日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

高松塚損傷 処分者に『大棟梁』不在の怪

2006-06-20 13:25:00 | 社会・政治
高松塚損傷 元職員3人「処分相当」 文科相も給与返上 (朝日新聞) - goo ニュース

処分相当とされた三名の方の経歴を拝見したところ、官職を事務系と技術系に分けるとしたら、皆さんが事務系のように私には窺われた。残るお一方も文部科学省の現職から判断すると事務系のようである。

高松塚損傷という取り返しのつかない大きな失態を犯したとして処分される責任者に、技術系が不在であることこそ、文化庁が組織としてかかえる最大の欠陥であると私は考える。

以前に私は《現場で作業する人から監督、管理する人までこの人たちの職業意識・職業倫理はいったいどうなっているのだろう》と疑問を投げかけたが、どうもこの管理する人が事務系であったようだ。

高松塚のような遺跡の保存・管理には、広範なしかも高度な自然科学的知識と保存技術に精通した責任者が不可欠である。その責任者が全責任を負うかたちで全てに采配を振ることが、作業を成功させる最低の条件である。当然技術系の人物ということになる。

今回処分された四名の誰が「広範なしかも高度な自然科学的知識と保存技術に精通」しているのだろう。誰もその資格がないと思う。これは『お役所』のいわれなき『事務系偏重』のなせる技で、責任あるポストには技術系がつけないという変な慣行が罷り通っているからであろう。もともと能力と実務に欠ける人物を制度上責任のあるポストに置くというのは、本来の任務を阻害することはあっても一利だにありえない。

もともと責任を取りえない者が形式的にその職にあったに過ぎないから、その状況認識を反映して今回の処分のなんと軽いこと、文化遺産を毀損した償いがまさに言い訳程度の減俸とは恐れ入る。本当に責任があると自覚すれば刑事罰も甘んじて受けるべきだが、自らそれを申し出る発想自体皆無であろう。

「高度な自然科学的知識と保存技術」は生半可な努力で身につくものではない。天職と心得てそれに人生を賭ける決意があって始めてなしえることで、仕事への一生続く献身を必要とする。そのなかから仕事全容を見渡せる『大棟梁』が生まれるのである。これは従来の『お役所の回転人事システム』とはおよそ相容れない形での人材養成を必要とする。

この『大棟梁』を育て上げるための組織改編が今文化庁に一番求められることであると私は考える。


シンドラー社の肩を持つわけではないが・・・

2006-06-19 16:21:58 | 社会・政治
エレベーター事故、ブレーキ異常と断定…警視庁 (読売新聞) - goo ニュース

東京都港区の区民向け住宅のエレベーター事故はブレーキ異常が原因と断定された。

エレベーターのブレーキ部分がどのような構造になっているのか私は知らないので、車のブレーキを念頭に置いているが、たとえばブレーキディスクとブレーキパッドのそれぞれの規定の厚みが保たれていたのかどうか、また両者の間隙が定められた範囲に保たれていたのかどうか、また各々の部品をボルト・ナットで締め付けるとしてその強さは規定範囲にあったのか、これらが当然点検・調整の対象となっていることだろうと思う。

昨夕のNHKニュースによると、この事故の起きたエレベーターの保守点検を請け負っていたメンテナンス会社の定期点検の作業報告書では、事故の9日前の点検でもブレーキは異常なし、制御板についても内部の点検を行い異常なしとされているとのことである。

警視庁の報告が正しいとすると、この作業報告書の「異常なし」というのはどう言うことなのだろう。まさかブレーキディスクやパッドの減り具合を目で見ただけで異常なしと判断したのではなかろう。必要な測定器具で測定したデータに基づいて判断したことであろうから、そのデータを調べれば判断の適否が分かるはずである。締め付けもトーク・レンチを使っているだろうからデータは残っているはずである。このメンテナンス会社の行った作業内容の詳細がまず明らかにされなければならない。

メンテナンス会社によると《「マニュアルに従って最善の点検作業を行った」》そうであるので、それにもかかわらず事故が起こったのであれば「マニュアル」の不備が問われるかもしれないし、「マニュアル」の仕様を定めた『公機関』がもしあるのなら、その責任も問われることになるだろう。

ここに記したことは、常識人なら誰でも思いつくことである。しかし同時に疑問も生じてくる。エレベータ一台一台でその仕様が異なるのと同じく、点検項目の仕様書も違うだろう。30階建て定員20名と、6階建て定員30名ではエレベーターが同じであるはずがないからだ。同じ30階建て定員20名用でもメーカーによってまた詳細が異なるだろう。

