日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

なに事も古き世のみぞしたはしき 一弦琴「土佐海」

2010-04-13 18:48:42 | 一弦琴
なに事も、古き世のみぞしたはしき。今様は無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

「徒然草」の第二十二段の冒頭である。西洋流にいえば、古代ギリシャ・ローマの作品を規範として、それにあくまでも近づくことによって自分の作品をよくするとの考えに通じるのであろうが、これこそ古典主義である。兼好にとっては平安時代が規範であった。この古典主義への反発からロマン主義が生まれたのであろうが、いずれも人の鑑賞に耐えうるものを造り出そうとする前向きの姿勢では共通のものがあるように思う。

その古典主義を新しい視点でとらえたT.S.エリオット ―二十世紀の新しい詩を打ちたてたといわれる― の意見が実によい。

「現在は過去を自身の中に生かすとき、はじめて真の現在でありうるし、過去は現在意識でとらえられるとき、はじめて過去そのものでありうる。それが伝統(tradition)の意味だ」

これはいずれ明かすがある種本からの引用で、私はこの卓見にひれ伏すばかりである。そして、一弦琴の演奏も同じだな、と直感したものだから、その思いでふたたび一弦琴「土佐海」を演奏した。考える私が演奏から姿を消してしまったとき、伝統が真に甦るのであろう。