日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

フィールドカートを買って

2008-04-29 21:21:42 | Weblog
昨日、園芸用の細々したものを買いに近くのホームセンターまで出かけた。近いといっても車でないと行けないし、普通の道を通ると大回りになるので、片道100円の通行料金を払って有料道路を通った。近所と言っても普段通る道ではないのでこれまで知らなかったが、インターネットで調べて分かったのである。DO IT YOURSELF を大々的に売り物にしているだけあって、建築材料とか工作道具とか、ないものが無いぐらいに品物がよく揃っていて、ここの買い物だけで家一軒ぐらい簡単に作れそうである。しかし私の買い物は慎ましやかで、一番高いのが1280円也のフィールドカートと呼ばれるものであった。



写真を見ていただくとお分かりのように、庭の雑草取りをするときにこれに腰をかけると作業が楽になる。ガーデニングの小物なども収納でき、車輪がついているのでゴロゴロと移動可能でとても便利である。さっそく使い勝手を試したが、立ち上がるときの支えが側にあれば言うことがない。これで座り仕事が楽に出来そうで気に入った。

今朝、朝刊の折り込みにこのホームセンターのチラシが入っていた。むむ、なんと昨日1280円で買ったばかりのカートが980円で売り出されている。300円も安くなっている。それはないだろうと思う一方、まあこういうこともあるのかなとも思い、それにかりに300円返金してくれるとしても、往復の通行料金200円を払ってガソリンを使って取りに行けば、それで返金分は消えてしまうからわざわざ出かける意味はない。でも店がどのように応対するだろうと思って電話をした。



差額分の金を返せとは品格が邪魔をして私もなかなか口に出せない。ところが電話相手の担当者は、私があったことを話するだけで何を言い出すのか察したのであろう、「これはこういうものなので、お金をお返しすることは出来ません」と言う。「でもフィールドカートを買った人なんて少ないだろうし、こんなこと言ってくる人はもっと少ないでしょう」と切り返すと、「仰るとおりですが」と私の言い分はちゃんと認める。認められてもそれは私が変わっていると言われたようなものでいい気はしないところへ「該当商品全部についてお客さまにそう言われると大変なことになりますので」と追い打ちをかけられた。もともと本気ではなかったのでこのあたりで引き下がったが、うるさい客でなくてやれやれと担当者の安堵の吐息が伝わってくるようだった。

ところが話がこれで終わったわけではない。外出しようと思って服を着てポケットに手を突っ込んだら、昨日の買い物のレシートが出てきた。よく見るとこのグリーンパル社のフィールドカートの価格が、売り場では1280円の張り紙が出ていたのに、980円になっている。すでに昨日からその値段になっていたのである。



今日配られたチラシは昨日既に刷り上がっていたことだろう。それに合わせてレジでは価格訂正がされていたようである。最初にレシートを見ておればホームセンターに電話をすることもなかっただろうに、私も店の人もそれぞれの思い込みだけで話をしていたことになる。反省!

学問の自由は今や死語?

2008-04-27 15:55:24 | 学問・教育・研究
承前 私がOK先生の研究室に入れていただいた頃は、大きなプロジェクトであった酵素タンパクなどの精製・結晶化の仕事が一段落していて、その研究最盛期のありさまは先輩の話で知った程度である。イオン交換樹脂を使ってタンパクを精製する技術は世界でも始まったばかりで、精製・結晶化されたタンパク分解酵素やデンプン分解酵素などは、研究室向けに売り出されただけではなく工業的原料としても使われた。

私の想像であるがOK先生は酵素タンパクや補酵素などの製法に関してどれほどか知らないが特許を持っておられたと思う。当時大学院生だった先輩から特許登録の申請者に加えて貰ったとか外されたとか、そのような話を聞いたことがある。OK先生が戦時中にペニシリン実用化の研究に取り組まれたことが、特許に対する前向き姿勢の根底にあったのかも知れない。そのせいか産学協同という言葉が流行出す遙か以前から研究室では産学協同が日常のこととなっていた。企業からの研究生の受け入れもそうであるが、企業と研究室対抗の野球定期戦などもあり、試合の後は和気藹々の懇親会が待っていた。時代の先取りであったのかもしれない。

しかし研究室で何も問題がなかったわけではない。戦時中の原爆の開発に科学者の果たした役割が明らかになるにつれて、科学者の社会的責任を問う世間の声も高まった。学問・研究の中立性を守ることも社会的責任の取り方であると考えもあり、とくに若い大学院生の間では激しい議論が交わされた。企業との関わりはその意味でも好ましいものではなく、院生のなかには自分の与えられたテーマが企業寄りのものではないかと疑い、学問・研究の自由が侵されることを恐れた。私自身は「金にならない基礎研究」を合い言葉に日々研究を楽しみ、企業と関わりのあるようなテーマを与えられることもなく過ごせた。親善野球の試合に出たり、時には言われるがままにある大手製薬会社の開く研究会に出席して、自分の仕事がらみの話をする程度の関わりであった。

十年一昔とはよく言ったもので、私が現役を退いてそれだけも経つと大学事情にはすっかり疎くなってしまった。私の方から現役の方に接触をしないように心がけてきたこともある。そのせいだろうか、近年、大学における知的財産とか知的財産権の論議が進められるなかで、学問・研究の自由が明らかに侵されつつあるのに、それを問題視する声が大学人の間から聞こえてこないのが気がかりなのである。私の思い過ごしであって欲しいが、研究者なら研究で特許を取るのが当たり前の流れになったのだろうか。