そこで私は思うのだが、エレベーターの製造会社がメンテナンスを引き続いて行うのであれば、そのような詳細な仕様書に詳しい作業員を訓練して保守点検に当たらせることにはなんのの問題もなかろう。というより、私は保守点検は製造会社が一貫して責任を負うべきものだと考えている。今回明らかになったように、製造会社の三分の一の価格で保守点検を請け負った独立系業者に、エレベーター製造会社が企業秘密にもつながりうるその仕様の詳細を公開しないといけないのだろうか。私はフェアではないと思う。

たとえばインクジェットプリンターを考えてみよう。プリンターそのものの価格は大幅に下がっており、1万円も出せば実用上なんの支障もない優れたプリンターを購入できる。儲かるのだろうか、と心配になるが、それを補っているのが補充用のインキであると私は思う。私のプリンターでも4本一組で補充インクを買えば3000円を超え、4回も交換すればプリンター本体の価格を上回る。補充インキ専門のメーカーがよりやすい価格でインキカートリッジを販売しているのを私は知っているが買わない。メーカーにライセンス料でも支払っているのなら納得するが、そうでなければ『薩摩守』ではないか。

話が横に逸れたが、市場に出回るいかなる製品も製造会社が最終責任を負うべきである。メンテナンスが必要な製品に対する保守点検が含まれるのは当然のことであろう。それがメーカー系のメンテナンス会社の存在理由である。もしこの原則が法律によって守られていないとするなら、そのように法律を変えるべきであろう。

今回の事故の原因調査でメンテナンス会社のずさんな作業ぶりが出て来そうな予感がする。

アメリカで乗っていたFord Falcon Futura

2006-06-19 12:22:36 | 海外旅行・海外生活

この写真の車は、40年前に渡米してNew Havenに住んでいた頃、中古で買ったFord Falcon Futuraという車である。2年間乗ったが実に手のかかる車で、それだけにペット並に愛情を注いだとも云える。なぜそんなに手のかかる車だったのか、それは車を選ぶ際の私の根拠のない思いこみにあった。

New Havenに着いてまもなく、同じ大学の同じ学部の先輩に出会った。勤務先の大手製薬会社の研究所からエール大学に派遣され家族ご一緒に住んでおられたのである。その方にお願いしてあちらこちらの中古車ディラーに連れて行っていただいた。

あるディーラーで今入ったばかりという車を勧められた。真っ赤な車でスタイルもいい。それだけで既に気持ちが動いたが、決め手となったのは女性が運転していたということであった。別に女性の残り香に惹かれたわけではなくて、女性だからマメに手入れをして丁寧に乗っていたのだろうと思ったのである。即決で買うことにした。

1000ドル以内と一応予算を決めていたので値段は確か900ドルぐらいだったと思う。しかし手持ちの現金はほとんどある事情で使い果たしていたので、給料が出るのを待っていくらかダウン・ペイメントを払い、残りは月賦にしたように思う。

ディーラーによると車は1963年モデルとのこと、まだ5年も経っていないからこれから2年間は安心して乗れるだろうと期待した。手続きが終わり車が届いたその週末はさっそく試乗に出かけた。しかし万が一トラブルがあってはいけないので、妻と二人の子供は家に残しての単独行である。

左ハンドルは初めてなので、まず慣れるために最初は家の周辺を往き来していた。しかし住宅街を少し離れるとなんと道路の走りやすいこと、それに緑が美しい。走らせているうちにだんだんと気が大きくなり、よし、いっそのことNew YorkのManhattanまで行ってやろうと思い立った。Rand McNally社のRoad Atlasは買い込んである。New Havenに来る途中にNew Yorkで汽車を乗り換える時間を利用して、既に摩天楼周辺は歩き回ったからまったく未知の場所ではない。

Manhattanでは当時「神風タクシー」の異名で知られていたイエロー・キャブにも臆せず立ち向かい、自信を身につけて意気揚々と帰宅した。片道は100マイル前後だっただろうか、家ではどこに行ったものやらと心配していたようだが、今のように携帯があるわけでもなし、連絡をとることすら考えていなかった。最初のロング・ドライブで車の調子は上々だったので、これはいい買い物だったと満足した。

「あれっ、おかしい」と思ったのは、車整備の本を眺めていたときのことである。同じ車種の1963年モデルの写真がでていたが、そのフロントグリルが横縞になっている。ところが私の車では縦縞になっている。不審に思い他の本を調べてみたが縦縞のフロントグリルはどうも1962年モデルらしいのだ。

私の対応は素早かった。免許証を交付してくれたオフィスに行き、確かに私の車が1962年モデルであることを確認した。そこで係員にアドバイスを求めてそれに従いディーラーと交渉を始めた。ディーラーはすんなりと非を認め、まず車の交換を提案した。ちょうど入ってきたダットサンの1964年モデルのワゴンでどうだという。Made in Japanに出会ったのはいいが、何となく弱々しげなのとマニュアル・トランスミッションだったので、気に入らず、100ドル返金させることで話は片付いた。

