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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

車谷長吉著「世界一周恐怖航海記」を読んだばかりに

2010-04-23 14:28:24 | 読書

船に心惹かれる私ゆえ、表紙を見ただけで買ってしまった。「恐怖」も面白そうだし。

知らなかったがこの著者は直木賞作家なのである。そういえば受賞作「赤目四十八滝心中未遂」のタイトルはどこかで目にしたように思うが、これまでこの作者の作品は一つも読んでいない。ご縁がなかったのだろう。ところがこの航海記、風変わりで読み始めたら面白い。この作家がそうなのか、書いていることがそうなのか、要するにはちゃめちゃなのである。だから一気に読み上げた。

「嫁はん」の高橋順子さん、詩人の新藤涼子さんを引き連れて?三万一千五百トンのトパーズ号で横浜港を出港し、100日間世界一周航海に出かけて戻ってくるまでの話であるが、まずこの夫婦が変わっている。

新婚旅行の帰りに嫁はんに「東京へ帰ったら、本郷に家を買ってね」と言われたからといって、5年はかかったものの家を買ってしまう。すると今度は「いずれ船で世界一周旅行に連れて行ってね」と言われて乗り出したのがこの航海なのである。この浮世離れぶりにふと鳩山由紀夫さんを連想する。さらにふつうの大人なら隠しておくのが当たり前のような、いわゆる私生活の中身をあれこれとさらけ出してくるので、横浜に戻ってくるまでにこの二人がどのような夫婦なのか、自然と分かってしまった。

 順子さんは、洗面所の洗面台でパンティ、ブラジャー、靴下をいっしょに洗っている。(中略)
 ゆうべ、順子さんが洗っていたパンティ、ブラジャーが、シャワー室の天上に吊してある。嫁はんは「いまが極楽。」なのだそうである。

その順子さん、

 晩飯に鮪丼の二段重ねを喰い、興奮して、ベッドの上で脚をばたばたさせている。いますぐにもまぐわいをして欲しい、という所作。

船で世界一周とはなんと優雅なことと思っている読者には、まあその通りなんであろうがこれは、これはなのである。でもこれは序の口で、私ですら紹介するのを躊躇するような話ばかりなので、つい引用が限られてくる。

順子さんに躯を拭いてもらうとか足を洗ってもらう、とは随所に出てくる。車谷さんは風呂嫌いで臭くなるものだから順子さんが耐えかねての自衛手段のようである。それだけではない、

 昼食、帆立クリーム・コロッケ。午後、雨。朝から便秘。ところが突然、下痢。ズボンの中で出してしまう。汚れた下着を、順子さんが洗って下さる。

こういう所にしか目の行かない私も私であるが、作家のこの幼児性がなんとなく可愛い。順子さんにしたらそこがたまらなく愛おしいのだろうな、と想像するが、なんとこのお二人、並みのお人ではない。順子さんが詩人であることは分かってきたが、その順子さんがかっては東京大学女子寮にいたとか話がでてきて、東大出であることが分かる。また車谷さんも、私が慶應義塾独文科にいた頃は、主任教授は相良守峯氏であったと話に出てくるので、こちらも慶応出なのである。二人ともれっきとした高等遊民、しかし俗物であることも隠さない。とくに車谷さんは芥川賞、直木賞が死ぬほど欲しかったようである。その執念が実り、直木賞に加えて三島由紀夫賞、芸術選奨文部大臣新人賞、平林たい子文学賞、川端康成文学賞などで、その身を北朝鮮の将軍の軍服を覆い隠すワッペンよろしく飾り立てている。

この周航三人組、とくに車谷さん夫婦の有り様に興味を引かれて本を読み進んだものだから、肝腎の紀行の内容はほとんど頭に残っていない。それよりも車谷さんが今時珍しい私小説作家であることが分かってきて、まともな?作品に目を通してみたくなった。そこで昨日外出ついでに近くの本屋で買ったのが「飆風(ひょうふう)」(文春文庫)である。数編収められているが、確かに私小説。それもゴシップ大好きの私を満足させる質の高い話を出し惜しみしないのがよい。

車谷さんが心臓発作に襲われて日本医科大学付属病院高度救命救急センターにタクシーで赴いた時の話である。

 一週間の全身検査の結果、私の心臓の差し込みは、心臓の臓器そのものに障碍のある内因性の痛みではなく、さまざまな内力(ストレス)による心因性のものだという診断が下された。医者の話では、あなたは文章を書く人です、しかもあなたの小説を読んで見たら、読む人が読むだけで自分が人間であることが厭になるような内容です、そんなものをあなたは書いているのだから、心臓に差し込みが来る内力が溜まるのは当然でしょう。(「飆風」)

なぜそこまでやるのかがここに収められている「私の小説論」に出てくるが、私に言わせると私小説作家が「小説論」を発表すること自体、言い訳がましくて見苦しい。そう思ってみると、この作家、なんとなく中途半端でもある。過去三度の姦通事件が「赤目四十八滝心中未遂」の下地になり、女を「芸のこやし」にしたことが心の「棘」となったともっともらしく書いているが、戦前、姦通罪があった頃の北原白秋に比べると底が浅く感じてしまう。「もっとどでかいことをさらせ」とハッパをかけたくなるが、そうは言いながらも他の作品を読んでみたくなるのが不思議である。「読む人が読むだけで自分が人間であることが厭になる」ことをもっと経験したがっているのだろうか。これが「世界一周恐怖航海記」に隠された「恐怖」なのかも知れない。だからこそ、これまで車谷長吉を知らなかった人、とくに前途遼遠の若い方は「世界一周恐怖航海記」から遠ざかった方が無難である。

それにしても「世界一周恐怖航海記」の印税でその費用が賄えただろうと思うと、羨ましくなる。私小説作家ならたとえ後書きにでもその内訳を書き残すべきである。


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