数日前、家の電話にムスの父親のアルバートからのメッセージがはいっていた。
これまでも1,2ヶ月に一度は僕に電話をくれていたので特に珍しいことではないのだが、その日の留守電の声にはちょっと緊迫した響きがあった。
「クニ、メッセージを聞いたらすぐに電話してくれ。。。」
予想どおりそれはムスのことだった。
ムスがシカゴから戻ってから、いろんな人が家を訪ねてきてちょっと混乱しているらしい。無理もない。彼らの住んでいるコミュニティーからアメリカに行ったのなどムスくらいだろうし、おまけに大統領に伴われてだ。あっちでは大騒ぎになったに違いない。
ムスのことで尋ねてきた人達が、あとで連絡するといったきり音沙汰がないのでどうなっているのか心配になっているらしい。しかし僕のほうでも誰がムスの家を訪ねているのかなど見当がつかないので返答の仕様がない。とにかく義手が出来上がる2週間後くらいにムスはまたシカゴに戻ってくることになっているので、あと1週間くらいは待ってみれば、とアルバートにアドバイスして電話を切った。
しかし、会話の途中で彼がつぶやいたこんな言葉が耳に残った。
「アメリカで誰かムスを引き取ってくれる人がいればいいのに。。。」
そういえば、2年前にムスと再会したときにも、アルバートはそういっていた。
自分たちは貧しいし、リベリアにいてもムスの将来にあまり希望がないと思っているのだろう。アルバートはアメリカでいい学校に通い、高い学歴をつけることがムスの人生を良くすると信じている。そして、そのためには他人の手にムスを引き渡してもいいとまで思っているのだ。
ムスの両親であるアルバートとファトゥは非常に信仰深く、働き者だ。他人に感謝する気持ちをいつも持っているし、子供のことも良く考えている。僕の眼からみれば、人間的にしっかりとしたこのような両親が健在なのだから、金銭的に貧しくてもムスは家族と一緒にいるのが一番幸せなのでは、と思うのだが、それは気楽なよそ者のたわ言に過ぎないのかも知れない。
子供によりよい人生を送らせる為に、それを手放すこともいとわないのが親の愛なのだろうか。
親になったことのない僕には、頭で考えることはできても、その心までを理解することは難しい。
これまでも1,2ヶ月に一度は僕に電話をくれていたので特に珍しいことではないのだが、その日の留守電の声にはちょっと緊迫した響きがあった。
「クニ、メッセージを聞いたらすぐに電話してくれ。。。」
予想どおりそれはムスのことだった。
ムスがシカゴから戻ってから、いろんな人が家を訪ねてきてちょっと混乱しているらしい。無理もない。彼らの住んでいるコミュニティーからアメリカに行ったのなどムスくらいだろうし、おまけに大統領に伴われてだ。あっちでは大騒ぎになったに違いない。
ムスのことで尋ねてきた人達が、あとで連絡するといったきり音沙汰がないのでどうなっているのか心配になっているらしい。しかし僕のほうでも誰がムスの家を訪ねているのかなど見当がつかないので返答の仕様がない。とにかく義手が出来上がる2週間後くらいにムスはまたシカゴに戻ってくることになっているので、あと1週間くらいは待ってみれば、とアルバートにアドバイスして電話を切った。
しかし、会話の途中で彼がつぶやいたこんな言葉が耳に残った。
「アメリカで誰かムスを引き取ってくれる人がいればいいのに。。。」
そういえば、2年前にムスと再会したときにも、アルバートはそういっていた。
自分たちは貧しいし、リベリアにいてもムスの将来にあまり希望がないと思っているのだろう。アルバートはアメリカでいい学校に通い、高い学歴をつけることがムスの人生を良くすると信じている。そして、そのためには他人の手にムスを引き渡してもいいとまで思っているのだ。
ムスの両親であるアルバートとファトゥは非常に信仰深く、働き者だ。他人に感謝する気持ちをいつも持っているし、子供のことも良く考えている。僕の眼からみれば、人間的にしっかりとしたこのような両親が健在なのだから、金銭的に貧しくてもムスは家族と一緒にいるのが一番幸せなのでは、と思うのだが、それは気楽なよそ者のたわ言に過ぎないのかも知れない。
子供によりよい人生を送らせる為に、それを手放すこともいとわないのが親の愛なのだろうか。
親になったことのない僕には、頭で考えることはできても、その心までを理解することは難しい。
親として、「自分の感情より」この先の、長い「人生の道程」を考えたのだと、思います。
そしてその言葉は(想像するに)どれだけ、米国と、彼女の母国とで、彼女の人生が「格差」があるか、ということでもあると思います。
親は、どこまでも子供を愛し、子供もまた、親の愛を必要とする存在だと、私自身は信じています。
それでも、
生活や、そのなかでの実感は、「本来あるカタチ」を簡単に変えてしまうこともあるのでは、と、思います。
親子の愛、物理的に離れることでは断ち切られないものです。
心が、離れて、信じられなくなることの方が、重大な事だと思います。
しかし、それでも手放そうと思う理由は「手」だと思います。多分ですが、それが理由でしょう。親として見ていてしのびない。アメリカなら手ではなく、ヒトを見てくれるはずだ、と。そう思っているのではないでしょうか。そして、もしかしたらアメリカならムスちゃんの「心」を不用意に傷つけずに成長するのではないか、と思っているような気がするのです。
戦争と生活と子供とコミュニティーの中にいる親の心が複雑だということは伝わってきます。
kiniさんのこの部分ですが、お父さんは果たして金銭的なこと、学歴のことだけでアメリカを希望しているのでしょうか。ほかに色々な理由があるのでは?治安、安全面とか、周囲からの目とか。私よりkuniさんのほうがもちろん、ムスちゃんの一家のことを知っているのだから、検討ちがいなことを言っていたらごめんなさい。ただ、親は子どもの幸せな道を一番に考えているのだと思います。問題はムスちゃんがそれを理解できるかどうか。親子一緒にいることが、どんなことにもまして大事な場合もあるし(子の年齢や状況によって)・・・。心の傷が心配です。親ごころが子どもにうまく伝わらないこともありますものね。
社会状況が日本とは違うから、自分に置き換えて考えるのが容易にはいかず。
義手、ばんざーい!と単純に喜んでしまった私ですが、ものごとは一面からでは解らないものですね。
ただ、保守的なアフリカ社会では、女性であるうえに片手というということは相当なハンディで、結婚相手も見つからない、というのが現実でしょう。そういう事情もよくわかっているから、アルバートがムスを外国にだしたいと思っているのでしょう。
(言葉をつっつくつもりは、ないのです。これでも、遠出の車を走らせながら考えて、やっぱり心にひっかかっているので、帰宅してから投稿した次第。)
あえて言うなら「人の気持ちを理解したつもりになること」が驕り?・・・うーん、でもどうかな?私は、そんなに厳しいことを言えたもんではないから。けっこう、つもりのこと、あるかなあ。(独り反省)
この部分はショックです。内戦が続いて、障害をもっている人は、男女ともたくさんいるのではないのですか。