Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

ニュースは「表面」、ドキュメンタリーは「原因」

2012-06-20 11:24:30 | 報道写真考・たわ言
デイズ・ジャパン・フォトジャーナリズム学校の生徒が先週からムンバイに来て、合同プログラムとしてウダーン写真学校で講義を受けている。

僕は時間の許す限り日本の生徒のアシストをしながらアーコの授業をきいているのだが、アーコはムンバイ在住の著名なベテラン報道カメラマンで、この写真学校の創始者でもある。普段お互い忙しくてなかなかゆっくり会えないので、アーコをはじめ、他の講師たち(みな地元のカメラマンでいい連中だ)と時間を過ごせるいい機会にもなった。

アーコはその豊富な経験を生かして、心構えやテクニックなど生徒にいろいろとためになることを教えているが、なかでもひとつ、忘れられない言葉をひとつ僕の頭に刻み込んでくれた。

「ニュースは表面にみえるもの。ドキュメンタリーは、その表面が『なぜ』起こったかを探る仕事だ」

なんと的を得た言葉だろう!アーコの言ったことは、至極当たり前のことで、ジャーナリズムの基礎中の基礎でもある。しかし、ニュースとドキュメンタリーの違いをこれほど的確に言い表した言葉に、これまで僕は出会ったことがなかった。

『なぜ』を追求する – 生徒たちがどう受け止めたかは定かでないが、僕はこのアーコの言葉によって、まるで開眼させられたような思いだったのだ。もう1年以上、ずっとニュース関連の仕事で忙しくて、なにかフォトジャーナリストとしての自分の立ち位置に迷いのようなものを持っていたからだと思う。

また気持ちをリセットして、『なぜ』を追求する仕事をしなくては…。

アーコにひとつ借りができたかな。

プノンペンの慰霊碑

2012-06-20 11:16:05 | アジア
1週間カンボジアを満喫してきた。

アンコールワットやキリング・フィールドは長いこと行ってみたいと思っていたが、期待を裏切らない経験ができて、短いながらも有意義な旅になった。

これらの観光スポットに加えて、もうひとつ訪れるのを楽しみにしていた場所があった。先月プノンペンに建てられたばかりの慰霊碑だ。

この慰霊碑には37人の名前が刻まれている。1970年からの5年間、米国の後ろ盾をうけたロン・ノル政府と、北ベトナムが支援したクメール・ルージュの間でおこなわれた内戦中に命を落としたジャーナリストたちのものだ。

そこに刻まれた10人の日本人のなかに、僕にとってもっとも感慨深い名前がひとつある。「Kyoichi Sawada (沢田教一)」ベトナム戦争中に活躍し、ピューリッツアー賞も受賞した報道カメラマン。彼は1970年にカンボジア内戦の取材中、待ち伏せの銃撃を受け殺された。まだ34歳だった。

もう20年以上も前になるが、写真やジャーナリズムのことになど全く感心の無かった自分が、どういうわけか彼の伝記を読んで報道カメラマンになろうと決心したのだ。本の中の世界だったにせよ、彼との出会いは僕にとって人生の転換期となったわけだ。以来、彼は僕にとって憧れであり、目標となる人物になった。

そんな彼の名前が、このようなかたちで現代のカンボジアの人々の眼にふれるようになったことを嬉しく思う。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/06/04/memories-of-cambodia/ )