日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

昭和天皇まで一、二メートル

2007-04-30 09:05:23 | 
昨4月29日が今年から「昭和の日」と呼ばれるようになった。私がそのことを知ったのはほんの数日前である。しかしカレンダーにはちゃんと「昭和の日」と印刷されているから、決まったのは去年なのだろう。当然ニュースになったのだろうが私の記憶はまったくの空白である。馬齢を重ねて情報の取捨に偏りが生まれてきたようだ。しかしそのお蔭で発見もある。昨年のカレンダーを見ると、なんと4月29日が「みどりの日」となっていたのである。元来4月29日は天長節であったのに、戦争に負けたせいで天皇誕生日になったことは知っていたが、そうか、昭和天皇がおかくれになって天皇誕生日が移ったのだ、とあらためて認識した。それにしても「みどりの日」とはいったい何だ。「みどりのおばさん」を顕彰する日と間違えてしまうではないか。

国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)には「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とその意義が述べられている。昭和生まれで昭和育ちの私には特に違和感はないが、これからますます平成生まれが増えていくことを考えると、明治節が文化の日になったように、いずれ名称が変わっていくのは避けられない運命だろう。

しかし折角の第一回「昭和の日」にちなんで、私の生涯忘れられない貴重な体験を記すことにする。昭和天皇に1、2メートルのところまで接近した話で、それは昭和21年2月より始まる昭和天皇の全国ご巡幸にまつわるハプニングである。

入江相政日記第三巻昭和二十二年六月十一日(水)に次のようなことが記されている。

《九時大宮御所御出門。京都市民の奉拝は不相変盛んなものである。十時四十分神戸御着車。直ちに大阪商船ビルに成らせられる。この前あたり大変なひとである。又容易に出入り出来ない。次は神戸市立湊川多聞小学校、兵庫県庁で御昼食。ここの弁当もおいしい。午后は川崎車両株式会社、大阪鉄道局鷹取工機部、中央ゴム工業株式会社、信愛学園、県営庶民住宅とお廻りになって行在所たる県立神戸第一中学に着御になったのは午后五時過ぎ。後略》

新制中学一年生の私は級友たちと先生に引率されて、学校から2キロ足らずの道を歩いて天皇陛下の奉迎に向かった。場所は東尻池2丁目で市電高松線と松原線が直交する交差点あたりである。天皇が行幸される川崎車両はその交差点直ぐ側の南東にあり、私たちは交差点の北西で北側から来られるご一行をお待ちした。やがて鹵簿が近づいてくると号令が順次伝えられてきて私どもは最敬礼をした。

戦争中の朝鮮京城の三坂国民学校で、大詔奉戴日などには校長が奉安殿から勅語の入った箱を恭しく捧げ持って行く道筋の両側を、われわれ児童が整列して最敬礼して送り迎えするのが常であった。しかしこの時は本物の天皇陛下である。教師を始め皆コチコチに緊張しており、戦時中の雰囲気そのものだった。

鹵簿が川崎車両の門を通り中に入っていった。最敬礼から直ってわれわれは今度は伸び上がるようにしてその動きを注視した。お互いに興奮を隠しきれずに何や彼やを喋りあっていたと思うが、しばらく待っているうちに、今まで整然としていた人垣がざわざわとし出した。と、誰かが飛び出して川崎車両の門の方角に走り始めた。そのあとをわれわれが脱兎のごとく追いかけた。そして門の前は人混みで押し合いへし合いの状態になってしまった。日本の警察だけではなくてアメリカ兵のMPまでもが整理を始め、なんとか車の通る道幅だけは空けられた。嬉しいことに私は最前列にいる。やがて門から鹵簿が出て来た。後ろから身体を押してくる、それに逆らって後ろに押し返す。陛下の御料車がもう目前にある。後ろから押された、そして私はなんと御料車の前左の窓ガラス下の車体に手のひらをついて、身体を支えることになった。御料車はあずき色の角張った車であったように思う。

