日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

山田一紫(Isshi Yamada)さんのCD

2010-04-12 13:02:32 | 一弦琴
山田一紫(Isshi Yamada)さんの一弦琴で述べていたように、アマゾンに注文していた一紫さんのCDが届いた。


ケースの左側に「Smithsonian Folkways Archival」とあるのは、「Music of the People, By the People, For the People」を標榜する非営利団体「Smithsonian Folkways Archival」が、世界中から収集した民族音楽などのなかから求めに応じて複製したことを示すもので、このCDは「Smithsonian Folkways Recordings」のラベルで発売されている。

収められている曲は山田一紫(Isshi Yamada)さんの一弦琴で紹介した5曲のみで、もしかしてと期待した「夜開花」はやはりなかった。その代わりというか、解説書がpdfファイルとして収められていた。「Smithsonian Folkways」のホームページからもダウンロードできるので、関心をお持ちの方にはどうか御覧あれ。

解説者はJames Yamadaさん、一紫さんのお連れあいだろうか。これによると一紫さんは6歳から長唄を習い始められたとのこと、そして長唄以外に河東節、荻江節でもそれぞれ芸名をお持ちだったそうである。私の目をひいたのは、九代目海老蔵が十一代目團十郎を襲名したさいに演じた歌舞伎十八番の一つ「助六」に同じ舞台に上がったということである。「助六」には河東節がふんだんに出てくるが、一紫さんがその河東節を指導してみずからも演じたとのことである。「助六所縁江戸桜」は河東の「助六」か、「助六」の河東かといわれるくらい河東節の代表となっているとのことであるが、面白いのはこの河東節を専門にする人が昔も今もきわめて少ないために、内緒裕福な旦那衆をはじめとする愛好会に属する素人が語りを務めていたといわれるので、一紫さんにもそのような形でお声がかかったのだろうか。素人といっても歌舞伎十八番の舞台に上がるくらいだから、腕前は玄人はだしであったのだろう。そういう豊かな素地をお持ちの一紫さんだからこそであろう、1958年に一弦琴を始めて早くも5年後の1963年に一紫の名を師匠の山城一水さんから頂いておられる。その演奏がこういう形で残されていることが実に有難く嬉しく思う。





井上ひさしさんが亡くなった

2010-04-11 18:56:10 | Weblog
井上ひさしさんが体調を崩して療養中という記事を昨年の暮れ辺りに目にして気がかりを覚えたが、この9日、肺がんのために死去されたとのことである。

井上さんの作品を以前にドイツ語の歌「Die Beiden Grenadiere] ドイツ語の詩「ダス トモネ」で取り上げたことがある。といっても小説「吉里吉里人」に出てくるドイツ語?の詩にまつわる話で、まともに小説を論じたわけではない。私に思いで深い作品は伊能忠敬を主人公にした歴史小説「四千万歩の男」で、活字の量の大きさに圧倒されると同時にエネルギーを分けて貰ったような気がしたものである。

朝日新聞の記事に次のようなくだりがあった。

 膨大な資料を渉猟後、ユニークな発想で創作するために筆が遅く、「遅筆堂」を自認。戯曲が完成せず公演の開幕が遅れることもたびたびあった。87年、故郷の川西町に蔵書を寄贈して「遅筆堂文庫」が設立された。

私も仕事の上では札付きの遅筆で、論文から報告書、手紙に至るまで、もろもろの文書がなかなか出来上がらずにいろいろと迷惑をかけてきたが、井上さんの遅筆ほどは迷惑をかけていないだろう、とわざわざ井上さんと比べて心の中で言い訳をすることがままあった。独りよがりの変な仲間意識であったが、それよりも井上さんがが昭和9(1934)年生まれ、それも誕生日がかなり近いことを知ったときに親近感が一挙に高まったものである。

