Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

石油プロジェクト掲載(2)

2006-07-30 05:56:32 | 報道写真考・たわ言
石油プロジェクトが掲載された日曜版を手にとった。

大方きちんと仕上がっていたが、やはり表紙の写真には不満が残る。これはもうわかっていたことなので仕方がないが、こんな事情があった。

表紙写真の選択については、僕らフォトグラファーと管理職編集者達とのあいだで意見の別れることが多い。フォトグラファーは当然自分たちのベストの写真を表紙に選ぶが、上司たちは「分かりやすい」写真を使いたがる。これが一致している時は問題ないのだが、そうはいかないときのほうが多い。今回もその例に漏れず、表紙写真の選択ではかなり揉めた。結局管理職に決定の権限がある訳で、僕としては不本意な写真の選択をされてしまったというわけだ。

まあ、前回のリベリア特集のときのようにページ数の大幅削減があったわけでもないし、印刷もきれいにでているので、これでよしとすべきか。。。自分自身ですべてをこなして出版しない限り、100パーセント自分が満足できるものはできないのだから。

ウェブサイトのほうでは紙面では使われなかった写真もすべて掲載されています。

http://www.chicagotribune.com/oil








石油プロジェクト掲載

2006-07-28 16:16:17 | 報道写真考・たわ言
昨年秋から始めた石油プロジェクトが、遂に明後日の日曜版で特集掲載されることになった。

ナイジェリア、イラク、アラブ首長国連合、ベネズエラ、そして国内のルイジアナと、各産油地からシカゴ郊外にあるガソリンスタンドまで輸送されてくる石油を追いながら、それぞれの土地で暮らす人間たちの生活を取材した記録だ。

僕がこのプロジェクトのための最後の撮影をベネズエラで終えたのが2月。それからすでに5ヶ月が経っているが、先日レポーターがようやく長編の記事を仕上げ、来週の掲載にこぎつけた。

しかし、紙面のレイアウトのことで、今週はかなりの悶着があった。

規模の大きい新聞社だけに、管理職クラスのそれぞれ肩書きのついた編集者が5-6人おり、みながそれぞれ自分たちの好みをいいだして収集がつかなくなる。フォトグラファーの僕と、担当編集者、そしてレイアウト・デザイナーの3人で話し合っている時は見栄えのいい紙面ができているのに、それが上層部の手に渡ったとたんに意見がまとまらなくなるのだ。

「シェフ(料理人)が多すぎるんだ」

同僚の一人がこんな状況をうまい言葉で言い当てた。

僕らが現場に出て、ベストを尽してつくりあげた写真と記事を「素材」だとしよう。そして「料理人」である編集者がその「素材」をつかって紙面をつくりあげる。いい「素材」があり、腕のいい料理人一人が手をかければ素晴らしい料理(紙面)ができあがるのに、多くの料理人がそれぞれ好き勝手に素材に手をつけるので、料理がめちゃくちゃになってしまう。まさにそんな状況になっていた。

しかしそれも今日で終わり。今晩には最終のページ印刷に入るはずだ。自分ではまだ納得のいかない部分も少なくないが、カラー印刷の資金面や広告との兼ね合いなどは、僕がいくらあがいてもどうなるものでもない。とにかく時間と手間をかけたこの取材の成果が発表できることが待ち遠しい。

それでもやはり、不安は残る。印刷は綺麗にでるだろうか?最終段階で誰かがおかしな紙面変更をしていないだろうか。。。?日曜の朝に紙面を手に取るまではまだ数日落ち着くことができないのだ。






レバノン

2006-07-24 03:29:14 | 中東
昨夜遅くシカゴに戻った。

3日前にイラクでの取材を終え、クウェートでフライト待ちをしていたのだが、シカゴのオフィスとのやりとりで忙しく、落ち着いてブログをアップする気になれないでいた。

レバノンのためだ。

ここ1週間で急激に悪化したレバノン情勢の取材のために、中東にいるうちにそのままベイルートに入りたかった。2日間かけてボスとかけあっていたのだが、結果はノー。相も変わらず予算がない、の一点張りだ。

また愚痴になってしまうのであまり書きたくはないのだが、今回はさすがに失望した。

現在のレバノン情勢は、今までのところ間違いなく今年最大のニュースだ。これほどの大事件にトリビューンが自社のカメラマンを派遣できないとしたら、一体この先何を取材するというのか?

