Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

仲間の拘禁

2006-08-28 11:32:49 | 報道写真考・たわ言
石油プロジェクトを一緒におこなったレポーターのポールが、スーダンで拘置されている、との知らせをうけた。

一月ほどまえから、ナショナル・ジオグラフィック・マガジンの仕事でアフリカのスーダンで取材をしていた彼は、政府から正式に許可されていない西部のダファ地域にチャドから国境を越えてはいっていたところを、チャド人の通訳およびドライバーとともに拘束されたらしい。

スーダン政府はスパイの容疑だとしているが、そんなものは濡れ衣で、難民に対する虐殺の続いているダファ地域にジャーナリストをいれたくなかったのは明白だ。長い間続いているアフリカンーキリスト教系の難民に対するこの虐殺は、アラブーイスラム系の政府が裏で糸をひいているといわれているからだ。

現在、ポールたち3人に対する裁判が現地で開かれている。

イラクで人質になるような命の危険はないにしても、最悪の判決がでれば、何年も刑務所に拘禁されるということもあり得る。

ポールはこれまで2度もピュリッツアーを受賞したすぐれた記者だし、取材対象に誠実で、労を惜しまない彼の仕事ぶりは一緒にいた僕はよくわかっている。ナイジェリア、イラク、アラブ首長国連合、そしてルイジアナと、つい数ヶ月まで行動を共にしてきたかけがえのない仲間だ。

ジオグラフィックとトリビューンがスーダン政府との交渉にあたっているというが、彼らの一日も早い釈放を祈っている。





















ゲームプラン(その2)

2006-08-27 19:50:04 | 報道写真考・たわ言
先日トリビューンの社長にだしたメールの返事がきた。

恐らく無視されるだろうと思っていたので、少々驚いた。

2行の短いものだったが、内容はこういったものだ。

「意見をどうもありがとう。ゲームプランという言葉は、一般的に使われている戦略というような意味でつかっただけで、遊びのゲームという意味はなかった。それでもやはり他の言葉を使ったほうが良かったかもしれない。。。」

現在の新聞業界の行方には非常な危機感を感じているし、トリビューンの経営方針にも同意できないところはたくさんある。それでも、たかだか一カメラマンの意見に対しても、社長直々にきちんと対応してくれたその態度は嬉しく思う。

もしこれが独裁者社長だったら、眼をつけられてクビとか減棒になってたかも知れないしね。。。





















ゲームプラン

2006-08-25 18:13:58 | 報道写真考・たわ言
トリビューンの社長から社員にあてたメールが届いた。

相変わらず会社の景気が悪いので、幹部連中が建て直しのためにあれこれと策を練っているのだが、新しい動きがあるたびに全社員にメールが送られてくる。

今日は、カスタマーサービス部を本社から切り離して、その仕事をフィリピンにあるカスタマーサービス専門の会社に委託するという知らせだった。

いまやほとんどのカスタマーサービス業は電話でおこなわれるので、わざわざ会社にオフィスと人材を配置しておく必要はない。人件費が安く、かつサービス専門のインフラが整っている海外の専門会社に委託するこの方法はすでに多くの会社でおこなわれている。カスタマーサービスに電話をかけると、アメリカの会社なのにいつもインド訛りの英語を話す人間ばかりが応対にでるというのはよくあることだが、これなどはいい例で、インドにある専門会社にサービスが委託されているというわけだ。

まあそれはいいとして、この新しい動きのためにトリビューン本社のカスタマーサービス部門で働く社員のなかから、相当数がリストラされることになった。

これも仕方がない。。。といってしまうのは非常に遺憾だけれども、生き残りのために企業というのは血も涙もなく社員を切っていくものだ。僕だって明日は我が身、ということになるかも知れないし、こればかりは会社で働いている限りどうしようもない。

しかし、送られてきたメールの中で、どうしても見過ごせない言い回しがあった。

社長は、カスタマーサービス部のリストラを述べたあと、「次のゲームプランは。。。」として報告を続けていた。

「ゲームプラン!?」

この言葉にカチンときてしまった。

リストラされる人間にとっては、仕事がなくなる、すなわち生活にかかわる深刻な事件だ。そういうことさえも「ゲーム」の一部だということか。。。確かに会社の運営も、社長にしてみればゲームのようなものなのかもしれないが、リストラされる当の社員達はこんな言葉を眼にして一体どう思うだろうか?

