Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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リベリア内戦から10年 ムスとの再会

2013-04-06 11:10:59 | リベリア
先月、4年ぶりに西アフリカにある小国リベリアを訪れた。

2003年の内戦時から、この国を訪ねるのは6度目になる。当時銃を持って戦っていた少年兵たちや、砲弾で家族をすべて失った少女など、4人の子供達のその後の生活をずっと追い続けてきた。今年でリベリアの内戦終結から10年。一つの節目として、彼らとまた会わなければ、そう思ったのだ。ムスは、僕が撮り続けてきたそんな子供達の一人だ。

2003年7月、当時の大統領チャールズ・テーラーに反旗を翻した反政府勢力は首都モンロビアに目と鼻の先まで迫り、防戦する政府軍との間で戦闘は激化していた。そんなある日、反政府側から撃ち込まれた砲弾によってムスの右腕は引きちぎられた。混乱のなか、僕が彼女に出会ったのはその直後。血まみれの凄惨な姿に動転した僕は、あわてて彼女を自分の車に乗せ、病院へと運び込んだ。写真のことなど二の次になった僕は、車から降ろされる彼女に向かって、かろうじて数枚シャッターをきるのが精一杯だった。彼女が6歳のときのことだ。

内戦後一年程経って、戦争中に写真に収めた子供達のことが無性に気になった僕は、 彼らの「その後」を知るために、再びモンロビアへと飛び立った。少年兵たちや他の子供は比較的簡単に見つかったが、ムスを探し出すのは手間取った。写真を手に市内のコミュニティーや病院をまわったり、挙げ句に新聞広告まで載せてみたが何の反応もない。半ば諦めかけながら、これが最後の手段とラジオを使って訴えた翌日、なんとムスが父親に連れられて局にあらわれたのだ。大きな瞳を一杯にひらいて、少女は僕の腕に飛び込んできた。驚いたことに、彼女は僕のことを憶えていた。そんなムスも今年で16歳になる。年頃になったが、快活で優しく、そして男勝りの気の強さは幼いときのままだ。

内戦から2年後の2005年に、当時僕が勤務していた米新聞社で発表したムスの写真記事がきっかけで、彼女はリベリアのエレン・ジョンソン・サーリーフ大統領に同伴し米国で大人気のオプラ・ウィンフリーのトークショーに出演。さらに身元引き受け人と奨学金を得て、ペンシルバニア州の学校で学ぶ機会も得た。しかしすべてが順調にいったわけではない。10歳という微妙な時期に家族の元を離れ、質素な生活から物の溢れた社会、それも郊外の白人社会に放り込まれた彼女は、その変化にうまく順応することができなかった。学業にも集中できず、やがて素行にも問題が出てきて、奨学金は打ち切られ、2年足らずでリベリアに戻ることになった。

「それでもアメリカは楽しかったわ。片腕がないからといって、それで虐められることもなかったし。いつかまた戻りたい」

アメリカにいた時に花や海の景色などを描いたスケッチブックを開きながら、ムスはそう笑った。

僕の今回のリベリア再訪の目的は、子供達にとって10年前のあの内戦とはなんだったのかを語ってもらいたかったからでもある。学校が休みの土曜日の朝、ムスにも胸の内を尋ねてみた。

「戦争はたくさんの破壊と死をもたらしたわ。人生まだいろんな経験をしていない子供達までもが犠牲になった。私にとっては、右腕をなくしたことは辛かった。ABCを書くことも左手で一からやり直し。腕がないから他の子達にも虐められたし、友達だった子にもからかわれて悲しい思いもしたの」

ムスのような子供達をはじめ、前線で戦った少年兵など、手足を失った者は少なくない。しかし現在、そんな障がい者に対する政府からの援助は全くないと言ってもいい。アフリカ初の女性大統領として2006年から国の再建に尽くしてきたサーリーフ氏だが、経済優先の政策が優先され、社会福祉は後回しになっているのが現状だ。富む者はさらに富み、貧困層や社会的弱者は取り残されるという、経済発展の典型的な歪みがこの国でも顕著になってきた。

それでもムスは自分の可能性を信じている。

「私は強く生きてきたと思うし、いまからも勇気をもって強く生きたい。人生何がおこっても、それが運命で、受け入れるしかないって思えるようになった。神様がすべて決めたことなの。何があっても、それには理由があるんだから、これからいいことは必ず来るって思ってるわ」

