前回掲載した、星条旗のスカーフをした老女ロザリーの写真に対するコメントのなかに、生活苦にありながらもアメリカ政府を支持しているのか?というものがあったのだが、これは日本人にはちょっとピンと来ない感覚かもな、と気づかされたので、少し言及したいと思う。
アメリカ人の多くは、「愛国心」というものを日常生活のなかですり込まれて育つ。小学生でさえ学校で「忠誠の誓い」を毎日唱えさせられるし、高校からプロに至るまで、どんなスポーツ競技でも試合前には必ず国旗に向かっての国歌斉唱がある。
僕は17年前にこの国に移り住んでからしばらく、こんなアメリカ人達の「愛国心」や「アメリカはナンバーワンの国だ」と信じきっている彼らのある種高慢な態度に強い嫌悪感を抱いていた。今でもそういう露骨な愛国心の表現には抵抗を覚えるけれど、こちらでの生活が長くなるにつれ、ひと口に愛国心といっても、そう疎んずるものばかりではないことがだんだんとわかるようになってきた。
ロザリーの星条旗スカーフはそのいい例だ。
ベビーシッター、看護婦手伝い、銀行受付、ホテル予約係、事務員。。。これまでいろいろな職についてきたが、人生一度も経済的に恵まれることのなかった彼女は、今年で66歳。最低の生活保護と、ボランティアで手伝っている食糧配給所から分けてもらう食べ物でぎりぎりの暮らしをしている。
イラク戦争に反対し、米国内での経済格差に大きな不満をもつロザリーは、アメリカ政府に対して大きな憤りを感じている。
「イラク戦争はおかしい、そんな金があるなら国内の貧困層を救済しろ、政府が歯止めをかけないから、家賃があがって貧民が生活できない。。。」
彼女に会うたびに、僕はそんな怒りに満ちた不満を延々と聞かされていた。
そんな彼女が、どうしてトレードマークのようにアメリカ国旗である星条旗のスカーフを身につけるのだろうか?
それは彼女がアメリカ政府ではなく、アメリカという国を愛しているからだ。彼女にとっては、国としてのアメリカと、アメリカ政府は別物なのである。
反戦デモや人権擁護の集会などを取材すると、必ずそこには星条旗を掲げた人々の姿があるが、それも同じこと。ロザリーをはじめとする多くのこんなアメリカ国民達にとって、「愛国心」とは「祖国」に対して持つものであり、それは「政府」に対するものではない。だから、時には政府が、彼らの愛国心に敵対する存在になることさえもあるわけだ。
貧しいロザリーが米政府の貧困対策に不満や憤りを持ちながらも、それでも星条旗のスカーフを被って愛国心を示しているのには、そんな背景がある。彼女は政府の政策は支持しないが、アメリカという国は心から愛しているのだ。いや、アメリカを愛しているからこそ、政府を批判せざるを得ない、といったほうがいいかもしれない。
こういう事情は、「愛国心」というものをあまり感じたり考えたりする機会の少ない日本人にとっては馴染みの薄いものかもしれない。それでも近年は石原都知事の君が代・日の丸強制や、安倍前総理の「美しい国、日本」などといった、政府主導の「愛国心」の押し付けというおかしな風潮はでてきているようだけれど。
本当に日本を大切に思っているのであれば、国際社会のなかでの役割を正しく認識して、偏狭な保守主義や国粋主義に惑わされることなく、日本への「愛国心」を持てるようになりたい。そのためには、うわべだけの偽りの愛国心を振りかざして、真の国益を損ねるような政府にははっきりと反対の意思表示をすることが大切だろう。
そういう意味では、ロザリーのようなアメリカ人達の「愛国心」には学ぶべき点が多いのではないだろうか。
(お知らせ)
12月20日発売の月刊 DaysJapanマガジンにソマリアの写真と記事が掲載されました。以下の書店で取り扱っています。
http://www.daysjapan.net/koudoku/index04.html