Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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英語の通じない首都

2009-06-25 11:19:02 | アジア
ベトナムに到着して4日目、昨日ハノイを発って南下を始めた。ここから中部のダナンまで、数日かけて枯れ葉剤の被害者家族などを訪れながら車での移動になる。

ハノイで気づいたことのひとつに、英語を解する人が非常に少ない、ということがある。

外国人の出入りするホテルやカフェは別にして、一般市民、それも若い人たちの間でも「ハロー」とか「サンキュー」または数字の「ワン・トゥー・スリー」といった初歩的な単語さえも通じないことに驚いた。

それでも友人の話では、南に行くほど英語の通じる率は高くなり、ホーチミン・シティー(サイゴン)では英語を話す人間を探すのには苦労はいらない、とのこと。戦時中、米国が介入してきたのは南部なのでこれも当然のことだろう。

学校での英語教育はあるのかガイドに尋ねてみると、それが始まったのは1990年あたりだというから、まだ20年も断っていないことになる。周知の通りベトナムは戦前フランスの植民地だったこともあり、成人の多くは初歩的英語教育さえ受けていない。子供達にしても、学校で習う英語はベトナム人の先生によるものだから、発音もだいぶ違うし外国人の喋る英語はほとんどわからないようだ。(なんか自分の身にも覚えがある話だな)

また、これはあくまで私見だが、文化的な理由もあるようだ。

中東でもアフリカでも、音楽、テレビ番組や映画などの米国のメディア文化は結構浸透しているものだ。しかしここではそういったアメリカン・カルチャーの影響が生活の中であまり感じられないし、そんな理由もあって、市民が日常英語に接する機会もずっと少ないような気がするのだ。

理由はどうあれ、ハノイは僕が今まで訪れたなかでも、英語の通じない首都のナンバー1か2になるんじゃないかと思う。まあ別に英語が万国語というわけでもないし、それが通じないからどうした、と騒ぐほどのこともないんだけれど。。。

これから南下していくにつれ、果たして友人の言うように状況が変わっていくかちょっと興味のあるところだ。

ハノイ到着

2009-06-21 13:14:49 | アジア
一昨日の深夜近くにハノイに到着した。まだ取材がはじまらないので昨日は一日フリータイム。ボストン時代からの友人で、2年前にハノイに赴任してきたAP通信のカメラマン、チトセさんと久びさに再会し、彼女に町を案内してもらいながら1日過ごした。

それにしてもここは暑い。しかも暑いだけではなく、湿気が多い。外に出て5分も歩かないうちに体中から汗が吹き出てくるほどだ。夏のイラクでも50度を超える暑さは経験しているが、あれは乾燥した暑さだったのでこれほどの不快感は感じなかった。

そんなわけで1時間ほど歩いては冷房のきいたカフェにはいって休憩、のパターンを繰り返していたが、そのうちあることに気づいた。店内で身体が冷えない、のだ。これはすなわちどの店でも冷房をあまり「効かせすぎていない」ということだ。

日本の夏にはもう何年も帰っていないのでどんな状況かわからないが、シカゴでは往々に店内やオフィス内の冷房が効きすぎていて閉口する事がある。トリビューンの写真部でも、撮影から戻ってきて1時間もいると身体が冷えて寒気を憶えるようになるほどだ。外で汗だくになって撮影したあと、オフィスに戻る時には長袖のフリースなどを持って行かなくてはならない、というおかしなことになる。なんというエネルギーの無駄使い!

それに比べてここハノイでは、喫茶店でもレストランでも、大量の汗で湿ったティーシャツで入店しても、それが気持ちよく乾く程度で、1時間いても2時間いても身体が冷えてしまうということはない。

ささいなことなのだけれど、シカゴでもこういうことにもう少し敏感になるべきなんじゃないかとふと考えさせられた。塵も積もれば、で、市内の店やオフィスがそれぞれ冷房の設定温度を1度か2度あげただけで随分な省エネになると思うんだけど。。。


ベトナム~枯れ葉剤

2009-06-18 10:32:40 | アジア
ベトナム戦争中に米軍によって使われた枯れ葉剤に関する取材のために、明日から3週間ほどこの国へ出かけることになった。トリビューンの経営状況からいって、もう国外取材はほぼ無いだろう、と覚悟していたので正直言って嬉しい驚きだ。

