日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ノーベル賞が日本から遠ざかっていく?

2011-10-08 11:55:53 | 学問・教育・研究
アップルのスティーブ・ジョブズ氏のカリスマ性についてはともかく、その何が凄かったのかについて朝日デジタルの解説がわかりやすかった。

 「売り方がうまいだけ。日本にない独自の技術なんて何も使っていないのに」

 アップル商品がヒットするたびに、日本メーカーからは、こんな恨み節が今でも聞こえてくる。

 日本勢は、中核部品の開発から完成品の組み立てまで、「自前主義」にこだわった。それが商品の差別化につながると考えたからだ。だが、製品のデジタル化が進み、同じ液晶パネルや半導体を集めて簡単に類似商品が作れる時代になり、価格競争に巻き込まれていった。

 これに対し、アップルは世界中のメーカーから部品や技術をかき集め、商品の組み立てはコストが安い台湾メーカーなどに任せる。代わりに、ジョブズ氏は、商品のデザインやサービスなどの仕組み作りに徹底してこだわり、独自のアップルワールドを作り上げて差別化に成功した。

 ただ、このビジネスモデルの成功には、ジョブズ氏のように、消費者の心をつかむ商品のイメージが明確にあり、それを徹底するリーダーシップが欠かせない。ソニーのウォークマンや家庭用ゲーム機「プレイステーション」の誕生も、創業者の盛田昭夫氏やソニー・コンピュータエンタテインメントの元会長兼CEOの久多良木健氏ら、個性派経営者の存在なしには語れない。


まったくそうだと思う。今や世界最大の企業となったアップルですら、個性豊かな卓越したリーダー無しには、消費者の心を掴むたった一つの製品すら産み出せないのである。リーダーとは孤独なもの、そしてそこにあるのは結局個人の営みなのっである。そのジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式で、Stay hungry, stay foolish.と説いたその精神が今注目されているが、私たちの世代は否応なしに皆がhangryであり、だからこそ大きな夢が沢山あった。夢とは見る人にとってはまさにfoolishなものである。これまでの日本人ノーベル賞受賞者はそのような風土の中から産まれてきた。

今年のノーベル賞は下馬評の高い日本人もいたが、まだ経済学賞がのこっているが、日本人を素通りして行ってしまった。そして唐突にもこのような思いが浮かんできたのである、ノーベル賞が日本から去り始めたのか、と。それは現在のわが国における科学研究のあり方、さらにはその進路、進め方が、研究者個人の自由な発想を伸ばす科学者主導から、科学官僚・政治家・権威主義的科学者主導になってしまっているからである。そのあらわれの一つが、「グローバルCOEプログラム」や「最先端研究助成」などビッグサイエンスプロジェクトなど、「金ばらまき」と言ってしまえばそれまでの、浅薄な目標邁進型の人数さえかき集めれば出来てしまう性質のものである。今年のノーベル化学賞の対象になった「準結晶の発見」が生まれるような環境とはおよそ縁遠い世界である。

これまでも私はやはり目をつけられたか グローバルCOEプログラム「最先端研究助成」よりましな2700億円の使い方があるのでは  追記有り「最先端研究助成」2700億円の使い道に科学者の反応は?グローバルCOEプログラムなんていらないのに・・・などで、わが国におけるこのようなお金の使い方が、創造的科学の発展の弊害になることを主張してきた。このままでは日本からノーベル賞がだんだん遠くなる。ではどうすればよいのか。くどいようであるがグローバルCOEプログラムなんていらないのに・・・から再掲させていただく。

極論すれば国家百年の大計である人材の育成に必要なのは、国立大学にあっては運営費交付金、私立大学にあっては私立大学経常費補助金、それに加うるに科学研究費補助金に尽きる。今わが国に求められるのは贅肉を一切切り削いだ骨太の大学制度を抜本的改革を通じて確立することであろう。

過去ログ
文科省での日本学術振興会と科学技術振興機構の共存が基礎科学の発展を邪魔する



「放射線の健康への影響」児玉龍彦参考人説明の具体的な提言は実現可能なのだろうか

2011-07-31 16:09:36 | 学問・教育・研究
昨日試験外泊とかで手術後初めてわが家に帰ってきた。早速インターネットを開いてみると、7月27日の衆議院厚生労働委員会での東京大学アイソトープ総合センター長児玉龍彦氏の参考人説明が大きな話題になっていることを知った。YouTube(http://www.youtube.com/watch?v=DcDs4woeplI)がその内容を紹介しているが、児玉氏の情熱を込めた具体的なデータに基づく信念の開陳にいたく感銘を受けた。15分という時間の制約からか、かなりの早口で聞き取れにくいところもあったが、有難いことにその書き起こしが公開(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-626.html)されているので、内容に関してそちらを大いに活用させていただいた。児玉氏発言の全容に関してはこれらをご覧いただくとして、以下私の感じたことを少々述べてみる。

児玉氏の発言で予てから疑問に思っていたことが次のように明らかにされている。先ずは福島第一原発が放出した放射能の総量である。

我々が放射線障害を診る時には、総量をみます
それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか
はっきりした報告は全くされておりません

そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますと
まず、熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しております
ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます

さらに恐るべきことにはこれまでの知見 で
原爆による放射線の残存量と原発から放出された者の放射線の残存量は
一年に至って原爆が1000分の一程度に低下するのに対して
原発からの放射線汚染物は10分の一程度にしかならない

つまり、今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様
原爆数10個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事がまず考える前提になります

最近大きな話題となったのが牛の飼料となる稲藁の広範囲な地域にわたる放射能汚染である。予想外に広い放射能の拡散もさもありなんと思わされる。私は以前にSPEEDIをお遊びに過ぎない「シミュレーションごっこ」と断じた理由についてで、SPPEEDIの有効性が、事故の発生地点から離れた各所で測定された放射能量の地域分布データとの突合せにより、必要な修正を経て検証されるべきであることを述べたが、その有効性が実証されたSPEEDIで、あらためて実測された放射能量の地域分布データから(たとえ地上データのに限るとしても)福島第一原発からの放出放射線総量がある範囲で推測できるはずであると思う。すでに政府は当然このデータを得ているであろうが、即刻公表すべきである。

次は放射能実測の問題である。私は事故直後から被災地全域での放射能測定の重要性を述べてきたが、現場はそれどころではなくわが政府がいかに無策であったのかが述べられている。

何をやらなければいけないかというとまず、汚染地で徹底した測定が出来るようにするという事を保証しなくてはいけません
我々が5月下旬に行った時先ほど申し上げたように1台しか南相馬に無かったというけど実際には米軍から20台の個人線量計がきていました
しかし、その英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて
我々が行って教えてあげて実際に使いだして初めて20個の測定が出来るようになっている
これが現地の状況です

そして目下の急務として食品検査の重要性が強調されている。

そして先程から食品検査と言われていますがゲルマニウムカウンターというものではなしに今日ではもっと、イメージングベースの測定器というのが遥かに沢山、半導体で開発されています

何故政府はそれを全面的に応用してやろうとして全国に作るためにお金を使わないのか

3か月経ってそのような事が全く行われていない事に私は満身の怒りを表明します

全く同感である。

内部被爆の問題もある。

ようするに内部被曝というのは先程から一般的に何ミリシーベルトという形で言われていますがそういうものは全く意味がありません

I131は甲状腺に集まります
トロトラストは肝臓に集まります
セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります
これらの体内の集積点をみなければ全身をいくらホールボディースキャンやっても全く意味がありません

