日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

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伴奏拒否の女性教諭に聴いて欲しい「君が代」

2007-02-28 18:44:44 | Weblog
朝日朝刊が《君が代伴奏命令合憲 最高裁判決「思想強制でない」》の見出しで以下のように報じている。《東京都日野市立小学校の99年の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた女性音楽教諭が、都教育委員会を相手に処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」との初判断を示し、教諭の上告を棄却した。5裁判官中4人の多数意見で、藤田宙靖(ときやす)裁判官は反対意見を述べた》とのことである。

いや、平和な世の中である。この最高裁まで行った事件、伴奏が「イヤ」と云っている女性教諭を無理にピアノの前に座らせて、腕を持って強制的に伴奏させたのなら、それは問題だと思ったが、そうではなくて、伴奏はテープで代用したというのである。教諭は自分の信条を貫き通したし、校長も伴奏させることを断念してテープで我慢したというのだから、裁判不要の『傷み分け』でよかったのでは、と私は思う。

報道によるとこの音楽教諭は《君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついている》との歴史観・世界観をお持ちのようである。53歳と報じられるているから、もちろん戦後の平和な時代の生まれである。戦争を知らない音楽教諭が、どのようにしてこのような歴史観・世界観を持つようになったのだろうか。興味津々であるが今はこのことには触れない。

この事件が発生したのは1999年の入学式というから、平成11年4月であろう。ちょっとややこしい時期である。というのは国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)が公布され,即日施行されたのが平成11年8月13日である。そしてそれに先だって平成11年5月に文部省が出した小学校学習指導要領解説音楽編は以下のように記している。《音楽科としては、(中略)国歌「君が代」をいずれの学年においても指導し、入学式や卒業式等必要なときには、いつでも歌えるようにしておかなければならない。そのためには、表現学習の目標や内容と関連させ、児童の発達段階に即していずれの学年においても適切な指導を行うような指導計画を作成する必要がある》。

「君が代」をいつでも歌えるように、学校で教えなさい、と云っているのである。したがって現在では(音楽)教諭が児童に国歌「君が代」を教え、また入学式、卒業式などの数々の儀式で伴奏することを、校長が法律的根拠に基づいて命令できる状況になっている。「君が代」を学校で教えることがまがいもなく教諭の職務となったのである。

伴奏拒否事件の発生はこの法律の施行前であるが、国旗・国歌の法制化はすでに大きな社会問題になっていた時期である。そこでこの音楽教諭が自分の歴史観・世界観から危機感を抱いて伴奏拒否という行動に走ったのであろう、と私は想像する。

ところでこの女性音楽教諭は1999年以降も「君が代」を児童に教えることを拒み、また儀式に於ける伴奏なども拒否し続けているのだろうか。思想の一貫性を知るためにも、マスメディアにぜひ伝えて欲しいところである。まもなく卒業式のシーズンである。いぜんとして伴奏拒否なのだろうか。私は他国の国歌に敬意を表すことと併せて、国歌を学校で正式に教えるべきであると思っている。その教えるべき立場にある人が、個人としての思想・信条で「君が代」を教えないとすれば、私に云わせれば教えて貰えない児童が可哀相である。

私はこの女性音楽教諭に藍川由美さんの歌う原曲「君が代」を聴かせてあげたいと思う。そして自分で唱和すればよい。音楽の感性があれば、世界に比類のない音楽性の高い国歌「君が代」に必ずや心を打たれると私は思う。それでも反射的に《君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついている》なんて、なにか付け刃的な発想だけが脳裏を占めると云うのであれば、それはいたしかたがない。これからも赤穂浪士の心境にでもなって、職務放棄の処分覚悟で信条を貫かれるべきである、としか云いようがない。

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台北故宮博物院にて

2007-02-27 00:26:19 | 海外旅行・海外生活

思い立って台湾を始めて訪れた。台北故宮博物院がお目当てである。旧正月後、2月下旬の一日市内観光と一日自由行動を含むツアーだと2席だけ空いているというので、即決で申し込んだ。

関空の売店では週刊新潮3月1日号を買った。福田和也さんの見聞記「台湾で観た、食べた(上)「眼福」の故宮博物院」が載っていたからである。汝官窯の青磁と北宋山水画の傑作として范の「谿山行旅圖」、郭熙の『早春圖』、李唐の『萬壑松風圖』を口を極めて賞めておられる。それなら是非観てみようと思った。

故宮博物院は三年かけてリニューアルされ、その終了を記念して昨年暮れから特別記念展が開催されている。「大観」と看板に大きく出ているので日本画家の横山大観を思ったが勿論無関係、英語でGrand Viewとあったので意味は分かった。その「大観」は北宋書画特別展、北宋汝窯特別展、宋版図書特別展の三部で構成されている。

