Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

ジムからのメール

2008-09-27 07:02:52 | シカゴ
ジムを探しに週末にロックフォードに出かけようと思っていた矢先、突然彼からメールが入った。
「ちょっとトラブルがおこって、いまはXXXXにいる」と居場所の住所が記してある。

仕事を早めに切り上げて車を走らせると、そこはハーフ・ウェイ・バック・プログラムという、仮釈放の規則違反者が収容される施設であった。久しぶりに会ったジムは、やはり悪いことをしたという自覚はあるのだろう、それを隠すかのような照れ笑いを浮かべて僕に握手の手を差し伸べてきた。

予想していた通り、ペロール・オフィサーに娘と住む申請を却下され、頭にきて施設をとびだしたという。まずはロックフォードに戻ったようだが、以前住んでいたコンテナはもぬけの殻。あたりは整備され、住んでいたホームレス仲間たちもみないなくなっていたという。結局4日ほどぶらぶらしているうちにまた捕まり、この施設に送られてきた。(どうして捕まったか聞き忘れたので、次回会ったときに聞かなくては。。。)

すでに2週間近くこの施設にいた訳だが、以前の施設に置いてきた携帯電話をはじめ身の回りのものはみな処分されてしまい、娘のロビンや僕の連絡先もすべて無くしたらしい。先日ようやく施設の職員に頼み込んでネットにアクセスし、僕にメールを送ることができたという。

ジムはこの先2ヶ月半ほど(計90日)毎日4回のグループカウンセリングを受けながらこの施設で過ごさなくてはならない。門限どころか、建物の外に出ることは一切禁じられている。

やれやれ、せっかくあと数日で自由になれるところだったのに、また収容生活に戻ってしまった。所持品もすべて無くしてしまったし、こちらの生活環境は以前の施設よりも遥かに悪い。

「俺も馬鹿なことをした。。。」ジムも自分のとった行動に対して自覚はしているようだ。

まあとりあえずは、彼の居所がわかっただけでも良かったと思う。だけどこの施設は結構規則がうるさそうなので、撮影許可がおりるといいんだけど。。。


ジムの逃亡(2)

2008-09-23 08:55:17 | シカゴ
数日前にジムの娘のロビンから突然電話がきた。今月あたまに行方をくらました元ホームレスのジムのことだ。

僕は彼女の電話番号をもっていなかったので、「これでジムの様子が分かる、助かった」と思ったのだが、それも束の間、どうも彼女の様子がおかしい。

なんとジムは彼女のもとへも行っていないという。ロビンはジムの行方が気になって僕のもとに電話をかけてきたのだった。(以前会ったときに名刺を渡しておいたのが功を奏した)

僕は彼が望んでいたように、てっきりジムはロビンのもとで孫とともに暮らしていると思っていたのだが、どうやら誰にも知らせずに雲隠れしてしまったようなのだ。

これは参った。

以前ホームレス生活をおくっていたロックフォードに戻ってしまったのか。。。そうだとすれば、またコカインに手をだしてしまう可能性は十分にある。もう一年以上も薬抜きで頑張っていたのに。。。

とりあえず今週末にでもロックフォードに行って、心当たりを訪ねてみるしかない。




ギフトとの週末

2008-09-16 12:21:55 | リベリア
大統領選挙に関連したアサインメントのために、バージニアとペンシルバニアに1週間ほど滞在してきた。

選挙関係といっても、オバマやマケインなどの候補者を直接撮るものではなく、候補者たちが政策のポイントとするいくつかの問題に焦点をあてたものだ。

バージニアでは「移民」、ペンシルバニアは「戦争」がそのテーマで、数週間前にワシントンDC支局の記者たちがすでに取材を済ませており、僕の仕事は彼らがインタビューした人たちのポートレートとか、記事の舞台となる町の表情を捉えるといった、いわば後追い撮影。それほどエキサイティングな仕事ではないのだが、それでもいくつか気に入ったものが撮れたと思う。トリビューンに記事が掲載されるのは来月なので、ここにはまだ写真をアップできないのがちょっと残念。