セシウムは尿管上皮、膀胱に集まるとのことであるが、私は初めて知った。私がヨウ素131の「内部被曝者」だった話 - 日々是好日で自分の体験談を述べたこともあり、強調の部分はその通りであると思う。

そして避難民たちが早くもとのところに帰って来られるように、また子供たちがより安心して学校に通えるように、土壌汚染駆除が迅速に行われることが急務である。

国策として土壌汚染を除染する技術を民間の力を結集して下さい(中略)

実際に何10兆円という国費がかかるのを
いまだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を私はすごく持っております

国の財政事情を考えたらそんな余裕は一瞬もありません
どうやって除染を本当にやるか
7万人の人が自宅を離れてさまよっている時に 国会は一体何をやっているのですか

と、児玉氏の具体的な事実にに基づいての提言は極めて説得力がある。

しかしここで私には大きな疑問が生じた。一体児玉氏のこの国会でなされた意見表明、そして具体的な提言が実現する可能性が果たしてありうるのだろうか。提言を実行するために国会内でどのような仕組みが出来上がっているのか、私の無知もあってそれが全く見えてこないからである。仕組みが出来上がっておらなければ、意見は記録にとどめ置いてそれで終になってしまう。これではいかに優れた提言も絵に書いた餅である。怠慢を厳しく糾弾されている国会議員は、まずその仕組みを作ることから始めるべきなのではなかろうか。

iPS細胞研究 「勝ち馬」に相乗りするだけの科学研究費補助?

2011-06-10 14:53:18 | 学問・教育・研究
iPS(人工多能性幹)細胞をより安全に効率よく作製する手段が京都大学・山中伸弥教授のグループにより開発されたとのニュースが流れた。京都新聞は次のように伝える。

iPSさらに安全、効率的「魔法の遺伝子」 京大グループ発見

 iPS(人工多能性幹)細胞を安全に効率よく作製することができる遺伝子を、京都大iPS細胞研究所の山中伸弥教授やウイルス研究所の前川桃子助教たちのグループが見つけた。iPS細胞の実用化を引き寄せる「魔法の遺伝子」(山中教授)といい、英科学誌「ネイチャー」で9日発表する。

 山中教授は最初のiPS細胞の作製で、「山中ファクター」と呼ばれる4遺伝子を体細胞に導入した。細胞のがん化を進めるがん遺伝子(c-Myc遺伝子)が含まれており、c-Mycを使わない作製法が研究されているが、作製効率が落ちるなどの課題があった。

 今回、人の細胞にある1437個の遺伝子の働きを網羅的に解析し、効率的な作製法を探った。未受精卵と受精卵で働いているGlis1遺伝子に注目し、c-Mycを除いた3遺伝子と一緒にマウスや人の体細胞に導入すると、iPS細胞の発生率が大幅に向上。不完全な形の細胞の増殖もほぼ完全に抑えることができた。

 山中教授は「iPS細胞を実用化するためには、不完全に初期化された細胞の除去が最重要課題。Glis1は、非常に優れた性質を備えている」と話している。
(2011年06月09日 09時00分)

確かに実用化に向けて一歩前進でまことに結構なことであるが、この成果を報じる一連のニュースで、「ナショナルジオグラフィック」の記事の次の部分が私の目を引いた。

 今回の成果は、科学技術振興機構「山中iPS細胞特別プロジェクト」、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「iPS細胞等幹細胞産業応用促進基盤技術開発」、文部科学省「再生医療の実現化プロジェクト」、内閣府「最先端研究開発支援プログラム(FIRSTプログラム)」、医薬基盤研究所「保健医療分野における基礎研究推進事業」などの支援を受けて得られた。
(June 9, 2011)

なんとここだけで五つの、それもおそらく大型の、グラントが挙げられているので、Natureの論文「Direct reprogramming of somatic cells is promoted by maternal transcription factor Glis1」で確かめたところ、Acknowledgements(謝辞)には次のように記されていた。

This work was supported in part by grants from the New Energy and Industrial Technology Development Organization (NEDO), the Leading Project of the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT), the Funding Program for World-Leading Innovative R&D on Science and Technology (FIRST Program) of the Japanese Society for the Promotion of Science (JSPS), Grants-in-Aid for Scientific Research from JSPS and MEXT, and the Program for Promotion of Fundamental Studies in Health Sciences of the National Institute of Biomedical Innovation (NIBIO). S.Y. is a member of scientific advisory boards of iPearian Inc. and iPS Academia Japan.

これを日本語の機関名にすると最初から順番に

the New Energy and Industrial Technology Development Organization (NEDO)
独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)

the Leading Project of the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT)
独立行政法人 科学技術振興機構(JST) 「再生医療の実現化プロジェクト」

the Funding Program for World-Leading Innovative R&D on Science and Technology (FIRST Program) of the Japanese Society for the Promotion of Science (JSPS)
独立行政法人 日本学術振興会(JSPS) 「最先端研究開発支援プログラム」

Grants-in-Aid for Scientific Research from JSPS and MEXT
独立行政法人 日本学術振興会(JSPS) 科学研究費補助金

the Program for Promotion of Fundamental Studies in Health Sciences of the National Institute of Biomedical Innovation (NIBIO)
独立行政法人 医薬基盤研究所

となる。今や山中教授のiPS細胞研究を国を挙げて支援しようとの流れなので、いろいろな形で研究資金が流れ込んでくるのは一見当たり前のように見える。また論文に名前を連ねる研究者も多いので、それぞれが科学研究費補助金(四番目がそれに当たるのであろう)を受けていることもあり得る。しかし見方を変えると、実に馬鹿げたFunding Systemの実態がここに凝縮していると言えそうである。なぜなら研究資金を提供している四つの機関は独立行政法人で、元を正せば資金源はすべて国民の税金である。資金の出所はもともと一つなのに、それがなぜかわざわざ四つの独立行政法人を迂回し、そして山中教授のところで再び合流し、この一篇のNature論文を生み出しているのである。なぜそのようなまどろっこしいことをするのかと言えば、それによって利益を得る一部の人のために独立行政法人を作るのである、という答えしか戻ってこないではないか。

このようなシステムは研究者にとって百害あって一利無しである。すくなくとも事務手続きがそれだけ増える。申請書作成から始まり、研究費の管理、そして報告書の作成など、余計な手間が増える。一方、資金を提供する側からすると、有害無益の存在と決めつけられると困るので、資金を提供したからこそこのように大きな科学・技術的成果が得られたと折りあるごとに喧伝しないといけない。そうなると新聞種になるような成果の期待出来る研究者に資金を提供するのがまずは無難で、相乗りすれば何も考えなくてすみ、そのうえ宣伝効果が期待される。そして今回の場合でもそれぞれの独立行政法人が《iPS細胞、安全で量産OK「魔法の遺伝子」 京大の山中所長ら発見》を間違いなくわが成果として吹聴することだろう。