二日目の市内観光では午前中に故宮博物院に立ち寄り、NHKテレビでも紹介された翠玉白菜の細工物など目立った展示品を、ガイドにつれられて見てまわった。そのあとの自由時間に三階の各部屋を順番に訪れた。青銅器工芸の謎、文明の曙光―新石器時代、古典文明―銅器時代、古典から伝統へ―秦・漢の時代順に展示品が陳列されている。秦・漢といえば私の好きな宮城谷昌光の数々の歴史小説の時代でもある。各時代の器具などを目にして、その時代に舞い込んだような感じを覚えた。

翌日は9時の開館に間に合うようホテルからタクシーで駆けつけた。入場券は160圓、日本円にすると約600円である。土曜日のことで人が多かったのだろうが、それでも開場を待つ人は200人以下だったと思う。直ちに北宋汝窯特別展の105号室に向う。人はほとんどいない。日本人らしき熟年の紳士、地元の母と娘の二人連れの後に続いた。

説明によると汝窯の青磁で現存しているのは65点とか、そのうち20数点が展示されていたと思う(数えたわけではなかったので)。日本紳士が実に丹念に鑑賞されている。真正面から、斜め横から、しゃがみ込んでは上を見上げる。すぐ前のお母さんは音声ガイドを聞きながら中学生ぐらいだろうか、女の子に一つ一つ丁寧に説明している。女の子もいろいろお母さんに尋ねたり意見を述べているようだ。日本であまり見かけたことのない光景で、母娘のやり取りはとても心温まるものだった。前の二組が実にスローペースなので、後から来た人がどんどんと前に割り込んでいく。お蔭で私もゆっくりと青磁を鑑賞することが出来た。

福田和也氏は無紋水仙盆をこのように表現している。《この盆は、汝窯のなかでも、まったく貫入(細かなひび割れ)のない、特異な肌をしていて、色調も淡いのですが、鮮烈な印象を与えて、観るものを離そうとしない神品です。その澄明さには、憂愁と喜悦が同時に香りたってくる。モーツアルトのもっとも雅やかな旋律を蒸留した結晶みたいな》と。

確かに青磁は美しい。けれども道具は手に取ってみるもの、使ってなんぼのものである。とくに焼き物などは肌触りに持ち重り感などを味わいたいものである。眺めるだけでは絵に描いた餅ならぬ容器にすぎない。なんてひねくれた云い方になったのも、福田氏が『神品』だなんて持ち上げるからである。『鈍感力』に恵まれた私はそこまでは感じなかった。その『神品』無紋水仙盆を清の乾隆帝が猫の餌入れに使っていたそうだが、私の感覚にぴったりとくる。猫と対でいい画材になったことだろう。

私が興味を持ったのは、裏に「奉華」と紅色の文字が刻まれた小皿で、直径が12.8cmで糸底の径が10.1cmとのことである。奉華堂というのは南宋徳寿宮にあって高宗の寵姫劉貴妃の住んでいたところであることから、この小皿が彼女の生活に拘わりのあったことが考えられる。このように使われた場所が特定できるというのが凄い。日本流なら取り皿のような使われ方が想像できるが、中国ではどうだったのだろう。上品な和菓子ならぴったりだなと想像してしまうところが日本人なのである。

青磁ではないが私の注意を惹いた参考出品があった。親指の爪ほどの大きさで中央に小さな丸穴が空いた薄い陶片である。これを保持する台には二行五列に細長い溝が刻まれていて、陶片をその溝に差し込んで立てるのである。窯に入れて炉の温度と磁器の出来上がり具合の関係をモニターするのに使われていたようだが、使用法は考えてみたものの想像できない。いずれにせよこのような物までが見つかっているとは大したものである。青磁を見てまわるだけで一時間は過ぎてしまった。

北宋山水画の名品に向かい合うと感動を覚え、また重厚さには圧倒された。しかし展示室が暗くまた絵画自体がくすんでいて、残念ながらじっくりと観ることが出来なかった。絵そのものが分からなくても、醸し出される雰囲気に煽られて気分の高揚することがいい。福田氏は《北宋という時代にしかありえない、純度の高い、狂気とも思われるような、気韻がみなぎっていて、およそ紙と筆だけで作り出されたとは思えない空間が口を開けている》と評しているが、ふだん東洋絵画に縁の薄い私にはそこまでの鑑賞力は欠けているというのが本音だった。

私が心を打たれて時間を一番費やしたのが書法の部屋である。徽宗詩帳の几帳面で力のある筆の運びに思わずわが手を動かした。痩金体という独特の書風を作ったこの皇帝は絵画にも秀でていたが、政治的には無能であったというから、天は二物を与えずということになるのだろうか。ところで徽宗で有名なのが「桃鳩図」であるが、これには大観丁亥御筆と文字が書かれていて大観元年(1107)の作であることがはっきりしている。この年号の大観と今回の大観特展との合致が偶然なのかどうか、因縁を私は感じた。

