日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一弦琴「夜開花」の再演 (改訂)

2006-05-31 22:59:50 | 音楽・美術
一弦琴「夜開花」の期間限定ネット演奏ともったいぶって私の演奏をネットに公開したのが4月7日のこと、それから50日は過ぎた。この曲を習い始めたのは多分2月のことだから足かけ4ヶ月、まもなく五ヶ月に入る。ある程度は唄えるようになった、と自分では思うものの、決して満足できる出来ではない。でも満足できる出来なんてあるのだろうか。未だに経験したことがないので、ひょっとしたらないのかもしれない。ではお稽古はどこまですればいいのだろう。

ところで「夜開花」を作られた山田一紫さんというお方は、もともと長唄の方だったそうである。お師匠さんによると、長唄風によいお声で朗々とお唄いになられたとのことで、だから一弦琴風ではない、ということなのだろうか。とすると、私のはカンツォーネ風と仰りたいのかな、と思ったりする。

「夜開花」の最後の部分をどうぞ

私はどちらかといえば平板的な唄い方が好きなのである。クネクネ上がったり下がったり、技巧をこらす気持ちはサラサラない。「そうごん(荘厳)なるきらきらしきことは、このましからず。何のよそひもなく、ことそぎたるやめでたからん。只幾度もいくたびも心ただしく、音声のなほからんこそあらまほしけれ」の私なりの受け取り方である。

京都国立博物館「大絵巻展」を待ち人多くて見逃す

2006-05-31 16:24:49 | 音楽・美術

昨日(5月30日)JR京都駅そばのホテルで会合があった。終わって外に出ると地面が濡れているが、ひとまず雨は上がっている。傘はないし時間も勿体ないのでタクシーで国立博物館に向かった。南門で車を降りると嬉しいことに人はまばらである。ところが目に入った掲示に驚いた。「只今の入場待ち時間 75分」とあり、「源氏物語絵巻」と「鳥獣戯画」を観るにはさらに40~50分の待ち時間と出ているのだ。「ウゥ~」と唸っていると、係員が「今日のピーク時の待ち時間は3時間でしたよ」と、迷うことはありませんよと言わんばかりに話しかけてくれる。時計をみると時間は3時半、閉館が午後7時まで延長されているのが嬉しい。時間的にはなんとかギリギリ滑り込めそうである。

しかし、並んでいるうちに雨に降られても困るし、それだけ待つ気力もなかったので、残念ながら断念することにした。平日だというのに、どこからこれだけの人が集まってきたのだろうと不思議に思ったが、ひょっとして、ほとんどの人が私と同じシニアピープルなのかもしれないと思い当たって、余計な詮索はやめにした。

「源氏物語絵巻」と「鳥獣戯画」をご覧になった方、どうか幸運を噛みしめてください。

コンプライアンスをなぜ「法令遵守」と言わないのか

2006-05-30 08:42:55 | 社会・政治
今日の朝日朝刊31面に「組織的不正底なし」の見いだしで、社会保険庁の不正問題を報じている。それに「法令遵守の意識足りぬ」と《企業のコンプライアンス(法令遵守)に詳しい国広正弁護士の話》として短い談話が掲載されているが、その中にも「コンプライアンス」が二度出てくる。

昨夕もテレビで報じられた安部官房長官の談話の中に「コンプライアンス」という言葉が出てきた。英語を少々は知っているつもりの私ではあるが、何のことだかピンとこなかった。

「法令遵守」という歴とした分かりやすい日本語があるのに、なぜわざわざちんぷんかんぷんの『カタカナ』を新聞や政治家が使うのか。

朝日新聞は『カタカナ』表記で紙面を希薄に出来るから、それが狙いだとはわかる。日本を愛しているはずの安部官房長官も、「法令遵守」とは云えばいいものを、わざわざ「コンプライアンス」ということで「日本を愛する」が単なる口先であることを衆人に曝してしまったのであろう。「法令遵守」を「コンプライアンス」なんて言い換えてしまうから、「法令遵守」が行われない世の中になったとは思わないのだろうか。