名古屋大学産学官連携推進本部教授武田穣氏による「バイオテクノロジーと社会」の講演資料が公開されているが、その中に次のようなスライドがある。



「産学連携は、少し前まで悪だった」というのは少なくとも私の世代では共通の認識だったと思うが、それが今や「研究成果を社会に還元する」という異を唱えがたいスローガンのもと、産学連携が大きな顔をして大学内を闊歩しているようである。しかしちょっと待て、われわれ世代も研究成果を立派に社会に還元してきたと、私は胸を張って言う。まず研究成果は論文という形で誰もが利用できるように全世界に公表してきた。また研究を通じて教育者として資質を磨き、次代を担う人材を育成することで研究活動の成果を社会に還元してきた。ただビジネスを意識していなかっただけである。だからこのスライドに新しい意味を持たせるには「研究成果をビジネスにする」と書くべきなのである。

平成18年3月に財団法人知的財産研究所がまとめた「大学における知的財産管理・活用に関する調査研究報告書」はPDFファイルで183ページの大部のものであるが、これは大学への「特許のすすめ」に他ならない。その中で大学の本来あるべき姿との兼ね合いを随所で意識しているところに注目してみよう。たとえば序にこのような文言がある。

《大学の知的財産活動の維持に向けた実務的な課題を検討する際には、何よりも教育・学術研究機関としての大学の本質を踏まえて議論することが大切である。すなわち、大学の知的財産活動は、大学の教育・学術研究機関としての本質を阻害することなく行われるべきものであり、その成果は、大学の教育・研究環境の更なる充実化に還元するという考え方が基本と思われる。(中略)
 大学の知的財産活動の意義を幅広くとらえ、その成果を多面的に評価することが必要である。大学の知的財産活動は研究成果の普及と活用のために行うものであるから、出願件数や権利取得件数を増やすこと自体が自己目的化してはいけない。また、ライセンス収入に過剰な期待を寄せ、大学の知的財産活動を利益追求行為としてとらえるのも疑念がある。
 そもそも知的財産活動は産学連携活動と一体化することにより、大学自身と社会に対して様々な貢献をもたらすものである。》(強調は引用者、以下同じ)

強調の部分は、裏を返せば大学の知的財産活動、すなわち特許登録などが、大学の教育・学術研究機関としての本質を阻害する恐れのあることを述べているのである。その具体的な現れとして、たとえば大学院における学位論文審査会などの変質を挙げることが出来る。学生が研究成果を審査会で発表しようとしたところ、それが特許出願前であったので発表を指導教師に禁止された(現実にあり得ることである)とすると、これは自由な教育・研究活動が阻害されたことになる。もしこの学生が勇ましければ訴訟を起こすかもしれない。そのような事態が予期されることから、各大学・大学院ではトラブル回避のための対策を講じ始めている。

山口大学では平成20年4月1日に更新された「学位申請・審査のホームページ」に次のような「お知らせ」を掲示している。

《学位申請後、学位論文審査のために開催される学位論文審査会について、開催方法が制定されました。これは、学位審査と特許法との関連で制定されたものです。学位申請された学位論文の内容について、学位論文審査会後に特許出願する場合や学位申請時点で特許出願の可否を検討している場合、学位論文審査会が特許出願の支障とならないように配慮するもので、配慮を求めたい方は、学位申請時に書面をもって申し出てください。詳しくは、「学位論文審査会の開催に関する取扱い」(PDF)を必ず一読してください。》

この「学位論文審査会の開催に関する取扱い」によると、該当論文の発表に際してはまず参加者の範囲が限定される。さらに参加者は守秘義務に書面に署名する形で同意しなければならないし、審査会場は秘密が守られるようなところではならないし、会場で配付された資料は参加者の退室時には回収され、また参加者は会場に録音装置、映像撮影装置などを持ち込み記録してはならないことになる。開かれた大学、学問・研究の自由の担い手としての大学を真っ向から否定する取り決めである。

類似のものは電気通信大学のサイトでも見られるが、同じような状況が各大学・大学院で出現しているのである。ところがマスメディアが報道しないだけなのかもしれないが、今の大学人は学生も含めて「音無の構え」である。なぜなのか私には訳が分からない。ただ現実には明らかに学問・研究の自由が著しく阻害される状況を避けるためであろう、毎年学位論文審査会の開かれる直前に特許登録申請が急激に増加する現象が起こっている。該当者全員が特許申請を済ませておれば審査会を秘密会にせずに済む。せめてもの当事者の良心によるものだろうか。

しかし学位論文審査会のありかたよりももっと深刻な問題は、学生が研究生活に入るときから守秘義務を課せられ、それが常態化しつつあることである。これは大学と企業が共同研究をすすめる際に必然的に生じる問題で、たとえば東北大学は大学における秘密管理システムをかなり明確に打ち出している。上記「大学における知的財産管理・活用に関する調査研究報告書」から少し長いが関連箇所を引用する(p48)。

《東北大学では共同研究等を行うときの秘密管理について、内容により3段階のランク(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)付けをしている。ランクⅠ番目として、知識の普及・共有化等の秘密保持を伴わないものは従来からの勉強会等の形で活発に行うこととした。学生教育にあたり、企業の研究者と自由な意見交換を行うことは重要であり、今後とも奨励していく。

 ランクⅡ番目は、秘密保持の契約が企業等との間で必要性を認識し、契約締結に至ったものについて、秘密文書・情報に接する教職員・研究員を限定し、守秘義務を徹底することとした。ここで東北大学が特に定めた事項は学生の義務についてである。就職活動等において制約を課さないために、学部学生には秘密事項は開示しないことで秘密保持義務を課さないこと、大学院学生が研究活動を行う上で企業の秘密事項に接さざるを得ない場合には企業との契約責任は指導教員が取り、大学院学生は修了時に指導教員に対し誓約書を提出することとした。

 さらに、ランクⅢ番目は、秘密保持契約に加え、営業秘密としての管理を伴うものについては、建物・区域を指定して入退室管理も行い、研究・営業上の秘密を保護することとした。学生教育を行う建物を主体とする学内全域で一律に営業秘密管理を行うことを志向せず、一部の定められた区域において、産学双方の営業秘密をきちんと保護する環境を備するという考え方である。すでに未来科学技術共同研究センター及び学内インキュベーション施設であるハッチェリースクエアは、ランクⅢに該当する建物として、入退室管理等の秘密保護ができるように設備改造を行い、日常の管理を行っている。》

