Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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中絶禁止派の過激な面々

2009-05-20 12:08:31 | 北米
2日前、ようやくガスが復旧した。
しかし、大家が滞納したガス代を納めて正規の手続きを踏んだかどうかは今ひとつ疑わしい。普段ならガス会社の工員が、元栓を開けたあとアパートの部屋をまわってガス復旧の確認をするのだが、それを大家のアシスタント(これがまた悪い奴で、ビルのメインテナンスもいいかげんだし、住人に対する態度も実に粗野)がおこなっていたからだ。
そうだとすると「stealing gas (違法でガスを盗む)」ということになるのだが。。。
いずれにしてもとりあえずはお湯もでるようになったことだし、ガスコンロもつかえるようになったので、深い詮索はやめておこう。
気にかけてくれたみなさん、ありがとうございました。

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日曜日はインディアナ州にあるノートル・ダム大学へ卒業式の撮影にいってきた。

オバマ大統領が式でのスピーチをおこなうことになっていたのだが、このことに関して、ひと騒動が予想されていたからだ。

長年のあいだ全米を二分してきた妊娠中絶問題において、オバマ大統領は中絶容認の立場をとっている。これに対してノートル・ダムはカトリック系の名門私大。知っての通りカトリックの教義では中絶は御法度だ。このため、一部の学生をはじめ大学やカトリック教会関係者から、オバマを卒業式に招くのは倫理上問題がある、という抗議行動が沸き起こった。この動きは全米のプロ・ライフ(中絶禁止派)各組織にまでひろがって、オバマの卒業式参加に反対するデモが繰り広げられることになったのだ。さらに、数十人の卒業生たちが、正規の卒業式をボイコットし、独自の卒業式典をおこなうことを発表した。

そんなわけで、大統領のスピーチの撮影は、今月頭までワシントンDCに駐在しオバマを撮ってきたナンシーにまかせ、僕はこの卒業式の騒動のほうを担当。抗議デモと「反乱」卒業生たちによる独自の卒業式を撮ってきた。

平和におこなわれた「反乱」学生達による抗議集会と卒業式はいいとして、大学キャンパスの外でおこなわれたプロ・ライフ派のデモはいつもながらの過激さで、少々うんざりしてしまった。「いつもながら」と書いたのは、彼ら超保守派の人々による集会ではいつも、血だらけの胎児の遺体のようなグロテスクな写真をでかでかと載せたプラカードや、映画「チャイルド・プレイ」にでてくるチャッキーのような血まみれ人形などが登場するので、撮影する僕らを悩ませるからだ。こういうものの写り込んだ写真は米国の新聞にはまず掲載されないので、僕らはこういう過激なプラカードをフレームから外しながら撮ることを考えなくてはならない。

まあそういう外観的なことは別にしても、彼らの「自分と意見を異にする人の意見は真っ向から否定糾弾し、全く耳を貸す事さえもしない」という態度に、僕は毎度強い違和感を感じてしまうのだ。彼らはほとんど「洗脳」されている、といっても過言ではないだろう。こういう人間達は怖い。自分が完全に正しいと信じこんでおり、意見の違う他者との妥協点を求める事すらも拒否するので、非常に危険なのだ。そう言う意味で彼らはテロを引き起こすイスラム原理主義者たちと何ら変わりはない。

この日も、少数ながら姿を現したプロ・チョイス派(中絶の選択は女性自身が決めるべきと主張する人たち)の女性達に、プロ・ライフ派から投げつけられた罵倒・中傷の言葉を聞きながら、僕は胸くそが悪くなる思いであった。もし僕らのような報道陣がまわりにいなければ、プロ・チョイス派の彼女達は中絶禁止派によって暴力的にあの場から排除されていたんじゃないかと思うほどだ。中絶禁止派の一部はあげくに、許可なくキャンパスに入りデモをおこない、30人以上が逮捕されることになった。