黄庭堅には端正な書があるかと思えば、いたずらっ子がのびのびと筆を走らせたような書のあるのも面白かった。蘇軾の赤壁賦などお手本にして習字をしたくなったりした。書をよくする私の恩師から宋の四大書家の1人とかねて聞き及んでいた米●(草冠に鍋蓋、そして巾、べいふつ)の書の豊富なのに驚いた。筆の運びが流れるようで自然と字体が決まっていくように感じられる。年賀状の宛名書きすら筆でままならないのに、物真似をしたくなるような不遜な気分にさせられた。

彼の蜀素帖の一部ではあるが、印鑑がべたべた押されているのが目に付く。この書が人から人への手に移り、その時の持ち主が押印したのだろうか。蔵書判のようなものかも知れないが、少々無神経のように感じた。それにしても千年の隔たりを感じさせない書に書家の息吹を感じられるのが書の最大の魅力である。



観客は多目であったが、十分ゆとりを持って展示品を鑑賞できた。それにしても蒋介石は中国本土から故宮の数十万点に及ぶ名品をよくぞ台湾まで持ち込んだものである。今の中国政府にとってみれば略奪されたように感じているのかも知れない。でももし全てが中国本土に残されていたとしたら、あの文化大革命の時代にこれらの宝物が破壊・廃棄されてしまったかも知れない。戦火をくぐり抜けてこの貴重な文物が生き残ったことを私は素直に喜びたい。台湾には簡単に行けることが分かったので、いずれ故宮博物院を再訪するような予感がする。
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病気腎移植問題のこれから

2007-02-22 10:47:04 | Weblog
2月19日付asahi.comは《宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠・泌尿器科部長(66)らによる「病気腎」移植について、日本移植学会など関係5学会は、「原則禁止」の方針を打ち出すことを決めた。がんとネフローゼ症候群の患者からの移植は、免疫抑制下で「再発」の危険が高まるなどとして「絶対禁止」とし、それ以外についても例外的なケースを除いて禁止する方向で合意した》と報じた。病気腎移植についての最終見解は3月下旬に出されるとのことである。

この関係5学会とは日本移植学会・日本臨床腎移植学会、日本泌尿器科学会、日本腎臓学会、日本透析医学会のことであろうか、2月17日に大阪市内で開いた第二回合同会議には、これに《日本病理学会の代表者や、宇和島徳洲会病院や市立宇和島病院が設置している専門委員会に派遣されている学会員ら、計二十三人が出席した》とのことである。(愛媛新聞社 ONLINE、2月18日付)

関係学会のメンバーの病気腎移植に対する否定的な見解は当然予測されることで、特に問題にすべきところではない。私は現場の医師の裁量を重視する立場をとるので、ご本人が腰砕けになろうとも、万波医師の「病気腎移植」へのチャレンジを支持することには変わりない。

しかし一番の問題は移植用の病気腎をどのようにして確保するかである。当然病気腎を持った患者から摘出することになるが、この摘出の妥当性の判断が病気腎移植の命運に関わってくる。私は以前のブログ万波誠医師のチャレンジとヘルシンキ宣言で、《医療の本質から云って、問題になるのは、ドナーとなった患者の『病気腎』摘出の妥当性であろう。この患者の健康が腎摘出医師の第一関心事であったのか、これは調査によって明らかにされなければならない》と述べ、また万波誠医師のその後は?でも、《私は以前にも取り上げたが、病気腎の摘出の妥当性に関しては、出来る限り状況を調査して、今の時点で一定の評価が下されるべきであると思う。これは病気腎を摘出した医師の医療行為の是非を問うことになる》との見解を述べた。

病気腎移植問題は宇和島徳洲会病院での医療行為から明らかになったせいか、地元の愛媛新聞が精力的に経緯などを詳しく報道している。内容も具体性があるので、以降断らない限り記事の引用元は愛媛新聞である。この愛媛新聞が病気腎の摘出の妥当性をめぐって、宇和島徳洲会病院の調査・専門合同委員会で出された意見であろうか、以下のように報じている。

《腎臓内科医から「ネフローゼ症候群は、まずは内科的治療が第一の選択。摘出はあり得ないのではないか」》、《摘出不要との意見もあり、尿管狭窄(きょうさく)では「内視鏡で患部を広げることなどを試みるべきだった」、腎動脈瘤(りゅう)は「摘出せず経過を観察してもよかったのではないか」との声があった》、《出席委員によると、摘出について「移植を前提に、動脈を長く切ったり、がんの腎臓の血流を止めずに手術した」「万波医師は医師の優越的立場で摘出を進めていたのではないか」との指摘も出たという》等々である。

この新聞報道から判断する限りでは、この委員会の空気は、病気腎摘出の妥当性について好意的ではない。

万波医師によると《「捨てられる腎臓の中には移植に使えるものもある」(万波医師)》とのことである。新聞記事頼りになるが、移植に使われた病気腎は、文字通りに「捨てられる」運命にあったとは私は思わない。移植を前提とする以上、かならず前もって保存液などを準備しているはずだ。この「捨てられる」というのは言葉の綾に過ぎない。移植を前提として病気腎が摘出されたと考えるのがこのさい常識的であろう。