御料車内の陛下のお姿を一瞬目にしたような気がするが、どのようなお姿であったのか、今はもう遠い昔で記憶は定かではない。しかし御料車内の陛下と私の間の距離は1、2メートルほどであったことは間違いない。「目、潰れなかった」と誰かに話したように思う。

入江相政日記には上の段に引き続いて《今日の川崎車両なども思想的に面倒な所と聞いてゐたが、行幸を仰げば何の事も無い、皆難有がってゐた。御徳の御力である。》と出ていた。また翌六月十二日には次のご訪問地、たぶん神戸女学院であろうが、《御料車の前のジープの故障の為坂の処で御料車が停まったら女生徒がとんで来て手を振ってお名残を惜しんでいる。その中に男の生徒一人御料車の側迄来て、涙をふりしぼって「陛下しっかりお願ひします」と申し上げた。真に意味深長である。後略》との記述があり、私のように陛下を間近に拝した人々が大勢居たことが分かる。

それにしても昭和は遠くになってしまった。

大型連休初日は神戸北野坂のInfiorata

2007-04-28 22:14:47 | Weblog

思い立ったが吉日、県庁近くにある行きつけの理髪店に11時の予約を入れてでかける。のんびりと四方山話を交わしているうちに仕上がっていく。マスターは私より少し若い同年代で話がよく合う。奥さんと二人でやっているが、客は私一人。奥さんはレッドソックスとヤンキーズの試合に釘付けで、何がどうなったのか突然奇声をあげる。ホームランが出たのだろうか。「コラ、びっくりするやないか」とマスター、でも口調がやさしい。顔そり中でなくて良かった。マスターが大病で入院中は、この奥さんが臨時助手のおばさんと何ヶ月も店を支えてきたものだから、マスターは奥さんをあだおろそかには出来ないのである。

終わったらちょうど12時、お昼時である。最近はナイフ・フォークから遠のいていたものだから、久しぶりに5分もかからないLe Bistroに足を向ける。案じていたが幸い予約無しで入れた。淡路由良港から直送のスズキのアーモンド焼きとでも云うのか、それをアントレに選ぶ。オードブル、葉っぱのサラダ、パン、コーヒのランチメニューである。うに、牡蠣、アワビなどの食材をテーブルまで持ってきて説明されたものだから、ついつい牡蠣を注文してしまった。それと白のグラスワイン。



どこの牡蠣か、説明を忘れてしまったが味は忘れていない。もう一つ食べたかった。



スズキのポアレ、アーモンドに合わせてナッツのソースとか。香ばしい。
ゆがいた筍を炒めた付け合わせがなかなかよかった。



デザートもすすめられたものだからついつい手を出した。苺をゼリーでかためたもの?
このお店、なかなかすすめ上手である。

ワインでいい顔色になったものだから、酔い覚ましにいつものコースを歩き始める。トアロードを上がり山本通を東行、すると北野坂でのInfioratoに出会った。今日が初日でちょうど飾り立てが終わったところである。ラッキー、とばかり見てまわる。



花の色の取り合わせがとても綺麗。近くでまじまじと眺めると色が強烈である。ところがInfiorataの欠点と言えば申し訳ないようであるが、構図が大きいものだから側に立って眺めても、何が描かれているのか分からない。大人国に入り込んだガリバーのような心境である。北野坂に臨時の登坂リフトでも設けて、上空から見下ろせるようなサービスが出来ないものかな、と思った。



やっぱり『大人』がいた。



私が美女に見えたのか愛想のいい男の子。

今日は気温もほどほどでなかなか良い日和だった。強い風が通り抜けると帽子を飛ばされそうになるが、薫風の趣を感じた。その風に背を押されるように北野坂を下り、そして気がついたらジュンク堂に入り込んでいた。


青い鳥が運んできたけし?

2007-04-28 09:53:07 | Weblog

縁先を見遣ると美しい橙色の四弁の花が咲いている。けしである。



草丈は40cmほどで茎には剛毛が密集している。おにげしなのだろうか。
観賞用に育てたつもりはないので、種が風に乗ってきたのか、小鳥が運んできたのであろう。と、その先に小枝に止まった小鳥が目に入った。異様なほど羽根が青い鳥である。



これは縁起がよい、捉まえてやろうと思い近づいても逃げない。それも道理、木彫りの青い鳥だった。妻が置いたのであろう。GWはじめの朝の一時である。

野球特待生のどこが悪い?

