Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

爆走スクータータクシー

2006-01-31 21:13:13 | 中南米
毎日朝から晩までの取材で、なかなか時間がとれずに、ブログの更新もままならない。
おまけに泊まっているホテルのインターネットの接続がやたら悪く、電話回線より遅いのでメールの返信をするので精一杯だ。

ベネズエラに着いてから取材の移動にはすべてバイクタクシーを使っている。日本でいう原チャリよりも排気量の大きいスクーター(尋ね忘れたがおそらく125ccだと思う)に運転手と二人乗りして移動するのだが、交通量が多く渋滞だらけの首都カラカスではもってこいの交通手段だ。

しかし、なかなか際どい乗り物でもある。渋滞のときは車線など関係なく、車と車の間の膝すれすれの狭い隙間を縫うように走っていくし、よほど交通量の多い交差点でない限り、赤信号などおかまいなしにつっきっていく。全くこの国には交通法規など存在しないのかと思ってしまう程で、これまでの3日間で事故を目撃していないのが不思議なくらいだ。このスリル満点の乗り心地は、しょぼい遊園地のジェットコースターなんかよりよっぽど面白い。

ドライバー達も皆陽気で楽しい連中達だ。毎日おなじメンバーを雇っているので、もうお互い随分親しくなってジョークもぽんぽん飛び出すようになった。もちろん僕のスペイン語能力ではほんの片言しか解せないのだが、それでも彼等とは気があうし、実に楽しくやっている。

中東などとは全く違って、やはりラテン気質の国なので人々も取っ付きやすいし、取材もしやすい。ミス・ユニバース(世界美女コンテストのグランプリ)を世界で最も多く輩出している国だけあって、街中べっぴんで溢れている。気候も暖かいし楽しい国だ。ただ、取材が忙しくて、ゆっくり楽しむ暇などないのが残念だけれど。。。

(写真/陽気なドライバーのアビマエル)


ベネズエラ到着

2006-01-29 07:53:50 | 中南米
3日間のルイジアナでの取材を終えて、昨夜ベネズエラに到着した。

飛行機が首都カラカスに着いたのが午後10時過ぎ。そこからタクシーでダウンタウンまで来たのだが、空港と町を結ぶ橋が老朽化のために壊れ封鎖されているため、大きく迂回してくねくねと細い山道を走らなくてはならなかった。

普段なら30分足らずのところを、ホテルまでなんと3時間もかかった。深夜だったので交通量が少なくこの程度ですんだが、これが日中だったら、7-8時間かかることもあるらしい。橋が壊れてから、こんな状態がもう3週間以上続いているという。

空港で働く職員達の通勤時間は一気に10倍にもなってしまうし、この橋は主要幹線道路にもなっているので、経済に与える影響も大きい。新しい橋を造るには1年以上かかるといわれるが、運転手の話では、いずれにせよ早急に対策を打ち出せない政府に市民の不満が高まってきているようだ。

午前1時過ぎにホテルについてから、なんだかんだ荷物の整理をしていたら寝るのが3時になってしまった。7時に起きて朝食をすます。今朝はこれから地元のカメラマンと会うことになっている。初めて(実際には1989年に数日間訪れているのだが、ほとんど憶えていない)の土地での撮影ポイントのアドバイスをもらうためだ。


カメラの暴力

2006-01-23 21:26:28 | 報道写真考・たわ言
午前11時、地方裁判所の入り口で、僕はテレビを含めた他のカメラマン達とともに一人の男が来るのを待っていた。気温は摂氏マイナス3度くらい、例年に比べれば暖かいようだが、それでも15分もすると身体が冷えて指先がしびれてきた。

僕らが待っていた男とは、シカゴにある一教会の神父だ。彼は少年2人に性的虐待を与えたとして先週末に逮捕されたが、保釈金を払って釈放されていた。今日は罪状認否手続きのため、彼の最初の裁判所出頭の日だったので、出頭するこの神父の姿を撮るために報道陣が集まっていたのだ。

1時間程たって、開廷直前に彼があらわれた。カメラマン達がわっと彼を取り囲む。勿論僕もその中の一人だ。彼はカメラを避けようと右に左にと足早に歩くが、なんせ報道陣の数が多いのですぐに囲まれてしまう。神父はじっとうつむいたまま、一言も言葉を発せずに裁判室のなかに入っていった。