昭和9(1934)年生まれ(早生まれは別として)は全員が小学校に入学をしたこともなく、もちろん卒業したこともないという歴史的にもきわめて特異な世代なのである。昭和16(1941)年4月1日からそれまでの尋常小学校が国民学校となり、われわれは国民学校入学第一期生となった。同年12月8日に大東亜戦争が勃発し、国民学校5年生であった昭和20年8月15日に敗戦となった。昭和22(1947)年3月に国民学校を卒業すると、4月1日からは国民学校が再び小学校に戻ったのである。そのようなユニークな体験を経たわれわれの心情について、つい最近も「サンデープロジェクト」の田原総一郎さん お疲れ様でしたで述べたばかりであるので、ここでは繰り返さない。井上ひさしさんには「東京セブンローズ」という作品があって、戦時下と敗戦後の庶民の生活がまさに精緻に活写されている。このような生活をわたしたちが共有していたので、精神的連帯感をとくに強く感じるのは私だけではあるまいと思う。


井上さんの最後を時事ドットコムは次のように伝える。

 井上さんは昨年10月に肺がんが見つかって以来、抗がん剤投与を受けながら次の作品の執筆を準備していた。体力が落ち、呼吸がつらそうだったという。3月半ばに入院、9日朝にいったん帰宅したが、同日夕に容体が急変。「自宅に戻って安心したのか、うとうとしているような感じで、眠るような最期だった」。

手術ではなく抗がん剤というのが井上さんの潔い選択であったのだろう。あの激動の時代をよくぞこの歳まで生きてきたという、ある意味での満足感があってのことではなかろうか。しかし残されたものとして、強い連帯感に繋がれた仲間が一人ひとりとこの世から姿を消していくことにえもいわれぬ寂しさを覚える。


iPhone 3GS ロングマン英和辞典 IKEA-KOBE

2010-04-10 20:59:42 | Weblog
「ミレニアム」第二作、Stieg Larssonの「The Girl Who Played with Fire」も300ページを超えるところまで読み進み、いよいよ佳境にさしかかった。以前にも書いたがiPhoneのApp Storeで購入した「ロングマン英和辞典」をとても重宝している。この時には触れなかったがとくに便利なのが「履歴」という機能で、索引した単語が時間順をさかのぼってちゃんと記録されている。今それを引き出すと次のような言葉がずらずらと出てくる。

nutty
punter
has-been
churn
circumspection
sociopath
sourpuss
lurch

そしておのおのの単語にタッチすると

(頭の)いかれた
賭け事をする人
落ち目の人:
動き出す
慎重さ、用心深さ
社会病質者
気難しい人、ひねくれ者
(乗り物が)急に揺れる

と日本語(ここでは代表例のみ)が出てくる。私にはあまり馴染みのない言葉だからこそ辞書を引く。馴染みが無いから忘れやすいが、それでも次ぎに同じ単語が出てくると、これは前に出てきたな、ということぐらいはまだ判別できるので、この「履歴」を利用して直ちにその意味を再確認出来るのである。いわば英語を習い始めの頃に作ったカード式の単語帳のようなもので、繰り返していると自ずと覚えるだろうが、忘れたら忘れたでそれもよい。試験があるわけでもなし、と気楽に構えているのがよいと見えて、結構新しい単語を覚えていく。

昨日は妻のアッシー君でIKEAまで出かけた。この本の中でもIKEAが登場する。著者がスウェーデン人で小説の舞台もスウェーデン。IKEAはもともとスウェーデン発祥の大型家具店だから女主人公が新しい住居に移り、家具にインテリア一式をIKEA買いそろえるのもなんとなく身近に感じる。私はとくに用がないのでレストランのテーブルに陣取ってこの本を読み、時間つぶしをすることにした。週日のこととあってお昼の食事時間でも空席が沢山ある。そこで遠慮なしにテーブル一つを独占してのんびりと読書を楽しんだ。


iPhoneをいじくっていて気がついたのであるが、ここではWi-Fiの無料サービスをしていてインターネットを自由に使える。これは有難い。毎日99ブレックファースト・サービスを利用して、朝からゆっくりと腰を据えることが出来る。周りには赤ん坊や小さな子どもを連れた若いお母さんたちが多くて、生態を観察するのも楽しい。日中、ペーパーバックスを手にしたロマンスグレーの品のよい老人をIKEAのレストランで見かけたら、それは間違い無く私であるのでどうか声をかけて頂きたい。