ここで病気腎の摘出と病気腎の移植という二律背反性が浮上する。

移植を前提とする以上、病気腎の患者に摘出の必要性を説明すると同時に、摘出腎を移植に使用する可能性のあることをあらかじめ説明しなければならない。患者の判断を左右する重要な情報であるからだ。この説明を受けた患者は、自分の身体から摘出された病気腎が、他人に移植されてその体内で動き続けるのなら、なぜ摘出しないといけないのか、なかなか納得出来ないだろう。不都合を説明されるだけなら泣く泣く病気腎の摘出には同意するものの、それが移植に使われると知ったら、この患者は素直に摘出に同意するだろうか。

私は病気腎移植を推し進めるには、この二律背反性の問題の解決が不可欠と考える。その観点からも、今回の事例で病気腎の摘出に際して医師と患者の間にどのようなやり取りがあったのか、その全容が明らかにされることを望みたい。すべてはここから出発する。

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三族協和でタングルウッドへ

2007-02-19 18:51:22 | 海外旅行・海外生活

2月11日と12日の連夜放映されたテレビドラマ「李香蘭」を観ていると、五族協和なんて古めかしいスローガンが目に止まった。中華民国の建国に際して、孫文らが中国の漢・満・蒙・回(ウイグル)・蔵(チベット)の五民族が共同して共和国を建設することを主張した。これが「五族共和」であるが、それが後に日本による満州国建国にあたって、日・漢・満・朝・蒙の五民族による「五族協和」に化けたのである。そして私はもう36年前になるある出来事を連想したのである。

1971年の夏、アメリカ・テネシー州メンフィスで開かれるある国際学会に招待された。主催者とやりとりしている間に、夏の3、4ヶ月ほど一緒に仕事をしないか、と云う話になり、顎足先方持ちでニューヨーク州立大学オールバニ校に滞在して、共同研究を始めることになった。

オールバニはニューヨーク州の州都で、ニューヨーク市からハドソン川に沿って200kmほど北にある。さらにハドソン川を300kmほど遡ると、Lake GeorgeにLake Champlainを経て、カナダのモントリオールに至る。ハドソン川を境に東側は南からConnecticut、Massachusetts、Vermontの各州とそれぞれ接しており、これらの州はいわゆるNew Englandの中核となっている。至る所に道路が張り巡らされていて、どの道をドライブしていても自然の風景に町の佇まいが魅力的である。

ドライブを楽しむには車がいる。研究室で中古車を買う話をしていると、大学院の女子学生も買うことを考えているという。Joyceと呼ぶことにするが、シンガポールからの留学生で中国系人である。その彼女と相談がまとまった。全ての費用を折半して彼女の希望する車を購入する。名義は最初から彼女のものにするが、私が滞在している期間は私の専用とするという取り決めである。お互いにメリットになる。そして1000ドルほどで赤いフォルクスワーゲンを手に入れた。

独り者の気安さで、時には金曜の夕方からドライブに出かけ、モーテルを泊まり歩いて日曜の夜帰ってくることもあった。そしてちょくちょく気軽に出かけたのが、ボストン交響楽団の夏の本拠地、Tanglewoodである。車で2時間少しの所にる。夏はタングルウッド音楽祭のシーズンで、大学の生協でチケットを購入して行くのである。そういう話を研究室でしていると、Joyceが友だちと一緒に連れて行って欲しいという。そこである日5人で出かけることになった。私がアッシー君を務める代わりに、彼女たちが夕食を準備してくれるというのである。

友だちというのは中国人、日本人それに韓国人がそれぞれ1人ずつで、彼女たちは4人で一軒家を借りていた。各人が寝室を私室としてあとは全て共有で使うというスタイルで、アメリカでは普通である。全員が留学生で専攻はそれぞれ違っていたようだ。Joyceを除いて皆初対面であったが、1人で外国へ平気でやってくるような女性なので、私と打ち解けるのも早かった。36年も前のことなので、名前も覚えていないし何を話したのかも忘れてしまった。ただもう1人の中国人のお父さんが、私も名前を知っているもと軍閥の大物将軍だったことは記憶に残っている。

記憶がおぼろげになったなかで何が切っ掛けになったのやら、その道中、車の中であれやこれやの歌を大声で歌ったことははっきりと覚えている。車にはエアコンなんて気の利いたものは付いていないので、窓は全開である。誰かが歌い出した歌を知っていると皆が唱和する。言葉は中国語、日本語、韓国語に英語とバラバラ、それがほとんど英国起源の歌だったように思う。Home Sweet Homeなどは、英語で綺麗にハモることが出来た。三族協和の歌声を沿道に響かせながら車はひたすらTanglewoodのあるBerkshiresを目指して走ったのである。

