Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

情と理屈

2006-05-29 07:30:41 | 報道写真考・たわ言
「人の心は情によって動くようにできている。。。」

読んでいた雑誌のコラムのなかのこんな言葉が目に入った。

理屈ではなく、情で納得してこそ人は行動するものだ、ということらしい。

なるほどなあ、と思った。

僕はかなり理屈っぽいほうなので、人と話をしていても、相手を納得させるために理図目になることがよくある。文章を書いていても理屈がきちんとしていないと、どうも居心地が悪い。

しかしその反面、自分で言うのもなんだけれど、かなり情にもろいほうだとも思う。だから、それを押し殺しながら、相手と話をしなくてはならないような状態は一番つらい。

アメリカで生活をするようになったのも、自分が理屈っぽくなった理由のひとつかもしれない。

こちらでは日本と違って、物事に白黒をはっきりつけたがるし、ディベート(議論)にしても、きちんとした論理でもって相手を説き伏せることが「有能」とされるので、そこに「感情」のはいる隙はあまりない。ビジネスでは特にそれは顕著だろう。

それでも、理屈を曲げても、「情熱」とか「同情」といったものに人間が動かされることも少なくないはずだ。それがすなわち情なのだ。

リベリアの子供たちに対する募金が集まっていることも、それは写真が直接人々の情に訴えたからだろう。僕が文章でくどくどとこの国の現状を説明していたとしたら、人々は頭では理解したとしても、お金をだす程までに子供たちに思いを寄せてくれただろうか?

理屈だけでもとりあえずビジネスは成り立つかもしれない、しかし、それが人間関係である以上、情の存在は無視できないし、情がからむことによって、その結びつきは遥かに強くなるはずだ。

こんなことを書きながら、結局なんだかまた書いてることが理屈っぽくなってるなあ、とふと気づいた。






エセルの言葉

2006-05-27 12:28:14 | リベリア
定刻より30分ほど遅れて、ムスと母親のファトゥを乗せた飛行機がシカゴに降り立った。

出迎えに来たのは僕とシカゴ在住のリベリア人女性4人。そのうちの一人、エセルの家に4週間ほど滞在しながら、ムスは義手の出来るのを待つということだ。エセルは50歳になるおばちゃんで、家族はみなシカゴ近郊に住んでいるが、年に1度はリベリアに戻る生活をしているという。

空港からエセルの家に集まり、夕食をご馳走になる。一年ぶりに、スパイスのきいたリベリア風チキンとライス。美味い!

彼女たちの話を聞いていて驚いたのは、みな大統領の子供たちや親族のことをよく知っているということだ。世代が同じということもあろうが、なかには大統領の息子とデートしていたという女性もいたりして、昔話をしながら随分と盛り上がっていた。初めちょっと緊張していたファトゥも同国人同士の雰囲気にすぐに打ち解け、持参してきたゴスペルのテープをかけながら踊り始めた。

はしゃいでいたムスが力尽きてベッドで眠りに落ちると、程よく酒のまわったエセルが、ジョンソン大統領のことを言及しながらしみじみと話始めた。

「ようやくリベリアに本当のリーダーが生まれたのよ。これからの5年間が私たちリベリア人にとってとても重要なの。。。内戦から逃げて、国外に散らばったリベリア人たちがいまこそ力をあわせなくてはならない時だと思う」

エセルは、アメリカに住むリベリア人が一人当たり5ドル寄付するとして、100万人それをおこなえば500万ドルになる、それだけでもリベリアの子供たちの教育を助けるのにどれだけ役立つことか、そんなことも力を込めて語った。

そして、僕に向かって、シカゴ・トリビューン紙でそういうことを伝えてもらいたい、とも。

しかし、次のリベリアの記事がいつになるかさえ決まっていない状態で、僕としてははっきりとした返事をすることもできない。そんな立場を歯がゆく、そして恥ずかしくさえ感じてしまう。

エセルは何度も何度も繰り返してこうつぶやいた。

「私たちはリベリアを愛しているのよ。。。」




またまたムス

2006-05-24 21:09:33 | リベリア
ムスが今週末にまたシカゴにくることになった。
来週に義手ができあがるらしい。

今度は母親のファトゥといっしょだから、前回よりもっとリラックスできるだろう。

前回のブログで書いたアルバートの言葉のこと。。。

ファトゥははじめてアメリカをみて、何を感じるだろう?
やっぱり誰かに養子に出してでも、ムスをアメリカで生活させたいと思うだろうか。。。



(お知らせ)
ユニセフの巡回写真展「同じ地球の空の下」の次回開催地が新潟に決まりました。
東北電力グリーンプラザ(新潟)
6月1日~14日まで
9時~17時(最終日13時終了)
http://www.unicef.or.jp/osirase/cal/0606a.htm