2007-04-24 14:43:41 | Weblog
もう旧聞に属するが、4月21日朝日朝刊の第二面に《「教育の一環」高野連強調》の大きな見出しの下に《「高校野球は、特に教育の一環としての活動を強調しており、特待生制度は未成年の高校選手を野球偏重の生活に導きかねない」と禁止の理由を(日本高野連は)説明する。》の記事を載せていた。

「教育の一環」とは何を意味するのか。「一環」を文字通り解釈すると、鎖などの一つの輪という意味から、全体の一部分を指すことになる。すなわち高野連は高校野球を『教育の一部』と位置づけているのである。その流儀で行くと学校でのクラブ活動である水泳、サッカー、卓球、ハンドボール、陸上競技など、思い当たるすべてのスポーツは教育の一部であるということになる。スポーツ全般が教育の一部なのである。

野球も教育の一部とはそれほど大層なことか、と思わないでもないが、ものは取りよう、私もあえて異議を唱えないことにする。しかしそれならそれで高野連は首尾一貫を通すべきであって、学業成績優秀な生徒とかスポーツに秀でた生徒に対するのと同じように、野球特待生を禁止ではなくて奨励すべきなのである。

《特待生制度は未成年の高校選手を野球偏重の生活に導きかねない》と言うことであるが、野球偏重の生活が何故いけないのか、それが私には分からない。高校生は国がそれで十分と定めた義務教育の期間は終わっている。勉強偏重となろうと野球偏重となろうと本人が身近な人と相談しながら決めたらいいのであって、他人が口をはさむことではない。

博識な私の友人が教えてくれた。長嶋茂雄という人は勉強はてんで駄目で、まともなら大学にすら入れなかっただろうと云うのである。私も話を聞いて納得した。英語の定冠詞「The」を「てへ」と発音したとか、そしてそれかあらぬか大学卒業の時に、友人が英和辞典を持っているのを見て「こんな便利なものがあったのか」と云ったとか。それでも大学は卒業しているのである。極めつけは新聞記者に「大学はどこの学部を出たのですか」と聞かれて「野球部に決まっているでしょ」と答えたとのこと。高野連にかかったら、この野球人間そのもの野球偏重の長島さんは日の目を見られなかったはずだ。

スポーツ偏重の何が悪いか、に対するもう一つの答えがあった。2007年本屋大賞受賞で話題になっている佐藤多佳子著「一瞬の風になれ」である。今、1と2を読み終わったところであるが、これは公立高校の陸上競技部に所属するアスリートの青春物語で、如何にトラックで速く走るかという精進がストーリーの中軸になっている。登場人物に感情移入してしまいそうになる心の弾む物語なので、一気に読んでしまったが、この物語には学校でどのような授業があったとか、どのように勉強したかの類の話は一切出てこない。高校生物語でありながら、である。いかに走りの記録を伸ばすか、そこに焦点を絞って話を展開させているからついつい物語に引きずり込まれてしまった。これが国語や英語、物理に化学、歴史に地理などの学科の試験成績を上げるための努力物語なら、PTAのお母さん方に受けて、それで終わりである。

義務教育を終えたからには、後は生徒本人のやりたいようにやらせておけばそれでいいのである。勉強一筋の子もおれば野球しかできない子もいる。それぞれが身にあった能力を伸ばせばいいのである。長島さんがいてくれたお蔭で、どれだけ世の中が明るくなり人々の人生が豊になったか、それを思い起こせばいい。それぞれが自分の人並みすぐれた能力をますます開発して、それで喰っていけるようになればいいではないか。嫌いな英語をわざわざ勉強しなくても、松坂のように専属の通訳を雇えるぐらい稼げるようになればいいのである。

高野連が野球特待生の調査とか始めるようであるが、ある社会がいかに諸々の規制を強めても、生存がかかっている人たちは必ずそれをくぐり抜ける術を見出して、規制を虚仮にするものであるとか、これは昨年亡くなったノーベル経済学賞受賞者のMilton Friedman博士のご託宣である。野球特待生とその関係者の奮戦に期待する。

