日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

輿石東新民主党幹事長が党内融和の象徴?

2011-08-30 19:16:34 | Weblog
最後の最後まで菅首相による衆議院解散・総選挙を期待していたが、呆気ない結果に終わった。いわゆる小沢グループに丸乗りの海江田氏が民主党代表選で決選投票を経て葬られたことに、小沢氏の影響力を排除しようとする民主党の良識が辛うじて働いたように私は感じた。今日の午後、衆参両議院で民主党の野田佳彦代表が第95代の日本国内閣総理大臣に指名され、ここに新首相が誕生した。となると次の関心事は党の役員時人事でとくに注目されるのが幹事長である。テレビをつけっぱなしにしているのに、なかなかニュースが流れてこない。やっと4時過ぎのNHK上方落語会の時に、輿石氏幹事長に内定のテロップが流れた。訳の分からん話やな、と私は思った。

小沢グループは党内最大の勢力と言われてきた。グループを構成する国会議員の数が最大ということなのだろう。しかしその最大勢力に乗った筈の海江田氏が、結果的にはその最大勢力を是としない反小沢グループ連合の前に屈した。以前から分かっていたことであるが、その最大勢力といわれる小沢グループには、小沢氏自身が党代表になったとき以外は自前の党代表候補が不在なのである。一口にいえば小沢グループは烏合の衆同然である。このグループが「数」以外に民主党において、どのような政権担当能力に寄与してきたのか、少なくとも私にはさっぱり見えない。島田紳助事件以上に暗闇が深い。

この小沢グループが中心となりその「数」を見せつけた例が、野党が提出した菅内閣不信任案に相乗りをまさにしようとしたときである。この辺の事情を狐と狸の化かし合いは狐の勝ちだったが・・・で述べたが、小沢グループのこの動きは党内融和にはほど遠い行為であったと思う。そのようなグループを依然として党内融和のために民主党内に残さないといけないのだろうか。国民にはさっぱり分かりかねる党内融和を口実に、小沢氏の党員資格停止の解除を公言する輿石氏を幹事長に選んだ野田氏を新代表に選んだ国会議員は、どのような反応を示すのであろうか。

政調会長に前原氏をとのニュースが今流れてきた。結果がものを言う。成り行きをしばらく眺めることにしよう。

島田紳助事件のもやもや

2011-08-28 19:57:22 | Weblog
売れっ子のタレント島田紳助さんが突如芸能界からの引退を宣言して、マスメディアは大騒ぎである。すでに報道されているが、あらためて紳助所属事務所が報道陣に配布した引退に関する文書のなかに、次の文章がある。

 弊社の調査によれば、島田紳助について、平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間、暴力団関係者との間に一定の親密さを伺わせる携帯メールのやり取りを行っていたことが判明いたしました。このような行為は、社会的影響力の高いテレビ等のメディアに出演しているタレントとしては、その理由を問わず、許されないものであります。

この強調部分を紳助さんも指摘して自ら引退へと踏ん切ったのであるが、私には紳助さんがどれほどの「悪」なのか自分で判断出来る情報を持ち合わせていなので、ことの軽重がすんなりとは飲み込めなかった。それよりも「ヤーサン」があたかも不可触民のように扱われていることの方が気になった。不可触民とは、「ヒンドゥー社会の中でも最下層階級であり「触れると穢れる人間」として扱われてきた。不可触民は、触れてはいけないだけでなく、見ることも、近づくことも、その声を聞くことさえいけないとされた(ウイキペディア)」。

事の起こりは10年以上も前のことである。asahi.comによるとこういうことがあったらしい。

 関係者によると、十数年前、関西テレビ(大阪市)制作のバラエティー番組「紳助の人間マンダラ」での島田さんの発言をめぐり、同局に街宣車が来てトラブルになった。芸能界を辞めようとまで悩んだ島田さんは、渡辺被告に相談。渡辺被告が組長に話をつなぎ、トラブルは解決したという。

これは仕事の上のトラブルである。普通なら所属事務所(吉本興業?)に相談して何とか対策を練り、それでもうまくいかなかれば警察に相談して、と市井人の私は思うが、おそらく紳助さんは所属事務所も警察も頼りないならないと思ったのであろう。個人的に信頼する友人に相談した。私はそう推測する。