しかし実はこの取材も、一記者が個人プロジェクトとして始めたものが、調査ジャーナリズム基金に認められ取材補助金が支給になったために実現したものだ。だから、トリビューンとしては彼が自力で勝ち取ったチャンスにうまく便乗したに過ぎない。

まあ理由はどうあれ、外に取材にでられるのは嬉しいことだし、ベトナムは僕にとっては初めてなので期待も大きい。

枯れ葉剤についてはこれまで日本を始め世界中のメディアから何度も取材されてきているし、特に新鮮な題材というわけではない。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%CF%CD%D5%BA%DE

しかし、この農薬をつくった薬品会社に対する訴訟はまだ続いているし、何より戦後30年以上たった現在でも、ダイオキシンを含むこの非人道的な薬剤の影響を背負い生き続ける人間たちが何十万と存在しているのだ。ここには枯れ葉剤のために身体に障害を持って生まれてきたベトナムの子供たちは勿論のこと、戦時中に薬品会社から事実を知らされずに枯れ葉剤を扱わされ、身体に重度の支障をきたした元米兵達も含まれている。

マリアナの取材に続いて、とても意義のある仕事になりそうだ。






マリアナの子供たちと

2009-06-11 11:35:10 | 中南米
マリアナの家族と4日間を過ごし、シカゴに戻ってきた。2ヶ月前に比べて格段に暑くなっていたのと、年甲斐もなく子供たちと遊びすぎて疲労困憊してしまった。

村に到着してすぐに、 女の子たちがダンスを披露してくれた。僕が戻ってくると聞いて、2週間前から練習していてくれたそうだ。

この家族を訪れるのはこれで4度目になったが、取材抜きで訪れたのは勿論初めて。写真の事をあまり考えずに今回ゆっくり彼らと時間を共にして、あらためて「家族」というものを考えさせられた。

彼らは経済的には非常に貧しいし、家などぼろぼろで家具や所持品などほとんどない。トイレを流すのも、身体を洗うのもその度にバケツで汲んでいかなくてはならないし、テレビだって3世帯にひとつあるだけだ。しかしそんな物質的な貧しさとは関係なく、ここには家族のあるべき姿、というようなものが存在している気がするのだ。

祖父さんと祖母さんをはじめとして孫、ひ孫までの代までがみな近所に住み、毎日顔を合わせながら助け合って生活している。マリアナが病に伏せっているときも、家族がそれぞれ村を募金してまわって薬代などを調達してきたし、現在も少しでも余裕のある者が子供たちの学費や必要な生活費を工面する。女たちはみなよく冗談を言っては笑い、子供たちもみな実に素直だ。テレビゲームなど持っていなくても、小川で泳いだり釣りをしたり、またバレーボールや縄跳びなど、遊びには事欠かない。家事の手伝いを命じられれば嫌な顔をする訳でもなく、目上の者を敬うということも自然と身に付いている。

所持するものは少なくても、彼らはとても豊かな心を持っている。恐らくそんな彼らに魅せられて、僕は仕事とは関係なしにまたこの家族を訪れたくなるのだと思う。

日本でも一昔前まではこういう家族の形態があたりまえだったのだろう。僕がまだ小学生だったころ、夏休みにはいつも母親の実家に戻り、親戚一同みな一つ屋根の下で数週間を過ごした楽しい記憶が残っているが、マリアナの家族は毎日がそんな感じなのだ。

僕は別にここで、どんな生活が人間にとって一番幸せなのか、などと問題提起をするつもりはない。ただ、僕にとってこの家族と過ごす数日間はいつも、普段の生活の中で忘れてしまっていることを思い出させてくれる貴重な時間、という気がするのだ。

こんな家族と巡り会わせてくれたマリアナに、あらためて感謝したいと思う。



メキシコへ

2009-06-05 05:40:09 | 中南米
なんだか身の回りの事に追われてしまい、すっかりご無沙汰になってしまいました。

今日から5日間ほど休暇をとってメキシコのマリアナの家族を訪ねてくる。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/d/20090410
彼女の葬儀の時は慌ただしかったし、この先当分戻れそうもないので、少し彼らとゆっくりしてこようと思う。

例の槌指変形となった指もまだ完治していないので、バレーボールができるかは???だが、子供たちとまた会えるのも楽しみだ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/d/20090401