Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

イラクに来る意味

2007-08-30 08:51:57 | 中東
バグダッドに入ったはいいが、従軍する部隊の基地に行くためのヘリコプターの座席待ちで一日時間を潰すことになった。

昨夜、ゲッティー・イメージズのカメラマンで友人でもあるスペンサーがちょうど従軍を終えてホテルに戻ってきており、彼の部屋で一杯飲みながら話をする機会があった。

カメラマン達が同じ時期にイラクで仕事をしていても、各々従軍する部隊も違えばその期間も異なっているので、ホテルで出会う確立はあまり多くはない。スペンサーも僕も毎年1度や2度はイラクに来ているが、バグダッドで顔を合わせるのは初めてだった。彼がシカゴに来たときに会ったきりだから、それからもう2年以上だ。

「イラクではもう同じような写真ばかりしか撮れないし、カメラマンとしては正直あまり気の進む場所ではないよ。。。」

こうこぼす僕に、酔いのまわってきたスペンサーが強い口調で切り替えしてきた。

「いや、それでもイラクは重要なストーリーだし、俺たちは撮り続けるべきだ。今では俺たちのような外国人のカメラマンはほとんどここに来ないし、いいチャンスでもあるだろう」

確かにイラクが重要なストーリーだというのは承知している。特にアメリカ国民にとっては現在最も重要な出来事であるといえるだろう。

それでも、それが果たして写真で満足に表現できているのか?それが僕にとっては疑問だった。従軍という限られた環境でしか撮影できない欲求不満がある。しかし、選択肢の残されていない僕らにとっては、やはりそれをやり続けていくことしかできないし、そのなかで意味のある写真が撮れる可能性がないわけではない。ここは戦場だ。次の瞬間に何が起こるかなど、誰にも予測できないのだ。「イラクではもう撮れない」といって、現場に足を運ぶことさえ諦めてしまっては、そこからは何も生まれない。確かにスペンサーの言うことは正しかった。

今回の従軍中、こんなことがあった、と彼が話し始めた。

ある晩のこと、バグダッド市内で、工事に使うクレーン車を移動する任務があった。パトロールとか家宅捜索ではなく、たかだかクレーンを移動するだけの仕事だったし、重なる従軍で疲れていたので、彼はその任務には行かずキャンプで休むことにした。

しかし、任務から戻った兵士達は、まだ興奮冷めやらない様子でスペンサーにこう語ったのだった。

クレーン移動の任務中にその部隊は銃撃にあい、市外戦になった。たまたまそこを車で通りかかったイラク人が、わけがわからず部隊に向かって走り続けてきたために、米兵によって撃たれ死亡、乗客は泣き叫び、混乱になった。。。

「俺が怠け心をだしてしまったばっかりに、大変な写真を撮り逃がしてしまったんだ。。。」スペンサーは悔しそうに顔をしかめた。

こんなこともあったからなおさら彼は、「イラクは撮り続けなくてはならない」と、そう思ったのだろう。

確かに彼は重要な写真を撮り逃がした。。。しかしさらに僕が思ったのは、もしスペンサーがその部隊と一緒にいたら、ひょっとしたら米兵は民間人の車に対し発砲することを躊躇したかもしれない、ということだった。

カメラを持ったジャーナリストがその場に存在することによって、兵士の無謀な行為を防げるという可能性は十分にありえるのだ。そう考えたとき、たとえ満足できる写真を撮ることができないとしても、僕らがここにきて従軍するということには意味があるのかもしれない。。。。

そんなことに改めて気づかされた。

またまたイラク

2007-08-29 04:39:56 | 中東
6月に始めた米兵取材のプロジェクトの一環で、今日またイラクに入国した。

今回は米軍とのミス・コミュニケーションで当初予定していた従軍期間が短くなってしまったので、カメラマンの僕としては苦戦をしいられそうだ。

来月あたまに新聞及びインターネットで掲載予定のシリーズ第一話目のためのビデオ編集は出発前に済ませてきたが、第二話目がすぐその翌週に掲載予定なので、今回は従軍取材中に写真、ビデオの撮影のみならず、その編集と電送もすべておこなわなくてはならない。

写真と違ってファイルの重い動画を、衛星電話を使って電送するのは非常に時間がかかるので、なるべく短く編集しなくてはならないし、カメラマンにとっては撮影以外に余計な作業にとられる時間がずっと増えてしまう。こういう仕事形態は今回が初めてなので、ちょっと心配だ。

特にイラクでの従軍はもともと生活環境自体が苛酷なうえに、大人数の兵士たちとすし詰めの同居なので落ち着いて編集作業のできるようなプライベートな場所もない。このインターネットビデオのために増えた労働のおかげで、ただでさえ少ない睡眠時間がまた減るんだろうなあ。。。