昔からの友人に相談したら、その友人がいつのまにか「ヤーサン」になっていたと受け取られる報道があったが、「ヤーサン」が身近にいたのが良かったのか悪かったのかである。私は山口組の本拠とされる神戸に住んでいるが、少々とろいせいか街を歩いていて「ヤーサン」とすれ違ったとかいう経験はない。その「ヤーサン」とバッチリ出合ったのが大阪・動物園前一番街の中であった。古着屋に袴を買いに出かけたときのことである。明らかに挙措の目立つ人たちが何人かずつかたまって歩いている。「ヤーサン」だと直感してしばらくその動きを追った。キビキビしていて男っぽくてなんだか引きつけられそうになる。やがて商店街の中にある建物、それがおそらく彼らの事務所なのであろう、その中に入って行った。たまたま何か集会の折りに出合ったようである。もうかれこれ10年ぐらい前のことであったが、あの事務所、今でも残っているだろうか。私は残っているような気がする。なぜなら事務所も含めて「ヤーサン」があの商店街の人々に溶け込んで生活をしているような印象を抱いたからである。もともと昔から日本ではそうであったように。

別の「ヤーサン」と出合ったのも大阪であった。心斎橋で大阪では老舗のコーヒ・チェーン店を見つけた。レトロっぽくって感じが良さそうなので扉を開いた瞬間、もうもうと押し寄せる煙草の煙にたじろいでしまった。禁煙が声高に叫ばれているこのご時世に、これは凄い喫茶店だと思い逃げだそうとしたが、ある好奇心に誘われて入ることにした。なんだか客筋がおかしいのであるが、謎は直ぐに解けた。一人の人物が入ってくると客がそれぞれ丁寧に挨拶を交わすのである。それを聞いて間違いなく「ヤーサン」と判明した。これは面白いと私も徹底的に観察することにしたが、おそらく私が座り込んでいる間に入ってきた客に「素人」は居なかったような気がする。この喫茶店、「ヤーサン」のオアシスなのであろう。そういえば女性もその筋に人らしいのである。いわゆる「あねさん」で、私の直ぐ横の席で煙草をぷかぷか吹かしているのも「あねさん」の風格がある。「煙草を遠慮してくれ」と言って反応を見たい気もあったが、もちろん大人しくしていた。

たったこれだけの経験に過ぎないが、神戸より歴史の古い大阪では、地元の人と「ヤーサン」が折り合いをつけながら共存していく術を自然と身につけてきているのではないかと思った。過去何十年にわたり法律まで次から次と作って警察は「ヤーサン」を反社会的勢力とまで呼んで撲滅する姿勢を示しているが、現実には「ヤーサン」は大きく減少することもなく、現在でもおよそ8万人足らずの「ヤーサン」が健在であるという。東日本大震災で現在の避難者が8万人前後と言われるが、それに相当する「ヤーサン」が生き残っていることは、日本の社会がどこかで彼らを受け入れているからこそ可能なんだと思う。共存が成り立っているのである。その「庶民社会」での生活感覚で「ヤーサン」が反社会的勢力にすんなりと繋がっては行かない。なぜなら反社会的勢力なんて「警察用語」に過ぎないからである。

もう何十年も前から兵庫県に新任の県警本部長が赴任してくると、必ず「山口組撲滅」を誓った。でも実績を残すこともなく去ると、また新しい県警本部長が同じ新任挨拶を繰り返すのがならいとなっていた。そして実績も残さずまた去っていく。さすが気恥ずかしくなったのだろう、最近では「山口組撲滅」を口にしなくなったようである。なぜ警察が反社会的勢力を撲滅出来ないかと言えば理由は簡単で、警察なんてサラリーマンの集まりで、仕事が出来なかったからと言って給料が召し上げられることはない。それに反して「ヤーサン」は仕事が取り上げられてしまうと食べていくことができない。生死がかかっている。要するに仕事に対する真剣度が「ヤーサン」の方が格段に上で、警察が新しい手を考え出しても衆知を集めて必ずそれを上回る対抗策を編み出すのである。これはアメリカのある経済学者の理論を私なりに敷衍したもので、ほとんどの方に納得いただけるのではないかと思う。

まともには勝てない警察がきわめて卑怯な手を編み出した。それが「ヤーサン」の差別化であると私は思う。今回の紳助事件で芸能事務所が出した声明に、私は「ヤーサン」があたかも不可触民のように扱われていることの方が気になった、と述べたが、これは一芸能事務所だけの判断で出来ることではない。いわゆる警察の指導を受けてこのような決まりを作りあげたのであろう。もちろん犯罪を犯せばそれなりの処罰を受けないといけない。しかし社会となんとか共存している「ヤーサン」を、警察が己の面子のために棄民として排除しようとしているのは不条理にように私には思える。「ヤーサン」でない生活の途を社会が与えられない限り、この問題が永遠に解決しないように思う。


