Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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ビン・ラデンは英雄?

2014-09-05 10:26:30 | アジア

数ヶ月前、パキスタン北部のアボタバードを訪れた。2011年にオサマ・ビン・ラデンが米海軍特殊部隊によって殺害されるまで身を隠していたといわれる町だ。ビン・ラデンは何年もここに住んでいたというが、果たしてこのことをパキスタン政府は知らなかったのか?また、なぜ米軍はビン・ラデンの亡骸を海に捨て、彼を殺したという証拠を何も残さなかったのか?様々な疑問が彼の死を巡って残るが、恐らくこれに対する答えは、この先長い間明かされることはないだろう。

パキスタン滞在中、農民から大学生まで、異なった教育水準の人々の話を聞いてあらためて気づかされたのが、この国の人々の多くが、ビン・ラデンに対して好意的な印象を抱いていたということだ。学歴もあり、9―11同時多発テロに関してアメリカに同情的な人々でさえ、ビン・ラデンを「テロリスト」としてではなく、「レベル」すなわち「アメリカの帝国主義に対する抵抗者」と捉えているようだった。

アメリカに20年近く住み、インドに居を移した現在も欧米メディア相手に仕事をしている僕の感覚は、どうしても欧米よりになってしまうことは否めない。9―11テロでは当時働いていた新聞社の同僚の父親がこの事件で殺されたし、破壊され瓦礫と化したグラウンド・ゼロを目前に、ビン・ラデンに対して「偏狭な思考しか持てないテロリスト」のイメージしかもてなかった。そしてそれはいまでも変わることはない。

しかし、これまで様々な国の現場で仕事をしてきて、立場が変われば考えも変わるし、万人に共通な価値観や善悪などありえないということは体で学んできた。パキスタンでの経験もその例に洩れず、多くのアメリカ人たちにとって残虐なテロリストであるビン・ラデンも、立場の異なる人間にとっては、「英雄」にもなりうるわけだ。

パキスタンで知り合ったパレスチナ人ジャーナリストが印象深い話をしてくれた。9―11テロがおこってしばらくした頃、友人のアメリカ人を招いて食事をとっていたときのことだ。

「9-11のとき、崩れそうになっているビルから飛び降りる人々の姿をみて、君はどう感じた?」

アメリカ人の友人の問いに、彼はこう答えた。

「イスラエル軍によって次々と殺されるパレスチナ人をみて君が感じるのと、多分同じ気持ちさ」

このパレスチナ人が言いたかったのはこういうことだ。アメリカ人もパレスチナ人も命の重さは同じはず。それなのに、どうしてアメリカはイスラエルの暴挙には目をつぶり、9-11のことばかり嘆くのか?彼の答えをきいて、アメリカ人の友人は相当狼狽したという。おそらく彼は、それまでパレスチナ人の立場で物事を考えてみたことことがなかったのだろう。

ベトナムからニカラグア、サルバドルなど、アメリカは自らの国益のために多くの国の内政に干渉し、政権転覆を謀ったり、ときには独裁者の非道をも支援してきた。そんなアメリカの外交政策に抵抗感を持つ人は少ないないはずだ。近年においてはイラクやアフガニスタンへの理不尽な軍事侵攻の失敗によって、地域を混乱におとしめたことで、多くのイスラム国を敵にまわしてしまった感もある。これは、極端な反米を標榜する過激なイスラム主義者たちが増幅する下地をつくってしまった。こんな背景を考えれば、パキスタン人たちがその教育水準を問わず、 ビン・ラデンを肯定的に捉えているのも理解できる。

ここひと月のあいだに、イスラム過激派の「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」によって、二人のアメリカ人ジャーナリストが最悪のかたちで処刑された。どんな理由があろうとも許し難い非道ではあるが、悲しいことに世界の裏側では、この残虐な行為に拍手をおくっている人間たちが存在するのが現実なのだ。

異なる宗教間や社会風習、民族などその違いは様々だろうが、立場が変われば正義も変わる。その現実を踏まえずに、お互いが自らの価値観を押し付けようとしている限り、暴力と憎しみの連鎖は続くことになるだろう。

(写真:すでに解体され瓦礫だけが残るビン・ラデンの住処)
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