経済産業省が平成16年4月に「大学における営業秘密管理指針作成のためのガイドライン」(平成18年5月改訂)を出しているが、東北大学の取り決めは秘密管理の三段階のランクなどをはじめとして概ねこのガイドラインに沿っている。考えようでは文部科学省の管轄下にあるべき大学に経済産業省が手をつっこんでいるのであるが、これに文部科学省が異を唱えないのは摩訶不思議である。このようにして産学連携で共同研究を行う大学では大学内に限られたものしか立ち入ることの出来ない「租界」が出現する。ゆくゆくは鉄条網とガードマンに守られた砦と化しても不思議ではない。

上記の「大学における営業秘密管理指針作成のためのガイドライン」の「はじめに」には、《大学では教育と研究とが一体的に行われることも多く、かつ研究者間の活発な情報交換が大きな意味を有すると考えられることから、大学における過度の秘密管理が創造活動を萎縮させることがないよう十分留意する必要があります。》と述べられているが、この強調部分はいずれそうなりますよ、と言っていると思えばよい。共同研究相手の企業にすれば「営業秘密」が大学から漏れることを極度に警戒する。今後大学の研究室に外国からの留学生が増加するにつれて、その危惧はますます強まる。企業からの「営業収入」への依存度が高まるにつれて大学は企業の要求を退けることが不可能になり、また自主的にに「営業秘密」漏洩防止のためにいかに優れたシステムを導入しているかをセールスポイントにすることは目に見えている。

「平成18年度 大学等における産学連携等実施状況について」によると平成18年度の特許権プラスその他知財実施料収入が18億円に止まっているのに対して、民間企業との共同研究による大学の研究費受入額は368億円、また受託研究費の受入額は1420億円に上っている。合計1806億円で、平成18年度の大学等における研究費の総額3兆3824億円の5.3%である。これを大きいと見るか小さいと見るかは立場で異なるにせよ、私に言わせるとたったそれだけの安値で学問の自由を売り渡すかのようだ。

今更いうまでもないが、日本国憲法第二十三条は「学問の自由は、これを保障する」とたった一行、簡潔明瞭に述べている。この学問の自由をWikipediaは「研究・講義などの学問的活動において外部からの介入や干渉を受けない自由のことをいう。自由権のひとつ。一般的には、研究の自由、研究発表の自由、教授の自由、および大学の自治が含まれるとされる。」と説明しているが、これが大方の見方であろう。

しかし憲法に保障されたから学問の自由が存在するのではなく、憲法の条文は学問の本質が人間の自由な思惟に根ざした行動にあることを追認しているに過ぎない。先ほどにも述べたように私は今の大学の現状に疎くはなったが、私たちの時代がそうであったように、今も真剣に学問・研究の自由を大切に思う大学人が大勢いることと信じる。こういう方々が中心となって、経済的利益による誘導、これ自体がすでに自由の侵害であるが、に屈することなく研究成果はすべて人類に還元するとの意気込みでこれまでと同じように自由に公表する姿勢を貫いていただきたいものである。万が一大学で特許申請への圧力が公然化するようなことがあれば、「良心的兵役拒否」にならって、それこそ憲法第二十三条のもと「良心的特許申請拒否権」を高らかに主張すべきだろう。それに応えるためにも今や大学は特許申請の自由とともに、特許申請をしない自由の保証を大学の綱領に高らかと掲げるべきでではなかろうか。

大学の二極化はその先に考えればいいことであろう。



角田房子著「碧素・日本ペニシリン物語」 そして大学での特許問題へ

2008-04-21 20:03:00 | 学問・教育・研究
角田房子著「碧素・日本ペニシリン物語」(新潮社、1978)という本がある。日本でペニシリンが製造されるに至った物語で、戦時中、昭和18年にドイツから送られてきた医学雑誌のペニシリン記事が発端となり、そして後には誤報と分かったのであるが、チャーチルの肺炎がペニシリンで治ったとのブエノスアイレス発朝日新聞記者の特電が直接の引き金となって、陸軍大臣が「ペニシリン類化学療法剤の研究」を陸軍医学校に命じたところから話が始まる。昭和19年1月27日のことで、8月までに研究を完成さすことが要請されたが、それは戦局不利につれて激増している傷病兵を救うためのものであった。

動きは早かった。ペニシリン研究会が組織されて、東京とその周辺の医学、薬学、農学、理学などのトップレベルの研究者が招集され、第一回の会合が開かれたのが昭和19年2月1日である。そして東京から大阪までの三等の汽車賃が11円50銭の時代に15万円という、単純計算では現在価格で1億1千100万円の予算が直ちについたというから、最近のiPS細胞研究への政府の肩入れもくすんでしまうほどの反応の早さである。最初の研究会に出席したメンバーは《医、薬、農、理など、各学界を網羅していた。それまでは共同研究と呼ばれるものも、狭い範囲の専門家だけが集まって行われるのが常であった。だがこの委員会は、各学界の人々がペニシリン創製という目的達成のために、それぞれの能力を結集して進もうという大きな特色を持って発足した。》と述べられている。

3月に入り、技術院から軍医学校に「ペニシリンを戦時研究テーマにしたい」との申し出があり、文部省学術研究会からも同じ申し出があったが、軍医学校はその申し出を断っている。既に一流の学者を網羅して委員会が発足した今、他に同じ目的の組織が出来て、委員がかけもちになることは、いたずらに同じような会議が重ねられて力を分散させ、研究を混乱させることになると思われたことからの決断である。昨今のiPS細胞研究の取り組みの実態が気になるところである。