もう一つの毒ぶどう酒事件 新しい技術導入もいいけれど・・・

2010-04-09 10:41:40 | Weblog
一昨日も名張毒ぶどう酒事件の記事を書いていて、日本の警察は犯罪捜査というのか、物証の鑑定や検査に新しい技術を取り入れるのがけっこう早いなと思った。和歌山毒物カレー事件では砒素の分析にSPring8で蛍光X線分析法を用いたこと、足利事件でのDNA鑑定、それにぶどう酒事件でのペーパー分配クロマトグラフィーのことが頭にあったからである。新しい技術にチャレンジすることには異存はないが、一昨日も書いたように、高校生が文化祭のデモンストレーションに科学の先端技術とばかりにペーパークロマトグラフィーを取りあげるのならともかく、黎明期の技術を犯罪捜査での鑑定に使うとはこれまた大胆だなとも感じた。捜査・裁判の関係者が新技術の効用と問題点を心がけておれば、自ずと鑑定結果の信憑性について正当な判断が下されるだろうが、現実はそうではなさそうだから気になってくる。

日本人にはデータ偏愛という国民性があるのではなかろうか。たとえば健康診断で検査結果のいろんな数値をお互いが得々と吹聴し合う光景を思い浮かべればよい。データ、すなわち器械、装置の出してくれる数値が日本人は大好きなのである。理科に弱くても、数値を口にしていると頭のよい?理系人間になったような気がするのかもしれない。これがおっちゃんおばちゃんのすることならお好きなように、で済ませられるが、医者まで検査値頼みになってしまうとことである。あれやこれや思いつく限りの検査を費用を厭わず患者に受けさせて、患者を直接診るより検査データ頼みで診断を下されたのではたまったものではない。検査データがわけの分からない患者を増やしていくことになる。

同じようなことが容疑者を取り調べる警察・検察についても言えるのではなかろうか。犯罪捜査に携わる警察官や検察官にまず理系人間がほとんどいないだろう。その昔、私が卒業実験を指導した女子学生が警察官になったことがあった。国立大学理学部生物学科卒料の女子学生が警察官になったということで、科学捜査に大いに実力を発揮して貰いたいとの警察幹部のコメント付きで、新聞が大きく書き立てたことがあった。よほど珍しかったのに違いない。ただでさえ理科離れが進んでいるという昨今、警察官・検察官になるためにわざわざ理系を選ぶ学生がいるとは思えない。となると被疑者を取り調べる警察官・検察官はその他大勢と同じで、目の前にある科学的鑑定・検査結果にひれ伏し、下手すると自らの職業的勘を他所に追いやってでも、これのみを拠り所にして被疑者に有罪を認めさせることに躍起になる情況を私は想像してしまう。科学的鑑定・検査結果のみが一人歩きして、かえって無辜の犯罪者を生み出すことになってはおおごとである。

「シャーロック・ホームズの科学捜査を読む-ヴィクトリア時代の法科学百科」という本が出ている。私はまだ目を通していないが、SPring-8も、DNA鑑定もペーパークロマトグラフィーも無い時代に行われていた法医学や指紋、血痕、毒物、変装、弾道学など科学捜査の手法が紹介されているとのことである。IT関連犯罪ならともかく、19世紀から21世紀に移ったからとて、殺人のやりかたががらりと変わったなんてあり得ない。それなら少なくとも殺人に関してはシャーロック・ホームズのやり方で、同じように犯人を挙げられるのではなかろうか。それとも19世紀から比べて最新の科学捜査手法が取り入れられた現在の検挙率が格段に高くなっているのだろうか。それこそデータがあれば見たいものである。シャーロック・ホームズの時代に戻れとまでは言わないが、最新技術による鑑定・検査結果に幻惑されることなく、何事も合理的に判断するという犯罪捜査の初心を失って欲しくないものである。