やはりまだビデオ撮影にはなじめない、固い頭のカメラマンはまたまた愚痴をこぼすのであった。














「イラク自衛隊『戦闘記』」を読んで

2007-08-22 14:54:14 | 日本
昨日少しばかり暇があったので、「イラク自衛隊『戦闘記』」という本を一気に読んだ。あの「ヒゲの隊長」として有名になった、自衛隊イラク派遣先遣隊長の佐藤正久氏の書いたものだ。

彼の言っていることにすべて同意できるというわけではないが、率直に言って、「いい本」だった。やはり現場でものを体験している人間のいうことには説得力がある。

「現地の人の視点に立ち」イラク人を主役にした復興支援をおこなうために四苦八苦する佐藤氏や、真摯にイラクの復興を願い志願して派遣された自衛隊員たちの姿、また、現場の状況を理解せずに現実離れしてしまっている政府見解への疑問など、僕がこれまで知りえなかった自衛隊海外派兵の状況がよくわかったし、多くを学ばせてもらった。

僕はこれまで自衛隊の海外派兵に関しては、憲法9条を盾にその理由の如何を問わず断固反対の立場をとってきたが、この本を読んで、彼の言葉でいう「日本人の善意の代理者・実行者」という使命を忠実に実行できるものであれば、天災の被災地などで民間団体と協力した自衛隊の他国への援助もありかなとまで思えるようになった。

とはいえ、イラクに関しては、佐藤氏と同じ現場主義の僕は、いまでも自衛隊派兵はすべきではなかったと確信している。それはまず、イラクが「戦闘地域」であること、そして何より、この自衛隊派遣が、イラク侵攻をおこなった当事者ブッシュ大統領に「ノーといえなかった」属国日本の代表、という意味合いをもっていたこと、がその理由だ。

佐藤氏のいうように、自衛隊が苦労しながら現地の人との友好関係を築き、サマワ住人たちの多くが支援を感謝したとあれば、それは素晴らしいことであり、隊員たちの善意と努力を僕も日本人として誇りに思う。

しかし、それは実際に恩恵をこうむったサマワに限った話であり、もっと広い眼でイラク情勢を見た場合、多くのイラク国民たちにとって自衛隊は、武器を持って自国に侵入してきた英国やその他多国籍軍と変わらない存在であった、ということも事実なのだ。仮にイラク人達のこの認識が誤解に基づくものであるにせよ、あの時期に、あのようなかたちで派兵すれば、彼らにそういう見方をされるのはごく当然のことである。日本も、国連決議を無視してイラクを侵略したアメリカの仲間に過ぎないのか。。。そう考えたイラク人たちの落胆は少なくなかった。

「どうして日本はイラクに軍をおくったんだ?」「日本は引き上げるべきだ。。。」北部のモズルや首都バグダッドで取材していたとき、僕は幾度となくこんな言葉を耳にした。

イラク人たちはもともと日本人たちに多大な好意を抱いているので、きつい口調で日本を非難するわけではない。ただ、僕が日本人だとわかると、イラクには日本の軍隊はいらないと思う、と諭すように語りかけてくるのだ。

自衛隊は一人の死者もなく帰国することができた。これははじめからサマワの治安が比較的安定していたということに加え、本書にもあるように、地元民と友好関係を築こうとする自衛隊員たちの努力の成果ともいえるが、それは実に幸運であったと思う。いま再び自衛隊をイラクに派兵したら、とてもそういうわけにはいかないだろう。

戦闘に巻き込まれれば、戦うことを余儀なくされる。イラク市民を殺す結果になるかもしれないし、自衛隊員自らが命を落とすことになるかもしれない。そうなれば自衛隊も、結局はイラクに駐留している米軍となんら代わりのない「侵略軍」となってしまうのだ。

先にも述べたように、この本のおかげで僕の固い頭も、自衛隊海外派兵に対して少しは柔軟になった。しかし、前回のイラク派兵のように、その詳細を公表することもなく、任務遂行時や撤退時に報道陣にもドアを閉ざすような隠密なやり方をしていては、(外務省によるジャーナリストのビザ取得妨害さえあった!)いくら現場の自衛官たちが善意をもって努力しても、国民としてとても納得できる派兵ができるとはいえないだろう。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/bf04fcc409059e47e470b03aae098da5
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/eb88e056be7575f0a43bc36605c77e97

今年初め、佐藤氏は30年近く勤めた自衛隊を退官し、先の選挙で参議院議員として当選を果たした。

僕自身も現場に出なくては撮れないカメラマンとして、あくまで現場の視点で意見してきたから、立場や主張は違えど佐藤氏が述べていることはよくわかる。これから、彼のような「現場に精通した」人間が、その経験を生かして国民の総意を得られるような自衛隊のあり方というものを考え出していくことに期待したいと思う。