Tanglewoodに1人で来るときは建物の中の椅子席に収まり、バーンスタインやオザワの音楽などを楽しんだ。しかしこの時は建物の外の芝生に敷物を広げ、彼女たちが作ってくれたサンドイッチなどを食べ、コーヒを飲んで開演を待った。芝生の思い思いの所に観客が腰を下ろしたり寝そべったりしている。風が心地よくて、思いがけない遠いところから話声を運んできたりした。このときにグループの写真を撮ったはずであるが、行方不明になってしまった。辛うじて見つかった上の写真には、たまたま日本人女子学生の立ち姿が入っているが、これ以外に思い出すよすがはない。この日のプログラムが何であったのだろうか。ただ帰りの車では皆さん大人しくなってしまい、ヘッドライトだけが暗闇の中の田舎道を照らしていた。

5年後の夏、私は再びオールバニに戻ってきた。Joyceは目出度く学位を得て研究室を離れるところだった。その直前に彼女は赤いフォルクスワーゲンを車にぶつけられて、動かなくなってしまった。しかし相手に全面的に非があったことから、これまでに費やした費用以上の補償金が出たとかで嬉しかったのか、私にえらく感謝してくれた。
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一弦琴「朝顔」

2007-02-18 21:27:41 | 一弦琴
NHKの番組で見た人間国宝竹本住大夫がお弟子さんに稽古を付ける場面を、これは『やらせ』であろうと私は思ったが、真偽のほどはどうなんだろう。これに関連して昨日(2月17日)、朝日の朝刊で気になる記事を見た。文楽研究家の岡村志嘉子さんが「私の視点」の欄でこのようなことを述べている。《国立文楽劇場で、文楽の後継者育成の中心的役割を果たしてきた文楽研修生が、在籍者ゼロの非常事態となっている》と。

NHKは芸道精進の厳しさをアピールする意図で放映したのかもしれないが、発想があまりにもワンパターン、竹本住大夫が執拗に弟子を面罵する場面を見せつけられては、よほどの変わり者でない限り、弟子入りを志望者も足がすくんでしまうことだろう。この番組の企画者にそこまでの気遣いはなかったのだろうと思う。

この竹本住大夫出演の「生写朝顔話」(しょううつしあさがおばなし)のことに触れたので、久しぶりに一弦琴の「朝顔」を浚ってみた。なんだか怪しいところもあるが、また折に触れて修正しようと思う。

浄瑠璃の板本から、この歌を抜粋した。

  露のひぬ間の朝顔を、照らす日かげのつれなきに
  哀れ一むら雨のはらはらと降れかし


追記(2月27日)
 少し演奏を変えて唄いなおした。

追記(3月3日)
 さらにお浚いを重ねた。
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成功した携帯電話の料金プラン変更

2007-02-17 21:37:41 | Weblog
昨年の暮れにソフトバンク携帯電話料金のシステムを変更して、この1月からエコノミ-(オレンジ)プランにした。私と妻が家族割引+年間割引で使用しているが、変更前の料金は11月分が7774円だった。それが新しいプランになった1月では5048円となり、なんと2700円余り安くなった。使用状況はこれまでとまったく変わらない。よくぞこのような垂れ流しを平気でしていたものだ。

ところがエコノミープランに変更後、新たにホワイトプランが導入された。これだと月額基本使用料が980円である。私の機種はSoftBank 3Gであるので、他社の携帯へのメールのやりとりやウエブも見るにはS!ベーシックパックに加入しないといけない。これが月額315円で両方合わせた1295円が実質的な月額基本使用量になる。家族割引のような割引がないのがかえってスッキリしており、二人合わせると2590円が基本使用料になるのだろうか。それに通話・通信料が加わることになるが、合わせても3000円を大きく上回ることはなさそうである。

このホワイトプランの出現で、ようやく料金システムが分かりやすくなり、これで『押し売り』を我慢せずに済みそうである。近々ホワイトプランへの変更手続きをする予定である。
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月謝とお賽銭

2007-02-15 21:49:20 | Weblog
最近、お稽古ごとについて考える機会が多い。

手元の星野鎮子著「謡の習い方」をひもとくと、先ず「入門の心得」がある。師承の藝であるからと、師匠の選び方の大切さを説いている。一度選んだら、あれこれと師匠を変えるなと勧める。師匠をころころ変えると不見転藝となって、品格が落ちるそうである。そしていい師匠とは「人格が良くて、稽古に熱心な、正確な藝の持ち主」であればよい、という。「人格が良くて」に始まる条件の順番に含蓄がある。

ところが残念なことに、よい師匠の見付け方をこの本は具体的に書いていない。師匠がごろごろしているような分野ならともかく、稽古仲間が細々とした分野では選択の自由がないに等しい。僥倖を頼りにするしかないのだろうか。

月謝の意味が面白い。《わたしたち素人が、芸事についやす月謝は無条件である。藝が上達するしないに拘わらず、むろん免状をもらうことが目的でなく、ただ月謝をもって通いつづけることその事に、大きな意味があるのである。たとえてみれば、お賽銭のようなものであろうか。お賽銭は、御利益の有無にかかわらず、敬虔なこころもちで、神仏に奉納するそのことに深い意味があるのである。もし月謝にたいする代償をもとめる気持ちになったとしたら、とうてい芸事のけいこは続けられるものではない。》