新技術偏重を逆手にとって新しい犯罪をもくろむ悪者が現れたとしても不思議ではない。以下フィクションであるが、毒物を分析する素晴らしい技術が生まれて、その分析結果のみに関係者が気がとられるとこういうことが起こりかねない。

実際にぶどう酒に混ぜるA社製農薬はこっそりと手に入れ、使った後の処分も完全に見つからないように行う。一方、わざと人目に触れるようにB社製の農薬を堂々とどこかで購入する。同じ農薬でも製造会社が違うと主成分は同じでもほかの成分が微妙に違うことぐらいは常識であることを前提にしている。殺人に使われたのはA社製農薬であるが、B社製農薬を手元に置いておき、犯人かと疑われたときにわざと見つかるように仕向ける。昔なら毒薬が見つかったことだけで犯人扱いが間違いなしであろうが、今は違う。警察がちゃんと最新技術を使ってぶどう酒に残っていた毒物と、発見された毒物の同一性を調べてくれるのである。そして犯人が期待したようにぶどう酒に混ざっていた農薬とB社製農薬が最新技術による分析の結果、明らかに異なるものであるとの鑑定結果が出された。容疑はこれで晴れて無罪放免になる。完全犯罪である。シャーロック・ホームズなら、いや刑事コロンボでもこれぐらいのトリックは容易に見破るだろうと私は期待するが、なまじっか最新技術に振り回される今の日本の警察ではどうなんだろと不安な気が残る。


名張毒ぶどう酒事件と農薬鑑定に使われたペーパー分配クロマトグラフィー

2010-04-07 14:20:07 | 学問・教育・研究

今日の朝日朝刊第一面の見出しである。そういえば昔そんな事件があったな、という程度の認識であるが、第三面にも関連記事が出ており、この事件でもブドウ酒に混入したとされる農薬の鑑定結果を巡り問題点のあることが指摘されている。ところがこの朝日の記事ではその問題点がもうひとつはっきりと浮かび上がってこない。


「名張毒ブドウ酒事件の毒物をめぐる鑑定の情況」として問題となる鑑定結果が図示されている。②が『犯行現場に残されたブドウ酒(鑑定は事件の2日後)』で①が『「ニッカリンT」を入れたばかりのブドウ酒(事件時を想定)』である。記事ではさらに『1961年の捜査側鑑定では、ブドウ酒に農薬「ニッカリンT」を混ぜて再現したもの』とあるが、この農薬「ニッカリンT」の出所がこれでは分からない。いずれにせよ、両者が見かけ上異なるものであることはこの図で分かる。ところがこのように見かけ上、明らかに異なる結果が得られたにもかかわらず、検察側は両者は同じ物質であるが、実験条件によりあたかも異なるもののように現れた、と主張したようである。

このように朝日の記事を読んだだけでは、①と②が仮に同じ農薬に由来するとして、なぜそれが奥西勝さんの犯罪行為の実証になるのかが分からない。その点、夕べのNHKニュースでは、①の農薬が奥西さんの家から発見されたと言っていた(所持していた?)ようなので、この前提があって農薬の同定が重要な意味を持つことが分かる。さらに朝日は農薬の分析手段については触れていないが、NHKニュースではペーパークロマトグラフィーと伝えていた。調べてみると名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会に、三重県衛生研究所が行ったとされるペーパークロマトグラフィーの検査結果を掲載している。どのような情況でなされたのかは分からないが、少なくとも捜査当局側が行ったのではないように思われる。この図の(1)(2)が朝日図解の②と①に対応すると見てよいだろう。