私はかって文科省での日本学術振興会と科学技術振興機構の共存が基礎科学の発展を邪魔すると主張したことがある。その要点は科学研究の競争的資金源の一元化を強調することにあった。ところがこのこのNature論文では、そこに挙げた二つの独立行政法人に加えて、さらに「新エネルギー・産業技術総合開発機構」と「医薬基盤研究所」の二つの独立行政法人が加わっている。「勝ち馬」への相乗り現象そのもので、本来あるべき研究支援の理念とはまったく相容れない。そういう有害無益の独立行政法人を無くすのに、何から手をつければよいのか、知恵を出し合いたいものである。


SPEEDIをお遊びに過ぎない「シミュレーションごっこ」と断じた理由について

2011-05-04 14:12:51 | 学問・教育・研究
5月2日の小佐古内閣参与の辞任に思うこと ボランティアによる「生物医学研究」のすすめで私はSPEEDIの運用について、《現段階ではお遊びに過ぎない「シミュレーションごっこ」》と断じた。そうしたところ政府が3日夜から福島第一原子力発電所からの放射性物質の広がりについて、SPEEDIを用いて予測した結果を順次ホームページ上で公開し始めた。文科省が地震翌日の3月12日から同16日までに行った38件をPDF文書で、また経済産業省原子力安全・保安院はほぼ同じ期間の42件のデータを公表したが、これらを一通り見る限り私の断定が間違っていないことの確信を深めた。お遊びに過ぎないことが分かっていたからこそSPEEDIをを運用した技術者は公表する気にならなかったのに、無理矢理出さされてしまったように私の目には映る。私に言わせると、あんなもの恥ずかしくて出せないという技術者の判断の方がまともなのである。

現役時代、「シミュレーション」が私のレパートリーの一つであった。幾つか研究論文を発表しているが、そのうちの一つに5種類の酸化還元中心をもったミトコンドリアのある成分が酸素と反応して酸化される際に、電子がこれらの酸化還元中心をどのような順番でどのような速さで通り抜けて行くのかのシミュレーションを行ったものがある。そのためにはまず反応モデルが必要になるが、この分野で多くの研究者により得られている数々の知見にもとづいて私が考えたの次のようなものであった。ミトコンドリア内の一成分に過ぎないがその酸化還元状態がこれほど沢山あり得ると考えていたことがお分かりいただけるだけでよい。反応が始まり、この56種類の状態のそれぞれが全体に占める割合の時々刻々変化していく有様を微分方程式で表し、それを数値解析で解いていくことが操作の基本となっている。次の表を含めこういうものをブログに持ち出すのはいささか場違いであるが、シミュレーションの一端に触れて頂ければとの思いからである。


さらには酸化還元中心同士のどのステップでどちら方向にどの速さで電子が流れるかを検討して最終的に用いた値が次のようなものである。


こんなややこしい数値など、ただのこけおどしと思っていただいてもよいのであるが、SPEEDIの場合と同じように「モデルに数値を入れる」ことでシミュレーションを行うことをご理解いただきたいのである。

SPEEDIのパンフレットには

緊急時には、気象データ、地形データをもとに、局地気象予測計算の結果を用い、3次元領域全体の風速場計算、放射性物質の大気中濃度計算および線量計算を行い、被ばく線量などを予測します。

と説明しているが、入力データとして次のようなものが挙げられている。


この「放出源情報」がシミュレーションではもっとも重要であるから本来は実測値が欲しいところであるが、今回は肝心要のそのデータがないものだから、単なる推測値の入力に終わっているようである。シミュレーションではモデルさえあれば、あとはどのような値を入力しても自動的に計算された結果が表示されるのである。入力データごとにいろいろな結果が出てきても、これだけではどれがまともな結果であるのか判断の仕様がない。ところが同じシミュレーションと言っても、SPEEDIと私の場合とでは本質的に異なる重要なポイントがある。それは私の場合には一方で次のような実測データがあると言うことである。


これは実験材料であるミトコンドリア成分の吸収スペクトルの時間変化で、私の場合はシミュレーションがこの測定データを再現しなければならないという厳しい制約が科せられているのである。逆に言えば上の反応モデルに従う以上、次ぎに出てくる数値の組み合わせが、もっとも再現性を満足させるものとして導かれてくるのである。もしシミュレーションが測定結果をなかなか再現出来ないとなると、モデルを考え直すことになる。実は上のモデルはそのような試行錯誤を経て導かれたものなのである。このようにしてモデルの有効性が検証されていく。

ところがSPEEDIでは実測データにもとづく検証がなされているとは思われない。なぜなら今回の不幸な福島第一原発の事故がはじめて科学的には実に貴重な実測データを与えたのであって、これまでそのチャンスがなかったからである。SPEEDIの有効性の検証がない限り何をやろうと「シミュレーションごっこ」と揶揄されても一言もないはずである。関係技術者の間で実測データと突き合わせることで検証が進められているのではと私は想像するが、もし有効性が検証されたSPEEDIが出来上がるのであればぜひやって頂きたいことがある。

私は以前福島原発事故 「レベル7」あれこれで新聞記事を引用して次のように述べた。

この記事によると、「Speedi」と名付けられた計算機モデルに、事故の発生地点から離れた各所で測定された放射能の値を入力して計算させることで、事故現場の放出源から放出された放射能量が求められるようである。もちろんデータ入力にはこまかい条件があるだろうし、どのような地域分布でデータを集めるか、またデータ数の多寡によって計算結果は振れるであろう。それにしてもなぜ原子力安全委員会と原子力安全・保安院がそれぞれ別々の数値を発表したのだろう。そしてさらに次のような話があって、この発表値が信じてよいものかどうか、問題がややこしくなっている。

ここの私の推測が当たっているのかどうか確信はないが、原理的には可能なはずである。実測データを再現するには事故現場から放出された放射能量の最適地を求めれば済む話であるからである。お遊びついでにせめてそこまではやって欲しいものである。なんせ開発費が100億円を超えているというのだから。



実験科学者が毎週論文を1報以上とは・・・

2011-03-07 14:31:54 | 学問・教育・研究
もう旧聞に属するが、私がブックマークをつけていたNatureの記事(2011年2月24日)に次のようなものがある。


井上明久東北大学総長がかかわっているとされる「研究不正問題?」で、ことの起こりはこのようである。

Inoue has published more than 2,500 articles since 1973. He and his group have reported making numerous glassy alloys and producing samples much thickerr than those reported by other groups.

Questions raised

But in May 2007, a series of anonymous letters began arriving at Tohoku University and other places alleging that the four papers 1-4 co-authored by Inoue in the 1990s contained inconsistencies in the way that the data were presented. The letters also alleged that others in the field had been unable to reporduce the results.