次にムスと会えるのは何年後になるだろう?そのときまだリベリアで生活しているか、それとも他国にわたって勉強か仕事に精を出しているだろうか。いずれにしても、彼女は自己の内戦の経験を生かして、逞しく生き続けていることだろう。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/04/06/liberias-civil-warten-years-later/ )
(本記事はYahoo Japan News にも掲載しています。)

ムスとの1日

2009-04-27 09:32:00 | リベリア
「I’m dreaming, I’m dreaming!!(これは夢!!)」

玄関をはいった僕の顔をみて、びっくりしたムスが床を転げ回った。どうやらジョディはいつものように、僕が訪ねていくことを子供たちに内緒にしておいたようだ。

ほぼ1年ぶりに再会したムスは、また少し背が伸びたようだし、顔からもぽっちゃりが抜けて幾分大人びてきた。

ジョディの話では、昨年12月にアメリカにやってきてから2ヶ月程、ムスは少なからずホームシックにかかっていたらしい。無理もないだろう、まだ11歳の少女だし、来た時期も真冬だったので、リベリアに比べれば気が滅入るほど寒い。おまけにこちらの食べ物も全く口に合わなかったようだ。そういえば、ムスが3年前にシカゴを訪れたときも、食べ物では苦労したっけ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/ca734ec3493509e13e01eba0b9aa9e46

それが今ではすっかりこちらの生活に馴染んだようで、ジョディの手料理もよく食べるようになったし、学校での友達も増えた。もともとおてんばで姉御肌の性格なので、滅多な事では物怖じしない。逆に、ちょっと気が強すぎる、とジョディが心配する事もある程だ。クラスで自分をからかった男の子の髪の毛をぐいと掴んで、泣き叫んでも謝るまで離さなかったという事件もあったらしい。

木曜日に一日ムスのクラスで写真を撮りながら過ごし、楽しそうな彼女の姿をみながら安心したが、ひとつだけ気になったのは彼女の右腕のことだった。

ジョディの話では、先日ディズニーに行ったときも、暑いのに長袖のシャッツを着たまま右腕を晒そうとしなかったらしい。アメリカに来てから、他人の視線が気になるようになったのか、自分のルックスに敏感な年頃になってきたのか、いずれにしても、ムスは自分の腕に対し少なからずコンプレックスを抱くようになってきたようだ。

一方ギフトのほうは、気分の浮き沈みが多く、戦争の後遺症から抜け出せないでいるようだ。この件に関しては、ジョディからのリクエストもあるので、ブログでいろいろ公にすることは差し控えておこうと思う。

1日半の短い滞在だったので、とても十分とはいえなかったが、それでも僕としては彼女たちの顔をみながら、楽しい時間を過ごすことができた。

(写真 ムスの12歳の誕生日を祝うギフトとアサタ)

リベリアの少女たち

2009-04-22 13:03:11 | リベリア
2週間前、フロリダに行く事ができずギフトとムスに会いそびれたので、その埋め合わせというわけではないが、明日ペンシルバニアへ行くことにした。スケジュールの関係で滞在は2日間と短いが、彼女たちと会うのは楽しみだ。

考えてみれば、昨年リベリアを訪れたのが4月だったから、ムスと会うのもちょうど1年ぶりになる。今週木曜日に誕生日を迎える彼女ももう12歳。ムスもギフトも、内戦のときに僕が初めて出会ってからもうすぐ6年が経とうとしている。
http://www.kunitakahashi.com/journal/journal_2005_01_musu.html
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/0ec0db01e8856388fdaaf4811060c971

外観は勿論、精神的にも会う度に変わって行く子供たち。。。これから彼女たちの将来はどうなっていくのだろう、などと、時折思いを巡らせこともある。果たしていつまで、「アンクル・クニ」として慕ってもらえるか。。。






ムスの留学?

2008-12-21 07:46:30 | リベリア
1週間ほど前にジョディーからメールが届いた。ムスに関する事だった。

「ムスの学生ビザが数日中にも交付されるかも知れない」

「!!!???」

以前からムスの両親であるアルバートとファトゥはムスをアメリカに留学させたいという希望を持っており、それを受けたジョディがスポンサーになってもいいと申し出ていたのは知っていた。しかし、こんなに早く話が進んでいるとは夢にも思っていなかったので、この知らせにはさすがに驚いてしまった。事がうまく運べば、クリスマス前にもムスが渡米してくるという。