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一弦琴「今様」調子を上げて再演

2007-04-22 10:51:15 | 一弦琴
私の唄いやすいように調子を上げた。
習ったことを少しずつ思いだしながら、しかし自分の好みで唄った。
唄っていると自然に手が動いて弦を弾く、これが私の目指している境地であるが、さあ、いつ到達できることやら、前途遼遠である。


        今様

春のやよひの あけぼのに 四方のやまべを 見渡せば
花ざかりかも 白雲の かからぬ峯こそ なかりけれ

花たちばなの かほるなり のきの菖蒲も 匂ふなり
夕暮れざまの さみだれに 山ほととぎす 名のりして

秋のはじめに なりぬれば 今年の半ばは 過ぎにけり
わが夜ふけゆく 月かげの 傾く見るこそ あわれなれ

冬の夜ざむの 朝ぼらけ ちぎりし山路に 雪ふかし
心のあとは つかねども 思いやるこそ あはれなれ 


追記(4月25日)
何回も繰り返して唄っているうちに、曲に馴染んできたような気がする。六合目から七合目に辿り着いたのだろうか。この曲は一弦琴を始めて二番目に習ったのであるが、今あらためてお浚いをして、なんと難しい曲から入ったのだろう、との思いがひとしおである。

追記(4月27日)
今朝の演奏をあらためてアップロードした。まだ二三カ所引っかかるところがあるが、今様のお浚いはこれでしばらくお休みにして、時間を置いてまた挑戦することにする。

特待生制度を認めない日本学生野球憲章の怪

2007-04-20 17:54:31 | Weblog
全国高校駅伝には明らかにアフリカ出身とおぼしき選手が何人か必ず顔を出している。そういえば朝青龍も確かモンゴルから高知のとある高校への留学生だったし、他にも外国からの高校留学生が大勢居るはずである。物価の高い日本で留学生が暮らしていくのは並大抵ではない。その費用はどこから出ているのだろうか。

外国からの留学生に限る必要はない。春夏の高校全国野球大会に出場するような高校には、人よりすぐれた運動センスを持つ生徒が全国から集まって来ているのは周知の事実である。大相撲並みに選手を紹介する際に、出身中学の所在地をコールすれば直ぐに分かることである。このような国内留学生もその費用は全て親持ちなのだろうか。

さらに、これら高校野球部の年間活動経費はどれぐらいなのだろう。ユニフォーム、靴、グラブ、バット、ボールの全てをまさか親が買い与えるわけではあるまい。対抗試合で移動する交通費に、場合によれば弁当に飲み物、これを全部親が負担しているのだろうか。誰が費用を負担するにせよ、この経費は何らかの形で調達しないと試合に出るのもおろか、練習すらままにならない。

体育専門の高校が日本にあるとは私は寡聞にして知らない。野球が正規の授業で行われるのなら、その費用は授業料で賄われてもいいが、クラブ活動にすぎない野球部に授業料を流用することが公に認められているとは思えない。私が高校生の頃は生徒会費なるものを徴収して、一部をクラブ活動の費用に当てていた記憶はあるが、今はどうなっているのだろう。授業料以外にクラブ活動のための経費が一律に生徒から徴収されているのだろうか。またそれで十分に足りているのだろうか。

善意の寄付金が集まっているのだろうか。後援会のような組織が、大々的に資金集めを担っているのだろうか。地域の有力者がお金を出すのはいいとして、暴力団関係者でも同じように拠金してもいいのだろうか。このように野球部の活動に費用がかかっているのは分かっていても、その費用がどのように賄われているのかは私のような外部の人間には何一つ分からない。そうだ、日本学生野球憲章には貰ってもいいお金、貰ってはいけないお金のことを分かりやすく書いているのではないかと思って、憲章を見ることにした。ところがこれによると野球試合の入場料が唯一の資金源として認められているだけなのである。

