日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

シンドラー社の肩を持つわけではないが・・・

2006-06-19 16:21:58 | 社会・政治
エレベーター事故、ブレーキ異常と断定…警視庁 (読売新聞) - goo ニュース

東京都港区の区民向け住宅のエレベーター事故はブレーキ異常が原因と断定された。

エレベーターのブレーキ部分がどのような構造になっているのか私は知らないので、車のブレーキを念頭に置いているが、たとえばブレーキディスクとブレーキパッドのそれぞれの規定の厚みが保たれていたのかどうか、また両者の間隙が定められた範囲に保たれていたのかどうか、また各々の部品をボルト・ナットで締め付けるとしてその強さは規定範囲にあったのか、これらが当然点検・調整の対象となっていることだろうと思う。

昨夕のNHKニュースによると、この事故の起きたエレベーターの保守点検を請け負っていたメンテナンス会社の定期点検の作業報告書では、事故の9日前の点検でもブレーキは異常なし、制御板についても内部の点検を行い異常なしとされているとのことである。

警視庁の報告が正しいとすると、この作業報告書の「異常なし」というのはどう言うことなのだろう。まさかブレーキディスクやパッドの減り具合を目で見ただけで異常なしと判断したのではなかろう。必要な測定器具で測定したデータに基づいて判断したことであろうから、そのデータを調べれば判断の適否が分かるはずである。締め付けもトーク・レンチを使っているだろうからデータは残っているはずである。このメンテナンス会社の行った作業内容の詳細がまず明らかにされなければならない。

メンテナンス会社によると《「マニュアルに従って最善の点検作業を行った」》そうであるので、それにもかかわらず事故が起こったのであれば「マニュアル」の不備が問われるかもしれないし、「マニュアル」の仕様を定めた『公機関』がもしあるのなら、その責任も問われることになるだろう。

ここに記したことは、常識人なら誰でも思いつくことである。しかし同時に疑問も生じてくる。エレベータ一台一台でその仕様が異なるのと同じく、点検項目の仕様書も違うだろう。30階建て定員20名と、6階建て定員30名ではエレベーターが同じであるはずがないからだ。同じ30階建て定員20名用でもメーカーによってまた詳細が異なるだろう。

そこで私は思うのだが、エレベーターの製造会社がメンテナンスを引き続いて行うのであれば、そのような詳細な仕様書に詳しい作業員を訓練して保守点検に当たらせることにはなんのの問題もなかろう。というより、私は保守点検は製造会社が一貫して責任を負うべきものだと考えている。今回明らかになったように、製造会社の三分の一の価格で保守点検を請け負った独立系業者に、エレベーター製造会社が企業秘密にもつながりうるその仕様の詳細を公開しないといけないのだろうか。私はフェアではないと思う。

たとえばインクジェットプリンターを考えてみよう。プリンターそのものの価格は大幅に下がっており、1万円も出せば実用上なんの支障もない優れたプリンターを購入できる。儲かるのだろうか、と心配になるが、それを補っているのが補充用のインキであると私は思う。私のプリンターでも4本一組で補充インクを買えば3000円を超え、4回も交換すればプリンター本体の価格を上回る。補充インキ専門のメーカーがよりやすい価格でインキカートリッジを販売しているのを私は知っているが買わない。メーカーにライセンス料でも支払っているのなら納得するが、そうでなければ『薩摩守』ではないか。

話が横に逸れたが、市場に出回るいかなる製品も製造会社が最終責任を負うべきである。メンテナンスが必要な製品に対する保守点検が含まれるのは当然のことであろう。それがメーカー系のメンテナンス会社の存在理由である。もしこの原則が法律によって守られていないとするなら、そのように法律を変えるべきであろう。

今回の事故の原因調査でメンテナンス会社のずさんな作業ぶりが出て来そうな予感がする。

アメリカで乗っていたFord Falcon Futura

2006-06-19 12:22:36 | 海外旅行・海外生活

この写真の車は、40年前に渡米してNew Havenに住んでいた頃、中古で買ったFord Falcon Futuraという車である。2年間乗ったが実に手のかかる車で、それだけにペット並に愛情を注いだとも云える。なぜそんなに手のかかる車だったのか、それは車を選ぶ際の私の根拠のない思いこみにあった。

New Havenに着いてまもなく、同じ大学の同じ学部の先輩に出会った。勤務先の大手製薬会社の研究所からエール大学に派遣され家族ご一緒に住んでおられたのである。その方にお願いしてあちらこちらの中古車ディラーに連れて行っていただいた。

あるディーラーで今入ったばかりという車を勧められた。真っ赤な車でスタイルもいい。それだけで既に気持ちが動いたが、決め手となったのは女性が運転していたということであった。別に女性の残り香に惹かれたわけではなくて、女性だからマメに手入れをして丁寧に乗っていたのだろうと思ったのである。即決で買うことにした。