そうなれば僕もペンシルバニアにいかなくてはならないし、まだアフガニスタンとインドの写真の整理もついていないので、これは忙しくなるなあと内心戸惑っていた。しかしこの戸惑いには別の理由もあった。

勿論ムスがアメリカで教育を受けられるなら僕にとっても嬉しいことだが、しかし彼女はまだ11歳だ。学生ビザが最長何年交付されるのかは知らないが、正直言って僕は、ムスはまだちょっと若すぎるのでは、という懸念を持っていた。

リベリアの子供たちを助けたい、というジョディの気持ちはよくわかるし、ギフトに続きアサタまで養子にとり、そのうえムスのスポンサーになるという彼女の行動力はまさに脱帽ものではある。しかし、この若い年齢で2年や3年の間アメリカで勉強したところで、果たしてそれがムスにとってどれだけの意味を持つのか?彼女は養子になるわけではないので、彼女も基本的には学業が終わればリベリアに戻らなくてはならない。僕としては、どうせアメリカで教育を受けるのなら、もう少し成長して、高校生あたりになってからのほうが彼女のためにはいいのでは、という思いがある。

そのうえ、アルバートたちが純粋にムスの教育のことを考えているのか、それとも自分たちが将来アメリカに移住するための布石として、まずムスをこちらに送ろうとしているのか、その辺もはっきりしない。

そんないろいろな思いがあったので、僕の心境は複雑だったのだ。

しかし、そんな心配をよそに、その数日後ムスの学生ビザ申請はモンロビアのアメリカ大使館で却下された。

ジョディが転送してくれたメールによれば、ムスの歳がまだ若すぎること、彼女と同様な境遇の子供たちはリベリアに無数に存在し、同様のビザ申請はすべて却下されている。よほど特別な事情が無い限り、ムスだけを優遇してビザの交付はできない、というのが主な理由だった。

僕としては、すこし安堵したような、それでもやはり残念で、これはこれでまたすっきりしない心境ではある。しかし、ジョディの話によれば、一旦は却下されたものの、今度はリベリアのサーリーフ大統領が口添えをしてくれるかも知れないということなので、ひょっとするとムスの留学の日もそう遠くないかも知れない。

(写真:ムス ー モンロビアの小学校にて)


感心の薄いストーリー

2008-11-01 11:05:23 | リベリア
5月に取材にいったリベリアのスライドショーがようやく出来上がった。来週にはトリビューンのウェブサイトに掲載されるだろう。とはいっても、僕ができる部分はもう随分以前に終わっていたのだが、写真部のウェブ担当が、オリンピック、党大会と続くニュース、それ以外の日常の仕事に追われ、いつの間にかもう11月になってしまった、という感じだ。

はっきり言ってリベリアのストーリなどは全然重要視されていない、ということで、次々に後回しになってきたわけだ。

取材した者としては残念だが、これはトリビューンだけの話ではない。

いくつか写真原稿を書いて週刊誌をはじめとした日本の媒体に売り込んだが、掲載してくれたのは「週刊金曜日」くらいなもので、 打診した5社ほどはみな撃沈。読者や編集部の感心が薄いため、日米を問わずもともとアフリカのストーリーは売りにくいのだが、特にリベリアなどどこにあるかも知らない人が多いような国の出来事は輪をかけて売り込みが厳しくなる。日本とも関係が薄いし、こんな遠い小国で起こっていることに興味を示してくれる編集者などほとんどいないのだ。

この先どこかが掲載してくれる見込みも薄いし、結局今年のリベリア取材はもとをとるどころか大赤字で終わりそうだが、これは如何ともしがたいところだ。経済も落ち込んでいく一方だし、この先、僕らにとってこの種の取材を続けていくのは一層難しくなるだろう。

ヌードやゴシップなど売れ線ものばかりでなく、こういう硬い記事をあつかってくれる骨のある媒体がもう少しでも増えてくれると助かるんだがなあ。。。

(写真:リベリア、モンロビア郊外の孤児院にて)


ギフトとの週末

2008-09-16 12:21:55 | リベリア
大統領選挙に関連したアサインメントのために、バージニアとペンシルバニアに1週間ほど滞在してきた。

選挙関係といっても、オバマやマケインなどの候補者を直接撮るものではなく、候補者たちが政策のポイントとするいくつかの問題に焦点をあてたものだ。

バージニアでは「移民」、ペンシルバニアは「戦争」がそのテーマで、数週間前にワシントンDC支局の記者たちがすでに取材を済ませており、僕の仕事は彼らがインタビューした人たちのポートレートとか、記事の舞台となる町の表情を捉えるといった、いわば後追い撮影。それほどエキサイティングな仕事ではないのだが、それでもいくつか気に入ったものが撮れたと思う。トリビューンに記事が掲載されるのは来月なので、ここにはまだ写真をアップできないのがちょっと残念。

