バグダッドに入ったはいいが、従軍する部隊の基地に行くためのヘリコプターの座席待ちで一日時間を潰すことになった。
昨夜、ゲッティー・イメージズのカメラマンで友人でもあるスペンサーがちょうど従軍を終えてホテルに戻ってきており、彼の部屋で一杯飲みながら話をする機会があった。
カメラマン達が同じ時期にイラクで仕事をしていても、各々従軍する部隊も違えばその期間も異なっているので、ホテルで出会う確立はあまり多くはない。スペンサーも僕も毎年1度や2度はイラクに来ているが、バグダッドで顔を合わせるのは初めてだった。彼がシカゴに来たときに会ったきりだから、それからもう2年以上だ。
「イラクではもう同じような写真ばかりしか撮れないし、カメラマンとしては正直あまり気の進む場所ではないよ。。。」
こうこぼす僕に、酔いのまわってきたスペンサーが強い口調で切り替えしてきた。
「いや、それでもイラクは重要なストーリーだし、俺たちは撮り続けるべきだ。今では俺たちのような外国人のカメラマンはほとんどここに来ないし、いいチャンスでもあるだろう」
確かにイラクが重要なストーリーだというのは承知している。特にアメリカ国民にとっては現在最も重要な出来事であるといえるだろう。
それでも、それが果たして写真で満足に表現できているのか?それが僕にとっては疑問だった。従軍という限られた環境でしか撮影できない欲求不満がある。しかし、選択肢の残されていない僕らにとっては、やはりそれをやり続けていくことしかできないし、そのなかで意味のある写真が撮れる可能性がないわけではない。ここは戦場だ。次の瞬間に何が起こるかなど、誰にも予測できないのだ。「イラクではもう撮れない」といって、現場に足を運ぶことさえ諦めてしまっては、そこからは何も生まれない。確かにスペンサーの言うことは正しかった。
今回の従軍中、こんなことがあった、と彼が話し始めた。
ある晩のこと、バグダッド市内で、工事に使うクレーン車を移動する任務があった。パトロールとか家宅捜索ではなく、たかだかクレーンを移動するだけの仕事だったし、重なる従軍で疲れていたので、彼はその任務には行かずキャンプで休むことにした。
しかし、任務から戻った兵士達は、まだ興奮冷めやらない様子でスペンサーにこう語ったのだった。
クレーン移動の任務中にその部隊は銃撃にあい、市外戦になった。たまたまそこを車で通りかかったイラク人が、わけがわからず部隊に向かって走り続けてきたために、米兵によって撃たれ死亡、乗客は泣き叫び、混乱になった。。。
「俺が怠け心をだしてしまったばっかりに、大変な写真を撮り逃がしてしまったんだ。。。」スペンサーは悔しそうに顔をしかめた。
こんなこともあったからなおさら彼は、「イラクは撮り続けなくてはならない」と、そう思ったのだろう。
確かに彼は重要な写真を撮り逃がした。。。しかしさらに僕が思ったのは、もしスペンサーがその部隊と一緒にいたら、ひょっとしたら米兵は民間人の車に対し発砲することを躊躇したかもしれない、ということだった。
カメラを持ったジャーナリストがその場に存在することによって、兵士の無謀な行為を防げるという可能性は十分にありえるのだ。そう考えたとき、たとえ満足できる写真を撮ることができないとしても、僕らがここにきて従軍するということには意味があるのかもしれない。。。。
そんなことに改めて気づかされた。
昨夜、ゲッティー・イメージズのカメラマンで友人でもあるスペンサーがちょうど従軍を終えてホテルに戻ってきており、彼の部屋で一杯飲みながら話をする機会があった。
カメラマン達が同じ時期にイラクで仕事をしていても、各々従軍する部隊も違えばその期間も異なっているので、ホテルで出会う確立はあまり多くはない。スペンサーも僕も毎年1度や2度はイラクに来ているが、バグダッドで顔を合わせるのは初めてだった。彼がシカゴに来たときに会ったきりだから、それからもう2年以上だ。
「イラクではもう同じような写真ばかりしか撮れないし、カメラマンとしては正直あまり気の進む場所ではないよ。。。」
こうこぼす僕に、酔いのまわってきたスペンサーが強い口調で切り替えしてきた。
「いや、それでもイラクは重要なストーリーだし、俺たちは撮り続けるべきだ。今では俺たちのような外国人のカメラマンはほとんどここに来ないし、いいチャンスでもあるだろう」
確かにイラクが重要なストーリーだというのは承知している。特にアメリカ国民にとっては現在最も重要な出来事であるといえるだろう。
それでも、それが果たして写真で満足に表現できているのか?それが僕にとっては疑問だった。従軍という限られた環境でしか撮影できない欲求不満がある。しかし、選択肢の残されていない僕らにとっては、やはりそれをやり続けていくことしかできないし、そのなかで意味のある写真が撮れる可能性がないわけではない。ここは戦場だ。次の瞬間に何が起こるかなど、誰にも予測できないのだ。「イラクではもう撮れない」といって、現場に足を運ぶことさえ諦めてしまっては、そこからは何も生まれない。確かにスペンサーの言うことは正しかった。
今回の従軍中、こんなことがあった、と彼が話し始めた。
ある晩のこと、バグダッド市内で、工事に使うクレーン車を移動する任務があった。パトロールとか家宅捜索ではなく、たかだかクレーンを移動するだけの仕事だったし、重なる従軍で疲れていたので、彼はその任務には行かずキャンプで休むことにした。
しかし、任務から戻った兵士達は、まだ興奮冷めやらない様子でスペンサーにこう語ったのだった。
クレーン移動の任務中にその部隊は銃撃にあい、市外戦になった。たまたまそこを車で通りかかったイラク人が、わけがわからず部隊に向かって走り続けてきたために、米兵によって撃たれ死亡、乗客は泣き叫び、混乱になった。。。
「俺が怠け心をだしてしまったばっかりに、大変な写真を撮り逃がしてしまったんだ。。。」スペンサーは悔しそうに顔をしかめた。
こんなこともあったからなおさら彼は、「イラクは撮り続けなくてはならない」と、そう思ったのだろう。
確かに彼は重要な写真を撮り逃がした。。。しかしさらに僕が思ったのは、もしスペンサーがその部隊と一緒にいたら、ひょっとしたら米兵は民間人の車に対し発砲することを躊躇したかもしれない、ということだった。
カメラを持ったジャーナリストがその場に存在することによって、兵士の無謀な行為を防げるという可能性は十分にありえるのだ。そう考えたとき、たとえ満足できる写真を撮ることができないとしても、僕らがここにきて従軍するということには意味があるのかもしれない。。。。
そんなことに改めて気づかされた。