戦時中に組織化された日本の国家的研究プロジェクトが、どのように推し進められてきたのかがこの著書に詳しく述べられている。科学に関しては素人を自認するする著者のひたむきな勉強と、それを一般の読者に伝えたいという一種の使命感が、この著書を第一級の科学物語に仕上げている。内容の密度が高く質のきわめて高いのは、取材時にまだ生存している多くの関係者との豊富なインタビューによるものと言えよう。当時の事情を明らかにした貴重な文献でもあるので、戦時下、極限状態での研究者の生き様を学ぶためにも若い科学者にぜひ目を通していただきたいものである。

昭和20年にはきわめて限られた量ではあるがペニシリンが製剤化され、今上天皇の皇太子時代の教育係で当時慶応の塾長であった小泉信三氏が昭和20年5月25日の空襲による火災で大火傷を負ったさいにその治療に使われたとのことである。その程度まで実用化が進んでいた。そしてやがて敗戦を迎えるのであるが、注目すべきはこの計画の統括者である陸軍軍医少佐が陸軍省医務局長に敗戦の4日前に提出した文書のなかの文言である。それは《碧素特許ハ陸海軍大臣ノ名ニ於イテ出願シ秘密特許トシテ申請スル如ク手続セルモノナリ 戦后世界貿易市場ニオケル一権益トシテ国産碧素製造技術ヲ特許トナシオク要ヲ認メ技術院ト連絡中ナリ》ということで、「戦后」と言う言葉で明らかなように、この時点で陸軍軍医が敗戦を知っていたことになりなる。この提言には国産碧素の特許を戦後の賠償に役立たせようとの考えがその根底にあったとされるが、先人の慮りに深く感じ入るばかりである。ちなみに碧素というのはペニシリンという外国名を嫌う当時の風潮で名付けられた日本名である。

それはともかく、私がこの本にこだわり図書館に出かけて借り出したのは、このペニシリン委員会の主要メンバーとして私の大学・大学院時代の恩師OK先生が最初から加わっており、著者のインタビューを受けて随所に登場するので、その状況をあらためて確認したかったからである(図書館で借りた後、ふと思い出してとある場所の本棚を探すと私の所蔵本が出てきたので二冊ご対面写真を下に掲げる)。



大学の卒業実験でOK先生の研究室に入れていただいてから、戦争中はペニシリンの研究をされていたことは漠然とした話として耳に入ってはいたが、この著書で恩師の具体的な関わりの内容を始めて知ったのである。そして、なぜこのような話を持ち出したかというと、これが研究者の特許申請の話と私の頭の中では密接に繋がるからである。ということでこの続きを次回にする。



大倉山図書館 山神山人 皮蛋(ピータン)

2008-04-19 23:32:29 | Weblog
本を探しているのだがなかなか見つからない。書棚に前後2列に並べているところが多いので、表に見あたらないことは裏側にあることになる。ある程度見当をつけて探してみたがそれが見つからない。これなら図書館で借りた方が早いと思って大倉山図書館に出かけた。

地下鉄の駅に着いたときは正午をまわっていたので美味しいらラーメン屋が頭に浮かび上がり「山神山人」に直行した。文化ホールの練習室を使ったときに入ってなかなか気に入っていたのである。並んでいるのは二組だけだったのであまり待たずに入れた。注文は煮玉子盛りにチャーシューのトッピングを追加。元気もりもりになる。



図書館では探している本がすぐに見つかった。パソコンで検索するので瞬時に分かる。でも昔の図書カードを繰っていくのは味があった。目的の本に行き着くまでに他の面白そうな本をついつい見つけることが出来たからである。この本はすぐに借り出すことができた。もう一冊、2年前の雑誌を探しているのに見あたらない。カウンターで所在を聞いてみるとなんと中央図書館には備えていないが北区の図書館にあるという。鈴蘭台まで出かけてもいいのだが、借りた本を返しに来ないといけないから、それまでに取り寄せて貰うことにした。実は両方ともブログ種なので、いずれここに登場することになる。

晩は珍しくも皮蛋粥だった。中華風のお粥さんにピータンと香菜(シアンツァイ)をたっぷり入れたのが私の好みである。お昼も卵、晩も卵、昔なら贅沢な食卓である。ピータンがなかなかの味だったので何故かと思ったら、いつ買ったのか分からない皮蛋がたまたま出てきたのでそれを使ったまでとのこと。殻をむくと卵が半分ぐらいの大きさになっていたそうである。味が濃縮していたのだ。貴腐皮蛋だと思って納得した。


大学は特許料収入でいくら稼ぐのか 知的財産管理・活用ビジネスのまやかし

2008-04-16 12:27:05 | 学問・教育・研究
iPS細胞の特許問題が取りざたされたことで、科学研究が金の卵を生む雌鳥のように思った人もいるかも知れない。製薬会社が風邪の特効薬を製造しようとして、どうしても使わざるを得ない技術の一つが特許で押さえられているとしたら、特許の使用料を支払わないといけない。どうしても自分のものにしたければ特許そのものを買い取ることもある。このようにして特許が金を生む。

最近は特許という昔からある言葉(もちろん今もある)のかわりに知的財産とか知的財産権という言葉が目につくようになったが、特許を問題にする限り特許と同意語である。「そもそも知的財産活動は産学連携活動と一体化することにより、大学自身と社会に対して様々な貢献をもたらすものである」と言われてもピンとこないが、「大学の研究者は日頃から製造業企業と密接な連携を保って研究をすすめ、企業にも大学にも利益をもたらす特許の取得を心がけるべきである」とでも言い換えられると理解しやすい。知的財産という高尚めいた言葉にどうも幻惑的である。

このような知的財産活動は平成15年度から文部科学省による「大学知的財産本部整備事業」などの立ち上げで動き始め、平成16年度の国立大学の独立行政法人化と軌を一にして「知的財産管理体制」が各大学で整い始めたようである。私はこの新しい研究環境が大学における学問と研究の自由をいずれは阻害し、大学を大いに変容させるのではないかと危惧すると同時に、知的財産活動が目指すとするものにもある種のいかがわしさを感じている。知的財産管理・活用には多様な側面があるが、私はこの二点だけに問題を絞って私の考えを述べることにする。まずはその「いかがわしさ」で、いったい大学が特許料収入でどれぐらい稼げるのかというところから話を始める。

