日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

速水淳子さんの提言「能を授業に取り入れよう」に大賛成

2010-04-17 11:16:43 | 学問・教育・研究
今日の朝日朝刊「私の視点」に高校教員の速水淳子さんが「能を授業に取り入れよう」との意見を寄せられていた。速水さんのかっての教え子が能楽師であることを知り、高校の国語の授業で教えて貰ったそうである。

生徒にまずは目の前で能楽師の声の迫力を体感させる。圧倒された生徒もおうむ返しで口まねをしているうちに、能楽師に声の力に引っ張られてどんどんと声が開かれている、という体験から話をすすめ、次のように要点を主張されている。


私もまったく同意見である。「若者が力強い豊かな声で日本語を話すこと、それが若い人たちの幸せにつながると信じている」の「若者」を「日本人」と置き換えてもよい。とくに最近、政治家の空虚な力のない言葉ばかりを耳にしているものだから、この思いが一層深まる。

若い頃から嗜んでいた父の謡曲が私たち兄弟の子守歌だったそうで、それこそ小さい頃から父の口まねをしていた覚えがある。どういう物語か折に触れて父が語ってくれたことが、私の歴史好きを掻きたててくれたようなものである。大学に入って本格的に習い始めたが、残念ながら長続きしなかった。私が忙しすぎた?のである。父の謡曲を日ごろ耳にしてきた妻は私がちゃんと習っていたらよかったのに、と今でも時々託つ。

狂言の「附子(ぶす)」を授業で習った記憶がある。主人がこれは附子といって、そちらから吹いてくる風に当たっただけでやられてしまう毒だと脅かして秘蔵している砂糖を、その留守中に太郎冠者と次郎冠者が二人で食べてしまい主人を怒らせる話である。最後に何やかやと言い抜けて逃げ出す二人を主人が「やるまいぞやるまいぞ」と追いかけていくが、その口調が面白くて仲間同士で「やるまいぞやるまいぞ」といいながら追っかけごっこをした覚えがある。

つい最近もお久しぶり 竹本住大夫さんで、「お腹がすいてもひもじうない」といういつの間にか私のなかに住み着いたこのせりふと記したが、これは元来が浄瑠璃・歌舞伎でのせりふである。古典に小さい頃から触れていることが日本人としての存在を自然と自覚することにもなる。この速水さんの提言の趣旨はきわめて明快で現実的である。まずは地方自治体の教育委員会が先頭に立てば直ぐにでも実現することであろう。関係者の真剣な取り組みを期待したい。