Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

クリスマス・イヴに思う

2008-12-25 11:30:08 | 報道写真考・たわ言
クリスマス・イヴの今晩、街は静まりかえっている。

職場が休みのところも多いし、レストランや商店の多くも閉まっているので、日中もダウンタウンは閑散としていた。仕事の後、普段なら30分近くかかるラッシュアワーの帰り道も、高速がすいていたので10分そこそこで帰宅できた。

僕の住んでいるアパートには6世帯はいっているが、恐らくみな帰省してしまって誰もいないのであろう、今夜は物音ひとつ聞こえない。部屋にある置き時計の秒針の音が、いつになく耳に響いてくる。

ちなみにこちらのクリスマスは、日本の正月のようなもので、家族が集まって家の中で過ごすのが一般的。逆に正月は外に出て派手に騒ぐので、日本とはまるきり反対である。

そんなわけで、ダウンタウンからそれほど離れておらず、普段は騒々しい僕の近所も今晩はしんとしている。あまりに静かなので、なんだか映画「I am Legend」のウィル・スミスのように、世界に一人残されたような気分だなあ、などと思っていたら突然携帯がなりだした。

「メリークリスマス、アンクル・クニ!!」

ギフトからだった。

ノエミとアサタと3人姉妹が揃って受話器の向こうでクリスマス・ソングを大声で合唱してくれた。3人にクリスマス・プレゼントを送っておいたのだが、本来なら25日に開けるものを今晩もう包みをひらいてしまったようだ。

そういえば、ギフトがアメリカにやってきたのも12月。あれからもう丸2年がたった。それだけ僕も歳を重ねたということだ。歳を重ねても、なかなか自分が納得するような写真が残せていないし、そんなことを考えて焦りを感じてしまうこともしばしばある。

来年のこの日は、何処にいるだろう?

来年は何が撮れるだろう?





ムスの留学?

2008-12-21 07:46:30 | リベリア
1週間ほど前にジョディーからメールが届いた。ムスに関する事だった。

「ムスの学生ビザが数日中にも交付されるかも知れない」

「!!!???」

以前からムスの両親であるアルバートとファトゥはムスをアメリカに留学させたいという希望を持っており、それを受けたジョディがスポンサーになってもいいと申し出ていたのは知っていた。しかし、こんなに早く話が進んでいるとは夢にも思っていなかったので、この知らせにはさすがに驚いてしまった。事がうまく運べば、クリスマス前にもムスが渡米してくるという。

そうなれば僕もペンシルバニアにいかなくてはならないし、まだアフガニスタンとインドの写真の整理もついていないので、これは忙しくなるなあと内心戸惑っていた。しかしこの戸惑いには別の理由もあった。

勿論ムスがアメリカで教育を受けられるなら僕にとっても嬉しいことだが、しかし彼女はまだ11歳だ。学生ビザが最長何年交付されるのかは知らないが、正直言って僕は、ムスはまだちょっと若すぎるのでは、という懸念を持っていた。

リベリアの子供たちを助けたい、というジョディの気持ちはよくわかるし、ギフトに続きアサタまで養子にとり、そのうえムスのスポンサーになるという彼女の行動力はまさに脱帽ものではある。しかし、この若い年齢で2年や3年の間アメリカで勉強したところで、果たしてそれがムスにとってどれだけの意味を持つのか?彼女は養子になるわけではないので、彼女も基本的には学業が終わればリベリアに戻らなくてはならない。僕としては、どうせアメリカで教育を受けるのなら、もう少し成長して、高校生あたりになってからのほうが彼女のためにはいいのでは、という思いがある。

そのうえ、アルバートたちが純粋にムスの教育のことを考えているのか、それとも自分たちが将来アメリカに移住するための布石として、まずムスをこちらに送ろうとしているのか、その辺もはっきりしない。

そんないろいろな思いがあったので、僕の心境は複雑だったのだ。

しかし、そんな心配をよそに、その数日後ムスの学生ビザ申請はモンロビアのアメリカ大使館で却下された。

ジョディが転送してくれたメールによれば、ムスの歳がまだ若すぎること、彼女と同様な境遇の子供たちはリベリアに無数に存在し、同様のビザ申請はすべて却下されている。よほど特別な事情が無い限り、ムスだけを優遇してビザの交付はできない、というのが主な理由だった。