ところがこれがケチのつき始め。寒い冬に入ってまずはバッテリーを取り替えなければならなかった。それはまだいい。なんとオートマチック・トランスミッションが不調になり、rebuiltといういわゆる再生品に取り替えてこれが300ドル前後もした。さらにはショック・アブソーバーにタイア、そして極めつけはエンジンそのものを再生品に替えて出費が400ドル前後、結局購入価格程度の出費を強いられた。エンジン取り替えはこの車でコネチカット州からカリフォルニア州まで大陸横断した無理がきいたのかもしれない。

大陸横断の最中もアルバカーキーの山中で冷却水のホースが破裂して、ボンネットからもうもうと湯気が噴出してびっくりしたものの、ちょうど下り坂を惰性で転がりおりて止まったところがガレージだったりして助かったこともあった。またハイウエイで冷却用のファンが空回りをしたせいで加熱され、噴出したエンジンオイルがブレーキに入り込み、ハイウエイから外にでるべく踏んだブレーキが途端片効きでで車が180度回転したりするような経験もした。エンジンを取り替えてからは極めて快適に走り運転を楽しめたが、早々と帰国が迫ってきた。新聞広告を出したらすぐに買い手がついた。その年式の相場価格だったから4、500ドルぐらいだったと思うが、絶対のお買い得品であったと思う。私にとってはとんだ金食い虫だった。

いろいろとトラブルに見舞われているうちに、こういう話を聞いた。どのアメリカ人(男性)もいうのである、「女の乗った車は絶対に買うものではない」と。もともと日本の車検のような制度はないので、自分で手入れは一切しない。とにかくメインテナンスという意識がなくて、とことん乗り回して調子が悪くなると売り払う。それを知らずに、女性だから丁寧に乗っているだろうと勝手に希望的観測をした私が悪かったのである。あれから40年、女性の意識も少しは変わっただろうか。

悪女の深情けというか、私が帰国後もサンタ・バーバラの裁判所から駐車違反の罰金を払えと督促状が送られてきた。私の車を買った人が名義変更をせずにそのまま乗り回して駐車違反をしたらしい。パスポートの入出国記録のコピーを裁判所に送り既に私は帰国していたことを申し述べた。その後は督促もなく、これでわが『愛車』との縁は切れたが、コネチカット時代のナンバープレートを今も手元に残している。



このFalcon Futuraはその後米国で爆発的に売れたMustangという車種のプロとモデルになっており、デザインのいろんな部分と車体部品自体がMustangの最初のモデルに転用されたことでも知られている。1970年代には製造中止となったが、初代から50年経って再びFuturaブランドが復活したらしい。最近のニュースで知った。

大学教授になるには・・・

2006-06-17 11:26:16 | 学問・教育・研究

店頭に山積みされた文庫本表紙にある「太陽の塔」のイラストが目にとまった。そういえばこの春の花見に万博公園に出かけて久しぶりに「太陽の塔」にお目にかかったところである。何かの機縁を感じて森見登美彦著「太陽の塔」(新潮文庫)を買い求めた。

あっという間に読んでしまった。それぞれ癖のある京大生の日々の生活を描いている、ただそれだけのことといえばそれまでであるが、なかなか漢字の多い文章で、それが内容を上手に盛りたてているような気もした。平野啓一郎氏と同じく著者は京大生のようで、振り仮名付きの漢字を大いに駆使しているのはさすがである。

京都で学生生活を送った私の息子は秘密主義に徹していたので、その生活を垣間見るような微妙な思いをしたが、それよりも京都大学周辺の模様が細かく語られていることが、三十年以上も昔になるある私の記憶を呼び起こしてくれた。

その当時私は出身大学で助手を務めていた。所属していた研究室には若い大学院生が充ち満ちており、文字通り日夜切磋琢磨しながら研究に励んでいた。定期的に行われる研究室内での研究報告や日常のやり取りで、誰がどのようなことをしているかお互いによく知り合っていた。

私は研究室に閉じこもるよりは、他学部や他大学の友人と共同研究をすることが多かった。『学際研究』と言うことになるのだろうが、異なる分野の研究者から受ける刺激がたまらなかったのである。京都大学の研究者とも知り合いになり、京都を再々訪れては共同研究を始めるに当たっての予備実験などを行っていた。その当時日本には数台しかない非常に高価な測定装置の一台ががそこには備えられていたのである。

テーマが異なるので私が直接指導することはなかったが、一人の女子院生と話ししているときに、ひょっとしてその測定装置で重要な知見が得られるのではないか、と言う気がした。その院生と直接指導に当たっていた教授と話し合って予備実験をすることになり、一日、女子院生共々測定試料をもって京大まで出かけた。

女子院生の仕事は結果的には共同研究にまでは発展しなかった。それまでに解決しなければならないいろいろと難しい問題が浮かび上がったからである。その詳細は私の本来の仕事ではなかったのでもう思い出せない。しかし記憶に鮮明に刻まれていることがある。

