Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

バグダッド市民の葛藤

2007-06-30 00:00:14 | 中東
先日従軍を終えてバグダッドの支局に戻ってきた。

従軍の後半数日は反米勢力の攻撃が重なって、隣の宿舎で寝起きしている部隊の6名がパトロール中に路上爆弾で死亡、さらにキャンプ内にも砲弾が落ちて1名が殺された。僕は今回の従軍中8回ほどパトロールに同行したが、幸か不幸か(怪我がなかったのが幸いだが、ニュース・カメラマンの立場としては不幸、といっておこう)ロケット弾に見舞われたのが一回、それも100メートルほど離れたところだけで、あとは何事もなく無事に過ごしてきた。

従軍前には米兵だけでなく、イラクの市民からの視点をもった写真も、と思っていたが、今回も残念ながらそれはかなわなかった。これまでのイラク滞在も含め何度も挑戦してきたが、やはり米軍に従軍していては、市民の生の生活を撮ることなど無理なのだ。 

それでも、キャンプに滞在しているイラク人通訳や、支局の地元スタッフ達との会話をとおして、現在の生活状況をある程度掴むことはできた。

「サダム時代のほうが良かったよ。。。」

これは現在バグダッドに住むイラク人の大部分が共通して感じていることだ。

支局で雇っているドライバーたちはみな口を揃えてこういった。
「水はほとんどでなくなったし、電気もない。車のガソリンを買うのにも、2日間車で寝泊りしながら列をつくって待たなくてはならない。あまりに爆弾テロが多すぎて、もう人の多いマーケットにも行けなくなった。。。サダム時代には、政権批判さえしなければ、日用品にも特別不自由なく平和に暮らせたんだ」

あまりの治安の悪さは物資の産出にも影響し、野菜や果物なども手に入りにくくなった。トマトなど、2003年の米軍侵攻以前には1キロ150ディナー(約20セント)だったのが、現在ではなんと10倍の1500ディナーになったし、ガソリンなどは1リットル当たり20ディナーだったのが、いまでは400ディナーだ。2日間も列に並ぶ時間がなくて、闇市でガソリンを購入するとなんと1リットル1000ディナーになるという。

治安は悪化し続ける一方で、生活に困窮するバグダッド市民達だが、「一体どうすれば事態はよくなるのか?」という僕の問いに、はっきりと答えられた人間は一人もいなかった。

「米軍にはイラクから撤退して欲しい。しかし、撤退すれば権力争いの内戦が勃発するだろう」

これもバグダッド市民たちのほぼ共通した認識だ。もとはと言えば米軍の占領がきっかけで始まった宗派間の武力対立なのに、地域によっては米軍に治安維持を頼らなくてはならないという皮肉な現状がある。かといって完全に国内の治安を回復するだけの力は米軍にはない。

僕個人の意見としては、とにかく米軍は撤退して、仮に内戦が起こってももうあとはイラク人自身の手に将来を委ねるしかない思っているが、現実的には永続的に軍を駐留させておきたいアメリカの思惑もあるし、イラクを裏から掌握しようとしているイランの存在もあるからそうもいかないだろう。自己の利益だけのために、イラクをここまで破滅させたアメリカの罪はあまりに大きすぎる。

状況は複雑化しすぎて、解決の糸口も見えない。支局のドライバーたちのようにまだ定期収入のある恵まれた男たちは、家族をシリアなどの国外へ移住させはじめた。宗派間の争いが激化し、これ以上バグダッドにいるのは危険すぎるからだ。

「街に増えたのは携帯電話と缶入りコカコーラくらいだよ」

朝食を共にしながら、ドライバーのひとり、シナンは皮肉交じりにこう洩らした。




停止する思考

2007-06-26 02:13:36 | 中東
暑い。。。あまりにも暑い。

日中の気温は50度に近くなり、熱せられた空気は、まるでヘア・ドライヤーからの熱風のようになって全身に吹付けてくる。湿度が低いのが唯一の救いだが、それでも10キロほどの重い防弾ベストとヘルメットを身に着けていると、ものの数分でシャツは汗でぐしゃぐしゃになってしまう。

「これでは兵士たちが戦争に対して深く考えることなど無理だろうな。。。」
昨日のパトロール中、ハムビー(軍用ジープ)の車内でぐったりしながら仮眠をとる兵士たちの姿を眺めながら、僕はふとそんなことを考えていた。

彼らはこの過酷な気候のなか毎日6時間から8時間パトロールにでかけるが、作戦次第では10時間以上を外で過ごすことも珍しくはない。

倉庫として使われていた平屋の建物に50人ほどの兵士たちがひしめきあって生活しているが、それぞれの小隊が別なスケジュールで行動するため夜昼なくいつもざわついており完全に消灯することもないので、睡眠時間も十分にはとれない状態だ。