日本語もまともに使えないマスメディアや政治家に『教育』を論じて欲しくはない。

半藤一利著「昭和史 戦後篇」雑感

2006-05-28 14:05:23 | 読書

昭和の戦後史だけで約560ページを費やしている大著であるが、読みやすい。「あとがき」によると、毎回1時間半の『講義』を文章にまとめたものとのこと、読みやすい理由が分かった。全15章にまとめの章をベッドで横になりながら一週間ぐらいで読み上げた。それくらい気軽に読めた、と云ったつもりであるが、中味は実に濃厚、その上自分の実体験と重ね合わせられる場面が多々あって、著者の姿勢に共感することが多かった。

どのような共感があるのか。先日私が高校生にぜひ読んで欲しい高見順著「敗戦日記」で引用したまったく同じ箇所を、著者も引用しているのである。東条元首相の自殺未遂のニュースに接しての感想、新聞の敗戦を境に急変した姿勢への批判、そして読売新聞が提案する「ローマ字採用論」の引用などである。ご用とお急ぎのない方は私の引用した原文をご覧あれ。九月二十日、八月十九日、十一月十四日の分である。

とにかく私自身が生きてきた時代のことである。読むにつれ、あの時あのことなどが甦ってきたりした。その一つが第二次岸信介内閣の時に推し進められた「安全保障条約改定」に対する反対運動である。

私は大学院生だったが、とにかく反対ということで、連日の如く集会やデモに参加した。なんせ教授連が先頭にたってデモ行進するものだから天下御免の勢いである。その反対運動が盛り上がっている最中に、どうしてそうなったのか記憶にないが、確か読売新聞主催の安保問題に関する座談会に出席するようにお声がかかったのである。その座談会の内容が全面ぐらいの大きな紙面に報じられたと思う。ふとそんなことを思い出して、一度図書館で古い新聞を調べてみようという気になったりするのである。

《各地から多くの人びとが上京してきて、五月から六月にかけて毎日数万の請願デモが国会に押し寄せました。そしてそのクライマックスは六月十五日夜でした。デモ隊が議事堂のモンを突き破って中に突入したことから、警官隊がデモ隊に襲いかかり、それこそ数万人同士の大乱闘になりました。それで午後七時頃、東京大学文学部の学生だった樺(かんば)美智子さんが、南門でしたか、大混乱のなか転んで踏みつけられて死亡したのです。(中略)後の東京消防庁の発表では、重傷四十三人を含む五百八十九人が負傷したということですが、もっと多かったのではないでしょうか。》(440ページ)

昭和も遠くになりにけり、である。

半藤一利氏は雑誌社勤務のジャーナリストであった。その立場からであろうか、《暴力のもとにジャーナリズムは必ずしも強くないのです。戦前、軍の暴力のもとにジャーナリズムがまったく弱かったのと同様で、それは残念ながら、しっかりと認識しておかなくてはいけません。表現の自由を断固たる態度で守らねばならないというのはその通りですが、断固たる態度を必ずしもとれないところがジャーナリズムにはある、それは反省と言いますか、情けない暗いの私の現実認識でもあるのです。》と述べている。

この言葉は重い。そして己を知る謙虚な姿勢に裏打ちされたこの著書は、多くの人の共感を呼び寄せることと思う。

「君が代」は天ちゃんのうた・・・(改訂版)

2006-05-27 09:06:09 | 社会・政治
国民学校一年生で「日の丸の旗」の歌を習った。

♪白地に赤く 日の丸染めて
 ああうつくしい 日本の旗は

戦中の朝鮮である。四方拝、紀元節、天長節、明治節などの祝日に旗竿の先端に金珠を取り付け、日の丸を結びつけて門柱に掲げる、いわゆる国旗掲揚は、どこの家でもやっている決まり事であった。

学校では式典があった。現在のようにまるまるお休みというわけではない。そのかわり紅白のお饅頭を貰った記憶もある。式場では姿勢を正し、国歌「君が代」と四大節それぞれの祝典歌を斉唱した。

 ♪年の始めの 例(ためし)とて
  終わりなき世の めでたさを (一月一日)