カダフィ大佐より生き延びそうな菅首相が今為すべきことは衆議院の解散である

2011-08-24 11:22:50 | Weblog
私が菅首相とカダフィ大佐 生き残りをかけてで、最後に《それにしてもカダフィ大佐とわが菅首相、どちらがしぶとさに勝ることだろう》と書いたのは、私が入院させられた6月22日の数日前のことであった。それからほぼ2ヶ月、リビアの情勢は大きく変わり、今朝のasahi.comは《反体制派、喜び爆発 カダフィ拠点「制圧」に祝砲》と伝えた。一方カダフィ大佐はラジオでまだ抵抗を呼びかけているようであるが、帰趨はほぼ決したと見て良かろう。

その菅首相は昨23日午前の閣僚懇談会で、「30日に内閣総辞職をすることになるだろう」と述べたとのことである。その断言していないところに私はまだ期待を抱いている。これまで何を言ってきたかは一々気にする菅さんではなかろう。今こそ衆議院を解散すべきなのである。内閣総理大臣を一政党の中でたらい回しするのではなく、それに先立ち国民の総意を総選挙により問う、この政治の正道をいまこそ国民は取り戻すべきなのである。衆議院解散にはこれだけで国民に対する大義名分となる。この問題に民主党の次期代表を目指す人たちが何一つ触れないことだけで、彼らには代表選出馬の資格は無い。その衆議院解散をやってのけることの出来るのは、この混迷する政局の中にあって、肩書きは首相であっても市民運動に熱中出来る菅首相のみである。己の信念を吐露して今こそ衆議院解散を断行すべきである。まさに国民栄誉賞ものではないか。


菅首相 今こそ国会解散・総選挙を!

2011-08-21 12:17:10 | Weblog
最後までバタバタしていたが、自民党も菅首相の居座りを避けたいために8月24日には特例公債法案、26日に再生エネ法案をそれぞれ成立させることに合意したそうである。私はこの時こそ菅首相が衆議院を解散し総選挙に打って出る好機だと思う。

ここしばらくどのチャンネルを回しても、次の民主党代表候補として政治家としての深みを感じさせない顔ばかりが出てくる。もともと民主党に人材が払底していることは周知のことであったが、政治家として具体的なビジョンを語れない人物ばかりというのも徹底している。そこにまた出てきたのが小沢詣でとか鳩山詣で、それに呼応してなのか、小沢一郎氏と鳩山由紀夫前首相が「菅直人首相の後継的な人間は推せない」との意見で一致し、今後も連携していくことを確認したとか。国民不在のレベルの低い話が、今や党としての体を為さない民主党の中で行き交っている。

そういう民主党をほとんどの国民がすでに見放して、衆議院を即解散、総選挙で今の国民の意思を直接に反映する総理大臣の選出を強く望んでいる。そこで期待するのは「市民運動」に熱中している菅首相と私が見極めた菅首相の最後の、いや、起死回生の?ご奉公、衆議院解散総選挙の断行である。まずは民主党代表選をぶっ飛ばせば、すくなくともこれで小沢・鳩山は沈んでしまう。楽しみだな。

病後に歌う武満徹作詞・作曲「小さな空」

2011-08-20 11:49:13 | My Song
ここしばらくブログの更新をご無沙汰してしまった。元気が出なかったのである。

この間、7月15日に手術を終えて8月1日にいったん退院した。1週間自宅で休養してから8月8日に再入院し、抗がん剤の点滴と服用を始めて副作用などを見極めるのが目的であった。そして状況が落ち着いたところで退院したのが8月16日である。あとは3週間に一度、抗がん剤の点滴に通院すればよいことになった。

問題はやはり抗がん剤である。私の場合は食欲不振が副作用のようで、病院で出される食事を見るだけで身体が拒否反応を起こしてしまう。食事がとれないと当たり前のことだけれど元気が出てこない。それで逃げ帰るようにわが家に戻ってきた。たとえば朝食。今はオートミールに果物を以前と同じように美味しく頂いている。

食べられるようになったら嬉しくて歌が歌いたくなった。と言って声が出るはずがない。息も途切れ途切れである。でも歌いたい。病室の東向きの窓が空を四辺で囲っていたので武満徹の「小さな空」をいつも思い浮かべていた。YouTubeの「武満徹/小さな空-Small Sky- ピアノ独奏(http://youtu.be/JWqqlx8-vgo)」を伴奏に使わしていただいた。




「五山の送り火」に飛び込んで来たお節介

2011-08-12 22:10:58 | Weblog
陸前高田市で津波に薙ぎ倒された松で作った薪を売ろうとしている計画を聞いた大分県の美術家が、震災で家族を亡くされた人や復興への思いを綴ったメッセージを書いて京都五山送り火で燃やそうと発案して、京都の大文字保存会に話を持ち込んだのがことの起こりであった。