毎日新聞のシリーズ記事「新万能細胞iPSの真価」の第四報「知財ビジネス、出遅れ」に次のような記事があった。「米国の大学が04年に特許で得た収入は約1498億円に達する。米国より20年遅れの99年に同様の制度を取り入れた日本は約5億4000万円だ」。文部科学省調査「平成18年度平成18年度 大学等における産学連携等実施状況について」によると06年度でも下に示すように8億円程度である。特許権実施収入に実用新案権、意匠権、育成者権、有体物、ノウハウ等を加えると18億円になるが、これでも平成18(06)年度の大学等における研究費3兆3824億円の0.05%に過ぎず、いかに微々たるものかが分かる。かりに1000億円得たとしてもやっと3%である。



この特許料収入、いわゆるライセンス収入に関して、財団法人知的財産研究所が平成18年3月特許庁に提出した「大学における知的財産管理・活用に関する調査研究報告書」は次のような見解を述べている。

《このライセンス収入に関して、しばしば、米国の大学が全体として1000億円以上の収入を得ていることが引き合いに出される。しかし、この数字は1980年のバイ・ドール法施行から20年以上にわたって知的財産活動を継続した結果として結実したものであり、かつ、その内訳を見ると一部のホームラン特許に大きく依存し、収益が一部の上位大学に著しく偏っていることにも留意すべきである。したがって、極めて希ともいうべきホームラン特許が現れない限り、大学の知的財産活動の収支バランスを図ることは容易ではなく、しかも長期間を要することを、学内外の知的財産関係者のみならず、研究者や大学の経営層も含めて広く認識し理解すべきであると思われる。》(PDF文書 26/183、強調は引用者)これはきわめて現実的な意見で私も全く同感である。

ところで大学側は将来の特許料収入についてどのような見通しを持っているかというと、この報告書の中で山口大学の三木俊克氏は《知的財産については将来価値の予測という非常に難しいといった問題もある。出願後かなりの年数が経過した登録特許でさえその資産価値の判定が難しいのに、大学が扱う出願段階の発明の将来価値をある精度で予測するのはほぼ不可能に近い。》(PDF文書 111/183)との見解を述べている。その通りであろう。

ここで特許料収入に関する問題点を私なりにまとめると、将来の収入予測も数値目標も立てずにただ希望的観測のみで文部科学省は知的財産管理・活用ビジネスを大学で発足させたと言わざるを得ない。世間でなにかと問題視される道路建設でも、一応は自動車の通行量なり経済的効果を算定し、それに従って計画を推し進める。そしてほとんどの場合はその予測を大きく下回る効果しか生まないから世間の批判がわき起こるのであるが、それと比べると、経済効果の予測さえなおざりにして立ち上げた知的財産管理・活用ビジネスのいかがわしさが浮かび上がるというものだ。では何故このようなものがまかり通るのだろう。

知的財産管理・活用ビジネスを「官僚」の作文と受け止めるときわめて話が通りやすくなる。下の表は知的財産の帰属について各大学の決定をまとめたものである。出典は上記の文部科学省調査「平成18年度平成18年度 大学等における産学連携等実施状況について」であるが、国立大学で見ると結論を出した89大学のうち、原則個人帰属としたのは1大学だけで、それ以外すべてが原則機関帰属としている。私は研究者が自分の研究成果で特許を獲得し、さらには私利を得ることには批判的であるが、この結果を見ると次に述べる私なりの視点でどうしても研究者の側に立ってしまう。



それなりにこれまで個人帰属であった知的財産権がすべて大学に移されるとはどういうことか。知的財産権の施行で得た収入は、その特許を生んだ研究者が「綿菓子」ぐらいは貰えるのかもしれないが、そのほとんどが大学に流れ込む。研究者の稼ぎのほとんどが「上納金」と化すのである。収入が大学に流れ込むと述べたが、現実には大学知的財産本部などのオフィスに運営費として流れ込むと見ればよい。そうするとこのビジネスのいかがわしさを納得しやすくなる。

知的財産権が原則機関帰属の決定と時を同じくして、知的財産の管理活用体制(大学知的財産本部等)が続々と大学に設置された。上のデータが出された時点(平成18年度調査)でこのオフィスが整備された大学等は161機関で、今後整備予定としている大学等の133機関を合わせるといずれは294機関に上るとのことである。この294機関にオフィスが一、二年の間に完備された時点で特許権実施収入プラスアルファをきわめて楽観的に見積もって2006年度実績18億円のほぼ3倍の50億円としよう。1機関当たり1700万円である。これではオフィスのランニングコストにもならない。研究者の稼ぎのすべてをオフィスに廻してもそれだけではオフィスを維持できない。これで分かるように、知的財産管理・活用ビジネスとはビューロクラシーによる研究者の押さえ込みに他ならないのである。

知的財産の管理活用体制(大学知的財産本部等)は大学によって規模も構成も異なるだろうが、いったん出来上がった組織はその生存がかかっているだけに、いろいろとやらずもがなの仕事を作り出しては研究者を巻き込む。たとえば上の「特許権実施等件数及び収入の推移」表ではその件数が国立大学では平成16年度から18年度にかけて大幅に増加しているが、研究者がお尻を叩かれたのではないかとげすな私は勘ぐってしまう。その間の収入の増加は微々たるものである。件数を膨らますだけの実効を伴わない「お役所仕事」がここに姿を現していると私は見る(公立大学ではホームラン特許が生まれたのだろうか)。そういう体制の維持のために特許権実施収入プラスアルファのすべてが使われ、それだけでは足りないのでそのほかの財源にも手を伸ばす。この本末転倒が大学研究者の研究にたいするモーティべーションを阻害しないことをただ願うのみである。