1000ドル以内と一応予算を決めていたので値段は確か900ドルぐらいだったと思う。しかし手持ちの現金はほとんどある事情で使い果たしていたので、給料が出るのを待っていくらかダウン・ペイメントを払い、残りは月賦にしたように思う。

ディーラーによると車は1963年モデルとのこと、まだ5年も経っていないからこれから2年間は安心して乗れるだろうと期待した。手続きが終わり車が届いたその週末はさっそく試乗に出かけた。しかし万が一トラブルがあってはいけないので、妻と二人の子供は家に残しての単独行である。

左ハンドルは初めてなので、まず慣れるために最初は家の周辺を往き来していた。しかし住宅街を少し離れるとなんと道路の走りやすいこと、それに緑が美しい。走らせているうちにだんだんと気が大きくなり、よし、いっそのことNew YorkのManhattanまで行ってやろうと思い立った。Rand McNally社のRoad Atlasは買い込んである。New Havenに来る途中にNew Yorkで汽車を乗り換える時間を利用して、既に摩天楼周辺は歩き回ったからまったく未知の場所ではない。

Manhattanでは当時「神風タクシー」の異名で知られていたイエロー・キャブにも臆せず立ち向かい、自信を身につけて意気揚々と帰宅した。片道は100マイル前後だっただろうか、家ではどこに行ったものやらと心配していたようだが、今のように携帯があるわけでもなし、連絡をとることすら考えていなかった。最初のロング・ドライブで車の調子は上々だったので、これはいい買い物だったと満足した。

「あれっ、おかしい」と思ったのは、車整備の本を眺めていたときのことである。同じ車種の1963年モデルの写真がでていたが、そのフロントグリルが横縞になっている。ところが私の車では縦縞になっている。不審に思い他の本を調べてみたが縦縞のフロントグリルはどうも1962年モデルらしいのだ。

私の対応は素早かった。免許証を交付してくれたオフィスに行き、確かに私の車が1962年モデルであることを確認した。そこで係員にアドバイスを求めてそれに従いディーラーと交渉を始めた。ディーラーはすんなりと非を認め、まず車の交換を提案した。ちょうど入ってきたダットサンの1964年モデルのワゴンでどうだという。Made in Japanに出会ったのはいいが、何となく弱々しげなのとマニュアル・トランスミッションだったので、気に入らず、100ドル返金させることで話は片付いた。

ところがこれがケチのつき始め。寒い冬に入ってまずはバッテリーを取り替えなければならなかった。それはまだいい。なんとオートマチック・トランスミッションが不調になり、rebuiltといういわゆる再生品に取り替えてこれが300ドル前後もした。さらにはショック・アブソーバーにタイア、そして極めつけはエンジンそのものを再生品に替えて出費が400ドル前後、結局購入価格程度の出費を強いられた。エンジン取り替えはこの車でコネチカット州からカリフォルニア州まで大陸横断した無理がきいたのかもしれない。

大陸横断の最中もアルバカーキーの山中で冷却水のホースが破裂して、ボンネットからもうもうと湯気が噴出してびっくりしたものの、ちょうど下り坂を惰性で転がりおりて止まったところがガレージだったりして助かったこともあった。またハイウエイで冷却用のファンが空回りをしたせいで加熱され、噴出したエンジンオイルがブレーキに入り込み、ハイウエイから外にでるべく踏んだブレーキが途端片効きでで車が180度回転したりするような経験もした。エンジンを取り替えてからは極めて快適に走り運転を楽しめたが、早々と帰国が迫ってきた。新聞広告を出したらすぐに買い手がついた。その年式の相場価格だったから4、500ドルぐらいだったと思うが、絶対のお買い得品であったと思う。私にとってはとんだ金食い虫だった。

いろいろとトラブルに見舞われているうちに、こういう話を聞いた。どのアメリカ人(男性)もいうのである、「女の乗った車は絶対に買うものではない」と。もともと日本の車検のような制度はないので、自分で手入れは一切しない。とにかくメインテナンスという意識がなくて、とことん乗り回して調子が悪くなると売り払う。それを知らずに、女性だから丁寧に乗っているだろうと勝手に希望的観測をした私が悪かったのである。あれから40年、女性の意識も少しは変わっただろうか。

悪女の深情けというか、私が帰国後もサンタ・バーバラの裁判所から駐車違反の罰金を払えと督促状が送られてきた。私の車を買った人が名義変更をせずにそのまま乗り回して駐車違反をしたらしい。パスポートの入出国記録のコピーを裁判所に送り既に私は帰国していたことを申し述べた。その後は督促もなく、これでわが『愛車』との縁は切れたが、コネチカット時代のナンバープレートを今も手元に残している。



このFalcon Futuraはその後米国で爆発的に売れたMustangという車種のプロとモデルになっており、デザインのいろんな部分と車体部品自体がMustangの最初のモデルに転用されたことでも知られている。1970年代には製造中止となったが、初代から50年経って再びFuturaブランドが復活したらしい。最近のニュースで知った。