親の愛

2006-05-22 09:32:53 | リベリア
数日前、家の電話にムスの父親のアルバートからのメッセージがはいっていた。

これまでも1,2ヶ月に一度は僕に電話をくれていたので特に珍しいことではないのだが、その日の留守電の声にはちょっと緊迫した響きがあった。

「クニ、メッセージを聞いたらすぐに電話してくれ。。。」

予想どおりそれはムスのことだった。

ムスがシカゴから戻ってから、いろんな人が家を訪ねてきてちょっと混乱しているらしい。無理もない。彼らの住んでいるコミュニティーからアメリカに行ったのなどムスくらいだろうし、おまけに大統領に伴われてだ。あっちでは大騒ぎになったに違いない。

ムスのことで尋ねてきた人達が、あとで連絡するといったきり音沙汰がないのでどうなっているのか心配になっているらしい。しかし僕のほうでも誰がムスの家を訪ねているのかなど見当がつかないので返答の仕様がない。とにかく義手が出来上がる2週間後くらいにムスはまたシカゴに戻ってくることになっているので、あと1週間くらいは待ってみれば、とアルバートにアドバイスして電話を切った。

しかし、会話の途中で彼がつぶやいたこんな言葉が耳に残った。

「アメリカで誰かムスを引き取ってくれる人がいればいいのに。。。」

そういえば、2年前にムスと再会したときにも、アルバートはそういっていた。

自分たちは貧しいし、リベリアにいてもムスの将来にあまり希望がないと思っているのだろう。アルバートはアメリカでいい学校に通い、高い学歴をつけることがムスの人生を良くすると信じている。そして、そのためには他人の手にムスを引き渡してもいいとまで思っているのだ。

ムスの両親であるアルバートとファトゥは非常に信仰深く、働き者だ。他人に感謝する気持ちをいつも持っているし、子供のことも良く考えている。僕の眼からみれば、人間的にしっかりとしたこのような両親が健在なのだから、金銭的に貧しくてもムスは家族と一緒にいるのが一番幸せなのでは、と思うのだが、それは気楽なよそ者のたわ言に過ぎないのかも知れない。

子供によりよい人生を送らせる為に、それを手放すこともいとわないのが親の愛なのだろうか。

親になったことのない僕には、頭で考えることはできても、その心までを理解することは難しい。






シカゴの五月

2006-05-17 17:44:26 | シカゴ
久しぶりにブログのアップをしなくては、とパソコンに向き合ったところで、バラバラバラッとただならぬ音が窓の外から聞こえてきた。

外をのぞくとなんと、雹が降っているではないか。直径5ミリくらいの氷の粒が、窓枠や路上に停めてある車に当たって激しい音を立てている。そして1分もたたないうちに、それはゴロゴロという雷とともに大雨になった。

ここ数日ずっと雨で肌寒い日が続いていたのだが、今朝は久しぶりによく晴れ渡った。気持ちよく半袖で外の撮影をしていたのに、それが夕方にはこの様だ。。。

5月のシカゴの天気はわからない。

そういえば去年のゴールデンウィークに、両親と妹が遊びに来た時もやたら寒くて、植物園で雹と雪に見舞われたっけ。

2週間前くらいには半そでで歩けるほどで、もうすぐ夏かなあ、なんて期待していたのだが、やっぱりそれは甘かった。

こんな具合だから、いまだに冬物のジャケットをクリーニングに出すことが出来ないでいる。


人の善意

2006-05-12 17:13:33 | リベリア
3日間のシカゴ滞在を終え、ムスはリベリアへ戻っていった。

最終日の朝、義手の型をとるために医者を訪れたあと、成り行きでレポーターと僕が、出発まで数時間ムスの世話をすることになった。大統領のグループはテレビのトークショーに出演するためにみなスタジオにいってしまうので、僕らがムス役をおおせつかったというわけだ。ムスは僕になついて(?)いるし、うってつけだとでも思ったのだろうか。。。リベリアから大統領が連れてきた子供を、地元のジャーナリストの手に預けるなんてなんだか変な話だが、ムスとより時間を過ごせることになった僕としては願ってもないところだ。

遊園地や玩具屋でムスはえらくはしゃいでいた。観覧車や回転木馬。。。さすがにこういうものリベリアにはないもんなあ。それからトリビューンのオフィスにも連れていったが、そこでもムスは人気者に。みな僕の写真で彼女のことは知っているので、エディターやレイアウトのデザイナーなど、「実物のムス」を見ていたく感動していたようだ。