測定データは積算しないといけないので時間がかかる。そのうちに夜になり交代で食事を摂ることになった。女子院生と私は工学部の建物に近い北門を通り抜けて今出川通りに出た。あの界隈は学生相手の食堂が結構多くあり適当なところで食事を終えた。

研究室に戻ろうとしたらなんと北門が閉じられているのである。せめて脇の通用門でも開いておればいいのだけれど、もともと脇門もない。食事をしているうちに閉門時間になり、事情に疎いわれわれが閉め出されてしまったのである。私の知る限りこうなるといったん時計台のある正門まで行って構内に入り、さらに工学部の建物に戻らないといけない。距離で言うと南北だけでもバス停一駅分を往復することになる。やむを得ずその女子院生に提案した。「この門を乗り越えようか」と。彼女は「はい」と言った。

いくらやむを得ないからといって、いわばお客さんとして訪問している京大の構内に、門を乗り越えて入り込むのはそれなりに勇気が要る。人目をまず気にした。様子を窺って「よし」とまず彼女にアタックさせた。運動神経がいい彼女は果敢にもそして機敏に門を乗り越え無事構内に着地した。次は私の番、言い出すからには自信がある。梁上の君子に目されては堪らぬとばかり、私も素早く後を追い、何喰わぬ顔をして研究室に戻ったのである。

後日談がある。目出度く博士の学位を得てよき伴侶に巡り会い、子宝にも恵まれたその女子院生は幾星霜を経た現在、京都大学大学院教授として自分の研究室を主宰している。学問上の業績が評価されて教授に迎えられたことになっているが、彼女が若き日に門を乗り越えて京大構内に突入したことが、早くからその運命を決めていたのだと私は信じている。というのも、私も門を乗り越えた数年後に京大に迎えられ、定年まで勤め上げたからである。これは偶然ではありえない。

勧めるわけではないが、といいながら唆していることになるのか、大学教授を志す若い人たちは、目指す大学の閉じられた門を秘かに乗り越えてみてはどうだろう。私の経験で言えばそれは一度だけ、欲張って何回もすることではない。それで夢が叶えばファンタジーではないか。

森見登美彦氏のこの小説は第十五回ファンタジーノベル大賞の大賞受賞作品とのこと、ついつい向こうを張ってしまった。

Logicool MX400 Performance Laser Mouseに交換

2006-06-16 17:13:30 | Weblog

レーザーマウスについて苦情を申し述べるべくヨドバシに電話をしたら、地下一階パソコン周辺機器の係の女性につながった。

「かくかくしかじか」と事情を説明する。

領収書に記載されたレジ番号とレシート番号を伝えると、直ちに問題のレーザーマウスについての記録が確認できたようである。すでに一度前の製品の交換に私が店舗を訪れていることを述べ、再び出向かなくても製品の交換が可能かどうかを聞いた。

返品はこちらから差し向ける宅配業者に品物を渡してくれたらいいとのことで、それで問題はなし。しかし代替の製品を決めるのに問題が生じた。価格が同じかより安い品物との交換なら簡単で、差額を返金してくれるとのこと。しかしより高価な製品を求める場合は、その差額をまず現金書留でヨドバシに送らなければならず、それを受け取ってから品物を発送するのでその分時間がかかるとのことである。

まずマウスの選択である。私は同じメーカーの同じタイプのマウスに交換する気はもうなかった。とすると同じ価格帯かそれ以下だと光学式にになるとのことである。光学式といってもヨドバシが業務用に使っているものなので、製品に信頼性はあるという。しかしいったんレーザーマウスを使うと、とろい光学式に戻る気がしない。

価格より性能、そして信頼性である。ところが残念ながらマウスにMade in Japanはないとのこと、中国とかフィリッピン製が多いらしい。しかしレーザーマウスのメーカーで言うとロジクール社製とかマイクロソフト社製はどちらかというとクレームが少ないとのことである。最初の光学式マウスがマイクロソフト社製で、それが悪かったので、ロジクール社製を選ぶことにした。すると1000円以上価格がアップすることになる。

担当者と話し合った末、手っ取り早いやり方としてArvel社製のレーザーマウスは返品することにして、ロジクール社製マウスは私がyodobashi.comから購入することにした。送料500円込みで5480円也。

今日のお昼過ぎに宅配業者が古いマウスを取りに来たと思ったら、踵を接するよう新しいマウスが届いた。これがLogicool MX400 Performance Laser Mouseという代物である。付属のCD-ROMからソフトを組み込んだが、使い方はこれからである。

これから少なくとも一年はトラブルフリーで動いて欲しいものである。もちろんこのマウスも本来は敬遠したい中国製、しかし他に選択の余地がないので致し方なし。さて、マウスの運命、これいかに。