月謝がお賽銭という、ある種の『精神主義』は確かに面白いが、これは師匠の側に都合の良い発想だと思う。月謝にたいする代償をもとめる気持ちがあってはならないとは、お賽銭を上げるのに願い事をしてはいけないと云われるようなもの、そんな神社は閑古鳥の巣になって終わりである。

ところで種明かしをすれば、この「謡の習い方」が出版されたのは戦時中の昭和十八年、聖戦貫徹のために国民が献金、献納を強いられていた時代なのである。なんだかその風潮との繋がりを私は感じてしまう。お賽銭と言いくるめられては負け、やっぱり月謝分の収穫を期待してこそ精進に拍車がかかるというものである。

学生時代に家庭教師のアルバイトをした経験のある人ならお分かり頂けると思うが、教え子の成績が全ての鍵を握っている。上がれば親が喜びボーナスガ出たりして、人間関係もよくなる。が、成績が芳しくないと即クビである。お稽古ごとの師弟関係も、そのような面があってもいいのではなかろうか。

師匠が弟子に時間の切り売りをするのである。たとえば標準時給を5千円として、弟子は教えて貰った時間に按分して支払う。ほんとに熱心に教えて貰ったと思えば、たとえ100円でもチップをはずむ。教え方に不満があったときは、その分少なめに払って、その意思を伝えるのである。藝は盗むもの、とか嘯いて、元来は弟子に教える時間を自分のお浚いの場などにしていると、弟子はちゃんと見抜いて人格に不信感を抱く。そのような世の中なのだ。

私がこのように云えるのも、自分の稽古目的が趣味を楽しむ、とはっきりしているからである。お稽古ごとをする人のなかには、時期が来れば習った藝を人に教えたいと考えている人もいるだろう。それは収入にもつながるプロの道である。私は弟子を趣味コースとプロコースにはっきりと分けるのがいいと思う。弟子たるもの、全てがプロを目指すと師匠に勝手に決められると、趣味志向の弟子は困ってしまう。舞台を踏むことによって上達するから、あれに出なさい、これに出なさいと云われても、趣味人には無縁なこと、余計な時間を取られるだけ迷惑なのである。

プロを目指す場合は違うのかもしれない。「名取」一つを取り上げてみよう。日本史広辞典(山川出版社)はこのように説明している。

《日本の芸道を学ぶものが、その家元から芸名を許されること。家元・師範・宗匠などを頂点とする家元制度の中間にあって末端の弟子に技芸を教授する。家元によっては技芸・人格・功績などがすぐれていると判断された者が、流儀名の何字かを与えられることから「名取」という。》

この説明は実は完全ではない。これは教授権のみ伝授されて、伝授権が保留された名取師匠の説明なのである。これに対して『完全相伝』という制度がある。これは免許皆伝の権利をも弟子に与えるのである。いずれにせよ、もし地元の文化教室などで人に教えるのであれば「名取」であれば便利だろうと思う。「かくかくしかじか」とその素性を説明しやすいからである。

この広辞典の説明からも想像されるように、「名取」になるには技芸のみならず、人格・功績を師匠に認めて貰えないといけない。必然的に師匠にかずかずの奉仕をすることになる。たとえば付き人的な仕事を引き受けて、師匠のお出かけにはお供をする。師匠の舞台の裏方を務めるのは当然として、舞台での引き立て役をも引き受ける。こういうことに嫌気がさして技芸の習得をも諦める人が出てくるとしたら、伝統芸能が生き続けることは出来ない。

伝統芸能の伝承に関係者の意識改革が望まれるところである。


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自分の命を自分で守る この当たり前のこと

2007-02-11 18:03:00 | Weblog
京都に単身赴任の頃、狭いトイレがシャワー室でもあるアパートの一室に住んでいたことがある。どこからお湯が来るのかといえば、台所にあるガス湯沸かし器なのである。シャワーを使うときは寒い冬でも窓を少し開けて換気扇を回した。身体が温まるまでに時間がかかると、換気がまともに出来ているかどうか、気にしたものである。

昨日(2月10日)の朝日朝刊が一面トップで「リンナイ製3人死亡 湯沸かし器CO中毒 00年から事故5件」と報じた。最近の事故が起こったのは7日で、亡くなったのは横浜市鶴見区で一人暮らしをしている男性である。その記事によると《台所にあった湯沸かし器を使っている最中に一酸化炭素中毒になって倒れた。家族の通報で消防隊員が到着した時点で、○○さんはすでに死亡していたという。県警は行政解剖の結果、死因は一酸化炭素中毒とみている》とのことである。

