Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

最終局面での妥協

2010-05-30 01:14:53 | アジア
昨日は長い一日だった。

午前中一杯ストリートチルドレン達と過ごした後、国会議事堂に寄ってみる。制憲議会の任期失効が午前0時に迫っており、そろそろデモをおこなう人々が集まり始めているかと思ったからだ。ネパールの新憲法作成を期限内におこなえなかった制憲議会の延長を巡って、ここ数ヶ月のあいだ政党間の話し合いが続けられていたが、それもこの日が最後。国民注目の日だ。

野党第一党のマオイスト(共産党毛沢東派)は当初から首相の辞任を制憲議会の任期延長の条件としていたが、首相はそれに応じず、話し合いは硬直状態になっていた。もし深夜の期限までに合意がえられなければ、議会をなくした国家は政治的に大混乱に陥り、失望した国民による暴動も懸念されていた。

議事堂前に集まる人々の様子を一通り撮影した後、一旦ホテルに戻り写真を電送。そのあとまた急いで議事堂前にとんぼ返りする。

もし話し合いが合意に至るのならば、早いうちにしてもらいたいなあと思っていたのだが、現実はそううまくはいかない。結局深夜まで議事堂前にいることになった。政党は深夜0時前にようやく合意に達し、とりあえず混乱は避けられた。明確な月日は定められなかったが、とりあえず首相が辞任に同意したのだ。ネパールの友人たちが、政党はいつも最後のぎりぎりのところまでお互い妥協しない、といっていたが、彼らは正しかったようだ。

前日はニューヨーク・タイムスに写真が掲載されたので助かったが、昨日は長い一日だったにも関わらず売り上げなし。

フリーランスの厳しいところだ。。。

(写真:首相の人形を焼き、彼の辞任を求める若者たち)

雨乞いの祭り

2010-05-28 10:54:06 | アジア
新憲法の制定期限の延長を巡っての政党間の話し合いは前向きに進まず、なかなか結論が出ない状況が続いている。国民からの大きな反発を避けるために、恐らく制定期限である今日の深夜までには譲歩がでるとは思っているのだが。

政治状況を注視するかたわら、ストリート・チルドレンの撮影を続ける毎日だが、昨日は午前4時に早起きして地元の祭りを撮ってきた。

ラト・マチェンドラナートとよばれる、雨を司る神を祭るもので、仏教徒の間ではこの神はロクシュワールとよばれ、「哀れみの神」でもあるという。高さ30-40メートルはあろうか、大きな山車をかけ声と共に女性たちだけの手によって引っ張っていく。エネルギッシュな祭りだ。

日本にも山車や神輿を使う祭り事は数多いし、全然厳格ではないけれど、神道兼仏教徒の端くれである僕にとっても、なにか親しみのもてる行事であった。もみくちゃになって撮影は大変だったけれど、それでもいい息抜きにはなった。

(他の写真はこちら http://www.kunitakahashi.com/blog)

カトマンドゥのストリート・チルドレン

2010-05-25 13:17:00 | アジア
ネパールの新憲法制定の期限が金曜日に迫っている。

議会が期日までに制定することができなければ、首相は市民の暴動の可能性を考え戒厳令をしく可能性があると伝えられていたし、長年政府を相手に武力闘争をおこなってきた末、4年前に停戦協定を結び、後の選挙で多数議席を獲得したマオイスト(共産主義・毛沢東派)たちは今週大規模なデモを予定していた。

何か一波乱ありそうな予感がして昨日カトマンドゥに飛んできたのだが、こちらに着いたとたんに風向きが変わってきてしまった。各政党が連日話し合いを続けるなか、マオイストも姿勢を軟化させ、期限の延長をみとめる方向に向かっているようだ。デモもキャンセルになって、町は平穏を保っている。

ネパールの人々にとっては平和的解決にむかう良い兆しだが、ニュースを撮りにきた僕にとっては裏目にでてしまった。

しかし払った飛行機代を無駄にしてムンバイにとんぼ返りする気にもなれないので、ストリート・チルドレンを追ってみることにした。実は1月にカトマンドゥに来た時に、少しばかり彼らを撮る機会があったので、今回時間があればもっと掘り下げてみたいとは思っていたのだ。