【追記】 このマウスを使い始めてから、PCの電源を入れて初期画面が現れた段階で、矢印のカーソルが動かない事態が頻発した。USBをいったん抜いてもう一度差し込むと動くようになる。ところがロジクールのサポート・ページを見ていると、マウスの接する表面に光沢があるとカーソルが動かないことがあるらしい。マウスパッドを使わなくてもいいのがレーザー・マウスの利点ではなかったのかと思いつつも、電源を入れる際にはマウスをパッドの上に置くことにした。不思議や不思議、ちゃんと動くようになった。(6月21日)

「駐車禁止除外指定車(身体障害者使用車)」を「路上一時駐車許可証」へ

2006-06-16 14:20:18 | 社会・政治
この標章の文言を私は単純に『「駐車禁止」の規定から除外する指定を受けた車』と受け取っていた。この標章を掲示して堂々と《横断歩道の縞模様に乗りかかるように駐められていた》車両を発見したこともこの判断に与っている。そして「それはないだろう」というのが私の6月7日のブログの趣旨でもあった。しかしこのブログにコメントを寄せられた方から、《障害者に関する駐車禁止除外は、あくまでも「法定の駐車禁止場所を除く」「用件が済み次第速やかに立ち退くこと」などの注意がが明記されております》と教えていただき、改めてこの標章の使用条件などを調べてみた。

私が参考にしたのは京都府警察本部の資料である。

「身体障害者等駐車禁止除外車標章」の箇所に《駐車禁止等除外指定車標章の使用は、京都府公安委員会が指定した駐車禁止・時間制限駐車区間規制の道路に限られ、指定駐停車禁止場所や法定駐(停)車禁止場所に駐車した場合には、レッカー移動や反則告知等の措置がとられます。》と説明がある。「指定駐停車禁止場所や法定駐(停)車禁止場所に駐車」してはいけない、と明記されているのである。

それがさらに詳しい説明ではこうなっている。

《駐車禁止場所等から除外されない場所

1. 駐車も停車も禁止している場所(道路交通法第44条)

* 駐停車禁止の道路標識や道路標示(黄色の実線)のある場所
* 交差点、横断歩道、自転車横断帯、踏切、軌道敷内、坂の頂上付近、勾配の 急な坂又はトンネル
* 交差点の側端又は道路のまがり角から5m以内
* 横断歩道又は自転車横断帯の前後の側端からそれぞれ前後に5メートル以内
* 安全地帯の左側とその前後の側端からそれぞれ前後に10メートル以内
* バス、路面電車の停留所の標示柱(標示板)から10メートル以内
* 踏切の前後の側端からそれぞれ前後に10メートル以内
* 高速自動車国道、自動車専用道路(道路交通法第75条の8)

2. 駐車を禁止している場所(道路交通法第45条)

* 駐車のため道路外に設けられた施設又はその場所の道路に接する自動車用の 出入口から3メートル以内
* 道路工事の区域の側端から5メートル以内
* 消防用機械器具の置場、消防用防火水槽の側端やこれらの道路に接する出入 口から5メートル以内
* 消火栓、指定消防水利の標識が設けられている位置、消防用防火水槽の吸水 口や吸管投入孔から5メートル以内
* 火災報知機から1メートル以内
* 道路の左側端に沿って駐車する場合、右側の道路上に3.5メートル以上の余 地がない 》

見出しの「駐車禁止場所等から除外されない場所」はすぐにはピンとこない言い回しであるが、これはお役所言葉と大目にみることにして、要は「駐車も停車も禁止している場所(道路交通法第44条)」と「駐車を禁止している場所(道路交通法第45条)」のいわゆる『絶対的駐禁場所』では如何に標章を掲示していても駐車してはいけない、ということである。

私の疑問はこれで氷解した。車を駐めて危険が生じるようなところは誰が車を駐めてもいけないのである。日本のお役所は国語能力は感心しないが私が思ったより賢明であった。

しかし一方では疑問が生じた。それではこの標章を掲示する利点がどこにあるのだろうか、と。上の文章はこうである。《駐車禁止等除外指定車標章の使用は、京都府公安委員会が指定した駐車禁止・時間制限駐車区間規制の道路に限られ》るのである。

この文言も分かりにくい。「京都府公安委員会が指定した駐車禁止・時間制限駐車区間規制の道路に限られる」という以上、それ以外のところでは標章は使えないということになる。標章を使うためにわざわざ「京都府公安委員会が指定した駐車禁止・時間制限駐車区間規制の道路」を探して廻らないといけないのだろうか。

標章のそもそもの趣旨は、身体障害者の不便を出来るだけ緩和いたしましょう、と言うことであろう。ちょっと友人を訪ねたり、店頭で買い物をしたりするときに『絶対的駐禁場所』以外の場所で一時的に車を駐めさせてあげよう、と言うことではないのか。

