Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

引っ越し準備

2009-08-28 05:11:19 | 報道写真考・たわ言
前回のブログに対して、いろいろと励ましのコメントをいただきました。どうもありがとうございます。

昨日、5年前シカゴに移ってきてからずっと住んできたアパートを引き払った。いまはトリビューンのカメラマンの友人宅に居候中だ。

船でインドへ送ってしまうものと自分で運ぶものとの仕分けに結構時間がかかって、引っ越し前数日はずっと睡眠不足。昨夜ようやく7時間ほど寝ることができた。

会社を辞めてフリーになるのも結構金がかかるとあらためて実感。これまで使ってきたカメラやパソコンなどはみな新聞社のものなので、辞職と同時にすべて社に返却せねばならず、先週なんとか最小限の機材を自費で買いそろえた。その上、機材にかける保険金もばかにならない。特に紛争地などへいくことにもなる僕のような場合は余計に保険金も上乗せされるし、これまではカメラやレンズの具合が悪くなっても、社で代わりのものと交換すれば済んだものが、これからは修理代や修理にかかる時間のことも考慮しなくてはならないのだ。

まあそんなことは覚悟の上だったし、車を売った金で、購入した機材代も随分まかなえたので助かった。

やはり少しばかり寂しいのは友人との別れ、かな。

シカゴで過ごした5年の間に、少数とはいえいい友人に巡り会う事ができた。特に親しくつき合ってきたトリビューンのカメラマン仲間数人や、日本人のカラオケ仲間たちと日常的に会えなくなるのが残念だ。

それでもカメラマン達に関しては、お互いこんな仕事をしている「身軽な」仲間たちだ。そう遠くない将来また会うことになるんじゃないか、とは思っているのだけれど。





あらたなチャレンジ

2009-08-22 13:19:43 | 報道写真考・たわ言
昨日、トリビューンのスタッフ・フォトグラファーとして最後の日を勤めてきた。

機が熟した、とでも言うべきか、これからインドに拠点を移しフリーとしてやっていくことに決めてボスに通知したのが2週間前。

紛争地をはじめ、多くの取材のチャンスを与えてもらったトリビューンでの5年間は、カメラマンとしての僕のキャリアに実に有意義なものだったと思う。

最後の日ということで、ボスがケーキを注文し、オフィスを去る時に写真部のみなが拍手で見送ってくれた。これまでのリストラで、挨拶さえもできずに社を去って行った同僚たちのことを考えると、少し複雑な気分。

ボストン・ヘラルド時代から数えて14年間を新聞社のカメラマンとしてやってきた。この歳でフリーとして出直すのはかなりきついと思うけど、もうやるしかないな。

いろいろと準備をすませてから引っ越しは来月末あたりを考えている。

少女ハン

2009-08-19 23:15:48 | アジア
「通りには夏の気配、

蝉の声がきこえる。

でも妹はまだ苦しんでいる。

妹は孤児。

もう笑う事も歌う事ない。

彼らが彼女を殺した。

枯れ葉剤が殺したの。

枯れ葉剤が私たちの母を殺した。。。」

ベトナム北部のクアン・ビン地方での取材で出会った少女ハンが歌ってくれた歌だ。

彼女は生まれた時から脳に水が溜まる病気を煩い、毎日のように癲癇の発作をおこす。

15歳になる妹は脳性麻痺で腕が不自由、口をきく事もできない。

父親のディウは戦時中、北部兵士として南部との境界付近で戦い、米軍の散布した枯れ葉剤を幾度も浴びた。

戦後、彼は15人の子供を儲けたが、そのうちの12人が3歳になる前に亡くなったという。どうして子供達がみな死んでいったのか、医者もわからなかった。

ハンは発作がおこっていない時は快活で、英語も少し話すほど頭脳明晰な少女だ。発作が収まってしばらくすると、けろりとして冒頭の歌を歌ってくれた。

19歳の彼女はこれまで4度、頭から水分を抜く手術をうけたが、病気が治る見込みはない。このままでは、彼女の命もそう長くはないだろう。。。

戦後30年以上たった今でも、何十万人というハンのような子供達が、枯れ葉剤の負の遺産を引きずり生き続けている。

(写真:癲癇発作をおこし横たわるハン)