まだ昨日数時間彼らと過ごしただけなのでよくはわからないが、これまで接したことのあるアフリカ諸国でのストリート・チルドレンに比べれば、ここの子供達は少しばかり温和な気がする。常に非常に腹をすかせているようで、金よりも、「飯をくれ!」と言われることの方が多い。

ニュースもないようだし、これから数日間彼らを向き合ってみることにしよう。

Work like a coolie, Live like a prince

2010-05-18 02:49:48 | アジア
カシミール地方で4日間の仕事を終えて、今日の午後デリーにやってきた。気温が10度そこそこだったスリナガールから40度以上のデリーへ。たった1時間半ほどのフライトなのに、なんという差!昨晩はホテルの部屋が寒くて電気毛布にくるまって寝ていたのだが、ここデリーでは水着一枚で歩きたくなるほどの熱風に晒されている。

写真の男達は、カシミール北部、インドが建設中の発電所の工事現場で働く2人。彼らはトラックの荷台に岩を砕いた石をもくもくと積みあげていたのだが、僕の眼を引いたのはトラックの横に書かれた文字だった。「Work like a coolie, Live like a prince (苦力の如く働き、皇子のように暮らせ)」

確かに彼らは苦力のように働いていたが、英語の通じない彼らには、果たして彼らが皇子のように優雅に暮らしているかは、尋ねる由もなかった

盗まれたレンズ

2010-05-11 20:20:16 | 報道写真考・たわ言
ケニア航空でナイロビからムンバイに戻る途中、預けた荷物のなかからレンズが一本抜き去られていた。預ける荷物にはなるべく機材は入れないようにしているのだが、すべて機内に持ち込むわけにもいかない。もし預けた荷物が途中でなくなっても仕事ができるように、普段はカメラ2台、レンズ2本にパソコンを手荷物にいれて、予備のレンズやその他の機材は服や寝袋と一緒に預けてしまう。

航空会社に連絡したが、空港を出る前に報告してなければ責任はとれないという。家に帰ってから気づいたのでは遅いのだそうだ。しかし、一体どれだけの乗客が帰路につく前に預けた荷物の中身をチェックなどするだろうか。

カメラマンとしてのやってきた15年間、預けた荷物からものが盗まれたということはこれまでになかったことだ。単に運が良かっただけのことか。。。

生活の苦しいフリーランサーにとっては、手痛い1200ドルの損害だ。

コンゴ取材を終えて

2010-05-07 01:16:28 | アフリカ
12日間のコンゴ取材を終え、ナイロビに戻ってきた。

難民、鉱山、国連軍、コンゴ兵、そしてピグミー族と、非常に短い時間であれこれ手を出したので深く踏み込んだ取材はできなかったが、まあそういう仕事だったので仕方がない。

初めて訪れたコンゴ(東部だけだが)は、前のブログにも書いたように美しい山々に囲まれた魅力的な国であった。

常々思うことだが、いくらこういった美しい自然をたたえていても、紛争地と化すことで国民が過酷な生活を強いられるという国々は少なくない。その国の人々が避難民などとなって水や食料にも事欠くという生活をしている傍ら、僕らのような外部の人間がやってきて「美しい自然だ」などと感心していることに一種のアンバランスというか罪悪感のようなものを感じずにはいられなかった。しかし、今回ゴマからさらに6時間ほど山奥にはいった難民キャンプを訪れる途中、コンゴ人のガイドが運転しながらこんなことを呟いた。
「いい景色だなあ。この辺はとても綺麗なんだ」

これを聞いて少しほっとしたものだ。

停戦したとはいえ、まだまだ山奥では散発的な銃撃戦などは続いている。コンゴのカビラ大統領の強硬な要求を受けて、国連軍は6月より撤退を開始するが、その後コンゴ国軍だけで治安を維持し、内戦の再発を防ぐことができるのか?

