが、その帰り道だったそうである。それが進行方向の真正面にある漁船を見つけることが出来ずに乗りかかり、胴体を真っ二つにしたとは恐れ入ったものだ。これも訓練であったはずはないから、原因が明らかになり衝突防止体制が万全のものにならないかぎり、自衛艦の領海内夜間航海を全面禁止しなくてはなるまい。一方、もしこの漁船が仮に爆薬満載のゲリラ船だったとすれば「あたご」は木っ端みじんにされた可能性もある。最新のイージス護衛艦にこのようなアキレス腱があることを世界に晒した艦長は、昨年暮れの自衛艦火災と同じように、重大な『軍事機密』を漏洩したことになる。たるんでいるのは沖縄の米軍だけではなさそうだ。


皇太子さま どうか親孝行を

2008-02-16 22:59:06 | Weblog
《皇太子さまに長官苦言 「両陛下と愛子さま会う機会を」》(2008年02月13日23時50分)というasahi.comの見出しが目を引いた。

《皇太子さまは昨年2月の会見で「(長女・愛子さまが)両陛下とお会いする機会を作っていきたい」と発言したが、実際に会う回数は増えていないと述べ、「発言なされたからには実行を伴っていただきたい」と話した。 》というのがその趣旨である。そして続く。

《長官によれば、現・天皇陛下が皇太子時代には、昭和天皇のもとを毎週1回訪問するのが定例とされていた。しかし、現在は皇太子さまの発意による訪問は年2、3回にとどまり、昨年も増えていないという。長官は「追及するような話ではない」とし、「殿下ご自身が会見で発言されたことなので、大切になさっていただきたい」と繰り返した。》

皇太子が自らの発意での訪問が年に2、3回とは正直驚いた。皇居と東宮御所はいわば目と鼻の先ではないか。毎週1回のご訪問は忙しいとしても、月1回、皇居に上がるぐらいは苦になるまい。「月参り」である。愛子内親王にお会いになるのを楽しみにしておられる両陛下のお心を思い、喜ばして差し上げようという気持ちになるのが子として自然だろうと思うのに、なにかそれを妨げている事情があるのだろうか。

原武史著「昭和天皇」(岩波新書)には昭和天皇と母親である貞明皇太后との確執の話が出てくる。昭和天皇が皇太子時代のこと、大正天皇の代役を果たさずに祭祀をおろそかにしているように見える、と貞明皇后が苦言を呈されているのである。そういうことからお二人の間がぎくしゃくして、その関係が戦後まで続いていたというから宿痾のようなものである。だからと言うわけではないが、今上天皇と皇太子の間の確執が私は以前から気になっていた。皇太子のかっての「人格否定発言」に対して、今上天皇が《「初めて聞く内容で大変驚き、『動き』という重い言葉を伴った発言であったため国民への説明を求めました」「皇太子夫妻の独立性を重んじてきたことが、様々な問題に気が付くことのできない要因を作っていたのだとすれば大変残念です。」「まだ私に十分に理解しきれぬところがあり、細かい言及は控えたいと思います。」 》(「ウィキペディア」から)とわざわざ文書で述べられたことはきわめて異例で、天皇と皇太子の間のコミュニケーションの欠如がここにまざまざと現れているからである。

この確執を生み出した一因が皇太子妃のご不例と深い関係があるように私は憶測するが、皇室の動静に人並みの関心を持っている私の情報源と言えば新聞に踊る女性週刊誌の広告見出しに尽きるので、皇太子妃に対する私のイメージを作りようがない。私の知ることと言えば皇太子妃が宮中の儀式に参加されることもまれで、何らかのイベントでも国民の前に姿をほとんど現されないと言うことぐらいである。皇太子ご夫妻の存在感が希薄になることは皇室の将来にも大きな影響があるのでは、と私は思うが、いずれ今の若い世代がその答えを出すことだろう。しかしそれは先の話で、当面は皇太子皇太子妃両殿下が天皇皇后両陛下に孝養を尽くされることを祈念するのみである。皇太子は「人格否定発言」の余波を受けて「人それぞれに考え方は異なりますし、また、どこの家庭でも同じように、世代間に考え方の相違はあると思います。しかし、そういったことは話し合いを続けることによって、おのずと理解が深まるものと考えます」と語っておられる。ここで言われた「話し合いを続けること」が行われていなかったからこそ、今回の宮内庁長官の発言になったのであろうと私は思う。やがては日本国の象徴とも日本国統合の象徴ともなられる方に言葉の重みを噛みしめていただきたいものである。

つい年齢丸出しでものを言ってしまったが、私はかって思いがけないところで皇太子にお目にかかったことがある。

1991年の初秋、私はHelsinki大学の仕事仲間に招かれてHelsinkiに1週間ほど滞在してから今度はLondonに飛び、London大学King's Collegeの友人を訪問した。共同研究の打ち合わせである。ホテルを出てHolland Parkを通り抜けてからKing's College Londonに行くことにして公園に近づくとなんと日の丸の旗を手にした人々が三々五々目についた。その理由を尋ねたら、日本の皇太子がお見えになるのでその歓迎に行くのだという返事が戻ってきた。そうなると野次馬根性が頭をもたげてきて、幸い時間もあったので私も皇太子をお迎えすることにしたのである。

Japan Festivalという催しが開かれており、それに合わせてかねてから造築を進めてきた日本庭園がHolland Parkの中に出来上がり、その落成式に日本の皇太子がチャールズ皇太子とともに来賓として出席されたのである。招待客しか式場には入場できなかったので離れたところからセレモニーを眺めていたが、やがて参列者が動き始めたので私もその方向に動いた。すると先に日の丸の小旗を立てた車が停まっている。皇太子の御料車だったのである。車の反対側に回るように指示されたのでそこで待ち受けていると両皇太子がやってこられた。お二人が挨拶を交わされ、皇太子が車に乗り込まれルまでの一部始終を車の幅だけ離れたところから背伸びをして眺めていた。車高が高かったのでカメラを腕を伸ばして持ち上げて当てずっぽにシャッターを切ったのを覚えている。





ともに皇太子妃のことでやがて重荷を背負われることになるお二人がまだその運命をご存じでない頃の一齣である。


NHK 種が尽きたか ちりとてちん

2008-02-13 08:54:26 | Weblog
朝の連続ドラマ「ちりとてちん」がだんだんと面白くなくなってきた。とくに最近では草若師匠の死期が近づき病床シーンが流れる。いかにドラマとは言え、私は人のこういう姿を目にすると、これから一日が始まるというのに重苦しい気分になる。

最初の頃はドラマの展開もなかなかスピーディーで面白かった。若狭の箸を長年愛用しているだけにその箸作りの舞台裏が見られるのも楽しかった。また主人公の大阪での落語修行が始まると、わざわざ繁昌亭から天満宮のあたりをぶらついたりもした。

近頃では病床シーンに加えて回想シーンがめったやたらに増えてきた。昔と今を行ったり来たりがあまりにも忙しすぎる。ドラマに落ち着きがなくなりストーリーのメリハリもなくなってしまった。もうそろそろ終わりなのだろうが、どうも時間をもてあましているように思う。年度末のお役所で予算消化に大童になっているのとまったく同じ、余った時間をなんとか回想シーンで使い切ろうと躍起になっている。同じ誤魔化すのならもっと上手にやらないといけない。今朝なんかはとくに見苦しい。

金返せ! (とはちと大人げないか?)

追記 文字の大きさと行間を変えることにした。