「『ゲーム』というこの言葉はあまりに人の心情を汲んでいないのでは。。。」
僕は社長にメールをだした。

僕は社長という人間と面識はないし、ましてや彼の考え方や人間性など知る由もないから、この一件だけで彼を批判するつもりなど毛頭ない。ただ、なぜだかこの言葉だけはどうしてもやり過ごすことができなかったのだ。

ただの一カメラマンの声は届くだろうか。。。





















「考える」こと

2006-08-18 21:14:22 | 報道写真考・たわ言
ようやくアパートにガスが戻った。

原因はやはり大家の支払い滞納だったようだ。アパートの他の住人とともに大家に毎日何度も抗議の電話をかけた挙句、4日目にしてやっとガス局のおっちゃんがやってきて元栓を開けていってくれた。やれやれ、これで何とか水シャワー、冷凍食品の生活ともおさらばできる。

お湯がでるようになったので、ひさしぶりに風呂にはいることにした。普段はシャワーを浴びるだけなので、湯船につかるのは気が向いた時、せいぜい2ヶ月に1回くらいだ。

身体を湯に浸しながら、ふと思った。

なんか最近あまり「じっくり考える」ことをしてないなあ。

「思う」ことは沢山あって、いつも頭の中を渦巻いているんだけれど、その「思い」をつきつめて考えてみることを全然していない自分に気づいた。なぜか最近、面倒くさくて、「考える」ことから逃げているような気がするのだ。

頭を使って物事を組み立てるように考ることを避けているので、ひょっとしたらそれが先日ブログで書いた、「書くこと嫌い」につながっているのかなとも思う。

人間、考えなくなることは怖い。

考えないということは、どんどん脳が劣化していくことだ。

先日観た、渡辺謙主演の「明日の記憶」を思い出した。

アルツハイマー病をあつかった映画(ちなみにこの映画は年齢、性別を問わず、ぜひ皆さんにも観てもらいたい。僕としては5つ星の傑作)なのだが、これを見終わったあと、正直僕はかなり怖くなってしまったのだった。

ここ数年記憶力も落ちてきているようだし、話したいことも考えながらで、すらすらと口をでてこなくなった。このままではそう遠くない将来に、僕も映画の主人公のようになってしまうのではないだろうか。。。そんなことを真剣に思ってしまったのだ。いや、今でもそういう恐れの気持ちは持っている。

もっと頭をつかわなくては!もっと文章をかかなくては!

風呂に入ってリラックスして、ビールでも飲んで寝るつもりだったのが、結局ブログを更新する羽目になった。



















お湯がでない!

2006-08-16 20:33:06 | 報道写真考・たわ言
昨日からガスなしの生活を強いられている。

大家がガス代を滞納していたようで、アパートのガスが止められてしまったのだ。

まあ電気や水がなくなるよりはましだけれど、やっぱりガスがないと結構不便だ。

料理ができない。湯が沸かせないから茶も飲めない。それから、家のアパートは建物全体がガスの湯沸しシステムなので、シャワーの湯がでないのだ。夏場とはいえ、冷水のシャワーは結構こたえる。

これが冬だったらと思うと、ぞっとする。暖房なし、お湯なしで凍死するところだった。(ちょっと大袈裟?)

イラクで従軍してたときのことを考えればなんてことはないんだけど、やっぱり自分の家とイラクの海兵隊テントを一緒に考えるには気分的にちょっと無理があるし。。。

明日は直ってくれることを願うが、こういう問題がおきると大家はあんまり信頼できないんで、なんか嫌な予感がするんだよな。

そんなわけで、今晩もまた冷凍食品をレンジでチン!だ。。。虚しい。




















長編文章

2006-08-12 13:49:34 | 報道写真考・たわ言
どうも文章を書くのが億劫で困っている。

文章には、起承転結という組み立てが必要だ。写真のようにシャッターを押す一瞬で結果が決まるわけではない。

何か伝えたいことがあったら、まず前置きを書いて、本題に持っていって、それから文章を締めくくらなくてはならない。写真だったら読者が勝手にじっくり見てくれるような細部のことまで記述する必要もある。単刀直入にいかないそういう過程が面倒に思えるのだろう。要するに僕はせっかちで、辛抱強くないのだ。以前にも書いたことがあるけれど、正直いってこのブログを書き続けることも僕にとっては結構な苦行なのだ。

それに、なんだかここ数年集中力が随分と落ちてきたような気がする。

いつも頭の中でいろんなことが渦巻いているせいか、文章を書いていてもすぐにほかの事に思いが飛んでしまいなかなか筆が進まないし、1時間もじっと同じ姿勢で物を書いていると我慢がならなくなってくるのだ。