嫌な仕事だ。。。どんな場合でも、撮られたくない人間を撮るのというのは、こちらもあまり気分のいいものではない。これが本当に悪い奴だったなら、まだ幾分気持ちも楽なのだが、きょうの神父の場合はちょっと違っていた。

この神父は地域の貧困問題、教育問題などに積極的に取り組み、教会にくる市民の信望を集めていた。彼を知る人の多くは、「彼は素晴らしい人だ」と讃え、あの神父がそんなことをするなど信じられない、と言い切っている。被害者とされる少年達も13歳と11歳で供述が100パーセント正しいとはいいきれない。

勿論、表向きが素晴らしいからといって、その人間が罪を犯さないということはないし、まさかと思うような人が犯人だったというケースなどいくらでもある。ただ現段階でこの神父が本当に少年達に性的虐待を加えたという確実な証拠は存在しないし、少なくとも僕としては彼が白か黒かなどわかりようがない。

僕が気にかかるのは、もし彼の犯罪がぬれぎぬで、本当は彼は無罪だったとしたら。。。ということだ。 

僕らカメラマンは彼を取り囲み、容赦なくレンズを向けバシバシと写真を撮っていく。そして僕が今日撮った写真はおそらく明日のトリビューンに掲載されることになるだろう。これはこの神父にとって、苦痛以外の何ものでもないはずだ。彼が犯人ならば、それも当然のことといえるだろうが、もし彼が無実の一市民だったとしたら。。。

これは僕らカメラマン達からのれっきとした「集団暴力」になるのではないか。

そして僕はその暴力の加害者の一人、ということになる。そんな気持ちが僕の中に存在しているから、こんな日は、いくら仕事とはいえ何となく割り切れず後味の悪さを残したまま一日を終えることになるのだ。

明日から出張。少なくともこの先数週間はこんな撮影はしなくてすむと思うと、少しは気が軽くなる。

せっかちなイノシシ

2006-01-22 19:24:45 | 報道写真考・たわ言
せっかちなイノシシ。。。

高校時代の友人が、僕をこんな風に例えてメールをよこした。思い立つとすぐ行動したくなる、すぐに答えをだしたがる、というような僕の性格から連想したようだが、ここ数日のムスの写真に対するブログでの僕の言い分を読んで、あらためてそういう感じを受けたらしい。

なるほどなあ。。。うまく例えたもんだ、と自分のことを言われているにも関わらず感心した。

一度思い込んだら、後先じっくり考えずにすぐに結論を求めて走ってしまうので、これまでの人生、何度やけどをしたり、棒にぶつかってきたことか。。。学習能力に欠けているのか、はたまたこればかりは性格だから治りようがないのか、このイノシシの頭はコブだらけだ。

まあそんな自分のことはいいとして、ベネズエラ行きが今週に決定した。これが石油プロジェクトの最終取材地になる。

火曜日にシカゴを発ち、まずは再びルイジアナへ。ここで先月できなかった取材をすませ、土曜日にベネズエラの首都、カラカスに入る。この国にはもう17年も前に数日間だけ訪れたことがあるが、あまり記憶には残っていない。ただ、その頃の自分は片言の英語でなんとかしのいでいたというのに、スペイン語圏のベネズエラではその英語さえ全然通じずに四苦八苦したのをよく憶えている。マイアミの空港に戻ってきた時、皆が英語を喋っているのを聞いてほっとしたのものだ。

2004年半ばくらいまで、ベネズエラでは失業、治安対策に失敗したチャベス大統領に対しての反発が強かったが、ここ1年程は内政も比較的落ち着いており、反政府デモなどもあまりおこっていないようだ。しかし、現在でもチャベス大統領はネガティブな報道を恐れてジャーナリストの入国に対してかなり敏感になっているという。取材規制のようなものを受けなければいいが、まあ滞在期間も短いのでなんとかなるだろう。

9月から続けてきた石油プロジェクトの取材もいよいよ終盤にはいってきた。今年最初の国外取材ということもあるので、きっちり撮ってこようと思う。あまりせっかちになってまた頭のコブを増やさないように。。。


命を大切に

2006-01-21 11:07:36 | 報道写真考・たわ言
「命を大切に。。。」「死なないでください。。。」

いただくメールのなか、こんな言葉で僕を気遣ってくれる人が結構多い。その気遣いは大変うれしく思うのだが、正直いってこういう言葉を聞くと少しむず痒いいというか、なんとなく居心地が良くない。