日本学生野球憲章は四章二十五条から成り立っている。少し長くなるがお金の出入りに関する条文を全て引用する。

第二章 大学野球  (第三条~第十四条)

第七条 入場料は、入場者の整理、試合及び練習に要する経費に充てる場合に限りこれを徴収することができる。但し、日本学生野球協会の承認ある場合はこの限りでない。

第八条 入場料を徴収した場合には、主催団体の代表者又はその学校の責任者は、大会、リーグ戦又は対校試合終了後、遅滞なく詳細な収支決算報告書を日本学生野球協会に提出しなければならない。

第十三条 選手又は部員は、いかなる名義によるものであっても、他から選手又は部員であることを理由として支給され又は貸与されるものと認められる学費、生活費その他の  金品を受けることができない。但し、日本学生野球協会審査室は、本憲章の趣旨に背馳しない限り、日本オリンピック委員会から支給され又は貸与されるものにつき、これを承認することができる。
②選手又は部員は、いかなる名義によるものであつても、職業野球団その他のものから、これらとの入団、雇傭その他の契約により、又はその締結を条件として契約金、若しくはこれに準ずるものの前渡し、その他の金品の支給、若しくは貸与を受け、又はその他の利益を受けることができない。

第三章 高等学校野球

第十八条 高等学校の野球試合に入場料を徴収する場合には、次に掲げる事項を厳守しなければならない。
一 全国大会にあっては、日本学生野球協会の承認を得ること。
二 地方大会にあっては、財団法人日本高等学 校野球連盟の承認を得ること。
三 一都道府県内の試合にあっては、都道府県高等学校野球連盟の承認を得ること。
四 大会又は試合の終了後入場料徴収の承認をした協会又は連盟にすみやかに収支決算を提出すること。
五 入場料の使用は、大会又は試合するに必要な経費及び参加学校における体育の普及と発達に必要な経費の充当に限定されるべきこと。

第十九条 第四条第一項・第七条但し書及び第九条から第十四条までの規定は、高等学校野球にこれを準用する。

第十八条第五項では《入場料の使用は、大会又は試合するに必要な経費及び参加学校における体育の普及と発達に必要な経費の充当に限定されるべきこと。》と定められているので、入場料さえあればそれを野球部の全ての活動経費に充当しても良い、と受け取ることが出来る。しかしここでまたいろいろと疑問が生じる。

私は学生野球はアマチュア・スポーツと思っているのだが、これだと選手への給料が出ないだけで、形体はプロ・スポーツと変わりないではないか。ここまでやるくらいなら選手に食糧費を上げてもいいじゃないか、と私は思うが、それはさておき、この入場料だけで活動費の全てがまかなえるとは私には思えないのである。入場料の収支決算を情報公開で請求すればすぐに分かることだろうが、仮に年間100万円費用がかかるとして、入場料を500円とすると、1チームあたり延べ2000人の観客を動員しないといけないことになる。これだけ銭のとれる高校野球のチームがそれほど多いとは思わないが、実体はどうなのだろう。

結論をいうと、私は野球部の活動経費が入場料だけで賄えているとは思えないのである。となると授業料でもない、入場料でもない第三の収入源が必要になる。ところがこの憲章には入場料以外に野球部活動に使われる経費の出所に関しては、日本オリンピック委員会から支給され又は貸与されるものを除き、一切触れられていないのである。ということは、必要なお金はどうぞご自由にお集め下さい、ということなのだろうか。

自由に集めたお金ならどう使おうとそれは集めた側の勝手である。それにも拘わらず第十三条には《選手又は部員は、いかなる名義によるものであっても、他から選手又は部員であることを理由として支給され又は貸与されるものと認められる学費、生活費その他の  金品を受けることができない。》と余計な『口出し』をしているのである。この条文があるから特待生はだめ、奨学金もだめ、食糧費もだめ、ということになるのだろう。