ニュースも食堂に設置されたテレビの決められた番組から放映されるものしか見ることができないし、新聞も軍と関わりのある「スターズ・アンド・ストライプス」だけだ。インターネットで外の世界の情報を調べようと思っても、気が遠くなるほどに接続の遅いネットにしかアクセスがないうえに、個人の使用は30分までと限られているから、家族や友人に2,3のメールを書くだけで時間切れになってしまう。

こういう生活環境は、この戦争の意味について深く考えるという兵士たちの思考を止めてしまうんだろうなあ、とつくづく感じている。

ジャーナリストとして従軍している僕でさえ、こうして兵士たちと同じ生活を続けていると、時間があれば眠りたい、というような状態になってきて、こうやって考えながらブログを書き綴ることさえ一苦労になってくる。(まあ僕はもともと筆不精なんだけど。。。)

長時間労働で生活の大部分を奪われ、住処には寝るだけに帰るようなもの。毎日の生活に追われ、国の政治に対して目を向け、深く考える余裕などなくなってしまう。

あれ、これって日本の会社員たちの生活にも似てないか?たしかに彼らも「企業戦士」などとよばれたこともあったよなあ。

兵士にしても会社員にしても、彼らをこういう「思考できない」環境に縛っておくことは「支配する側」にとっては都合がいいのだろう。

「バーコード」の刺青

2007-06-16 16:27:46 | 中東
バグダッド北西部で従軍を開始して1週間がたった。

今回一緒にいる部隊はまだイラクに来たばかりで、まだキャンプの外にでていないため街の様子は全くつかめていないのだが、パトロールで忙しくなる前のこの準備期間は、僕らにとって兵士たちの素顔を知るためのいいチャンスになった。

僕らの従軍しているプラトゥーンは18名。そのうちの8名にとって今回がはじめてのイラク派兵となる。

その新参兵たちの一人に、手首に「バーコード」の刺青をしている青年がいた。マイクという名のその兵士はまだ22歳、「バーコード」は、イラクに来る前に彼が初めていれた刺青だという。

いったん軍にはいれば、厳格に管理され、そこには個人の人間性の尊重など存在しない。兵士はバーコードをつけられたプロダクト、すなわち軍に所有された物品と同じというわけだ。

家族を養うためと、「なにか人生の目的、のようなものが欲しかった」という理由で軍にはいったマイクは、現在の米軍のイラク政策には批判的だ。

「9.11テロもイラクがやったわけでもない、大量破壊兵器だってみつかっていない。。。侵攻して4年以上もたって、なぜ僕らがここにいなくてはならないのか、意味が見出せない。。。」

「だけど、そういう意味や理由を考えることは僕らの仕事ではないんだ。。。兵士はただ与えられた日々の仕事をこなすだけ。これが終われば15ヶ月後には家に帰れる」

一概にはいえないが、米兵たちと話をしていて、多くの兵士たちがこの戦争にすでに意義を見出せなくなっているような感じを受ける。それでも、マイクのいうように、意識的にそういうことを考えないように思考をシャットダウンし、彼らは毎日の「職務」をこなしているのだ。さもなければ、猛暑と路上爆弾の危険に晒されながら、15ヶ月という長い期間を愛する家族と離れてやっていくことは難しいのだろう。

「もしここで死んだら、いったい何のために死んだのか、全然わからないね」

マイクは言った。

今晩、パトロールに同行してようやくキャンプの外に出ることができる。


またイラクへ

2007-06-08 03:29:30 | 中東
今日午前中イラク入りした。

2003年の米軍侵攻以来、早いものでもう4年。僕のイラク入国ももう6度目になる。



今回もこれまで同様、米軍に従軍しての取材になる。すでに何度も書いているが、現在のイラクでは外国人が自由に独立して取材するのは不可能に近い。誘拐事件があまりに多発しすぎていて、ひと目で外国人とわかる人間が、街に出てインタビューや写真撮影などできる状態ではとてもないからだ。(過去のイラク取材状況については以下のリンクへ)

http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/1fa2a3bd63004d4560370ed826075092

http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/bf04fcc409059e47e470b03aae098da5

従軍の始まる明日までの一日を、久しぶりにトリビューンのバグダッド支局のあるハムラ・ホテルで過ごす。


一昨年、昨年ともイラクには来たもののバグダッド支局に寄ることができなかったので、現地のスタッフ達と会うのも2年ぶりだ。みな元気そうではあるが、毎日のようにおこる爆弾テロや誘拐で治安の悪くなる一方のバグダッドで、彼らの生活も変わらざるを得なくなっているようだ。一人は家族をすべてシリアに非難させたし、残りのスタッフたちも今年中には同じことをと考えているという。



僕自身も毎年イラクに戻るたびに政情が悪化していることを実感せざるを得ない。2年前ならまだ空港に迎えに来てくれたスタッフ達と抱き合って再会を喜んでいるところを、今では挨拶もそこそこになるべく人目につかないようすばやく車に乗り込み走り出さなくてはならない。ドライバーも尾行されていないか神経をぴりぴりさせながら運転し、ホテルの部屋についてようやく一息つける、といった具合なのだ。