オダネル氏の訃報

2007-08-13 12:46:59 | 日本
ジョー・オダネル氏が亡くなったとのニュース記事を眼にした。

オダネル氏は米空爆調査団の一員として1945年、長崎、広島にはいり原爆被害の様子を写真に収めた軍人カメラマンだ。

彼の撮った一枚「焼き場に立つ少年」を見たとき、僕はなんとも言いようのないショックを受けたので、そのことと彼の写真集についてブログで書いたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/m/200703

また一人、歴史の証人がこの世を去った。

しかし、「焼き場に立つ少年」をはじめとした、オダネル氏の残したその記録は、写真というかたちでこれからもずっと残ることになる。沢田教一カメラマンの写真が僕の人生を変えたように、写真家がいなくなっても、彼らが撮った写真は一人立ちし、それぞれの役目を果たすことになるのだ。

戦争の悲惨さをまるで忘れてしまったかのように、再び急速な軍国化の進んでいる現在の日本だが、こんな時代だからこそ、オダネル氏の写真がひとりでも多くの日本人の目に、そして心に触れることを切に願う。

悲劇を繰り返さないためには、国民ひとりひとりが平和に対する意識を高く持ち、政府の暴走を食い止めることしかないのだから。。。

合掌。


マルチ・メディアの渦のなか

2007-08-07 10:29:31 | 報道写真考・たわ言
AAJA(アジアン・アメリカン・ジャーナリスト協会)のコンベンションが開催されていたマイアミから昨日戻ってきた。

開催地を変えて年に一度開かれるこのイベントには、全米各地で働くフォトグラファーたちやこれからプロを目指す学生たちと親睦できるいい機会だし、旧知の友人たちとも再会できる「同窓会」的なのりも好きなので、時間の許す限り参加するようにしている。

僕は国際報道写真のパネラーとしてプレゼンテーションをおこなったのだが、やはり他のセミナーのなかでも最も関心の高かったのはマルチ・メディアに関するものだった。

以前もこのブログで書いたことがあるけれど、このウェブ全盛時代、アメリカの新聞社のあり方もここ数年大きく変わってきており、各社ともウェブサイトの充実が急がれている。いわば、新聞「紙」から新聞「ウェブサイト」への移行が急激に推し進められているといっていいだろう。http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/d/20070109

そういう流れの中で僕らフォトグラファー達の仕事も急激に変化しており、新聞社カメラマンとはいえその仕事は単に写真を撮るにとどまらず、音声を録ったり、ビデオ撮影をおこなったりということが必要になってきたわけだ。

毎晩セミナーのあと、レストランで一杯やりながらカメラマン達と語る機会があったが、やはりみなこの仕事形態の変化には複雑な思いを抱いているようだ。

僕も含めて、写真に音声を加えたスライドショーには違和感がないが、やはりビデオはちょっとなあ。。。というカメラマンが多い。「写真の力」を信じてこの道にはいり、これまでプロとして長年やってきたカメラマン達にとっては、スティール写真に対するこだわりがあるからだ。

僕は現在、プロジェクトによってはスティールカメラとビデオの両方を担いで撮影しているが、両者は撮り方自体が全然違うので結構きつい。ひとつに集中できないので、どちらも中途半端になってしまう。

テクノロジーの発達で、ビデオのコマから新聞用には十分の写真画像がとりだせるようになったいま、ビデオカメラだけで仕事をする新聞社カメラマンもでてきたが、それでもビデオと写真では撮影時の被写体との距離感もちがうし、フレーミングも変わってくるので、根本的な解決にはならない。

コンベンションでは、各社からのリクルート・ブースも設けられているのだが、そこで仕事を求めて売り込んでくる若者たちの相手をしていたダラス・モーニング・ニュース社の友人が、「ワンマン・ショーの若物が多いのにびっくりした」といっていた。

「ワンマン・ショー」とは、レポーター業とビデオ、そして編集と、一人で皆やってしまう人間のことだ。これまで複数の人間がしてきた仕事を一人でこなすので、雇う側としてはコスト削減には大いに役立つ。

ただ、このようなワンマン・ショーのジャーナリストが、レポート面、撮影面ですべて一流なら素晴らしいのだが、現実的にはそううまくはいかないのだ。
「レポートの内容自体もたいしたことないし、映像なんて、ひどいものだよ」
友人はそう愚痴っていた。

写真とビデオにしても、ワンマンショーにしても、現在の多様化したマルチ・メディア時代において、複数のメディアをこなすことのできる人材が必要になってきているなか、多くのものに手をつける分だけ、一つ一つに対するクオリティーが犠牲になってきている、というのも現実だ。別な言い方をすれば、中途半端な「何でも屋」が増えてきている、ともいえる。

そういうことを肌で感じている僕らプロのカメラマンたちにとって、時代に対応していくための葛藤はこれからもしばらく続きそうだ。


(お知らせ:先日取材したギフトの近況がトリビューンのサイトにアップされました)
http://www.chicagotribune.com/gift