これは日本学生野球協会?の僭越な行為である。それだけに止まらない。明治維新後だけを眺めても、多くの有為な人材が数々の特待生制度や奨学金制度に支えられて輩出し、近代日本の建設に多大の寄与をしたことは、歴史が明らかにしている。身を立てるのに学業だけに限定することはない。スポーツ、その他の特異な才能の発掘・育成にも役立たされるべきである。未来の人材を育てることを第一義とする教育制度の根幹に関わる問題を、この憲章は厚顔無恥にも泥靴で踏んづけているのである。日本学生野球憲章と『学生』の文字を使う資格があるとは思えない。

学業成績優秀なものはその知能を、スポーツを始め一際すぐれた才能をもつものはその才能をさらに伸ばすために経済的援助が社会から与えられると親の負担も軽くなる。有為の若者にはやばやと親孝行のすすめにもなるではないか。

専大北上高校が野球部を解散し、特待生制度を廃止するとのニュースが流れた。なんとも本末転倒の動きである。全国の高校、特に有力私立高校が一致団結して第十三条の撤廃を要求することが筋というものだ。裏帳簿で辻褄合わせに汲々とするのに較べたら学生野球はその方がはるかに健全になること間違い無しである。

私は4月6日の記事、西武金銭問題 何が悪いのか?で、《金の流れを隠蔽することによる犯罪の発生を防ぐためにも、守られない、また守る必要もない変な取り決めは、「もう、や~めた」と即時撤廃すべきであろう。》と述べた。高校野球、大学野球でも同じことである。お金は必然性があって動く。その動きが透明である限り、社会の良識がプロといわずアマといわず、野球を始めとするスポーツの日本に於ける健全な発展を支えることを信じよう。

以下は蛇足であるが、私の上の記事にGoogleの検索で辿り着かれた方がいる。その検索結果を見て驚いた(私はよく驚くのである)。「西武金銭問題」で検索すると昨日、一昨日では33万件が検索に引っかかり、そして読売、毎日、朝日などの大メディアの記事を抑えて私の記事が第二位にランクされていたのである。どうしてそうなったのかは霧の中であるが、Googleはロボット検索の面が喧伝されているのとは裏腹に、なにか恣意的な操作も行われているとか聞く。メディアの論調に同調しない私の意見が『恣意』に引っかかったのかと自分を勇気づけて、スポーツに疎い私が素人論議をあえて展開した次第である。



一弦琴「今様」

2007-04-19 12:10:55 | 一弦琴
一弦琴の習い始めがこの「今様」だった。折に触れてお浚いをするが、なかなかしっくりこない。自分のものになっていないからだと思う。精進がまだまだ足りない。あらためて『精進はじめ』の演奏がこれである。


          今様

春のやよひの あけぼのに 四方のやまべを 見渡せば
花ざかりかも 白雲の かからぬ峯こそ なかりけれ

花たちばなの かほるなり のきの菖蒲も 匂ふなり
夕暮れざまの さみだれに 山ほととぎす 名のりして

秋のはじめに なりぬれば 今年の半ばは 過ぎにけり
わが夜ふけゆく 月かげの 傾く見るこそ あわれなれ

冬の夜ざむの 朝ぼらけ ちぎりし山路に 雪ふかし
心のあとは つかねども 思いやるこそ あはれなれ 


追記(4月20日)
今日の演奏に差し替えた。

PASMO(パスモ)がPiTaPa(ピタパ)で仕返し?

2007-04-18 16:12:55 | Weblog
昨日は京都でお稽古のある日、阪急烏丸駅で下車して地下鉄に乗り換え、国際会議場前駅まで行く。4月からはPiTaPa(ピタパ)が京都市地下鉄でも使えるようになり、スルッと関西をそれだけのために買わなくても済むのでとても便利になった。ところが昨日は思いがけないハプニングがあった。

PiTaPaを改札口のIC読み取り装置にタッチして地下鉄に入ろうとしたら、急にドアが閉まり通れない。アレッと思ったら「出場記録がありません」というようなメッセージが現れた。タッチの仕方が悪かったのかと思いもう一度タッチし直したが同じようにドアが閉じる。私の『お遊び』にパスモが仕返しをしたかのような気がしたが、そんなことがあるはずがない。