それとは別に、せっかくペンシルバニアまで行く機会があったので、仕事を終わらせてから少し足をのばしてギフトに会ってきた。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/e2a193243c2b1304b04b6cb36bb58602

「アンクル・クニ!!!」
いつもの如くジョディの希望で、僕が訪れることは子供たちには内緒にしてあったので、突然の来訪者にびっくりしたギフトとノエミ、それにアサタまでがドアをあけたとたん飛びついてきた。彼女たちのこういう大袈裟なまでの歓迎をうけるのは嬉しいことこのうえない。彼女たちが成人してしまえば、もうこんなに喜んではくれないだろうし。。。

3月に会って以来ほぼ半年ぶりだが、みなそれほど変わりはないようで、アサタもずいぶんこちらの生活に慣れてきたようだ。

今回はじめてギフトのサッカーの試合をみることができた。

さすがアメリカの郊外、といった感じで、林を切り開いた広々とした土地に、5面も6面もサッカー・フィールドがつくられている。鮮やかな緑の芝が生い茂ったそんなフィールドでボールを追いかけて走り回るギフトの姿を眺めていたら、ふとリベリアの内戦の記憶が蘇ってきた。

不思議なものだ。。。あのとき家族を殺され泣き叫んでいた少女が、いまこんなアメリカ郊外の町で白人の子供たちとサッカーに興じている。彼女のこんな人生を一体誰が想像できただろう。

偶然にも、帰路の車の中でジョディーがこんなことを語りだした。

「やっぱり、なるべくしてなる、という運命のようなものがあるのよね。。。私が数ヶ月早く養子をとることを考えていたら、ギフトの記事には巡り会わなかったでしょうし、そうしたら彼女のことを知ることもなかったでしょう」

それが「運命」と呼ぶべきものなのかは僕にはわからないが、それでもすべての出来事というのは偶然が積み重なって繋がっているわけで、ギフトのことも、僕がリベリアの内戦を取材し、さらに翌年写真に写った彼女を探し出し、そのまた翌年トリビューンがその記事を掲載し、かつインターネットというテクノロジーがあったからこそペンシルバニア在住のジョディがシカゴ・トリビューンの記事を読むことができた。そんなすべての要素が重なってこういう結果が生み出されたわけだ。

彼女に限らず、僕にしても、またこのブログを読んでくれている人たち一人一人も、そういう偶然の積み重ねで現在を生きている。人間誰でも、高校や大学、職場や結婚などに関して、もしあのとき別の選択をしていたら、自分の人生はどうなっていただろう、いまより良かっただろうか、などと考えたことはあるはずだ。

だからどうした、といわれてしまえばそれまでだが、久しぶりにギフトに会って、少しばかりそんな哲学的なことを考えさせられるはめになった。。。そんな週末でした。

とりとめのない文章で失礼。




片腕のゴールキーパー

2008-06-03 11:30:53 | リベリア
先月のリベリア滞在中に、思いがけなかった嬉しい再会がひとつあった。

2003年の内戦時、モンロビアの病院でたまたま撮影したジョセフにまた会うことができたのだ。

当時、彼は砲弾の破片で負傷し、病院で右腕の切断手術を受けたばかりだった。肩から包帯を巻かれ、どこかうつろな眼差しでベッドに座る彼にレンズを向けて、僕は数枚シャッターをきったのだった。

実はその翌年、子供たちを探すために再びリベリアを訪れたとき、モモやムスと同様にジョセフも見つけ出したのだが、それ以来彼を訪ねていなかったのだ。

それが今回、アンピュティー(手足を切断された人)のサッカーチームの練習を取材中に、偶然ユニフォーム姿のジョセフに再会することになった。幼さの残る顔はそのままだったが、チームでゴールキーパーを務める彼は見違えるほど逞しくなっていた。さらに、今年3月におこなわれたアフリカン・カップでベスト・ゴールキーパー賞を受賞するほどの活躍ぶりだ。