ちなみに、知的財産権には特許権のみならず著作権なども含まれる。となるとたとえば大学教師が著書を出版した際にも著作権は大学に帰属するのだろうか。ベストセラー作家の藤原正彦さんは確かお茶の水女子大学の先生、印税の行方がつい気になってしまう。

繰り返すが知的財産管理・活用ビジネスの創成が結果的にはビューロクラシーによる研究者の押さえ込みになることを私は憂う。研究者に奮起を促したいが、その前にもう一つの問題点を取り上げる。



価格破壊IKEAポートアイランドの開店

2008-04-15 00:18:01 | Weblog
IKEAというのはスエーデンの家具店から発展したホームセンターのようなもの、とでも言えばいいのだろうか。今日見てきた感じでは「無印良品」や「ニトリ」と同種の大規模店舗である。今日4月14日、神戸ポートアイランドに約4万平方メートルの売り場の店がオープンするとのことで、昼から出かけた。

店先には長蛇の人の列で聞けば40分から50分待ちとのこと、こんな行列に並ぶのは京都国立博物館での雪舟展以来である。月曜だというのになぜか若い人たちが多い。暑い日差しを浴び、上着を脱いで立ちん坊していると、店の人がサービスに缶入り飲料を配ってくれた。

ようよう店内に入る。大きな黄色の買い物袋を手渡してくれる。ところが「レジが混雑していて待ち時間は3時間程度です」とのアナウンスが聞こえたものだから、今日は眺めるだけにして袋を返却した。

一階が混雑しているのでまず二階に上った。リビングルームのコーナーから始まったが、部屋を一つずつ見ていくような配置になっている。どれもこれも値段が安い。書棚のコーナーでは手の出そうな品物ばかりである。実用的なデザインで作りがしっかりしており種類も豊富。そして価格が圧倒的に安い。W93×D32、H198cmパイン無垢材の書棚がなんと\14,900、通常の四分の一から三分の一である。私の隠宅にはもう持ち込めるスペースのないのがいかにも残念であった。

収納家具もなかなか魅力的であった。整理箱のたぐいの種類が実に豊富で用途に見合ったものも沢山ある。これなら買ってもよさそうに思った。またガーデン用のテーブルと椅子に触手が動いた。これも無垢材で作りがしっかりしている。これまで他の店で見てきたものが実にちゃちに思われたぐらいである。そして、値段が半額程度と安い。

たまたま私が手を出しそうになったものだけを取り上げたが、とにかく品物が豊富で、どれもこれもデザインが魅力的である。これまで見たこともないような小物が沢山あって、ろうそく立てとか、分別ゴミ箱とか、目に入るものすべてが私に呼びかけてくるようだった。その豊富な品揃えはダウンロードしたインターネット版カタログで堪能できる。

店内の至る所で「ロープライス」の文字が目立ったが、これがIKEAの大きなセールスポイントらしい。何故低価格を維持できるのか、カタログから引用しておく。

《どこが違うの?

イケアでのショッピングは、お客さまご自身に商品をピックアップしていただくセルフサービス方式。ほかの店とはちょっと違います。ご来店前にカタログやイケアのウェブサイトで商品をチェックしたら、イケアストアのマーケットホールやセルフサービスエリアで、その商品をピックアップ。お持ち帰りも組み立ても、すべてお客さまご自身が行います。

商品をより低価格でお届けするため、お客さまにもご協力をお願いしています。
ピックアップやお持ち帰り、組み立てをお客さまご自身にお願いしてコストを削減すれば、商品をさらに手ごろな価格でお届けできます。イケアとお客さまが協力することで、価格を大幅に抑えられるのです。

もちろん、イケアでも価格を抑えるためにさまざまな工夫をしています。
イケアの商品はフラットパック。だから、輸送や保管も低コスト。高品質の商品を低価格でつくることのできる製造業者を選んで大量に発注すれば、価格はさらにお手ごろに。でも、それだけではないんです。どうすればもっとコストを削減できるか、イケアのデザイナーは製造工程から輸送・保管まで、常に低価格を考慮に入れて新製品をデザインしています。

お客さまのご協力とイケアの努力、お互いの力でさらに低価格に。
これがイケアのひと味違うところです。》

ついつい提灯持ちをしてしまったが、興奮のしっぱなしで気がついたら4時間がいつのまにか経っていた。



iPS細胞の特許問題に思うこと

2008-04-13 17:59:32 | 学問・教育・研究
私の大学院生時代には学問・研究の自由を至高のものとする風潮が少なくとも大学の中では一般的で、その自由が侵される恐れがあるということで産学協同を頭から排斥したものである。また科学研究の成果は人類の幸せな生活のために活用されるべきで、その過程で何かの見返りを期待するのは科学者として恥ずべき行為である、とまで考えを突き詰めたものであった。見返りには社会的な栄誉もさることながら、経済的な利益が意識されており、だからこそ研究成果を産学協同に移すことへの抵抗に繋がったものである。このような議論を仲間たちと侃々諤々やりあったのも、考えてみれば自分たちの研究が金儲けに関わるはずのないまったくの基礎研究であると悟りきっているからこそ出来たことなのだろう。

基礎研究の担い手として自分を自覚しているものにとって、科学研究費などの申請書類でその研究の社会的意義を述べる欄を埋めるのは苦痛であったことを思い出す。「風が吹けば桶屋が儲かる」流の屁理屈をひねり出しては、忸怩たる思いでもっともらしいことをボソボソと書き連ねたものである。ある時、私の属していた特定領域研究班の班長さんの教室の人からなるほどと思える話を聞いた。その班長が研究の社会的意義の欄にはただ一言、「この研究は社会的意義がきわめて大きい」といつも書いているというのである。心の中では大いに喝采をしたものの、自分では真似する勇気はなかった。