今回はこれまでのようにニュースの報道が目的ではなく、社のプロジェクトの一環でイラクにやってきた。米軍のひとつの部隊に焦点をあて、その兵士たち、そしてアメリカ国内に残された家族たちの1年を追う、というものだ。僕と一人のレポーターがイラクにいる部隊を取材し、もうひとつのチームが米国内の家族を担当する。だから、4週間ほどの今回の取材が終わっても、年内中にあと1,2回はまたイラクに戻らなくてはならなくなりそうだ。



プロジェクトの性格上、取材はもちろん米軍からの視点になる。いわば「侵略する側」からの視点だ。しかし現在のイラク情勢や、米新聞社のカメラマンという立場から考えてみても、従軍取材は自分に残された唯一の方法だし、こればかりはもう仕方がない。



たまたまこの時代に生まれたために戦地に送り込まれた米兵たちと、その家族の苦悩を取材しながら、同時に従軍という狭い窓口をとおしてでもイラク一般市民の視点が抜け落ちないような写真を探していくしかないと思っている。





カメラマンは写真で伝えるべき?その2

2007-06-02 13:32:03 | 報道写真考・たわ言
しばらく筆不精の癖がでてブログ更新をさぼっていたら、またイラク行きが決まったので急に慌しくなってきた。

「カメラマンは写真で伝えるべき」という意見に関して、いろいろなコメントをいただいているようで嬉しく思う。別に僕はこのブログを「仲良しクラブ」的なものとして発信しているわけでもないし、批判的意見も大歓迎だ。ただ、それが何の論理性もなく単なる感情的な誹謗・中傷ではこちらとしてもあまり議論の余地はないのだけれど。。。

もともと東京都民でもなく、それどころか日本を離れてからすでに17年という海外在住者の僕が、どうして石原都知事再選をここまで問題視するのか?ということについてもう一度だけ述べて、この問題と「。。。写真で伝えるべき」のテーマにひとまず区切りをつけたいと思う。

僕は石原都知事など会ったこともないし、勿論彼の写真など撮ったこともない。しかしこのインターネット社会、彼の言動や政策に関する情報はこちらにいても十分入手できるし、そういう情報をとおして、彼がどんな人物であることか大方の想像はつく。さらに、君が代斉唱や日の丸掲揚に異議を唱えたために処分をうけた300人以上という都教職員の数や、過去5年間で2億円を超える海外出張の豪遊費などといったれっきとした事実をみれば、彼がどういう姿勢で都の政策をおこなっているかなどは明白だ。

僕は別に石原都知事一人や東京都民だけを問題にしているわけではない。実際にもっと恐ろしいのは、日本を「合法的に戦争のできる国」に変えようとしている安部内閣なのだが、石原都知事の再選を許してしまった都民の姿勢というのは、突き詰めて考えれば日本国民全体の政治に対する姿勢と同じなのだ。

だから僕は石原都知事の再選を聞いたとき、これは東京都だけの問題にはとどまらず、「ああ、東京がこんな調子では、安部総理の思惑どうり、憲法9条も「改悪」され、米国と組んで日本が戦争のできる国になってしまう。。。」という絶大な危機感を感じたのだ。あれだけのことをしておきながらまた石原氏が再選されるなど考えられなかったし、僕としてはブッシュ再選のときと同様のショックをうけたのだが、やはり海外に住んでいるため都民の都政に対する体温というものを把握していなかったのだろう。

石原都知事再選は、安部総理の憲法改悪、自衛隊の「日本国軍化」そして将来、米国と歩調をあわせての日本の戦争参加、という連鎖を生み出すことになるだろう。実際に、憲法改悪の下準備である国民投票法は議会で可決されてしまったし、もう着々と事実は既成されているのだ。

日本を外からみることのできる海外在住者としてこういう状況に怒りさえをも感じているが、僕自身、それを許してしまっている日本国民の一人だということに非常な歯がゆさを感じているのだ。

石原都知事や安部総理、はたまたブッシュ大統領など写真に撮ったことなどはない僕だが、戦争の現場というものは何度もこの体で体験しているし、写真家としてそれに関わる人間たちの姿にカメラを向け、その惨状を写真で伝えようと努力はしてきた。

僕は、「正義のための戦争」などありえないと思っているし、どんな理由であれ、根本的に戦争には反対の立場をとっているが、それは頭で考えた論理的なものではなく、経験から僕の身体にしみ込んだ戦争に対する拒絶感のようなものによるところが大きい。

だから、「カメラマンは写真で伝えるべきであり、石原都知事を撮ってもいないのに彼を非難する資格などない」という意見には、こう切り返そう。
「都知事や安部総理の姿など撮っていなくても、彼らがやろうとしている恐ろしいこと(すなわち戦争)の姿は撮っている。だから、僕は報道カメラマンとして胸をはって、戦争志向の政治家を非難するのだ」と。