4月1日のブログに私は「PASMO(パスモ)は打ち出の小槌?」なる記事を投稿した。その要旨は次のようなことである。

《①明らかにパスモ間で電子マネーが動いている。
②電子マネーが動く距離は0から50~60cmの範囲に限られる。否応なく人を意識せざるを得ない距離である。
③パスモの面の重なりが大きいほど電子マネーは移動しやすい。直角では起こりにくい。④電子マネーは残額にかんして高額なカードから低額のカードに流れている。しかも100円単位であることが分かった。従って気付きにくい。》

私の知る限り、何人かの方は真面目に受け取ってくださったようである。となると真面目な方は日本全国ではもっと多いはずである。それかあらぬか、4月11日にはパスモの新規発行が定期券を除き中止になった。この真相は電子マネー移動の混乱を避けるため、となれば話は面白くなるのであるが、この私の記事は云うまでもなく『エイプリルフール』で作り話なのである。パスモ間で電子マネーの移動が実際に起こるはずはない(と思う)。同様に、私のPiTaPaの異常がパスモの仕返しのせいだなんて、あり得る話ではない。

なにはともあれ地下鉄の駅員に事情を説明した。最初は「チャージしてますか」なんて聞かれたけれど、PiTaPaは後払いである。そこでPiTaPaのデータを読み取って貰い、私が午後何時何分かに阪急三宮駅の改札口を通って入場していることが分かった。問題は私が明らかに阪急烏丸駅の改札口を通って外側に出ているのに、その記録がないことである。透明人間になった覚えもないので、摩訶不思議としか云いようがない。勧められるままに阪急の改札口に行くことにした。

阪急烏丸駅に戻りかけてハッと思い出した。烏丸駅をあと一回分残っていた頂き物の株主優待回数乗車証で通り抜けたのである。そこで烏丸駅で駅員に事情を説明したところ、「三宮駅での入場記録を消しておきます」と云っていとも簡単に手続きを済ませてくれた。これでPiTaPaが使用可能となったのである。

私は阪急三宮駅で優待乗車証を使うつもりだったのに、習慣的にPiTaPaで入ったらしい。そして烏丸駅では優待乗車証で出たのである。それにしても優待乗車証に入場記録がないはずなのに何故外に出られたのだろう。さすが株主優待証、出入りが全く自由ということなのだろうか。

先日は自動車路を逆走しかかったし、今回はこのようなちょんぼをするし、ボケが出だしたと思えば気にもなるが、そのせいでこれからも新しい体験がいろいろできると思えば期待感も湧いてくる、とは負け惜しみの弁なのかも。

インターネットの接続不良

2007-04-17 13:38:09 | Weblog
私はJCOMインターネット接続サービスに加入している。最初に加入したときは神戸ケーブルテレビと云っていたと思うが、組織が次から次へと変わりこうなったのである。そのせいかどうか、夕べも《電波送受信基地移転により、サービスの停止を伴うメンテナンス作業を行います》とのことだった。

このような作業の後、よくインターネット接続不良が生じる。これまでもたびたびあったが、今回もそうで、今朝から5回以上接続が切れては繋がる異常が生じている。

2時間以上経ってようやくフリーダイヤルでサービスに繋がった。これでは『サービス』の名に値しないが、それでも状況を説明し、明日技術者が訪れてくれることになった。電話が繋がったときにはたまたまインターネットが接続されていて、接続状況をモニターしている先方から、今のところは正常に動いていますね、と云う。そんなこと、こちらでも確認しているから云われなくても分かっている。ところが電話を切った直後にまたインターネットが切れた。ところが今の話し相手には直ぐには繋がらない。

私が異常を確認している状態で接続状況をモニターすれば、問題解決の糸口がより早く見つかるのではなかろうか。異常が生じたときに直ちに繋がる電話番号を知らせて貰うように次回からは要求しようと思った。


追記(4月18日)
昨日午後、JCOMからトラブルが解消した旨の電話連絡があった。私は留守をしていたので直接に話を聞いていないが、問題は外部にあったようである。メンテナンス作業に原因があったのだろう。今朝からはトラブルは生じていない。