こうした流れから、山中伸弥京大教授のヒトiPS細胞作成のニュースに接したときに、私は《京都大学(山中教授)が万能細胞研究の人類全体の医療に及ぼす影響の普遍性にかんがみ、すべての研究者が特許出願を抛棄するべく全世界に率先して働きかけて欲しいものである。》とブログで述べた。時代遅れの意見と承知の上で・・・。

世の中の動きは激しい。毎日新聞が4月7日から12日にかけて(9日欠)「新万能細胞iPSの真価」という五編の連載記事を掲載している間に、バイエル薬品の研究グループがヒトiPS細胞を山中教授より先に作成して、作成技術に関する特許も出願済みらしい、というニュースが広まった。

《ヒトiPS細胞、バイエルが先に作製…特許も出願か 外資系製薬会社のバイエル薬品(大阪市)が2007年春に、様々な臓器や組織に変化する、人の新型万能細胞(iPS細胞)の作製に成功していたことがわかった。京都大の山中伸弥教授が人のiPS細胞を作製した時期(07年11月発表)よりも早く、すでに特許出願しているとみられる。》(2008年4月11日12時02分 読売新聞)、そして《iPS細胞で京大が会見、特許の優位性を強調 バイエル薬品(大阪市)が昨春、人の新型万能細胞(iPS細胞)の作製に成功していたことについて、京都大は11日、記者会見を開いた。中畑龍俊・iPS細胞研究センター副センター長は「山中伸弥教授は動物の種類を限定せず、iPS細胞を作ること自体を発明した」と、特許の優位性を強調した。》(2008年4月12日00時04分 読売新聞)などである。

この報道を信じるのなら、バイエル薬品が山中教授より先にiPS細胞の作成に成功していたことになり、山中教授に対して全世界から寄せられた賛辞はバイエル薬品に行くべきものであったことになる。では何故このようなねじれ現象が生じたかといえば、間違いなく特許申請がらみである。バイエル薬品は先願主義を採っているわが国への特許出願を急ぐことを、研究成果の公表より優先させたのであろう。しかし山中教授にしても《06年8月、マウスiPS細胞作成の論文を発表。それに先立つ05年12月に特許を申請した。出願した発明の名称は「核初期化因子」だった。》(毎日新聞 2008年4月12日 東京朝刊)というから、「特許」が念頭にある以上、特許出願が論文発表より優先するのは、それがよいのかどうかは別として、自然の成り行きであろう。

それにしても世界中が山中教授のヒトiPS細胞作成のニュースに沸き立っているときに、そのプライオリティを主張することもなく、何を考えてかひたすら沈黙を守っていたバイエル薬品の振る舞いに不気味さを感じるのは私だけだろうか。

特許を念頭に置くから研究成果の発表時期も戦術的にならざるを得なくなり、また特許争いなどに巻き込まれるとになってはご苦労さまなこと、とおよそ特許とは無縁であった過去の研究者は思うが、今の研究者は否応なしにそれを意識しないといけないようなご時世になったのだろうか。そしてそのような状況下では、学問・研究の自由が大きく制約を受けるのではなかろうかと気がかりになった。次回にそのことに触れたいと思う。


iPS細胞に関する私の過去ログ。

山中伸弥京大教授の万能細胞(iPS細胞)研究に寄せて

万能細胞(iPS細胞)研究 マンハッタン計画 キュリー夫人

万能細胞(iPS細胞)で人魚を作れるか

万能細胞(iPS細胞)から「人魚」作りの実現に向けて



森麻季さんと「フレンチ・カンカン」

2008-04-11 20:39:32 | 音楽・美術
来る6月、西宮の芸文センターで催される佐渡裕プロデュース喜歌劇「メリー・ウイドウ」に出演予定の森麻季さんが懐妊のために出演取りやめになった。そのことを歌仲間の友人から聞いて「へぇ~」と思ったが、私は冷静に受け止めた。と言うのは私のブログ塩田美奈子さんと歌う「津軽のふるさと」に書いたように、森麻季さんがヴァランシエンヌ役で出演する日のチケットを狙ったのに早々と売り切れで入手できず、すでに彼女の舞台を諦めていたからである。苦労してやっとこのチケットを手にされた方々は大勢ががっくりされたことだろう。

森麻季さんのホームページには《ご報告 この度、新しい命を授かることとなり、9月末に出産予定です。なお、公演活動は、身体的負担の大きいオペラ公演などを除き、基本的には7月末まで行い、・・・》とあった。

今度の公演はどのような演出になるのか知らないが、私が最近見たDVDの第三幕ハンナ・グラヴァリ邸のサロンでは、そこがキャバレー「マキシム」と化して「フレンチ・カンカン」を大勢の踊り子たちが踊る場面がある。その中心にいて踊り子と一緒にあの激しい「フレンチ・カンカン」をオッフェンバックの「天国と地獄」に合わせて踊るのるのがこの男爵夫人のヴァランシエンヌなのである。あちらではオペラ歌手でも芸達者である。歌手でありながら踊り子と一緒に遜色なく踊るのだから凄い。足を振り上げると180度以上に開脚して足のつま先は頭の天辺を越える。これでは出産三ヶ月前の森麻季さんには無理であろう。というより、そんな物騒なことは止めていただいた方がいい。私も森さんのこの舞台姿を見る人を羨ましがらずに済むというものだ。

ところで本当に「フレンチ・カンカン」が登場するのだろうか。芸文センターからのメールマガジンに《当センターでは、オペラ公演の舞台演技上の問題、森さんの現状とご本人のお考えを配慮した結果、今回の配役を変更することになりました。》とあった。この「舞台演技」というのは「フレンチ・カンカン」に間違いないと信じる。期待を裏切らないで欲しい。

これは嬉しいユーチューブ

2008-04-09 15:45:53 | 学問・教育・研究

京都大学が「ユーチューブ」で授業映像などの公開を始めたとの朝日朝刊の記事を見て、早速「KYOTO-U OPEN COURSEWARE」にアクセスしてみた。「Playlists」を開いてみるとすでに数多くのビデオが登録されている。そのなかに「湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念」という京大基礎物理研究所長 九後太一教授の講演があった。最近、小沼通二編「湯川秀樹日記」を読んだことでもあるので、この話を聴いてみた。