自分と異なる意見をもつ他者がいるのは当たり前の事だ。そんな「当たり前」のことを前提にすることなく、妥協点を探る努力もせずに相手を否定し潰そうとすれば、残る道は戦争しかない。

何事に関しても、超極端になってしまうのはいかがなものか、と、あらためて考えさせられた一日だった。

(写真:許可なしにプラカードを持って大学内に入り、逮捕される中絶禁止派のグループ)



ガス無し生活近況

2009-05-14 10:45:46 | 報道写真考・たわ言
今年の春はどうもすっきりしない。

夏のような暖かさが訪れて、「ああ、ようやく来たか」と喜んでいると、また急に10度以下まで冷え込んだりする。今日も朝からずっと雨で気の滅入る一日だった。

ガス無し生活ももうかれこれ3週間になった。

コメントのなかで「イラク従軍とどっちが辛いですか?」という質問があったが、面白い事に、 同じような事を同僚などからも言われたりする。「イラクの砂漠に比べればましだろう」などと、人ごとだと思って気楽なもんだ、とも思うが、それでも正直なところこんな生活にも徐々に慣れてきた。まあ慣れなくてはやっていけないから仕方がないのだけれど。

シャワーは、トリビューンのジムに行ける時はそこで浴びてくる。ジムに寄る時間のない時は、かけ声をあげながら冷水を浴びるか、あまりに気温が低くて身の危険を感じる時はベイビーワイプで身体を拭くだけ。

料理のほうは、電気卓上コンロを持っているので、なんとかそれで間に合わせる。ひとつしか熱源がないため2つ以上同時に煮たり焼いたりできないのが難点だが、要領よくやればまあなんとかなるものだ。

どういう了見か知らないが、大家はもうガス代を払うつもりはないようで、復旧の見通しは全くない。しかし引っ越すのもそう簡単ではないし、金もかかる。ひょっとしたらこうやって住人を追い出すのが大家の魂胆かも知れないし、そうだとしたらすごすごと出て行くのも癪に触る。

そういうわけで、もう長期戦だ、と、あと数ヶ月はこのまま粘ろうと覚悟を決めた。まずは弁護士を雇い、合法的に家賃不払いの手続きを済ませたので、もう家賃は払わなくていい。2、3ヶ月このまま住めば電気代を差し引いても結構金が浮く事になる。そう考えると多少は不便でも割はいいな、などと貧乏根性が顔を出してくる。

しかし、ひとつだけ心配な事があるのだ。

この大家、水道代は滞納してないだろうな。。。。?


敬遠される記事

2009-05-10 09:50:54 | 報道写真考・たわ言
最近日本の雑誌への写真売り込みがきつくなってるなあ、と、どこにも掲載のチャンスをもらえない写真記事を抱えながら閉口していたのだが、先日ある雑誌の写真担当者とこの話題についてメールのやりとりをする機会があった。

以下のような彼の言葉を読んで、やっぱりそうか、と、半ばわかっていた事とはいえ悲しいような気持ちになる。

「日本の雑誌メディアの場合、『売れるか、売れないか』というのがネタ選びの大前提にあります。最近は特にその傾向が強まってきていて。。。(中略)。。。社会問題、特に海外の話題、民族や宗教がらみの紛争、環境問題などは『売れない』ネタとして敬遠されがちです」

まあこういう傾向は今に始まった事ではなく、社会問題のような「硬い」記事は、それで雑誌の売り上げが伸びるなどの採算の合うネタではないのでもともとあまり歓迎されるものではない。いわば金勘定よりも、「この問題は人々にとって大事なことだ」とか「国民に考えてもらう必要がある」とかいった、記事の社会的意義を理解する編集者たちの「良心」や「メディアに関わる人間としての責任感」とかによって、掲載が決まるようなものだろう。

だから、最近になって「硬い」記事がいっそう掲載されにくくなったのは、こういうこときちんと考える骨のある編集者が減ってしまったのか、それともまともな編集者がいても、営利主義の上部からの圧力が強くなって思うように記事を選ぶことができなくなったか、ということなんだろうかと思う。

