Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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ジムとの再会

2007-11-28 23:57:04 | シカゴ
来月掲載予定の貧困プロジェクトのまとめで多忙なのと、また筆不精の気がでてしばらくブログ更新さぼってしまった。

昨日はホームレスのジムに会いにシカゴから2時間ほど離れた刑務所を訪れた。

ジムと出会ったのは今年の3月、貧困プロジェクトを始めてすぐのことだ。彼はシカゴの北西にあるロックフォードという街で川沿いに放置されたトレーラー(コンテナ)にガールフレンドのジョディと一緒に住んでいた。

酒か薬で身を落とす多くのホームレスの例に漏れず、ジムとジョディもコカイン中毒者だった。くず鉄集めをして幾ばくかの金を稼いでいたが、そのほとんどはコカインのために浪費され、食べものよりドラッグが先、という典型的な毎日をおくっていた。

若かった頃はカントリー歌手のバンドでドラムをたたき、各地にツアーにでてそれなりに景気はよかったのだが、そのうちドラッグに溺れるようになりジムは身を持ち崩した。彼には2人の娘がいるといっていたが、もう何年も家族とも音信不通になっている。

7月のある日、高く売れる銅の部品を集めるために、市によって立ち入り禁止となっていた空きビルに侵入し逮捕された。

僕も彼が刑務所に入ったのは知っていたが、イラクやアフリカ取材で国外に出っ放しだったので、これまで訪れる機会がなかったのだ。

半年ぶりにあったジムは、長かった髪も切り、すっかり小奇麗になっていた。以前と違って刑務所でしっかり食事をしているせいで体重も増えたようだ。

「ここでいろんなことに気づかされた。。。これまで俺はドラッグに中毒になっていると思ってたんだけど、本当はドラッグだけでなく、ホームレスのライフスタイル自体に中毒になっていたようだ」

この刑務所は、犯罪者を檻に閉じ込めておくだけではなく、リハビリのためのカウンセリングや比較的高いレベルの職業訓練などにも力を入れている。ジムも毎日、ドラッグ中毒のリハビリを受け、ビルディング・メインテナンスの講義を受講している。

彼はカウンセリングを受けているうちに、コカインだけでなく、トレーラーのなかで寝起きし、盗みを働き、ぎりぎりのところで生活するといった、スリルがあって自由なホームレスの生活自体に病みつきになっていたのだった。

そして気づいたとき、金も、家族も、友人も、愛していたガールフレンドのジョディも失った。

ドラッグを断って4ヶ月、彼のふっきれたような様子からして、今は本気で人生をやり直そうと考えているようだ。

彼の出所予定は来年の7月、そう遠くはない。頼れる人間のいないジムにとって、新たなスタートをきることは決してやさしい事ではない。身に馴染んだロックフォードに戻り、元の生活を繰り返すほうがずっと楽だからだ。

僕も、ジムの行く末については決して楽観はしていないが、いずれにしてもこれからも彼を見続けていければと思っている。

(写真:トレーラーで生活していた頃のジムとジョディ)

イラク復興?

2007-11-19 09:44:56 | 中東
プロジェクトをキャンセルされたあと、結局他の部隊に1週間ほど従軍取材をしてからイラクを発ち、2日前にシカゴに戻ってきた。まだ時差ぼけで午前3時頃眼が覚めてしまう。いくら国外取材を重ねても、こればかりは慣れることはないなあ。

今回の従軍で興味深かったのは、イラクを取材するようになった2003年以来、初めて少しは状況が良くなってきたかなと感じたことだ。

バグダッドから30キロほど北にあるタジという街を中心に取材したが、このあたりは米軍に対するイスラム抵抗勢力の攻撃や、スンニ、シーア派の宗派間の争いが激しく、今年はじめあたりまで非常に危険な地域だった。それが、今春にはじまった米軍のサージ(追加派兵)が功を奏し、4ヶ月ほど前から徐々に治安が回復しはじめた。

治安が戻るにつれ、米軍がある程度の治安を維持できるうちにイラクの再建を進めるのが得策だという部族リーダーたちの思惑と、もう殺し合いにはうんざりという街の気運が一致して、宗派や部族をこえた和解、協力がおこなわれるようになってきたのだ。

同時に、アメリカ側も兵士だけではなく、国際開発庁などから出向してきた一般市民を含んだチームで学校や病院の再建にのりだした。このチームのおかげで、イラクの復興支援のための資金にすばやくアクセスできるようになった。

「これまでは、米軍がくるたびに援助を約束してくれたにもかかわらず、なにひとつ実現しなかった。しかし今回は希望がでてきました。病院の設備も少しずつ整ってきたのです」

内壁のきれいに塗り替えられた病院で、ドクターのマフムード氏が質問に答えてくれた。

地域の学校も同様に整備されはじめ、コンピュータなども設置されるようになってきた。前述したように、僕にとっては、バグダッドの陥落以来、初めて見るイラク復興の姿だった。

