日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「論文不正あった」解雇認める=筑波大元教授敗訴で思うこと

2010-04-21 10:22:42 | 学問・教育・研究
一昨日、①筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてへのアクセスが増えたのは時事ドットコムの次のニュースによるもののようである。

「論文不正あった」解雇認める=筑波大元教授敗訴-水戸地裁支部
 筑波大大学院の長照二元教授(56)が、研究論文の実験データ改ざんを理由に懲戒解雇されたのは無効として、同大などに地位確認と2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、水戸地裁土浦支部であった。犬飼真二裁判長は「恣意(しい)的なデータ解析などの不正行為を指導、実行した」と述べ、長元教授の請求を棄却した。
 犬飼裁判長は「懲戒解雇は学外の専門家を含む調査委員会で検討し、慎重に判断された」と指摘。解雇権の乱用には当たらないと判断した。(2010/04/19-17:33)

審議内容の詳細は分からないが、長照二さんの請求を棄却とは踏み込んだ判断が下されたように感じた。長さんの行為がすくなくとも科学的にまともでないとの判断を第三者が下した意義は大きい。「恣意(しい)的なデータ解析などの不正行為を指導、実行した」が具体的にどのことを指すのかは分からないが、長さんが問題となったPhysical Review Letters掲載論文の筆頭著者である責を負ったものといえよう。

①で述べたことであるが、『分野外の、しかしデータ解析を仕事の一部としてきた私』が、『実験の中身は分からないが、どのようなデータなら解析に値するかぐらいかの判断なら私にも出来そうだ』とこの論文のデータの一つに注目したのがこの問題への関わりの発端で、次のように意見を述べてきた。私なりの好奇心から出たことである。

これでは核融合研究より農業再生を
「豆まきデータ」と揶揄した債務者とは私のこと?
秋の珍事? 報道特集NEXT「大学教授はなぜ解雇された」の波紋

私が問題としたのは②で述べた次の一点に尽きる。

要するに解析に値しないデータをいくらいじり廻してもそんなものは無意味であると言っているのである。ここで私のいう「豆まき」データをもう一度筑波大学が公開した資料2説明資料からここに引用しておく。



よく目をこらすとこの点の分布が来年の干支のうしのようにも見える。左側が頭で角もあるようだ。人によってかたつむりに見えたとしても何の不思議もない。無限の想像力がかき立てられる。「豆まき」データとはそのような状態のもので、いわば水晶の玉の中に煙がもうろうと立ちこめているようなものである。練達の占い師ならこの先に待ち受けている素晴らしい人生をこれで予言してくれるかもしれないが、この「豆まき」データを科学的解析の対象にしたこと自体私には「驚き桃の木山椒の木」なのである。

専門家の間では解析法を問題にしていたようであるが、データそのものが科学的解析の対象となりうるものではないことを強調したのである。

私は当初、このような杜撰なデータをなぜPhysical Review Lettersの査読者が見逃したのかが不審であったが、この論文そのものを目にして謎が解けた。査読者が生の「豆まきデータ」を目にはしていなかったのである。筑波大学が公開した資料2説明資料にのみに「豆まきデータ」から論文に掲載された図が導かれる経緯が出ていたのである。これでは査読者が不審を抱きようがない。

実はこの記事を書くに先立って、④の報道特集の映像がYoutubeで公開されていることを知ったのでそれを見てみた。長さんの言い分を全面に後押しせんばかりの一方的な報道姿勢で、科学のゆがめられたワイドショー化の現状がよく分かる映像である。そのなかで長さんを支持する世界の名だたる?核融合研究者の長さんに好意的なコメントばかりが紹介されていたが、私ならその一人ひとりに「豆まきデータ」を直接示して、あなたならこのデータをどのように扱いますか、と問いただす。彼らがほんとうに世界の名だたる核融合研究者であるなら、言葉を詰まらせるはずだ。それでも長さんを全面的に支持するとの返答が戻ってきたら、私は②で述べた次の思いをますます深めるだけである。

ひょっとして核融合研究なるものはある種の「ぺてん」かも、というとんでもない疑惑を抱くようになったのである。

それにしても長さんのグループは長年にわたって私のいう「豆まきデータ」をグループ内でルーティン化された手法で論文にのっけるきれいな図に仕上げていたのではなかろうか。そう考えると私が①で述べた次の強調部分が素直に理解できる。

件の論文には筆頭著者の教授以下全員27名の著者が名前を連ねているが、データ改ざんに関与しているとされたのは筆頭著者の教授と共同研究者のうちの大学講師3人の計4人である。一応専門家集団と呼ぶことにするが、この4人の間ではルーチン化していたデータ解析の手法が大学院生にはどうも異様に映ったようである。すなわち専門家集団では日常化していて当たり前のやり方が大学院生に「ノー」と言われたのである。ここで注目すべきなのは、もしこの専門家集団に不正を働いているとの意識があれば、その手口をわざわざ大学院生に指導と称して教え込むだろうか、ということである。その後の研究公正委員会調査委員会の調査で「改ざん」と断定されたデータ解析手法が、専門家集団の常識であったのだとすると、同じく東京新聞の記事《一方、教授らは改ざんの事実を認めていないという。》こととは矛盾しない。これがまず気になったことである。(強調は私)

ここで浮かび上がるのは、少なくともこの専門家集団は実験データの収集からその解析に至るまで、科学的に間違ったことをしているとの意識がなかったということである。それでいて科学研究のためにと言い張って国から研究費を引きずり出していたのなら、これは国を、そして国民を偽るようなものではないか。裁判所の判決にこのようなことまで考えてしまった。