Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

広がる「イスラム国」の脅威

2014-11-14 16:20:02 | Weblog
過激派武装組織「イスラム国」(ISIS)のリクルートの手が世界中に広がりつつある。先月、日本でも北大生の若者がシリアに渡り「イスラム国」に参加しようとして事情聴取されたが、すでに数千人がヨーロッパやアメリカなどの先進国から組織に加わったともいわれている。

僕の住むインドも例外ではない。なんといっても1億8千万ものムスリムを抱えるこの国だ。数ヶ月ほど前から、各地で家出をした若者たちが「イスラム国」の一員としてイラクやシリアで戦っているという報道が目につくようになった。

そんな若者達のうち、5月に行方をくらませた4人の故郷であるカラヤンを訪れた。インド西南部の港町ムンバイから50キロほど内陸にはいった人口120万程の町だ。7月にはいった若者達から家族への連絡で、彼らが「イスラム国」に加わりイラクで戦闘に参加していることが確認されたのだ。

すでに国内メディアによってかなりネガティブな報道がされていたので、町の人々は僕のような外部の人間に対してあまり友好的ではなかった。「なんで写真を撮ってるんだ!?」「撮ったものを消去しろ!」通りでカメラを構えていると、度々男達に絡まれた。

貧しくて教育を受けていない若者が、洗脳されて過激派にとりこまれる、という典型的な例とは異なり、カラヤン出身の4人はみな中流家庭の生まれで学歴もある。医者の息子やエンジニアも含まれていた。

中東全域にわたってカリフ制(イスラム国家の最高権威者)の壮大なイスラム帝国を再建するという「イスラム国」の野望が、学歴や社会的地位を問わずナイーブな若者たちを惹きつけているのかもしれない。

9月には、「イスラム国」に参加するためコルカタとジャイプールから出国しようとして逮捕された8人の若者たちの供述から、少なくとも2人のインド人ムスリムのリクルーターの存在が明らかになった。彼らはフェイスブックやツイッターなどを通して巧みに若者達に接触してきたという。

こんな若者達の「イスラム戦士化」の拡大に、インド政府は一段と神経を尖らせている。しかし、インターネットで繋がり、国境があってないような現代社会では、国際過激派の影響を防ぐことは至難の業だ。「イスラムの国」の巧妙な誘いに魅了され家をとびだし、挙句に砂漠で銃を手に戦う若者たちの数は増えていくことになるだろう。

写真:4人の若者の「イスラム国」参加事件以来、閉鎖されたイスラムセンター(カラヤン)

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イラン雑感

2014-06-24 06:40:21 | Weblog
2週間程前に、初めてイランを訪れた。許可された日数が7日間だけだったので短い滞在だったが、それでも興味深い経験ができて、イランに対する僕の印象はがらりと良くなった。

イランといえば、欧米メディアによって、その過激な反欧米姿勢(特に前大統領アフマディネジャドのとき)や核兵器製造疑惑などばかりが報道が報道されるので、どうしてもネガティブなイメージがつきまとう国だろう。ところが国内で幾ばくかの時間を過ごし、僅かながらも友人もできると、その先入観が間違いだったことにすぐに気づかされた。長い歴史のある文化や芸術は圧巻ものだし、町のなかの雰囲気や人々と自分あいだの距離感が、なんとはなしに居心地がいいのだ。ホテルのスタッフ、市場の親父さん、雇った通訳やドライバーなど、市井の人々もみなフレンドリーだが、こちらが疲れるような大袈裟さはない。通りでも一応放っておいてくれて、必要な時には親切にしてくれる、といった感じか。予想していた反欧米感などは、人々のあいだからまったく感じられることもなかった。

「1979年の革命がおこらなかったら、この国はもっと発展していたのに」
ある晩、一緒に食事をしながら、通訳の口からこんな意外な言葉がこぼれでた。学歴も高く教養もあるまだ30代なかばの若い彼は、イラン人の9割以上は、革命がおこらなければよかったと思っている、と言うのだ。これにはちょっと驚いて、さすがに大袈裟だろうと話半分で聞いていたのだが、彼はその日におこった出来事を話しだした。僕らの乗った国内便の飛行機で、中間の座席だった彼の両側にはイラン人の老人がふたり座ったそうだ。乗客が全員搭乗してから、一時間もなんのアナウンスもなしに飛行機の出発が遅れたのだが、そのとき老人たちが彼に向かってこう謝ったという。
「革命なんておこしてまって、君ら若い世代に申し訳なかったね」
革命に中断されることなく国が発展していれば、もっと便利で信頼の置ける交通網が整備されていたはずだ、という意味らしい。