僕がイラクに行っている間、この先年末までにシカゴの本社から120人がリストラされるとお達しがあったらしい。そこまで経営状況が悪くなっているということだ。

なんにしても、海外にでて取材ができないのではもうトリビューンにこだわる必要はない。それに、新聞社の社員でいる限り、こういう問題はいつもつきまとってくる。

来年にはまた身の振り方を考えなくてはならないなあ。



人々の表情

2006-07-17 18:53:41 | 中東
ラマディでの従軍取材も終盤に近づいてきた。

別のキャンプに移ってから、何度か昼間のパトロールに同行することができた。

この付近はそれほどの戦闘地域でないせいか、兵士がパトロールにでると、子供たちが近づいてくることがある。勿論彼らのお目当ては玩具やお菓子などだ。米兵たちがそういうものをトラックに載せて配り歩くこともあるからだ。男の子たちの間で一番人気のアイテムはサッカーボール。ワールドカップの影響もあったのだろう、みなサッカーボールを欲しがるのだが、もともと数が少ないので、貰える確率はあまり高くない。

「フットボール(サッカーボールのこと)ちょうだい」といって兵士によってくるが、ほとんどはキャンディーに甘んじることになる。

対照的に、大人たちの表情は複雑だ。

無邪気な子供たちとは違って、米軍を大手を振って歓迎するような住人は勿論いないし、多くは遠巻きにじっと米兵を見つめているだけだ。こちらが挨拶をすれば挨拶が返ってくるが、住人から話しかけてくるということはほとんどない。

米軍と抵抗勢力との激しい戦闘で、市内の建物の多くは崩壊している。数多くの一般市民たちが巻き添えをくって殺されたことだろうか。親が殺された、いとこが殺された、子供が殺された。。。ここではそんな話はたいして珍しくもない。

「イスラム過激派を倒して、イラクの人達の自治と治安をとりもどすため。。。」

そんな名目で米軍は戦っているが、もともとアメリカが侵攻してこなければ、過激派もいなかったし、電気や水道も通っていたし、家が瓦礫と化すこともなかった。。。

彼らの表情を見ていると、多くのイラク人たちは内心そう感じているんじゃないかと思う。



寝苦しい夜

2006-07-16 00:28:14 | 中東
昨夜同行したパトロール中に発砲をうけ、イラク兵士の一人が足を撃たれて負傷した。

普段は静かで比較的危険の少ない地域といわれていたので不意をつかれた感じだ。しかし、それが戦場。。。どこで何が起こってもおかしくはない。

2日前に僕らが移動してきたこの前線キャンプはまだ設備はまったく整っておらず、病人を運ぶ簡易担架を並べて、一部屋に15人ほどの兵士たちが寝泊りしている。勿論僕らもその一員をなるわけで、くそ暑い中、寝返りをうつたびに骨組みがギュウギュウと音をたてる担架のうえで寝苦しい夜を過ごしている。

1週間ぶりのシャワー

2006-07-13 16:30:29 | 中東
一週間ぶりにシャワーを浴びることができた。

他の前線キャンプへ移動するための中継地で一日休息をとっているのだが、ここのベースは比較的規模も大きく、シャワーや食堂の設備も整っている。

従軍が始まってから一週間、まともな写真が撮れていないのでだんだんと気が滅入ってきていたのだけれど、不思議なもので、単にシャワーを浴びて身体をリフレッシュしただけでまた少しやる気がでてきた。単純な性格??

この一週間で、ラマディでの米軍の動きは大方わかった。作戦のほぼすべては夜間におこなわれるので、僕らカメラマンにとってはきつい。さらに作戦内容は人口調査やレイド(家宅捜索)が主だし、夜間はまず撃ち合いの戦闘になることもないから、実際の「戦闘現場」に居合わせる確立は非常に少ない。

毎日数回、キャンプ付近にはドーンという地響きをあげて迫撃砲が落ち、銃声が鳴り続けているが、聞こえるばかりで目には見えないから写真にならない。当初予定していた戦闘の取材はもう見込み薄だ。

この先1週間は米軍の取材を続けながらも、これからのイラクの治安を担っていかなくてはならないイラク警察の動きを追っていこうと思っている。

自己嫌悪

2006-07-09 20:24:24 | 中東
ラマディについて4日目になった。

夜8時くらいから作戦に同行し、深夜2時か3時にキャンプに戻るという生活が続いている。

前のブログに書いたように、作戦のほとんどは過激派の逮捕を目的としたレイド(強制家宅捜索)か、住民を尋ねながら彼らの意見、要求をきいてまわる活動のどちらかである。いずれにしてもこれまで継続しておこなわれていたもので、特に目新しいものではない。おまけに夜の行動ばかりだから、明かりも少なく写真に撮れるものも限られてしまう。