しかし、これでイラクも落ち着いていくのかといえば、正直いってまだまだ疑問は残る。これまでの例からしても、米軍が集中的に攻勢をかけた地域からはアルカイダが逃げ出し一時的に治安が良くなるが、兵力が手薄になるとまた武装抵抗勢力が戻って問題を引き起こすからだ。現に米軍の増兵でタジやバグダッドから追いだされたアルカイダの一部は北部に移動したため、最近では北部のキルクークなどで逆に治安が悪化している。

米軍の追加派兵が終わり、兵力を減らしていく来年以降にここにまた武装抵抗勢力が戻ってこないという保証などどこにもないし、むしろそれは予期されるべきことだろう。そのときまでに、どれだけイラクが警察、軍隊を含めた治安維持の制度を強化できるか、また、経済を回復させ失業率を下げることができるかにこの国の将来はかかってくるだろう。仕事がなく生活が困窮していれば、幾ばくかの金のためにアルカイダの手先となって爆弾を仕掛けたりする一般市民は少なくないからだ。

また、状況が好転してきているとはいえ、ここに到達するまでにイラクの払った犠牲はあまりに多大であり、アメリカとの溝は深くなりすぎた。

いまや大部分のイラクの一般市民たちはアメリカに憎しみさえをも抱いているといって過言はないだろう。彼らは、アメリカが嫌いとは決してアメリカ人の前では口にしないが、僕が日本人だとわかると本音をだしてくるからこれはよくわかる。トリビューンの現地スタッフたちでさえ、僕にはこっそりと、「もういまでは本当にアメリカが嫌いになった」などと言ってくるし、街でであう子供達でさえ、「アメリカは駄目だ」と臆することなく口にする。

治安が回復し物質的な国の再建はできても、アメリカがイラク市民たちに残した精神的な傷を癒すのには、遥かに長い年月がかかるだろう。

(写真:宗派間をこえた和解会議にあつまるリーダーたち)










予期せぬ結末

2007-11-11 15:04:40 | 中東
バグダッドでの従軍だが、予期せぬ結末を迎えることになった。

これまで取材してきた部隊から、従軍中止命令をだされてしまったのだ。

このプロジェクトは、僕とアーマーという記者がイラクにいる米軍兵士を取材し、もう一組のカメラマンと記者がアメリカ国内で彼らの家族を担当するというチーム・プロジェクトだったのだが、どうやらこの家族担当の記者がある質問をして部隊のトップを怒らせてしまったようなのだ。

わざわざバグダッドまで来て、部隊の兵士達と合流する前夜になっての突然の取材中止命令。。。唖然とした僕らはなんとか部隊と交渉し食い下がったが決定を覆すことはできなかった。

さらに情けないことに、部隊のトップを怒らせた質問というがなんともくだらないものなのだ。それは、イラクに出兵している兵士達の妻の間で、「浮気をしている妻のリスト」が出回っているという噂話についてのものだった。こんな噂話の真偽を確かめるために、記者は大佐の妻を含めた兵士達の配偶者たちにこのリストについて尋ねたという。

質問に立腹した配偶者達が苦情を申し入れ、これが数日前にイラクにいる部隊のトップの耳にはいってきたらしい。

「ゴシップ紙でもあるまいし、なんでこんな馬鹿げた質問をするんだ。。。それも大佐の妻にまで。。。」

はじめこの話を聞いたとき、僕はあいた口がふさがらなかった。そして、記者と部隊の両方に対してなんともいえぬ怒りがこみ上げてきた。

本来ならその内容がどうあれ、「質問をする」行為自体に問題はないはずだ。記者には質問をする権利があるし、部隊にはそれに対して「答えない」権利があるからだ。軍の機密を漏らすなどの従軍規則に違反したわけでもなく、「浮気妻のリスト」のことを記事にして発表したわけでもないので、たかが記者の質問くらいで部隊が僕らの従軍を中止する正当な理由はない。

しかし現実的にはイラクでの兵士の取材というのは軍の許可がなければ不可能だし、理由が正当であろうがなかろうが、軍が駄目だといえばそれまでなのだ。

今年6月からこれまでイラクに3度も出向き相当の時間と労力を割いておこなってきたプロジェクトだけに、こういう終わり方をするのは非常に残念だ。部隊のなかでもこの決定について賛否があるようだし、トリビューンでもワシントン支局長を中心に交渉を続けているようだが、頭の固い軍のことだ。恐らく一度だされた従軍中止の決定が覆されることはないだろう。

こういうわけで、僕らとしても何もせずに手ぶらでアメリカに戻るわけにもいかず、とりあえずここ数日は全く他の部隊に従軍して、単発の取材を続けている。




アラブ人の金の使い方

2007-11-07 03:15:50 | 中東
昨日またバグダッドに戻ってきた。前回に続き同じ部隊のプロジェクトの一環で、今年3度目のイラク入りになる。なんだか最近やたら忙しくて、シカゴにいたのはここ3ヶ月のうち2週間ほどだ。なんだかアパートの家賃が無駄だなあ、なんて思っている。