それとは別に、せっかくペンシルバニアまで行く機会があったので、仕事を終わらせてから少し足をのばしてギフトに会ってきた。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/e2a193243c2b1304b04b6cb36bb58602

「アンクル・クニ!!!」
いつもの如くジョディの希望で、僕が訪れることは子供たちには内緒にしてあったので、突然の来訪者にびっくりしたギフトとノエミ、それにアサタまでがドアをあけたとたん飛びついてきた。彼女たちのこういう大袈裟なまでの歓迎をうけるのは嬉しいことこのうえない。彼女たちが成人してしまえば、もうこんなに喜んではくれないだろうし。。。

3月に会って以来ほぼ半年ぶりだが、みなそれほど変わりはないようで、アサタもずいぶんこちらの生活に慣れてきたようだ。

今回はじめてギフトのサッカーの試合をみることができた。

さすがアメリカの郊外、といった感じで、林を切り開いた広々とした土地に、5面も6面もサッカー・フィールドがつくられている。鮮やかな緑の芝が生い茂ったそんなフィールドでボールを追いかけて走り回るギフトの姿を眺めていたら、ふとリベリアの内戦の記憶が蘇ってきた。

不思議なものだ。。。あのとき家族を殺され泣き叫んでいた少女が、いまこんなアメリカ郊外の町で白人の子供たちとサッカーに興じている。彼女のこんな人生を一体誰が想像できただろう。

偶然にも、帰路の車の中でジョディーがこんなことを語りだした。

「やっぱり、なるべくしてなる、という運命のようなものがあるのよね。。。私が数ヶ月早く養子をとることを考えていたら、ギフトの記事には巡り会わなかったでしょうし、そうしたら彼女のことを知ることもなかったでしょう」

それが「運命」と呼ぶべきものなのかは僕にはわからないが、それでもすべての出来事というのは偶然が積み重なって繋がっているわけで、ギフトのことも、僕がリベリアの内戦を取材し、さらに翌年写真に写った彼女を探し出し、そのまた翌年トリビューンがその記事を掲載し、かつインターネットというテクノロジーがあったからこそペンシルバニア在住のジョディがシカゴ・トリビューンの記事を読むことができた。そんなすべての要素が重なってこういう結果が生み出されたわけだ。

彼女に限らず、僕にしても、またこのブログを読んでくれている人たち一人一人も、そういう偶然の積み重ねで現在を生きている。人間誰でも、高校や大学、職場や結婚などに関して、もしあのとき別の選択をしていたら、自分の人生はどうなっていただろう、いまより良かっただろうか、などと考えたことはあるはずだ。

だからどうした、といわれてしまえばそれまでだが、久しぶりにギフトに会って、少しばかりそんな哲学的なことを考えさせられるはめになった。。。そんな週末でした。

とりとめのない文章で失礼。




ジムの逃亡

2008-09-08 07:54:42 | シカゴ
ちょっとえらいことになった。

ジムの行方がわからなくなったのだ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/d/20080614

釈放されてから、シカゴのトランジショナル施設で暮らしてきた彼だが、ちょうど今月4日に90日間の施設生活の期間が満了になるはずだった。

2週間ほど前に会った時、期間が満了したら娘のところに行って一緒に暮らしたい、と彼は言っていたのだが、そのためにはペロール・オフィサー(仮釈放中の行動を監視する職員)の許可が必要で、オフィサーとのミーティングが先週ひらかれたはずだった。

あいにく僕はハリケーンの取材でシカゴから離れておりミーティングに同席することができなかったので、その結果が気になっていたこともあって、ここ1週間ほどジムに電話をかけ続けていた。しかし、彼の携帯はずっとオフになったまま。何か嫌な予感がしたので、昨日トランジショナル施設を訪ねてみると、案の定、ジェームスは2日前に施設をでていったきり帰ってきていない、という。

