Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

祭りのあと

2008-07-28 11:53:48 | シカゴ
米国には、アフリカン、ヒスパニック、先住民インディアン、そしてアジア系と、それぞれの人種をベースにしたジャーナリストの協会が存在し、各々年に一度コンファレンス(会議)を開いている。

今年は4年に1度、これらの団体が一同に集まりコンファレンスを共同でおこなうUNITYと呼ばれるイベントが開催される年なのだが、 日曜日までのほぼ一週間、このUNITYがシカゴで盛大にひらかれた。

週のはじめから同業の友人たちも続々とシカゴに到着。アメリカをベースにしている日本人カメラマンの友人たちとも年に一度会える機会でもあるし、これは僕も楽しみにしていたイベントなのだ。

そんなカメラマン達のなかでも、「兄弟」と呼び合うほど懇意にしてもらっているのがサンノゼ・マーキュリー・ニュースのダイと、オハイオAP通信のキー。(勿論これはニックネームで、彼ら普通の日本の名前持ってます)みなお互い会えるのが嬉しくて、ジャーナリズム志望の学生さんたちも交え毎晩午前3時までの酒宴続きになった。

そんな調子で4夜連続の睡眠不足に陥ったので、UNITYの終わった今日はさすがにもうぐったり。僕は日中通常の仕事があったので、アサインメントを終えて写真を電送し終えた途端、重い瞼と大格闘するはめに。。。

新聞業界の不振はどこも同じで、あまり明るいニュースのないなか、UNITYのおかげでしばしの息抜きをして楽しい数日を過すことができたと思う。

「兄弟」たちも学生さんたちもみなそれぞれの土地に戻り、シカゴに残された僕は、祭りの後の静けさ、とでもいうような、ちょっとした寂しさを感じている。

(お知らせ)
7月28日発売のアエラにハイチの見開き掲載されます。









キリング・フィールドのおっちゃん

2008-07-20 10:47:57 | 報道写真考・たわ言
先日DVDで、映画「キリング・フィールド」(The Killing Fields)をみた。

クメール・ルージュによる大虐殺のおこった1975年のカンボジアを舞台にした映画だが、封切られたのが80年代半ばだから、もう一昔も前になる。実在したニューヨークタイムスの特派員記者と、現地のアシスタントの交流を描いたこの映画は、以前からずっと観たいと思っていたのだが、これまで機会に恵まれなかった。

それがある出来事がきっかけで、DVDを購入する羽目に。。。

その出来事とは、映画の主人公の一人でもあったカンボジア人ジャーナリスト、ディス・プランの死だった。

幾度も死線をさまよいながら、ポル・ポト派の虐殺を生き延び、戦後アメリカに渡りニューヨーク・タイムスのカメラマンとして働いてきたプランは、今年3月にガンで他界した。

彼の存在やキリング・フィールドのことは知識として知っていたので、数ヶ月前にラジオで彼の死のニュースを聞いたときも、「ああ、また歴史の証人がひとり亡くなってしまったのだな。。。」とある種感慨深い思いをしたのを憶えている。

それからしばらくたって、購読している全米報道写真家協会の月刊誌が自宅に届いた。もちろん、数ページを割いて亡くなったプランの紹介がなされていたのだが、ページをめくり掲載されていたプランの写真をみて僕は思わず息をのんだ。

「あのおっちゃんじゃないか!!」

僕はなんと以前彼と現場で出会っていたのだ。前述したように、僕はプランというジャーナリストの存在は知っていたけれど、彼の名前や容姿まではこのときまで知らなかったのだ。

7年前、9・11テロのおこったその日に僕はボストンからニューヨーク入りしたが、マンハッタンの消防署で撮影をしているとき、ひとりの年配のアジア人のカメラマンと出くわした。お互い挨拶し、二言三言言葉を交わしただけでその内容は覚えていないが、人当たりが良くて気さくなおっちゃんだったことは印象に残っている。あのときの取材では混乱の中、かなりの数のカメラマンたちと出会ったので、このおっちゃんのこともあまり気に留めることもなく、そのうち忘れてしまっていた。

しかしこの日、僕は月刊誌のページの写真のなかのおっちゃんと再会した。

紙面に記された彼と記者シドニーとの交流の様子を読み、そして掲載された彼の写真をみながら、どうにも涙がとまらなくなった。そして同時に、どうしようもない後悔の念が心を圧迫してきた。

「あのおっちゃんがプランだと知っていたなら。。。」

いろいろ聞きたいこともあった。なんせ、ポル・ポト派の虐殺を生き延びるなどという想像を超えた経験をしてきた人間と、そうそう巡り会える機会などない。それもニューヨークという土地で、そしてカメラマンという同業者としてだ。

ニューヨークで自己紹介をしたときに、彼の名前を聞いても反応しなかった僕に対して、プランはどう思ったのだろう?「この無知な若造め、キリング・フィールドのこと知らないな」と思ったか、それとも「俺のこと知らないようだし、いろいろ質問されずに気楽に話ができる。。。」と安堵したか、いまでは知る由もない。