分野外のことでもあり私の知識はこのNatureの記事に限られるのでこれ以上深入りはしないが、「へぇ~」と思ったことを一つだけここで取り上げてみる。それはこの強調部分Inoue has published more than 2,500 articles since 1973.のことである。「articles」を単純には論文と解してもよいが、総説や解説など、広い意味での記事も含まれるだろうからすべてが原著論文とは限らないのかもしれない。それにしても約40年間に2500報とは凄いの一言に尽きる。年間60報強ということは少なくとも毎週1報以上ということになる。まさかNatureの記事が間違っているとは思えないが、念のためにGoogle Scholarで「akihisa inoue」を検索してみると3640報が検出された。同名異人があるとしてもこの異人さんが井上総長に匹敵するほど生産性が高いとは考えにくいので、2500報は恐らく正しいのであろう。実験をしながら毎週1報論文を書く生活なんて、幾ら共同研究者が大勢いたとしても私には想像出来ない。原稿に眼を通すだけでも大変だろうと思うからである。

昔話になるが大阪大学教養部の学生だった頃、理学部入学生でありながら薬学部から出講された亀谷哲治先生の有機化学の講義を聴講していた。講義内容がとても評判だったので越境聴講をしたのである。その頃はそれが可能であった。亀谷先生はその当時薬学部の助教授であったが、実験の鬼のような話が流れていて、教養部の学生の間においてすら論文の多産ぶりが話題になっていた。その後東北大学薬学部の教授となられ、退官された後は星薬科大学学長をなさっていた。亡くなられた時の日本薬学会会頭の追悼文に《学術分野では、複素環を中心とした合成化学領域で、鎮痛剤ペンタゾシンの工業的合成法など医薬品の開発研究、モルヒネを初めとする200種に及ぶ生理活性天然物全合成などで不滅の業績を挙げられ、報文は実に1200という驚くべき数に達しました。》とあって、亀谷先生の精力的な仕事ぶりが称えられている。上には上のあることだから井上総長の2500報も驚くに当たらないのかもしれないが、それにしてはNatureの記事で少し気になるところがある。

Inoue has recognized some points raised by critics. In January last year, he published errata 14 on two of the papers 2-3 in dispute. In an accompanying explanation 15, Inoue and his co-authors "apologize that these papers did not spell out all the experimental details as precise [sic] as we should have".

要するに問題が指摘されていた4論文の内、2論文について訂正がなされたとのこと。量産のスピードについていけなかった瑕疵なのかどうなのか。いずれにせよこの類い稀なる論文量産ぶりをNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で是非公開して頂きたいものである。その仕事ぶりに鼓舞された研究者が増えると、低迷が伝えられているわが国の論文発表数も少しは上向きになるかもしれない。



思考停止してしまった京都大学 入試問題ネット投稿事件

2011-03-04 15:01:55 | 学問・教育・研究
連日朝日新聞が入試問題ネット投稿事件を朝刊第一面で報じている。さらには第二面に次のような見出しの記事があった。


要点はこうである。


松本総長が本当にこのようなことを言ったのかどうか釈然としないが、私としてはこの記事に従って話を進めざるをえない。私は昨日の入試問題ネット投稿事件は試験監督が甘かったせい?で、試験監督の任務として《不正行為を摘発するというよりは、起こさせないことに試験監督は全力を傾注すべきなのである。その任務が厳正に遂行されていたなら、今回の事件は必ずや防げた筈である》と述べたばかりなので、松本総長の言明通りに監督が厳正になされていたのであれば、それなら何故入試の真っ最中に受験生が入試問題をネットに投稿し、しかもネット上の解答に目を通し得たのか説明がつかなくなってしまう。総長はこの言葉に続いて、「しかし現実にこのようなことが生じてしまった以上、試験監督になんらかの落ち度があっと思わざるを得ない。ただ現段階では当時の現場の状況については調査中であるので、全容が明らかになり次第報告いたします」とでも述べたのではないか、と私としては思いたいので、だからこの記事に釈然としないのである。しかし釈然としないと言えば、この問題が発生したときの京都大学の対応がそうであった。

「新手のカンニング」であると認識しておれば、最初の対応から違っていただろう。入試と限らず試験にはカンニングがつきものである。私が行った学期試験でもしカンニングがあったのではないかと疑うような事態が起こった場合に、その対処は私の責任において私が行う。大学の入試で同じような状況が発生したときも、大学の責任においてまず対処すべきなのであった。今回の場合でもYahooの掲示板に入試問題が投稿された事実を大学が確認した上で、その事実を迅速に公表し全国の大学入試関係者の注意を喚起することがまずなすべきことであろう。そして出来る限り早い時期に答案用紙のなかからカンニングが疑われる答案を調べ上げ、灰色の受験者を同定するべきなのである。京大の場合と状況は違うが、同志社大学では受験者の答案用紙とネット上の「解答」との照合を行い、類似した答案が数十件あったものの不正をした受験生の特定ができなかったことを先ず明らかにしている。京都大学もそこまで行った上、受験生の特定が自らの手で行うことが困難だと判断した場合に、さてどうするか、警察の介入を含めて次の採るべき行動を決めるべきであった。

新聞報道によると、京都大学は2月26日に英語の試験が終わった直後の午前11時半頃に外部からの電話で入試問題のネット投稿を知ったとのことである。そして28日には警察へ被害届を提出する予定であったが、提出に至らなかったことをその午後に明らかにしている。すなわち学内で具体的な対策を考えその計画案も練らない先にはやばやと警察に駆け込んだことになる。ところでこの被害届がどうなったのか、改めてネットで調べてみてもその情報が見つからなかったが、今日の朝日新聞の記事に「京大はこの日(3日)、京都府警に被害届を提出」とあるので、ようやく3日になって被害届を出したことが確認された。その意味では正式な警察への手続きがとられる前に、警察がはやくも動き出して投稿した受験生を特定してしまったのである。そのうえこの受験生は偽計業務妨害容疑で逮捕されてしまい、今やマスメディアの標的になっている。京都大学が警察に受理もされなかった被害届を出しに行ったばかりに、警察に偽計業務妨害容疑という口実を与えてしまい、後は警察独自の理屈付けでこれまでのことが運ばれてしまったようだ。京都大学の思慮を欠いた衝動的な行動が警察にフリーハンドを与えてしまったとも言える。

ところで今回、なぜネットにこの情報が広まったかといえば、朝日新聞の報道ではこうである。

ネット投稿 試験直後に京大新聞指摘 ツイッターで拡散

 26日にあった京都大の入試問題が試験中にネット掲示板に投稿されたのを、京大公認団体の学生新聞「京都大学新聞社」が、英語の試験直後に気づき、ツイッターで指摘していた。大学への最初の指摘は、京大新聞が気づく約50分前だったが、ネット上に広がったのは、大学新聞がきっかけになったとみられる。

 京都大の英語の試験は午前9時半から午前11時半まで。

 京大新聞の学生記者は正午すぎに、広報課からメディア向けの英語の試験問題を窓口で受け取った。問題文の出典をインターネット上で調べていたところ、「ヤフー知恵袋」で、英語の試験問題2問の英訳を求める質問を発見した。

 午後0時19分、京大新聞のツイッター上に「京大入試 試験問題流出か?」と、「ヤフー知恵袋」のアドレスと共に書き込んだところ、投稿を転載するリツイートが広がり、ネット上で話題になったという。京大新聞は「速報性を重視してツイッターに流した」としている。
(2011年3月1日16時59分)

京大新聞の学生記者がツイッターに流すに先だった京大側にその事実を知らせ、対応を考えた方がいいですよ、とぐらいは言っておれが、しばらくニュースを流すのは待ってくれとは言われたかも知れないが、大学側も余裕を持って対処に専念出来たかもしれない。昔を懐かしんでも仕方が無いが、これもご時世というものだろう。

新型(豚)インフルエンザが流行した2009年のこと、私は新型(豚)インフルエンザに対する京都大学の特筆すべき指針で京都府下の大学がとった処置について、《府下の国公立を含む大学、短期大学全47校のうち、京都大を除く46校が休校・登校停止の措置をとるなど、京都大学を除いてはまったくの思考停止状態に陥ったようである。京都大学だけは独自の対応策をとった》と述べ、京都大学のとった行動を《これが実に素晴らしい。これこそ研究者・学者の社会的責任を体現したものと言える》と称揚し、健全な理性の府の存在を厳然と世間に知らせた古巣の大学を嬉しく思った。その思いがあるだけに、今回の入試問題ネット投稿事件で京都大学の対応は思考停止状態下になされたとしか思いようがないのが残念である。


入試問題ネット投稿事件は試験監督が甘かったせい?

