Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

リビア:ドリフティングに興じる若者達

2014-02-26 22:00:43 | アフリカ
数日前、デリーの夜の路上で改造車が猛スピードでスリップしながら走っていくのに出くわしたが、それをみてリビアでのある光景を思いだした。もう2年以上も前のことになるけれど、反カダフィーの革命を取材中に、東部の町ベンガジで「ドリフティング」を撮る機会があったのだ。

タイヤの軋むかん高い音とともに、路面からもうもうと白煙があがる。韓国車のデーウーからカローラ、そしてBMWに至るまで、ベンガジ中心部にあるキッシュ広場では、何台ものチューンアップされた車が次々とスピンや急発進を繰り広げていた。ドリフティングとは、急ブレーキや急ハンドルなどを駆使して、派手に車を滑らせたりスピンさせるテクニック。実際にそれを使って走行するというより、いまや見物人の前でその技術をみせるショーのようになった。その人気は、近年若者達のあいだで世界中に広まっているというが、まさか戦時中のイスラム教の国でこんなエンターテーメントをみるとは思わなかった。

ベンガジは、反カダフィー派の本拠地。この町から起こったリビア革命の波は内戦へと発展したが、当時反カダフィー派が首都トリポリから200キロ程手前のミスラタを落としてから、戦闘は硬直状態に陥っていた。すでに戦闘が終わり比較的治安も安定していたベンガジでは、毎週木曜日の夜(イスラム教の祝日は金曜日)になると、何百人という若者達がドリフティング見物に集まるようになっていた。もともと内戦前から失業率が20パーセント前後と高い国だ。あるものは市民兵となって革命のために銃をとり政府軍と戦ったが、すでにこの町や近郊での戦闘は終わったいま、多くの若者たちは暇とエネルギーを持て余していたのだった。

通りを隔てたところには、すでに焼け跡となったカダフィー軍の駐屯地に残る崩れかけた建物が、闇のなかぼんやりと浮かび上がっていた。寝返った政府軍兵士たちがここを逃げ出し、反カダフィーの市民達によって焼き払われたこの場所が革命のシンボルになったのは、ほんの3ヶ月前ほどのことだ。多くの若者達にとって、心躍るエキサイティングな時だった。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2014/02/26/drifting-young-soul-in-libya/ )
(この記事はヤフーニュースブログにも掲載してあります)

インドの宗教対立

2014-02-13 14:38:45 | アジア
先月、デリーから130キロほど北にある町、ムザファルナガールを訪れた。昨年9月におこったヒンドゥー教徒とイスラム教徒(ムスリム)の衝突で、家を追われた避難民達に会うためだ。衝突からすでに4ヶ月が経つにもかかわらず、1万5千人をこえるムスリムたちが、この町に点在する避難民キャンプで生活していた。

冬の寒さが厳しくなり、12月半ばまでに35人の子供達がキャンプで死亡したと報告されると、事態の悪化を恐れた州政府はキャンプを閉鎖することを決定。テントの住人達を半強制的に立ち退かせた。僕がキャンプのひとつを訪れたのは、閉鎖の数日後だったが、そこで冗談のような光景に出くわした。わずかばかりの家財道具をまとめてキャンプ地をでた家族達は、なんと道をへだてただけの隣の空き地にまたテントをたてて住み始めていたのだ。50メートルと離れていない場所に、以前と変わらないキャンプができていた。

「まだ怖くて家に戻れないのさ」毛布で身体を覆った老女が、水タバコを吹かしながらこう言った。警察がいくら説得しても、村に戻ることは安全ではないと感じており、住民達のほとんどはそれを拒否していたのだった。

昨年の衝突の原因は定かではないが、ヒンドゥーの女性がムスリムの男性数人によって嫌がらせをうけた事件がきっかけらしい。その報復として、村々でムスリムの家族が集団で襲われ始めたのだ。インドにおけるヒンドゥーとムスリムの対立は根が深い。普段はあからさまに表面にはださないが、多くの一般市民達はお互いに対する不信感を心の内に秘めている。ささいな事件が、歯止めのきかない殺し合いに発展することは十分にあるだろう。

「村の彼ら(ヒンドゥー)のいうことなどなにも信用できないさ」老女が寒さで唇を震わせながら、こうつぶやいた。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2014/02/13/indias-communal-violence/ )
(この記事はヤフーニュースブログにも掲載してあります)