Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

消えゆくムンバイのアイコン・タクシー

2013-05-29 14:37:43 | アジア
「タクシーが現役で走れるのは車両の製造年から20年まで」
ムンバイを州都として擁するマハラシュトラ州政府が、昨日こんな政令を発表した。この結果、長年ムンバイでタクシーとして使われてきたプレミア・パドミニの多くが(すべてではない)、今年7月31日の期限をもって路上から姿を消すことになる。

1964年から2000年にかけて、イタリア・フィアット社の認可のもと、インドのプレミア社によって製造されたパドミニ。14世紀のヒンドゥー・ラジプット族の王妃からその名前をとったこのモデルは、そのレトロなスタイルでこれまでムンバイの象徴のひとつとなってきた。しかし近年、車体が古くなっていくにつれてエアコンのない室内の匂いや、雨期に頻発する故障の問題などで徐々に人気が薄れていった。

すでに多くのタクシードライバーたちは新しいモデルに乗り換えており、現在ムンバイで走っているパドミニはおよそ1万台。8月以降現役で残るのはごく僅かになりそうだ。

確かに雨期の車内のカビ臭い匂いには閉口するが、それでも僕個人的にはパドミニは好きだ。なんといってもあの60年代のレトロなスタイルは格好いいし、車内も広いので乗り心地も悪くない。こんなパドミニがなくなってしまうのは寂しい限りだが、やはり新しいものを求める顧客と、時代の波に逆らうのは難しい。

またひとつ時代のアイコンが消えていく、ということになりそうだ。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/05/29/goodbye-to-mumbais-iconic-taxi/ )

(同記事は、Yahoo Japan News にも掲載しています)

不法居住区の悲劇

2013-05-15 17:09:59 | アジア
「ブルドーザーがきて家をみんな壊していったよ。公衆トイレさえもさ。何も残らなかった」

ここに30年近く住んでいるというラム・ラタンは力なくそう言った。

インドの首都デリーに何百と存在する不法居住地のひとつ、ソニア・ガンジー・ナガール。4月中旬のある朝、ここにあったラタンの家を含めた50軒の家がすべてとり壊された。

デリーやムンバイなどの大都市には、毎年何万という人々が地方から仕事を求めてやってくる。ラジャスタン州からきたラタンもその一人だ。正規の部屋を借りるお金もない彼らはこのような不法居住区に住まざるをえないが、地域のインフラ開発が始まると、法的な住居権を持たない彼らはまっ先にその犠牲となる。ソニア・ガンジー・ナガールも、前を通る道路の拡張工事のために邪魔な存在となったのだった。

不思議なことは、ラムをはじめとしたここの住人達の身分証明書や選挙投票の登録カードには、はっきりとソニア・ガンジー・ナガールの名前が住所として記されていることだ。不法居住区なのに、市の発行する書類には登録されているというこんな事態は、悲しいかな矛盾だらけのインドでは珍しいことでもない。しかし、家を失った住人たちにしてみれば、笑い話ではすまないことだ。

僕がここを訪れたとき、赤ん坊がひとり簡易ベッドの上で眠っていた。まわりにはぶんぶんと羽音をたててハエが飛び回っている。同じくらいの歳ごろの娘をもつ父親として、さすがに辛くなる光景だけれど、僕に出来ることなど無駄にハエを追い払うことくらい。瓦礫のうえでは、女子供たちがレンガを拾い集めていた。次の家を建てる時のために使うためだ。しかしそれがいつのことか、どこになるのかなど誰にもわかりはしない。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/05/15/tragedy-of-illegal-settlement-delhi-india/ )

(同記事は、Yahoo Japan News にも掲載しています)

ネルソン・マンデラの思い出

2013-05-03 13:13:30 | アフリカ
来週5月10日は、ネルソン・マンデラが南アフリカ初の黒人大統領に就任してからちょうど19年目の記念日になる。

マンデラの大統領就任は、世界の歴史の中でも最も重要な出来事のひとつであったことは間違いないが、これは僕自身にとっても特別な日でもあった。

僕が報道カメラマンになって、初めての国外取材の仕事が1994年、この南アフリカの初の全人種混合選挙だったのだ。2ヶ月間の滞在中、政党同士の暴力抗争、黒人達にとって初めての投票、そしてマンデラの就任式などを撮り、駆けまわった。まだ写真学校を卒業したばかりの駆け出しだった僕が、APやロイタースなどの通信社やUS News & World Report 誌などに写真を寄稿できたのは幸運だったが、キャンペーンのときに拳をあげるマンデラを撮った写真が、初めてUS News誌に掲載されたときの喜びは、いまだに忘れることはない。

ジェームス・ナックトウェイ、APのデイビッド・ブロッコリーや南アのスターカメラマン、ケン・ウースターブロクなど、第一線で活躍していたベテランたちと行動を共にし、彼らから学んだことも計り知れない。不幸にもケンは、平和維持軍とANCの武力衝突の際、銃弾に倒れ、選挙の前にこの世を去ってしまったが。

南アでの思い出は数えきれないが、もっとも心に残っているのはやはりマンデラの就任式での光景だ。世界中から集まった何百人というカメラマン達と共に、僕は報道陣用のステージに立っていた。マンデラが正式に就任すると会場の興奮は最高潮に達し、その高揚した空気は、これまで経験したことのないほど、僕の体中にびりびりと伝わってくるほどになった。黒い手、白い手、褐色の手… この歴史的瞬間に立ち会うために駆けつけた何万もの人たちが人種に関係なく手を取り合い、それを空に向かって突き出している。思わず溢れ出してくる涙で、のぞいていたファインダーがみるみるくもっていったことを思い出す。

時は流れるのは早いもので、僕もマンデラもあれから20歳ちかくも歳をとったわけだが、偶然にも数日前、こんなニュースをネットで目にした。療養中のマンデラの家を訪れ、その様子をビデオで放映したANC(南アフリカの与党。マンデラの政党でもある)の政治家たちが批判にさらされている、というものだった。94歳のマンデラは、肺を病んで入退院を繰り返している状態で、2010年に南アでひらかれたワールドカップサッカー以来、もう何年も公衆の前には姿を現していない。放映されたビデオに映ったマンデラは衰弱した様子で、笑顔もみせていなかった。これに対して人々から、ANCによる売名行為とか、マンデラのプライバシー侵害といった非難が沸き上がったらしい。

マンデラの心中など僕にわかりようがないし、この批判について判断のしようもないが、ただ言えるのは、大統領の職を退いて何年も経つ現在も、マンデラは多くの人々にとって英雄であり、深く愛されている、ということだ。宗教や人種、階級をこえて、これだけみなに敬愛されたリーダーというのは、恐らく世界でも彼が最後なのではないだろうか。

ありふれた言い方だが、僕にとっても勇気や希望を与えてくれたマンデラの、今後の健康を祈らずにはいられない。駆け出しのころを思い出すとき、いつも頭に浮かんでくるのは、選挙中に拳をあげる彼の笑顔なのだから。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/05/03/memories-of-nelson-mandela/ )

(同記事は、Yahoo Japan News にも掲載しています)