2011-03-03 09:34:30 | 学問・教育・研究
京大の入試問題がネット上の掲示板に投稿された事件に関わったとして、仙台の予備校生が警察から事情聴取を受けることになった。ここまでは予想された成り行きである。こうした行動に走った動機、その手口を含めて、事件の全容が明らかにされることを期待したい。それにしても朝日新聞の朝刊には「京大答案、ネットと酷似」と大きく出ていたのが気になる。やはりこの予備校生がネットの掲示板を見ながら答案用紙に解答を書き込んだのだろうか。もしそうだとすると、私が案じていたように大学側全般の対応と試験監督の手落ちがこの事件を引き起こしたとも考えられるので、この事件は別の様相を帯びてくる。

私は入試問題ネット投稿事件対策は監督強化で十分で次のように述べた。

今回の出来事でも、どのように試験時間内に問題がネットに投稿されたのか興味があるが、今や「スパイ機器」が容易に入手出来るご時世である。試験問題の映像を外部に送信するのはちょっと頭を働かせば誰にでも出来るように思う。ましてや入試に合格するのが目的でないのなら、堂々とやってのけることも可能である。しかし監督者が絶えず受験者の挙動に目を光らせておれば、ネットに掲載された答案を見ながらその目を盗んて答案用紙に書き込むことは至難の業であろう。滅多にないことではあったにせよ、監督者が本や論文を読んでいたり、外の景色をうっとりと眺めていたり、椅子に座って居眠りなどはもってのほかである。絶えず受験者の挙動に目を光らせるためには、試験監督者としての職業的訓練が必須になる。

大学入試の監督をした経験者なら、監督者が絶えず受験者の挙動に目を光らせておれば、ネットに掲載された答案を見ながらその目を盗んて答案用紙に書き込むことは至難の業であろうと思われるに違いない。だからもし現実にこの受験生がそのように答案に書き込んだのであれば、残念ながら試験監督の失態を疑わざるをえなくなる。しかも京大では英語と数学の2科目で同じようなことが行われたとすると、それぞれ異なったチームが試験監督に当たっていただろうから、同じような失態をしでかしたことになる。またそれに先立ちこの予備校生が同志社大学、立教大学、早稲田大学でネット掲示板に入試問題を投稿したにもかかわらず、表沙汰にならなかったことで手口に自信を持ちだしたのであれば、大学側の対応の検証が必要になってくる。

ネット掲示板に入試問題が掲載されたことをもって、国立大学協会は「入試の公平性、信頼性を損なう由々しき問題」とコメントしたが、どのことを指すのか私にはもう一つピンと来ない。もし京大入試に先立って、Yahoo掲示板に入試問題の解答が出るから覗きに行こう、なんてアングラ情報が一部の受験生に流れて、彼・彼女らが一斉に試験会場で掲示板を開き、それを見ながら答案用紙に書き込むようなことがあれば、これは確かに「入試の公平性、信頼性を損なう由々しき問題」になる。しかしまさかそのような事態が現実に起こるだろうとは私には考えられない。とするとこれは個人的な行為で、私の言うIT時代の新しいカンニングに過ぎないことになり、ことさら「入試の公平性、信頼性を損なう由々しき問題」を強調する必然性は何もない。カンニングは科挙の時代から延々としてあったのだから。

それよりも問われるべきは試験監督のあり方なのではなかろうか。同じく朝日新聞の社会面に次のような記事が出ていた。

 今年の入試で監督を務めた立教大の30代の男性准教授は、「残念」と漏らした。准教授は「不正を見抜くために監督しているのではない」とした上で、「受験生が安心して力を発揮できるように見守るのが仕事。こういうことが起こると、監督を強化せねばならず、双方にとって不幸なことになる」と話した。
その通りである。不正を見抜くために監督しているのではないが、受験生が安心して力を発揮できるように見守るのが仕事なのである。だからこそ不正行為を摘発するというよりは、起こさせないことに試験監督は全力を傾注すべきなのである。その任務が厳正に遂行されていたなら、今回の事件は必ずや防げた筈である。これが入試問題ネット投稿事件対策は監督強化で十分の要点であった。

失態があったのかなかったのか、冷や冷やの思いで成り行きを注目している。


入試問題ネット投稿事件対策は監督強化で十分

2011-03-01 18:07:00 | 学問・教育・研究

今日の朝日朝刊は第一面トップに京大の入試問題がネットに投稿された事件を取り上げていた。NHKのニュースでもトップに出てくるなど世間は大騒ぎである。私もどのような手段で投稿したのか、また動機などには関心があるが、考えてみれば科挙の時代からあるカンニングの新手が現れただけのこと、さすがIT時だなあと感心すればそれで済む話であろう。

ここでカンニングという言葉を使ったが、広辞苑(第五版)には《[cunning](ずるいの意)学生・生徒が試験の際、監督者の目を盗んでする不正行為》と出ている。では何故そのような不正行為を働くのかと言えば「良い成績を取るため」なのだろう。入試の場合は良い成績を取って合格するための不正行為がカンニングということになる。今のところこの投稿者が入試に合格するために不正を働いたのかどうかは定かではない。しかし「不正行為」の足跡をこれほど堂々と残している以上、それが絶対にばれないと考えるほどこの投稿者が愚かであるとは思えない。そうだとするとこれはカンニングではなくて、ただの「お騒がせ」もしくは「お遊び」になってしまう。

もしただの「お騒がせ」なら、不正行為による合格者が生じるわけでもなく、入試制度の根底がひっくり返ったわけでもなんでもない。「こんな手口が現れたけれど、考えてみたらあんなことでまともな答案が書けるはずもなし、まあほっとこう」で済む話である。現に京都大学でこの問題が起きたからこそ世間が大騒ぎ?になったが、それまでにすでに2月8日には同志社大学で、2月11日には立教大学で、2月12日には早稲田大学で似たようなことがあった筈なのに、これらの大学は黙っていたではないか。ほっておけばよかったのである。

かりに今回の事件が私のいう意味でのカンニングであったにせよ、カンニング防止のためにたとえば携帯電話を入試会場に持ち込ませないとか、周りに電波シールドを張るとかの対策が取り沙汰されているが、私に言わせるとそんなものは骨折り損のくたびれもうけにすぎない。そういうことに無駄金を使うよりは、監督者に試験監督者としての職業的訓練を施せば済む話である。