 ♪雲に聳ゆる高千穂の
  高根おろしに草も木も (紀元節)

 ♪今日の吉き日は 大君の
  うまれたまいし 吉き日なり (天長節)

 ♪アジアの東 日いずるところ
  聖(ひじり)の君の 現れまして (明治節)

これらの歌の一番は、今でも歌えてしまうから不思議である。
式典につきものの国旗と国歌は、別にそうと教えられたわけはないが、当たり前のこととして受け取っていた。

日本は戦争に破れはしたが『革命』が起きたわけではない。フランス革命でブルボン王朝が倒れたように、ソヴィエト政権にロマノフ王朝が取って代わられたように、またハプスブルグ帝国が崩壊したように、日本の皇室が消滅したわけではなかった。立憲君主制か象徴天皇かはともかく、「万世一系」の天皇が今も『新憲法』と皇居にご存在である。細かい論議はさておいて、敗戦にもよらず『国体』が維持されたことの証である。国旗と国歌も同じく、である。

戦後の一時期、国旗の掲揚は連合軍司令部により禁止されたが、昭和26年9月8日のサンフランシスコに於ける講和条約の調印後には官公庁などでまずこの禁止が解かれた。このように国旗そして国歌は戦前から連綿と存続し続けているのである。ところがどうしたことか、戦後、それもつい最近になって、平成11(1999)年8月13日に、「国旗は、日章旗とする」、「国歌は、君が代とする」と定めた「国旗及び国歌に関する法律」が公布、即施行された。

『当たり前』と戦前戦中のほとんどの日本国民がそう思っていたから、国旗・国歌をことさら『法律』で制定する必要もなかったと言える。慣習法でよかったのだ。それが何故戦後半世紀以上も経って、この法律が出来たのだろう。『当たり前』が慣習法として通用しにくくなったからだと思う。

たとえば日本共産党の「しんぶん赤旗」にはこのような一文がある(2005年3月3日)。

《<問い> 私たちは卒業式に「君が代」をうたわないことにしたいと考えていますが、そうすると、東京では、教師が処分をされると知って、悩んでいます。こんな強制はゆるされるのですか?(東京・高三)

<答え> 現在、国旗・国歌は法律で決められていますが、それは政府が公的な場で国旗・国歌を「国と国民の象徴」として用いることを意味するものです。国旗・国歌にたいする一人ひとりの態度については、いっさい強制しない、というのが民主主義の原則です

 日本には「思想・良心の自由」(第19条)「信教の自由」(同20条)をかかげる憲法があります。この憲法のもとで、「君が代」の意味が信条とあわないから歌いたくないという人や、強制が価値観とあわないという人に強制することは、あってはならないことです。(後略)》

何故「君が代」を歌わないことにしたいのか、理由が書かれていないので分からないが、歌詞が気に入らないのとでも言いたいのであろう。それで思い出したことがある。もう40年も昔のことになるが、大学研究室で新入り歓迎のコンパの席上だったと思うが、新入生の一人が「君が代」を歌い出したのである。

 ♪君が代は

まではふつう、ところがここで笠置シズ子歌うところの「東京ブギウギ」の節に急転した。

 ♪千代に八千代に
  さざれ石の 巌となりて ブギウギ
  ・・・・・・・
  天ちゃんの歌 苔のむすまで アッソゥ

で終わる。・・・・・・・がどうであったかは覚えていない。

予期もしない『珍事』に私は度肝を抜かれた。『忠君愛国』の軍国主義的といわれる教育を受けてきた我が身が、自律的に防御姿勢をとったようだ。「予科練」世代の先輩も憮然とした表情だったと思う。「君が代」談義が涌き上がったのかどうか、これも忘却の彼方であるが、後味のよい出来事ではなかった。

私より10歳近く年少のこの新入生は、徹底した戦後民主主義の教育を受けた世代なのだろうと思う。といっても『民主主義』の洗礼を受けたことのない教師自身が、何をどう教えたのか知らないが、多分大日本帝国時代批判が飯の種でもあったのであろう。彼が『君が代変奏曲』を教師から習ったとは思えないし思いたくないが、教育の成果でもある「君が代」を小馬鹿にする風潮が、このような『戯れ歌』の流行を助けたのであろう。

