Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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ネパールのストリートチルドレン

2012-08-30 11:04:56 | アジア
ここ2年以上追いかけているストリート・チルドレンにまた会うために、ネパールの首都カトマンドゥーで1週間を過ごしてきた。

毎回ここを訪れるたび、誰かしら路上生活から抜け出してるんじゃないかと僅かな期待を抱いていくのだが、街にでてまた同じ面々をみつけてはそんな思いがかき消されていく。さらに今回はそれどころか、着いた途端悪いニュースさえ聞かされてしまった。路上生活から抜け出し、1年以上もシェルターで生活しながら学校へ通っていた子が一人、3ヶ月程前にそこを飛び出し、街で強盗を働いて刑務所に入ってしまったというのだ。

彼はもう17歳くらいだから子供とは言えないだろうが、今年1月にシェルターで会った時は笑顔で元気そうにしていたし、彼がうまく更生すれば他の子供たちにもいい見本になると内心期待していたのだ。残念なことになってしまった。

ストリート・チルドレンたちと時間を過ごしていると、彼らがなかなか路上生活から脱却できないのもなんとなくわかるような気がしてくる。幼い子は別にして、何年もこういう生活を続けている若者たちにとってそれはなおさらだ。彼らにはそれなりの自由がある。物乞いしたり、リサイクルのゴミ集めをしたり、また時にはスリや強盗をして、生き延びるための金なら工面できる。時には50ドルもの大金をもっている子を見かけることもあった。市内にいくつもあるNGOで食べ物にはありつけるし、観光客が食べさせてくれることも少なくはない。あとはぶらぶらしながら、グルー(接着剤)やマリワナを吸ってハイになる。贅沢な暮らしではないが、家やシェルターでの生活と違って、義務や仕事もなく、うるさく小言をいったり躾をする大人もいない。

これはある意味で楽な生き方ではあり、なにか強い動機やきっかけがないかぎり、ストリート・チルドレンたちがこの自由で気ままな生活を放棄して、あえて「規則的な社会」へと戻るのは難しいだろうなあと感じるのだ。

カトマンドゥー市内では、国内および外国からの多くのNGOがストリート・チルドレン救済の活動をしているが、所詮国の経済や福祉が改善されない限り、根本的な解決にはならないだろう。腐敗した政府は内戦後5年経つというのにまともに機能せず、福祉どころか雇用さえも生み出せないでいる。ストリート・チルドレンはこの国のそんな状況を反映した負の象徴ともいえるが、彼らのみならず多くの国民たちがぎりぎりの生活を強いられ続けている。

この町ではいつも、にわか通訳として助けてもらうタクシードライバーの友人がいるのだが、彼の4人の子供のうち2人はすでに大学卒業しているにも関わらず、全然仕事が見つからないという。

ストリート・チルドレンを訪ねているとき、半分冗談だろうが彼がふと漏らしたこんなぼやきがしばらく頭から離れなかった。

「こんな調子じゃあ将来俺の子供たちも路上でゴミ集めしてるんじゃないかって、心配になるよ」

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(過去のストリート・チルドレンの記事)

http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/25/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu-2/

http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/15/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu/

http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/12/25/christmas-eve-street-kids-in-kathmandu/

http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/06/03/darbur-boys/

再稼働反対デモ

2012-08-19 07:52:31 | 日本
3週間の日本滞在中、反原発再稼働のデモに3度足を運んだが、いろいろと思うことがあった。

デモに10万、15万人集まったと、国外からニュースやtwitterを通して聞いている時は、ようやく日本も変わってきたのだ、とかなり希望を抱いていたのだが、実際に日本社会の空気に触れてみて、残念ながらまた悲観的になってしまった。

まずデモの有り様だが、これほど警察にコントロールされたものは他の何処でもみたことがない。地下鉄の駅を出た途端大勢の警官に誘導され、参加者たちは細かく仕切られた歩道に分断されてしまう。時折、安保世代らしき年配の人たちが警官に食って掛かるのを見かけるくらいで、ほとんどの人たちは誘導に従って行列をつくるだけ。ここでも「従順で礼儀ただしい日本人」の姿は健在だ。集まった人たちは結局、ブロックごとに分けられた細長い行列になるだけで、デモの本来の力となるべき「集団のエネルギー」はほとんど削がれてしまっている。もともとデモとは、市民の数をもって政府に圧力をかけるべきものであって、政府が脅威を感じなくては意味がない。現在の官邸前デモはまるで「政府公認の毎週の行事」に成り下がってしまったような、そんな違和感を感じずにいられなかった。

確かにこの国では、市民が暴徒化するはずもないし、血気盛んな一部がそういう行動に出ても、機動隊にあっという間につぶされて終わってしまうだろう。それ以前に、デモが平和的におこなわれなくては、多くの人々が運動から離れてしまうのも眼に見えている。これはもっと効果的なデモをと思っている人々にとってはおおきなジレンマだ。

では政府に脅威を与えるにはどうすればいいか?さらに数を集めるしかないだろう。それも東京だけではなく、全国的に国民が立ち上がらなくてはならない。もしも、各都道府県庁にそれぞれ一万人(これより多いにこしたことはないが)が毎週押しかけたら、かなりの効果があるんじゃないだろうかと思う。

しかしこれも無理だろうな、というのが正直なところだ。

今回は東京、仙台そして神戸でそれぞれ数日間を過ごしたが、やはり国民の大多数はそれほどの危機感を持っていないと痛切したからだ。みな頭のなかでは漠然と考えているのだろうが、黒い雨が降って来るでもなし、突然の頭痛が起きて倒れるわけでもない。とりあえずは不自由もなく生活できている。次の爆発がおこったり、何年後かに放射能の影響がでてからでは手遅れなのだが、実際に自らの生活が脅かされる自体がおこるまで、ほとんどの人々は行動を起こすほどの危機など感じてはいない。結局は想像力の欠如、ということになるんだろうな。

これは僕の友人たちや家族も例外ではなく、一緒にいても原発のことなどほとんど話題にのぼらなかったし、ましてやデモに足をはこんだという知人・友人など皆無だった。こんな日本の空気を肌で感じて、残念ながら冒頭に述べたように僕はかなり悲観的になってしまったのだ。そんな訳で、いつもは楽しめる日本滞在も、今回は少し複雑なものになってしまった。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/08/19/nuclear-protest-japanese-style/ )