演題は「湯川理論から朝永くりこみ理論、そして標準理論へ」で、講演が三本のビデオに収められている。それぞれの録画時間が一般投稿の制限時間10分を遙かに超えた50分強である上に、最初のビデオを再生し終わったかなと思ったら、自動的に二本目の再生に入っていた。なんとも便利なことである。最初のビデオでは湯川理論の解説がされており、学生に戻った気分で話を聴かせていただいた。

湯川さんの中間子理論が、中性子と陽子を結びつける核力の源として、電子の200倍の質量をもつ粒子の存在を予言したことにある、と言うようなことを九後さんの話から理解できたように思う。かなり一般的な聴衆を対象とされたのだろうか、簡明な話しぶりで分かりやすく、さらに湯川さんがいかに強運の科学者であったか、というようなゴシップめいた話も面白かった。なんせ学位論文でもあった1935年発表の第一論文が、2年後には世界的に注目されることになり、早くも1940年には学士院賞恩賜賞を、1943年にはまだ予言した粒子が発見もされていないのに文化勲章を貰ったというだけでも異例である。そして1947年に予言通りの粒子、パイ中間子が発見されて、それが1949年のノーベル物理学賞につながったと言うのだから、確かに運の強いお方であったと頷いてしまう。それにしてもこのような話まで「ユーチューブ」聴けるとは、なんと有難いご時世なんだろう。

こうした講演を「ユーチューブ」というメディアを通じて公開するとの発想がこれまた嬉しい。頭をシャキッとさせたくなったら、このサイトを訪ねるつもりだ。実は九後さんの講演もノートを取りながら聴いたのである。勉強した気分にさせられるのも実によい。これからますますライブラリーの内容を充実させていただきたいものである。

ただ、全般的に映像の出来が良くないのが気になった。多分スライドを示しながら話をされたのを撮影したのであろうが、画面がほとんど真っ暗で、暗闇の洞穴をこうもりが舞っているような映像が多かった。熱のこもった演者の講演に応える意味でもテレビ局顔負けの機材を揃え、撮影もプロはだしの人材を動員していただけたらと思う。


昔の秘書さんとデート

2008-04-08 12:04:26 | Weblog
一昨日、久しぶりに昔の秘書、Hさんから電話があった。その電話に私が出るといつもなら簡単な挨拶を済ませて妻に代わるのであるが、一昨日は私に用があるという。そこで京都から出向いてくるHさんと三宮で会うことになった。

秘書と言ったが、Hさんは現役時代は正確には文部事務官で、私より数年年長の方である。私が阪大理学部に戦後出来たアプレの教室から歴史の古い京大医学部に赴任していろいろと驚くことが多かったが、その一つが研究室にれっきとした文部事務官が所属していることであった。教室の事務を担当するのであるが、私どもの教室には研究室が一つしかないので研究室専任の事務官であった。京都に移ったおかげで研究費会計などを含めてほとんどの事務・雑用から解放されたのはなんとも有難かった。

Hさんの自宅は医学部と同じ町内にあってご両親と住んでいた。独身と言うこともあってか、朝早くから夜遅くまで献身的にこまねずみのように動き回っていた。今流でいうサービス残業が日常化していたが、そういう意味では世間からずれていたのかもしれない。そのHさんと妻がいつの間にか親しくなり、Hさんが退職してからは二人して時々出かけているようなので、だから電話がかかってきても、私が妻に取り次ぐようになっていたのである。不思議な因縁ながらHさんの母上が妻の卒業した岡山県の高校の大先輩であることが分かり、そのようなことも二人を近づけたのかも知れない。ついでながら、この高校は妻に言わせると由緒のある学校だそうで、その校舎がNHKの人気連続テレビ小説「あぐり」のロケに使われたなどと変なことを自慢していた。

昨日はたまたま妻がその高校時代の仲良し何人かと会食するとかで出かけたし、私に用事があるとのことだったので、Hさんと私がデートすることになった。お昼だったので私がときどき訪れる「ル・ビストロ」というお店に案内した。ビストロという名の通り気が置けない店であるが、本格的な料理を出す。何気なくテーブルのそばに置いてあった「専門料理」と言う雑誌の四月号を手にとってみたら、「銀座レカン」と並んで紹介されていた。そのような店なのである。魚料理を楽しんだ。

食事が終わってから、「ちょっと覗いてみてください」とHさんはセンター街のとあるレディースファッション(と呼ぶのだろうか)の店に私を連れていった。姪御さんがやっているお店だと言うのである。しかし店員さんは居たが姪御さんはおらず、それでは、と今度は新神戸駅近くのショッピングモールにあるもう一軒の大きな方の店に連れて行かれた。洋服やらバッグや装身具など綺麗にディスプレイされている。海外にまで買い付けに出かけたりしているそうである。

こんな店にじいさんばあさん?がウロウロしていたらお客さんが入りにくいだろうに、と気を遣ったが、姪御さんに話を聞いてみると結構お年寄りの客が多いそうである。孫娘へのお土産に買ったりするのだろうか。孫が男ばかりの私には縁のない話と聞いたが、その私をHさんがわざわざこのような店に連れてくるのは、いかにも上品で紳士然とした私をケンタッキーフライのサンダース・カーネルよろしく店の前に立たせて、年配客の客寄せになって欲しいとでも切り出すのかと期待もした。でも用事の話は既に食事の時に済んでいるし、残念ながら期待している事態には至らなかった。

古い人の顔を見ているとついつい昔話が飛び出るもので、なかには覚えているままに書き残しておこうかなと思うこともあった。折に触れて気が向くままにそうしてみるつもりである。肝心の用事とは?実は私もどう展開するのか楽しみにしているところなのである。