ところでペーパークロマトグラフィーは正しくはペーパー分配クロマトグラフィーと呼ばれるが、濾(ロ)紙を用いた分配クロマトグラフィーで、やり方としては短冊状の濾紙の一端近くに試料溶液をスポット状もしくは線状につけ、密閉容器内で濾紙を上から吊して試料側の下端を適当な展開液に浸す。すると毛管現象の原理で展開液が上昇していき、試料が複数成分の場合、試料も溶液とともに上昇するが、それぞれの物理化学的性質に応じて分離するものは分離していく。溶液の先端が濾紙の上端に近づいたところで展開を止め、適当な手段でそれぞれの成分を検出して原点と先端の間隔100に対してどの位置に出るかで成分の同定をする。

奥西さんが所有していたとされる農薬と『犯行現場に残されたブドウ酒(鑑定は事件の2日後)』に含まれていた農薬が図解のように異なったクロマトグラム(クロマトグラフィーの結果、濾紙上に現れた一連の着色スポットのこと)を与えるのであれば、明らかに両者は異なると言える。同じ筈であったものが異なったクロマトグラムを与えたというのであれば、科学的にその違いを説明できなければならず、説明できないのであれば同一との主張に科学的根拠がないことになる。形勢としては同一との主張の根拠が薄弱のように私には思われるが、差し戻し審での審議を注目したいと思う。願わくば科学的な素養にも富む裁判官の審議を期待したい。

ところでこのペーパー分配クロマトグラフィーという分析手段を私もかった用いたことがある。膜蛋白と水溶性蛋白が複合体を作ることを証明するためにこの手段を導入したのである。それもこのと起こりは高校のクラブ活動で化学研究部に入っていて、文化祭でのデモンストレーションにようやく日本でも注目されるようになったこの手法を取り入れて、色素の分離に用いたことにあった。濾紙一枚あれば出来たのである。その直後だったか、「分配クロマトグラフィーの開発と物質の分離、分析への応用」でJ.P.MartinとR.L.M.Syngeが1952年のノーベル化学賞を受賞したのである。高校時代に経験したその手法をタンパク分子同士の相互作用の分析に導入したものだから、その当時、世界で最初の適用例と自負したものであった。この実験結果などを論文にまとめて学会英文誌に投稿したのが1961年11月27日。名張毒ぶどう酒事件が発生したのが1961年3月28日というから、多分ほぼ同じ頃に警察と私がペーパー分配クロマトグラフィーに取り組んでいたのであろう。不思議な因縁話である。ちなみに、この論文は私がはじめて筆頭著者となったもので、大学院博士課程在学中であった。ごそごそと探したらその論文が出てきたので、そのクロマトグラムをご覧に入れることにする。





「若い研究者にチャンスを与えよ」は「正論」ではあるが・・・

2010-04-05 13:00:44 | 学問・教育・研究
iPhone 3GSで産経新聞をただ読みは今も続いている。この新聞、反民主党政権色がかなり強いような気がしたが、その印象は間違っていなかったようである。では自民党を支持するのか、といえばそのような感じもしない。しかし今週、平沼赳夫氏と与謝野馨氏が新党を立ち上げることになり、その応援団を自認する石原慎太郎都知事の「日本よ 日本は、立ち上がれるか」という記事を今日の朝刊第一面から二面にわたって掲載するぐらいだから、平沼・与謝野新党支持を打ち出すのかもしれない。海のものとも山のものとも分からないこの新党を、政権の座にまで引っ張り上げるチャンスが肩入れ次第ではあり得ると産経が踏ん切ったら面白いな、と思ったりする。

石原氏の記事と同じく私の注目したのが「正論」として掲載された国際日本文化研究センター所長・猪木武徳氏の「若い研究者にチャンスを与えよ」という主張である。一部(というよりほとんどか)を抜粋する。

 しかし時は経つものだ。最近は、自分がそうした集まりで、一番の年寄りになっているのに驚くことが多い。と同時に、自分は若い人の成長の機会を奪って邪魔をしているだけではないかと自省することがある。若い人達が、実地経験のチャンスを与えられず、力を発揮できないケースが、日本で目に付くようになったからだ。