発想それ自体は一つの考えで多くの人にも素直に受け入れられそうなものであった。だからこそこの話を持ち込まれた保存会会では、事実はともかく、苦慮したのではないかと私は想像した。それはかってテレビのドキュメンタリー番組で紹介された五山のそれぞれの保存会の日常の活動を目にしたことがあるからである。

「五山送り火」は京都の歴史ある伝統行事の一つであって、それを支える地元の保存会の長年にわたる日頃の活動の蓄積があってこそ、伝統行事としてとして定着して来たものである。

五山の火床をはじめとする現場の整備をはじめとして、松明の準備、火床での組み立てにもそれぞれ独自の工夫がこらされて、点火の手法などにもその段取りが製然となされている。すべて保存会の一糸乱れぬチームプレイとして築き上げられた至芸である。これらが全て保存会の方々の人力で維持されて来ているのである。

伝統の段取りがしっかりと出来上がっているところに、一美術家にによる案が持ち込まれた。それなりに名分はあるし、また東日本震災の被害者の鎮魂の為とあれば世間の9耳目を集めることだし、無下に退けることは難しい。しかし一方では伝統行事の段取りにの重みを十分認識している以上、現場の了解をどのようにして取り付けることが出来るのか、そこに苦慮があったのだと思う。その結果陸前高田市の薪から放射能が検出されなかったにもかかわらず、反対の声があったので、と京都人らしい表現でこの企画がいったん消えてしまった。私もそれで良しと思った。ところがこの報道がなされると局面が一転して、瀬戸内寂聴さんまでが<<今回のことは京都の恥です。送り火は亡くなった人の魂を慰めるもの。ましてやこんかいは東日本大震災という大惨事で亡くなった人の魂に対してです。私は怒っています。恥ずかしいです。悔しいです。岩手の方が起こるの9は当然ですが>>と声を大にしておられる。

言われるのはそのまま素直にお聞きするとしても、では魂を慰める為になぜ「五山の送り火」で陸前高田の薪をもやさないといけないのだろう、と言うのが私にはピンとこないのである。現に「五山の送り火」にしても、京都で亡くなった人の魂だけを慰めているのではない。かっての日本の首都で行われる、日本全国民の鎮魂の行事なのである。

そう思ってみると今回の出来事は一美術家の発案というか、思いつきに世間が振り回された結果であるとも言える。美術家のイベントとしての発案としてはわるくはない。しかし「五山の送り火」という伝統行事にいわばタダ乗りをしようとしたようなものである。保存会の汗をかく人々の存在にまで思慮が及んでほしかったと思う。

幸い保存会の方々も大きく心を開かれて、再び陸前高田の薪の受け入れに同意されたとか、口だけで意見を述べる額に汗をしない口先びとより人間の深みを覚えた。

それにしても伝統行事のありかたに、第三者が軽々しく口を挟むべきではないと私は思う。


隠していることを隠す東京電力 vs. 隠すことを隠さない中国高速鉄道 そして児玉龍彦氏

2011-08-06 16:51:27 | Weblog
牛肉から国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出されたことが切っ掛けとなり、政府は福島、宮城、岩手、栃木の四県からの肉牛出荷停止処分を行った。福島第一原発事故で放出された放射性セシウムに汚染された稲わらを与えられた肉牛が内部汚染されたと考えられるが、その範囲の広がりは福島原発からの20キロとか30キロとかの範囲を遙かに上回るもので、それだけでも私は瞠目した。ところが現実には汚染稲わらの流通範囲がこの程度では納まらなかったのである。それは福島原発事故の損害賠償交渉の指針を定める原子力損害賠償紛争審査会が、昨8月5日に汚染された稲わらが流通した可能性がある17道県を牛肉の賠償対象にしたことから明らかになった。その17道県とは北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、新潟、岐阜、静岡、三重、島根である。直接間接を問わず、ここまでの放出放射線量の影響の広がりを予測した人が一人でも居ただろうか。

自ら収穫した稲わらを肉牛に与える飼育農家にしても、また稲わらを飼料として出荷する栽培農家にしても、今年も例年と同じく飼育に農作業に勤しんでいたことであろう。それが原発事故のせいである日突如目に見えることもなければ音もなく集積されていた稲わらに放射能が降りかかってきたのである。汚染を避けるために稲わらを屋内に移しておくべきだったとかしたり顔の意見もあったが、こんなものは後知恵のさいたるもの、農家にとってはまったく自分のあずかり知らぬところで、天地開闢以来の大災難に見舞われたのである。犯人は安全対策を怠った東京電力で、私は法律には疎いがこれは明らかに他人の財物を損ねているからには刑事犯なのではなかろうか。