その趣旨を生かすためにはお役所的文言を止めて、「路上一時駐車許可証」なる標章に改めたほうが実態にかなうのではなかろうか。もちろん厳しくなった駐車違反取締の適用外とする。


すぐに壊れる「レーザーマウス」(Made in China)の怪

2006-06-13 17:21:11 | Weblog
Arvel社のレーザーマウスに変えて快適、とブログに書いたのが6月3日のこと、ところが早くもそのレーザーマウスにトラブルである。急にポインターが動かなくなったのである。ホイールを廻すと画面は移動する。しかしポインターは動かない。

と、また動き出す。しかしまた止まる。

この製品もご多分に洩れず「Made in China」、そしてこの前にトラブルがあったマイクロソフト社の光学式マウスも「Made in China」。

はっきり言って私は「Made in China」は大嫌いである。また製品を安く仕上げることだけに目がくらんで、安易に中国に製品を作らせるメーカーも大嫌い。♪"Made in Japan", come back to us! である。

顧客に不便を与え不信感を抱かせることを、メーカーはどう考えているのだろうか。製品のモニターを顧客にやらせるだけではない。顧客は時間を潰し、電車賃を払って品物の交換に出向かないといけない。なぜこの『費用』を顧客が負担しないといけないのか、このような理屈に合わないことがなぜ罷り通っているのだろうか。

何方か、答えを教えてください。

エレベーター事故 『メンテナンス料金』の怪

2006-06-13 16:07:19 | 社会・政治
トラブル情報引き継がれず 昇降機事故、保守業者間で (共同通信) - goo ニュース

この記事のポイントはこうである。

《事故が起きたエレベーターは1998年に稼働。当初は製造元のシンドラーエレベータが保守も担当した。港区は2004年、保守業者の選定を指名競争入札に変更。04年度はシンドラー社が落札したが、05年度は独立系の日本電力サービス、06年度は同様に独立系のエス・イー・シーエレベーターが請け負った。》

これを補足する形になるが、朝日の朝刊(6月12日)は次のように述べている。

《港区によると、事故のあった公共住宅の保守を、04年度にシンドラー社が請け負った際の契約額は364万円。05年度は、独立系の日本電力サービス(同多摩市)が166万円で契約、今年度は120万円でエス・イー・シーエレベーター(同台東区)が契約した。》

驚いた。メーカー系から独立系にサービス会社を変えるだけで費用が三分の一に低減するのである。ふつうはある製品が古くなっていけば、メインテナンスにより多く費用がかかるのが常識であるのに、逆行している。

この事故が報じられた当初、私はメーカーのシンドラー社は自社でメンテナンスを行わずに、エレベーター売りっぱなしする商法で日本に乗りこんだのか、と勝手に思い込んでいた。しかしそうではなくて、自社でも保守・管理体制を整えているのに、費用が高くつくからと敬遠されて、独立系の会社にメンテナンスの仕事を取られたというのが実情のようである。

朝日新聞には次のような記事もあった。

《保守管理業界では最近、メーカーの系列下にない独立系業者の参入で価格競争が激化。コストダウンに伴い点検が不十分になる恐れを指摘する声がある一方、「企業秘密」を理由に「心臓部」ともいえるコンピューター部分の情報提供に消極的だとしてメーカー側への批判も根強い。》

私はメンテナンスに関して、『メーカーの系列下にない独立系業者』の存在しうる理由が分からないので、そこから話を進める。

メーカーがたとえば「プレイステーション」のような製品を開発・製造・販売をするとする。これは「企業秘密」の塊のようなものであろう。ソニーに任天堂、それにマイクロソフト社がゲーム機の分野でしのぎを削っているのは、私のようにゲーム機と無縁の者でも知っている。この厳しい業界で「企業秘密」を死守するのは当然の権利でもある。そのゲーム機が故障したので自分で修理するから、ゲーム機の全てが分かる設計図をよこせ、と、私がメーカーに要求しても一顧だにされないだろう。それでいいのだ。

エレベーターにしても同じことがいえる。メーカーが「企業秘密」とする「心臓部」があるのも当たり前のこと、それを一般に情報公開しないからと批判する方がおかしい。その情報を得るにはそれなりの対価を支払うのが筋であろう。

一方、製造物の保守・点検に「企業秘密」とされる知識が必要とされることがあるのも理解できる。「企業秘密」がその業務に従事する者の間で共有される必要がある。メンテナンス業者が『メーカーの系列下』に入るというのは、それなりの対価を支払うことに相当する。必要な情報を提供される代わりに、儲けの全てが自分のものにならないからである。メーカー側にすると、自分の作った製品に誇りと愛着を持つのは当然で、だからこそそのメンテナンスを含めて、後々までも面倒を見ていきたいという思いがある。その意味でメーカーにメンテナンス部門があるのは当然のことで、『メーカーの系列下』業者もそれに該当することになる。

