Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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金の亡者たち

2009-04-30 10:13:14 | 報道写真考・たわ言
またアパートのガスが止められている。

以前この事態がおこったときにもブログに記したが、以来さらに2度程こういうことが起こっているので、年に一度くらいの割合でガスが止められているということになる。もちろん大家がガス代を滞納しているのが原因だ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/db6720dc248bc3d0da716db7ede87fc6

ガスが止まっていることには日曜日にシカゴに戻ってきたときに気づいたのだが、他のアパートの住人の話では、なんと僕がペンシルバニアに出かけた水曜日に元栓が閉められたという。今日ですでに1週間になるわけだ。

僕らが何度電話をかけても、メールをだしても、大家からはなんの返事もこない。仕方がないのでシカゴ市のサービス・ラインに連絡するが、こちらも役所仕事で時間がかかる。ガス局に電話して、「僕がとりあえずガス代を払ってあとで家賃から差し引くから」と申し出ても、口座が大家名義になっているので、それも不可能だという。

なんだ一体このシステムは?

お湯なし、暖房なし、料理もできない。これが真冬だったらどうなるか?さらに、それも老人や赤ん坊のいる家庭だったら、下手すれば死人が出る可能性だってあるんじゃないか?

それにしても、一体大家はどういうつもりなのだろう。

最近わかったことなのだが、この大家は僕の住むエリアでいくつものビルを所有する不動産屋で、ここ数ヶ月の間にビルの売却で数百万ドルの利益をあげた、とビジネスニュースで紹介されていた。

そんな金持ちなのに、たかが僕らアパートのガス代を滞納か?

この男とは何度か会って話をしたことがあるが、もともと金の事にしか頭にないような嫌な輩だ。

ふと考えてみたが、トリビューンのマネージメントの連中とこの大家はきっと同じ穴の狢に違いない。自分の下で生活している人間のことなど、人とも思っていないのだろう。金がすべてで、自分の生活さえ安泰であれば、従業員を何人解雇しようが、アパートの住人が寒さに凍えようがおかまいなしだ。他人が被る犠牲など考えてみる事もないのだろう。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/9342f5c072668efd17701bd52d8b163b

そういえば先週のトリビューンの大解雇のあと、トップの連中はリストラで浮いた金でヌケヌケと1千4百万ドルのボーナスを申請したそうだ。

ここまでくると、こういう連中は「犯罪者」と呼んでも差し支えないのではないか?なぜこんな馬鹿げたことを法律で規制できないのか?

ああ、腹が立つ。しかしカッカと燃える頭とは裏腹に、部屋は寒い。。。








ムスとの1日

2009-04-27 09:32:00 | リベリア
「I’m dreaming, I’m dreaming!!(これは夢!!)」

玄関をはいった僕の顔をみて、びっくりしたムスが床を転げ回った。どうやらジョディはいつものように、僕が訪ねていくことを子供たちに内緒にしておいたようだ。

ほぼ1年ぶりに再会したムスは、また少し背が伸びたようだし、顔からもぽっちゃりが抜けて幾分大人びてきた。

ジョディの話では、昨年12月にアメリカにやってきてから2ヶ月程、ムスは少なからずホームシックにかかっていたらしい。無理もないだろう、まだ11歳の少女だし、来た時期も真冬だったので、リベリアに比べれば気が滅入るほど寒い。おまけにこちらの食べ物も全く口に合わなかったようだ。そういえば、ムスが3年前にシカゴを訪れたときも、食べ物では苦労したっけ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/ca734ec3493509e13e01eba0b9aa9e46

それが今ではすっかりこちらの生活に馴染んだようで、ジョディの手料理もよく食べるようになったし、学校での友達も増えた。もともとおてんばで姉御肌の性格なので、滅多な事では物怖じしない。逆に、ちょっと気が強すぎる、とジョディが心配する事もある程だ。クラスで自分をからかった男の子の髪の毛をぐいと掴んで、泣き叫んでも謝るまで離さなかったという事件もあったらしい。