なるほどな。いくらか合点がいったような気がした。結局のところ、政府の言うことと国民の感じていることなど一致してはいないのだ。イラン政府が反米であるからといって、イラン人がみな反米というわけではない。国民たちの多くは、革命後の政府と自分たちのあいだの隔たりをしっかりと感じているのだろう。ただ、こういうことは広がって反政府デモにならない限り報道されることもないので、なかなか僕ら外国人には伝わってこない。

最近のイラクの状勢が悪化するにつれ、この地域の安定させるためのイランの役割の重要さが増している。これから世界におけるイランの影響力が広がっていくことは間違いないだろう。こんな時勢にここを訪れることができたのは幸いだった。勿論、国の表面をさらりとみただけで、社会の内部に根を下ろす問題などには触れることなどできなかったが、それでもイランはまたぜひ訪れたい場所のひとつになった。

だけどビールがないのと(ノンアルコールはどこでも手に入る)、あまりに魅力的な特産品が多くて財布のヒモを固くしめておくのが難しいのが玉に瑕かな。今回も、4日分の撮影で稼いだ金が、出国前にすべて一枚のカーペットになって消えてしまったし…。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2014/06/24/a-thought-in-iran/
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2013-09-23 06:18:29 | Weblog
2日まえにおこなわれた州議会選挙の取材のためにスリランカで数日を過ごした。今回は全国9州のうち北部、中部および北西部の3州で選挙がおこなわれたが、なかでも注目されたのが、内戦終結までタミル人反政府武装組織タミル・タイガーの支配地域だった北部だ。この州での選挙はおよそ25年ぶりになる。

タミル人はスリランカ全体では少数だが、北部では人口の9割以上を占める。仏教徒が多くを占めるこの国のなかで、タミル人の多くはヒンドゥー教。民族も宗教も違う彼らは独立した州を要求し、タミル・タイガーと政府軍の間での内戦は25年以上も続けられた。2009年、政府軍による徹底的な攻撃でタミル・タイガーは壊滅。この時の死者は3万とも4万ともいわれているが、その多くは一般市民だった。

投票日に先だって、タミルの候補者や支持者に対する威圧や嫌がらせが相次いだ。多くが与党と密接な関係にある政府軍の兵士によるもので、候補者のアナンティ・サシタランさんも犠牲となった一人だ。ちょうど僕が北部州の州都ジャフナに到着した前夜、彼女の家が数十人の男達に奇襲をうけた。アナンティさんは幸運にも家を抜けだし逃げることができたが、彼女の支持者たち10人程が木や金属の棒で殴られ暴行を受けたのだ。軍は事件への関与を否定しているが、被害者の話では襲撃した男達の何人かは軍服を着ていたという。

こういった嫌がらせにも関わらず、予想通りタミルの政党は80パーセント近い得票率で圧倒的な勝利を収めた。彼らにとっては、これが自治領の獲得にむけての大きな第一歩、といいたいところだが、現実は厳しい。マヒンダ・ラジャパクサ大統領と中央政府に絶大な権限のあるこの国では、州政府の影響力は微々たるものにすぎないからだ。多くのタミル市民達はこのことを理解しているので、過度の期待は抱いていないようだが、それでもこの先の数年間、どんな政治的な変化がおこるか興味深いところではある。
いずれにしても今回の選挙は、タミルの人々の声が初めて政治に反映された、という意味で、スリランカにとって歴史に残るものだといえるだろう。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/09/23/first-election-in-25-years-sri-lanka/ )
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シンガポールにて。。。

2011-11-10 21:00:37 | Weblog
シンガポールで数日間過ごしてきた。

今回で2度目だが、いい町だ、と思う。清潔で、便利で、何よりもアジアの料理がたらふく楽しめる。ごみごみして猥雑なムンバイとは正反対なので、数日リラックスするにはもってこいの場所だ。

居心地のいい町ではあるのだが、今回物価の高さには少々驚いた。別にここに居を構えようと思っている訳ではないが、特に住宅物件や家賃が高い。中流の友人たちはみな2ベッドルームのアパートに2500ドル以上払っているという。飲み食いも例外ではなく、屋台のホーカーセンターで食べるのを別にして、そこそこのレストランやバー(高級ではない)で飲みながら食事をすると2人で簡単に100ドルを超えてしまう。僕の好きなジャック・ダニエルズがどこでもシングル一杯で10ドルくらいしていた。