 例えばオリンピックでも、「何回目の出場」が強調されると、本当に褒められるべきなのか複雑な気分になる。決められた出場枠では、若い人が本番を経験する機会が奪われることになるからだ。

 この点、学術の世界では米国と日本は対照的だ。例えば研究助成金の配分について、アメリカ国立科学財団(NSF)のグラント(補助金)と日本の文科省科学研究費助成金を比べると、その力点の違いがわかる。

 NSFのグラントは、科学、工学、社会科学をカバーする、年間60億ドル(約6千億円)という膨大な額の研究費である(医学系統は別枠)。額の大きさもたいしたものだが、その配分方法に、若手研究者を育てようという強い意識が読み取れる。

 博士号を取得した若手研究者は、米国では多くの場合、主任研究員(PI)のグラントで助成される。一人前の独立した研究者として、かなり大きな研究プロジェクトの助成対象者となるのである。ボス教授の研究テーマの研究費を一部「頂戴(ちょうだい)する」というような形は主流ではない。(中略)

 若手を何とか経済的に、そして人格面でも独立させようというスタイルが、米国では「大学院教育への意欲」ともうまく結びついている。将来性のある学生を見つけ出し、自分の(研究テーマではなく)研究分野に引き込み、力を発揮させると、自分の研究テーマの質自体も高まるということを先生は知っているのだ。

 米国方式が、優れた独立心の強い若手研究者を生みだし、科学研究を促進させる力があることは疑い得ない。米国の優れた若い研究者は自分の責任のもとでの、成功と失敗のチャンスを与えられているのである。

 日本の偉い学者のなかには、自分の方法がベストだと過信し、若い人にそれを「押し付け」ようとするケースが目立つといわれる。行き過ぎた「徒弟制度」は学問の進歩を阻害する。すべての学問知が、その時、その時代、という相対性を持っている以上、若い研究者に自分の研究テーマや方法を「押し付け」てはならない。

 既存の知識の教育は徒弟制度で体系的に行える部分が多い。しかし新たな概念や思考を生み出すための教育、人間や社会の問題を解決しようとする力を養う教育は、年長者が「押し付ける」ことでは成功しない。(中略)

 科学の世界では、年長者の下で既存知識の「系」をほじくるだけでは革新は起こらない。人間を対象とする学問や社会を改良するための学問にも、結論だけを「押し付け」ることなく、人間の批判精神を高め、解決を求める意欲と粘り強さを養うことが重要なのだ。

 一部の日本の教育現場にまだ残存する政治イデオロギー、既存の知識の詰め込み、年長者支配といった旧体制を少しでも和らげることこそ、若者に機会を与え、その力を引き出すために必要な第一歩なのだ。(強調は私)

理科系の私がまったくその通り、と共感する主張が、文科系の方からも出されているのが新鮮に感じる。ただ編集部のつけたタイトルかもしれないが、「若い研究者にチャンスを与えよ」という年長者的物言いが引っかかる。自戒をこめて年長者仲間に呼びかけているのだろうか。しかし本当に必要なのは、ここで説かれた全てを若い研究者自らが勝ち取ろうという意欲とそれを行動に移すことなのである。



白い花たち

2010-04-02 20:01:44 | Weblog
庭に出る。ここ二、三日で急にジューンベリーの白い花が咲き出した。一昨年植えて去年は花が四、五輪しか開かず、葉の色のうつろいしか楽しめなかったが、今年はいよいよベリーを味わえそうである。


知り合いに頂いた花桃も白い花を咲かせた。離れたところに植えたもう一本の花桃はうす紅色である。まだ1メートルにもならないが、大きくなれば8メートルには達するという。孫なら目にすることが出来ることだろうか。