木曜日に一日ムスのクラスで写真を撮りながら過ごし、楽しそうな彼女の姿をみながら安心したが、ひとつだけ気になったのは彼女の右腕のことだった。

ジョディの話では、先日ディズニーに行ったときも、暑いのに長袖のシャッツを着たまま右腕を晒そうとしなかったらしい。アメリカに来てから、他人の視線が気になるようになったのか、自分のルックスに敏感な年頃になってきたのか、いずれにしても、ムスは自分の腕に対し少なからずコンプレックスを抱くようになってきたようだ。

一方ギフトのほうは、気分の浮き沈みが多く、戦争の後遺症から抜け出せないでいるようだ。この件に関しては、ジョディからのリクエストもあるので、ブログでいろいろ公にすることは差し控えておこうと思う。

1日半の短い滞在だったので、とても十分とはいえなかったが、それでも僕としては彼女たちの顔をみながら、楽しい時間を過ごすことができた。

(写真 ムスの12歳の誕生日を祝うギフトとアサタ)

また解雇!

2009-04-24 21:50:07 | 報道写真考・たわ言
水曜日、フィラデルフィアの空港に着いて携帯のスイッチを入れた途端、トリビューン写真部の同僚からメールがはいってきた。

「写真部から、カメラマン7人を含む12人が解雇。電話くれ。。。」

僕は思わず眼を疑った。

編集部から20パーセント人員削減が発表され、この日にまたあらたな首切りの通達があるのは知っていた。しかし、写真部からはすでに昨年だけで10人以上が切られていたし、今回はダメージは多くても1、2人だろうと高を括っていたのだ。それが、なんと12人も!これでは20パーセントどころか、写真部としては30パーセント以上の大打撃だ。僕らカメラマン達の誰もが予想していなかった大事件だった。

社のオーナー、サム・ゼル、昨年新任してきた編集局長は勿論の事、このあまりに不公平なカットを受け入れた写真部のボスに対しても、僕は非常に頭にきている。だいたいこのボスはもともと自分の保身ばかりしか頭にない人間で、どんな場面でもカメラマンの立場に立ってくれたことは一度もなく、僕らの間からは非常に評判の悪い上司だった。

昨日から僕の携帯には、解雇された記者やカメラマン達から次々と「別れの挨拶」のメールがはいってきている。多くが僕がシカゴに移ってからの5年間、一緒にやってきた仲間たちだ。これが会社勤めの運命、といってしまえばそれまでだが、やはり会社のトップ層が給料カットを含めたなんの犠牲も払わずに、僕ら現場で働く人間たちが簡単に切り捨てられるという不条理には憤りを感じずにはいられない。

本来ならギフトとムスの近況を書きたかったのだが、それはまた後日にまわさねばならなくなった。。。






リベリアの少女たち

2009-04-22 13:03:11 | リベリア
2週間前、フロリダに行く事ができずギフトとムスに会いそびれたので、その埋め合わせというわけではないが、明日ペンシルバニアへ行くことにした。スケジュールの関係で滞在は2日間と短いが、彼女たちと会うのは楽しみだ。

考えてみれば、昨年リベリアを訪れたのが4月だったから、ムスと会うのもちょうど1年ぶりになる。今週木曜日に誕生日を迎える彼女ももう12歳。ムスもギフトも、内戦のときに僕が初めて出会ってからもうすぐ6年が経とうとしている。
http://www.kunitakahashi.com/journal/journal_2005_01_musu.html
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/0ec0db01e8856388fdaaf4811060c971

外観は勿論、精神的にも会う度に変わって行く子供たち。。。これから彼女たちの将来はどうなっていくのだろう、などと、時折思いを巡らせこともある。果たしていつまで、「アンクル・クニ」として慕ってもらえるか。。。