僕としては、すこし安堵したような、それでもやはり残念で、これはこれでまたすっきりしない心境ではある。しかし、ジョディの話によれば、一旦は却下されたものの、今度はリベリアのサーリーフ大統領が口添えをしてくれるかも知れないということなので、ひょっとするとムスの留学の日もそう遠くないかも知れない。

(写真:ムス ー モンロビアの小学校にて)


インドの街を歩いて

2008-12-13 12:45:15 | アジア
結局風邪がこじれて、2日ほど寝込むはめになった。昨日からようやく身体が楽になったが、まだ咳がでる。Tシャツで歩けた温暖なインドからいきなり雪のシカゴだもんなあ。。。

それはそうと、インドは実に面白かった。

十代の頃から行きたいと憧れていた国だったので、いわば夢が叶ったともいえるが、正直なところ密かに期待していたほど喧噪と混沌に惑わされる事はなかった。やはり齢40もすぎ、すでにいろいろなものを見すぎたか。。。これが20代の頃だったら、もっと強烈なカルチャー・ショックを受けたのだろうな、とも思う。

アッサムでは少数民族の分離主義者グループの軍事キャンプを、カルカッタではスラムを取材してきたが、それとは別にデリーやカルカッタの市内を歩きながら、つくづくここはあらゆるものが混在して成り立っている国だなあと実感。至る所でつきまとってくる物乞いたち、徘徊する野犬に路地裏から大通りまで気ままに歩く牛、ホーンを鳴らし続け歩行者などおかまいなしに強引にすり抜けていくバイクに自転車、リキシャにオート3輪。。。動くものがすべておなじ空間を共有して入り交じっている。さらに少し広い道路では、像の姿までも見かけるほどだ。

貧富の差も極端に激しい。近年開発の激しいムンバイやカルカッタなど都市部では裕福層がさらなる富を蓄え、貧民との格差を一層広げている。

しかし、スラムなどの貧困層と接しているうち、彼らの態度がアフリカなど他地域の貧民達と少し違っている事に気づかされた。

インドの貧民達は、あきらめというべきか、彼らの経済状況をそれなりに受け入れて生活しているようなのだ。不満がないとはいわないだろうが、アフリカなどの貧困層と違って、「俺たちは経済発展の恩恵を受けていない」とか「金持ちの犠牲になっている」とかいうような被害者意識や不平等感などを彼らは口にしなかった。

これはやはりカースト制が原因なのだろうか。法的にはすでに撤廃されているとはいえ、カーストというのは現在も人々の意識の中に根強く残っている。それで下位カーストである貧民達も、貧乏なのは自らの運命だとそれを許容しているふしがある。

そのために、端から見るとこれだけの貧富の格差があるにも関わらず、大きな摩擦がおこる事もなく清濁ひとまとめなった社会がそれなりにうまく機能しているように見えるわけだ。これは国を統治する政府や権力者たちとってまことに都合にいい仕組みである。

しかし、いくらカーストが人々の生活に根付いているとはいえ、近代化が進み、 西洋の価値観が浸透していくにつれて、それに伴う変化は避けられないだろう。実際に僕が接した20代の若者達の多くは、結婚相手のことなどにしても、すでにカーストなどあまり気にしないと言っていた。

そう考えると、そう遠くない将来、市民達がリベラルになり貧困層達がカーストの呪縛から解き放たれたとき、この国に大きな転換期が訪れるかもしれない。経済的、社会的平等を求めて立ち上がった貧困層による武力行動で、国内が混乱に陥る事も考えられないことではないからだ。

なんだか硬い話になってしまったが、とりあえずはこのインドという国、僕の肌に合い、おおいに楽しめた。聖地バナラスをはじめ、行きたかったがかなわなかった場所もまだまだ多いので、近いうちにまた訪れる事ができればと思う。







トリビューン破産!?