今回のエレベーター事故は、エレベーターが正常に作動しなかったことによる。そのようなことがないように保守点検、メインテナンスを行うのであり、この作業が独立系業者によりどのように行われてきたのだろう。その経緯をつぶさに調査して、独立系であってもメーカー側との意思疎通支障がなかったのかどうかをも含めて、問題の在処を明らかにすることがまず第一である。

それと同じく、もしくはそれ以上に重要なのは、管理者がメンテナンス業者を選定した理由である。入札最低価格だけで選定するのなら子供でも決められる。「安かろう、悪かろう」であってはならない。今回の事故が起こってしまった以上、そう言われても致し方がなかろう。なぜ業者によって三倍もの価格差が生じるのか、その違いの理由をどのように納得し、この業者は信頼できると判断したのであろう。その経緯をつまびらかに公表し今後の安全対策に役立たせることが肝要である。

サービスの値段が安けりゃそれでいいと言うのは、直接金儲けに走るのではないが、とどのつまり『拝金主義者』の裏返しの発想である。その『質』をも問題にしないといけない。

二人のプリマ・ドンナ喜波貞子、三浦環といっしょに歌って

2006-06-12 17:13:01 | 音楽・美術

「いっしょに歌って」なんて不遜なタイトルを付けたことをお二人のプリマにまずお詫びしないといけない。でも声を合わせたことは間違いない。

レコードなりCDに合わせて歌を唱うのは思いの外難しい。歌手の個性が現れるからで、音符通りには歌ってくれないのがふつうである。楽譜を見ていても、すぐに歌を合わせることは出来ない。何度も耳を傾けて歌い方の特徴をつかむ。それでも各フレーズの出だしを合わせることは、歌手に乗りうつって貰わなければなかなか難しい。どうしても歌声を聴きながら歌うことになるので、数十ミリ秒は遅れてしまう。しかし練習次第でその遅れを限りなくゼロに近づけることは可能だと思う。

まず「埴生の宿」の三浦環さんであるが、声がとても可愛らしい。日本語の発音がきわめて明瞭である。歌ったときの彼女は現在の私より二十歳は若いので、歌のおばさんに支えて貰いながら歌っているという感覚で安堵感がある。その一方、彼女の歌い方はどちらかといえば平板的で、唱歌のレッスンを受けているような気になる。そのうえ、二番の最後なんか、変にずりあげて歌うものだからださく感じる。しかし1930年代の聴衆にはこのような歌い方が受けたのだろう。

1917年、彼女が33歳で録音した「ある晴れた日に」を聴くと、小唄のお師匠さんが声を張り上げているようにも聞き取れる。世界の各地で「蝶々夫人」を2000回以上も公演したとのことであるが、なんだか信じられない気がする。美しいがか細い声で、オーケストラの編成にもよるだろうが、劇場の隅々に歌声が届いていたのかどうか、気になるところである。

「天然の美」の喜波貞子さんの歌い方は堂々としている。1931年、彼女が29歳の時の録音である。声にも張りと艶があり日本人離れしている、と思ったらそれも道理、四分の一は日本人の血が混じっているもののオランダ人だそうである。「支えてあげますからね」という環さんの優しさはなく、「ここまでついてきなさいよ」とばかりグングン引っ張ってくれる、そのような歌い方である。同じ時期に彼女がスペイン語で歌った「ラ・スパニョラ」はいささかも旧さを感じさせない。

Amazon.comに注文していた松永伍一著「蝶は還らず プリマ・ドンナ喜波貞子を追って」が届いたのでさっそく目を通してみた。



この本によると三浦環と彼女より18歳年下の喜波貞子がある人物を介して繋がりがあるようである。この人物とはイタリー人のテノール歌手サルコリ(Adolfo Sarcoli)。1911年に来日して帝国劇場で「カヴァレリア・ルスティカーナ」を上演したときに三浦環が共演し、そのあとに両者が吹き込んだ歌劇曲集のレコードが発売されている。それには「蝶々夫人」の曲も含まれており、それを若き喜波貞子が聴き歌手に憧れたとのことである。

そこで声がよく歌の好きな13歳の喜波貞子がサルコリに師事することになったが、習ったのはなんとギターで、オペラ歌手のための発声は年が若いからと止められた。しかしサルコリは17歳になった喜波貞子を旧知の音楽教師の下で音楽修業させるべく、紹介状を持たせてミラノに送り出したのであった。

教師の名はヴァンツオでもとは作曲家であり指揮者、しかしその頃は教師に転じていた。喜波貞子の資質を見抜いたヴァンツオは二年後にはデビューすることを目標にレッスンを開始して、19歳の彼女をポルトガルの劇場の「蝶々夫人」でデビューさせたというから、如何に両者のマッチングがよかったかが分かる。《ヨーロッパ人特有の発声の出来る「日本人」》が売りの一つでもあった。