紛争が完全に終わったとしても、農村部のみならずゴマの市内でさえ道路はぼこぼこだし、電気や水道のインフラなど、まだまだコンゴ東部の復興には年月がかかりそうだ。

(お知らせ:英語中心の新ブログページ開設します http://www.kunitakahashi.com/blog/

コンゴ紛争と鉱山資源 - Congo's war and mineral resources

2010-05-03 05:08:15 | アフリカ
Went back to the mountains for a few days. This time to cover the mines. Again, we had to manage the wet, muddy mountain roads and it became a nightmare.

First we visited a mine in South Kivu Province producing tin. Due to the muddy and a trail narrowed by small landslides, we had to leave our truck in a village about half way and take motorcycles. After a back-killing, two-hour ride on a bumpy mountain trail on the rear saddle of small 150cc motorbike, we finally reached a village. Then from there, we had to walk up a steep hill for an hour to get to the mine field. 

Two days later, we visited tungsten mine which is about 70km west of Goma. The road again was in terrible condition. The rain in the morning made it almost impossible to drive, but we had to try since we didn't have many days left in DRC. Our four wheel drive got stuck in mud countless times and once it almost fell down the edge of the trail. Luckily, an NGO truck passing by helped us to tow us out of the ditch.

Despite all this effort to reach the mines, we had only an hour or two to spend for shooting since we needed to go down the mountains before sunset for security reasons. I managed to produce a few photos I like in both mines we visited - if that hadn't been the case, the disappointment would've been too great. 

It doesn't sound like an efficient way of working but we couldn't ignore the mines which are big part of the story about the war in the DRC.

It is no exaggeration to say that the bloody conflict in DRC, which involved neighboring countries like Rwanda and Uganda as well as the U.S behind the scenes, was rooted to the country's rich and profitable mineral resources. 

In recent years, the demand for those minerals, used as parts for mobile phones, computer chips and VCRs...etc, has been drastically increased and it has fueled the war in DRC. We, as a user of those high-tech electronics products, are not strangers to the conflict which cost the lives of over five million people since 1998. 

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鉱山の取材のためにまた数日間山奥へ行ってきた。

錫とタングステンを採掘する二つの鉱山を訪れたのだが、両日ともまたもや悪路で悪戦苦闘。南キブ州ヌンビにある錫鉱山では、山道の地滑りなどがひどく道が塞がれ、四輪駆動車でも走行が不可能だったために、途中の村からオートバイタクシーを雇うことに。オフロード仕様でもない普通の150ccのバイクの後ろにしがみついて延々2時間山道を行く。なんとか目的地の村に着いたと思ったら、今度は登山が待っていた。急な斜面を這い上がるようにして1時間ほど登り、ようやく採掘場へと辿り着くことができた。

その2日後に訪れたタングステン鉱山はゴマから西へ4時間ほどのングングという村にあるのだが、ここに辿り着くまでがまたもや一苦労。朝からの雨で山道はほとんど泥沼状態。車は何度も泥に埋まり、一度は危うく土手から滑り落ちそうになった。幸い偶然にも後ろを走ってきたNGOのトラックに引っ張りだしてもらい危機を脱することができたが、後になってドライバーが言うには、正直その日はもう町に戻れないかも、と内心思っていたという。

これだけの思いをして現場に辿り着いても、安全のため日没までにはゴマに戻らなくてはならないので、実際に撮影に使えるのは1時間ほどしかない。今回は幸いそれなりに気に入った写真が撮れたものの、そうでなかったらその落胆ぶりは想像に余るところだ。

今回ここまでして鉱山の撮影にこだわったのは、やはりコンゴの紛争を語る上で、この国の資源の存在を無視できないからだ。

ルワンダやウガンダなど隣接国、そして陰で動く米国をも交えたコンゴの武力闘争は、金、錫、コルタン、タングステンなど、この国に豊富に埋蔵され、莫大な利益をもたらす鉱物の利権を巡るものといっても過言ではない。

特に電子機器の半田や、携帯電話やデジタルカメラなどの部品として使われる錫やコルタン、タングステンなどの需要は伸び続け、鉱山の価値をいっそう高めている。そういう意味では、iPhoneやブラックベリーなどの電化製品を使う僕らも、1998年以来500万人以上の命を奪ったコンゴの紛争と関わりがないとはいえないのだ。