現役時代は監督、監督責任者、採点、出題、統括など、いろんな形で入試業務に携わったが、一番多かったのが監督である。監督と監督責任者では少し役割は違うが、試験問題を配り、訂正があればそれを伝え、受験者の身元照合をし、質問を取り次ぎ、トイレ行きに付き添い、答案を集めては答案数を確認するのが主な仕事であった。問題用紙に答案用紙をどのように受験者に配り、またどのような手順で回収するかはその場で責任者が指示を与えた。受験者に何か質問があれば挙手させることになっていたので、その動きには気を配ってはいたが、どのように受験者を監視するかなどは指示されたことも指示したこともなかった。監督者が心がけたことは、とにかく受験生が思う存分実力を発揮できるように、ひたすらその環境を整えることであった。一教室を担当する監督者が複数の場合、初対面同士であることが多く、たとえば監督中に何か読み始めたりウオークマンを聴く監督者がいても面と向かって注意することもなく、ただあれは問題では、と後で意見上申するぐらいが関の山だった。お断りして置くが、これはあくまでも私が現役であった時代のことである。

今回の出来事でも、どのように試験時間内に問題がネットに投稿されたのか興味があるが、今や「スパイ機器」が容易に入手出来るご時世である。試験問題の映像を外部に送信するのはちょっと頭を働かせば誰にでも出来るように思う。ましてや入試に合格するのが目的でないのなら、堂々とやってのけることも可能である。しかし監督者が絶えず受験者の挙動に目を光らせておれば、ネットに掲載された答案を見ながらその目を盗んて答案用紙に書き込むことは至難の業であろう。滅多にないことではあったにせよ、監督者が本や論文を読んでいたり、外の景色をうっとりと眺めていたり、椅子に座って居眠りなどはもってのほかである。絶えず受験者の挙動に目を光らせるためには、試験監督者としての職業的訓練が必須になる。

挙動不審者を見逃さないためにどうすればよいのか、場合によれば警察か警備会社に頼んでその訓練をして貰うのも手であろう。受験会場内で監督者がどのように机の間を縫って組織的に巡回するのかなど、事前に半日ぐらいは費やして実地訓練をするのである。挙動不審者を見つけたときの対策ももちろん定めておく。監督者にプロとしての仕事をして貰うだけで、試験中の不正行為はほとんど防ぐことが出来ると思う。


阪大医学部の不正経理について思うこと 加筆あり

2011-02-15 22:44:30 | 学問・教育・研究
この事件の速報は昨年夏にあったが、その最終調査結果が今回公表された。公表されたといっても、私が知り得たのは大阪大学のホームページからアクセス出来る「調査結果の概要」に過ぎない。一部の新聞は購入した物品について、低俗な興味を掻きたてるような報道をしているが、どのような経路でその情報を入手したのか分からない。

正直なところ、かっては私も身を置いていた大学での出来事が、このようなスキャンダルとして世間に広がるのは堪忍して欲しいという思いがある。苦しい財政状況であるにもかかわらず、教育・研究の灯をか細くさせまいと政府が来年度予算案で、科学研究費については本年度予算より230億円増の2230億円を計上し、目下国会で審議が進められている最中である。このスキャンダルが逆風を引き起こさないことを祈るのみである。

私はここで不正経理という言葉を使っているが、報道で使われているからそれを踏襲したまでで、具体的にその内容を理解しているわけではない。それでも定められたルールから外れた予算の使い方をしたことを指しているのだろうなとは想像出来る。しかし、そのルールが必ずしも研究現場の実態に合わないものであれば、研究者はきわめて合理的な判断をする能力に秀でている(筈だ)から、予算をより有効に使うために知恵を働かせるだろうとは容易に推測可能である。だから過去に不正経理にかかわったり見聞きしたことはありませんかと問われると、白鵬関に倣うわけではないが、「それはないとしか言えないじゃないですか」と公には言わざるを得なくなりそうである。

たとえば科研費を申請して、3年間で目標を達成する(つもりの)研究計画が認められたとする。研究が開始されると研究室は戦場である。といっても幸い実弾は飛んで来るわけではないから、3年間は休戦や停戦を抜きに一心不乱ひたすら勝利を目指して突進する。もしルール通りにまず1年目の予算を遣い終えたら、改めて事務手続きを済ませて継続が公に認められるまでの数ヶ月間、業者からは何を買っても借りてもいけないと決められると、否応なしに研究はストップしてしまう。そういう事態が生じないように研究者はそれぞれ知恵を働かせたのであるが、表面だけを眺めると不正経理になってしまうのであろう。こういう矛盾に長年苦しめられてきた研究者の切なる要望に応えて、「最先端研究開発支援プログラム」の研究費は多年度での運用が可能になったが、この手法が科研費にも適用されるようになったとのことである。そうなると「架空伝票操作による物品の購入」は根絶可能であり、また根絶すべきなのである。

私が大学院学生だったほぼ半世紀前は、年に一二回ある学会での研究発表に出席しようとすると、経費は旅費を含めてまったく自分で工面しなければならなかった。奨学金を貯めアルバイトで稼ぎ費用をひねり出していた。ところが私が教員となり、時代も遙かに下ってくるにつけ、大学院生に旅費を出す研究室も現れてきた。そのような使用が認められた寄付金でもない限り出来ないことである。ところが現実には大学院生に旅費を出す研究室が増えてきた。ではどこからお金をひねり出したかというと、これはもう豊かな想像力を働かせていただくしかない。しかし今や大学院生にも原則として旅費の支出が可能になっている。えらい様変わりであるが、ようやく研究の実態に即した予算の使い方に改められたことはご同慶の至りである。

このように社会の取り組みが前向きに進んできたのに反して、伝えられる限り阪大の今回の不正経理の手法があまりにも古典的なので、私はタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。今回の事件で阪大総長コメントが出ていて、次のような一節がある。

 不正使用防止につきましては、本学においても、これまで、研究費の管理・監査体制や関係制度の整備、教職員の行動規範の策定等、様々な取組みを推進してまいりましたが、それでもこのような事態が生じたことを重く受け止め、本学において、二度とこのような事態を引き起こさないという決意の下、今回の事案を踏まえての再発防止策をとりまとめ、その一部については既に実施しているところです。

この強調部分が実際に働いているのなら今回のような不正経理が起こりようがないはずである。しかし現実に起こった以上、この強調部分がただの飾り文句にすぎなかったのか、それとも具体的な取り組みが実効を発揮しえなかったのかということになるが、いずれにせよ不正経理が行われたという現実の前には、この強調部分が色あせてしまうことは事実であろう。新機軸の「不正経理手技」が持ち込まれたのならともかく、旧態依然の手法がそのまままかり通ったのであるから、大学側の管理体制がなっていなかったことになる。しかし考えてみれば、この大阪大学の「おおらかさ」こそ学術研究の場に相応しいもので、糾弾されるべきなのはあくまでも不正を働いた側である。このようなスキャンダルがあったからとて、不正経理防止を旗印に煩雑な事務手続きを増やすことになれば、角を矯めて牛を殺すことになりかねない。理性的な対処を期待したい。

不正経理の状況を朝日新聞は次のように報じている。

 研究費の不正使用が判明したのは、森本特任教授が昨年3月まで教授を務めていた環境医学講座の研究室。大阪大の調査委員会は2004年4月から6年2カ月分の資料を調べ、関係者に聞き取りをしてきた。

 その結果、研究員のカラ出張1328万円、森本特任教授のカラ出張362万円や海外出張で事前の届け出と違う413万円、さらに消耗品を買ったことにして実際はパソコンや家族へのブルーレイ・ディスクプレーヤーを買うなど架空伝票操作での物品購入1593万円、タクシー代335万円など不適切な使い方をした分も含め計4176万円を不正使用と認定した。この間に受けた研究費は計約2億2500万円。不正支出は森本特任教授の指示や認識のもとで行われたとした。

