ここ2年以上追いかけているストリート・チルドレンにまた会うために、ネパールの首都カトマンドゥーで1週間を過ごしてきた。
毎回ここを訪れるたび、誰かしら路上生活から抜け出してるんじゃないかと僅かな期待を抱いていくのだが、街にでてまた同じ面々をみつけてはそんな思いがかき消されていく。さらに今回はそれどころか、着いた途端悪いニュースさえ聞かされてしまった。路上生活から抜け出し、1年以上もシェルターで生活しながら学校へ通っていた子が一人、3ヶ月程前にそこを飛び出し、街で強盗を働いて刑務所に入ってしまったというのだ。
彼はもう17歳くらいだから子供とは言えないだろうが、今年1月にシェルターで会った時は笑顔で元気そうにしていたし、彼がうまく更生すれば他の子供たちにもいい見本になると内心期待していたのだ。残念なことになってしまった。
ストリート・チルドレンたちと時間を過ごしていると、彼らがなかなか路上生活から脱却できないのもなんとなくわかるような気がしてくる。幼い子は別にして、何年もこういう生活を続けている若者たちにとってそれはなおさらだ。彼らにはそれなりの自由がある。物乞いしたり、リサイクルのゴミ集めをしたり、また時にはスリや強盗をして、生き延びるための金なら工面できる。時には50ドルもの大金をもっている子を見かけることもあった。市内にいくつもあるNGOで食べ物にはありつけるし、観光客が食べさせてくれることも少なくはない。あとはぶらぶらしながら、グルー(接着剤)やマリワナを吸ってハイになる。贅沢な暮らしではないが、家やシェルターでの生活と違って、義務や仕事もなく、うるさく小言をいったり躾をする大人もいない。
これはある意味で楽な生き方ではあり、なにか強い動機やきっかけがないかぎり、ストリート・チルドレンたちがこの自由で気ままな生活を放棄して、あえて「規則的な社会」へと戻るのは難しいだろうなあと感じるのだ。
カトマンドゥー市内では、国内および外国からの多くのNGOがストリート・チルドレン救済の活動をしているが、所詮国の経済や福祉が改善されない限り、根本的な解決にはならないだろう。腐敗した政府は内戦後5年経つというのにまともに機能せず、福祉どころか雇用さえも生み出せないでいる。ストリート・チルドレンはこの国のそんな状況を反映した負の象徴ともいえるが、彼らのみならず多くの国民たちがぎりぎりの生活を強いられ続けている。
この町ではいつも、にわか通訳として助けてもらうタクシードライバーの友人がいるのだが、彼の4人の子供のうち2人はすでに大学卒業しているにも関わらず、全然仕事が見つからないという。
ストリート・チルドレンを訪ねているとき、半分冗談だろうが彼がふと漏らしたこんなぼやきがしばらく頭から離れなかった。
「こんな調子じゃあ将来俺の子供たちも路上でゴミ集めしてるんじゃないかって、心配になるよ」
(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/08/30/street-children-in-kathmandu-nepal/ )
(過去のストリート・チルドレンの記事)
http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/25/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu-2/
http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/15/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu/
http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/12/25/christmas-eve-street-kids-in-kathmandu/
http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/06/03/darbur-boys/
毎回ここを訪れるたび、誰かしら路上生活から抜け出してるんじゃないかと僅かな期待を抱いていくのだが、街にでてまた同じ面々をみつけてはそんな思いがかき消されていく。さらに今回はそれどころか、着いた途端悪いニュースさえ聞かされてしまった。路上生活から抜け出し、1年以上もシェルターで生活しながら学校へ通っていた子が一人、3ヶ月程前にそこを飛び出し、街で強盗を働いて刑務所に入ってしまったというのだ。
彼はもう17歳くらいだから子供とは言えないだろうが、今年1月にシェルターで会った時は笑顔で元気そうにしていたし、彼がうまく更生すれば他の子供たちにもいい見本になると内心期待していたのだ。残念なことになってしまった。
ストリート・チルドレンたちと時間を過ごしていると、彼らがなかなか路上生活から脱却できないのもなんとなくわかるような気がしてくる。幼い子は別にして、何年もこういう生活を続けている若者たちにとってそれはなおさらだ。彼らにはそれなりの自由がある。物乞いしたり、リサイクルのゴミ集めをしたり、また時にはスリや強盗をして、生き延びるための金なら工面できる。時には50ドルもの大金をもっている子を見かけることもあった。市内にいくつもあるNGOで食べ物にはありつけるし、観光客が食べさせてくれることも少なくはない。あとはぶらぶらしながら、グルー(接着剤)やマリワナを吸ってハイになる。贅沢な暮らしではないが、家やシェルターでの生活と違って、義務や仕事もなく、うるさく小言をいったり躾をする大人もいない。
これはある意味で楽な生き方ではあり、なにか強い動機やきっかけがないかぎり、ストリート・チルドレンたちがこの自由で気ままな生活を放棄して、あえて「規則的な社会」へと戻るのは難しいだろうなあと感じるのだ。
カトマンドゥー市内では、国内および外国からの多くのNGOがストリート・チルドレン救済の活動をしているが、所詮国の経済や福祉が改善されない限り、根本的な解決にはならないだろう。腐敗した政府は内戦後5年経つというのにまともに機能せず、福祉どころか雇用さえも生み出せないでいる。ストリート・チルドレンはこの国のそんな状況を反映した負の象徴ともいえるが、彼らのみならず多くの国民たちがぎりぎりの生活を強いられ続けている。
この町ではいつも、にわか通訳として助けてもらうタクシードライバーの友人がいるのだが、彼の4人の子供のうち2人はすでに大学卒業しているにも関わらず、全然仕事が見つからないという。
ストリート・チルドレンを訪ねているとき、半分冗談だろうが彼がふと漏らしたこんなぼやきがしばらく頭から離れなかった。
「こんな調子じゃあ将来俺の子供たちも路上でゴミ集めしてるんじゃないかって、心配になるよ」
(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/08/30/street-children-in-kathmandu-nepal/ )
(過去のストリート・チルドレンの記事)
http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/25/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu-2/
http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/15/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu/
http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/12/25/christmas-eve-street-kids-in-kathmandu/
http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/06/03/darbur-boys/