日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

大学教授になるには・・・

2006-06-17 11:26:16 | 学問・教育・研究

店頭に山積みされた文庫本表紙にある「太陽の塔」のイラストが目にとまった。そういえばこの春の花見に万博公園に出かけて久しぶりに「太陽の塔」にお目にかかったところである。何かの機縁を感じて森見登美彦著「太陽の塔」(新潮文庫)を買い求めた。

あっという間に読んでしまった。それぞれ癖のある京大生の日々の生活を描いている、ただそれだけのことといえばそれまでであるが、なかなか漢字の多い文章で、それが内容を上手に盛りたてているような気もした。平野啓一郎氏と同じく著者は京大生のようで、振り仮名付きの漢字を大いに駆使しているのはさすがである。

京都で学生生活を送った私の息子は秘密主義に徹していたので、その生活を垣間見るような微妙な思いをしたが、それよりも京都大学周辺の模様が細かく語られていることが、三十年以上も昔になるある私の記憶を呼び起こしてくれた。

その当時私は出身大学で助手を務めていた。所属していた研究室には若い大学院生が充ち満ちており、文字通り日夜切磋琢磨しながら研究に励んでいた。定期的に行われる研究室内での研究報告や日常のやり取りで、誰がどのようなことをしているかお互いによく知り合っていた。

私は研究室に閉じこもるよりは、他学部や他大学の友人と共同研究をすることが多かった。『学際研究』と言うことになるのだろうが、異なる分野の研究者から受ける刺激がたまらなかったのである。京都大学の研究者とも知り合いになり、京都を再々訪れては共同研究を始めるに当たっての予備実験などを行っていた。その当時日本には数台しかない非常に高価な測定装置の一台ががそこには備えられていたのである。

テーマが異なるので私が直接指導することはなかったが、一人の女子院生と話ししているときに、ひょっとしてその測定装置で重要な知見が得られるのではないか、と言う気がした。その院生と直接指導に当たっていた教授と話し合って予備実験をすることになり、一日、女子院生共々測定試料をもって京大まで出かけた。

女子院生の仕事は結果的には共同研究にまでは発展しなかった。それまでに解決しなければならないいろいろと難しい問題が浮かび上がったからである。その詳細は私の本来の仕事ではなかったのでもう思い出せない。しかし記憶に鮮明に刻まれていることがある。

測定データは積算しないといけないので時間がかかる。そのうちに夜になり交代で食事を摂ることになった。女子院生と私は工学部の建物に近い北門を通り抜けて今出川通りに出た。あの界隈は学生相手の食堂が結構多くあり適当なところで食事を終えた。

研究室に戻ろうとしたらなんと北門が閉じられているのである。せめて脇の通用門でも開いておればいいのだけれど、もともと脇門もない。食事をしているうちに閉門時間になり、事情に疎いわれわれが閉め出されてしまったのである。私の知る限りこうなるといったん時計台のある正門まで行って構内に入り、さらに工学部の建物に戻らないといけない。距離で言うと南北だけでもバス停一駅分を往復することになる。やむを得ずその女子院生に提案した。「この門を乗り越えようか」と。彼女は「はい」と言った。

いくらやむを得ないからといって、いわばお客さんとして訪問している京大の構内に、門を乗り越えて入り込むのはそれなりに勇気が要る。人目をまず気にした。様子を窺って「よし」とまず彼女にアタックさせた。運動神経がいい彼女は果敢にもそして機敏に門を乗り越え無事構内に着地した。次は私の番、言い出すからには自信がある。梁上の君子に目されては堪らぬとばかり、私も素早く後を追い、何喰わぬ顔をして研究室に戻ったのである。

後日談がある。目出度く博士の学位を得てよき伴侶に巡り会い、子宝にも恵まれたその女子院生は幾星霜を経た現在、京都大学大学院教授として自分の研究室を主宰している。学問上の業績が評価されて教授に迎えられたことになっているが、彼女が若き日に門を乗り越えて京大構内に突入したことが、早くからその運命を決めていたのだと私は信じている。というのも、私も門を乗り越えた数年後に京大に迎えられ、定年まで勤め上げたからである。これは偶然ではありえない。

勧めるわけではないが、といいながら唆していることになるのか、大学教授を志す若い人たちは、目指す大学の閉じられた門を秘かに乗り越えてみてはどうだろう。私の経験で言えばそれは一度だけ、欲張って何回もすることではない。それで夢が叶えばファンタジーではないか。

森見登美彦氏のこの小説は第十五回ファンタジーノベル大賞の大賞受賞作品とのこと、ついつい向こうを張ってしまった。