映画を観ながら、あらためてプランのかいくぐってきた至難を知るにつれ、彼ときちんと話をしなかったことが一層悔やまれた。

しかし、ほんの数分の間でも、彼の温かくて気さくな人柄に直に触れることができたことに感謝すべきか、とも思っている。




エディターの辞任

2008-07-15 21:16:22 | シカゴ
昨日、シカゴ・トリビューンのエディター(日本では主幹というのだろうか、編集部のトップ)アン・マリーが辞任を発表した。

これは僕らにとっては大事件だ。

もちろん、これは新オーナーであるサム・ゼルの拝金主義のえげつない経営方針に対する彼女なりの回答であることは容易に察しがつく。

不動産業で成り上がってきたゼルは、これまで新聞業やジャーナリズムとは全く縁のなかった人間だ。こういう人だから、新聞社とはいえまるで不動産の一部としか考えていないし、報道の質など二の次でとにかく利益をあげることしか頭にはない。先月は本社の建物であるトリビューン・タワーまで売りに出すといいだした。

彼はウェブサイトのクリック数ばかりに記事の価値を置き、国際ニュースも激減させた。公の場で「読者はイラクの情勢よりも、地元の子犬のニュースの方に興味があるんだ」とまでのたまったのだ。

こんな経営方針に嫌気がさして、今年に入ってからもかなりの数のベテランの記者達が早期退職していった。彼らにとっては、いまが辞め時、といった感もあったのだろう。

しかし、「利益をあげる」ためにはこれでもまだ足りず、先週会社は8月末までに60人の首切りをすることを発表。これはニュース・ルームの14パーセントにあたる頭数で、実施されれば報道の質にも大きく影響がでるのは必至だ。

アン・マリーの辞任のニュースを聞いて、僕はなんだかトリビューン・タワーががらがらと音を立てて崩れていくような場面を想像してしまい、いささかショックをうけた。

別にトリビューンに特別の忠誠心などがあるわけではないが、それでもアメリカ5本の指にはいる新聞社として長年の伝統を培ってきたこの会社が、こんなひとりの拝金主義の男のために崩れ去っていくのを見るのは寂しいものがある。


ジムと娘たち

2008-07-11 05:48:26 | シカゴ
先月刑務所から出所したジムに同行して、シカゴ郊外に住む彼の家族に会ってきた。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/1a50d9b2128c4410576c64b8a34fd1b7

仮釈放中のジムに、ようやく市内を離れて遠出をする許可がおりたのだ。

バスに揺られて一時間半余、デカブという町で下車すると、停留所で長女のケリーが出迎えてくれた。ここからさらに車で20分ほどいったロシェルで、ジムは三女のロビンとも再会。

ジムにとって、ケリーとは1年ぶり、さらにロビンと会うのは3年ぶりになる。しかし、 彼らは僕らが日常にする程度のハグ(抱擁)をしただけで、その場面は僕が期待していたほどの「感動の再会」といったドラマティックなものではなく、僕は正直言って少しばかり拍子抜けしてしまった。

やはりドラッグに浸かり、ホームレスになって「父親としての役割」を放棄してきたジムに対する娘たちの心中には複雑なものがあるのかもしれない。

これまでジムと娘たちの間にどんなことがあったのか、僕はまだ彼の口から詳細を聞く機会を得ていない。しかし、彼はたびたび「俺はひどい父親だった。。。」と口にしていたし、刑務所を出る前にも、「これから家族の関係を修復していくのが俺にとって一番大切なことだ」と言っていたように、彼自身このことはよく自覚しているのだろうと思う。

それにしても、はじめて会う幼い孫たちと無邪気に遊ぶジムの姿は新鮮だった。こんな彼の表情は僕はこれまで見たことがなかったからだ。

冗談を言い合いながら公園を散歩し、 近所の老舗でアイスクリームを頬張りながらゆっくりと流れる時を一緒に過ごすうち、ジムと娘たちとの様子も徐々に自然になっていくように僕の目には映った。

家族の関係がうまく修復できれば、これからジムが「再生」していくうえで、これ以上の心の支えになることはないだろう。

(写真:娘と孫たちに囲まれくつろぐジム)



バイク免許

2008-07-03 22:47:11 | シカゴ
ブログの更新をしばらくしていないので、友人の何人かから「生きてる?」とか「取材で海外いってるの?」みたいなメールがきているのだけれど、単に忙しいのに加えてまた筆無精の癖がでてしまっただけです。

海外取材にでれていればいいんだけれど、いまのトリビューンの経営状況では、そういう仕事は望むべくもない。リベリアから戻ってきてから、ジムの出所後の生活を追うプロジェクト以外はただ日常のニュースを撮っているだけの、ダウンな日々が続いている。

全然写真とは関係ないのだが、昨日バイクの免許を取得してきた。以前から免許は欲しいと思っていたし、この時期はシカゴもようやく気候がよくなったので車に乗るより気持ちがいい。しばらく出張取材もないことだし、いまがチャンスと教習所に登録して先週2日間のクラスを受講してきた。そんなわけで、ここ数日はネットでの中古のバイク探しに夢中になっている。

最近はガソリン代もうなぎ上りだし、燃費のいいバイクで取材にでられるといいんだけど、やはり機材のことや、写真の電送や気候のことも考えると仕事には使えないかな。。。