私の世代は戦争中に『忠君愛国』を説いた教師が、占領軍の指示のままに生徒に教科書のあちらこちらを墨で黒く塗りつぶさせ、その上『新憲法』を教えなければならなかった。教師の忸怩たる思いが生徒にも伝わったものである。それだけに教師も過去の『全否定』に走らない節度があったと思う。その節度から解放された『新教師』の言動が、「日章旗」と「君が代」を忌諱すべき大日本帝国の象徴として生徒の頭に植え込んだのではなかろうか。

中国や韓国で高まっている排日感情は学校教育のせいとも云われるが、日本国内での反「日章旗」、反「君が代」も同じようにわが国の学校教育の産物であろう。

共産党の「答え」に《「君が代」の意味が信条とあわないから歌いたくない》との文言があるが、多分上の『戯れ歌』のように、「君が代」は国民ではなく天皇の長寿をたたえる歌だから嫌だというようなことだろう。

私も「君が代」の本当の意味は知らない。教えて貰った覚えもない(正確に言えば、教えて貰ったかどうかの記憶がない、というべきだろう)。しかし私は「意味」で歌うのではなく「国歌という形」で歌っているのだ。そのように身体に染みついているだけのことである。

屁理屈を言えば、「さざれ石が巌」となるには何百万年かかるのか何億年かかるのか知れないが、それよりも長生きする生物がこの世にいるはずがない。それよりなにより「巌」が「さざれ石」になることはあり得ても、逆に「さざれ石」が「巌」になること自体、一般人の感覚では超自然現象である。私は「君が代」の意味がこのような非科学的な内容を含んでいるから反対だ、という意見はかって耳にしたことがない。多分科学的に荒唐無稽であるだけ逆に「比喩」として素直に受け取られているからだろう。

「さざれ石」が先か「巌」が先か、そんなことはどうでもいいように、「君が代」を「大君の寿命」ととるか「あなたの寿命」ととるのか、どうでもいいことである。というより「君が代」とは何かの唯一の答えはもともと存在しない。《答えが成立するときだけ問いも成立》とは「エピソードで読む西洋哲学史」で学んだばかりであるが、「君が代」の意味なんてあるようでないのである。国歌とは元来そのようなものだ。形さえあればいいのである。

「日章旗」が国旗で「君が代」が国歌であること、これは子供の時に躾けてしまえばいいこと、学校で教えるとかそんなことでもあるまい。そして日本の国旗・国歌と同様、世界の国々の国旗・国歌に敬意を払うことをも小さいときに躾けてしまえばいい。

いよいよサッカーのワールド・カップが始まる。出場国に限られるが国旗・国歌のオンパレードである。世の中のお父さんお母さん、あのような場所で国旗が掲揚され国歌が奏でられるときは、その場にいたら起立するんだよ、と子供に教えましょう。


「江戸の誘惑」展の図録はすぐれもの

2006-05-24 22:43:46 | Weblog

遅まきながら、神戸市立博物館で開催されているボストン美術館所蔵の「肉筆浮世絵展」を観てきた。5月28日が最終日とあって、お天気も良かったせいか、入館するのに行列の出来るほどの人出であった。館内でも二重三重の人垣が出来ている。しかし押し合いへし合いするわけでもなく、皆がそれぞれの楽しみ方をしているのが快く、私もその仲間に加わった。

展示されているのは版画ではない手描きの浮世絵である。説明によると武家や豪商などの注文に応じて肉筆で描かれた特別の『一品もの』らしい。そう言う希少性のみならず、展示されている肉筆浮世絵の美しさと点数の多さがとても印象的であった。