戦地に出向く兵士ではあるまいし、こういう仰々しい言葉は、僕にはもったいない、と思うのだ。

リベリアやイラクの写真を見て、人々は僕が年中そういう危険なとこばかりに出向いているのだと勘違いするのだろう、それでこういう気遣いをしてくれると思うのだが、実際はそんなことは全然ない。

物騒な土地に出かけるのはせいぜい1年に1回くらい。あとはアフリカや中東に行くとしても、戦争とはそれほど関係のない取材の方が多い。手がけているプロジェクトもなくシカゴにいるときなど、市長の記者会見や学校行事など、あくびのでそうな物ばかり撮っている。撮らないのはスタジオとファッション、それにスポーツくらいか。。。ボストンにいるときは随分スポーツも撮っていたけれど、もういい加減に嫌になって、シカゴに来てからここ1年半以上スポーツは全く撮っていない。トリビューンには僕よりもずっと腕のいいスポーツカメラマン達が多いので、僕はうまい具合にお役目ごめんができるというわけだ。

だから、普段こんな生活をしている僕にとっては、「死なないで」といわれても、全然ピンとこない。

「風邪ひかないよーに」とか、「下痢しないよーに」。。。そんな言葉のほうが僕には心地いいし、ちょうどいい。




「強烈すぎる」写真(2)

2006-01-19 22:11:44 | 報道写真考・たわ言
昨日書いたムスの写真のことで、公私ともにいろいろな意見をいただいた。

それらを読みながら考えさせられた。
基本的には僕のこの写真に対する考え方や気持ちは既に書いたことと変わりはないが、「撮った者」と「観る者」にはやはり気持ちの上での隔たりがあるのだな、と気づかされたように思う。

2年半前、ムスのこの姿を初めて見たとき、この可愛らしい女の子の(このときは男の子だか女の子だかも分からなかった)身に降りかかったあまりにも惨たらしい現実にショックを受けた僕は、写真を撮るよりもさきに車にのせて彼女を病院へ運んだ。あの写真は、彼等が僕の車から降りる時に、かろうじて四枚シャッターをきったうちの一枚だ。写真を後回しにして被写体の手助けをしたことなど、僕にとってはそれが初めての経験だった。

こんないきさつもあるから、僕のこのムスの写真、そして彼女自身への思い入れには強いものがある。この強い思い入れが先走ってしまうがために、写真の展示に反対する保守的な大人たちに苛立ちを感じてしまうのだろうか。

「『見せ方』が大切だと思います。。。」そんな言葉をいただいた。

なにも知らずに写真展に足を運んでくれる人や子供達が、いきなりこの写真を目にしたら、どう思うだろう。。。

先日逗子で写真展を開いてくれたじょじょさんのブログを拝見して初めて知ったのだが、写真展に先駆けて数点を中学校で展示したとき、このムスの写真を見た途端、「きゃー」といったきり、その後の写真を見ることができなくなった女子生徒がいたそうだ。

これでは写真展の意味をこの女子学生に伝えることができない。。。

写真をただ眼の前につきつけるだけでは、「撮った者」としての僕の本意を「観る者」に伝えることはできないのだろうか。その写真を効果的に見せるためにはその演出の方法も考えなくてはならない、ということか。

「現実」をありのままに見て、感じてもらうこともなかなか簡単なことではない。。。そう思い知らされた。




「強烈すぎる」写真

2006-01-18 18:06:29 | 報道写真考・たわ言
「強烈すぎるので外してほしい。。。」

あるグループ写真展への出展が決まり、選考の対象として僕の選んだ十数点を主催者に送ったのだが、その中の一点に対して、こんな意見が出ているそうだ。写真は、砲弾をうけ、手を引きちぎられたリベリアの少女ムスが病院に運ばれていくところを撮ったものだ。

「またか。。。」この話を聞いた時、正直いって少々うんざりした。

この写真の展示に対して、このような意見がでたのは、もう何度目になるだろうか。。。もう2年近くも前に、僕の個展を最初に企画してくれた仙台のグループのときから始まって、「戦争が終わっても」の出版のときも同じ議論になったし、そしてまた今回もだ。(ちなみに、「戦争が終わっても」の時は、児童書出版物という特殊事情もあり、この写真のトリミングについて不本意ながら妥協せざるをえなかった)

「写真展に来てくれた人から苦情がくる」とか、「これを見た子供の気分が悪くなるかも知れない」という理由から、一部の保守的で心配性の大人たちがこのムスの写真を展示することに難色を示す。しかし、これまで全国8都市以上でこの写真を展示してきたが、そんな苦情は一件もよせられたことはないし、子供達はこの写真をみて気分が悪くなるどころか、しっかりと現実をみて僕に多くの感想を送ってきてくれた。