2008-12-09 10:32:56 | シカゴ
今朝シカゴに戻ったとたんに、トリビューン破産申告のニュースが。。。

日本でも報道されているようで、心配してくれた友人達からもメールがいくつか送られてきた。

破産といっても、赤字対策のリストラの一環で、僕らの実際の日常業務にはそれほど影響はないようだ。しかし、先週写真部からカメラマンがまた2人クビになったし、状況は悪化の一方だ。

僕としてはもともとトリビューンに骨を埋めようなどとは思っていないし、まあなるようになるだろう、といった感じでそれほど気には留めていない。だいたい経営に関わっている訳でもなし、会社の状況などいちいち心配したところで仕方が無いだろう。カメラマンの僕らは、いい写真を撮る、ということだけ考えていればいいと思っている。仮に新聞社がなくなったとしても写真は撮り続けていけるし、いまの僕にとっては、ひとつでも多く納得のいく写真を撮って将来に備える、という事しかできないのだ。

2、3日前から風邪気味だったのだが、15時間の長いフライトでちょっとこじれた感じ。。。今日は葛根湯でも飲んで早く寝よう。

(写真:線路わきで焚き火をし暖をとるスラム住人たち)


しつこい子供達

2008-12-06 14:11:31 | アジア
カルカッタに1週間ほど滞在したあと昨日デリーにでてきた。2日後にはシカゴに戻る予定なので、ここでは少しゆっくり観光などしてみようかなどと思っている。

カルカッタでは鉄道の線路沿いに広がるスラムを主に撮影していたのだが、まったくここの子供達には閉口させられた。

「写真撮ってくれ、チョコレートくれ、金くれ!」の3拍子で、とにかくしつこい。はじめのうちは僕も笑顔で相手をしていたのだが、腕やシャッツはひっぱるわ、カメラは掴んでレンズに指紋をつけるわで、まともに相手をしていたら全然撮影ができない。しかし、かれらは無視しようが追い払らおうが、決して諦めずに僕がそこにいる限り延々とついてくるのだ。

そのうえ、赤ん坊を抱いた母親たちまでもが、子供達に混ざって僕を追いかけてくる。アフリカでのスラムなら結構慣れているが、こんなにしつこくまとわりつかれるのは初めての経験だった。

インドのスラムの子供達はみなこうなのか、それともここだけの話なのかは定かではないが、知り合いになった地元のカメラマンの話では、ここのスラムはムンバイのダラビ(インド最大規模のスラム)などと違って、個人個人が勝手に掘建て小屋をたてて住み着いているだけなので、スラム自体に確立したコミュニティーが存在しない。それで、スラムのリーダーのような人もいないし、子供達をコントロールできる大人もいないのだ、というようなことを言っていた。

それでもまとわりついてくる子供達を振り切りながらなんとか撮影してきたが、通過する列車すれすれでの彼らの生活は写真としては面白いにしても、やはり危険な事このうえない。住民の話では、子供が撥ねられたりする事故はかなり頻繁におこっているようだ。

録音したサウンドと合わせて、シカゴに戻ったらスライドショーを作成しようと思っている。


カルカッタより

2008-12-03 14:40:49 | アジア
数日前にアッサム地方の山をでて、現在カルカッタに来ています。毎日スラムの撮影におわれている上、ネットカフェがいつも旅行者(そういう僕もその一人。。。)で混んでいるので、ゆっくりブログのアップなどしていられないのですが、ジェームスのスライドショーと、アフガニスタンの難民キャンプでのスライドショーがトリビューンのサイトにアップされたようなので、とりあえずお知らせします。

(アフガン)
http://www.chicagotribune.com/news/nationworld/chi-081122-afghan-camp-html,0,4910902.htmlpage
 
(ジム)
http://www.chicagotribune.com/morrison

10代の頃からずっと訪れてみたかったカルカッタですが、残念ながら予想していたほど強烈な印象は受けませんでした。もっと混沌としていると思ったのに。。。しかしインドは路上犯罪が少ない上、人が気さくなのでアフリカや中東に比べてとても撮りやすいかな。
週末にデリーに移動し、来週早々シカゴに戻る予定です。寒いシカゴに戻るのが憂鬱。。。