絹さやの種を蒔いたのはよいが冬の間なかなか成長せず、風に当たってはとビニールで囲いをしたがちょっとした風でもすぐに地に伏してしまう。もう駄目かとあきらめていたのにいつの間にかすくすくと茎が伸び出し、気がつけば白い花が開いていた。この驚異的な成長力に畏敬の念が湧いてくる。


まだ寒いときから春の到来を告げていたユキヤナギも、昨日、一昨日の雨風で花びらが周辺に飛び散り、なんだか身が細ってきた。お勤めははたしましたよ、と囁いてくれているようである。



鳩山首相 ついにヤンキーゴーホームを叫ぶとは

2010-04-01 20:11:05 | Weblog
昨日の国会における党首討論で、鳩山首相は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題について「(政府案の)腹案は用意している」と述べるにとどまった。しかし「命がけで、体当たりで行動し、必ず成果を上げる」と意気込みの並みならぬところを示した。自民党政権がすでに米国と取り決めたシュワブ沿岸部の現行計画をそのまま引き継げば命をかけることもないのに、何故ここまで『命』を強調するのかピンとこなかった。というより、この人の言葉の軽さも相変わらずだな、と冷ややかな目で眺めていた。中身を伴わない言葉とは分かっていても、「切腹してお詫びする」とでも言われた方がインパクトがあるのでは、とtwitterで進言申し上げようかと思ったくらいである。

しかし私は軽率であった。洩れ伝わってくるところでは、鳩山首相が確かに重大決心でもって米軍普天間飛行場問題の抜本的解決についに踏ん切り、近々全ての米軍の日本国領土からの完全撤退要求を米国に通告するというのである。私はかって今もアメリカの『占領下』にあるわが祖国日本

アメリカ軍は日本固有の領土から完全に撤退していただく。言葉を換えれば日本は基地の提供を一切廃止する。『占領軍』の撤退でもって、始めてわが祖国日本は文字通り独立国の体裁を取りうるのである。

と主張し、また日本は独立国といえますかでは、私とまったく考えをお持ちの白川静博士の次の言葉を紹介した。

首都圏にアメリカの飛行場も軍港もある。それで独立国といえますか。事実上、今も占領下といっしょ。同盟国なんてのは同等の条件で付きあっての話です。自衛隊のイラク派遣もアメリカの命令に従っているだけ

薄っぺら政治家の典型としか思えなかったあの鳩山首相が、まさかわれわれ安保闘争世代の郷愁を駆り立てる「ヤンキーゴーホーム」宣言を行うことを予知し得なかった私は浅はかであった。つい先日も「私はアメリカ大好き人間なのに、反米・嫌米だととらえられている節がある」と言わずもがなの釈明を首相がしたのも、韜晦の言であったのだ。閣内でも外務大臣、防衛大臣、消費者・少子 化担当にてんでバラバラ言いたい放題言わせて歯止めをかけなかったのも目くらましのためで、また世間から「ここまでアホとは思わなかった」とも「ほんにお前は屁のような」と罵られようと、大石内蔵助の境地さながらひたすら我慢を重ねてきたのも、電撃的に「ヤンキーゴーホーム」を遂行せんがための深慮遠謀かと、今さらながらわが身の不明を羞じるのみである。

そういえば鳩山首相の祖父鳩山一郎元首相にとって、米軍の日本駐留を認めることとなったあの安保条約調印を行った吉田茂元首相は、公職追放となった鳩山一郎が密約の下に党首の座を禅譲したにもかかわらず、その約束を反故にして党首の座を返却しなかった不倶戴天の仇であり、それに恨みを抱く鳩山一郎のDNAを濃厚に受けつぐ鳩山首相が、安保条約、ひいては米軍の日本駐留に心から反発していることをもっと早く察しておくべきであったのである。いずれにしてもこの期に「ヤンキーゴーホーム」の旗幟を鮮明にした鳩山首相に、私も改めて賛意を送りたい。ただ、その通告がアメリカ時間で4月1日のうちに予定されているというのがなんだか気になる。