Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

大晦日

2007-12-31 22:56:29 | 報道写真考・たわ言
今日で2007年も最後です。日本ではあと1時間ほどで新年、というところでしょうか。僕のほうは大晦日、元旦とはいえいつもと変らず出勤です。まあそれほど忙しくはならないと思いますが。。。

昨日、トリビューンのサンデーマガジンで2007年の国外取材が特集されました。ウェブのほうでも僕を含めたインタビューを交えてビデオが掲載されていますので、興味があればご覧ください。

www.chicagotribune.com/worldphotos2007

今年もこのブログにお付き合いくださり、ありがとうございました。

新年もみなさんにとって充実した年でありますように。


ブット氏の暗殺に思う

2007-12-29 00:00:03 | 中東
昨日は、パキスタンの元首相ブット氏暗殺のニュースで朝が始まり、おかげで一日中どうにも気の晴れない暗澹たる思いで過ごす羽目になった。

僕はパキスタンには行ったことはないし、ブット氏に特別な思いいれがあるわけでもない。歴史的に世界中で政治家の暗殺などは何度も起こってきたし、半ば予想されていた彼女の暗殺それ自体が僕にとってとりたててショックだったのではない。

この暗殺のやり方と、その後の民衆の反応をニュースで追っているうち、どうにもやりきれない気持ちになったのだ。

犯人は、まずブット氏の首と胸を銃で撃ち、そのあと自爆したという。その爆発の巻き添えを食ってまわりにいた20人ほどが殺された。ブット氏の暗殺が目的だったのなら、一体どうして周りにいる人間たちまで巻き込む必要があるのか?

昨日の暗殺に限らず、イラクやアフガニスタンなどで近年頻発している自爆テロすべてにいえることだが、明らかに教典コーランの教えに反するこの無差別殺人行為を、一体何をもって彼らイスラム原理主義者達は正当化するのか?犠牲者の中には当然子供さえも含まれてくるのだ。

さらに、ブット氏暗殺後の民衆の反応にも大きな疑問を感じる。怒ったブット氏支持者たちは、彼女の収容された救急病院のガラスをたたき割ったり、各地で車や商店に放火したり発砲するなどの暴動騒ぎを起こし、ムシャラフ大統領批判の声をあげているという。

人々が怒るのはもっともだが、その矛先が違うだろう。

怒りをぶつけるべき相手は、自爆テロという極めて非道な行為を繰り返すイスラム原理主義者たちであり、こういう洗脳された人間達をつくりだすテロ組織のはずだ。ムシャラフ大統領が、自分の首を絞めるようようなことになるブット氏の暗殺を企てるわけはないし、ましてや町の商店主たちや病院がどうして八つ当たりされなくてはならないのか?

コーランやモハメッドが西洋の雑誌記事などでわずかでも悪く言われたり、ジョークのネタになったりするだけで激怒して、世界中のイスラム教徒たちが激しいデモをおこすというのに、もっと非人道的な自爆テロをおこなう組織に対しては、彼らは悲しむだけで真っ向から立ち上がって闘おうとしない。

誤解を恐れずに言えば、彼らイスラム教徒自体が、そういうテロ組織の存在を、好きではないけれどもなんとなく許容してしまっている、そう思えてさえしまうのだ。

イスラム教徒の人口はクリスチャンに続き世界で2番目に多い。もし彼らが学校やモスク、コミュニティーという日常活動をとおして、テロリストの温床となる貧困問題や教育問題に取り組み、本気でテロ組織に対抗しその膿をだそうと決意するなら、ブッシュの反テロ政策などよりも遥かに有効な手立てがうてるはずだ。

さらに恐ろしいのが、イラクをはじめとして、近年あまりに自爆テロが頻発するために、イスラム社会、特にテロリスト予備軍ともいえる若者たちの間で、これがあたりまえの「作戦」として定着してしまっていることだ。
「自分の気に入らないものはみな殺しにしてしまえ」といった風潮が浸透し、自爆テロが当然のように遂行されてしまう。。。そういう社会になってしまった。

こんな環境では子供たちは自爆テロに免疫をつけられて育つわけで、テロ組織にとっては、「作戦遂行」に疑問を持たないテロリストの補充には事足りない都合の良い社会になっていくといえるのではないか。

現在、世界規模でイスラム原理主義者たちの影響は増加する一方で、この点に関してはまったく希望がもてないというのが正直な思いだ。(もちろんこの責任の大きな一端はブッシュにあるのだが。。。)

こんな考えが憂鬱な頭を堂々巡りして、結局やろうと思っていた写真の整理もはかどらずに一日が過ぎ去ってしまったのだった。

アメリカ人の愛国心

2007-12-22 13:39:04 | シカゴ
前回掲載した、星条旗のスカーフをした老女ロザリーの写真に対するコメントのなかに、生活苦にありながらもアメリカ政府を支持しているのか?というものがあったのだが、これは日本人にはちょっとピンと来ない感覚かもな、と気づかされたので、少し言及したいと思う。

アメリカ人の多くは、「愛国心」というものを日常生活のなかですり込まれて育つ。小学生でさえ学校で「忠誠の誓い」を毎日唱えさせられるし、高校からプロに至るまで、どんなスポーツ競技でも試合前には必ず国旗に向かっての国歌斉唱がある。

僕は17年前にこの国に移り住んでからしばらく、こんなアメリカ人達の「愛国心」や「アメリカはナンバーワンの国だ」と信じきっている彼らのある種高慢な態度に強い嫌悪感を抱いていた。今でもそういう露骨な愛国心の表現には抵抗を覚えるけれど、こちらでの生活が長くなるにつれ、ひと口に愛国心といっても、そう疎んずるものばかりではないことがだんだんとわかるようになってきた。