これだけ巨額の研究費補助を受けていながら、研究目的の達成に何が不足だったのだろう。あり得るはずがないと思うのに、約2億2500万円の研究費のうち、不正使用と認定されたのが4176万円とは多すぎる。しかしこの4176万円の具体的な使い道が詳細に示されていないので、なぜそこまでして「裏金」を作らなければならなかったのか、動機が見えてこない。ただ断言出来るのは、この研究室には「金余り現象」が発生していたということである。

かって私は最先端研究開発支援プログラムを凍結出来なかった民主党で次のような引用をしたことがある。これは最先端研究開発支援プログラム問題についての引用であるが、科研費一般を対象にしても言えることであると思う。民主党科学技術政策ワーキングチームの一員である参議院議員藤末健三氏が、研究者のなかから指摘された問題点を紹介したものである。

 採択プロジェクトが決定した後、本制度には直接関係がない私のところにも数多くの研究者や関係者から問題を指摘するメールが入りました。直接私の事務所まで来られた方も何人もいらっしゃいます。

 こうした話をまとめると、

(1)すでに十分な研究費をもった研究者に研究費が集中しすぎ。若手研究者に研究費を回すべき。著名な研究者に数十億円の研究費が集まると、その研究者に多くの若手研究者が集まらざるを得ず、若い研究者が新しいテーマに挑戦する機会を逆に奪ってしまう
(2)巨額の研究費の配分を決めるにしては審査手続きが不十分。実際、相当な労力を使い申請書を書いたのに数十分くらいの審査で終わった。審査委員が研究分野の専門家ではないことも問題。
(3)研究費が大きすぎて、研究費がずさんな使われ方をするのではないか。例えば、研究評価は総合科学技術会議が実施することになっているが、これでいいのか疑問。プロジェクトを選択した組織が、自分自身が選択したプロジェクトを失敗だと評価するはずがないの3点に問題点はまとめられるように思います。

研究費が一部の研究者へ集中することの弊害が、研究者自身によって的確に指摘されている。「金余り現象」を生み出す一部の研究者への研究費集中、これを排除するための方策を立てることが焦眉の急であろう。

それと同時に、すでに実施されているのかも知れないが、科学研究費すべてに亘って、未使用予算の返却を義務づける制度がなければならない。水増し予算が通って処理に困っては大変だし、上手に予算を使って余らせたとやりくりの才を誇る人が出てくるのもよい。世の中万事、計算通りにことが運ぶわけではない。ただ辻褄合わせで見かけを飾るのがほとんどであろう。そうではなく、必要なものならコンドームであれ得体の知れない本であれ、何でも買いこめばよいのである。

私はかって研究費でパンティストッキングを買えるようにのような記事を書いたことがあるので、コンドームぐらいで驚きはしない。誰も思いつかなかった発想こそ研究者の命である。取材記者が不審を抱いたのであれば、とことん経緯を追求した上で、たとえばコンドームがいかに無駄な出費であったのかを読者に納得させるぐらいの意気込みが欲しいものである。それが今回は見えてこなかった。もちろん研究者が購入物品がどこでどのように研究に使われたのか、当然説明と報告の義務があるが、そこまで調査がなされたのかどうかも分からない。

少し脱線を元に戻せば、大阪大学の調査結果(概要)で私が注目したのは「特任研究員等の給与の支給と一部戻し」の部分である。

(4)特任研究員等の給与の支給と一部戻し
○ 特任研究員が欠勤している期間について、970,427円の給与が支払われている。
○ 特任研究員等5人が、支払われた給与から少なくとも合計3,781,057円を研究室に戻している。

過去の産経新聞に次のような記事があった。

 大阪大学大学院医学系研究科・医学部の元教授(64)の研究室で、非常勤の研究員が毎月、大学から受け取った給与の約半額を“キックバック”の形で研究室内の事務担当者に返金するよう研究室側から指示され、その金は部外者に分からないようプールされていた疑いがあることが12日、産経新聞の取材で明らかになった。阪大は公金である研究員の給与が、返金させられた事態を重くみて、学内で調査委員会を立ち上げ本格調査に乗り出すとともに、文部科学省にも通報した。

 阪大や複数の関係者によると、要求されていたのは中国籍の30代男性。

 この男性は、独立行政法人「科学技術振興機構」(JST)から、この元教授の研究室が受託した研究に携わるため、平成20年5月から阪大と雇用契約を結び、「特任研究員」と呼ばれる非常勤の研究員として勤務していた。JSTは16~21年度の6年間、研究費として約5千数百万円を阪大に支給しており、阪大はこの中から研究員に給与を支払っていた。

 研究員の給与は原則的に時給制で、就業時間などの雇用条件は研究室で決定できるといい、男性は当初、毎月約10万円の給与を受け取っていた。

 ところが20年秋ごろ、研究室の会計担当者らから、「JSTの研究費が700万円余るので使い切りたい。手取り分として5万円を上乗せするから、振り込んだうち半分を返金してほしい」と持ちかけられ、了承した。

 翌月から約1年間、男性の銀行口座には毎月三十数万円が振り込まれるようになったが、男性は約半額の15万円程度を毎回引き出し、事務担当者に現金で手渡していた。事務担当者はこの金を研究室関係者の名義とみられる口座に入金していたという。キックバックの総額は200万円前後に上るとみられるという。

 男性は産経新聞の取材に「要求を断り切れなかった。働き続けたかったので、大学に通報もできなかった」と話している。

「キックバック」の実態についてことさら説明を付け加えるまでもなかろう。それにしても口入れ屋のピンハネまがいとはあまりにも古すぎる。これではまるでかっての政治家と変わりがないではないか。それよりも注目すべきなのは、この研究費の出所が独立行政法人「科学技術振興機構」(JST)になっていることなのである。文部科学省は広い意味の科学研究費を「日本学術振興会」と「科学技術振興機構」という二つの窓口を通じで研究者に研究費を配っている。文科省での日本学術振興会と科学技術振興機構の共存が基礎科学の発展を邪魔するで述べたが、この制度こそ《すでに十分な研究費をもった研究者に研究費が集中しすぎ》を生んでいるのであって、阪大のケースがそれに当たると言えよう。《すでに十分な研究費をもった研究者に研究費が集中しすぎ》を防ぐにはどうすればよいのか。具体策を作り上げていくのにぜひ考慮すべきなのは、この程度の仕事(研究)にどれぐらいお金がかかるのかを見抜く目の存在である。私は楽観的かも知れないが、ある程度の研究生活を経験している人なら、そのようなことは調べ上げる能力を確実に持っていると思う。そういう人たちをどんどん活用すればよいのである。

もう一つ気になったのが旅費がきわめて高額になっていることである。これも阪大の調査報告である。

(1)旅費
○ 森本教授について、平成16年度以降、3,626,310円のカラ出張等が認められる。
○ 研究室の助教等の名義の旅費について、平成16年度以降、13,288,670円のカラ出張等が認められる。
○ 森本教授の海外出張について、出張伺いと実際の出張の内容が不一致なものがあり、4,134,295円を返還する必要があると認められる。
○ 森本教授の海外出張における出張旅費の内453,690円については、森本教授の家族の旅費であると認められる。


