デイズ・ジャパン・フォトジャーナリズム学校の生徒が先週からムンバイに来て、合同プログラムとしてウダーン写真学校で講義を受けている。
僕は時間の許す限り日本の生徒のアシストをしながらアーコの授業をきいているのだが、アーコはムンバイ在住の著名なベテラン報道カメラマンで、この写真学校の創始者でもある。普段お互い忙しくてなかなかゆっくり会えないので、アーコをはじめ、他の講師たち(みな地元のカメラマンでいい連中だ)と時間を過ごせるいい機会にもなった。
アーコはその豊富な経験を生かして、心構えやテクニックなど生徒にいろいろとためになることを教えているが、なかでもひとつ、忘れられない言葉をひとつ僕の頭に刻み込んでくれた。
「ニュースは表面にみえるもの。ドキュメンタリーは、その表面が『なぜ』起こったかを探る仕事だ」
なんと的を得た言葉だろう!アーコの言ったことは、至極当たり前のことで、ジャーナリズムの基礎中の基礎でもある。しかし、ニュースとドキュメンタリーの違いをこれほど的確に言い表した言葉に、これまで僕は出会ったことがなかった。
『なぜ』を追求する – 生徒たちがどう受け止めたかは定かでないが、僕はこのアーコの言葉によって、まるで開眼させられたような思いだったのだ。もう1年以上、ずっとニュース関連の仕事で忙しくて、なにかフォトジャーナリストとしての自分の立ち位置に迷いのようなものを持っていたからだと思う。
また気持ちをリセットして、『なぜ』を追求する仕事をしなくては…。
アーコにひとつ借りができたかな。
僕は時間の許す限り日本の生徒のアシストをしながらアーコの授業をきいているのだが、アーコはムンバイ在住の著名なベテラン報道カメラマンで、この写真学校の創始者でもある。普段お互い忙しくてなかなかゆっくり会えないので、アーコをはじめ、他の講師たち(みな地元のカメラマンでいい連中だ)と時間を過ごせるいい機会にもなった。
アーコはその豊富な経験を生かして、心構えやテクニックなど生徒にいろいろとためになることを教えているが、なかでもひとつ、忘れられない言葉をひとつ僕の頭に刻み込んでくれた。
「ニュースは表面にみえるもの。ドキュメンタリーは、その表面が『なぜ』起こったかを探る仕事だ」
なんと的を得た言葉だろう!アーコの言ったことは、至極当たり前のことで、ジャーナリズムの基礎中の基礎でもある。しかし、ニュースとドキュメンタリーの違いをこれほど的確に言い表した言葉に、これまで僕は出会ったことがなかった。
『なぜ』を追求する – 生徒たちがどう受け止めたかは定かでないが、僕はこのアーコの言葉によって、まるで開眼させられたような思いだったのだ。もう1年以上、ずっとニュース関連の仕事で忙しくて、なにかフォトジャーナリストとしての自分の立ち位置に迷いのようなものを持っていたからだと思う。
また気持ちをリセットして、『なぜ』を追求する仕事をしなくては…。
アーコにひとつ借りができたかな。