出品作品の大部分がハーバード大学、ハーバード医学校で医学を学んだものの、後に美術品のコレクターとなったウィリアム・スタージス・ビゲローの個人コレクションだというから驚く。肉筆浮世絵だけでも七百点を数えるそうである。富豪の貿易商の家系に生まれた御曹司で十分な財力があったのだろう。明治十年代に日本に住み、その間の蒐集であるが、ビゲローがどのようにしてこれらの浮世絵を入手したのかほとんど知られていないそうである。明治維新を経て文明開化の世の中になり、欧化の風潮に煽られて、元来の所有者であった日本人がどのような状況で、また何を考えて手放したのか、気になることではある。しかし、一方ではビゲロー氏の蒐集のおかげで質料とも豊かな作品が保存され、われわれが目にすることが出来るわけだから、氏に感謝の念が湧く。

全部見終わるのに二時間ほどかかった。足が痛くなったがそれを上回る満足感が大きかった。そして嬉しいことにこの浮世絵展のために作られた図録がまた素晴らしいのである。会場では見られなかった細かなところを家で落ち着いてじっくり味わえる。丁寧な解説を相まってまさに大人の絵本である。これが2200円とは有難い。

ところで『色を売る』遊女と、その職場である遊郭を堂々と描いた浮世絵の注文主は、いったいどこに飾ったりしたのだろうか。家人に隠れて自分だけコッソリと楽しんだのだろうか。それともそのようなことは誰も気にしない鷹揚な世の中だったのだろうか。平成のご時世から見れば浮世離れしているこの時代、世の中、変われば変わるものである。


乙女を夢見る熟年女性に捧げる「ゴンドラの唄」

2006-05-22 20:54:09 | My Song
大正四年四月、芸術座が上演するツルゲーネフ原作「その前夜」の劇中劇として松井須磨子が歌った。吉井勇作詞、中山晋平作曲。ゴンドラが出てこないのになぜ「ゴンドラの唄」なのかといえば、この詞が、森鴎外訳のアンデルセン「即興詩人」にあるベネチア民謡にもとづいているから、とのことである。

もう高齢社会だからと仰らずに、乙女を夢見る熟年女性に捧げます。「ゴンドラの唄」をクリックして開いた画面でさらに「GondoranoUta」をクリックしてみてください。

『教育基本法問題』で「心」ない政府案を圧倒する民主党案

2006-05-21 15:18:51 | 社会・政治
政府の教育基本法改正案への対案として、民主党が「日本国教育基本法案」を国会に提出する運びになっている。マスメディアは両案でいわゆる『愛国心』がどのように扱われているか、を問題にしている。

政府案のその箇所は
 (教育の目標)
第二条の第五項目に
《伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。》となっているのに対して、

民主党案ではその前文に
《日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することである。》と記してある。

民主党案では《日本を愛する心》が『愛国心』のことを言っているのだな、とはっきりわかるし、その愛国心を涵養することがが「日本国教育基本法案」の精神であるとする姿勢もはっきりしている。

政府案では《我が国と郷土を愛する・・(中略)・・態度を養う》ことが教育目標に掲げられている。「態度」を「心」で置き換えるとわかりやすいのに、なぜそうしないのだろう。自民党原案では『愛国心』とあったのが公明党の主張を取り入れる形で『態度』に変わったと報道されている。その経緯はさておいて、政府案には『心』がないのである。

政府案には「心」という文字が六回出てくる。しかし単独ではなくて「心身」が三回、「中心」が一回。「道徳心」、「自立心」がそれぞれ一回ずつで辛うじて「心」が顔を出している。これに対して「態度」も六回出てくる。六回のうち五回は(教育の目標)を定める第二条の五つの項目に一回ずつ出てくるのである。もう一回は(宗教教育)をうたった第十五条に出てくる

自民党案とは対照的に民主党案は「心」がこもっている。

前文に《美しいものを美しいと感じるをはぐくみ》、《日本を愛するを涵養し》とある以外に「道徳心」「自制心」「自尊心」がそれぞれ一回あって、合わせると「心」が五つもある。それに「心身」が三回、「中心」が一回出てくる。これに対して「態度」は(政治教育)の第十五条に一回、(生命・宗教に関する教育)の第十六条に二回、(情報文化社会に関する教育)の第十七条に一回の合計四回出てくる。

これだけ見ても民主党案は「心」ない政府案を圧倒している。自民党は公明党に骨抜きされた上に心まで奪われてしまったのである。