流通による汚染稲わらの広範囲に亘る分布はともかく、現地における稲わらの汚染状況を政府はどのように把握しているのであろうか。見えてこない。それと同じく牛と同じ生き物である住民の内部汚染状況は、現在どの程度把握されているのであろうか。200万人に及ぶ福島県民について目下検査がなされているようであるが、現地における汚染稲わらの広がりを考えると、福島県民だけの問題で終わるはずがないと思うが、検査範囲を広げる具体策が考慮されているのかどうか、気になるところである。

いずれにせよこうした状況は思いの外放射能汚染が広がっていることを示唆するが、第一原発事故による放出放射線の総量が未だに明瞭に報告されていないのは、かっての衆議院厚生労働委員会での東京大学アイソトープ総合センター長児玉龍彦氏の説明する通りである。報道された中で85万テラベクレルという値が一番大きいようであるが、これはあくまでも地上への放出量で、海などに流出した分を考慮に入れるとこんなレベルではないことは一目瞭然であろう。東京電力・政府がいろいろと試算していることは間違い無いと思う。条件付きながらその試算結果を公表して国民の疑惑に応えるべきだと思うが、それがないと言うことは私に言わせればデータを隠していることになる。さらにその隠していることを国民の目から隠していることは、中国高速鉄道が衆人注視のなかで証拠隠しを大っぴらに、すなわち隠すことなく行ったことにくらべても遙かに陰湿で、データ隠しの闇の深さを物語るものである。「天の岩戸」を押し開いた手力男命(たぢからおのみこと)がこの時代に甦って欲しいものである。

児玉龍彦氏の参考人説明は私も「放射線の健康への影響」児玉龍彦参考人説明の具体的な提言は実現可能なのだろうか で引用したが、次の部分に関して、内容を納得していないままただ引用したというのが事実である。

我々が放射線障害を診る時には、総量をみます
それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか
はっきりした報告は全くされておりません

そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますと
まず、熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しております
ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます

ここで私の常識的な疑問を投げかけてみよう。

まず熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しておりますのところである。広島原爆には50キログラムのウラン235が使われ、そのうち核分裂を起こしたのは1キログラム程度と推定されており、ウィキペディアによると

1キログラムのウラン235の核分裂によって0.68グラムの質量欠損が生じ、アインシュタインの特殊相対性理論が示す「質量とエネルギーの等価性 E = mc2 」によってエネルギーに変換される。

爆発で放出されたエネルギーは約63兆ジュール(62.8 TJ [テラジュール]、6.28×1013[J])、TNT火薬換算で1万5千トン(15キロトン)相当に及んだ。エネルギーは爆風(衝撃波・爆音)・熱線・放射線となって放出され、それぞれの割合は50パーセント・35パーセント・15パーセントであった。

エネルギーの単位がジュールであるから、これを熱量と言い換えて良かろう。しかし私の調査が足りないのであろうが、この際に放出された放射線総量を私は知らない。このように広島原爆が発生した熱量は一応推定されているが、一方、福島第一原発事故が発生した熱量を児玉氏はどのように推定したのだろうか。どこかで公表されているのかも知れないが、熱量からの計算の過程を公表することは児玉氏の義務であると思う。それがないことには熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しておりますの部分はまったくの無意味である。具体的に広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しておりますの部分すら意味不明理解不可能である。

同じことがウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます
についても言える。

福島第一原発事故が発生した際に、1号機、2号機、3号機が稼働していた。燃料棒に含まれる2酸化ウランの合計は69+94+94=257(t)で、酸素も無視して大雑把にウラン235の濃縮率として3%を用いると、ウラン235の総量は7.7tになる。広島原爆154個分のウラン235に相当する。結局この3基とも燃料棒はメルトダウンしていたとのことであるが、この間に再臨界でも起こりウラン換算で20個分、すなわち1個について1キログラム、総計20キログラムのウラン235が核分裂でも起こしたと児玉氏は主張したいのであろうか。もちろん東京電力・政府も何らかの事実を把握しているはずである。その実態について黙秘を貫いていることは、事実隠しと疑われても仕方があるまい。中国高速鉄道のことをとやかく言えた義理か、と私は思う。それと同時に多くの日本人の良識を信じて、児玉氏にも数字だけをポンと出すような素っ気なさを改めていただけるようにお願いしたいと思う。