大人たちが思っている程子供達はやわではないし、こんな写真でもしっかり受け止める力をもっているんだなあと僕は感心したくらいだ。

「臭いものには蓋をする」ではないけれど、強烈すぎるなどといった訳の分からない理由だけで、現実から眼を背けるその姿勢に憤りを感じてしまう。オブラートに包んだような写真だけをみせて、人の心が動かせるのか?そんな写真の多くは、人々が展示会場を去り、雑踏に身を投じたとたんに忘れ去られてしまうのではないだろうか?

確かにこの写真はショッキングだと思う。2年半前に、このムスの姿を眼の前にしたときの衝撃を、僕は一生忘れないだろう。しかし僕は、写真をみてくれた人に、それと同じ衝撃を受けて欲しいと思う。そして、あのショックで眼を大きく見開いたムスの顔をずっと忘れないでいて欲しいと思う。なぜなら、それが「現実」だから。

僕は下手物趣味ではないし、衝撃的な写真ばかりが必要だといっているわけではない。ただ、ムスのあの姿には、そのショッキングさを超えて人の心に訴える強い力があると思うし、平和にぬくぬくと暮らしている僕らには、その非情で残酷な現実を直視する義務があるのではないだろうか。





写真コンテスト

2006-01-14 19:09:45 | 報道写真考・たわ言
昨夜から写真学校時代のボストンの友人が訪ねてくるはずだったのだが、急にシカゴ行きが延期になったと連絡があった。彼とは2年程会ってなかったので、残念だ。

今日は休日。たまっていた雑用や、コンテストに応募する写真の最終チェックをして過ごす。

写真コンテストには、主なものとして「世界報道写真コンテスト」、「ピクチャーズ・オブ・ザ・イヤー・コンテスト」、「全米報道写真家協会年間コンテスト」があるが、それに地域的なもの、ここ中西部では「イリノイ報道写真家協会年間コンテスト」を加えた4つに僕は毎年応募することにしている。

基本的には同じ写真を応募するのだが、それぞれのコンテストによる規格やルールが違うので、準備に結構時間がかかるのだ。現在ではすべてデジタル画像で応募するが、写真の解像度、サイズから、応募写真の通し番号の付け方にいたるまで、それぞれのコンテストで全く違う。すべて統一してくれればこちらとしては本当に楽なのに、組み写真も含めて結構な数を応募する僕は、そういう事務的なことでえらい時間を浪費することになる。

そんなわけでこの時期はいつもコンテストの準備に追われることになるのだが、昨年末から石油プロジェクトのために出張が多くなることがわかっていた僕は、今回は早めにコンテストの準備を始めていた。おかげで新年の第1週を過ぎた頃には大方の整理もついて、今は余裕をかましながら最終チェックの段階にはいっている、というわけだ。

コンテストというのは、やはり審査員達の好みが大きく結果を左右するので、それぞれのコンテストで入賞する作品は随分変わってくる。万人の意見が一致する程の凄い写真でない限り、入賞は予想できないし、そういう意味ではコンテストなど水物に過ぎない。

ただ、僕ら写真家にとって、入賞すれば作品とともに自分の名前を知ってもらういい機会にはなる。写真が世界に配信されるAP通信やロイターなどの通信社、もしくはニューヨーク・タイムスやニューズウィーク、タイム・マガジンといった大メディア媒体で仕事をしていない限り、自分の写真が全米、または世界規模で発表されることなどそうそうあることではない。だからコンテストに入賞すれば、広きにわたるカメラマンや編集者のコミュニティーの間で、作品と名前が認知されることになるし、毎年入賞者として名前がでるような常連になれば、「こいつはいいカメラマンだ」と認められて箔がつき、次の職場にステップアップするときの有力な実績ともなるわけだ。

アメリカのコンテストは賞金に関しては涙が出る程みみっちいので、入賞したところで小遣いにもならぬほどの額しかもらえないのだが、まあ賞をとれれば気分的にも嬉しいし、それに越したことはない。だが、そういう対外的な理由以外に、コンテストに応募することは僕にとってまた別の重要な意味がある。