マリア、亡くなる

2009-04-10 12:29:34 | 中南米
3日間をマリアの家で過ごして、都市部に戻ってきた。明日の飛行機でシカゴに戻る予定だ。

メキシコに到着し、空港で預けた荷物が出てくるのを待っているときに、マリアの弟からメッセージが入った。

「クニ、マリアが息絶えたよ。。。」

彼女の家に向かうタクシーのなかで、僕の胸中はかなり複雑だった。

昨夜まで、僕はとりあえずフロリダに行って、もしマリアが亡くなったらその葬儀のためにメキシコに行こうと考えていた。しかし、念のためメキシコ人の友人に話を聞いてみると、人が亡くなると、普通はその晩が通夜、 葬式は翌日の朝におこなわれるという。それでは死の知らせを聞いてからアメリカを発っても、葬式に間に合うように田舎部にあるマリアの家に着くのが非常に難しくなる。

僕は前夜に買ったフロリダへのチケットやホテルの予約をすべてキャンセルして、マリアの元に戻ることにした。しかし、先月マリアが危ないという知らせを受けて慌ててメキシコに戻ったに関わらず、結局2週間近く滞在することになってしまったので、今度ばかりはボスを説得するのに少々手間取った。

そんな経緯があったので、今回もまたマリアが持ち直したら、トリビューンが僕をどのくらいメキシコに滞在させてくれるか疑問だった。以前のブログに書いたように、マリアに生きていてほしいと願う反面、正直なところ僕の心の中には、この状態があまり長引いてほしくない、という悪魔のような思いもあったと認めざるを得ない。だから、こんなタイミングで彼女が亡くなったという知らせを聞いた時、「ひょっとしたら僕がそのような冷酷なことを考えたからだろうか。。。」などと、罪悪感のようなものを抱いてしまったのだ。それにしても、マリアの家まであと4時間ほどだったのに、生きた彼女にもう一度会えなかったのはやはり残念だった。

葬儀の撮影は、予想はしていたが、やはり僕にとってきついものになった。

どんな場合でも、人が悲しむ姿を撮るのは気分のいいものではない。それでも被写体と一面識もなければ、それなりに自分の感情を殺す事はできる。しかし今度は家族同然の付き合いをしてきた人たちなので、さすがに彼らにカメラを向けるのは辛かった。特に、いつもはクールなマリアの弟と子供たちが嘆き悲しむ姿など、みているだけでも胸が痛むのに、その上僕は彼らに対して冷徹なレンズを向けなくてはならなかったのだ。

マリアと彼女のような境遇のメキシコ人たちをとりまく問題は非常に根が深い。不法入国であるという理由から、子宮がんになったマリアは治療を受ける事ができなかった。何ヶ月も後になってから、やむなく他人の名義を使用して彼女は入院に成功するが、時遅しで、通常なら早期発見で克服できるはずのこの種のがんによって彼女はその若い命を終えた。

こう書いてしまえば一見単純だが、彼女のストーリーはアメリカのヘルスケアと移民政策の重大な歪みを孕んでおり、単に不法入国のうえに他人の名義を盗んだマリアが悪い、などとは言い切れない複雑さを持っている。このことについては、別の機会にきちんと報告したいと思っている。

マリアの家族とは、取材とは関係なしにこれからも長く付き合いを続けていきたい、僕にそう思わせるほど彼らは「いい人間たち」だった。

今は、彼らと巡り会わせてくれたマリアに感謝したい。

合掌。

(はじめにマリアという仮名で彼女を紹介したので、そのままの名前で通したが、彼女の記事はトリビューンにすでに掲載され、本名も公開された。本名はマリアナ・デ・ラ・トレ。2009年4月7日、29歳で死去)




難しい決断

2009-04-07 01:04:26 | 報道写真考・たわ言
昨日マリアの弟から連絡があった。彼女の具合がまた悪化したらしい。

人の命のことなので、僕の都合の事などつべこべ言っている場合ではないのだが、またタイミングの悪いことになった。

明日からちょうど、春休みでフロリダに遊びにいっているリベリアの少女たちギフトとムスに会いにいく予定だったのだ。

このブログでは書き損じていたかと思うが、結局学生ビザが認められて、ムスは昨年12月にペンシルバニアのジョディのところへやってきた。しかし、ジョディの家庭事情と僕の立て込んだスケジュールのためにこれまでムスに会いにいく機会がなかったのだ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/023028b1f4ca2589c109e539a448d7ae