社会面の補足記事は、《同日昼過ぎに親族とみられる女性から119番通報があった。救急隊が駆けつけると、男性が室内の台所付近で倒れていた。すでに死亡しており、県警鶴見署に連絡した》と報じている。さらに《男性が発見されたときは小型湯沸かし器から水が出ている状態のままだった》らしい。経産省によると《いずれのケースも換気扇が回っていないか、窓が開いていない状態だったという》とのこと、いずれにせよこの事故では開放式小型ガス湯沸かし器が、換気の行われていない状況下で使われていたようである。

この記事を見て私は、この男性は一体何のためにガス湯沸かし器を使ったのだろう、と思った。一人暮らしで食後の洗い物だけなら、5分もかからないだろう。その間に呼吸中毒を起こすほどの一酸化炭素が室内に充満するとは考えにくいからである。洗濯でもしていたのか、シャワーに使っていたのか、この記事では確かめようがない。

この男性死体が見付けられたのは7日お昼過ぎであるが、一体いつから湯沸かし器が使われていたのか報道は明らかにしていない。《小型湯沸かし器から水が出ている状態のままだった》とのことだから、ガス火は消えていたのだろう。しかし酸欠になって火が消えたもののガスは出たままなのだったのか、それともガスは遮断されていたのかも分からない。この男性が他の原因で意識を失い、湯沸かし器はそのまま動いていた可能性はなかったのだろうか。

ここで横道に逸れるが、表面的なことしか伝えないこの新聞記事は読んでいてイライラする。最近も朝日新聞のベテラン社員による記事盗用が発覚したが、『記事力』の低下に歯止めをかけないと、ますます読者が離れていくだろう。半世紀以上朝日の定期購読を続けたかく申す私も、この2月から夕刊を他社紙に変えた。

ガスであれ石油であれ、空気、酸素がないと燃えない。とくに室内で燃焼させるときは換気をよくしないと、酸素が不足して酸欠状態になったり、不完全燃焼で猛毒の一酸化炭素が発生し易くなることは、日常の科学常識であろう。人間が生きていく上に欠かせない科学常識は、家庭での教えと学校教育で身についていくのであるが、日頃の啓蒙活動も大切である。ガス器具メーカーが製品のCMに際しては使用上の注意を必ず強調するように義務づけたらどうなのだろう。それにもまして、自分の命を自分で守ることの重要性を、マスメディアはあらゆる機会に国民に浸透させるべきである。

この度の事故もパロマの事故と同様に老朽化した製品で発生したようである。私はユーザーの使用責任をあえて強調したい。いかなる器具でも、常識を働かして使っているかぎり、命を落とすことにはならないのである。
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鈴木 直著「輸入学問の功罪」の副作用

2007-02-09 16:58:37 | 読書

以前に書いたことであるが、私は生まれてこの方まともな哲学の本を一冊も読んだことがない。哲学の本と云っても翻訳本のことであるが、読むに耐えない日本語であったことが私を本から遠ざけた。翻訳が悪いとかねて思っていたので、私はこの著書の ―この翻訳わかりますか? の副題に惹かれて読み始めた。

まず岩波文庫の資本論から、向坂逸郎訳の一文が出てくる。読点を含めて一行39文字で十行に及ぶ文章で、実はこれが一つのセンテンスなのだ。400字詰め原稿用紙一枚分に相当する。長いと云うだけで読みづらい。それを読みやすくするために、鈴木氏は七つの文章に分けて、表現を少し平易にする試みを提示する。ところが鈴木氏は、向坂氏のドイツ語の読みの正確さに脱帽しているのである。訳は原文と同じ構文で、単語も一対一の対応関係を再現しているとか、丁寧で忠実な翻訳と云う次第なのである。

向坂訳に遡ること20年、高畠素之による同じ箇所の翻訳文が挙げられている。全体を一文としていることでは変わりがないが、鈴木氏によると、ドイツ語のニュアンスを若干犠牲にしても、読者の読みやすさのために、それなりの工夫をこらしているのである。

ところがこの高畠訳を河上肇が批判し、後に宮川実と資本論を翻訳した。その高畠訳を「通俗的でより多く日本文学的」、川上・宮川訳を「研究的でより多く即原文的」と論評した青野季吉に今度は三木清が噛みついた。鈴木氏は《三木の翻訳観に見られるのは原文への強迫観念的な自己同化であり、欠落しているのは読者の視点からの解釈学的反省だ》(58ページ)と評している。

この著書の中で鈴木氏は回り道をするのであるが、行き着くところ、《一語一語対応と原文構造の模倣的再現を「哲学書」であることを理由に正当化することは、哲学者たちもそろそろ止めた方がよい》(227ページ)と提言するのである。

すなわちこの著書は『翻訳者』への戒めと翻訳作法の勧めなのである。私のような単純な読者は読む必要がなかったとも云える。哲学書の翻訳本が読むに耐えない悪しき日本語であることは、私は先刻ご承知であったし、それが「一語一語対応と原文構造の模倣的再現」への固執によることは、受験英語の洗礼を受けてきた全ての日本人にとっては、目新しいことでもなんでもないからである。