コンテストは、前年一年間の自分の写真を冷静に振り返って見直すことができる絶好の機会なのだ。

これはこういう風に撮るべきだったとか、あの取材では何が欠けていたとか、応募準備のための写真整理をしながら反省する。
イラクから始まり、リベリア、アフガニスタン、ニューオリンズのハリケーン、そして石油プロジェクト(この写真は来年に持ち越し)と続いた昨年は、忙しく飛び回っていたわりには、自分で本当に納得のいくような写真は撮れなかったような気がする。

単に仕事をこなすという意味では十分に撮れているのかも知れないが、自分のなかから充実感の湧き出てくるようなものが撮れなかった。だから、今回のコンテストには、心底自信を持って応募できる写真は一点もない。

入賞するしないに関わらず、自分が本当に好きになれる写真のない年というのは、悔しいものだ。

「今年はもっといいのを撮らないといかんなあ。。。」

なんだか良く分からないのだけれど、ちょっとした焦りにも似たような気持ちで、1月を過ごしている。


親の愛

2006-01-13 18:20:05 | 報道写真考・たわ言
ちょっとびっくり。

普段まじめにブログを書いているときは、せいぜい3つくらいしかコメントがこないのに、昨日の愚痴に対して、24時間以内に7つものコメントをいただいた。不思議なもんだ。いずれにしても励ましのコメントなので、ありがたいと思う。書き込んでくれたみなさん、それから読むだけでもこのブログにお付き合いいただいているみなさん、感謝しています。

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今朝は5時過ぎには家を出発しなくてはならなかったので、久々の早起き。。。ちょっとしんどい。

石油プロジェクトの続きで、シカゴから車で1時間半程西にいった郊外にすむ家族と一日を過ごす。僕らが取材の拠点としているガソリンスタンドで給油する顧客、ティムの家族だが、メルセデス・ベンツ、レクサス、そしてあの巨大なハマーの3台を所有する裕福な一家である。ティムには8歳、7歳そして3歳になる息子たちがいる。

ちなみに、既にこのブログで書いたかも知れないが、僕らが手がけている石油プロジェクトというのは、単に産油国の情勢をありきたりに取材するものではない。石油に関わりのあるそれぞれの土地で、そこに住む家族に焦点をあてながら、それぞれ家族という眼をとおして現在の石油問題を訴えようとするものだ。

だからナイジェリアでもイラクでも、産油地に住む家族と時間をともにし、彼等の生活を取材して来た。

子供達と遊ぶティムと夫人のローラをながめながら、一緒にいたレポータのポールがふと言葉をもらした。

「一日10ドルそこそこの収入で貧困に喘ぐナイジェリアの漁師ジェリーも、こんな豪邸に住むティムも、子供を愛しているっていう点では全然かわらないんだよな。。。」

なるほどな。。。と思った。

虐待や子供殺しなどの例外はあるにしても、基本的には親が子を愛する気持ちというのは、経済状況に関わらず普遍的なものなんだろう。

親になったことのない僕には、実感としてそれはわからないのだけれど、妙に納得のいく一言だった。




行き詰まり

2006-01-12 17:11:25 | 報道写真考・たわ言
始めてからまだ3ヶ月そこそこしかたっていないというのに、最近このブログを書くのに行き詰まってきた。

簡単な日記のようなつもりで書き始めたのだけれど、やはり公にだす文章だから、それなりにある程度は意味のあることを書こうと心がけてきた。

刺激一杯の毎日なら書くネタにも困らないんだろうが、取材にでておらずにシカゴにいるときは生温い日常生活を送っているだけなので、とりたてて書くに値するようなことが度々あるわけでもない。かといって、その日の生活をだらだらと書き綴っても仕方がないし、忙しくなると物事に対してよく考えたりする暇もなくなるので、ネタが頭にひらめくことも少なくなる。

結局のところ、文を書くのに気負いすぎているんだろうなあ。

もっと気楽にかければ、とも思うが、こればっかりは性格もあるし仕方のないところだ。

やれやれ、こんな愚痴で結局今日のブログのお茶を濁してしまった。。。


出会い

2006-01-09 16:56:21 | 写真展・雑誌掲載
逗子の写真展に足を運んでくれた人々から、いくつかのメールが届いた。

興味深かったのが、写真展の感想とともに、会場での人々との出会いについて語っている人が多かったことだ。

自分自身では見ていないのだが、おそらくこじんまりとした会場とじょじょさんの人柄が幸いしたのだろう、写真を見に来てくれた人達がコミュニケートしやすい雰囲気をつくっていたのだと思う。僕の学生時代の友人と会ったとか、昨年別な土地で写真展を開いてくれた主催者に会ったとか、さらには僕の母親に会ったという人まで、多くの人が、そんな「出会い」をメールで報告してくれていた。なかには、会場で出会った人と意気投合して、同じ新幹線で喋りながら帰路についたという人たちもいた。