ロザリーの星条旗スカーフはそのいい例だ。

ベビーシッター、看護婦手伝い、銀行受付、ホテル予約係、事務員。。。これまでいろいろな職についてきたが、人生一度も経済的に恵まれることのなかった彼女は、今年で66歳。最低の生活保護と、ボランティアで手伝っている食糧配給所から分けてもらう食べ物でぎりぎりの暮らしをしている。

イラク戦争に反対し、米国内での経済格差に大きな不満をもつロザリーは、アメリカ政府に対して大きな憤りを感じている。
「イラク戦争はおかしい、そんな金があるなら国内の貧困層を救済しろ、政府が歯止めをかけないから、家賃があがって貧民が生活できない。。。」
彼女に会うたびに、僕はそんな怒りに満ちた不満を延々と聞かされていた。

そんな彼女が、どうしてトレードマークのようにアメリカ国旗である星条旗のスカーフを身につけるのだろうか?

それは彼女がアメリカ政府ではなく、アメリカという国を愛しているからだ。彼女にとっては、国としてのアメリカと、アメリカ政府は別物なのである。

反戦デモや人権擁護の集会などを取材すると、必ずそこには星条旗を掲げた人々の姿があるが、それも同じこと。ロザリーをはじめとする多くのこんなアメリカ国民達にとって、「愛国心」とは「祖国」に対して持つものであり、それは「政府」に対するものではない。だから、時には政府が、彼らの愛国心に敵対する存在になることさえもあるわけだ。

貧しいロザリーが米政府の貧困対策に不満や憤りを持ちながらも、それでも星条旗のスカーフを被って愛国心を示しているのには、そんな背景がある。彼女は政府の政策は支持しないが、アメリカという国は心から愛しているのだ。いや、アメリカを愛しているからこそ、政府を批判せざるを得ない、といったほうがいいかもしれない。

こういう事情は、「愛国心」というものをあまり感じたり考えたりする機会の少ない日本人にとっては馴染みの薄いものかもしれない。それでも近年は石原都知事の君が代・日の丸強制や、安倍前総理の「美しい国、日本」などといった、政府主導の「愛国心」の押し付けというおかしな風潮はでてきているようだけれど。

本当に日本を大切に思っているのであれば、国際社会のなかでの役割を正しく認識して、偏狭な保守主義や国粋主義に惑わされることなく、日本への「愛国心」を持てるようになりたい。そのためには、うわべだけの偽りの愛国心を振りかざして、真の国益を損ねるような政府にははっきりと反対の意思表示をすることが大切だろう。

そういう意味では、ロザリーのようなアメリカ人達の「愛国心」には学ぶべき点が多いのではないだろうか。


(お知らせ)
12月20日発売の月刊 DaysJapanマガジンにソマリアの写真と記事が掲載されました。以下の書店で取り扱っています。
http://www.daysjapan.net/koudoku/index04.html

貧困プロジェクト掲載

2007-12-16 14:02:58 | シカゴ
貧困プロジェクトがトリビューンに掲載された。

http://www.chicagotribune.com/poverty

「イリノイ州の貧困率が増加している。。。」今年3月、運転中に聞いていたラジオの短いニュースがこのプロジェクトを始めるきっかけだった。

アフリカや中東など紛争地の国際ニュースばかりに写欲のある僕は、自身が生活の基盤としているアメリカや地元のシカゴでこれまでまとまった写真ストーリーを撮っていなかった。国際ニュースに比べて興味が薄かったことは確かだが、単に仕事としてではなく、自分が心を寄せて撮れるような題材を見つけることができなかったからだ。

「これなら撮り続けてみたい。。。」ニュースを聞いたときそう思った僕は、その日から資料集めにかかり、貧困問題に関わる組織、団体にコンタクトをとってこのプロジェクトにとりかかった。

その後5月からハイチ、イラクに3回、ソマリア、と出ずっぱりの状態が続き、思うようにこのプロジェクトに時間を割くことができなかったが、なんとか海外取材の合間を縫って撮影を続け、ようやく掲載までにこぎつけた。

一番大変だったのはやはり取材対象探しだった。

貧困がテーマだから、取材されるほうも誇れるものではない。貧しい自らの生活をカメラの前にさらけ出すのには恥じや抵抗がある。取材を拒否されることなど何度もあったし、逆に途中から金を要求されてこちらから引かなくてはならなくなったこともあった。プロジェクトの意図を理解して取材に協力してくれる人々を見つけるのは楽なことではなかったのだ。

シングルマザー、一人暮らしの老女、ホームレス、メキシコからの移民、障害者。。。それでもなんとか取材対象を探し出し、いろいろなかたちで貧困層として社会に存在する人々と写真を通して関わりあうことができた。

取材対象者のなかには、僕が何度も足を運び、話を聞き、撮影しながら多くの時間をともにしてきた人々も少なくない。友人とまではいかなくても、ある程度気心のわかる関係を築けたと思っているし、僕自身、前回ブログにとりあげたジムを含めた彼らの将来には興味がある。

プロジェクトは新聞に掲載されたことによって一段落したわけだが、貧困増加は依然として大きな社会問題だ。これからも息の長いスパンでこの問題を撮り続けていければと思う。

(写真:一人暮らしの老女ロザリー。生活保護と食料配給に頼るぎりぎりの生活だ)