「あれからどうしてる?」

そう訊ねた僕に、リベリア人が良く使う単語を使って、彼はぽつりと答えた。

「Small, small(まあまあ)。。。かな」

話はそれるが、リベリア人はなんでもSmall small、だ。直訳では「小さい」という、大きさを表す尺度の意味の「スモール」だけれど、この国では量とか程度、適当な具合、もみな「スモール」の一言で片付けてしまう。「ご飯食べた?」「スモール、スモール」、「調子どう?」「スモール、スモール」、路上の物乞いもみな「俺に何かスモールください。。。」といった具合なのだ。

ベスト・ゴールキーパーの栄冠を得たとはいえ、それがジョセフの私生活に反映するわけでもない。繁華街の路上で、彼は違法コピーされた海賊版の映画DVDを売りながら細々と暮らしている。食べるので精一杯だから学校にいく余裕もない、という。

部屋を提供してくれる叔母がいるのでジョセフはまだ恵まれているほうだが、チームの選手の多くはその日暮らしのホームレスだ。スーパーマーケットや路上で物乞いをしながらなんとか食いつないでいる。もともと失業率80パーセントをこえるこの国で、片手片足といったハンディキャップをもつ人間たちが仕事にありつくのは至難の業だ。

「サッカーやってるときが一番楽しいよ。本当はプロになりたいけど、リベリアじゃ無理かな。。。」

ジョセフは言った。

経済立て直しに苦戦している政府にとって、ハンディキャップを持つ人のための福祉向上や、スポーツ振興まではなかなか手が回らないのが現状だ。残念ながら、民間スポンサーでもつかない限り、チームのプロ化はおろか、ジョセフを初めとする選手たちがまともな生活をおくれるようになるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。


 



苦悩するモモ

2008-05-22 10:43:56 | リベリア
元少年兵のモモについての近況報告もしておきたい。

彼は、内戦が終わり銃を捨ててから5年が経とうとしている今もまだ自分を見出せないでいるようだ。

学校生活も、校長の話によればモモは集中力に乏しく、成績も振るわずに進級できない状態が続いている。ただ、以前は乱暴だった教師に対する言葉遣いなどは落ち着いてきたようだし、気まぐれだった出席率もあがり、最近はきちんと登校しているということで、悪いことばかりではない。

内戦終結の翌年に会ったときからそうだったのだが、モモと話していても、勉強する目的や、これから自分がどうしたいのかということが自分の中ではっきりせずに、悶々としている感じをうける。いつも欲求不満で、どこかに怒りを溜めている、という印象だ。

僕は心理カウンセラーではないので、それが何に起因しているのかなどうんぬん分析するつもりはないが、やはり少年兵としての壮絶な経験が影響を及ぼしているのは否定できないだろう。

以前にも書いたが、モモは内戦中に捕虜になった二人の男たちを殺している。司令官の命令で、至近距離から撃ち殺したのだ。そのときはさすがに身体から力が抜けたようで、司令官がくれたラム酒とマリワナで気分が楽になったと言っていた。

まだ12,3歳の少年がこんな経験をすれば、その後後遺症が残っても当然だろう。

ただ、モモの同年代の友人で、少年兵として同じ部隊で戦ってきたオサカやファヤは、学習意欲もあるし、成績もよく人あたりもいいから、少年兵みながそういうトラウマや後遺症に苦しんでいると一括にすることはできないのだが。。。

いずれにしても、モモに必要なのは、しっかりと導いてくれる強い兄貴とか父親の存在なのかもしれない、それとも、温かくつつんでくれる母親なのか?

内戦は、モモような少年兵たちから、人に甘えたり、互いに遊んだりという子供として生きる大切な時間を奪ってしまった。そんな彼らが、失われた少年期を取り戻すことなどもう不可能なのだろうか。。。








ファトゥとアルバートの結婚式

2008-05-15 11:05:22 | リベリア
メールで友人が、「歳をとると疲労の回復が遅くなる。。。」などと宣っていたが、悔しいが齢40を過ぎた自分もその例には漏れないようだ。リベリアでひいた風邪がなかなか抜けず、おまけにシカゴに戻って気が緩んだか腹の具合も悪くなって2日ほどダウンしてしまった。

まあそれはいいとして、あまり日にちの経つ前に、ムスの家族の近況を報告しておこう。

4月26日、ムスの両親であるアルバートとファトゥが正式に結婚した。実は僕も昨年まで知らなかったのだが、何年も一緒に暮らしてきた彼ら、正式には籍を入れていなかったのだ。アルバートもファトゥも仕事に就き、ここ2年ほど不安定ながらもある程度の収入を得られるようになったので、この辺できちんと籍を入れて将来のために一家の結束を固めようと思ったらしい。