奇形児にカメラを向けて

2009-08-09 03:10:53 | アジア
ベトナムで枯れ葉剤の被害者である子供たちを撮影しているとき、例の如くカメラマンとしての葛藤を感じるときがままあった。

良く葛藤する奴だなあ、などと言われそうだが、仕事でこういう境遇の人間たちと接していると、いろいろ考える事は多いものだ。

ホーチミン・シティーのトゥ・ドゥ病院にあるピース・ビレッジには、障害を持った50人あまりの子供たちが収容されている。その多くが、枯れ葉剤による影響であると認定された子供たちだ。眼球をもたずに生まれてきたり、頭蓋骨の異常形成など、重度の奇形障害を持った子供たちも少なくない。

ここの子供たちに限らず、それまでインタビューしてきた多くの犠牲者の子供たちにカメラを向けながら、僕の心には常になにか割り切れない思いがつきまとっていた。

カメラマンとしての僕は、その子供たちの外見上最も「醜い」部分に焦点をあてることになる。写真一枚で、枯れ葉剤の散布がいかに非人道的な行為であったかを子供たちの姿を通して伝えなくてはならないからだ。

しかしその反面、家や病院など、実際の現場で子供たちに接していると、彼らも単に一人の人間である、ということに気づかされる。手を握ったり身体を擦れば、好き嫌いはちゃんと反応してくるし、嬉しい時には彼らなりの表現方法で「笑う」ことさえできるのだ。

そんな「人間」である彼ら達を、僕は写真のなかでまるで「モンスター」であるかのように描写しようとしているのではないか。。。そんな、矛盾のような罪悪感のような、複雑な思いが払拭できないでいた。

もし、彼らが伝える言葉を持っていたら、こんなことを言われていたかも知れない。

「私のこんな姿を撮らないで。。。」

勿論、母親や看護婦などとの交流をとおしながら、彼らを血の通った「人間」として撮影することも可能だし、そんな写真も撮ってきた。

しかし究極的には、犠牲者の子供たちの「非人間的」な描写によってのみ、この戦争犯罪の「非人間性」を直接視覚的に伝える事はできないのでは、という思いもある。

この葛藤に対する答えを得るためには、さらなる経験を積まなくてはならないのかも知れないな。

スクリーン・シェア

2009-08-02 11:35:30 | アジア
写真の整理が終わり、数日前からビデオ編集におわれている。

ビデオ編集にはファイナルカットというソフトを使うのだが、これまで本格的に動画を扱ったことのない僕にはかなりのチャレンジ。ビデオ編集作業はもともと撮影自体よりもはるかに長い時間がかかるものだが、僕の場合ソフトを学びながらなので一段と手間がかかる。

しかし、インターネットの発達で、世の中つくづく便利になったものだ。遠隔地に住む友人から、手取り足取りの助けを受けられるようになったのだから。

こういう事に疎い僕はこれまで知らなかったのだが、パソコンのスクリーン・シェアリングという機能を使うと、なんと自分のパソコン画面を友人とライブで共有できるのだ。すなわち友人のパソコンに僕のパソコン画面がそっくりそのまま映ることになり、僕は彼にビデオ編集作業を見せながら同時進行でアドバイスを受けられるというわけ。電話ではなかなか伝わりにくいテクニカルなことも、彼が僕の画面に直接アクセスできるので簡単にスクリーン上で示してもらうことができる。

おかげでこの数日間で基本的なファイナルカットの技術も学ぶことができたし、このスクリーン・シェアリング機能、実に重宝している。

とはいえ、こういう機能が役に立つのも、それを活用して時間をかけながら辛抱強く教えてくれるいい友人があってのことだけれど。。。

D君、感謝してます。これからも頼むよー。

(ベトナム取材報告はまだできる段階ではないので、とりあえず写真を1枚アップ:枯れ葉剤をあびた母親から生まれた青年)