振り返れば、ムスの訪米から義手の話。。。思いもかけない展開に、僕にとっては胸の高鳴るような数日間だった。

義手の件については、シカゴに住むリベリア人の女性が、何件か診療所に電話をかけまくって、経費とサービスを寄付してくれる医者を探し出したそうだ。

世の中、胸くそがわるくなったり、腹の立つことも多いが、それでもまだまだ捨てたものではないなと思う。恐らくはハンディキャップのまま、貧困のなかで一生を過ごすであろうと思われたムスが、なんと大統領につれられて訪米し、さらに義手を得るまでにいたったのだ。これは多くの人々の善意の賜物に他ならない。

義手ができあがる2,3週間後、ムスは再びシカゴにやってくる。義手を初めてつけたとき、彼女はいったいどんな顔をするのだろうか。。。




ムスとの一日

2006-05-09 23:43:32 | リベリア
今日はほぼ一日をムスと過ごすことが出来た。

大統領と一緒に10人の子供たちが来ると聞いていたのだが、急に予定が変わったのか、昨日空港に着いた子供はムス一人だけ。長旅で疲れていたうえに、遊び仲間もいなかったためだろう、昨日はほとんど笑顔もみることはなかった。

今日は大統領のスケジュールからは外れて、シカゴに住むリベリア人の家族と一緒に街を歩く。その家族の3歳になる女の子とすぐに仲良くなったムスは、ようやく本来の姿に戻って、一日中走り回っていた。

やっぱり子供は子供だ。まわりに大人しかにいない上に、イベントではスピーチばかりを聞かされているんじゃムスが腐るのも無理はない。

公園で遊び、消防署で消防自動車に乗せてもらい、水族館でイルカをみて、出来たばかりのミレニアムパークで水遊び。。。久しぶりにはしゃぐムスの姿を見ることが出来た。

~~~~~~~~~

このブログを書いているたったいま、大統領の弟からメールが送られてきた。ムスが明日の朝、医者に診断してもらえることになったらしい。

それは、ムスの右腕のために義手がつくられる、ということだ!

嬉しさに、僕は少なからず興奮している。。。。



ムスの訪米

2006-05-06 22:28:44 | リベリア
嬉しいニュースがある。

ムスが来週シカゴに来ることになった。片手を失ったあのリベリアの少女だ。

リベリアの大統領が10人の子供たちを連れてプライベートにアメリカを訪れるのだが、そのグループの一人としてムスが選ばれたという。

僕らが取材してトリビューンに掲載したリベリアの記事をみて、大統領はムスのことを知ったらしい。

首都モンロビアの外に出たことのないムスにとって初めての旅。勿論飛行機にのるのも初めてだろう。

月曜日から水曜日までシカゴに滞在するという。大統領の一行としての訪米なので、僕があちこち連れて行ってあげるというわけにはいかないが、なるべく多くの時間をムスたちと過ごせるように、先方に希望を伝えておいた。

昨年5月のリベリア滞在からちょうど1年。ムスはまた一回り大きくなっているだろう。いっそうおしゃまになっているかも知れない。そんな彼女が、また以前のように僕になついてくれるだろうか?シカゴは寒すぎないだろうか?初めて親元を離れて、ホームシックにならないだろうか?。。。いろいろな思いが頭をよぎる。

月曜日が待ち遠しい。




(ムスとの出会いについてはジャーナル参照)

http://kuniphoto.com/kj0401_Q_0105.html









事実と真実

2006-05-02 20:27:06 | 報道写真考・たわ言
報道写真家という仕事をしていて、いつも気になっている言葉がある。

「真実を撮る」という言いまわしだ。

人からコメントされることもあれば、インタビューをされた後の原稿に「真実を撮るカメラマン」などと書かれることもある。正直言って、これはかなり心外だ。気づいたときは必ず訂正してもらうように申し出ているが、世間では人々が「真実」という言葉を随分安易に使っているなあと感じてしまう。

まあ言葉の定義にもよるだろうが、僕としては報道写真家が撮るのは「真実」などではなく、「事実」に過ぎないと思っている。真実などそう簡単に見えるものではないし、普遍的なものでさえないだろう。立場や価値観が変われば、真実それ自体変わってしまうようなものなのではないだろうか。読者が一枚の写真から想像を膨らませてその人なりの「真実」を追究するのは勝手だが、そこに写っているものは僕らの目の前に存在した単なる「事実」に過ぎないのだ。

だから僕は、カメラマンが「真実を撮りたい」とか「真実を追って」などというのを見たり聞いたりすると、なんだか胡散臭く感じてしまう。

最近ではコンピュータ技術の発達で、見抜くのも不可能に近いような写真合成なども簡単に創れるようになってしまったが、そういう例は別にして、基本的に写真は絵と違い、空想や想像ではつくりえない。そこに実在しているものしか写すことができないのだ。

僕ら報道写真家たちのできることは、「事実」を記録し、人々に伝えること。そこには「真実」云々などという観念的なものは含まれない。現実を伝えるメッセンジャーとしての役割があるだけだ。