西神戸道路を逆走しかけて反省

2007-04-15 18:53:57 | Weblog

昨夜午後9時頃、西神に近いとあるところまで車で出かけた。西神戸道路を通り西神の手前で道を逸れるたところにある初めての場所であるが、往きは案内役がいたので問題なくたどり着けた。ところが案内役を降ろして走り出したところ、どこかで道を間違えたらしく、来た道に戻らない。地図は家に置いてきたし、カーナビはもともと着けていない。しかし別に慌てることはない。広い道を通り時々目に入った道路標識を頼りに、3、4回交差点で進む方角を決めたが、有難いことに来る途中目にした神戸地下鉄の伊川谷駅が前方に見えてきた。やれやれである。地下鉄線といってもこのあたりは地上に出て高架になっているが、その高架と自動車路が並行して走っているのである。

近づくにつれてアレッと思った。神戸に帰るには左折して自動車路に入ればいい筈なのに、道路標識では右折することになっている。ぐるぐる車を走らせている間に、自動車路の反対側に出てしまったらしい。右折の標識の下を通り越し目に入った道路を右に曲がった。ところが路面の矢印が私の方に向けられている。おかしい、と思ったときに、後続の車が大きな警笛を鳴らして過ぎ去った。自動車路からの出口に入ろうとしたのである。車を停め90度にバックさせてもう少し車を先に進めて次の進入路から無事自動車路に乗ることができた。

Google航空写真で見ると自動車路への出入口は黄色の丸印のところになる。私は下から上がってきたのであるが、この部分は地下鉄線の高架を自動車路の上下線が挟む構造になっており、全体の幅がかなり広くなっている。

日中なら絶対にこのような間違いはしなかったと思う。久しぶりに夜のドライブで、視界はヘッドライトの届く範囲に限られて狭くなっていることが状況判断を狂わせたのだろう。何故このような間違いをしたのだろう。後になって思い返しても合理的な説明が頭に浮かび上がらない。一瞬の錯覚に陥っていたとしかいいようがない。

米国カリフォルニア州のサンタバーバラの外れに住んでいた頃、市内に出るのに進行路と交差するルート101には右折してから進入路を加速して入ったものである。その時のイメージは身体に残っていて、だから今でも米国でレンタカーに乗り込むと違和感なしに右側通行に馴染むぐらいである。そのイメージが私の判断を狂わせたのだろうか。

さらに云えば私がかって神戸・京都間を車で通っていた頃、阪神高速7号線の東行きに柳原インターから入る際は右折して料金所を通り過ぎてから上り坂の進入路を駆け上がり追い越し車線にまず乗り入れていた。進入路が本線の上下線の間にある極めて危険なランプなのであるが、この感覚を私の身体が覚えていたとしても不思議ではない。なんせ20年間も繰り返していたのだから。

これまで車が高速道路を逆走して事故を起こしたなどのニュースを聞いても人ごとと思っていたが、身近に起こりうることを実感してゾーッとした。統計によると高速道路を逆走して事故を起こしたドライバーの4割が65歳以上と云うから、私も立派な有資格者である。ボケが始まったせいでこのような間違いをしたとはまだまだ思いたくないので、もっともらしい理屈を考え出したが、ほんとうはどうなんだろう。

それにしても自動車路にその出口の反対側から車がいったん入り込むと、これは大変なことになる。それを防ぐ手だてはないものだろうか。もちろん進入禁止の標識はあったのだろうが、私の目には入らなかった。路面の矢印に気付いただけでもラッキーだった。反対側から侵入しようとするとその動きを察知して柵が地面からせり上がり、進入車を入れさせないような仕組みが考えられないものだろうか。でもこれは費用がかかりすぎて実用的ではないだろうと思う。

私は動物的な勘が鈍るからカーナビは使わないなんて公言しているが、カーナビ大好きの息子に失敗談を話せば必ず勧めるに違いなかろうと思う。今回のように反対側から入り込もうとしたときに、カーナビが「進入禁止です」とでも叫ぶのだろうか。それなら考えてもいいような気がするが、あらかじめ実験して確認するのは少し難儀のようである。

結局、暗くなったら家で大人しくしているのが一番よさそうだ。