恐らく、ミーティングで彼の希望は却下され、頭にきたジムは施設を飛びだして娘のロビンのところへ行ったのだろう。
しかし、ペロール・オフィサーの命令の背いて勝手に施設をでていったとすれば、これは彼の将来にとってもあまり懸命ではない選択だ。

居心地の悪い施設から一日でも早くでていきたい気持ちはわかるけれど、ここまで頑張ってきたのだからもう少し我慢できなかったのか。。。そんな思いで心が痛む。

しかしそれよりも、僕に一言もなくシカゴを去ったことをとても残念に感じている。これまで頻繁に時間を共にして、僕としてはジムといい関係が築けていたと思っていたからだ。まあこれは結局こちらの勝手な思い込みだったのかも知れないが、なんだか裏切られたような気がしないでもない。

ロビンの家は一度訪ねたきりではっきりとその住所は覚えていないのだが、ジムに会うためにはなんとか探し出しすしかないだろう。

明日から1週間の出張取材でバージニアとペンシルバニアに行くことになっている。仕事から戻るまでに彼と再び連絡がとれるようになっているといいのだが。。。

ハリケーン取材

2008-09-05 02:56:23 | 北米
ハリケーンの取材のため、先週土曜に出発しルイジアナへ行ってきた。

すでに空港は閉鎖されていたので、シカゴからメンフィスまで飛び、そこから車で6時間ほどかけてニューオリンズにはいる。この町は前回のハリケーン・カトリーナ以来3年ぶりだ。

ハリケーンのような災害取材は、撮影そのものよりも、その準備に手間がかかる。ビジネスがみなシャットダウンしてしまうので、ガソリンや水、食料をあらかじめ調達しておかなくてはならない。カトリーナの直後に上陸したハリケーン・リタのときなど、ヒューストンに到着してから、ガソリン・タンクを探して3時間も走り回る羽目になった。すでに住民の避難が始まっていたので、どこの店でも売り切れになっていたからだ。

今回はメンフィスで資材を買い込み準備万端でニューオリンズにはいったのだが、カトリーナよりも強力になるといわれていたグスタボは結局勢力を弱め、予想されていたほどの被害をだすには至らなかった。

カトリーナの悲惨な被害経験に加え、「退避勧告を無視して町に残った人々は助けない」という市長の深刻な脅かしもきいて、今回は多くの市民達がハリケーン上陸前に町から避難した。そんな市民達にとっても、駆けつけた僕らのような報道陣にとっても、ちょっと拍子抜けした顛末ともいえるが、まあ被害が少なかったにこした事はない。

しかし、今回も例の如くテレビの過剰報道には少々うんざりさせられる思いに。。。

ハリケーン上陸の日にも、例の如くアナウンサーがわざわざ風の強い通りにでて、マイクに向かって騒ぎ立てるわ、堤防からの中継では今にも堤防が欠壊するかのように危機感をあおり立てるわで(確かに水かさは大分高くなっていたが)、これでもかといわんばかりに大袈裟な報道を繰り返す。

CNNは、一番の看板レポータ、アンダーソン・クーパーまで投入してきたが、彼もホテルの前の通りから吹き飛ばされそうになりながらさんざん騒いだあげく、被害がそれほどでもなかったとわかると、翌日にはとっとと共和党大会の開かれているミネソタの方へ飛んでいってしまった。

「なんか違うんだよなあ」とは思いながらも、結局のところなるべくドラマティックな見せ方をしないと視聴率がとれないのだろうと、彼らに少々同情も感じてしまう。

まあそういう僕自身も、はじめの予定を大幅に短縮して、5日目にはシカゴに戻される事になったのだが、住民達にとってはこれからが大変なところだ。

被害が小さかったとはいえ、多くのコミュニティーでは木や電柱がなぎ倒され、浸水の被害が出た。まだ電気が復旧していない町も多く、避難先から自宅に戻ってきた人々が「普通の生活」に戻れるまでには、しばらく時間がかかるだろう。

(強風でなぎ倒された屋根とポンプを建て直そうとするガソリンスタンドのオーナー)