「旅費」と名目がつくと阪大では無条件に支出が認められているようである。私の現役時代は確か旅費は総予算の何%以内と決められていたような気がするが、今やその制限がなくなったのだろうか。上記の産経新聞記事に次のような下りがある。

 元教授は産経新聞の取材に対し「私は教授なので出張が多くすべて担当制にしていた。担当者に責任を持ってやってもらっている」と釈明し、関与を否定している。

世間の人は「私は教授なので出張が多い」と聞けば、なるほど、外での用事が多くなるんだ、と納得するかも知れない。さらには大学に、研究室にほとんど居ない教授ほど偉い人と思うかも知れないが、それは本末転倒である。自分の主宰する研究室を留守がちにしてまで政府関係の各種委員会を始めとして、各種学会の会議や研究会等々に顔を出すのを生き甲斐のようにしているような教授は、実験一筋の科学者には、うさんくさくてまともには見えないのである。(私はプロフェッショナルな「科学管理職」が日本に確立していないものだから、古手の教授がその役割のある面を担わされているのが現実だと認識している。それが米国では科学者や研究者がそれまで属していた研究分野から転進して担うべき職務になっている。日本でもたとえば一定年齢以上の教授を「科学管理職兼教育者」と「研究者」に制度的に分離すれば、論文に名前だけを載せる教授は存在し得なくてってすっきりとする。)もちろん政府関係委員会の仕事などは頼まれてのことであろうが、それも人の頼みを断れないただの尻軽なお人好しに過ぎないと言ってしまえばそれまでのことである。研究現場にでんと構えてこそ研究者なのである。私がここまで言いきるのは、学部長の要職を務めながらも、時間が少しでもあれば寸暇を惜しんで自ら実験に没頭し、また教室員をつかまえては、口角泡を飛ばす議論に引きずり込むのを常としていた、ある医学部教授を長年身近に見てきたからなのである。

現に「私は教授なので出張が多くすべて担当制にしていた。担当者に責任を持ってやってもらっている」と言っていた元教授だからこそ、世間から糾弾されるような不祥事を引き起こしたとも言えよう。若い研究者の妥協しない眼差しが、こうした似非研究者をいたたまれなくさせるようになれば、日本の科学研究環境が大きく変わることは間違いない。

お断り(2月17日)
少々修正した上、舌足らずを補うために加筆した。




非正規教員 有期雇用 非常勤 雇い止め 何もしないというボランティア活動

2011-01-19 16:02:18 | 学問・教育・研究
昨日だったか一昨日だったか(がもう思い出せないが)、テレビの番組で大学の非正規教員の話を取り上げていた。「非正規教員」という言葉自体も恐らく私には聞き始めで、学生便覧などでは非常勤講師として紹介されるのであろうが、いくら社会的に通用しているとしても「非正規教員」とはおどろおどろしい言葉である。番組では3年の契約期限が切れようとしている京都精華大学の教員が紹介されていた。契約期限が切れて解雇されることを「雇い止め」ということも知った。この方の場合は3年契約だから、同じ「有期雇用」でも普通よく聞く「非常勤」の1年契約にくらべるとやや長期になるが、それでも不安定な雇用形態であることは間違い無い。

私が現役時代に経験した「非常勤」といえば本務の傍ら他大学や他学部で講義することで、年に一回、集中講義の形式で行うことが多く、「非常勤講師」の肩書きで大学職員録に記載されることもあった。また逆に専門分野の講義を大学と限らず、病院勤務の医師とか研究所勤務の研究者、さらには政府機関のたとえば厚生技官などに「非常勤講師」としてお願いするのが常であった。いずれにせよ「非常勤」とはいうものの本務があってのことだから、ここで問題になっているそれ自体が本務である「非常勤」とはまったく異なった性格のものであった。

教育職とは異なり事務職には以前からも「非常勤」があり、国立大学でも長年にわたる定員削減の影響でますます増加の傾向にり、不安定な雇用形態であることから実際に働く人にとっては大きな問題になっていた。同じような問題が「非正規教員」にもあることはかねてから耳にしていたが、その実態に触れたのは私が定年退職後に地元の私大で非常勤講師を務めた時である。この時の勤務形態は毎週決められた曜日・時限に年間を通じて講義することで、時間給に基づくものの月給として支払われていた。夏休みは講義がなくても月給が入ってきたのである。一学年の終わりが近づくと、契約更新について、「先生はもうされましたか」のようなやり取りが若い非常勤講師の間で交わされているのに気付いた。教務からお声がかからなかったら、それが「雇い止め」になるからである。傍から気軽に口出し出来る雰囲気ではなかった。

大学での教育への「非正規教員」の寄与が3割から4割になると番組では報じていた。教職を目指す大学院修了者が増えれば増えるほど人集めは楽になり、それが「非正規教員」の雇用環境を厳しくする。調べてみると分かることだろうが、私大のほとんどはこのような「非正規教員」があってこそ存続が可能になっているのではなかろうか。それぞれ大学が高邁な建学の精神を謳っているのであろうが、肝腎の教育を担う教員の処遇が「間に合わせ」では話にならない。基本的には全員「正規教員」であるべきだと私は思う。かっての国立大学がそうであったように。教育の質という面で考えると「非正規教員」が「正規教員」より劣っていることにはならないだろう。多くの場合、よりよい待遇を目指す「非正規教員」の方がより熱心に講義などに取り組むだろうと思われるからである。だから問われるべきは「非正規教員」の質よりは大学の経営方針ということになる。

大学が教師として定年退職者を採るかそれとも若い世代を採るのか、大学経営の観点からさまざまな得失が考えられるであろうが、一つはっきりしていることは定年退職者がその職に就くと、その分若者のポストが失われるということであろう。ノーベル賞を始めとして大きな賞の受賞者を定年後再び教授として迎えると、その大学の広告塔となるなど宣伝効果は一目瞭然であるが、これは別格としても確かに今の定年退職者は若い層よりもエネルギッシュで、彼らを押しのけてでも社会的に活動しようとすれば実力においても体力においても決して引けを取らないであろう。しかし、である。人口が減少し経済が縮小していくこれからの二十一世紀に、年配者の発想がこれまでと同じであってよいはずがなく、率先して発想の転換を計るべきなのである。自分の能力にいくら自信があるにせよ、大学の定年を終えたら後は若い世代に一切をすっぱり引き渡す潔さがきわめて大切で、それが若い世代に飛躍的な成長の場を与えることを認識すべきなのである。このような考えをこれまでも「総理大臣終えた後は政界引退を」 versus 「教授終えた後は・・・」など、折に触れて述べてきたが、その根底に私の次のような考えがある。

現役時代の研究システムを可能な限りそのまま定年後も維持したいというのは、考えようによれば節度なき人生態度である。定年は組織に属する人間にとっては避けられない運命である。いつかはその時が来るのが自明の理なのである。その間、全力投球して後に悔いを残さないようにする、それでいいではないか。

定年後まで若い世代と張り合い、ひいては彼らの職を奪うというような独りよがりを自覚出来るまで、人格を陶冶してはいかがだろう。考えようでは年配者が何もしないということこそ実に貴重なボランティア活動なのである。若い世代に存分に活躍出来る場を与えるからである。そういえば「無為にして化す」という老子の言葉を思い出したが、ここに持ち出すのは少々牽強付会だろうか。