今回はラマディで何か特別な作戦がおこなわれるかも知れないということで仕事を引き受けてきたのに、その予想は見事に裏切られた。結局これまでと何も変わったものが撮れそうな気配もなく、まだ従軍が始まったばかりなのにすでに気が重くなってきた。

正直なところ、昨年の時点で、イラクにはしばらく戻るのはやめようと思っていたのだ。

従軍している限り似たような作戦の繰り返しだし、かといって現在のイラクは、誘拐が多すぎるので単独で動き回り満足な取材ができる状態ではない。どっちに転んでも自分の思うような写真が撮れないことは身に染みてわかっているからだ。

昨日、キャンプのすぐとなりに2発の迫撃砲が地響きをたてて打ち込まれてきた。

幸い誰も怪我人はでなかったようだが、極端な話、迫撃砲がキャンプのど真ん中に落ちてきて何人もの死傷者がでるといった事件が僕の目の前で起こらない限り、ニュースになるような写真は撮れない、というわけだ。

ニュース・カメラマンの持つジレンマ。。。そうとはいえ、こんなことを心のどこかで望んでいる自分に恐ろしく嫌気がさしてくる。




海兵隊キャンプより

2006-07-08 17:38:52 | 中東
一昨日ラマディにある海兵隊の前線キャンプに到着した。

米軍ヘリコプターの乗り継ぎに手間取って数日を無駄にしてしまったが、ようやく従軍をはじめることができた。

とにかく暑い。この時期にイラクにきたのは初めてだが、予想していたとおりの暑さだ。日中は45度近くになるので、さすがの地元民もあまり外にでて動かないようだ。湿気が少ない分助かるが、それでも防弾ベストとヘルメットの重装備でいると気が遠くなるほど。シャツなど10分もしないうち汗でぐっしょりになる。暑さと、狙撃のターゲットになりにくいという理由で、海兵隊の作戦もほとんど夜間におこなわれている。

キャンプは前線につくられた一時的なもので、廃墟になった建物をベースにつくられている。発電機によってかろうじて電気はしかれているが、水道はない。シャワーもあびられないので、ボトルの水を使って身体を洗う程度。

設備の整ったバグダッドなどの大きなキャンプと違い、食事も朝晩質素なものが届けられるだけだが、夜の作戦に従軍すると朝は食事の時間までに起きられないので、あとはパッケージになった軍食で空腹を満たしている。

昨夜は午前2時からの作戦に従軍した。

集められた情報を元に、過激派の寝込みを襲って逮捕する、というものだが、以前同様、成功率はあまり高くはないようだ。僕の同行した部隊では、4件当たって逮捕率はゼロ。間違って踏み込んだ家は2件という有様で、昨年、一昨年に従軍したときとほとんどその状況は変わっていないようだ。

まだついたばかりで街の様子は把握できないが、追って報告したい。

政府の横暴

2006-07-03 17:23:30 | 日本
知人が新聞切抜きをスキャンしたものを送ってくれた。

6月30日の日経と7月1日の読売のものだ。両紙とも、日本外務省が英国政府に日本人記者を従軍させないよう要請していたことが明らかになったと報じている。

日本の報道機関からの取材を拒否している自衛隊の撤退活動を取材するには、同じ地域を管轄している英国軍の協力が必要になる。しかし、外務省は「退避勧告がでているイラクに日本人記者がはいるべきではない」と英国側に伝えて記者の活動を阻んでいるということだ。

やっぱりな。。。

先月25日のブログにこのいきさつは書いたが、僕が今回イラクのビザ発給を認められなかったのもこういう日本政府の対応の一環であったことが証明されたわけだ。日本のバグダッド大使館からは「イラク政府に対してそういう要請はしていない」との返答をもらっていたが、やはり疑っていたとおりだった。

ジャーナリストの活動を国ぐるみで制限する。。。これが民主主義国家といえるのだろうか?

こういうことがエスカレートして、戦時中のように国家の都合のいいことだけを報道させるという事態になることが怖い。

日本の報道機関は、こういった政府の横暴に対し断固として抗議すべきだと思う。











イラク入り

2006-07-03 00:31:44 | 中東
今日の午前中、イラク入りした。

まずはバグダッドの米軍基地でIDカードの更新をしなくてはならなかったので、そのためにほぼ一日を費やしたが、とりあえずは従軍取材の準備は完了。

ここで3日ほどで過ごした後ラマディにはいり、そこでの状況を取材する予定だ。

ヘリコプターの窓からみえるバグダッド市街は、昨年と比べて特に変わった様子はない。空から見る限りは他都市と変わらず平穏な街にみえるのだが。。。

昨日も賑やかな市場での爆弾テロで60人以上が犠牲になった。