話は変るが、5ヶ月ほど前から、僕は自宅から空港に向かうときに毎度同じタクシードライバーに乗せてもらうようになった。

ジョーという名のそのドライバーは、ヨルダン生まれのパレスチナ人。6月にイラクに行くとき、あらかじめ電話しておいたタクシー会社からドライバーが来ずに慌てていたところ、たまたまアパートの前を通りがかったのが彼だった。

僕が彼の故郷であるヨルダンを経由してイラクに入るということで話がはずみ、ジョーとはそれ以来の付き合いになった。

彼はアラブ人とはいえ、毎日モスクに通うような敬虔なイスラム教徒というわけではないし、シカゴにもう30年近く住んでいるので、考え方もかなりリベラルだ。 

今回も彼の車で空港まで行ったのだが、そんなジョーが、常にイスラエルびいきのアメリカの外交政策には飽き飽きしているとめずらしく車中で愚痴をこぼしはじめた。

「アメリカがイスラエル寄りなのは仕方がないよ。なんといってもユダヤ人は金権と政治力でアメリカの政界と財界にぎっちり食い込んでいるからね」

僕がなだめると、彼はこう言った。

「いや、アラブ人も金は十分に持っているんだ。ただその使い方を知らないんだよな。アラブ人たちが気にかけるのは大邸宅や高級車といった個人の贅沢ばかりだから。。。」

自身がアラブである彼のこの言葉を聞いて、なるほどそうかもなあ、と感心。

中東、特にクウェートやアラブ首長国連合のような産油国(サウジは行ったことがないが恐らく同じだろう)を訪れて気がつくのは、街を走る高級車の多さや、乱立する高級ホテルの豪華さだ。

昨年クウェートで友人に連れられて富豪の昼食会に顔を出したことがあったが、その豪華さに舌を巻いたことを憶えている。大理石の敷き詰められたリビングには噴水まであり、たった5人の昼食だというのに、給仕が3人、7-8種類ほどの前菜がでたあと、メインコースとしてプールサイドに魚や肉など6種類ほどのバッフェが設置された。恥ずかしながら僕は前菜がメインだと勘違いしてしまい、それだけでお腹を一杯にしてしまったほどだった。

もちろん石油ビジネスで富をなしたこの富豪、ベンツを3台、BMWを2台所持し、さらにこのような豪華な家をドバイとロンドンかパリだったか忘れたがヨーロッパのどこかに一件ずつ持っているといっていた。

クウェートではこの程度の金持ちは珍しくない。僕など恐らく一生関わることのないような大富豪を含めて、産油国には金持ちがごろごろしているのだ。

パレスチナの例もあるし、勿論アラブ人全部がそうであるというつもりは毛頭ない。ただ、産油国に関しては自分の経験からも、ジョーが言うように、個人の物質的贅沢さを追及するということにアラブ人はかなりの執着があるように思えるのだ。

非難を覚悟で極端な言い方をすれば、ユダヤは自分のビジネスによって「稼いだ」金、アラブは石油資源によって「与えられた」金ということで、その利用法に対するメンタリティーにも差が出てくるのかもしれない。

いずれにしても言える事は、もし産油国の富豪たちが個人の贅沢に金を費やすだけではなく、アメリカ、ヨーロッパやさらにはアフリカなどとの建設的なビジネスとネットワークにつぎ込んでいたなら、現在の国際情勢もかなり変っていたのではないだろうか、ということだ。



モガディシュの精神病院

2007-11-03 20:09:16 | アフリカ
モガディシュに滞在中、街にある唯一の精神病院を訪れた。

2005年に院長のハベブ氏によってつくられたこのハベブ・メンタル・ホスピタルには現在50人弱の患者が入院している。

精神安定剤の多用によるものだろう、ほとんどの患者達はうつろな眼で宙をみつめているか、ベッドに横たわり眠っていた。驚いたことに、なかには足を鎖でつながれた患者たちもいる。病院のスタッフが言うに、乱暴な患者に対するやむを得ない措置だという。

ハベブ氏は、精神病に対する3ヶ月ほどのトレーニングを受けただけで、実は正規の医者ではない。それでもこの病院を頼って開院以来2000人以上の患者がこの病院を訪れている。

いまだに精神障害が悪霊の仕業だと信じる人々が少なくないこのような土地では、悪霊をとり払おうと、患者に肉体的暴力を加えたり、食事を与えず飢えさせたり、また、ハイエナと同じ部屋に精神病者を閉じ込めたりすることさえもあるという。

このような、「理解しがたい」精神病に対処することができず、手に負えなくなった家族たちが、患者をハベブ氏のもとに連れてくるのだ。

まともに会話のできない患者達から、一体彼らがどんな理由で精神に異常をきたすようになったかを聞き出すのは不可能だった。それでも、この国で長年続いている内戦の影響は無視できないだろう。

家を焼かれ、家族を殺されたトラウマから抜け出せずに生きる人々は数知れない。

「症状が良くなって退院しても、戦争でまた病んでしまう。。。この繰り返しです。この国では患者の心が癒されることはありません!」

いつになっても戦いの終わることのないこの国の状況に苛立ちながら、叫ぶようにハベブ氏は声を張り上げた。