松永伍一氏は喜波貞子が出演した各地での音楽評を丹念に蒐集してそれを列記している。二つだけ引用させていただく。

《「彼女の水晶のように透きとおった声は、あらゆる声域で楽々と力強いフォルテシモに達するのだが、驚くほどプッチーニの音楽に適している。彼女の芸術はまごうことなく古典的であり(彼女の動作もまた)、それ故にわれわれは純イタリア様式の”ベル・カント”と”レシアチーボ”を聴く最高の楽しみを味わう。彼女は一幕ごとに盛り上がる熱狂で迎えられた」(『Prager Tagbiatt』》

《「音色は真珠のように緊密に連なっている。美しいレガート、注目に値する堂々とした最高音、完璧なフレージングが一体となって、類いまれなテクニックの、洗練された”ベル・カント”を形づくっている」(『ライヒスポスト』)》

私が注目するのは彼女が『ベル・カント』をマスターしていたとの指摘である。彼女が日本にそのまま留まり、三浦環の後をたどるようにドイツ風が幅をきかす東京音楽学校で音楽教育を受けていたら、果たしてその素質を存分に生かす”ベル・カント”をわがものにしえていたかははなはだ疑問であるといえよう。私が割り込んだ「天然の美」からもその特徴を十分に窺い知ることが出来る。その分、日本語の発声がやや曖昧なところもあり、この点三浦環とは対照的である。

喜波貞子はあくまでも芸名である。母方の祖父がオランダ人で、母もオランダ人と結婚しているから彼女は血が四分の一の日本人になる。母方の祖母山口きわに日本人としての躾を受けて、また祖母に傾倒していたことから彼女の名「きわ」を芸名にしたのである。

17歳でイタリアに渡った喜波貞子は結局日本の土を踏むことがなかったようである。ビクターの赤盤に収められた「天然の美」はなんとか里帰りを果たしたようで、その歌声がひょっこりと私の耳に飛び込んだことが、私をこの歌姫の数奇な運命に導いたのである。

喜波貞子の人生をたどる感激は、松永伍一の「蝶は還らず プリマ・ドンナ喜波貞子を追って」から直に味わっていただきたい。


「一澤信三郎帆布」に期待する商人道

2006-06-11 19:16:56 | Weblog

現在わが家には「一澤帆布」の袋物が正確にいうと七点ある。一番古いトートバッグ(写真上)は30年以前に買い求めたものであるが、何回も洗濯の水を潜り、持ち手を不細工ながら自分で補修を繰り返しながら今も現役で活躍している。2番目に古いのも同じようなもので、共に布地が柔らかくなり帆布の感触はもはやないが、そこまで使い込むと愛着が湧いてポイするきにならず、スーパーでの買い物袋として重宝しているのである。



黒色のトートバッグは海外旅行の必需品であった。



目的地に到着すれば、折りたたみ傘などちょっとした携帯品を入れて気軽の持ち運ぶ。もちろん買い物袋にもなる。「一澤帆布」のラベルに気付いた人から「京都の方ですか」と声をかけられたことも再々ある。いつかロンドンのHolland Parkで日本庭園の開園式にチャールズ皇太子と浩宮がお見えになった時のことである。偶然にもそこに私が通りかかった折にも、ロンドン在住の子供連れの女性に声をかけられて、これ幸いにと両皇太子と私をスナップショットしていただくようお願い出来たのもトートバッグのおかげであった。

トートバッグのみならず、ボストンバッグにショルダーバッグなど何点かが必ず私たちの身近にあった。一口にいえば使いやすく信頼感があるのだ。ショルダーなどでは沢山あるポケットや仕切りの、どこに何があるかは手先が覚えてくれていて、覗き込まなくても片手操作で必要なものが何時でも取り出せた。

このたび「一澤信三郎帆布」店が新たに発足し、少し遅く訪ねるとその日に用意していた全商品がなくなってしまうという盛況はご同慶の至りである。そういう次第で、ここに挙げたものと類似の商品にはまだお目にかかっていないが、「一澤帆布」時代の製品とは一線を画すデザインになっているのではなかろうか。素人考えであるが、現状で「一澤信三郎帆布」が「一澤帆布」の製品をそのまま製造することは、また諍いの種になるように思う。デザインの版権のようなものが存在するのでは、と想像するからである。

商売は顧客があって成り立つものである。顧客のなかには、古くなり傷んだこれまでの製品を新しく買い換えたいと思う人もかなりいることであろう。その要望に応えて従来の製品も製造販売できるよう今の事態を打開することが、信三郎、信太郎両氏を始めとする関係者の責務でもある。それが顧客の長年の愛顧、信頼と期待に応える『一澤家』の商人道というものではなかろうか。