少女たちにはまた会う機会があるだろうし、今回はマリアの取材が優先なのはいうまでもない。しかし、ギフトとの約束を破ることになるうえ、先月のようにマリアがまた立ち直る可能性もあるので僕としてはなかなか決断の難しいところだ。トリビューンとしても、さすがに今度ばかりはこのために1週間も2週間もメキシコに滞在させてはくれないだろう。

とりあえずは今晩ぎりぎりまでマリアの様子をみて決めるしかないか。。。

ジムからの電話

2009-04-04 12:48:12 | シカゴ
2日前、突然ジムから電話が入った。元ホームレスのあのジムだ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/bf7f47483f1a2be041bba86a7958066d

自由の身になるまであと2ヶ月を切っていたのに、突然トランジショナルハウスを抜け出し(2度目!)、昨年12月に行方をくらました。娘や前妻のところにも戻った形跡もなく、電話も通じぬまま消息が掴めなかった。

薄々とは感じていたが、心配していたとおり彼はロックフォードに戻ってしまったようだ。

半ばあきれた僕の心中などおかまいなしに、受話器の向こうでは相変わらずひょうひょうとしたジムの声。

「いまはあたらしいガールフレンドとアパートに住んでるんだ。でもここもあと数週間で出なくてはならないかも知れない。。」

撮影中だった僕はろくに話ができなかったが、とりあえず彼は元気そうだった。しかし、ロックフォードに行ったとなれば、ほぼ間違いなく彼はまたコカイン浸けの生活に逆戻りだろう。

刑務所のリハビリプログラムで中毒を克服し、出所後長年会っていなかった娘たちと再会。心機一転まともになろうと頑張ってきたあの2年間は、すべて水の泡になったのか。。。

僕としては確かに落胆はしたが、それでもこれが現実なのだろうな、とも思う。長年のホームレス生活とドラッグ常用が染み付いた彼のような人間にとって、更生することは他人が考えるほど単純で簡単な事ではない、ということだ。

かかってきた電話番号もそれ以来不通になってしまい、ジムとはまた連絡がつかなくなってしまったが、まあそのうちまた会えるだろうとは思っている。なんだかこういう気持ちになるのは自分でも不思議だが、その時に彼の話をじっくり聞くのが楽しみな気さえしている。





Mallet Finger

2009-04-01 23:25:04 | 報道写真考・たわ言
指を怪我した、とはいっても実際に怪我をしたのは10日以上前のことなのだが、なかなか治らないので昨日病院を訪れるはめになった。

メキシコで、マリアの子供達とバレーホールをして遊んでいたとき(他の地域はよくわからないが、彼らの村ではバレーとバスケットが人気の娯楽スポーツだ)、おかしな具合に指をくじいたらしい。左手薬指の第一関節が曲がったまま、伸びなくなった。

骨折か、と思ったが、腫れもなければ痛みもない。田舎なのでまともな病院もないし、とりあえずは村の医者の仰せの通り添え木をしてしばらく様子をみていたが、シカゴに戻って1週間経っても相変わらず指は曲がったまま。ちょっと心配になって、気は進まなかったが病院は行く事に。アメリカで病院の救急棟を訪れるのには一大決心がいる。少なくとも2時間、長ければ4-5時間も待たされる覚悟が必要だからだ。

患者が少なかったのが幸いし、それでもやはり受付から2時間近く経ってようやくX線室へ。検査の結果、骨には異常はなかったが、Mallet Fingerという、何やら聞き慣れない怪我だと判明した。ネットで調べてみると、日本では槌指変形と呼ばれており、要するに突き指の極端なものらしい。伸筋腱という、骨と筋肉をつなぐ筋のようなものが切断されるために指が伸びなくなるということだ。

添え木をして固定しておけば4-5週間で治るということなので、結局は村医者の診断と同じだった訳だ。骨折でなくて一応は安心したが、それでも薬指に添え木がしてあると、パソコンのキーをうつのに一苦労。こんな短いブログを書くのにも、やたら時間がかかるし、写真のキャプションをつける作業もスローダウンしてしまう。

毎度の事だが、「失ってみて、はじめて感じる健康の有り難み」という心境かな。。。