「出会い」は面白い。

出会いはひょんな偶然でおこるので、予想もできないし、ましては計画などたてられない。いつどこでだれと「出会う」か、こればかりは天のみぞ知る、である。

僕も仕事柄、国内外を問わず、多くの人間達と出会う。その出会いをきっかけに付き合いが長く続くこともあるし、逆に出会ったそのときの一度きりになってしまうこともある。出会いが付き合いに進展し、その付き合いが、腹を割って語り合えるくらいの関係にまでなれば、それはもう人生における立派な財産になると思う。

だから僕は、初めての人と出会うことが楽しみだし、そういう機会をできるかぎり大切にしたいと思っている。

逗子の写真展

2006-01-08 11:12:51 | 写真展・雑誌掲載
僕の写真展が逗子で開かれている。

人ごとのように書いてしまったが、「僕の」というよりは「じょじょさんの写真展」、といったほうがしっくりくるからかも知れない。

じょじょさんという女性は、90年代(だと思う)に海外青年協力隊として西アフリカのリベリアに赴任していた助産師だ。その後、旦那さんの仕事の関係もあって2年程おなじ西アフリカのコートジボアールで生活し、昨年の夏に日本に帰られた。

内戦後1年がたったリベリアを再び訪れるところだった2004年8月のある日、パリの空港で乗り継ぎの飛行機を待っていると、ふと僕の耳に日本語がはいってきた。アフリカ行きの飛行機を待つゲートで日本人と出会うことはほとんどない。子供連れの家族だったこともあって、めずらしくてちょっと声をかけてみた。それがじょじょさんの一家だった。

リベリアの取材が終わってから、コートジボアールのお宅で日本食を御馳走になったりしてお世話になった。その後はメールでお付き合いさせていただいているが、アフリカ、特に西アフリカにとても強い思い入れをもっている女性である。

そのじょじょさんが、企画してくれた僕の写真展が先週の木曜日から開かれている。

彼女の人徳で集まった友人、知人達からのサポートもあっただろうが、写真に関して全くの素人の彼女が、たった一人で企画からビラ配り、展示までをおこなってくれた。たびたび彼女のホームページで準備期間の近況を拝見させていただいていたが、その情熱にはなみなみならぬものがあり、だからついに開催にこぎつけたときはまさに「じょじょさんの写真展」というべきものになっていたのだ。

2年前に拙書「ぼくの見た戦争」が出版されたあとも、多くのボランティアの人々の手によって日本の各地で僕の写真展を開くことができた。なかにはじょじょさんのようにたった一人で企画し、開催してくれた場所もあった。

本のあとがきにも記したように、以前の僕には「自己満足」のために写真を撮っている、という気持ちが強かった。いまでもそういう気持ちがあることには変わりはないし、自己満足なくしては人の心も動かせないと思っている。しかし、激しい内戦を経験し、その後のリベリアの人々と接していくうちに、だんだんと別な感情も芽生えてきた。

撮る者には撮ることに対する責任がある。

僕の撮った写真を見た人達の気持ちを、結果として紛争地で苦しむ人々を助ける行動に結びつけること。。。そんな当たり前とでもいえる「撮る者の責任」が最近ようやく明白に見えるようになってきたような気がするのだ。新聞や雑誌の読者や、写真展に足を運んでくれた人々からの募金で、少数ではあるにせよリベリアの子供達の学費をまかなったり、家庭を助けることができるようになった。

写真を撮るときにはたった一人でも、どんな形であれそれが公の場に発表されるまでには多くの人々が関わることになる。じょじょさんをはじめ、こういった人達の尽力があるからこそ僕の写真の存在価値がでてくる、ともいえるのだ。



(写真展の詳細はじょじょさんのページへ)

http://plaza.rakuten.co.jp/shasintenseikou/


超多忙につき。。。

2006-01-06 14:23:10 | 報道写真考・たわ言
新年に入ってから、コンテスト準備のためにあまりに忙しくなってしまい全然ブログの更新ができません。

いくつか問い合わせ?のメールをいただきましたが、こういう事情なので、更新はまた来週からになると思います。

身体の方は健康ですのでご心配なく。。。気にかけていただいた方々、どうもありがとうございます。