しかしそのように云ってしまえば身も蓋もない。私にとって面白い挿話がいくつかあったので、その一つを取り上げてみる。

『回り道』で鈴木氏の哲学への取り組みが語られているが、ヘーゲルの『精神現象学』のドイツ語が翻訳者泣かせだそうである。この中でも最も有名な箇所が『自己意識の自立性と被自立性―支配と従属』で、一般には『主人と下僕』の章として知られているとのこと。この部分の解説が私の思考を刺激したのである。

岩波書店刊行の金子武蔵訳『改訳精神現象学 上巻』によると、その出だしは《自己意識が即自且対自的(自律的)であるのは、他者に対してそうであるときのことであり、またこれによることである。換言すれば、自己意識は承認されたものAnerkanntesとしてのみ存在する。》

例によって例のごとし、私にはチンプンカンプンで無意味な言葉の羅列である。しかしこれに対する鈴木氏の注釈を読んでいくと、自分なりの取り方であるが、何を云っているのか少し分かり始める。

まずヘーゲルが「主人」と「下僕」のたとえ話でこのように説明している。
《主人とは自立した自己意識のことだ。ただし、この自己意識は単に自分勝手に自立していると思い込んでいるだけの自己意識ではない。「主人」は「下僕」を支配するという形で、いわば関係の中でみずからの自立を意識している存在とされる。》(196ページ)

これを鈴木氏はこのように噛み砕く。
《主人は物を所有していることによって、物を所有していない下僕を間接的に支配している。下僕が主人と同じように物を持っていれば、この支配関係はそもそも成り立たないだろう。したがってここには、物を媒介にした主人→物→下僕という支配関係が存在している。》(197ページ)

実はヘーゲルが洞察しているというもう一つの主人→下僕→物という支配関係がある、と鈴木氏はこちらの支配関係に重点を置くのであるが、これは横に置いておく。

ここで「主人」を「教授」、「下僕」を「助手」、そして「物」を「研究室・研究費」と置き換えてみると、元大学人の私には極めてよく理解できる。ヘーゲルは難しいことを云っているのではない。まったく当たり前のことを難しい言葉で言い換えているだけなのだ。

この調子で鈴木氏の噛み砕きが続くが、下僕が鶏を飼う話しにこのように入っていく。

《主人は、自分の思いままになる被自立的存在としての鶏を消費するだけで、鶏から何も学ぶことは出来ない。下僕はやがて主人がいなくても自ら物を生産し、自立できる存在へと向かうだろう。しかし主人は下僕なしに自立できない存在となっていく。こうして主人と下僕の自立関係が逆転し、一方的な支配関係が組み替えられ、主人も下僕も相互承認の必要性へと目を開かれていく。》(198-199ページ)

この部分も「主人」を「教授」、「下僕」を「助手」、それに加えて「鶏」を「実験データ・論文」と読み替えると、私の頭の中にヘーゲルの云わんとすることが素直に入っていく。というより、このことは大学に於ける一連の捏造論文問題で表在化してきた、教授と助手・研究員の関係について私の認識そのものなのである。「東大多比良事件 助手とのバトルに完敗の東大教授」はその一例であるが、まさに主人と下僕の自立関係の逆転なのである。東大多比良事件では、主人も下僕も相互承認の必要性へと目を開かれていくに至らなかったのである。

何のことはない、私は自らの職業生活を通じて、とっくの昔にヘーゲルの域に達していたのである。ヘーゲルが思索の人なら私も行動し考える人、日々の知的作業の営みに大きな違いのあるはずがない。ましてやヘーゲルが「精神現象学」を出版したのは37歳の時、今の私はその当時の彼よりは遙かに人生経験を深めている(筈だ)。事と次第で私の認識が彼を凌駕していることがあっても、不思議でも何でもない。

と、つい鈴木氏のこの本に触発されて、夜郎自大ぶりを披瀝するのもまた楽しからずや、なのである。

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ブログのパクリ? 一件落着のこと

2007-02-09 10:34:47 | Weblog
私の記事「柳沢伯夫厚生労働相を辞めさせるゼネラルストライキを!」が『盗用』されたことを@niftyに通告したところ、返信メールが届き、そのなかに《ご連絡いただいたココログについては、弊社で内容を確認の上、ココログ利用規約に基づき、対応を検討させていただきたく存じます》の文言があった。

気付いたのは今朝であるが、昨夜(2007/02/08 21:50)件のブログの開設者から私こと、lazybones9にメールが届いた。ココログより転載の注意を受けたこと、他の掲示板に公開されていたので私の許可なく転載したことと、そして私への謝罪の言葉があった。もちろん私はそれを快く受け入れ、これにて一件落着である。

今回の出来事を通じて、私はブログ社会の健全な側面を実感できたことが嬉しかった。まずはココログが上に引用した言葉通り、誠実にこの事態に対処してくれたこと、そして当のご本人から謝罪メールをいただいたことである。このメールには氏名、住所、電話番号に至るまで身元が記されており、この方の誠意を感じた。

またブログ書きに拍車がかかりそうである。
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