もともと今回のリベリア行きは、彼らの結婚式に招待されたのがきっかけだったので、これは僕にとっても滞在のメイン・イベントになった。

式はリベリアの伝統的儀式にのっとった身内だけのものと西洋風の2度にわたっておこなわれたが、知人友人を招待した西洋風ウェディングのほうがずっと大掛かりなものだった。

フラワー・ガールの役となったムスは奇麗に着飾り愛らしい姿をみせてくれた。初めて出会ってからもう5年。今年で彼女も11歳になる。背丈も随分伸びて、訪れる度に女の子らしくなっていくようだ。以前はおてんばだった彼女ももうすっかり大人びて、今ではしおらしいほどになった。

そんなムスと、純白のウェディングドレスが美しいファトゥに焦点をあて無数のシャッターを切りながら、この日は僕も存分に楽しませてもらった。

教会での式のあと、学校の教室を借りてのレセプション、そして自宅でのパーティーと、とても経済的に恵まれているとはいえない彼らにしては随分派手な計画をたてているなあと、他人事ながらちょっと心配だったのだが、案の定レセプションの時点で資金を使い果たしてしまったようだ。自宅でのパーティーが始まる前に、ビールを買うために寄付を募る羽目になっていた。

現在、ムスも弟のブレッシングも、日本からの「リベリア募金」の助けもあって、欠かさず学校に通うことができている。

アルバートもファトゥも正式に結婚式をあげて心機一転。貯金もわずかながらできるようになってきた。募金の助けなしに家族が自立できるようになるのも間近だろう。







疲労困憊の空港より

2008-05-10 17:06:05 | リベリア
3週間の滞在後、昨日リベリアを発ち、今ブリュッセルズの空港でこれを書いている。

連日早朝からの長時間の撮影で、全くといっていいほどゆっくりする時間がなかった上に、泊まったホテルのネット環境も悪かったので必要なメールの返信をするのが精一杯で、ブログ更新どころではなかった。

歳をとってきたのか、正直結構疲れた。。。飛行機の中でもずっと寝ていたし、これからまたシカゴまで9時間のフライトがあると思うと気が重い。

今回は、ムスやモモ達の近況以外に、他に2,3の新しいストーリーを取材することができた。特に、足や手を切断した人たちのサッカープレーヤー達とは随分時間をともにして、いい写真が撮れたと思う。

彼らの多くは内戦で足や腕を失ったが、元少年兵だったプレーヤーも少なくない。

今年のアフリカ・カップでリベリアのチームは優勝したが、プレーヤー達はほとんどホームレス状態で劣悪な生活を強いられている。

驚いたことに、内戦中に右腕を失い、2003年にモンロビアの病院でたまたま僕が撮影したジョセフが、アフリカ・カップの2008年最優秀ゴールキーパーに選ばれていた。これは嬉しい再会だった。

今回の自費取材の経費を少しでも埋め合わせなくてはならないし、これからしばらく写真の整理と原稿執筆に追われそうだ。

5度目のリベリアへ

2008-04-17 11:37:21 | リベリア
明日、リベリアに向けて出発する。前回訪れたのは2006年の12月だから、ほぼ1年半ぶりだ。

これまで何回かブログにも書いてきたように、トリビューンの予算引き締めでとてもアフリカまで仕事として送ってもらえるわけもなく、今回はすべて自費。これまで蓄えてきた有給休暇を使って2週間ほどリベリアを取材し、そのあと数日ガーナにも寄ってくる。

今年はリベリアの内戦が終わってから5年目ということで、モモやムスの様子をみてくることに加えて、国内がどう変わってきたかということにも焦点を当てたいと思っている。

それ以外にも、多額の取材経費のもとを幾らかでもとらなくてはならないので、日本の雑誌やNGOなどのための取材もいくつか入れた。かなり忙しくなりそう。

南アフリカ駐在の特派員のポールが来てくれれば、一緒にいくつか取材をして経費の回収にもなるのだが、国際部も予算削減とかいっているのでこれは実現しなさそうだ。スタッフカメラマンが自費でアフリカくんだりまで取材に行くといっているのに、そのチャンスを有効利用しようともしないトリビューンにちょっとうんざり。

子供たちに会うのは勿論だが、今回は首都のモンロビアだけでなく、初めて田舎部も取材に行く予定なのでそれも楽しみだ。