そんなわけで、これでは東京のほうが安く住めるなあ、などという印象をもったのだが、まあそれだけシンガポールの経済と市民の購買力が強くなったということの証だろう。表面的なものしか見てはいないが、経済生活の面では、この国はいまだ不況から脱却できずにいる日本をすでに抜いているのではないかと思う。

今年3月、津波の取材で日本に戻ったとき、節電で東京も含めてやたら町が暗かったことを憶えている。(節電はよいことだし、別に暗くて不自由というわけではないのでそれでいいのだけれど)

夜のシンガポール、入江のあたりを歩いた。まばゆい照明に照らされた建物や橋を眺めながら、ちょうど僕が写真の勉強のためアメリカへと発つ直前、1980年代後半のきらびやかな東京を思い出していた。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/11/10/little-thought-in-singapore/ )

士官学校卒業式 ベンガジ・リビア

2011-05-30 14:17:18 | Weblog
昨日、反政府側士官学校の卒業式を撮影する機会があった。2月17日に反カダフィの隆起がおこってから、初めておこなわれたものだ。

すでにベンガジではほとんどのものを撮り尽くしてしまっているので、こういった新しいイベントをみるのは僕としてもいい気分転換になる。

陸軍、海軍からの数百人が、家族や友人に祝福されながら式に参加したが、卒業生たちは式が始まる前から踊ったりおどけたり、喜びを押さえきれない。この時勢、反カダフィーの集会くらいしか騒いで祝える機会もないので、こういう高揚感のあるイベントをみな楽しんでいるようだ。

しかし、無邪気にみえるこの若者たちも、カダフィー軍との戦いが続く限り、まもなく戦闘の前線に送られることになるのだろう。

僕にとっても楽しめる撮影ではあったが、そんな複雑な思いは頭から離れることはなかった。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/05/30/military-graduation-benghazi-libya/ )

おことわり(2)

2009-12-10 02:41:26 | Weblog
以前にも書きましたが、最近あまりにも低俗かつ愚劣なコメントが増えました。こちらでも削除などの対処をしてきましたが、こういう卑怯者の相手をいちいちしているほど暇人でもありませんので、今後からコメントはgooIDに登録してから書き込んでいただく、という措置をとらざるを得なくなりました。できるだけ多くの人の自由な意見交換の場にしたかったので、こういう余計な手順は踏みたくなかったのですが、仕方がありません。ご理解ください。

排ガス削減?

2009-12-05 22:05:13 | Weblog
昨日インド政府が二酸化炭素排出量を2020年までに20-25%削減するというニュースを新聞で読んだので、夕方のラッシュアワーに合わせて車の渋滞を撮りに街に出た。別にアサインメントではなかったが、ストックとしてそのうち使い道でもあるだろうと思ったからだ。フリーになるとこういうことにも気をまわさなくてはならないので、いつもニュースにはアンテナを張っておく必要がある。

それにしても、悪名高いムンバイの交通渋滞はひどいものだ。

先日も水不足に対するデモを撮ろうと出かけたのはいいが、ダウンタウンに向かう途中渋滞に巻き込まれて撮りそこねた。いまは冬なので(とはいっても日中は30度をこえる)まだましだが、それでもエアコンなど装着していない一般のタクシーで渋滞にはまるともう悲惨。両隣に停まったの車の熱気と、ここのドライバーたちはみな気違いか、と思うほどけたたましく鳴らされるホーンの騒音のために、座っているだけでもうぐったりしてくる。

排出量削減、といっても、国内総生産(GDP)の伸びに対する排出量の割合を減らすということで、経済成長が続けばそれに伴う総排出量が減る訳ではない。もともとインドは地球温暖化の原因は先進国によるもの、として、自国のような途上国に必要な経済発展の阻害となる温室効果ガスの国際的な削減義務は受け入れてこなかった。いまだにその基本的立場は変わっていないが、それでもこの国としてははじめて具体的な削減目標をあげたことは評価されるべきかな、とは思う。まあ、目の敵にしている中国が削減目標値を揚げたことに対する、ライバル意識のあらわれなのは間違いないのだが。。。

しかし、毎日のように渋滞に巻き込まれるたび、工場などからの工業排気以外に、これだけ多くの車が毎日排ガスをまき散らし続けるこの町で二酸化炭素排出量削減などありえるのかと、疑がわしくなってしまうのが正直なところだ。