ベトナムに到着して4日目、昨日ハノイを発って南下を始めた。ここから中部のダナンまで、数日かけて枯れ葉剤の被害者家族などを訪れながら車での移動になる。
ハノイで気づいたことのひとつに、英語を解する人が非常に少ない、ということがある。
外国人の出入りするホテルやカフェは別にして、一般市民、それも若い人たちの間でも「ハロー」とか「サンキュー」または数字の「ワン・トゥー・スリー」といった初歩的な単語さえも通じないことに驚いた。
それでも友人の話では、南に行くほど英語の通じる率は高くなり、ホーチミン・シティー(サイゴン)では英語を話す人間を探すのには苦労はいらない、とのこと。戦時中、米国が介入してきたのは南部なのでこれも当然のことだろう。
学校での英語教育はあるのかガイドに尋ねてみると、それが始まったのは1990年あたりだというから、まだ20年も断っていないことになる。周知の通りベトナムは戦前フランスの植民地だったこともあり、成人の多くは初歩的英語教育さえ受けていない。子供達にしても、学校で習う英語はベトナム人の先生によるものだから、発音もだいぶ違うし外国人の喋る英語はほとんどわからないようだ。(なんか自分の身にも覚えがある話だな)
また、これはあくまで私見だが、文化的な理由もあるようだ。
中東でもアフリカでも、音楽、テレビ番組や映画などの米国のメディア文化は結構浸透しているものだ。しかしここではそういったアメリカン・カルチャーの影響が生活の中であまり感じられないし、そんな理由もあって、市民が日常英語に接する機会もずっと少ないような気がするのだ。
理由はどうあれ、ハノイは僕が今まで訪れたなかでも、英語の通じない首都のナンバー1か2になるんじゃないかと思う。まあ別に英語が万国語というわけでもないし、それが通じないからどうした、と騒ぐほどのこともないんだけれど。。。
これから南下していくにつれ、果たして友人の言うように状況が変わっていくかちょっと興味のあるところだ。
ハノイで気づいたことのひとつに、英語を解する人が非常に少ない、ということがある。
外国人の出入りするホテルやカフェは別にして、一般市民、それも若い人たちの間でも「ハロー」とか「サンキュー」または数字の「ワン・トゥー・スリー」といった初歩的な単語さえも通じないことに驚いた。
それでも友人の話では、南に行くほど英語の通じる率は高くなり、ホーチミン・シティー(サイゴン)では英語を話す人間を探すのには苦労はいらない、とのこと。戦時中、米国が介入してきたのは南部なのでこれも当然のことだろう。
学校での英語教育はあるのかガイドに尋ねてみると、それが始まったのは1990年あたりだというから、まだ20年も断っていないことになる。周知の通りベトナムは戦前フランスの植民地だったこともあり、成人の多くは初歩的英語教育さえ受けていない。子供達にしても、学校で習う英語はベトナム人の先生によるものだから、発音もだいぶ違うし外国人の喋る英語はほとんどわからないようだ。(なんか自分の身にも覚えがある話だな)
また、これはあくまで私見だが、文化的な理由もあるようだ。
中東でもアフリカでも、音楽、テレビ番組や映画などの米国のメディア文化は結構浸透しているものだ。しかしここではそういったアメリカン・カルチャーの影響が生活の中であまり感じられないし、そんな理由もあって、市民が日常英語に接する機会もずっと少ないような気がするのだ。
理由はどうあれ、ハノイは僕が今まで訪れたなかでも、英語の通じない首都のナンバー1か2になるんじゃないかと思う。まあ別に英語が万国語というわけでもないし、それが通じないからどうした、と騒ぐほどのこともないんだけれど。。。
これから南下していくにつれ、果たして友人の言うように状況が変わっていくかちょっと興味のあるところだ。