それでも仕事で記事を書かなくてはならないことも少なくないし、そういうときは観念してなんとか締め切り前にあげるように頑張ってみる。まあ、そういう記事のほとんどはそれほど長い文章ではないのでどうにかなるのだけれど。

しかし、数ヶ月前から仕事絡みでかなりの長編を書かざるを得ない状況になっていて、かなりの苦戦中だ。

これまでに書いたことのない分量で、もうそのことを考えただけで気が遠くなってくる。書きたいという気持ちはあるのだけれど、実際にパソコンに向かっていると、あまりにその文章の展開が遅すぎて、とても最後までたどり着けるような気がしないのだ。イラクにいるときにも時間をみつけてはちょこちょこと書き足してはいたのだが、微々たる進歩で、まだまだトンネルの出口は闇の彼方だ。

そんなわけで、はっきりとした締め切り日が決まっていないのもいいことに、今日もついつい億劫がってその長編を書くことを後回しにしてしまっている自分がいる。

やっぱり僕には写真が肌にあっているなあ。
















ラジオ・インタビュー

2006-08-09 08:01:30 | 日本
昨夜日本のラジオ局から電話インタビューをうけた。

終戦記念日にあわせての企画なのだろう、リベリアの内戦、それから少年兵のことについてしばらく話をしたのだが、今回も自分の話の下手さにほとほとうんざりする羽目になった。

これまでも何回か電話でのインタビューはうけたことがあるのだが、毎度考えていたことがすんなり言葉になってでてこないのだ。えー、とか、あー、とかつっかかりながら、途中で自分でも何を言ってるのか分からなくなってくる。

本来僕は自分がそんなに話し下手だとは思っていないのだが、聞き手の人とは一面識もないうえに、電話というのは相手の表情がまったくわからないのでとたんに話しにくくなるのだ。相手がどんな顔をしているのか、果たして興味を持って聞いてくれているのか。。。相手の眼を見て話すどころか、受話器の向こうの様子などまったくわからない。コミュニケーションの感じがつかめないのだ。

その上、なんだか最近、僕の日本語自体が怪しくなってきているようで、言葉が的確に口に出てこなくなってしまった気がする。日常生活であまり日本語を使わなくなってかれこれ16年。母国語さえも自由に操ることができなくなったのか、と愕然とする気分だ。

国外に住む僕をわざわざ指名して、せっかくリベリアについて話す機会を与えてくれたのに。。。まともに話すことができなくて、ラジオ局の人には申し訳なく思う。

居酒屋で一杯やりながらだったら、いくらでも話せるんだけどなあ。。。








軽視される写真

2006-08-01 08:52:15 | 報道写真考・たわ言
写真は軽視されている、と思うことがよくある。

特に文章と比べるとなおさらだ。

先日書き込んでくれた田中さんのコメントのように、写真は簡単にパッパと撮れるものだと思っているのか(確かにそんな写真もあるけれど。。。)、どうも写真の社会的地位はまだまだ低いような気がする。

日本では、報道写真にそれが顕著に現れているようだ。

新聞を手にとってみても、写真にクレジット(写真家の名前)が載ることはほとんどない。写真の質自体も、カメラマンの視点というよりも、単なる記事の補足のような「説明的写真」ばかりが目立つ。写真をひとつの作品として大きく扱うアメリカの新聞とは大違いだ。

しかしそんなアメリカの新聞でさえ、レイアウトなどの勝手な都合で、写真が簡単にボツになったり、理不尽なトリミングをされたりすることは日常茶飯事だ。記事が編集されることはあっても、写真ほどダメージをうけるような扱いをされることはない。それはやっぱり写真が記事より軽視されているからだと思う。

日本でも最近、雑誌などで「フォト・ジャーナリスト」という肩書きをよく目にするが、これにも疑問を感じることが多い。本来フォト・ジャーナリストというものは、「写真だけ」で物事の本質を伝えることができるジャーナリストであるべきで、それだけ力のある写真を撮れる実力がなくてはならないはずだ。

それなのに、記事を書いて写真も撮ればみなフォト・ジャーナリストだと勘違いしている人があまりに多すぎる。そういう人達は、単に「カメラをもった記者」であって、フォト・ジャーナリストではないだろう。

これも、写真というものを軽視しているからこそ、簡単にフォト・ジャーナリストなどと名乗れるのではないだろうか。。。

ここ数日、写真の扱いに関する職場でのごたごたもあって、苛立つことも多かった。

そんなわけで、自分のことはまったく棚に上げて、日頃感じていた疑問を綴ってしまいました。



(お知らせ)
先月従軍取材をしたイラクでの写真、トリビューンのサイトに掲載されました。
http://www.chicagotribune.com/ramadi