この写真担当者のメールには、こんなことも書かれてあった。

「。。。いわゆる『社会派』ネタも載せますが、割合としては減ってしまいました。。。(中略)。。。『くだらない・ユルい』ネタをありがたがって載せています。たとえばオバマ。就任してしまったとたん、日本では政策面での報道はほとんどありません。あるのは夫人のファッション、そして「犬」ですから。クライスラー、GMがどうなろうと日本人は興味がないんですね。世界の経済はつながっているといいうことが見えていないんですよ」

別に僕は「軽い」ネタを否定している訳ではない。自分だっていつも硬いドキュメンタリーものばかり読んでいる訳ではないし、女の子のグラビアが載っていれば鼻の下のばして見いってしまう。

しかし、そのために伝えられるべき大切なものが犠牲になってはまずいよなあ、と思うのだ。娯楽と社会問題、両方きっちり伝えなくてはいかんでしょう。娯楽ばかりでは、人間腑抜けになってしまうし、考える力も、いざというとき闘う力も失ってしまう。日本人の国際社会に対する認識欠如や社会問題に対する無関心さも、実のところこういった「売れるものしか相手にしない」というメディアの姿勢に大きな責任があるのだと思う。

すこし前にこのブログでも紹介したメキシコからの不法移民マリアナの話だって、根本的には日本で先日おこったカルデロン一家の問題と同じなのだ。そう考えれば、彼女の話を「遠い世界の悲しい話」などと他人事で片付けていられる場合ではないと思うのだけれど。。。

そういえば、以前はこのブログに対する反応も賛否両論もっと多かったのだけれど、いつの頃からか寄せられる意見もめっきり減ってしまったようだ。雑誌に記事が売れなくなってきたように、こういう「硬い」ブログも、だんだん敬遠されるようになってきたかな。。。(苦笑)




母親の無念

2009-05-06 11:11:51 | シカゴ
ガスがとめられてからかれこれ2週間近くがたった。弁護士を雇っていろいろ手を打ったが、早急な解決策はなし。つくづく行政などなんの助けにもなってくれない存在だということを身に染みて感じている。少しずつ気温が暖かくなってきたのが唯一の救いだが、それでも水道の水はまだまだ冷たい。「うおっー」などと叫び声ともつかない気合いの声をあげながら、冷水シャワーを浴びる毎日だ。

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昨日、また「母親の悲しみ」を撮った。

「また」と書いたのは、ちょうどひと月ほど前、マリアナの葬儀で、彼女の母親の悲嘆にくれる姿を撮ったばかりだったからだ。

先週末、15歳の少年が頭を撃たれ殺されたあと、その身体が焼かれるという事件が起こった。彼は前科もなく、ギャングのメンバーでもなかったという。しかし、学習障害のために昨年9月から学校に行かずホームスクールをしていたこの少年は、どういう訳か以前にもギャングから引っ越すように脅かされていたことがあったらしい。

事件の状況判断からギャングの仕業であると目星がつけられているが、いまだに犯人は捕まっていない。

昨日、彼の遺体が発見された路地で、追悼式がおこなわれた。

泣き崩れる母親にレンズを向けながら、僕の胸中にどうにもやりきれない思いがこみ上げてくる。

しかしそれは「悲しみ」の感情ではない。こういう極悪非道なことを平気でやってのける犯罪者に対する「怒り」と、自分には所詮なにもできない、という「無力感」だ。

シカゴでのギャング絡みの銃犯罪の数は尋常ではない。加害者、被害者を問わず、公立学校に通うティーンエイジャーたちを巻き込む犯罪の多くは、ギャングが関係しているといわれている。この少年は、そんな公立学校の生徒として、今年35人目の犠牲者になった。

それは、この日僕が撮ったような「子供を殺され悲嘆に暮れる」母親が、たった4ヶ月そこそこの間にこれだけ生み出された、ということでもある。

彼女たちの無念さは、とても僕などに計り知れるものではないだろう。